三時間目 

世界史の流れ(中編)

 

 「では三時間目を始めます。

前の時間では大航海時代でヨーロッパ各国がアメリカに進出しはじめたところまで話しましたね。

さて、大航海時代の前半、世界の覇権はスペインが握ってました。

ポルトガルはというと、スペインの王がポルトガルの王を兼ねるということで合併併合されてしまったのです。

この頃のスペインの海軍力は世界一で、スペインの海軍は無敵艦隊と言われるほどでした」

 「スパニッシュがねぇ・・・・。昔はラテン人も強かったんだな。

ったくも少しあいつらが頑張ってくれればロンメルさん  もあそこまで苦労せんでもよかったのに」

 「このスペインの無敵艦隊も16世紀末になるとロイヤルネイビー(イギリス海軍)によって撃破されてしまいました。

ちょうどエリザベス一世の頃の話です。スペインがイギリスに破れたことによって海の覇権はイギリスが握り、ヨーロッパ各国の中で一歩リードした状態になります。

世に言う大英帝国のはじまりです」

 「他の国は?」

 「もちろんイギリスに完全に破れたわけではありません。

あくまでイギリスが一歩リードという状態で、依然世界は戦国時代でした。

この頃ヨーロッパは鉄砲を大量に生産し、植民地支配の勢力図を次々と拡大していったのです。

なんせ相手の武器は弓矢ですから欧州は圧倒的な武力でアジアを侵略していきます。

しかし、この支配もそうそう簡単にいきません。

原住民相手なら簡単なのですが、ライバル国が原住民に手助けをするとなると話は別です」

 「要するに妨害してたってこと?」

 「ソ連に対抗する為に、アメリカが民間企業を通してアフガンのゲリラに武器を輸出していたのと同じだ」

 「そういうことです。インドは、イギリスとフランスがその支配権を巡り、戦争に突入しました。

イギリスとフランスは植民地の支配権を巡る戦争を17世紀は世界各国でずっと繰り返していたのです。

この一世紀に及ぶ植民地戦争をジャンヌ・ダルクが活躍した百年戦争にちなんで第二次百年戦争といいます。

この英仏の争いは、フランスはカトリック、イギリスはプロテスタントということもあって何百年間も続いてます」

 「だからイギリスとフランスは今でも仲が悪いのよね」

 「サッカーの試合でもライバル心剥き出しだしな。フーリガンは暴走するし」

 「このインドの支配権をめぐる戦いはイギリスの勝利に終わります。東インド会社という名前でイギリスはインドを支配することになったのです。

ここでイギリスはある二枚舌交渉を行いました。

いくら銃で武装したとしても常に大軍をインドに駐留させるわけにはいきません。

少数でインド全体を支配するためにはインド人の力を注ぐ必要があります。

自分の手を汚さずに相手の力を削ぐもっとも有効な方法は何かわかりますか?」

 「うーん、お互いを喧嘩させること?」

 「正解です。

インドは仏教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒が混雑している国でした。

ですが3つの宗教は特に喧嘩もせずに仲良くやっていたんです。

ところが、イギリスは特に対立していなかった3つの勢力の対立を煽ったのです

結果、インドは内部分裂を起こしてイギリスの侵略に対抗するどころではなくなりました。

力を蓄えられないインドはこれ以降ずっとイギリスの支配下に置かれてしまいます。

このときのイギリスの煽りのせいで、21世紀現在、パキスタンとインドがお互いに核兵器を突きつけあっているのです」

 「パキスタン? どうしてパキスタンとインドが仲が悪いの?」

 「いい質問です。

イギリスの煽りにまんまと乗せられたインドは、ヒンズー教、仏教、イスラム教徒が本家と元祖で争うラーメン屋の如く内戦を続け、あまりに酷い対立から国を3つに分けてしまうことにしたのです。

そしてインドの仏教徒が作った国がバングラデッシュ、インドのイスラム教徒が作った国がパキスタンです。

あそこは元々は平和だったのに、イギリスのせいで内戦状態になってしまったわけです」

 「それはおかしいわ。

だって、英領インド帝国から、イスラム教徒が分離したのが東西パキスタンで、西パキスタン(今のパキスタン)人による、東パキスタンへの圧政に怒って独立したのが、今のバングラデッシュのはずよ。

