2012年06月18日

原発事故の真相を教えます。


真因は、1985年の日航123便墜落事故から類推できます。あの事故の調査結果によると、墜落原因は、伊丹空港で尻もち事故を起こし、羽田空港でボーイング社の専門修理チームが、圧力隔壁付近の部品交換を行った際、ビス止めが甘く、数年後にその部分が破壊され墜落に至ったというものです。

したがって、製造責任、メンテナンス責任のあるアメリカ側に決定的な瑕疵があったのですが、アメリカ側は「寝てしまい」「逃げ切り」に成功しました。
翻って、福島第一原子力発電所の事故を「相対」してとらえた場合、はっきりと同様な原因が浮かび上がってきます。

1971年に稼働した福島第一原子力発電所の原子炉は、GEのマーク1型です。1984年に完成したフィリピンのバターン原発は、メルトダウンによる水素爆発を想定し、原子炉格納器庫内の水素を化学処理して水にしてしまい、水素爆発を防ぐというアメリカ製の「安全装置」が設置されていますが、福島第一原子力発電所には、そのような安全装置が「バックフィット」されていませんでした。

バックフィットの大切さは、1981年の5月の第094回国会 エネルギー対策特別委員会で専門家から指摘されていますが、細川護煕元総理や共産党の山中郁子元議員などが、「何もしてこなかった」、つまり怠慢政治をしてきた結果が今回の事故につながったのです。共産党は「わが党は危険性を指摘してきた」と宣伝していますが、まったくのナンセンス、原発問題に口を出せる立場ではないことを思い知る必要があります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/094/1720/09405291720007c.html

(長いです。難解です。しかしながら専門家からの指摘は最もなものばかりであり、この議事録を頭に入れない事故調査はありえません。原発問題の入り口であり、今後への指針もこの中に詰まっています。)

アメリカは、1979年のスリーマイル島原発の事故後の「世論」に屈して、原発の新規建設を凍結してしまいました。つまり、技術革新を放棄したのです。航空機に見るように、技術革新なくしての安全管理などありえません。

日本はこの安全上の鉄則を守り、原発を当面は稼働させていかなくてはなりません。輸出もしていかなくてはなりません。日本は、身勝手で無責任なアメリカと同じ間違いを犯してはいけないのです。
posted by S・C・ NAKAMURA at 13:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする