さて、快挙についてご報告するときが来ましたよ。
大地君と、
大地君と同い年で東海地方で修行している光君が
揃って小学校四年生の一年間、皆勤賞で通しました。

普通の子の皆勤賞と意味が違いますよ。
二人とも、数年前は登校渋りだった。
二人とも、体温調節が苦手。
夏はのぼせて、冬は身体が動かない。
頭痛・発熱・嘔吐、しょっちゅう。
二人とも、運動は苦手です。
それでも、二人ともこつこつと身体づくりをした。
アスリートを目指してじゃなくて
将来働ける大人になるためにね。
そして二人とも、風邪も引かず一年間を乗り切り
みごとに皆勤賞を取りました。
快挙達成前日に、大地君は
私にこういうメッセージをくれました。
「浅見さんに応援してもらったこと。信じていると言ってもらえたこと。みんなからの応援メッセージや一緒に頑張っている人を教えてくれたこと。全部僕の励みになりました。ありがとうございました。これからも僕は僕らしく頑張ります。」
私は遠くで応援している友だちに過ぎない。
でも大地君は、周囲の大人に感謝することを知っている。
パパの教育のおかげでもある。
「一人で達成した皆勤賞じゃない。健康を維持するため、食べるもの、飲むものの温度にまで気を使ってくれたママに感謝しなさい」と教えているそうだ。
そういう生活習慣上の注意は、もちろん大地君を育んだろう。
そして光君の周囲にも、そういう大人がいるのだろう。
大地君にも光君にも、周囲の大人に感謝してほしい。
自閉っ子には理由が必要だから、私はここにそれをはっきり書いておく。
光君、そして大地君。
君たちの周囲の大人が感謝に値する一番大きな理由は
君たちの成長をあきらめなかったことだ。
障害があるから、というのを理由に君たちの将来をあきらめず
それぞれの立ち位置で、君たちを支えてきたことだ。
かわいそうなことに、障害があるという理由で、親にすら将来をあきらめられてしまっている子どもはたくさんいる。
あきらめることを親に促す人たちが
恥ずかしげもなく「支援者」と名乗っている現実もある。
でも君たちの周囲の大人はそうじゃなかったよ、光君。大地君。
そのことに君たちは感謝してほしい。

そして、療育ギョーカイにはよく知ってほしい。
こういう積み重ねこそが、セルフエスティームを育むのだと。
小さいことをほめる。それが必要な段階、必要な子どももいるだろう。
でもそうやって育んだセルフエスティームらしきものは
しょせん教習所の中を走れるレベルのセルフエスティームに過ぎない。
もっとちゃんと公道を走るためのセルフエスティーム
社会(みんな)の中で生き抜くためのセルフエスティームを育むのは
光君や大地君のように
「やれると思ってはいなかったことがやり遂げられた」達成感だけなのだ。
つまり、挑戦なしには育めないのですよ、本物のセルフエスティームは。
いつまでもいつまでも真綿にくるんでいたら、脆弱なセルフエスティームしか育めないのです。
子どもたちから挑戦を奪っていないですか?
よく考えてみてくださいね。
そして、だからね、ギョーカイの皆さん
挑戦している子を
その子たちを支えている大人を
あれこれ言うのはやめたほうがいいよ。
それはギョーカイが目指しているであろう「共生社会」にストップをかける行為だからさ。
私は光君や大地君の側にいつもいる大人のように
食べるものや飲むものに気を使うことはできない。
でも私にできることは
修行のやり方について発信したり
修行をして効果があった人について情報を発信したり
そういうこと。であると同時に
修行否定派とは、徹底的に戦うことだな。
名大吉川医師は、かつて大地君の育てられ方にちょっかいを出した。
顔じゃないよ、本当に。
吉川医師のもとで
誰か一人でもこういう成長を遂げた子がいますか?
登校渋り、頭痛発熱嘔吐しょっちゅうの子どもを
皆勤賞まで成長させたこと、ありますか?
私がここで、吉川のことをあれこれ言っても
誰一人擁護者が現れないので、地元でどれくらいリスペクトされているかは全然わかんないんだけど
支援者だって実績で判断していいと思う。
登校渋りを絶賛する保護者は
「登校しなくていいですよ」という支援者を信じていればいいでしょう、一生。
その子が将来働けなくても
別にその医者が生活を支えてくれるわけじゃない(ここ大事)。
それだけ了解していれば、どんな医者を信じるのも自由。
施設は人を選び
当事者や保護者は支援者を選び
そうやって選び選ばれる時代に来ています。
その中でどういう情報を得て、どうそれを自分の生活に活かしていくか
それは自分が自分で決めることですからね。
私は
「あきらめない」人たちを応援する本を出します。