仏教徒ってのはスリランカあたりと間違えているんじゃない?」

 「……」

 「……」

 「まあ、それは置いといて」

 「だめじゃん」

 「嘘のない歴史書はすこぶる退屈なものである。

ようするにあの辺の地域が、収集のつかない民族紛争地帯になっていることがわかればそれでいいのですよ」

 「そんないい加減でいいのかしら…?」

 「いいんじゃねぇの?」

 「とにかく民族問題というものは収集がつかなくなると大混乱になり、それを止めようとして第三者が干渉するとさらに泥沼になるのです。

が、干渉しないと利権争いに勝てないので、やっぱり干渉するわけですね」

 「例の貿易センターテロ以来、アメリカもガンガン口出してるしな。

あの辺はもう手のつけようが無い泥沼状態だな」

 「要するにやってることは昔と何も変わってないんですよ。

さて、フランスもイギリスに破れ、世界の覇権は完全にイギリスのものになってしまいました。

今まではほとんど互角だった欧州各国のパワーバランスはイギリスだけが群を抜いた状態になったのです。

しかし、ここでアメリカの問題が出てきます。

アメリカはインドと同じくフランスとイギリスがその覇権をめぐって戦争を繰り返していました。

そしてもっとも激しくぶつかり合ったフレンチ・アンド・インディアン戦争の結果、アメリカ大陸の覇権はイギリスの手に落ちたのです。

もはやイギリスの敵はいない。欧州各国はイギリスに対して共通の危機感を募らせます。

ですがイギリスも一枚岩ではありませんでした。

特にアメリカに渡ったイギリス人開拓民たちは、フランスとの戦いで費やした戦費を補うために膨大な税金をかけられていたのです。

代表なくして課税なし

自由を与えよ、しからずんば死を与えよ

アメリカの開拓者たちは、せめてアメリカが本国イギリスと同等の立場で付き合って欲しかったのです。

税金を決めるために代表を派遣して公平に決める権利や、本国の食い物にされないように自治政府を作るなどの権利を要求しました。

しかし、イギリスのジョージ王はこの願いを却下しました。

それどころか本国に対する反逆の意志ありとしてさらに厳しい税金を取り立て、軍を派遣したのです。

アメリカの開拓者は驚きました。

彼らは独立する気などなかったのに、いきなりテロリスト扱いです。

アメリカは追い詰められました。

その上、一部の過激派がイギリス軍と衝突、アメリカは完全にイギリスとの戦争突入を避けられなくなったのです。

こうしてはじまった米英戦争が有名なアメリカ独立戦争でした。

当初こそアメリカ軍はイギリス軍に押されてましたが、やがて勢力を盛り返し、頃合いを見てフランスがアメリカと同盟を結び、イギリスに宣戦を布告。

それを見たオランダ、スペインもイギリスに宣戦を布告。

ロシアは世界各国に「 イギリスには協力するな 」という非同盟中立を呼びかけました。

プロイセン、スウェーデン、デンマーク、ポルトガルなどがこれに加盟してイギリスを孤立させました。

それまでイギリスの力に怯えていた世界各国は、これを機に力を合わせてイギリスに対抗したのです。

こうしてアメリカ独立戦争はアメリカの勝利に終わりました。

フランスとアメリカは現在でもそれほど仲が悪くないのは、イギリスという共通の敵がいたことが理由となってます」

 「つまりイギリスはアメリカという植民地を失い、アメリカという敵を作ったしまったわけね」

 「そーいうことになります。この結果、大英帝国はかなりの力を失ったことになりました。

イギリスに勝ったアメリカは独立し、フランスは再び世界の強国に返り咲いたわけです。

このアメリカ独立戦争の影響もあり、十数年後のフランスでは革命が起きます。

これがフランス革命です」

 「ベルサイユの薔薇ね!」

 「しかし、革命は成っても依然世界は泥沼の戦国時代。力が全ての時代でした。フランス革命からしばらくすると王を廃止したフランスに皇帝が誕生します。

それが有名なナポレオンです」

 「美味いのかまずいのかさっぱりわからんのに、値段だけはやたらと高いあのか」

 「それは違うって」

 「イギリスが没落し、ヨーロッパ最強となったフランスはひたすら侵略戦争を仕掛けました。

ヨーロッパを統一しようとするナポレオンはインドとイギリスの補給路を潰そうとしてエジプトにも遠征し、まさに世界の支配者になろうとしたのです。

しかし、ナポレオンの前に最強の敵が現れました」

 「えーと、イギリスは没落したのよね。ヨーロッパはほとんど征服されちゃったし・・・・」

 「あと残ってるのはロシアくらいなものね」

 「その通り。ナポレオンのヨーロッパ侵略を阻止したのはロシアだったのです。

フランスの軍事力は凄まじかったのですが、ロシアの雪と氷の天然の要塞の前になかなか前進できません。戦いは膠着状態に突入し――――」

 「泥沼の東部戦線

 「そーいうことです。

ナポレオンもヒトラーと同じく、ロシアの気候の前に破れました。

実際は冬将軍よりも、発疹チフスという病気の方が主原因だったのですが、細かいことは抜きとします。

こうしてフランスの敗北の結果、ナポレオンのフランス帝国は没落していき、ナポレオン自身も皇帝の座を追われることになりました。

しかし、ナポレオンがいなくなってもフランスという国自体は残ってます。

またもや世界は戦国時代へ逆戻りとなったのです」

 「そんなのばっかね」

 「歴史は同じことの繰り返しですよ。

頭の中が同じだからやることも同じ。

ちょっと違うだけで構図は同じです。

さて、アメリカを失ったイギリスはその植民地支配の手を中国にまで伸ばしました。

インドから阿片を輸出し、中国をボロボロにしました。欧州各国は中国という巨大市場を狙い、こぞって中国を占領しはじめます。

このときの植民地戦争で香港はイギリス領となりました。

20世紀末期に返還されるまで香港は約2世紀の間イギリスの植民地だったのです」

 「なんで麻薬を輸出したの?」

 「儲かるからですよ。

イギリスは中国から茶を輸入してました。でもそのお金を払うのはもったいない。だから植民地のインドに麻薬を作らせてそれを中国に売ってたんです。

だからあの辺は今でも麻薬天国なんです」

 「阿片はケシの実を砕いて乾燥させたもの。つまりはヘロインの材料だ。だが東京ではコカのペーストのほうが高く売れるから、千鳥が原作で怒ったわけだな」

 「そうなの?」

 「違うわよ! でもいくらお茶が好きだからって他所の国を麻薬漬けにするかしら? それってかなり強引な理由のような気がするわ」

 「視野の狭い日本人の言いそうなセリフだな。

いいかいカナちゃん、イギリス人にとってティータイムってのは伝統なんだぜ?」

 「伝統って・・・。そんな理由で」

 「それで十分です。

イギリスはティータイムという伝統を守るためなら中国が麻薬漬けになっても必要な犠牲だったと本気で思ってる国です。

なにせ伝統ですから」

 「やめられない♪止まらない♪狐狩り〜♪ 

たとえ動物愛護団体が猛抗議しても〜♪ 伝統だから〜♪」

 「朝鮮戦争では英軍の一部隊が味方の韓国軍への援護射撃を急にやめちゃったことがあったけど、その理由がティータイムだからとかしょうもない理由だったしね」

 「味方がピンチなのにお茶を飲んでたのっ!? 戦場なのに!? なんでそんなことを・・・」

 「だってイギリスだぜ?」

 「イギリスって一体・・・」

 「イギリスという国は伝統だからの一言で、いい点も悪い点も昔からのことが続いている国なんですよ。

人間平等を謳っているのに、貴族階級なんてものも残っているのも伝統だから仕方ないだ、と考えるわけです。

それが、世界に冠たる我がドイツの宿敵イギリスです」

 「なんでドイツ万歳?・・・っていうか『我が』って、をい・・」

 「細かいことは気にしてはいけません。

あえてそこで何も言わないのが優しさというものです」

 「そんなもんかしら・・・」

 「いいじゃん別に。ドイツはカッコいいからさ、戦車のデザインとか

 「そんな理由かよ・・・」

 「ごほん、ときは19世紀後半。

この頃から日本が国際社会の荒波に飲まれることになります。

ちょうど中国がイギリスの支配下に置かれ、阿片でボロボロにされていた頃、日本は幕末でした。

福沢諭吉さんはこの中国の無惨な状況を見て、この光景は日本の近い将来の姿だと確信しました。

その見解は正しかったです。アジア、アフリカ、南米。

オスマン帝国も欧米の力に押され、19世紀には半ば植民地とされてしまったのです。

この時点で欧米の植民地支配を受けていない地域は日本だけだったのです。

 

日本は狙われている!

この欧米の支配を免れるためには近代化した国家を作らねばならない!

だから欧米に負けない国家を作るためにお前ら勉強をしろ!

 

 「これを具体的に説いた本が有名な学問のすすめです。

この本が書かれた時期は、明治4〜9年の5年間。

るろうに剣心  の舞台が明治10年なので、だいたいあの頃の話です。

まぁ、幕末の頃から言っていたことを明治になってからまとめただけなので内容自体は同じです」

 「学問のすすめってのは、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」っていうあれでしょ?

ホントにあんなタカ派なことを言ってたのかしら・・・」

 「そんなことを言っていると、あの本を読んだことがないことがばれますよ。

天は人の上に人造らず人の下に人を造らず」という序章で勘違いする人がいますが、『学問のすすめ』は人類平等を説いた本ではなく、祖国防衛を説いた本なのです。

文末の「言えり」というのは現代語で「言われている」と訳します。

つまり「人間は平等だ」ではなく、「人間は平等だ、と言われている」と訳すのが正しいのです。

誰が言ったかというと、これは第3代米国大統領トーマス・ジェファーソンの言葉です。

ウソ八百なのは誰の目にも明らかですけどね。

当然、福沢諭吉もこれには反論しています。

『人間は生まれながらにして平等と言われている。

しかし、実際はどうだろうか?

周りを見てみればそんなことはない。

富めるものと貧しいもの。

位の高いものと位の低いもの。

支配する国と支配される国があるではないか。

人間は平等という言葉は素晴らしいが、所詮それは理想論である。

たしかに生まれたばかりの赤ん坊のときには平等である。

しかし生まれたときは平等な人間が、なぜ成長するとこうも差が出るのか?』

と言った感じになるわけです。

福沢諭吉はこの答えを「人間の位は学問の有無で決まる」と示しました。

『なぜ欧米が強いのか?

それは学問があるからだ。

なぜアジアやアフリカは弱いのか?

それは学問がないからだ。

肌の色など関係ない。

なぜならば白人の国にも貧しい国はあるからである。

そのような貧しい国はアジアやアフリカと同じで学問がないから支配されるのだ。

ならば日本が欧米の支配を跳ね返すにはどうすればいいのか?

アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア。

ペリーの黒舟来航以来、列強各国が

開国するか?それとも戦争か?

好きな方を選ぶがいい

と圧倒的な武力を背景に脅してきた。

そして江戸時代が終わり、明治に入った今でも状況はまったく同じである。

列強は互いに戦争を繰り返し、さらなる力を求めて植民地を広げているのだ。

世界はまさにラーメン屋である。

日本は狙われている。

この国家滅亡の危機を回避するにはどうすればいいのか?

香港のように地元民が奴隷にされ、白人に鞭を打たれて強制労働をさせられるような状態にならないためにはどうすればいいのか?

答えは簡単だ。

学問をすればいい。

学問をして国民のレベルを上げ、学問によって国のレベルを上げる。

それこそが国を強くする方法であり、それこそが日本の独立を護るのである。

つまり、学問をすることが祖国を護り、自らの生活を守ることになるのだ』

と言った内容なのです。

だから本のタイトルは『学問のすすめ』なんですよ。

カナメさん、あなたは『学問のすすめ』を読んだことはありますか?」

 「な、ないけど・・・・」

 「名前は知っていても読んでいる人間はほとんどいない。

これが日本の現状なのですね。

哀しいことです。

『学問のすすめ』は文系のお偉いさんが書いた本ですが、できるだけ多くの人が内容を簡単に理解できるようにやさしい文章で書いてあります。

もっとも当時としてはやさしい文章だったようですが、現代でもやさしいか?と言われれば首をひねってしまうのですけどね。

それでもクラウゼヴィッツの『戦争論』や、ヒトラー総統  の『我が闘争』に比べれば全然易しいです。

あれ読んでると頭痒くなりますから。

ちなみに私は途中で諦めました。

あれは無理です。ギブアップです。

どうせ私は活字にはまるっきし弱いダメ人間ですよ、へっ。あんなもん読めすかボケ」

 「あんなもんって・・・」

 「しかし、ゲーテといいマルクスといい、どうしてドイツ人というのは、素人お断りの意味不明&理解不能な文章を作るのでしょうか?

 「だってドイツだぜ?」

 「ドイツは昔っから変人の宝庫だしね、今も昔も」

 「ドイツや日本の文学オタクどもが書いた怪奇文書に比べれば、「学問のすすめ」の方はまだ読めるレベルです。

個人的には、あれも頭痒くなる一歩手前ですけどね」

 「普段からファンタジア文庫くらいしか読んでないからな。しかも飛ばし読みバッカだし」

 「どーせダメ人間ですから放っておいてください。

なお、「学問のすすめ」を読んで笑えるようになれば一人前です」

 「笑うって、をい・・・」

 「もしくは末期症状とも言います」

 「ダメじゃん」

 「とりあえず読めば、福沢諭吉が聖人君子などではなく、

ジャンヌ・ダルクとマキャベリとナポレオンを足して三で割ったような超タカ派親父ということがわかります」

 「なぬ? ユッキーはそんな人なのか?」

 「どーいう人よ・・・・っていうかユッキーって、をい・・・・」

 「いいじゃん、愛称だよ愛称。ホラ、レベッカだとベッキーっていうだろ?あれと同じ」

 「・・・・。それはともかく、ほんとにあんなわけのわからない人なのかしら?」

 「読めばわかりますって。

少なくとも、わたしが読んだ印象はそんな感じでした。

本当にそうなのかは、是非読者の皆さん自身でお確かめ下さい」

 「・・・・ちょっといい」

 「何か?」

 「あたし読んだことないけどさ。

ラーメン屋って表現はウソでしょ?」

 「ふっ、読んだこともないのに意見するとはいい度胸ですね」

 「・・・・ウソなのね」

 「さあ? それは自分で確かめてください。

どんなことでも自分で確かめるのが一番確実ですから。

さて、『学問のすすめ』ではダメな国の例としてお隣の中国が挙げられてます。

侵略する白人も悪いのですが、侵略される中国のほうも

そりゃ侵略されるわ

と、中国が植民地化されることは当然のように言っていました」

 「どの辺がダメなんだ?だいたい想像はつくが・・・」

 「どの辺がダメかというと、これまたダラダラと書かれているのですが、要するに中華思想に凝り固まってるところがダメと言ってますね。

『中国だから強い。中国だから偉い。中国だから勝てる。中国燃え〜。チャイナっ!チャイナっ!チャイナっ!』というノリと勢いと思い込みだけで、敵と自分の戦力差を全く考えず、

