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男性四人のグループが昭和初期の砂利運搬トロッコの謎を追う、調査で相武台へのルート特定/相模原

2012年9月10日

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「小田急25年史」に登場する相武台のナベトロ(小田急電鉄提供)

「小田急25年史」に登場する相武台のナベトロ(小田急電鉄提供)

相武台のナベトロを調べる(左から)矢野さん、井口さん、松本さん、安藤さん

相武台のナベトロを調べる(左から)矢野さん、井口さん、松本さん、安藤さん

 戦前から戦中にかけての数年間、相模川の砂利を現在の小田急線相武台前駅まで運んだトロッコがあった。全長4・3キロ、存在感のある10トン機関車が引く通称「相武台のナベトロ」。廃止から70年近くたち、遺構も資料もほとんどない。相模原市に住む男性4人のグループ「相武台のナベトロ遺跡をたどる会」の調査で、謎に包まれていた全容がだんだんと分かってきた。

 4人は相武台前駅の近くに住む安藤和治郎さん(73)、松本宗和さん(80)、矢野健治さん(73)、井口建夫さん(67)。4年前、相模原市市史編さん室が企画した石造物と景観の調査にボランティアとして参加した際、フェンス越しに米陸軍キャンプ座間の中に橋の欄干の遺構があるのに気づいた。

 調べてみて、その橋の下をナベトロが走っていたことを知った。4人とも戦後に移り住んだため、直接見たことのある人はいない。古老に話を聞き、関係する企業の社史や自治会の古い文書を当たった。松本さんは「当時の航空写真や地図を現在の地図に重ね合わせて、ルートを特定した」と胸を張る。

 かつて、都心に近い相模川の砂利は、硬くてコンクリートとの相性がよく、重宝されたという。1930年代、現在の小田急電鉄が相模原市南区磯部の相模川中州から相武台前駅まで敷設許可を取得、35、36年ごろに営業を始めた。河原から駅までの高低差が50メートルもあったため、平地用のガソリンエンジンの4トン機関車を途中の操車場でより強力な10トン機関車に取り換え、坂を上った。相武台前駅で小田急本線の貨車に積み替えた。

 そんなナベトロも戦争とは無縁ではなかった。線路の1キロほどが旧陸軍士官学校(現在のキャンプ座間)内を通っていたためだ。37年に士官学校が移転してきた後も運行は続いたが、43、44年ごろに休止された。安藤さんは「太平洋戦争の戦況の悪化が原因でしょう」と推測する。

 「分からないことばかりだから、調べていてとても楽しい」と矢野さん。ナベトロについて展示や発表会を行うと、昔を知る人が大勢訪れる。そのたびに、「俺は子どものころに乗せてもらったんだ」「親戚が働いていた」と新たな情報が寄せられ、確認作業に追われる。

 安藤さんは「地元に昔、こんなに貴重なものがあった。より精度を高めて郷土史として語り継いでいきたい」と話している。

 ◆ナベトロ 鍋のような容器を積んだトロッコのこと。かつては砂利のほか、木材や石炭の運搬用として全国的に見られたが、戦後の自動車の普及でトラックなどに活躍の場を奪われたという。相武台のナベトロの軌道幅は750ミリ。「たどる会」は、4トン機関車は6両、10トン機関車は12両の貨車をけん引し、時速8キロほどで走ったとみている。

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