朝日新聞よ、時の空気でメシを食うな
?b インタビュアーは饒舌であってはいけないのですが、最初だけちょっとしゃべらせて下さい。
西村 どうぞ。
?b 正直にいいまして、西村(眞悟)さんが防衛政務次官になったと聞いて驚きました。小渕(恵三)首相は「政務次官人事まで見る」と公言していましたから、よけいびっくりしました。
そのとき、あ、西村さんは「第二の中川昭一」になるな、という予感めいたものがありました。昨年七月、中川さんが小渕内閣の農水相に就任したとき、ご存じのように朝日新聞の中川バッシングは凄まじかったでしょう(本誌平成十年十月号拙稿「朝日新聞よ、中川農水相と慰安婦問題をもてあそぶな」参照。あまりにも事例が似ているので、今回のタイトルもそれに似せた)。
中川さんは歴史認識で、西村さんは防衛認識で、朝日にとっては“天敵”のような存在ですから。で、十月六日付の朝日新聞の社説を見て、これは間違いなく犠牲者になる、と確信しました。
西村 私も朝日の社説を見て、驚きました。閣僚をさしおいて、しかも三十数名の政務次官のいる中で私のみ個人名を挙げられている。
?b 社説の結び「尖閣諸島に上陸し、物議をかもした西村真悟の防衛政務次官への起用など、理解に苦しむ人選もある」を見て、これは西村さんへの宣戦布告だな、と思いました。ま、社説に政務次官が登場するのは三十年に一度ていどの確率でしょうから、破格の待遇です。
今日(十月二十一日)の夕刊フジに「先週半ば、西村氏の支持者らの関係する集まりの席で、取材中の朝日記者が支持者に対し、『過去の言動から、西村氏が日本のためにならない意見を持っていると思っている。そのうち自滅するだろうが、こちらからも積極的に仕掛けをする』と宣戦布告をしてきていたという」という記事が出ていました。
さもありなん、という感じです。
さて朝日は、問題の西村インタビュアー掲載の週刊プレイボーイが発売された当日の夕刊で大きく報道します。この手回しの良さは、朝日記者の中に熱烈な週刊プレイボーイ愛読者がいたということでしょうか(笑い)。
それにしても短時間のうちに中国、韓国、広島、長崎と例によって幅広い取材でした。例によって韓国の東亜日報は朝刊早版一面で大きく伝えたそうです。当然、朝日との連携プレーでしょう。
たかが政務次官、といってはお叱りを受けるかもしれませんが、これほどの大報道で一政務次官が紙面を飾ったのは前代未聞といえます
西村 何か異様さを感じました。
現実を直視せよ
?b 防衛政務次官のご指名を受けた時の感想をお聞かせ下さい。
西村 今、編集長が言われたように、私も意外でした。その半面、任命いただいた小渕総理、そしてこの内閣に対して忠誠を誓ったものでございます。小渕総理は外務大臣の時から予算委員会での私の質問を目のあたりに見ておられる方でした。小渕総理の進めた地雷全面禁止条約に対して私も予算委員会で全面的な反論を行ったわけです。
推薦していただいた小沢(一郎)党首と任命していただいた内閣総理大臣、またその内閣に意外性と共に私は忠誠を誓ったというのが当日の心境です。
?b 昨日、辞任されて、反応のほうはいかがです?
