[ナナメ目線! ジャパコリアン Vol.7]
幼少期を日本で過ごし、今では日韓を股にかけるイケメン企業家の韓国人・具(Gu)。両国で過ごす中で培われたバランスのとれた視野と豊かな感性を持ち、両国の言葉を巧みに話すクレバーな彼ですが、はたして日韓をどう見ているのでしょうか。

前編に続き、今回も私の韓国での兵役話をしていこう。

5才から小学校3年生までを日本で過ごし、それから韓国で高校を卒業、大学からまた日本に戻った私。当時出版社の仕事も順調だった私にとって、このタイミングでの入隊はまさに青天の霹靂(へきれき)だった。

どうにかいい方法はないかと、キャリアへのダメージを最大限減らすため諜報部隊へ志願したまではいいが、部隊に関する情報がまったく集まらないのが問題だった。諜報部隊は秘密が多く、私自身も兵役を終えた知り合いもほとんどいなかったため、部隊で一体どのような生活を送ることになるのかさっぱりわからなかった。

防衛省のホームページに掲載された募集要項以外の情報は都市伝説のようなもので、「私服で勤務するらしい」「毎週のように外泊があるらしい」「2~3人部屋でベッド生活らしい」などかなりスペシャルなものばかりだった。結論からいうとそれらはすべて嘘だったのだが。

とにかく結局私はどのような部隊かほとんど知らないまま試験を受けることになった。私が志願したのは日本語を扱う部署。当然、日本語の試験だった。一般公募はこれが初めてだったため過去問のようなものも存在しない。ほとんど準備もできなかった。

初めての一般公募で、書類審査があったのにも関わらず、試験場には日本語の志願生だけで200人もいた。採用人数は「若干名」だったはず。競争率はかなり厳しい。

試験は基礎力測定・翻訳・通訳・面接の5段階に分けて行われた。量が多く、試験時間も長かったため午前から午後5時くらいまでみっちり拘束されクタクタになった記憶がある。難易度はそこそこ高く、特に翻訳の試験は、日本の『防衛白書』と韓国の『国防白書』から抜粋したと思われるお固い文章が、A4両面にびっしりと書かれてあり、それを韓国語と日本語に翻訳するという内容だった。

結果は合格。このとき採用されたのは私を含め3名だった。合格通知が来てからはあっという間だった。入隊日が決まり、ブートキャンプに入れられ、5週間みっちり基礎訓練を叩き込まれた。そして気がついたらソウルに移送されたのだ。

部隊がソウルのど真ん中にあるということも、このとき初めて知った。バスで移送される間、外の景色が見慣れた景色で、何度も来ていた町であることに驚いた。こんな場所に部隊があっただなんて。

部隊に到着し、試験に合格した同期らと共に地下バンカーに案内された。まるで収容所のような場所だった。しかしまさにここが2年間の仕事場であることをそのときは思いもしなかった。宿舎と部署が決まり、各部署のリーダーである「分隊長」にゆだねられた。

そして諜報部隊での1日目が始まろうとしていた。(ライター/ 具 滋宣)
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 【具 滋宣(Shigenobu Gu)のプロフィール】
 ソウル生まれ筑波育ちの編集ライター。
 早稲田大学商学部卒。日本の出版社勤務を経てフリーに。

 元韓国諜報部隊研究員やロックミュージシャンという異色の経歴を持つ。
 現在は日本と韓国で2つの株式会社の代表を務める。
 無類のバイリンガル。1981年生まれの蟹座。

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※ジャパコリアン(日韓の事情に精通し、両国に対して客観的で平等な価値観を持つ韓国人のこと。通称ジャコリンともジャパリンと呼ばれて日韓で愛される日も遠くないはずだ。逆はコリパニーズなど/ Pouch造語)

※「ナナメ目線!ジャパコリアン」は毎週木曜更新!

photo by flickr Visionstyler-Press(写真はソウル市内)

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