迷走する人口カバー率 ユーザー不在の「99%」競争
新たなネットワークと聞いて気になるのは「電波が届くエリアはどこまでか」「自分が住む町はサービス圏内に入っているのか」という点だ。サービスエリアの広がりを示す指標として「人口カバー率」という数値がよく使われる。各社の広告やパンフレットなどでも「人口カバー率99%だから、幅広いエリアで使える」といったうたい文句を目にする機会が多い。
ところが、この数字は実際のエリアを反映しているとはいえない。ユーザーの利便性よりも、書類上の「数字」を高めるための基地局建設を優先するなど、本末転倒の動きが出ている。
■KDDIの新サービス用電波、京都市は「書類上圏外」
「当社が総務省に提出した1.5GHz帯の基地局の開設計画では、京都市をサービス圏内に含めなかった。膨大なコストをかけて見かけ上の人口カバー率を高めるより、本当に必要なところに基地局を建てる方が良い」――。KDDIの田中孝司社長はこう打ち明ける。
KDDIは12年秋にも新たな高速携帯通信サービスを始める計画だ。NTTドコモの「Xi」(クロッシィ)と同じLTE方式を採用し、KDDIの3Gサービスの約8倍にあたる下り最大75Mbpsの通信速度を実現する。同社はこのサービスに向け、800MHz帯と2GHz帯の2種類の電波で全国ネットワークを構築。さらにユーザーの多い大都市圏では1.5GHz帯の電波も使えるようにするなど、数千万人のユーザーが高速・大容量の通信をしても耐えられるネットワークの準備に余念がない。
全国で7位、147万人の人口を抱える京都市は、もちろんKDDIにとって重要な都市の一つ。1.5GHz帯の基地局も整備予定だ。それなのになぜ、総務省への提出書類では「圏外」となったのか。背景にあるのは、人口カバー率の算出式が抱える矛盾だ。
通信各社は新規の電波の割り当てを総務省に申請する際、「開設計画」の書類を提出する。将来、そのネットワークがどの程度利用される見込みかを示すためで、その中で「人口カバー率」と呼ぶ指標を用いる。
後述するが、人口カバー率の算出方法にはいくつかある。毎回の割り当て申請受け付けごとに総務省が定めることになっているが、基本的に「以前から、ほぼ同じ基準を踏襲」(総務省移動通信課の田原康生課長)しており、事実上の「総務省基準」として携帯業界の共通指標となっている。
常識的に「人口カバー率」と聞けば、「そのエリアで通信サービスを受けられる人口の比率」と解釈できるが、実際に各世帯に電波が届いているか否かを反映したものではない。
仕組みはこうだ。全国の各市町村(東京都区部は各区)の役所・役場と支所、出張所に電波が届いているかどうかで判断する。つまり、市町村内のこれらの庁舎の全てに電波が届いていれば、その市町村の全域に電波が行き渡っているとみなし、各市町村の常住人口を「圏内」の人口としてカウントする。
一方、1カ所でも電波の届かない庁舎があれば、その市町村は全域が「圏外」であるとみなす。このように「すべて圏内」か「すべて圏外」とみなす、両極端な集計方法となっているのだ。
京都市のケースでは、05年4月に旧京北町(現在は右京区)を合併したことが問題の発端となった。
旧京北町は京都市の北西に位置し、面積は217平方キロメートルで合併前の旧京都市(610平方キロメートル)の約3分の1。一方、合併時点の人口は旧京都市の147万人に対し、旧京北町は6200人にすぎない。1平方キロメートル当たりの人口密度は、旧京都市が2405人、旧京北町が29人と大きな開きがあり、旧京北町は1970年に国から過疎地域の指定を受けている。
■「平成の大合併」で思わぬ余波、旧町役場の庁舎をカバーできず
旧京北町役場は合併後、京都市右京区京北出張所として、京都市の庁舎の1つとなった。合併後に総務省から割り当てを受けた電波について、人口カバー率の算定に際し京都市全域を「圏内」にするには、京北出張所付近にも基地局を新設する必要がある。人口147万人の京都市は、全国ベースの人口カバー率で1.2%に相当する。KDDIをはじめ、競合他社との激しい競争にさらされている携帯各社にとって無視できない値だ。
ところが右京区役所と京北出張所は、同じ区でありながら国道を経由して26キロメートルも離れている。大阪駅から六甲道駅(神戸市灘区)、関東でいえば東京駅から東神奈川駅(横浜市神奈川区)に匹敵する距離だ。一般に、高層ビルなどがない郊外で携帯電話の基地局を建設するには、簡易型基地局でも1000万~2000万円の費用が必要。これとは別に、道路沿いの電柱に中継回線用のケーブルを敷設するには、1キロメートル当たり100万~200万円かかるといわれる。
それでもKDDIは、現行の3G回線では「100kbpsクラスの専用線を10本敷設し、旧京北町に基地局を新設した」(田中社長)ことによって、京都市全域を書類上「圏内」にできた。
しかし、次世代のLTEサービス向けとして使う1.5GHz帯の基地局を建てるには、より高速な中継回線が必要でコストが跳ね上がる。投資に見合った利用が見込めれば検討の余地もあるが、人口密度の低さを考えると、京都市全域が書類上「圏外」扱いになるとしても、旧京北町にLTE基地局を建てるのは断念せざるを得なかったという。
いわゆる「平成の大合併」により、1999年に3232あった市町村は、2012年7月時点で1719とほぼ半減。旧京都市と旧京北町のように、市町村の広域化が人口カバー率に影響し、携帯各社が細い専用線や衛星回線で簡易基地局を建ててしのぐといったケースは全国で相次いでいる。
もちろん、これまで電波の空白地帯だった過疎地に基地局が整備されること自体は歓迎すべきことだ。しかし、その動機は必ずしも通信インフラの地域格差の解消や災害対策だけではない。見かけ上の人口カバー率を上げるために、混み合っている大都市の中心部ではなく、本来は優先度の低い地区にあえて基地局を建てる経営判断をせざるを得ず、逆に人口カバー率を無理に上げる必然性がないとなれば、そうした地区はずっと後まで放置される。人口カバー率という指標1つに携帯事業者が振り回され、その影響は「携帯電話を使いたいと思う場所で、適切につながらない」という形でユーザーにも及んでいる。
人口カバー率の算定式の問題はこれだけではない。算定に使われる「人口」は、国勢調査の常住人口、すなわち夜間人口である。東京や大阪などの都心部は昼間人口が夜間人口の3倍以上あり、東京都千代田区のように17倍に上るところもあるが、そうした昼間の過密状態は人口カバー率では考慮されない。多くの人が集まる駅や地下街なども集計の対象外だ。結果として、人口カバー率とユーザーの体感的なエリアの広さとの間にずれが生じ、それはどんどん広がってしまう。
■消えた「実人口カバー率」
NTTドコモやKDDI、ソフトバンクモバイルなど既存の大手通信事業者であれば、基地局やそこにつながる中継回線が簡易なものであっても、とりあえず「力技」で地方に基地局を建ててしまえば広域のネットワークを構築できた。しかし、ここ数年で新規参入した通信事業者は大都市のネットワーク構築を優先せざるを得ず、地方まで網羅するには時間がかかる。
こうした新規の事業者は数十Mbpsといった最新の高速通信サービスを売り物にしているだけに、速度の遅い簡易的な中継回線を使うわけにもいかず、難易度はいっそう高まる。そこで新規参入組は、総務省基準の人口カバー率の代わりに、独自の指標を使うことを考えた。
先駆けとなったのはイー・アクセスだ。同社は07年3月の新規参入時から、独自の指標で人口カバー率を算出してきた。具体的には、市街地では「丁目」、町村部では「字」ごとに、面積比で何%のエリアに電波が届いているかをシミュレーションするソフトを使って解析。それぞれの丁目、字の人口に、面積ベースのカバー率を掛け合わせることで、各エリアのカバー人口を算出。これを全国規模で積み上げている。