西村 私の事務所に昨日(十月二十日)一日でファックスや電話が五百件を超えました。党派が社民党的または共産党的な方からの抗議文が若干まいりました。文章はみな同じですから、一つの組織から出たものだと思います。ほかは励まし、激励です。今日も朝からどんどん来ています。
《西村眞悟氏は自由党所属の衆議院 議員(大阪十七区)。昭和二十三年(一九四八年)七月七日、堺市で生まれた。京都大学法学部卒。弁護士。平成五年七月の衆院選で民社党から出馬し初当選。現在二期目。著書に『誰か祖国を思わざる』などがある。父親の故・西村栄一氏は民社党第二代委員長。昭和二十八年、吉田茂首相を怒らせて「バカヤロー解散」に追い込んだ張本人である。その父親は、「政治家は赤貧に甘んじねばならない」という生き方を通した。西村氏もお茶漬けとたくあんがあれば十分という》
?b 「週刊プレイボーイ」のインタビューは相当短縮されていると思いますが。
西村 約二時間のインタビューでしたが、誌面ではかなり要約されています。インタビューの場合、要約されるのは当たり前ですし、あの記事についてここが間違いだという部分はないんです。
?b ただ、言葉が西村さんらしいといえば、らしいけれど、ちょっと粗雑でしたね。「核とは『抑止力』なんですよ。強姦(ごうかん)しても何にも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。けど、罰の抑止力があるからそうならない」。まともな話なのに、たとえがよろしくない。
西村 それは反省しています。ただし、ものごとを直接的に表現することを避けて通っては国防はできないと思います。 たしかに強姦という言葉は不適切だったと思います。どうしてその言葉が出てきたかといえば、あなた方マスコミはコソボ、ユーゴスラビアで民族浄化という点できれいな言葉で流している。しかし民族浄化の実態は何なのか。今現在世界で起こっている実態を見てみれば、具体的にわれわれはこういう事態を避けるために国防というものを考えねばならないことがわかるではないか。
ということで議論を進めたわけです。民族浄化の実態は明らかに強姦です。われわれ日本民族が存続するためには女性を守らねばならない。女性さえ守れば、われわれ民族は存続できるわけです。女性こそ国防に関心を持たねばならない。なぜなら女性が産んだその息子が一旦緩急があれば戦う立場に立つわけです。
不適切な言葉については反省しておりますが、私の真意を少し聞いて下さい。 たとえば防衛出動というのは、きれいごとのように見えます。しかし、その実態は何かといえば、攻め込んでくる敵を撃破し、殺りくし、殱滅する行為ですね。これを国際法上合法的にやれる主体は軍隊しかないわけです。軍隊以外の主体がたとえ防衛のためであれ、敵部隊を殱滅、撃滅、殺りくする行為をすれば、国際法上違反です。
それを命じられた自衛隊は、戦争犯罪人として裁判も受けずに殺されても、わが国は文句が言えない。「政治家としてのライフワークは国軍の創設」といったのは、そういうことからです。国防軍を創設しなければ、防衛出動の時にわが自衛官を国際犯罪人にしてしまう。私のライフワークは、この肝心な部分においてなお正しい。そのために国防省を設置し、国防軍を明確に創設することだといっているわけですね。
それが要約されますと、わがライフワークは国軍の創設であるということになるわけです。
?b 最も問題となった核武装に関する発言、「(インドとパキスタンの関係に関して)核を両方が持った以上、核戦争は起きません。核を持たないところが一番危険なんだ。日本が一番危ない。日本も核武装したほうがええかもわからんということも、国会で検討せなアカンな」というのも、核武装をせよ、と提案しているわけではなく、要するに問題提起なんですね。
西村 日本は唯一の被曝国である。だから核はだめだ。国際平和を希求するということを私も思いますし、わが国の国民はそう思っています。
しかし現実に人民が飢えても、また飢えて死のうとも、核を保有することは国家の威信を高めるという国家がある。これまた現実です。インド、パキスタンの核の保有連鎖、あれはどういう動機で起きたかといえば、わが国は広島・長崎のようになりたくないという動機で起こっているわけです。これもまた現実です。 しからばわが国はインド、パキスタンを非難できるのか。広島・長崎になりたくないから核を保有するという彼らを非難できるのか。顧みれば、わが国はアメリカの核の傘によって冷戦期から今日まで守られてきた。これもまた事実です。 核の傘によって守られることは、つまりインド、パキスタンの言うように核の抑止力によって守られてきたということです。自らを守るものの実態を議論せずして、どうして国防論が成り立つのであろうか。