勝てない喧嘩を売ってボロボロに負けることを、懲りもせずに何度も何度も繰り返すところがダメらしいです」

 「おいおい、待ってくれよ。今とまったく同じじゃねえか。

そこだけ聞いたらまるで1970年代の中国みたいだぜ」

 「あいつら、ベトナム戦争の後でソ連やベトナムに喧嘩売って負けたからね」

 「つまりあれか? 伝統

 「やな伝統ね・・・」

 「恐るべしは民族文化ってところかしら・・・・」

 「徹底的な現実主義者の諭吉さんは、孫氏の兵法書にある『敵を知り己を知れば百戦危うからず』と似たような思想の持ち主ですよ。

ドイツ戦車を、ニュータイプ搭乗の白いモビルスーツか何かと勘違いしていたヒトラー総統  とは大違いです。

あの無能のチョビ髭は、ラーメン屋なのにカレー屋と言い張る頑固親父並に頑固で、柔軟な発想は皆無ですから。

勝てないときは相手がアフリカの黒人奴隷でもとりあえずは頭を下げ、舐めたことをしてくる連中はアメリカの軍艦だろうがイギリスの軍艦だろうがブチのめし、いざ防衛戦争となれば国民全てが命を賭けて戦う。

そこまでの覚悟と信念を持って努力してしなければ、この弱肉強食の乱世で日本が独立を維持するなど夢のまた夢であると言っているのです」

 「・・・・」

 「どうしました?」

 「いやね、今までの福沢諭吉のイメージが壊れて・・・・」

 「大丈夫ですよ。歴史の英雄なんてそんなものです」

 「っていうか描写の仕方がマズイだけで、実際は偉い人ばかりなんだよ、きっとな」

 「問題ありません。

学問とは単語を覚えることではなく、内容を理解することである

と諭吉さん自身が『学問のすすめ』の中で言っていることです。

分かりやすさ重視ということですね。

この文章もその教えに添って作っているんですよ。

少なくとも学校の教科書よりは分り易いでしょう?」

 「ただ単に難しい文章が書けないだけじゃないの?」

 「し。それはトップシークレットです」

 「そうなのね・・・・」

 「いいんですよ。別に。

政治や歴史なんてものは一見複雑なように見えても、実は単純な構図であることがほとんどですから。

難しい単語や年号なんて覚えても役に立ちませんって。

それとも頭が痒くなるような怪奇文書がそんなに読みたいんですか?」

 「ううん。それは遠慮したいわ」

 「『学問のすすめ』では、

役に立たない学問は学問ではない

とも言ってますね。

諭吉さんは漢文を全面否定してました。

漢文なんて覚えてもまったく役に立たない。

そんなものを覚えるくらいならオランダ語を学んだほうがよっぽど役に立つ。

実際彼は、オランダ語の語学力で生活してましたし。

『学問のすすめ』では、まったく役に立たない教養を崇拝している連中がデカイ面している国は滅びる。

そんなことにも気づかないから中国や徳川幕府はダメなんだと言ってます。

さて、こうして、『学問のすすめ』に代表される諭吉さんの同人誌が明治維新の原動力になります。

徳川三百年の楔に引導を引いた明治政府により、日本は急激な速さで近代化していきます」

 「同人誌・・・・・。また・・・イメージが・・・・」

 「『学問のすすめ』は350万部を突破したベストセラーでした。

当時の人口は3000万人ほどだったそうなので、単純計算で日本人の10人に1人は読んでいたということになります。

まさに、同人の神様ですね。

あの人にはまさにの称号が相応しいでしょう。

ここまで神の称号が相応しい人はいません。

シーザーやフデ髭のスタ公よりも神の称号が似合う人です。

数だけなら聖書の方が圧倒的に上ですが、あれは合作本ですし。

単純計算で、『同人の神様』の称号を得るには、1200万部の同人誌を売らねばなりません。

彼の偉大さがわかる数字ですね」

 「偉大だけど・・・どんどん酷い扱いね・・・」

 「いい加減気にしないほうがいいぜ。深く考えると泥沼になるから」

 「福沢諭吉にはさすがのヒトラー総統も敵いません。

彼の同人誌『我が闘争』もかなり売れましたが、ドイツ国民の10人に一人が読むことは不可能でした」

 「ヒトラーまで同人野郎扱いかい・・・」

 「「学問のすすめ」をはじめとする諭吉さんの本は日本人に愛読されました。

欧米を知れば知るほど、その強大な力に対抗するためには血の滲むような努力しなければならないことを当時の日本人はよく知っていたのです。

そしてその考えを広めたのが福沢さんであり、彼がいたからこそ日本は近代国家として成長を遂げることができました。

だから一万円札の絵は福沢諭吉なんですよ。

もちろん海外でも福沢諭吉の評価は高く、『福沢諭吉がいなければ日本の明治維新は100年遅れていた』とまで絶大な評価をしている学者もいるほどです。

もし新撰組あたりが福沢諭吉を暗殺でもしていたら、今ごろ日本は着物にチョンマゲした侍が街中でAK47ライフルをバリバリ撃って、星条旗を燃やしているような国になっていたかもしれません」

 「うーん、それはないと思うけどなぁ・・・」

 「いや、可能性はあるぜ。

中東や北アフリカは今でもそんな感じだろ?

サウジアラビアとかは今でも王政だしな。

伝統衣装にライフル。

それを日本に当てはめるとさっき言った感じになる」

 「幕府側が勝つってことは新撰組も生き残るわけだから、

新撰組だ!武器を捨てて大人しく投降しろっ!

とか羽織着た連中がフリーズコールするわけ?

新撰組は日本版SWAT江戸時代バージョンでしょ?」

 「どっちかってーとゲシュタボに近いような」

 「不穏分子の抹殺がお仕事だしね。池田屋事件みたいに」

 「というわけで福沢諭吉の存在によって、日本の歴史は大きく変わったことは間違いないでしょう。

彼は幕府を嫌っていました。

侍という制度を嫌っていました。

能力のあるものでも低い身分に生まれれば出世できない。

いくら頑張って努力してもそれが実らない幕藩体制が嫌っていたのです。

望んだわけでもない君主に仕えることが絶対の生き方とされる侍制度を憎んでさえいました。

しかし祖国日本のために生涯をかけて奉公する姿は、彼が否定した忠誠こそ我が名誉という生き方に他なりません。

日本国という名の主君のために全力を尽くした福沢諭吉。

彼こそまさに、プロイセンの騎士なのです」

 「ちょっと待て」

 「はい?」

 「プロイセンって・・・。なんでそこでドイツが出てくるのよ。そこは『武士』とか『侍』とか言うべきじゃないの?」

 「だってドイツはカッコいいし。一般SS制服のデザインとか」

 「デザインって・・・」

 「だってナチ軍服に対抗できるもんはあんまりないぜ。

新撰組の羽織、ナム戦のときの米軍リーフ迷彩服。

あとはセーラー服、スクール水着、体操服くらいしか思いつかん」

 「どーいう基準なのよ・・・」

 「ごほん、こうして幕末の日本がなんとか植民地化されることを逃れた頃、ナポレオン戦争でヨーロッパが大混乱になったため、それを機会に南米諸国の国々が独立を果たしていきます。

メキシコ、コロンビア、ベネズエラ、ボリビア、エクアドル、アルゼンチン、チリ、ペルー、パラグアイ、ブラジル。

サッカーで有名な国もこの頃に独立したのです」

 「はーい! 質ー問っ! そんなに独立したら今までそこを支配してた国が怒るんじゃないんですか?」

 「そうですよ。特にイギリスはブチきれました。

アメリカは今では考えられませんがモンロー主義をとってナポレオン戦争には参加していなかったのです」

 「マリリン=モンロー?」

 「いえ、モンロー大統領が取った政策なのでこの名がつきました。

ヨーロッパが互いに戦争ばかりを行っている。

どこかと同盟すれば必ず巻き込まれる。

そういうことでアメリカは世界の紛争に首を突っ込むのを極端に嫌ったのです」

 「今じゃ考えられないな」

 「アメリカは昔は世界のことに無関係でいたかったんですよ。

それがなぜ現代になってどこにでも首をつっこむようになったのか?

