東京電力福島第１原発から約１９キロ。爆発事故で放射性物質に汚染され、先月まで「警戒区域」として立ち入りが禁じられていた福島県楢葉町に、事故発生後も住み続ける家族がいる。寝たきりの老母を動かせず、避難すること自体がままならなかったのだ。（早坂洋祐）
この一家は、同町山田岡で農業を営む伊藤晋（すすむ）さん（５９）、巨子（なおこ）さん（６４）夫婦と巨子さんの母で１０年以上寝たきりの生活が続く、高原寿子（としこ）さん（９３）の３人。
昨年３月１１日。寿子さんが寝ていた母屋は強い揺れで損傷、続いて原発事故が発生した。町の防災無線は「直ちに避難を」と繰り返したが、巨子さんに自宅を出る気はなかった。寿子さんは母屋から別棟に移動しただけで発熱していた。
「母を動かしたら数日で死んでしまう。避難中に母が死んでも誰も責任をとれない」。この時、巨子さんが思い出したのは「死ぬときは自宅の畳の上がいい」という元気だったころの寿子さんの言葉だった。
人の気配が消えた土地での暮らしが始まった。窓は粘着テープなどで目張りして閉め切り、当初は家にあったイモなどを食べてしのいだ。昨年４月２２日の警戒区域設定後は立ち入り許可証を受け、生活を続けた。
電気は通じたがプロパンガスはやがてなくなった。水道は今も止まったままで市販の水で炊事する。風呂は使えずトイレなどの生活用水は、週２回ほどのペースで約２キロ離れた消防署で分けてもらう。
巨子さんたちは寿子さんの体調をみながら、マイカーで２０キロほど離れたいわき市に出向く。食品などを買い、コインランドリーで洗濯し銭湯へ行くためだ。年金と預金を切り崩して暮らす日々。それでも、自宅に住み続けたため「母親は本当に生きているのか？ 詐欺では…」などと心ない噂も立てられた。
伊藤家の玄関内部の環境放射線量は毎時０・５〜０・８マイクロシーベルトを示す。被曝（ひばく）量を年換算すると最大７ミリシーベルトになる。巨子さんは「警戒区域内で生活する私たちは原発事故被害の実験台みたいなもの。実態を知ってもらいたい」と訴える。
先月１０日、楢葉町のほとんどの地域は「警戒区域」から「避難指示解除準備区域」になり、昼間の出入りは自由になった。だが、荒れ果てた水田の復興はめどがたたず、移住を決める住民も出ている。「戦後も焼け野原からの再出発だったが、原発事故被災地は人も住めない。とにかく故郷を元通りにしてほしい」。巨子さんは願っている。