スポンサーサイト
お知らせとお願い
わたくし、長生きしたいので、この際検査入院に挑みます。
ので、一週間ほどブログをお留守いたします。
しかしながら!まったく更新なくとも、まったくポチ返しなくとも、
皆,皆様方には、広島ブログの【ランキングのポチ】 だけは
←←←続けてのポチを、切に切にお願い申し上げたく存じます。
復帰のあかつきに、順位がズっドーン! と下がってたら、自殺するかも私です・・
それでは皆様! 一週間後に!!! また!!!
チャオ~♪
N・Y簡易火葬場 広島市安佐南区
広島市安佐南区のMY火葬場への林道。
林道口から火葬場までは意外に距離がある。
この日は積雪のため、麓から徒歩で登った。
途中、道が二手に分かれる所に井戸あり。
一方の道を進めば共同墓地があり、
墓参用のための井戸みたいだ。
ようやく火葬場が見えてきた。
溝堀式の旧式火葬炉(釜)である。
定期的に管理されているようだが、
近年、火葬が行われた形跡はない。
この火葬場を所有する集落の方の大半は、おそらく
最新設備の市営火葬場を利用していると思うが、
中には生まれ育った土地での火葬を望む人もいるようで、
そのために維持管理されているように考える。
なお
ここは二年以上前に、読者から正確な情報を戴いての上で訪ねた。
そうでなければこの火葬場の存在は知らないままであっただろう。
太田川中流域 広島市安佐北区可部町~安佐町
広島市安佐北区可部町は大野、中河内周辺の地形図。
大野集落に架かる共栄橋。昭和37年竣工。
太田川対岸から見る大野集落。
明治末期の記録では戸数36とあるが
現在もさしたる減少はない様子だ。
集落内唯一の商店、久保商店。
かつてこの商店の前にJR可部線の安芸亀山駅があった。
JR可部線は可部駅より以北の路線が廃止となり、
現在、大野周辺の鉄路は太田川護岸嵩上げ工事に伴い、
車道として改修され、安芸亀山駅の跡形はほぼ消滅した。
JR可部線・大野トンネル。
現在、
大野トンネルの向こう側では新たな道路建設が行われており、
この伐採具合から推するに、
おそらく近々、山は切り崩されトンネルも破壊される運命なのであろう。
(当ブログの過去記事 → 大野トンネル を参照下さい)
実は・・・
私の小学校時代、クラス担任の先生がこの大野に住まれていた。
で、
夏休みにクラスのみんなと可部線に乗って先生の家に遊びに行った思い出がある。
汽車が安芸亀山駅に着くと、先生とそのご両親がニコニコと出迎えてくれていた。
先生のお父さんが私達を裏山に連れて登り、色んな草花の名前を教えたり、
昆虫を捕ったり、遊び相手になってくれた。
みんなすぐに慕って「おじいちゃん!おじいちゃん!」 と呼んだ。
昼メシは先生宅に負担をかけまいと、各自が米一合とボンカレーを持参した。
それをおばあちゃんが支度して下さり、庭に茣蓙を敷いてみんなでホクホク食った。
現代の若い諸君は笑うかも知れないが、その時代、ボンカレーは贅沢品であって、
ボンカレー代を捻出できない家庭の子もいて、みんなで小銭出し合ってカバーしたんだぞ!?