イソップの物語の中に、自分が身を隠しているぶどうの葉っぱを食べて猟師に射殺された鹿の物語があります。われわれは自分は何によって守られているのか。このことを見つめねばならない。まさしく核の抑止力によって守られているとするならば、われわれは国会において核の持つ抑止力について議論すべき段階に来ている、ということを申し上げました。 小銃一つをとっても、それがどういうものであるか。見て見ぬふりをして訓練をしないというのなら、一人の人間も守ることができないわけです。
クリントン大統領が北京に行って、アメリカに対する中国の大陸間弾道弾の照準をはずすように言ったことは報道されておりません。今、中国の中距離弾道ミサイルは、どこに照準を当てているのか。それは明らかにインド、台湾、日本に照準を当てている。
日本の政治家の中に、「援助している国にミサイルの照準を当ててはならん。これでは日本国民は援助することに納得しない」と発言をした政治家は一人もいない。これもまた事実です。
中国は、日本がTMD(戦域ミサイル防衛)構想研究に着手することに対して非難した。これをいかに国際政治の目で解読するか。中国は純粋な防御的な装置の研究を非難する。つまり中国は日本に照準を当てているミサイルは、発射すれば確実に日本に落ちねばならないと見ている。この現実もわれわれは見なければならない。
?b 中国という国はほんとにムシのいいことをいう。自分のところは核開発に早くから着手しているくせに、他国にその防御策をとらせない。
西村 第三発目の核が日本に落ちることをどうしても許してはならない。そのためにこそ、核に議論をあてねばならない時期に来ている。核の抑止によってわれわれが守られているならば、自らを守るものを議論するのは当然である。
国会で政治家同士の論戦になる次期国会からは、そのことも議論の中に含まれている時が来ている、と問題提起したわけです。
?b 核に関しては、どんな問題提起もどこからか矢が飛んでくる。融通性がないんですよね。
西村さんの辞任の際、小渕首相は所感を発表しましたが、その中に「非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず)については国是として堅持しており、今後とも変わりがない」という言葉があります。辞書を引きますと、「国是」というのは「国家の方針」あるいは「国家行動の基本準則」とあります。なんだか国是イコール憲法のような、がんじがらめの使われ方ですね。
西村 国是といいますが、非核三原則は各内閣が踏襲した政策の基本原則で、決して憲法に相当するようなものではありません。事実、わが国が核保有することは憲法上許されるという政府答弁もまた本日まで生きているわけです。
?b 岸信介首相の答弁ですね(昭和三十四年三月、岸首相は参院予算委員会で「政策として核兵器は保有しないが、憲法としては自衛のための最小限の核兵器を持つことは差し支えない」と答弁)。
西村 ええ。もちろん私は非核三原則の政策をわが内閣も掲げていることはわかっています。私は「非核三原則を撤廃せよ」といったのではなくて、核の抑止力に関して議論しようといった。政策に対する議論を提唱したわけです。
片や、つぎの総選挙で次期内閣総理大臣になるかもしれない野党第一党の党首選挙において徴兵制をいった方がおられる。しかし徴兵制は違憲だといわれているんですね。
第二の「空気」の研究を書いてほしい
?b そういえば鳩山由紀夫さんの憲法改正を含む一連の発言は、民主党内では問題になりましたが、メディアはあまり騒ぎませんでしたね。
西村 鳩山民主党党首は、「こういう発言をする人を任命した小渕総理の責任を追及したい」と述べていました。彼は憲法違反のことを言って、党首になっているわけです。彼は内閣総理大臣になるべく影の内閣をつくり、次の選挙に臨むならば、私は彼に問いかけねばならない。「憲法違反の政策を引き下げて内閣総理大臣になるのか。それとも憲法の解釈を変えると内閣総理大臣として宣言するのか」と。この二つに一つの選択がうやむやになっている。そういう彼は、私を非難することはできない。
村山富市氏のように、自らが内閣総理大臣になれば、百八十度考え方を変えるというやり方もありましょう。けれども、これをやれば国民を裏切ることになる。一体、どうするのか。憲法違反の徴兵制を言って、内閣総理大臣になればそれを捨てるのか、捨てないのか。捨てないとするならば憲法をどうするのか。彼は国民に対してそれを明言しなければならないと思います。
