September 08(Sat), 2012
■[Web]インターネットでは、僕がうさぎだってことは、誰にもわからない。

以下、ごらんになった方によっては意味不明の文章となりますことをご容赦ください。
きつい表現などもございますため、スルーなさってくださいますと助かります。
たまたま調べ物の関係で、以前まで親交のあった方のツイートをお読みしました。
whotwiWhiTwiというアプリがございまして、ちょっとした調べ物をした、ついででした。
このアプリケーションは鍵付きのアカウントでも直近50件ほどのTL発言が追えるようになっております。(完璧に鍵付きのアカウントでは一部、追えないものもあります*1)
全体的にご自分が絶対に正しいというご意見が多いなというのが率直なご感想でした。また、ご自身が劣るとカテゴライズした者は全て見下したがっている気がしました。
その方と一緒に寄稿させて頂きました同人誌が出たこともあり、相当ナーバスになってらっしゃるんだろうなということが推測できました。
自分はTwitterを退会しましたので見る事はほとんどなかったのですが、見ればわかる、ある意味では個人特定も可能な愚痴をしてらっしゃいました。
鍵付きとはいえ発言は、見えるアカウントでお話をされておりますので、こちらもプライバシーに抵触しない範囲で書かせて頂きます。
以前、そのある方が参加してらっしゃった切り絵の展示に行ったことがあります。
わたしからすると、スタッフの方と、その方が参加しているのならば、設営とか大変だろうしお菓子などで差し入れをしたい気分はありました。
お葉書は頂きましたが、その方もスタッフとして参加しているのでは、と考えていたからです。
結果的に、べつにその方はスタッフではなかったのですが、そこまでは知らなかった上に、色々設営などご準備してくださった方に差し入れはするべきではないかと思ったからです*2。
ただ、その方にとっては、それは単なるわたしの愚かしい行動であった、とツイートされていました。
展示会と聞いておりましたので、一応にも差し入れが必要かと思い、気をまわさせて頂いたのですが、それが「愚か」というのが、理解できません。
それとも、関東と関西では、展覧会の文化もちがうんですかね(苦笑)?
他の発言もお読みしまして、こういうビョーキじみた、痛い人はわたしは切ってきた、だから問題ないし、楽しくて、スッキリしてる。と、いうような事が書いてありました。
言いたいことはわかります。
嫌いなひとなんて、誰だって遠ざかりたものです。
この方曰く、ビョーキ(笑)ならばなおさらでしょう。
その場その場で切り捨てていければこれほど楽な事はないわけですしストレスもたまりません。
むしろ、ほんとうに楽になったのであれば、わざわざネット上で自己主張するほどのことでも無い気も、しますが。
相手を勝手に、対話も突き詰めずビョーキと決めつける。
そこに意味を得て楽になる。
考え続ける苦しみから逃れられる。
この前までは笑いあえていた友人だったはずなのに、相手が自分の思い通りにならないと、他人の事をもビョーキだ、だからあいつは人の話を聞いていない、愚かな人間だ、と決めつけている発言や態度に、わたしは一種の危うさを感じます。
本当に、他人は、あなたの話を「聞いていない」のでしょうか。
誰が、あなたを劣った存在だと「言っている」のでしょうか?
すれ違っているだけならば、なぜ争いの姿勢を取るのではなく
その問題点に、目を向けないのでしょうか?
問題点が解決できれば、また、笑い合って話せるんじゃないか。
そう思って、仲違いをする以前わたしはこの方に言葉を繰っていました。
もう一件、わたしが過去の依頼しました作品につきましても書かれておりました。
わたしが依頼しました作品は、ビルドスクラップ(苦笑)された上、どうやら別の作品としてご使用される模様でした。
わたしはこの方を信頼していました。
凡百の市販のウェルカムボードがあふれる中で、この方とその絵柄が好きだったのです。
所有権はもちろんこの方にございますが、書くべきことかどうなのか。
一応、結婚式で使うためにきちんとオーダーさせて頂いたものだったのですが、頼んだ側の事情、および仕事のオーダーは無視されていらっしゃる、という事で判断させて頂きました。
前述の理由から、依頼を受けた際のプロ意識にも問題を感じましたため、この方につきましては、一切仕事に関する依頼は致しませんことを、この場を借りまして申し上げたいと思います。
(ご連絡が必要でしたら、後日必ずご連絡を差し上げますため、お手数ですがコメント欄にてお知らせください)
Twitterでは嫌いな人が居ても、すぐに切り捨てることができます。
そういうシステムだし、自分もそうしなかったことがあったか、というと否とは言えない。
嫌な人間が居ても、対話や謝罪を放棄して嫌な方を捨てていくのは、使う側の自由です。
使い捨てた中に本当に、自分のことを友人だと思っていた人が居たとしても、悲しいですがそれも使う側の自由です。
厳しいことを書いていますが、わたしは、やはり、この方が好きでしたし、お友達として尊重していました。
力及ばず、期待には添えませんでしたが、お友達であったことには代わりがなかったと思います。
こういった結果に終わってしまったことは、とても、悲しかったです。
この方が記録し続けている発言は、いつかは、この方自身を追い詰めてしまう気がします。
自分が自分自身にそう思うことではなく、Twitterに投稿したくなった文章を、そのまま自分の意識だと思ってしまう。Twitterにはそういった危うい面があります。
でも、もう、ここでわたしが何を話しても、届かないと思います。
この方がどのようなつきあいかたや、見方をされようとも、それは、この方自身が選ばれた道です。
他人を呪うのも、世界を嫌うのも、あり方を決めるのは自分です。
だから、わたしもわたしの道を歩みます。
願わくば、あなたの周囲に笑顔のあらんことを。