午後からは先生引率のもと、
大野集落から800メートルばかり上流の、
中河内集落まで二列縦隊で行進し、
集落はずれの、ちょうどこの辺りで泳いで遊んだ。
この辺りの岸辺には昭和37年に廃校となった「川手小学校」 があった。
左上の白い建物の所に小さな木造校舎があった。
中央に見える石段は、昭和12年に移設されてきた 「中河内渡し」、
つまり、太田川渡し舟の船着場に下るためのものであった。
ここは遊泳に適している場所であったので、しばらくの間、廃校舎は
遊泳客の脱衣所や休憩所として開放されていた。
川手小学校跡地。
校舎は亀山消防団中河内分団の倉庫に建て替わっているが、
校門は今も保存されている。
川遊びの最中、おじいちゃんがスイカを持ってきてくれて、
この小さな校庭で、みんなで車座になってシャギシャギ食ったなあ。
お互いの顔めがけて種を飛ばし合いながら。
中河内の可部線跡。
私は小学校卒業してまもなく転居したので、
小学校時代の仲間たちとは全く縁が途絶えている。
でも、
できるなら小さな校庭でスイカを食った仲間たちにもう一度会いたい。
高校1年の真夏、(自転車の→)ロードトレーニング中に、ふと
先生に会いたくなって大野集落に寄ったことがあった。
道端に一人小学生が佇んでいたので
「○○先生は今、家におってみたいかのう?」 と聞けば、
「先生はもうおらん。大阪に嫁にいったけんおらん」 と答えた。
「えっ!?」 絶句したまま少年の額の汗の粒を見つめるばかりの私だった。
さて、
中河内集落から更に上流に進むと
可部町の最西端に位置する姫瀬という集落があり、
その先、境界を越えて安佐町に入ったところに、
大きな赤い橋がある。
壬辰橋と書いて「じんしんばし」 と読む。
壬辰橋から右岸を進むと安佐トンネルに行くが、
その途中に車止めがある。
ここではかつてこのような事件があった。
【養父を焼き殺す】
油かけ…32歳養女逮捕
広島市安佐北区の県道の路肩で同市の無職古■敏之さん(57)が
焼死体で見つかった事件で広島県警捜査1課と可部署は4月9日未明、
殺人の疑いで古■さんの養女、古■■子容疑者(32)を逮捕した。
これまでの調べで、■子容疑者は古■さんとの間に金銭トラブルが
あったことをほのめかす供述をしているといい同課などは動機を追及。
■子容疑者は4月8日未明、広島市安佐北区の路上に止めた車の中で、
古■さんに睡眠薬のようなものを飲ませた後、路上に引きずり出し、
灯油のようなものをかけ火をつけ殺害した疑い。
私、この事件の被害者加害者、両方とも顔は知ってたんですよね。
だからこの事件の報道をテレビで見てて、二人の写真が映った時は、
「あっ…」 と声を発しました。
私が30代のとき、
好んで繁華街の裏の裏通りで飲み歩いてた時期がありましてね、
あまり一般の方が歩かない、おばちゃん客引きが立ってる通りの、
更に奥ばった場所の、得体の知れない男どもや客引きや売春婦が
集う飲み屋に入り浸ってました。(昔の地名でいう東遊郭って辺り)
この界隈では、
あのタクシー運転手四連続殺人事件の犯人、H氏もちょくちょく見かけましたね。
タクシー路駐して制服姿で堂々とビール飲んで、ホルモンてんぷら食ってました。
売春婦たちの間ではとても顔が広い様子で、店内では誰かれなく話しかけてる、
気さくというか軽~い感じの饒舌な人でした。
あっ、これって別にDQN独白でもなんでもありませんよ。
今も昔も超カタギですよ、私は。好奇心強さが上の、
単に昭和臭な遊郭街の、場末の雰囲気を味わってみたかっただけですよ。
で、まあ、被害者の古■敏之氏も、時たまそういった店屋や街角で見かけてました。
とどのつまり、古■敏之氏は客引きを生業としてました。
古■敏之氏は元来無口でおとなしく、他客と多く語ることもなく、酒も飲まないで、
黙々とうどんをすすってフラリと店を出て行く、客引きに向いていない人でした。
しかし、どうやら、古■敏之氏は私の顔を知り覚えた様子で、
古■敏之氏が身を隠すように立っている自販機の前を通ると必ず、
ヌーっと出てきて、「お兄さん、遊んでいかない?」 と声掛けするのです。
無論私は、「ぼくはホモだから女は結構です」とか、少々ジョークを絡めてお断り。
すると古■敏之氏は「そうなん・・」 と、あっさり自販機の陰に後退していたのでした。
しかし一度だけ、ある日の古■敏之氏は結構食い下がってきました。
「今日だけはワシの顔を立てて遊んでってくれんか?頼むけん!」と。
「じゃったらどんな女か見せてくれ。それ次第じゃ。」 と答えました。
すぐさま古■敏之氏は携帯で「女」を呼びました。すぐに来ました。
その「女」がすなわち、古■■子容疑者だったわけです。
そういう事があって一ヶ月後くらいでしたかね、事件が発生したの。
のちのち、
客引きおばちゃんたちの話を、私なりにまとめてみると、
古■■子容疑者は大朝町在住の主婦で、こづかい稼ぎに
週3~4日ほど弥生町に来ていた。
古■敏之氏専属の売春婦というわけではなかったが、
大体が古■敏之氏を通しての仕事が多かった。
全く身寄りのない古■敏之氏に目を付けて養子縁組を結び、
わずかな生命保険をかけ殺害に及んだということ。だろう。
おいコラ!太田川をナメんなよ!
↑
意味不ですよねw