それはあとで話すことにします。

とりあえず南米の植民地は次々と独立をしていったということがわかればいいのです」

 「で、南米が独立するのを黙ってみたもんだからイギリスが怒ったわけね」

 「イギリスだけではありませんでしたけどね。

そんなわけでアメリカとイギリスは対立、そしてイギリスがアメリカを海上封鎖したため戦争へ突入しました。

この戦争は後に第二次アメリカ独立戦争とも呼ばれることになります。

結果はアメリカの勝利。

この結果、アメリカはイギリスと肩を並べる世界の大国になったのです。

そんなこんなで戦争には負け、植民地も一部を失っていたイギリスは日本を征服したくて仕方がなかったのです。

もちろん他の国も同様です。

欧米諸国は日本を植民地にしたくて仕方がなかったのですが、明治日本が努力したため、なんとかそれだけは免れました。 

こうして日本は植民地支配を跳ね返す力を求めて、自身もまた植民地戦争に参加する、いえ、

参加せざるを得ない状況に追い込まれていったのです」

 「じゃあ、もともと植民地戦争をする気なんかなかったわけ?」

 「だってペリーが浦賀にやってくるまで日本は鎖国だったんですよ?

他国に戦争を仕掛けないという徳川家康の教えを守ってたじゃないですか。

ペリーさえ来なければ日本は外国と戦争なんてしようとも思わなかったんです。

太平洋戦争でどっちが悪いかを問うのならペリーを連れて来い

と言ったのは石原莞爾(いしわらかんじ)ですね。

全てはペリー来航からはじまったのです。

まあ、タイムマシンか何かでペリーを連れてきたら「ヨーロッパからアメリカを守るためだ」とかいうでしょうし、ヨーロッパ各国は、「ヨーロッパの戦争でどこか悪いかと問うならカール大帝を連れて来い」とか言うでしょうね。

あの人がフランク王国を三つに分けちゃったせいでフランスとドイツ・イタリアがバラバラになっちゃったんだし」

 「泥沼ね・・・」

 「国家間の対立なんてそんなもんですよ。

さて、こうして明治の日本人は白人たちに侵略されない為に革命とも言える明治維新を成し遂げました。

身分制度の廃止、議会の導入、西洋文化への感化。

ここで誤解して欲しくないのは、日本は望んで従来の日本文化を捨てたわけではないということです。

全ては欧米に侵略されないため、日本は欧米にも勝るとも劣らない国ということを白人にわからせたかったのです。

さもなければ国が滅びるのですから。

何せ当時の白人の価値観は白人に非ずんば人にあらずですから、彼らにしてみれば黄色人種の日本人はサル同然だったのです」

 「ドイツの皇帝が明治天皇に言ったな。議会政治はアングロサクソン人特有の政治で、黄色人種の日本人には理解できないとかなんとかって・・・・、まぁ今の政治を見ればあながちウソじゃないかなって気もするけど・・・」

 「あれだけ汚職だらけならねぇ・・・・」

 「とりあえずそれは置いておいて。この議会は世界中、特に東南アジア諸国の注目を集めました。

植民地にされた国の若者が「日本はどうやって独立を守ったんだ?」「どうすれば自分たちも白人の支配を跳ね返して独立できるんだ?」という思いを胸に秘め、日本の議会を勉強しにやって来たのです。

つまり、日本は東南アジア各国からアジア期待の星に担ぎ上げられてしまったのです。 

明治の日本人は重圧を感じました。

自分たちはただ日本を守るだけでは許されない。

日本にアジアの命運がかかっているのだ、と。

やがてこの努力が実り、欧米諸国からの不平等条約の撤廃に成功することに成ります。

日本はこのとき初めて完全なる独立を果たしたのです」

 「よく欧米諸国が許したわね」

 「それだけ頑張ったんですよ。

この頃ヨーロッパではドイツが統一を果たします。

小さな都市国家がばらばらではイギリスやフランスには勝てない。

ドイツ、この頃はプロイセンという名前でした。

日本が武士の国だったように、ドイツは騎士の国だったのです。

この騎士の国であるプロイセンの首相ビスマルクは、いつ侵略されるかもわからない祖国を巧みな外交で守ったのです。 

あまりに見事な外交手段のためこの19世紀後半はビスマルク時代とも言われました」

 「あの髭のおっさんはたいしたもんだよ。

イギリス以外を仲たがいさせてお互いの国力を削らせるなんざ誰も真似できねぇ。

あとにも先にもそんなことができたのはビスマルクだけだ」

 「同時期、ロシアがトルコに侵攻します。 クリミア戦争です。白衣の天使の伝記の舞台はここですね」

 「あ! ナイチンゲールだ!」

 「そう。彼女はイギリス人の看護婦であり、後に赤十字組織を結成するなど医療に貢献した人でもあります。

このクリミア戦争はトルコとロシアの戦いですが、ロシアの南下を防ぐ為にイギリスとフランスがトルコに加勢してました。

トルコは常にロシアの侵略に怯えていたのです。

なお、19世紀のインドや中東はイギリスが支配していたため、アフガ二スタンはロシアとイギリスの植民地争いの戦場となってました。

この頃からあの辺は戦場と化していたのですね。

1894年、日本も行動を起こし、日清戦争に突入します。

これは日本の勝利に終わりましたが、今まで『眠れる獅子』として恐れられていた中国はその弱さを暴露し、欧米各国はさらに中国における利権を増やそうとします。

そしてついに1904年、日本の独立戦争ともいうべき大国ロシアとの戦いにも突入してしまいます。

日本はロシアと戦える力などもっていませんでした。

日清戦争の賠償交渉にロシア・フランス・ドイツが干渉した三国干渉以来、日本では『臥薪嘗胆』、英語で言うとI’ll be backという言葉が流行っており――――」

 「ちょっと待った。ホントに『臥薪嘗胆』ってそんな意味なの?」

 「おおむねそんな感じですよ。もしくは、I shall return

 「ホントかよ・・・」

 「どうしても知りたい奴は辞書引けってことだな」

 「あと、ナイチンゲールは赤十字の結成には関係ないわよ。」

 「へ?そうなの?」

 「まあ大抵のやつはそう思ってるわな。ちなみにソースはこれな」


赤十字とナイチンゲール 安藤 武士(ttp://www.e-nurse.ne.jp/column/andou10-12.html)

「赤十字、ナイチンゲール、看護」という言葉は強い絆で結ばれている。
「赤十字と言えばナイチンゲール、ナイチンゲールと言えば白衣の天使」と語呂合わせにように口に出るのは小生だけではない。
しかし、赤十字の設立に寄与した人はアンリー・デュナンである。赤十字関係者、看護の業務についている方は別として、アンリー・デュナンの名前を知る人は極めて少ない。

ナイチンゲールは1820年5月12日に生まれ1910年8月13日、90歳で亡くなった。
デュナンは1828年5月8日生まれで1910年10月30日、82歳で他界した。2人は全く同世代の人である。

ナイチンゲールは1854年から始まったクリミヤ戦争に英国陸軍の従軍看護婦として活躍し、近代看護を創立したばかりか、それまでの医療に看護を加えた新しい医療を創設した人である。学童向けの偉人伝に必ず登場する人物で、ご存知ない方のほうが少ないはずである。

デュナンは1859年の北イタリヤでの戦争で戦場となったソルフェリーノの惨状をみて1862年、「ソルフェリーノの思い出」を出版した。
その著書で、戦時の負傷兵を看護することを目的とする救護団体を、平和でおだやかな時代に組織しておくことを提唱した。
デュナンは多くの賛同者を得、1863年2月9日、国際負傷軍人救護委員会(5人委員会)を結成、「赤十字」運動を起こした(赤十字の誕生)。
1864年、スイス国政府の招集により外交会議が開催されジュネーブ条約が結ばれ国際組織となった。
その功績により、第一回ノーベル平和賞が授与された。しかし、ナイチンゲールの名はない。

ナイチンゲールは、デュナンと同じ時代に同じ人道活動で後世に名を残すことになるが、生涯、赤十字運動にかかわることはなかった。それどころか、デュナンの主張する「ボランティアによる救護団体の常時組織、後の赤十字組織に、真っ向から反対した」と橋本裕子氏の著書(後出)に記されている。一方、デュナンはナイチンゲールを称賛していたという(アンリー・デュナン研究所、故・ピエール ポアシェ氏の著書、「赤十字の創始者 アンリー・デュナン」による)。

 「フッ・・・そんなマニアックな小ネタなんて、どうでも良いんですよ。」

 「小ネタってヲイ・・・」

 「相良さんもそう思いますよね?」

 「自分としては、正確な情報は自身の生存率を上げるのに貢献するものですから、大佐殿の意見には賛同出来かね・・・」

 「そう思いますよね?」

 「いえ、その、あの・・・」

 「ほほう・・・テッサも中々やるわねぇ〜」

 「しかし、惜しいな。アレでネコ耳セットを装備してれば、完璧だったのにな」

 「何の完璧よ!テッサもそんな戦争ボケに媚売ってないで、さっさと進めなさいよ!!」

 「フフフフ・・・カナメさん。羨ましいなら素直にそう言えば良いのに・・・」

 「誰が羨ましく思ってるって!?戦争ボケで、常識の代わりに炸薬が詰まってるようなヤツの事なんて、なんとも思ってないわよ!!」

 「むう・・・」

 「否定できないところが、悲しいわね」

 「常識の代わりに炸薬ねぇ・・・かなり的確な意見だな」

 「俺は人からそういった目で見られているのか・・・」

 「ああ・・・可哀想な相良さん。あんな、脳の代わりにフェロモン袋が詰まってるような娘の心無い一言で深く傷ついたでしょうに・・・私が全身全霊を持って、身も心も癒してあげますね」

 「脳の代わりにフェロモン袋が詰まってるって・・・テッサ、もしかして喧嘩売ってる?」

 「さあ?それはどうですかね?これ以上やると話が進まなくなるので、話を元に戻しますね。

『臥薪嘗胆』を合言葉に国力を整えつつあった日本ですが、その程度で埋まるような簡単な差ではありませんでした。

それほどまでにロシアとの国力は歴然だったのです。 

しかし、ロシアにとってすれば今まで侵略しなかったのは他に忙しかっただけなので、日本を占領しようと大軍を率いて日本に向かってきたのです。

列強各国から『ロシアの本能は略奪である』とまで言われたスラブ民族の大帝国に自制心を求めるのは不可能でした。

ロシアの外交の歴史は裏切りの歴史。

民族としてはお人よしでも、国家レベルになると信じられない嘘つきになり、「最初から狙っているのではないか?」と思うほどロシアは絶妙のタイミングで裏切りまくることは欧米諸国の間では常識でした。

口で言ってわかるような相手ではないのは欧米諸国も同じですが、その列強各国でさえ、『ロシアは最悪』と言っていたのです。

シベリア、モンゴル、満州と次々に支配を進めていたロシアの状況から見て、朝鮮が落ちれば次のターゲットは日本であることは明らかでした。

当時の日本はそんな大国に狙われてしまったのです。

ロシアに支配されたアジアの国々がどんな目に会って来たか?