モバイルWiMAX(ワイマックス)方式の高速データ通信サービスを展開している、KDDI系のUQコミュニケーションズも独自方式だ。同社は日本全土を100メートル四方のメッシュ状に区切り、イー・アクセスと同様に各メッシュごとに電波が届いているか否かをシミュレーターで判定。10年8月から「実人口カバー率」として対外的にアピールしている。最近では親会社のKDDIも、UQの回線を借り受けて提供しているWiMAXサービスと、12年秋に商用サービス開始予定のLTEサービスでは、実人口カバー率を採用している。
ところが最近、こうした独自指標が転機に差し掛かっている。イー・アクセスは12年3月のLTEサービス開始を機に独自指標の公表をやめ、総務省基準に統一した。「業界で広く採用されている基準を使った方が分かりやすいと考えた」(イー・アクセス)という。
後を追うようにUQも、実人口カバー率の対外的な公表を3月末をもって取りやめた。「よりリアルな表示をするという趣旨で使っていたが、イー・アクセスが独自指標の公表をやめたことで、独自指標を使っているのは当社だけになってしまった。このため、他社と足並みをそろえて、総務省基準に統一することにした」(UQ)。ちなみに同社の場合、3月末時点の実人口カバー率は82.2%、総務省基準の人口カバー率は85%だったという。
■実人口カバー率、既存各社が採用しない「必然」
両社とも、総務省基準の人口カバー率では実態を正しく反映できないと考え、より実態に近い指標を採用したのだが、その動きは既存の通信各社に広がらず撤回に追い込まれたわけだ。とはいえ、既存各社の側から見れば、実人口カバー率を採用したがらないのは必然である。
実人口カバー率を採用した場合、ニーズの高い主要都市の市街地や住宅地に基地局を設置すれば、それに応じてカバー率の数値が上がっていく。旧京北町のケースのように、必ずしも利用の見込めない地区の庁舎周辺を後回しにしても、カバー率の向上に影響が出にくい。このため、エリア整備途上であるサービス開始後の数年間は、総務省基準より実人口カバー率の方が有利になる。
一方、エリア整備がある程度進んでくると「総務省基準でも独自指標でもほとんど差がなくなってくる」(イー・アクセス)。既存の通信大手各社にとっては、実人口カバー率を採用したところでメリットは薄く、新規参入組を利するだけになる。
それどころか、既存各社が実人口カバー率を採用すると不利になるケースもある。「人口カバー率は、80%を超えるくらいからさらに上げていこうとすると、膨大な時間がかかる。衛星回線を使った簡易基地局などで安易に人口カバー率を上げている事業者もあるが、実際のカバー地域の広さや回線の品質は、まじめにやっている事業者とそうでない事業者との間で差がある」(KDDIの田中社長)
この春を最後に表舞台から消えた実人口カバー率。その代わりに最近相次いでいるのが、総務省基準を採用しながら地域を区切った人口カバー率の表記だ。ソフトバンクモバイルは、12年2月に始めた高速サービス「SoftBank 4G」において「13年3月末までに政令指定都市の99%をカバー」を掲げる。イー・アクセスは3月に始めたLTEサービスで「12年6月末時点で、東名阪主要都市の99%をカバー」とうたう。
いずれも「99%」を強調することで急ピッチのエリア展開をアピールするが、「99%」の分母は全国ではない。SoftBank 4Gの全国人口カバー率は、13年3月末見込みで92%。同サービスの運営を担うソフトバンク子会社の幹部は「面的なカバーは3Gに任せて、SoftBank 4Gは都市部をカバーする」と語っており、地方には高速サービスを展開しない方針を明確にしている。イー・アクセスのLTEサービスは、13年3月末に全国人口カバー率70%の予定だ。
