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 ブームの仕掛け人 
 ピーター・ヨネナガ氏(アトラスマンツーマン代表取締役社長)にせまる




◆ 生い立ち〜ピーターヨネナガの少年時代〜

 

ピーター・ヨネナガは1972年8月10日、北海道で地主のヨネナガ・タカオ氏の次男として生まれる。ヨネナガの父親のタカオ氏はいまでこそ、不動産、飲食店など幅広く事業を営んでいるのであるが、それはヨネナガが幼稚園の頃にやりだしたことであり、彼の少年時代は貧しかった。ピーターヨネナガの父親は立教大学を卒業すると、銀行員から身を起こし、ピーターが幼少の頃はアメリカと日本で不動産業を営んでいたようである。ヨネナガが8歳になり家族で渡米すると一家はサンフランシスコ市に住み始めた。ヨネナガにもっといい教育をうけさせたいという父親の願いであったからである。アメリカの小学校の時点ですでに自分の将来の計画を立てていた。選択肢は 4つあり(1)外交官、(2)FBI、(3)警察官、(4)事業家になるというものであったようである。

中学校時代は部活動の空手と柔道に明け暮れた生活だったようだ。いわゆるスポーツマンであった。勉強は好きではなかったが両親からいづれ日本に帰国する予定もあり現地の日本語学校にも通っていた。ヨネナガは中学を卒業すると、家族で日本に帰国。北海道の古豪北海高校に進学する。そして高校一年生から空手部で活躍した。しかし日本の文化や習慣に馴染めず苦しい毎日を送っていたようだ。それでも北海道地区ではインターハイや国体などで59連勝、敵はもはや北海道にはいなかった。しかしさすがに全国大会では優勝できなかった。また国籍の問題もあり、アメリカの自由な空気を忘れられずアメリカで大学生活を送ることを決める。様々な人種、移民がそれぞれの立場で生きているのを見て、ここでは自分がアメリカ人として生きていけると考える。


◆ 大いなる志の芽生え 〜アメリカ滞在時代〜

 

卒業も近い頃、ヨネナガは家族に「自分はアメリカ人だしアメリカで学びたい」と胸のうちあかす。単身アメリカに渡らせることを心配に思う一方、自分の本当にやりたいことをやらせいたいと願い数週間沈黙を守った後、結局認めた。しかし、母親はヨネナガを一人でアメリカにやることをとても心配し、最後まで反対した。到着後、父親の知り合いがアメリカにいたが空港から電話しても誰もでないので仕方なくサンフランシスコ中心街のホテルに数日泊まった。半年ほどカリフォルニア州サンフランシスコにあるサンフランシスコ州立大学に通い、ここの寮に入る。その後9月になり、カリフォルニア大学バークレー校に編入学する。バークレーでは国際関係学を専攻するも、コンピューターやビジネス、外国語の科目も選択する。また大学のESL(第二言語学)で英語を教えたり、日本人学生のカウンセラーとしてもアルバイトをしていた。

さらにヨネナガはカリフォルニア大学バークレー校に編入学からカラテクラブの指導員としてまた、バークレー市の町道場でも教えた。日本の文化をアメリカ人に伝えるのに又とない機会であった。 ヨネナガは外交官になるのを夢見て猛烈に勉強をしたが、町の道場経営や日本語指導にも時間を使い多忙な日々を過ごした。そこで友人のアメリカ人ケネス・ピューダーと共にカリフォルニア・スポーツ団体を起こし数千人を収容できる体育館で大会などを催した。これが生涯初めてのビジネス体験であった。ヨネナガはこれを持って、サクラメント市にあるスポーツ振興団体やスポンサーに売り込みに行く。カリフォルニア知事に手紙を出し、スポーツを通じて日本の文化を紹介した。しかし知事や市からは全く返事がなかった。当時は財政的に厳しく日本の文化を広く紹介するような考えは、どこの馬の骨かも分からないヨネナガの考えは理解されなかったようだ。(中には日系人もいたがヨネナガのような日系2世には文化のアイデンティティーにおける3世、4世などとの差が出てくる理由がみてとれる。) 