『ロシアに支配される』ということがどのような状態を指すのか?

言うまでもありません。

こうして日本はロシアとの戦争を余儀なくされました。

当時の日本のトップ、伊藤博文はロシアが日本に宣戦を布告した日、「日本は滅びる」と泣いたと言われています。

まさにこのとき、日本の未来は暗黒の闇に包まれつつあったのです。

しかし、座して死ぬわけにはいきません。伊藤はこう考えました。

 

ロシアを止められるものはアメリカくらいしかいない。

しかし、アメリカと言えど、ただでは仲裁を引き受けてくれないだろう。

ならばロシアと全力で戦い、日本が有利になった時点でアメリカに仲裁に入ってもらい、早期講和で戦争を終わらせるしかない

これは賭けでした。

大国とは言えロシアの侵略は公然とした悪行であり、ロシアが日本を占領すれば他の列強にとって多大な脅威になるのではないか?

これをアメリカの世論で盛り上がらせ、アメリカ大統領を動かすことができればわずかに生き残る可能性が出てくる。

日本は他にも様々なところで対ロシア外交を活発させました。

このときの国際世論は圧倒的に日本を肯定するものでした。

ロシアの戦争行為は認められない。これは明らかな侵略である、と」

 「なにを今さらって気もするけどな」

 「自分たちもやってるしね」

 「今も昔も外交はそんなものですよ。

外交が相手と仲良くすることだと思ってる人は明らかに間違ってます。

表面では友好を唱えても、外交の本質は相手を利用することです。

日本人が外交ヘタと言われるのは、『こっちが仲良くする気があれば、向こうも仲良くしてくれるだろう』と思い込んでしまう国民の体質にあります。

その気持ちはわからなくもありませんが、国家間の付き合いと、個人の付き合いとを同レベルで考えるのはただの馬鹿です。

そーいう人間が多い国は結局利用されてお終いなのは歴史が証明してます。

だから、国家に真の友人はいないとか言われるわけです。

こうしてはじまったこの日露戦争は、国家の存亡を賭けた日本始まって以来の大戦争でした。

なにせ負けたら即滅亡なのです。

そしてそれはアジアにおける黄色人種国家独立の夢の終わりでもあります。

この戦いに敗れたら、白人絶対主義の植民地時代は未来永劫続き、黄色人種は一生白人の奴隷で過ごさねばならないことになってしまいます。

兵士たちは皆真剣でした。 いえ、兵士だけでなく、国民の全てが死を覚悟して全力で事に当たっていたのです。

日本はアフガンでロシアと敵対していたイギリスと利害の一致から日英同盟を結び、ロシアに牽制をしようとしましたが最後にモノを言うのは言葉ではなく力です。

イギリスと同盟を組んだくらいでロシアがビビってくれるなら誰も苦労もしません。

事実、ロシアの足は全く止まりませんでした。

や平和運動だけで戦争が回避できるのはアニメの中だけ。

そういうことです。

こうして日本史上最大の戦いが始まりました。

江戸時代までの内戦とは比べ物にならない規模の大戦争です。

戦いは熾烈を極め、日本の若者の血が大陸で流されました。

203高地などの有名な戦場で何万人という戦死者を出しながらも、日本はアジアでは勝利を収めます。

しかし、ロシア軍の虎の子、バルチック艦隊がまだ日本に向かっている最中でした。

アジアでの勝利も、このバルチック艦隊を撃破せねば全くの無意味となってしまいます。

各国との外交で対ロシア包囲網を完成させ、バルチック艦隊を遠回りさせるなど、日本政府は出来る限りの手段を取ったのです。

そして1905年5月17日。

運命の日がやってきました。

バルチック艦隊VS日本連合艦隊、通称『日本海海戦』です。

東郷閣下。世界に冠たる我が大日本帝国が誇る英雄ですよん♪ 「皇国の興廃、この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ

捨て身の覚悟で望んだこの日本海海戦で、連合艦隊は有名な「Tの字戦法」でバルチック艦隊をブチのめし、辛苦の勝利を得ました。

頃合いをみた伊藤はなんとか講和に持ち込み、日本はロシアの侵略から独立を勝ち取ったのです」

 「でも教科書じゃ国民は不満だったって言ってたわよ?賠償金が取れなくてやり損だったって」

 「それは政府のプロパガンダの効果です。

日露戦争は日本の勝利と教科書には書かれていますが、実際には日本は勝ったのではなく、なんとか負けなかったというのが正しい見方です。

戦争が長期化すれば日本に勝ち目などありませんでした。

ですが日本政府は国民には大勝利と宣伝したのです。この判断は賛否両論があります。

このときマスコミが日本の勝利を誇張したため、後に太平洋戦争に突入などと馬鹿な選択をしたのだ!

という意見と、

このときマスコミが日本の勝利を誇張したからこそ、ロシアは戦争の継続を諦め、日本は独立を守れたのだ!

という意見です。

どちらの言い分にも一理あります。

ここで注意したいのはどちらの選択にもメリットとデメリットがあり、ベストな選択肢は存在しなかったという点です。

もしここで国民に「実は負けそうだった」などと宣伝すれば、ロシアが再び軍を動かすかもしれませんでした。

もし講和直後に軍を動かされていたら日本の敗北は必死というのは専門家の意見も一致しています。

つまり、偽情報を流すことでロシアに牽制した と考えることができるのではないでしょうか?

歴史、特に近代史にはこのような二者択一の選択がちらほら出てきます。

ベストな選択肢などなく、ベターな選択肢しかない。

ならばどちらがマシか?

ということです。

皆さんはどっちの判断がベターだと思いますか?

こうやって自分が絶望的な立場に置かれた場合、自分ならばどちらの選択をしたか?と考えることも歴史を学ぶ意味の一つであります。

つまり仮想シミュレーションというわけです。

こうして終わった日露戦争の勝利はアジアに光明をもたらしました。

今までの歴史を振り返ってみても、白人国家の侵略から独立を守りきったのは、この日露戦争がはじめてなのです。

日本は大国ロシアを破ったことで、欧米諸国にもようやく独立国として見られることになります。

アジアの極東の小さな島国が世界トップの大国を倒したのです。

この勝利がアジアの植民地国の人々の心に希望の火を灯したのは言うまでもありません。

この勝利は世界の歴史の転換期として、今でも世界中の国々から尊敬されています」

 「イラクのフセイン大統領の尊敬する人は明治天皇だしな」

 「トルコも親日派なのはロシアに虐められてたからだしね、近いから」

 「うむ、どうやら中東の方ではなぜか日本は好かれているらしいな。

というより白人が嫌われているだけなのだが」

 「だもんだから湾岸戦争のときフセインが怒ったんだろ?

なんで日本は白人のアメリカに協力するのかって?

あいつら日本がアメリカの属国になってること知らないのかね?」

 「あいつらいつの時代の日本を想像してるのかしら?」

 「連中は第二次大戦で日本が白人に戦争を吹っかけたことを黄色人種の鏡と思ってるからな。

まぁ、ただ単に白人が嫌いなだけなんだが」

 「中東だとなぜか「トーゴー」っていうと皆が喜ぶんだよな。きっと東郷平八郎 ⇒ 東郷閣下。世界に冠たる我が大日本帝国が誇る英雄ですよん♪ のことだと思うんだが・・・」

 「向こうじゃ、日本海海戦は伝説の戦いと化してるからねー」

 「黄色が白を倒したから気分がいいのだろう。

基本的にイスラム原理主義の以外の連中は日本が好きなのだ。

中には日本と組んでアメリカを倒そうと本気で考えている連中もいる。

まぁ、ただ単に白が嫌いというだけなんだがな」

 「なんでイスラム原理主義の人たちは日本が嫌いなの?」

 「日本人は基本的に無神論者だからな。

イスラム教徒は基本的に異教徒よりも無神論者を嫌うんだ。

というか原理主義の連中はアカと同じで自分たち以外は全て敵と思っている。

まぁ、アメリカの方が何百倍も嫌いだから日本など眼中にないかも知れないな」

 「その辺はあとで話すことにします。

あと日露戦争は有色人種だけでなく、フィンランドも超燃え燃えです」

 「フィンランド人に知っている日本人を聞くと「トーゴー」って言うんだよな。

ま、連中の場合、日本がどうこうよりもロシアが大ッ嫌いなだけだけどよ」

 「第二次大戦で枢軸国側についたのも、ドイツがどうこうよりもロシアが大ッ嫌いなだけだしね」

 「赤い祖国には帰らない

たぶん世界で一番ロシアを嫌ってるのはフィンランドだな。いや、バルト三国も・・・。甲乙つけ難いぜ」

 「ロシアって世界中から嫌われてるわねぇ・・・」

 「大丈夫。今の日本も嫌われてるから。『黄色の恥さらし』とか、『白の犬コロ』とか。

どうでもいいが、日本はいつからあいつらの仲間になったんだ?