大地君と、
大地君と同い年で東海地方で修行している光君が
揃って小学校四年生の一年間、皆勤賞で通しました。
普通の子の皆勤賞と意味が違いますよ。
二人とも、数年前は登校渋りだった。
二人とも、体温調節が苦手。
夏はのぼせて、冬は身体が動かない。
頭痛・発熱・嘔吐、しょっちゅう。
二人とも、運動は苦手です。
それでも、二人ともこつこつと身体づくりをした。
アスリートを目指してじゃなくて
将来働ける大人になるためにね。
そして二人とも、風邪も引かず一年間を乗り切り
みごとに皆勤賞を取りました。
快挙達成前日に、大地君は
私にこういうメッセージをくれました。
「浅見さんに応援してもらったこと。信じていると言ってもらえたこと。みんなからの応援メッセージや一緒に頑張っている人を教えてくれたこと。全部僕の励みになりました。ありがとうございました。これからも僕は僕らしく頑張ります。」
私は遠くで応援している友だちに過ぎない。
でも大地君は、周囲の大人に感謝することを知っている。
パパの教育のおかげでもある。
「一人で達成した皆勤賞じゃない。健康を維持するため、食べるもの、飲むものの温度にまで気を使ってくれたママに感謝しなさい」と教えているそうだ。
そういう生活習慣上の注意は、もちろん大地君を育んだろう。
そして光君の周囲にも、そういう大人がいるのだろう。
大地君にも光君にも、周囲の大人に感謝してほしい。
自閉っ子には理由が必要だから、私はここにそれをはっきり書いておく。
光君、そして大地君。
君たちの周囲の大人が感謝に値する一番大きな理由は
君たちの成長をあきらめなかったことだ。
障害があるから、というのを理由に君たちの将来をあきらめず
それぞれの立ち位置で、君たちを支えてきたことだ。
かわいそうなことに、障害があるという理由で、親にすら将来をあきらめられてしまっている子どもはたくさんいる。
あきらめることを親に促す人たちが
恥ずかしげもなく「支援者」と名乗っている現実もある。
でも君たちの周囲の大人はそうじゃなかったよ、光君。大地君。
そのことに君たちは感謝してほしい。
そして、療育ギョーカイにはよく知ってほしい。
こういう積み重ねこそが、セルフエスティームを育むのだと。
小さいことをほめる。それが必要な段階、必要な子どももいるだろう。
でもそうやって育んだセルフエスティームらしきものは
しょせん教習所の中を走れるレベルのセルフエスティームに過ぎない。
もっとちゃんと公道を走るためのセルフエスティーム
社会(みんな)の中で生き抜くためのセルフエスティームを育むのは
光君や大地君のように
「やれると思ってはいなかったことがやり遂げられた」達成感だけなのだ。
つまり、挑戦なしには育めないのですよ、本物のセルフエスティームは。
いつまでもいつまでも真綿にくるんでいたら、脆弱なセルフエスティームしか育めないのです。
子どもたちから挑戦を奪っていないですか?
よく考えてみてくださいね。
そして、だからね、ギョーカイの皆さん
挑戦している子を
その子たちを支えている大人を
あれこれ言うのはやめたほうがいいよ。
それはギョーカイが目指しているであろう「共生社会」にストップをかける行為だからさ。
私は光君や大地君の側にいつもいる大人のように
食べるものや飲むものに気を使うことはできない。
でも私にできることは
修行のやり方について発信したり
修行をして効果があった人について情報を発信したり
そういうこと。であると同時に
修行否定派とは、徹底的に戦うことだな。
名大吉川医師は、かつて大地君の育てられ方にちょっかいを出した。
顔じゃないよ、本当に。
吉川医師のもとで
誰か一人でもこういう成長を遂げた子がいますか?
登校渋り、頭痛発熱嘔吐しょっちゅうの子どもを
皆勤賞まで成長させたこと、ありますか?
私がここで、吉川のことをあれこれ言っても
誰一人擁護者が現れないので、地元でどれくらいリスペクトされているかは全然わかんないんだけど
支援者だって実績で判断していいと思う。
登校渋りを絶賛する保護者は
「登校しなくていいですよ」という支援者を信じていればいいでしょう、一生。
その子が将来働けなくても
別にその医者が生活を支えてくれるわけじゃない(ここ大事)。
それだけ了解していれば、どんな医者を信じるのも自由。
施設は人を選び
当事者や保護者は支援者を選び
そうやって選び選ばれる時代に来ています。
その中でどういう情報を得て、どうそれを自分の生活に活かしていくか
それは自分が自分で決めることですからね。
私は
「あきらめない」人たちを応援する本を出します。
「あきらめない」ことについて、実は先日、光から叱られました。ピアノを習って6年になりますが、書字・読字障害傾向のある彼には、読譜が難所です。新曲の読譜がなかなか進まないのを見て、「それはレ」「そこはソ」と先回りをして私が教えたところ、癇癪&号泣により練習中断。
しばらく後、クールダウンのため私から少し離れた場所にいた光がこちらへやってきて、噛んで含めるように「・・・あのね、お母さん。僕にはできない、って、決め付けないでくれる?」と、涙目で真剣に抗議してきました。
彼の言うとおりです。
私は恥ずかしくなり、心から謝りました。
光の生来の前向きな姿勢と、「あきらめない」事にかけては天才的な夫に支えられて、こんな母でもなんとかここまでやってきた、というのが実感です。「あきらめない」ことを応援してくださる花風社に、いつも勇気をいただいています。ありがとうございました。
光君や大地君みたいな子ども達の存在は
あとに続くお子さん達のいい励みになると思います。
またお越しくださいませ。
そして改めておめでとうございます。
大地君も、本当に弱い子でしたよ。これ、あとで記事にするつもりですが。
でも大地君にも光君と同様「向上心」はありましたね。ただ、それに目をくらまされて強い子だと誤解している人が多いようですが。
光ママさん同様、白くま母さんも感慨ひとしおのようです。
花風社はこれからも応援し続けます。
またお越しくださいませ。