◆ 世界を感じる旅へ 〜ビジネス世界に飛び込むまで〜



ここで、憤慨したヨネナガはヨーロッパ、アフリカにユーレイルパスを持って一人旅へ出た。北欧からイギリス、イタリア、フランス、そして東欧までくまなく見て回ったヨネナガはアメリカに帰って何がしたいのか考えるには十分な時間を言葉の解らない人々と過ごした。そして夜行列車に乗り、車内で就寝。朝起きたらトイレで顔を洗い、その町で一日を過ごしたのである。特にアフリカではチュニジア、モロッコなどの第3世界によくある危険な場所で気づかずに寝ていたこともボロボロの服と日焼けのせいか現地の人々と仲良く過ごせた要因だったようだ。同時に彼らのたくましい生き方を学んだことにもなったとも漏らしている。


帰国後、無事卒業したが現地の日系企業でアルバイトをするうちにビジネスに興味を持つようになった。特に輸入・輸出のコーディネーターを任され多くの日系企業の業者と関係を強めていった。会社を辞めて新しいグローバルビジネスのアイディアをクロネコヤマト社(米国では、ヤマトUSA)にアポなしでプレゼンしに行ったのも「今考えたことを今やる」の実行性によるものだと思う。当時のヤマトUSAで輸出部長だった川俣氏はこの時のことを、次のように語っている。 「当時、ピーターさんが売り込んでいる最中に、日本通運の人から、ほんとうにすごいかどうか見てくれないかと頼まれて立ち会った。ピーターさんは険しい顔をして座っていた。変なことをいったら殺すぞという感じだった。あの時は料金が高すぎるなどの、話をしたことを覚えている。その時に印象的だったのは、ピーターさんに”名刺を欲しい”といったら”名刺はまだない”といわれ、名刺がなくてビジネスが良く出きるものだと思ったことだ。」 年のジャパン・ソサエティーでの新年会で二人が対談した発言より抜粋)ヨネナガは、日通で門前払いされたことなどを川俣氏に正直に話し、自分がアメリカに単身わたりバークレーで勉強していることなどを話した。川俣氏は目の前の企画書に興味を持ち、事業に投資してくれるようにと即決した。川俣はピーターとは初対面であったが、ヨネナガの真摯な性格に心打たれたという。


◆ サクセスへの道 〜アメリカでの開業、成功〜



ヨネナガは日本円にして800万円でヤマトに成功報酬というかたちで支払った。そして残りの1000万円を元手に今で言う学生ベンチャーを始める。会社の名前はアトラス・インターナショナル、翌96年の設立である。このアトラスインターナショナルを経営する上で、ヨネナガはマネージャーにエディ・ヨシムラという日系アメリカ人でヨネナガの3歳年上の人間を雇う。当時ヨシムラはアトラス・インターナショナルで働くのをためらった。バークレーを卒業したら、シリコンバレーに芽生えつつあったハイテクベンチャーで働くことができる。それをやめて、どこの馬の骨ともわからないヨネナガと働くことを周りの人間がとめたのである。ヨネナガはこれに対して「僕はいつか日本に帰るのだから、その時は会社を君に譲る。」と言って口説き落とした。彼らがやったのは日本から来た駐在者の引越便の受け渡しや現地の日系企業の日本向け貨物の仲介などであったという。自社のトラックなどは一切持たず全てアウトソーシングで給料も直接商品を降ろしたドライバーが給料を直接企業からもらえるようにした「サプライチェーン・マーケティング」で成功した。