 「だってホラ。連中の頭の中は白と黄色でしょ?

この21世紀になってまで何考えるんだか」

 「さてこの日露戦争以前から、ヨーロッパではお互いが植民地支配で高めた力をぶつけ合おうとして一触即発の火薬庫になってました。

そして1914年、ついに数十の国家を巻き込んだ大戦争が始まります。

第一次世界大戦です」

 「っていっても、規模がでかいだけでやってることは以前とあまり変わらないんでしょ?」

 「そんな言い方をしたら身もフタもありませんが、まさにその通りです。

というわけでこの戦いでドイツ、オーストリア、トルコなどは破れ、英仏がヨーロッパの覇権を握ることになりました。

ちなみにアメリカは巻き込まれるのが嫌だったのでそれほど派手なことはしなかったです。

それが参戦した理由は簡単です。

イギリスとフランスに武器や物資を売っていたアメリカの輸送船をドイツの潜水艦が撃沈してしまったからです」

 「何かんがえてるのかしらね? 自分から敵増やしてどうするのかしら?」

 「ドイツって肝心なところでドジるのよね、昔から」

 「日本は中国のドイツ領を掠め取ったりしてましたが、ヨーロッパには直接手を下しませんでした。

こうして近代装備を配備した前代未聞の大戦争は3年間をもって終了したのです」

 「おや?確かこの時期にイギリスと組んで、ドイツの潜水艇と交戦したはずだけど?」

 「えっ?そうなの?」

 「ちなみにソースはこれね。」

参考資料: 日本海軍地中海遠征記―若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦 片岡 覚太郎(著),C.W. ニコル(編集)

■1.海軍創設以来の壮挙■  
大正6(1917)年2月18日午後1時、片岡覚太郎・中主計 (後の主計中尉、以下、片岡中尉と略す)の乗った駆逐艦 「松」は3隻の僚艦とともに佐世保港を出発した。港に停泊し ている艦船では、乗員が艦上に整列し、帽子を振って見送って いる。出港する4艦の乗組員もこれに答礼する。駆逐艦4隻からなる第11駆逐隊は、これからシンガポール に行き、南シナ海からインド洋方面を警備している巡洋艦「明 石と駆逐艦4隻に合流する。そこからインド洋を渡り、スエズ 運河経由で地中海に進出し、暴れ回るドイツ軍の潜水艇からイ ギリス・フランスの輸送船を護衛する任務に就くのである。19 14年に始まった第一次世界大戦はすでに4年目に入っていたが、膠着状態が続く中で、日英同盟に基づくイギリスの支援要請に応えるためであった。

 「そんな細かいツッコミする人嫌いです

 「いや細かいってあんた・・・・」

 「ただ派遣されただけで、たいした戦果もありませんでしたからね・・・それより遂にあの国が出てきますよ」

 「そーいやソ連ができたのってこの頃じゃない?」

 「お、ついに出たか悪の帝国

 「ソ連誕生には第一次大戦までの植民地戦争が絡んでいました。

 

このまま帝国主義戦争を続けていれば大国同士が必ず衝突する!

だから帝国主義を捨て、みんなが真に平等な社会を作ろう!

理想社会には階級も貧富の差もないものがいい!

 「こーいうことを言っていたのがマルクスです。

彼の思想は共産主義と呼ばれ、金持ちが国を支配していた欧米諸国には危険思想と見なされ、共産党は政界から排除される運動が各国で起きました。

しかし、理想に燃えるマルクス主義者たちは弾圧されればされるほど燃え上がり、やがてそれはガタが来ていたロシア王朝を滅ぼすまでになったのです。

こうして第一次世界大戦中の混乱のさなか、ロシア革命が勃発。

それからしばらくして1922年、世界初の社会主義国、ソビエト連邦が誕生したのです」

 「うーん、なんか聞いてると共産主義ってけっこう理想的なこと言ってるわよね。少なくとも貧富の差がなくなったり階級による身分制度がないってのはいいことじゃない?」

 「それはあくまで理想論です。

たしかに共産主義には平等と平和という甘いフレーズがありますが、現実の共産主義は地獄そのものです」

 「ま、この頃はまだそれがわかっていなかったんだな」

 「それほどソ連も危険と思われていなかったしね」

 「というより、ソ連の本質が見えていなかったのだろう。国民も、そして共産主義の理想に燃える若者たちも。トップは間違いなくイカれていたがな」

 「ソ連が誕生した前後から帝国主義諸国はソ連とドンパチをはじめています。

1918年から1922年まで実に4年の間、イギリス・フランス・日本・イタリア・アメリカの第一次大戦戦勝国が共産主義を打倒しようとして戦争を起こしていたのです」

 「なんで?」

 「んなもん決まってるじゃねぇか。共産主義なんてもんが広まったら帝国主義国家の上の連中が甘い汁吸えないからだよ」

 「共産主義というのは簡単に言うと反資本主義思想ですから。西側と東側の対立は第二次大戦からだと思われていますが、実際にはソ連誕生の前から対立していたのです」

 「じゃあ何? 第二次大戦で欧米とソ連が手を組んでたのはただ単にドイツが嫌いだったからなの?」

 「そうですよ。全くもってその通りです。冷戦というと時代が別に感じますが何のことはない。

冷戦は第二次世界大戦前に戻っただけです。

さて、共産主義が危険な理由はまた別の機会で話しましょう。

このソ連VS帝国主義国家の戦いはソ連の勝利で終わりました。

理由はいろいろありますが、冬将軍最強ということですね。

ナポレオンやヒトラーと同じく、帝国主義国家もロシアの気候の前に敗れ去ったわけです」

 「ロシアの気候ってそんなに凄いの?」

 「凄いなんてモノじゃありません。冬にはマイナス40度以下まで気温が下がり、猛吹雪がダイヤモンドダストを呼びます。

凄く綺麗なのですがそれは死を誘う危険な悪魔の美術品です。

身体が凍結し、肺が凍りつく。血液は流れず身体は腐り始め、食料は凍って食べれない。

銃に塗るオイルさえも凍り付き壊れてしまう。味方はばたばたと倒れ、戦場にたどり着くことすら出来ない」

 「・・・・・・。なんでそんなところに人が住んでるのかしら?」

 「さぁ? それはこっちが聞きたいくらいですよ。

さて、第一次大戦が終わり、敗戦国のドイツ、オーストリア、トルコらは植民地を没収され、多大な賠償金を支払わなければならなくなりました。

トルコはこの敗戦の結果、いくつかに分割されました。

イラク、レバノン、シリア、ヨルダン、パレスティナなどです。

このときに戦勝国のイギリスが国家間の対立を煽ったため、現在でも中東は紛争地帯となっています」

 「イギリスは紳士と二枚舌の国だからな。あいつらの外交手腕は相手を喧嘩させることに関しては恐らく世界一だ」

 「いつものことだな」

 「戦場となったヨーロッパは物が不足していました。

日本やアメリカはこの需要に対して大もうけをしていたのです。

しかし、ヨーロッパが復旧してくると、今まで売れていたものが売れなくなってしまいます。

こうしてアメリカや日本は赤字が続き、会社は倒産。

世界中でこれが起きた為に世界中が不景気となっていました。

一向に立ち直らない世界経済。そしてその波は1929年、最高潮に達します。

世界恐慌です」

 「ニューヨークの株が暴落したってやつだろ?」

 「そう。この不景気で世界中に失業者が溢れました。アメリカとソ連、イギリスやフランスは自国が大きかったことや、植民地を持っていたためなんとか建て直しができそうだったのです。

しかし、敗戦国のドイツや、植民地も自力再生力もない日本やイタリアなどはもう目も当てられない状況でした。

失業率が50%を超えるのは当たり前、町は失業者と乞食と売春婦で溢れていました。

その上、ドイツのような敗戦国は国家が一生かけても払えないような賠償金を払わなければならなかったのです」

 「なんか可哀想ね」

 「しゃーねーよ。負けちまったから。

戦争に負けた国が惨めなのは昔も今も変わらないぜ」

 「第一次大戦直後、「このまま植民地支配を続けていたら数十年後、必ず大国同士の衝突が起きる。だからこの辺で植民地支配の時代を終わらせようじゃないか。

戦争は一度で十分だ」と国際連盟で発言した国がいました」

 「へー、いいこと言うわね。どこの国?」

 「日本ですよ。新渡戸稲造が世界平和のためには、お互い欲を無くそうということを言ったのです」

 「・・・・・・・・・誰?」

 「五千円札の人です。

カナメさん、あなたは自分の国のお札に描かれている人が何をした人か知らないんですか?」

 「ぅ・・・・・」

 「普通は知らないだろ? 学校で教えないから」

 「それくらい知っていて欲しいですね。自分の国のお札なんだから

 「はぁい・・・・・以後気をつけます」

 「よろしい。では先へ進めます。

こうして世界恐慌によって日本やドイツ、イタリアは国が崩壊寸前まで追い込まれました。

そこで彼らが取った国の再生法は軍国主義による他国侵略だったのです」

 「質―――問っ! それまでの植民地支配とどこが違うんですか?」

 「基本的には同じですよ。

ただこの頃に成ってくると欧米諸国は「わざわざ植民地をめぐってアホらしい戦争をすることはない。

みんなで分け合って幸せになろうよ」的な考えが広まりつつあったのです」

 「でもドイツには酷いことしてるわよ、っていうかいくら負けたからってこのベルサイユ条約はドイツに死ねって言ってるようなものじゃない?