片や、次期内閣総理大臣になられるかもしれない方に、今回のような現象は起こらなかった。片や、私は憲法問題ではなくて政策に対する議論を呼びかけた。それなのに、なぜ私には起こったのか。 山本七平さんのような知性が分析するならば、これは明らかに一つの空気のもたらした現象だと思います。一定の基準があって、それで起こっている非難ではない。山本七平さんは、戦艦大和の出撃を基礎研究としてわが国における「空気」の研究をされましたね。
?b ええ。戦艦大和の出撃を無謀とする人々にはそう断定する細かいデータがあった。だが、大和の出撃を当然とする側にはデータも根拠もない。その正当性の根拠はもっぱら「空気」だった。あらゆる議論は最後には「空気」で決められる、と山本七平さんはするどく指摘しました。
西村 どなたかに第二の「空気」の研究を書いてほしいと思っています。それはわが国にいかに発生するのか。その作用はいかなるものであるか。それを徹底的に分析、検証した論文を期待しています。私自身はこれからもっと、もっと、その論稿の研究対象になるような活動を始めたいと思っています(笑い)。
?b 物言えば唇寒し、内閣に連なる人たちはもうディベート(討論)もできない。ギスギスした雰囲気になってきましたね。
西村 私はこう思っていました。来たるべき国会が政府委員の答弁を排して政治家同士の議論になる。私は政務次官ですから、政府の見解を問われれば言います。説明します。懇切ていねいに。しかし政府の見解を今までのように説明して、それで賛否を決するというなら国会は要らない。国会で議論する必要はないと。 これからの国会はその政府の答弁は答弁として、そこに議論があるだろう。政治家同士の議論を戦わせよう。私はあらゆる政府の政策を説明した上で、「さて、あなたはこれに対していかなる議論をするんですか。それに対して私も反論しますよ」ということになるんですね。
防衛問題というのは抽象的に語られているようですが、必ず事態の想定がある。その想定に対してはこういう防衛政策を取りましょうと出てきます。その中に核の抑止という問題も入る。国防省を創設するのかということもアイデアだということを述べたわけですね。
トイレの中までテレビカメラ
?b 政府メンバーは、憲法や戦争観その他もろもろのタブーにしばられて貝になるしかない。これが賢い処世術、では政府メンバーも小粒になる。小さな政府というわけで(笑い)。
西村 マスコミがあそこまで騒げば、政治家は口をつぐまざるを得ない。今のところ口をつぐんでいないのは小生だけということになりますね。
?b 今回のマスコミの波状攻撃に恐れとか、怒りを感じましたか。
西村 いや、それはありません。私はこれを社会現象として見ておりました。体制としては各省庁に記者クラブ制度があるわけですね。部屋もあるわけですね。だからそこに部屋があって、部屋を利用できるから、そこにいろいろ連絡したり、報告したいことがあれば、それは提供するというのがこの制度の趣旨ですね。
しかし記者クラブは要求するわ、そこから出撃部隊のように内閣総理大臣官邸の廊下にまで記者が満ちあふれて自由に往来するわ、防衛庁の本部の廊下もそうでした。このようななかであの空気が起これば、行政が停滞して廊下が歩けなくなっているわけですから、これは一種の暴力です。
?b う〜ん。
西村 もう官邸の廊下は歩きほうだいですから。そんな国家がほかにあるでしょうか。マスコミが取材をするのは任務ですが、私が属していた行政の世界も、国家のためにそれをたんたんと進めていくという職務がある。
そこには機密もある。連絡すべき人に街角でマイクで叫ぶように結論を言えないわけでしょう。それをマスコミは阻止するわけでしょう。一種の思い上がりというか、あれは病理現象です。身の危険というよりも、なにか人格なき粘土のような壁が行政の部屋に張り付いて、私が歩くこともできないようにしているわけです。
一人ひとりはなにか虚ろな目をしていますね。目が輝いている、これが聞きたいと、政務次官はいかなる討論をしてくるかなという好奇心の目ではなくて、言葉が悪いですけれども、一つの獲物を追いかける、それ以外になんにも見えない者の目ですね。
トイレにも行けないんです。わが省庁(防衛庁)のトイレはご承知のように個室ではない。トイレの中までテレビカメラを抱えて入ってくる。
?b トイレまで。
西村 入ってきますよ。したがってトイレに行けないんです。こういう事態の中に私はおりました。べつに被害者意識で言ってるんじゃないですよ。ああ、この現象というのは面白いな。そうか、この現象が起これば、今までの政治はこう動いてきて、今回もこう動いたんだな、と時には客観的に事象を観察していました。