ヨネナガがこのアトラス・インターナショナルをヨシムラに譲るときには資本金で1000 万円、年商1億円、社員8名になっていたという。ヨネナガは、このアトラス・インターナショナルを経営しながら大学院にも通い続けた。しかし難なく卒業できたという。 大学院卒業と同時にヨネナガは母親との約束通り日本に帰ることになった。ヨシムラや、社員らはせっかくアトラス・インターナショナルの経営がうまくいっているときなのに帰るのは得策ではないとヨネナガを止めた。しかし、ヨネナガは母との約束をまもるために、帰国する。エディー・ヨシムラはその後アトラス・インターナショナルを年商 3億円企業にさせた。現在ヨシムラはそれを売却し、現在では旅行のポータルサイトを経営している。




◆ 新たなる挑戦 〜英会話業界への参入〜



ヨネナガは2000 年5月に帰国した。サンホゼ市で作った会社の名前と同じなのであるが、アトラスマンツーマン英会話という会社を設立。数年をかけて、英会話スクールの現状とサービス、マーケティングなどを研究した。大小関わらず全ての英会話学校を見学、体験レッスンを受けた。もちろんヨネナガが入れるクラスは一つもなかった。 この時の経験を参考に、ヨネナガはこのような経営方法をまとめた。

●「プライベートレッスンを低価格で提供できること」

●「教室に通わなくても講師と英会話を練習できるスペースが必要」

●「長く続けることができるように講師にもサポートをしてもらうこと」

●「入会したら2,3回でレッスンを受けない幽霊会員を作らないこと」

●「カリキュラムや自宅学習を相談できる経験豊富なスタッフの人材獲得」

●「そのビジネスはユニークであり、かつ誰にもやれないこと」

●「大きな投下資本を必要としない事業であること」

●「インターネット以外で宣伝はしないこと」

こうして、ヨネナガが選んだのが、ネイティブ英会話講師の紹介事業である。個人でレッスンをして生計を立てている外国人講師たちは自分たちで英会話を教えても、それをどのように生徒に身に付けさせればいいのか、方法がなかった。NOVA、ジオス、イーオンなど大手英会話スクールは、TVCMやケイコとマナブなどの雑誌に広告を載せて、それを過剰営業するという方法をとっていたにすぎない。ヨネナガはこのようにして、英会話講師紹介事業で起業することを決意したが、英会話スクール業界の事業を知っているパートナーが必要と考えていた。ヨネナガは、地元の経営セミナーなどにも参加していた。アルバイト数人を雇い、事業を開始した。 大手の英会話スクールでの平均勤務月数は約8 ヶ月だと言う。それほどきついビジネスなのである。その後数ヶ月でバイトは入れ替わり。


◆ 未来への階段 〜アトラスの現在とこれから〜



ピーター・ヨネナガは、アトラスマンツーマン英会話の設立後>3ヶ月ほどで、最初の危機を迎える。ホームページを作成してYahoo などに登録しても物珍しさからかアクセス数は多いが体験の申込みが1 件も来ないのだ。NOVAなどのグループレッスンに庶民がなれているせいかマンツーマン英会話レッスンでカフェなどで習うシステムや格安なレッスン料は敬遠された。仕方なく札幌の中心地大通駅近くにラーニングスタジオをオープンさせた。 しかも大手の英会話学校が集まるある一画のど真ん中にサロンとオフィスをおいて確保しようとしたのである。

それが大成功。その後は、一日数十人のペースで体験レッスンの申込者が続出。1日に10名以上が入会する人気英会話スクールになった。現在は、スタッフの数が少なく限定で数名に講師を紹介しているが希望者の長蛇の列が並んでいるようだ。ヨネナガは新しいコース(プレミアムコース)を武器にして、生徒数を3000人、講師数を1000人と次々と成功させていった。やがて、アトラスマンツーマン英会話はマンツーマン英会話レッスン専門として、全国展開する戦略を打ちだした。そしてオンライン英会話レッスン e-Atlasをケーリンク社と共同開発を始めた。 これ以降ヨネナガは様々な山や谷を経験するものの、発展を続け横浜駅、名古屋駅のすぐ前にに新しくラーニングスタジオをオープンさせる。北海道の英会話スクールでは始めて全国展開を目指した。
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