これらのサービスの対応端末は、高速回線と従来の3G回線の両対応になっており、高速回線が圏外のエリアでは3G回線で低速ながらも接続できる。完全に圏外となることが少ないため、ユーザーの不満はある程度抑えられているが、99%という数字は「都市部ならエリアを気にせず、どこでも高速回線でつながる」と期待を抱かせるのに十分だ。ユーザーが購入後、端末の画面に「3G」と頻繁に出るのを見て落胆しても後の祭りである。
かつてUQの社長を務め、現在は業界団体の電気通信事業者協会(TCA)の会長も兼任しているKDDIの田中社長に、「実人口カバー率を業界全体に広げることはできないのか」と尋ねると、数秒の沈黙があったのち「うーん……難しいですね。TCA会長として、難しい」と語り、苦笑いを浮かべた。人口カバー率をめぐる携帯各社の思惑の違いを埋めるのは容易ではなさそうだ。
■実はもう一つある「総務省基準」
実態を正しく反映していない人口カバー率を基に携帯各社が大々的な広告を打ち、ユーザーはそれに踊らされる。そんな状況は今後も続かざるを得ないのか。必ずしもそうではない。変化の芽もある。
実は、現行の人口カバー率に代わる業界標準の指標は既に存在している。しかも、各社とも表に打ち出していないだけで、実際には既に運用されているのだ。
「09年度末時点で携帯電話のエリア外人口は4327メッシュで10万2000人。うち市町村への聞き取り調査でニーズのなかった地域を除くと、要整備人口は3083メッシュで7万4000人。10年度以降の整備で424メッシュ、1万1000人がエリア内となる予定」――。
09年3月から10年4月にかけて総務省主催で開催された「携帯電話エリア整備推進検討会」。携帯各社のネットワーク担当幹部が構成員として参加し、過疎地への携帯電話ネットワークの整備について検討した研究会だ。この中では、全国のエリア整備状況が具体的に解析され、全社の電波が「圏外」となっている人口を精緻に算出している。このエリア解析に使われているのは、「メッシュ方式」と呼ばれる手法だ。
メッシュ方式はUQの方式と似ている。全国を1キロメートル四方のメッシュに区切り、個々のメッシュについてカバー範囲をシミュレーターで判定。半分以上の面積をカバーしていれば、そのメッシュ内の全域をカバーしているとみなすという方式だ。UQの100メートル四方のメッシュよりは粗いものの、庁舎ベースの人口カバー率よりは実態を正しく反映できる。
実は総務省は、庁舎ベースの人口カバー率だけでなく、このメッシュ方式も指標として採用している。「携帯電話のサービスエリアを精緻に見るときはメッシュ方式も使っている。携帯各社も、メッシュ方式でエリアをシミュレーションすることは、問題なくできる態勢になっている」(総務省の田原課長)
■「メッシュ方式の本格採用も検討中」と総務省
電波の割り当て申請時に提出を求める開設計画では、これまで庁舎ベースの人口カバー率が使われてきたが、これは「携帯各社にカバー率の予測を立ててもらう際の負担や、電波の割り当て作業を迅速に進めることを考え、簡易な方式を採用してきた。以前から同じ方式を踏襲していることも理由の一つ」(田原課長)とする。
ただし、今後に関しては「現行方式でなければならない、とルールで縛られているわけではない。庁舎ベースの人口カバー率では偏った基地局の建て方になってしまう弊害があるし、地方の圏外エリアをなくしていくという取り組みを進めていく上で、各事業者の言い値ベースの人口カバー率で良いのかとも考えている。今後の電波割り当てでは、より精緻な指標としてメッシュ方式を採用することも、内部で検討している」(田原課長)と明らかにした。
実態を正しく反映しない数値をベースに、各社がエリアの広さを競い合う。業界内の自助努力による改善も見込めない。そうした人口カバー率を巡るゆがんだ競争の現状は変わるのか。問われているのは、携帯各社と総務省が、ユーザーに対して実直な姿勢で向き合おうとするのか否かだ。
(電子報道部 金子寛人)
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