河野談話、旧日本軍とナヌムの家、元従軍慰安婦の証言の映画
従軍慰安婦強例連行の嘘と捏造と真実、櫻井よしこ映画、反日デモの実態、統一教会





従軍慰安婦の真実


従軍慰安婦の証拠を検証するページです (図解入り)






慰安婦とは、写真、身も心も捧ぐ大和撫子のサーヴィス


慰安所の入り口の写真





上の写真の左側の垂れ幕

身も心も捧ぐ大和撫子のサービス」と書かれていますが、当時、慰安婦の半数以上は韓国人(朝鮮人)女性







慰安婦の写真

画像・映画のワンシーン、問題は解決済みか?戦場の性


笑顔を見せている右端の女性は、歴史教科書では必ずカットされて掲載される








従軍慰安婦と聞くと「かわいそうな人たち」をイメージする方も多いようですが

戦争中は慰安行為(売春)によって収入を得る女性が多く存在しました

通称「慰安婦」と呼ばれる人たちです



慰安婦の中には親に売られてしまった人や借金を背負っていた人もいました

本人が望まずにそのような仕事についた人達は現在、日本に謝罪と賠償を求めています。


さらに言えば、問題にされているのが軍による強制が本当にあったのか?の点です。
なぜなら彼女達は、慰安所から高額な収入を得ていたことが分かっているからです。




戦地、従軍慰安婦の写真

川を渡る慰安婦の写真・映画とは

日本兵のあとから河を渡る(韓国人)慰安婦の写真




※戦地に従軍する慰安婦は危険が伴うため収入は割高



「従軍○○」とは軍に同行する人を指します。

従軍記者、従軍カメラマン、従軍看護師などは存在が確認されています。

上の写真のような「従軍(追軍)慰安婦」はいくらでもいましたが
強制によるもの?がいたかどうかは証言以外に証拠がありません。

(当時は、慰安婦を公募集すればいくらでも女性が集まる時代です)


ビラ チラシ・ポスター・じゅうぐんいあんふ、嘘を許さない女性の会とは、漫画


慰安婦大募集

新聞「京城日報(キョンソンイルボ)」 1944年7月26日





自称従軍慰安婦の証言


慰安婦問題の、有力な証言者として積極的に公演を行っているのが「黄錦周」「李容洙」さんの2人


以下はすべて、従軍慰安婦として有名な「黄錦周」(ファン・クムジュ)さん1人による証言です。


(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一

「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」



(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日

「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」



(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)

「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」


(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期

「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」


(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日

『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』


(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて

「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」

.


公演するたびに、証言が変わるのが特徴

しかし彼女は、日本軍に従軍慰安婦を強制された有力な証言者とされており

歴史学者達に長い間引用されてきた。




「文玉珠」さんの証言



「文玉珠さん」という(自称)従軍慰安婦女性は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、
2万6145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしています。

千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べていますが、
現在の価値なら、4000万〜5000万円程度の金額を、
彼女が慰安婦であった約3年間で貯めていたことが分かります。

河野談話、ムン・オクスさんという自称従軍慰安婦
(クリックで拡大)

慰安婦であった期間に文原玉珠名義で、合計12回の振込み(計26,145円)を行っていますが
当時、家が20〜30件買えるほどの大金




ナヌムの家に住む(自称)従軍慰安婦 「李容珠(イ・ヨンス)さん」の証言



1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。
旧日本軍の従軍慰安婦としての生活を3年間強制された。(1947年まで)

(※終戦により日本軍がいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる)




このことを指摘され、従軍慰安婦の期間を 3年間→1年間に修正
2007年さいたま浦和の公演の配布資料

自称、元従軍慰安婦、中国人
(クリックで拡大)



チョン・ソウンさん


証言内容

「13歳(1937年)の時にインドネシアに強制連行され、従軍慰安婦として
7年間(〜1946年まで)性奴隷にされた。」


2004年他界。享年80歳

(日本のインドネシア攻略は1941年。それ以前はオランダの植民地です)








証拠資料など




従軍慰安婦問題に関する文書






「櫻井よしこ」氏による従軍慰安婦問題の説明

女性を騙そうとするブローカーを取り締まるため、
朝鮮総督府は「警察官」を増員

従軍慰安婦の嘘を許さない女性の会
該当文書


慰安婦の収入、当時の契約について語る台湾人






朝鮮人の人身売買組織が、誘拐した少女を中国人に売り飛ばしていた為、
日本政府によって検挙されたことを報じる記事

1933年6月30日付 東亜日報


慰安婦を「強制連行」していたのは朝鮮人の業者、
それを取り締まっていた日本政府










韓国政府の従軍慰安婦公式サイト(削除済)に掲載されていた資料


韓国政府が、従軍慰安婦に関する最も重要な証拠資料として公開していたもの。→ 都合が悪くなりHP閉鎖


慰安婦 至急大募集 (今井紹介所) 「軍」 慰安婦急募 (許氏)
ビラ チラシ

京城日報
1944年7月26日広告

従軍慰安婦大募集


朝鮮総督府機関紙 「毎日日報」
1944年10月27日広告


(写真説明)

”慰安婦 至急 大募集・・給料は月収最低300円、3000円まで前借可能”(原文のママ)