?b 社会学者のような目で。
西村 私は山本七平さんのような知性はありませんが、著書『「空気」の研究』をもう一度読み直して、その論理を今に当てはめたらどうなるんだろうか、と考えました。
?b 日本の現代史はつねに「その場の空気」という怪物によって形成される、とその本にはありました。
西村 私は辞任報告の記者会見で最後に、「あなた方はいま何で大騒ぎになっているのか。近い将来振り返って、あなた方はどうして廊下に群れ立ってまでも取材していたんだと問われたときに、明確にその動機と自分の行動を説明できなくなりますよ」と申し上げたんですよ。それは『「空気」の研究』を回想して申し上げたことでした。
そういうことを私は懇切ていねいに申し上げたつもりですけれども、今朝は辞任式があって、早朝から動きましたので、あまり新聞を読んでおりませんが、「頭を下げない」「反省してない」というふうな表現が多かったですね。
実は、私は頭を手でかく癖があるんです。カメラマンがパチパチッとシャッターを切るのは、このときなんですね。「なんで君らは僕が頭に手をやるときに写真を撮るんだ」と申し上げたんです。?b 西村さんは京大生のとき、たった一人でヤクザ四人に立ち向かったことがありましたね。
西村 はい。道を歩いておったら、後ろから外車が来ましてクラクションを鳴らしますので、避けたわけです。けれども、「避け方が遅い」といって、外車からヤクザが下りてきて、まあ、若気の至りでけんかになったことがあります。
?b 今回、よくキレませんでしたね。
西村 いや、キレないです。あの現象を前にしたら興味津々、面白いなと。面白いといったら語弊がありますけれども、あ、この現象は何だろうと思いました。
社名とマークを変えたらどうか
?b 大新聞社に大々的に報道されて。在任十六日間とはいえ、半年分の体験ですよ。
西村 考えてみれば、戦前、大東亜共栄圏を進軍、進軍と一番過激に言っていたのがあの新聞ですよ。あの新聞の旗は戦前のままですな。軍艦旗と同じようなマークですね。あの新聞は戦前戦後を通じて変わらないんです。
今は反対の空気の下に、西村が悪いと、西村は謝らないと。一政務次官のために第一面を使って全国に展開しましたけれども、戦前も同じように斉藤隆夫を非難した。斉藤隆夫が反軍演説を、いわゆる戦争目的を具体的に示せというふうなことを言ったことを非難して、斉藤隆夫を議員除名まで報道したのはあの新聞です。あの新聞が国民を煽ることによって、多くの兵士たちが死んだことも事実です。 私は山本七平さんの「空気」の研究をいつも念頭において対処していましたから、朝日新聞の行動が戦前戦後一貫していることをよく理解できました。
?b 一貫しているというのは、ある意味では見上げたことです。
西村 変わっているようで、全然変わっていない。時の空気に乗るんです。戦前の空気は「支那に行け」と。今の空気は「反戦平和」ですよ。反戦平和で国が守られるかといったら、自衛隊は要らない。私は自衛隊は要るという前提でしょう。だから私をターゲットにしている。
?b 時の空気に乗る。巧みな処世術ですね。その朝日にしてやられましたね。
西村 いやいや、そうは思わない。
戦前戦後を通じて空気に乗る。戦前は大陸に進出することの空気を流し続けた。戦後はほんとに国防のこと、国民を守ることについてそれを非難する空気に合わすことだという空気がまだわが国にある。戦前戦後の空気が終わったときに、初めて理性的な国防論が展開できるという思いですから、朝日ごときにやられたとは思いません。
このレールは、朝日ごときがつくったんじゃないです。朝日はつくられた空気に乗っているんです。作られた空気でメシを食っているんです。よく「商業左翼」という言葉がありますね。つくられた空気に乗ってメシを食う新聞社が戦前にもいたし、戦後にもその空気に乗ってメシを食う新聞社がいる。これが戦前戦後共通して朝日新聞であったということです。朝日新聞の戦前の記事は点検してしかるべきでしょうね。
かの新聞は、戦前は軍国主義をあおった。その同じ社旗、会社のマークを毎日、新聞一面に掲載しています。そして今は、日の丸は戦前のいまわしい記憶を呼び起こすとか言うとるわけでしょう。それより自ら会社の名前と会社のマークを変えたらどうですか。
朝日は変えたと。「戦前はあんなことをしてすまなかった。朝日の名前と朝日のマークがあれば、戦前のいまわしい記憶を呼び起こすことになるので、私たちは変えましたと。だから日の丸はいかんのです」という論拠を展開したらいかがですか。
朝日新聞に、そう申し上げたい。