賠償金の支払いが完了するのは1981年? 第一次大戦が終わったのって1917年よね?こんなの払えるわけないじゃない」

 「しゃーねーよ、負けちまったんだから

 「そーいうこと。戦勝国だって戦争で傷ついたのは敗戦国と変わらないわ。だからドイツを虐めて国力を回復させたかったのよ。

要するに”戦勝国は”幸せになろうよ的なノリだったんじゃない?」

 「その通りです。唯一その敗戦国虐めをやめようと言っていたのが日本でした。

日本は戦勝国の中で、敗戦国を庇っていたのです。

それを欧米が握りつぶしたために、日本国内で軍部が暴走しはじめました

所詮この世は弱肉強食、強ければ生き、弱ければ死ぬ。

外交でいくら言葉を重ねても決着を決めるのは言葉ではなく、力なのだと軍部が政治にまで口を出していくことになっていったのです。

それからしばらくして世界恐慌になり、完全に暴走したのが旧日本軍というわけですね」

 「じゃあ何?

第二次大戦が起こった理由は第一次大戦の事後処理が無茶苦茶だったせいってこと?」

 「そーです。ドイツがそれなりの賠償金と、それなりの戦後処理ですめば国民は飢えず、戦争をしなくても平和で豊かな生活ができたのです。

それなのに無茶苦茶な戦後処理のせいで、特にドイツでは屈辱的な敗戦と不況が重なって社会不安が増大してました。

誰でもいいからなんとかしてくれ

ドイツ国民の誰もがそう思っていたのです。

こうしてドイツで台頭してきたのがヒトラーでした。彼はその優れた政治手腕によってナチス政権を獲得することに成功します。

当時のヒトラーがいかに人気があったのかを示す写真があります。下の画像を見てください

カリスマ・・・・説明いる?

 

 「うーん、みんなノリノリだな」

 「いい感じに脳みそヨーグルトね」

 「アホだな」

 「見ての通り、ヒトラーの人気は絶大でした。彼の思想は危険でしたが、彼は失業率が70%を超えていたドイツを建て直し、人々にパンと職を与えたのです。

この写真は第二次大戦直前の写真なので、ヒトラーの人気は凄まじかったのですね。

逆に言うとヒトラーのような人物が台頭できるような社会にしてしまったのは戦勝国というわけです。

例えば凶悪犯人が人質を取って立て篭もっている。

それなのに犯人を危険な孤立まで追い込んで暴走させたら誰のせいになりますか?

もっと方法はなかったのか? 

犯人を掴まえるにしろ、殺すにしろ、犯人を追い詰めないのはこの手の駆け引きの基本です。

それは国同士の関係でも同じ事です。

そんなことにすら気づかないで戦勝国は敗戦国を追い詰めました。

その結果がこれです。

ヒトラーが人気があった理由はただ派手な演出だけではありません。

21世紀現在でも失業者の人が仕事を紹介されれば誰だって喜びますよね?

それが再就職が絶望的な状況だったらなおさらです。ヒトラーは人々に夢を与えていたのですよ」

 「でもヒトラーは悪人よね。ユダヤ人虐殺とかしてたし」

 「そう。ここで注目したいのはヒトラーはクーデターで政権を取ったわけではありません。

選挙で選ばれて独裁者になったのです。

つまり何がいいたいかと言うと、民主主義というのは国民の教育水準が高くないとかえって危険になる、ということです。

自分たちの選んだ立法政府でさえ、暴君になりうる

そんなことにすら気づかずに彼らはヒトラーを指導者に迎えました。

頭の中が二千年前のローマと同レベルなんですよ。

ローマが衰退した理由の一つの汚職政治は、汚職政治家を選んだ劣悪な選挙からはじまってます。

誰でもいいとか、誰がやっても同じとか、自分には関係ないとか・・・・

それは現代の自民党政治の腐敗ぶりにも同じ事が言えます。

自民党は自分たちで選んだ政府ですが、汚職政治の連続で暴君と言っても過言ではないでしょう。

しかし、国民は望んで彼らを指導者に迎えました。

言いたいことがわかりますか?

ナチスを選んだドイツ国民も、自民党を選んだ21世紀現在の日本国民も、頭の中身は2千年前のローマと同レベルということです」

 「言うねぇ」

 「さらに困ったことに、自民党は間違いなくアホですが、その他の連中も同レベルのアホばかり。

外交だけで見れば、一番世界情勢を理解しているのが自民党というどうしようもない状況です。

ひょっとしたら一番マシな馬鹿は自民党かもしれないという最悪な状況が今の日本なのです。

わたしとしては、現実的に見て、この状況を打破するには民主党に政権を取らせ、自民党の持つコネを自然消滅させるのが最善策と思ってます。

政権を取り続けることで維持されているコネを潰し、それによって賄賂贈賄を減らす。

イギリスのように、政権を取る党がコロコロ代われば、確実に賄賂経路は潰れるでしょう。

全ての賄賂を潰すことは不可能でしょうが、10%の賄賂を5%に減らすことは可能なはずです」

 「毒をもって毒を制すってことか・・・そんなうまく行くかしらね」

 「どうでしょう。まあ、他にいい意見があれば聞きたいところですけどね。

さて、第二次大戦の細かい経過は、ソフィア先生の補習授業 ⇒ で言っているので飛ばします。

とにかく、無知こそが罪、無知こそが害悪であるということです。

福沢諭吉さんの「学問のすすめ」でも似たようなことを言ってますね。

国がだめなのは、国民がだめだからだと。国をよくするには勉強をして国民のレベルをあげなくてはならないと。

選挙権は与えられるものではありません。

無論、言葉そのままに選挙する権利、という単純なものでもありません。

それは暴君の奴隷として酷い目に合わされていた先人たちが戦いの末に勝ち取った最強の剣(つるぎ)なのです。

人を串刺して喜ぶ残虐なネロ皇帝のような暴君から命を守るために手にした武器なのです。

誰の命か?

それは自分たちです。

国民を食い物にする売国奴どもから自分たちの身を守る最強の武器、それが選挙権なのです。

人間だからどの指導者にも欠点はありますし、完全な指導者の登場を期待するほうがアホであるということです。

政治家なんてのはどの国、どの時代でも馬鹿ばかりということは今までの歴史を見ても間違いないでしょう。

第二次大戦当時のイギリスのチャーチル首相は記者の質問にこう答えました。

「チャーチルさん、あなたは史上最低の政治家は誰だと思いますか?」

「それは非常に難しい質問だ。なにせこいつは史上最低だ、と思ってもしばらくすればその上をいく馬鹿が現れる。恐らくわたしが死んだのちはヒトラーやスターリンを上回る馬鹿が現れるだろう」

こんな会話が半世紀も前に言われてたのです。

ならばどうするか?

それは簡単です。

一番マシな馬鹿を選ぶのです。

選挙とは自分を守り、もっともマシな馬鹿を選ぶことなのです」

 「・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・。どうしました」

 「いやね。なんか凄く普通なこと言ってるからおどろいちゃって」

 「まるで今までは面白半分で言ってたような言い方ですね」

 「え? 違うの?

 「カナメちゃん、ここ笑うとこ

 「あ、そっか! わ、わは、わははは!」

 「・・・・・・・・・。さて、この第二次大戦はドイツ、日本、イタリアなどの枢軸国の敗北で終わります。

1945年5月8日ドイツが降伏、そして8月15日、日本も米軍に降伏し、連合国50、枢軸国7を巻き込んだ人類史上最大の激戦が幕を降ろしたのです。

この戦いで日本はそれまでの全てを否定することに成りました。

たしかに戦争は悪行です。人を殺すことに正義などあるわけがありません。

しかし、それでいいのでしょうか?

ただ日本が悪いことをした。

そんな結論でいいのでしょうか?

歴史を見てみれば日本が、そして世界各国が単独で歴史の激流を止めることは不可能だったことは間違いないでしょう。

日本も第一次大戦でこの波を止めようとしたし、アメリカも第一次大戦で国際連盟を作りこの波を止めようとしました。

ヨーロッパ各国も武器があるから戦争が起こる。

ならば武器を捨てようじゃないか。

誰だって銃を持ったままでは握手はできない。

そう考えてさまざまな努力をしてたのです。

しかしその努力は実りませんでした。

一国や二国の努力では歴史の流れを止めることは不可能だったのです。

第二次大戦で日本は間違いを起こしたと言われています。

その間違いは何なのか? それは軍国主義による他国の侵略です。

ではなぜ他国を侵略しなければならなかったのでしょうか?

日本人は他国の民を殺し、他国を侵略し、他国の尊厳を踏みにじるのが好きな異常者の国だったのでしょうか?