(三食食事付きの家政婦の月収が約13円の時代です)


月収300円とは当時の激しい労働をしていた男性でも稼げない金額です。
 
女性の工場労働者が月収20〜50円くらいしか稼ぐことが出来ない時代に、 
学歴の無い女性が「京城紡績」で働き始めても、馴れるまでは月収20円以上は稼げませんでした。

募集の広告には「売春」とは書いてありませんが、


異常に高い給料で「慰安」といえば普通の仕事ではありません


現代の社会でも直接的な表現はしませんが
普通の女性が、高給で接待して稼げるのは特殊な職業 (売春)だと解る筈です。









現在では、韓国人による日本人女性への強姦が多発しており、国内で問題となっています。



韓国人による性犯罪問題  ←女性必見







従軍慰安婦の実態と映画、wiki、宋神道(ソン・シンド)さん、統一教会問題、ニコンの不買運動写真展





従軍慰安婦問題を利用するカルト団体



統一教会の合同結婚式で韓国に送り込まれた日本人妻たちが、慰安婦に土下座


統一教会と従軍慰安婦、漫画



従軍慰安婦のウソを刷り込まれ、韓国に渡った日本人妻は6500人にのぼる

(統一教会の"日本人妻"の多くは韓国の農村部で行方不明になっています)







ソウル日本大使館前に「従軍慰安婦」像設置



ブロンズ製の像: ※慰安婦を連想させるために作られたそうです。 (2011年12月14日)

売春婦像


※韓国は、日本と外交を行う際に従軍慰安婦問題を利用し、優位な立場を取ろうとすることを知っておいたほうが良いでしょう。








※韓国は
「日本軍が韓国人の女性20万人を従軍慰安婦にして殺した」
といったウソを
全世界で発信中



<ニュース内容>


米国で従軍慰安婦の碑建立(クーパーバーグ・ホロコースト(虐殺)センター)


 キリム碑には「日本軍に拉致され、従軍慰安婦(comfort women)として、人権侵害を受けた20万人の女性を追悼する。
人権を踏みにじった 恐ろしい犯罪を忘れてはならない」という言葉が英文で刻まれている。


 ジェームズ・ロタンド市長は、「2年前に日本軍慰安婦の存在を知って衝撃を受けた。学校と
 図書館があるここをキリム碑建立の場所に決めたのは、ここを通る学生が悲しい歴史を
 忘れないことを願うためだ」と話した。韓国人有権者センターの金ヨンチャン代表は、
 「海外に建てられる初の従軍慰安婦被害者キリム碑」とし、「別の都市にもキリム碑を建て、
 米国社会にさらに伝えていく」と語った。



(2011年12月17日 東亜日報)















日韓併合の真実



日本軍は、朝鮮半島のインフラを整備し、食料事情を改善し、さらに朝鮮半島の人口を2倍に増やした。


元の韓国 近代化

「日韓併合以前」の韓国

(1897年ソウルの南大門前の大通りの写真)


日本統治中






(参考)

南京大虐殺の真実




南京大虐殺は、3万枚に及ぶ写真と、数本の映像によって作られた事件といわれています。


南京攻略の際に、数多くの兵士やゲリラ兵(便衣兵)が死亡したが、
民間人への攻撃は行われていない ※民間人の人口は減っていない)




南京大虐殺の証拠写真、強制連行、従軍慰安婦


この写真は、

中国のロビー活動家である「アイリス・チャン」が、日本軍による南京大虐殺の証拠写真として
彼女の著書「レイプ・オブ・ナンキン」に掲載していた、代表的な写真のひとつです。


「日本軍に強制連行され、軍部で暴行・虐殺が行われた」




しかし、真相は

南京攻略戦の前に撮られたもので、「アサヒグラフ」(1937年11月10日号)に掲載された写真。

「農作業を終えたあと、日本兵に守られて帰宅する中国人女性」をアサヒグラフのカメラマンが撮った写真です。


これを中国側は、旧日本軍が女性らを強制連行する場面と紹介し、「農村婦女は連れ去られ陵辱、輪姦、銃殺された」と説明していた。

この写真は戦後、「朝日新聞」の記者である、本多勝一」氏の著した『中国の日本軍』など、
国内外で繰り返し捏造使用されてきたことで知られています。


「従軍慰安婦問題や、南京事件の捏造」には、朝鮮系のメディアである「朝日新聞」
積極的に宣伝行為を行ってきたことを知っておくと良いでしょう。


映像の記録、従軍慰安婦と大虐殺 虐殺の実態を記録した映像


王小亭(おう しょうてい)

中国系アメリカ人のカメラマン・映画撮影技師です。

彼も、南京大虐殺の証拠写真を偽造してきた一人

この位置で撮影


書籍の調査 捏造の実態を暴いた映画


「南京大虐殺」に関わるとされる写真は約3万枚あるとされていますが、
証拠写真となるものは一枚も無いそうです。




fake of nanking(フェイク・オブ・南京)


携帯用


上原美優




【関連サイト】




「右翼団体の本当の目的は愛国者のイメージダウン」 ←必見






ルーシーブラックマン事件の真相

在日によるレイプの実態






従軍慰安婦の真実とは、映画のキャプチャー写真、岡崎トミ子、反日デモ、オーストラリア人の捕虜









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