そんなことはありません。彼らは人殺しなどしたくなかった。

しかし、しなければならない状況に追い込まれてしまったのです。

歴史を見てみれば黄色人種の日本人に残された道は白人の支配に屈するか、自滅か、それとも白人の支配に抵抗するか?

その3つの選択肢しかなかった。

そして彼らは3つ目を選んだ。

ただそれだけです。

ベストな選択肢などない。あるのはベターな選択肢だけだったのです。

後からならば何とでもいえますが、それは結果論に過ぎません。

あーすればよかった、こーすればよかった、

そんなことで結果が変わるような生半端な問題ではなかったのです。

もしも第二次大戦で、日本が白人国家に一矢報いなかったら植民地支配の歴史は何も変わらなかったでしょう。

大航海時代から第二次大戦までの約500年という長い長い植民地支配の歴史にピリオドを打ったのは日本なのです。

少なくとも第二次大戦後、東南アジアやアフリカで様々な国が独立を果たしたのは事実です。

その全てが日本のおかげであることはないでしょうが、全くのゼロであることはないでしょう。

第二次大戦は、植民地支配こそが次なる戦争の火種であることを欧米諸国に身を持って教えたのです。

それが真実とは限りません。

が、真実と思わなくてはならないのです。

それが戦死した兵士に対する生き残ったものの義務です。

あの戦いはムダではなかった。 戦死した兵士たちはムダ死にではなかった。

そうでなければ彼らがあまりに惨め過ぎます。

彼らを批判している人たちは自分たちの父や祖父や曽祖父たちを単なる人殺しにしたいのですか?

生者が死者にできることは、敬意を払い、彼らの名誉を守ることだけなのです」

 「・・・・・・・・・・・」

 「どうしました?」

 「いやね、なんか凄く立派なこと言ってるから」

 「まるで今までは―――――」

 「ちょいまち、それはさっきやった

 「それはそうと日本もドイツもミスはなかったわけじゃないでしょ?」

 「え? だってさっき――――」

 「たしかに先ほど選択肢はないと言いました。しかし、それはあくまで大まかな方針での話です。

細かく見れば結果は同じでも、程度の違いはあります。

一番マシな選択肢は細かく見れば見つかるものなのです。これは人によって様々です。

100人いれば100個のマシな選択肢があるでしょう。

しかし、おそらく100人が見て99人が間違いだったと言うだろう選択があります。それが何かわかりますか?」

 「うーん、アメリカを敵に回したこと?」

 「それもあるが、アメリカとの戦いはどっちかっていうと挑発された形だったからな。アメリカはドイツと戦う理由が欲しかったもんだから、ドイツと同盟を組んでた日本をダシにしたんだよ。どっちにしろアメリカとの衝突は時間の問題だったからそれはどーしようもなかっただろうぜ」

 「ソ連と不干渉条約を結んだこと?」

 「それもあるわね。あそこでソ連なんて信用したもんだから末期でいきなり裏切られたんだけど、不可侵条約を結ばなかったら攻められてたからやっぱり時間の問題だったわ」

 「じゃあ何よ?」

 「んなもん決まってんだろ?」

 腰抜けのイタ公と手を組んだことだよ

 「だってあいつら足ばっか引っ張るんだもの。何考えてるんだか・・・・」

 「こっちは眠いから相手も眠いだろう、とか言って見張りも立てずに眠りこけて奇襲喰らうような連中だぜ? おまけにまだ武器弾薬が残ってるのにすぐに降伏しちまう。

ピンチになると逃亡はするは、勝手に降伏はするは・・・・・

お前らやる気あるのか?

 「ドイツ兵や日本兵なんて最後の一兵になっても戦う意気込みで、死ぬと分かってる戦いに赴いたのに、イタリアのやる気のなさはどーしようもないわ。もうなんていうかお前ら兵士じゃねぇよって感じかしら?」

 「ドイツや日本は戦後、世界から悪口言われてたけど、一方では「お前らはよくやった」とか、「愛国心に燃える本物の兵士」とか賞賛されてるのに、イタリアの場合は「世界一の腰抜け」だぜ?

あとにも先にもこんなこと言われたのはイタリアだけだ」

 「ドイツが侵攻したフランスもやる気がなかったけどね。

相手が有利になると一発銃弾を空に向かって撃って「我々は抵抗した。名誉ある扱いを頼む」とか言ってゾロゾロ投降して・・・・・。

でもイタリアはそんなフランスにまで馬鹿にされてるのよ? もう救いようがないわね」

 「イタリアにも優秀な兵士や、愛国心のある兵士もいたんだが・・・・

やる気のない連中の数が尋常じゃない

だめだこりゃ」

 「独断専行で勝手に戦争吹っかけて中立だった国々をことごとく敵に回し、敵を増やすだけ増やしてイタリア自体は勝手に降伏しちゃったのよ。

おかげでドイツと日本は敵が増えてしまったわ。

イタリアは敵よりも恐ろしい味方なのよ」

 「ドイツがソ連に負けたのはイタリアのせいだ!以上!

 「うーん、酷い言われようね」

 「しゃーねーよ。本当のことだし」

 「イタリアで褒められることと言ったら・・・・・・・・・・ないわね。せいぜい軍服が一部でマニア受けするくらい?」

 「確かに、世界最強のドイツ軍が、人海戦術しか能がないソ連軍如きに破れた原因の9割は、イタリアがドイツの足を引っ張ったせいと言っても過言ではないと思いますね、あくまで私見ですが」

 「本当かよ・・・」

 「だいたい国力差が1対40なのに6年間も頑張っただけでも大したもんなんですよ。

例えるならラーメン屋です」

 「またかい・・・」

 「一食2000円の豪華ラーメン屋のドイツと、一食100円均一のラーメン屋の米ソ。

最初のうちはドイツが売れてもやがて材料が尽き、具が無くなり麺が無くなり最後にはスープまで。

そして100円均一の波に潰されてしまったのが第二次大戦なのです」

 「なんていうか・・・・凄い例えね」 

 「むぅ・・・。わかりにくかったようですね。ならば今度は寿司屋で行きましょう。

2000円の高級寿司屋のドイツと―――――」

 「ストップ!ストップ!そこまででいいわ」

 「そうですか。これでだめならカレー屋で説明するしかないかと冷や汗モノでした。

わかってくれて何よりです」

 「だって同じじゃないのよ・・・」

 「まぁあれです。

『第二次大戦で、もしもこうしたら日本とドイツは勝てた』的な仮想戦記は、最終的にイタリアの悪口になってしまうのでその辺にしておきましょう。

イタリアの軍の弱さは第一次大戦の頃からの伝統ですからどーしようもないのです。

ドイツもイタリアの弱さは知っていましたが、あそこまで酷いとは、ドイツの科学力をもってしても予想することは不可能だったのです。

『世界一の腰抜け』と世界中から笑いものにされたイタリアとの同盟が、ドイツと日本の最大の敗因と言っても過言ではありません。

というわけで第二次大戦最大で得た最大の教訓は、

次にやるときはイタ公抜きで

ということになりますね」

 「・・・・。いいのかなぁ、そんな結論で・・・」

 「あくまで私見ですから。

日本が悪かった、以上で終わっている人たちよりはよっぽどいいと思ってますよ。

さて、書くのが疲れたのでここらで休憩です。何か質問は?」

 「はーい! 小林よしのりにかなり毒されてるともっぱらの評判だと”思う”んですけど、実際はどうなんです?」

 「『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりも第二次大戦について似たようなこと言ってましたね。つい最近見ましたよ。どうやら一部の人から小林よしのりは危険人物とか言われてますが、そんなに危険なこと言ってますか、あの人?

だって言ってることって普通の意見だし

 「え? そ、そーなの?」

 「だってホラ、やっこさんは、次にやるときはイタ公抜きでとか言ってないじゃない」

 「それはドイツ好きの言うことでしょ? 第一珍しくもなんともないわ」

 「それに言ってることは自分たちの祖父や曽祖父は愛国心に溢れたいい人たちだったってことだろ?

 自分の先祖が勇敢だったって話はどこの国でも言ってるぜ。

まさか自分たちの先祖がアホとか言われて喜ぶやつはいねぇだろ。

誰だって『自分たちの先祖は勇敢で優秀だった』と思いたいさ」

 「あと悪いのは白人ってのも、非白人国家ならどこの国でも言ってるわよね。

っていうかあんなの他の国に比べれば生ぬるいし。言ってないのは日本だけ

中東じゃ今だに『鬼畜米英』の大合唱中よ」

 「日本の常識は世界の非常識って言ってな。

日本は世界からキチガイだと思われてるんだよ。まあ無理もないがな」

 「じゃ、じゃあやばい人ってのは?」

 「んなもん決まってんじゃねえか、なぁ?」

 「ねえ」

  「アカと組んでアメリカを倒そうって言ってるやつ

 「いくらアメリカが嫌いだからといってアカと手を組むのは自殺行為だ。

一体何を血迷っているのか知らんが、これだけは断言できる。

国が滅びる最悪のシナリオだ」

 「うーん、さっきもアカとか言ってたけど、共産主義ってなんでそんなに危険なの? だって話を聞く限り、別に問題はないような気がするんだけど・・・・」

 「それについては次回で話すことにします。いよいよ歴史の流れの終盤、冷戦とその後です。

歴史を学ぶ上でもっとも大切なのは20世紀後半からなので、退屈な話かもしれませんができれば読んで欲しいものです。

では休み時間です」

 

 

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