2012年09月08日

「立教大学」で思い出してしまったこと


最後のパレード事件同様に、「盗人」と疑いをかけられた経験だった。

私が、ゼネラルサービス部セキュリティー課から運営部ウエスタンランドに異動して数年後、カヌー探検の責任者である部下の結婚式への出席とスピーチを依頼された。

私は快諾し、カヌーを漕ぐパドル(船尾キャスト用5.5フィート)をアメリカから調達した。アトランタに出張中のサタケに勤める友人がいたので、実に簡単なことだった。
サタケ
http://www.satake-japan.co.jp/

シェラトンホテルだったと記憶している。U君とけい子さん、まさに美男美女のカップル誕生の式典だった。
私は、U君にカヌーの出発のスピール、パドルの使い方の練習と言ってもいい「実演」を行ってもらった。

ご両親はじめ出席者に喜んで頂いた。記念のパドルを受け取ったU君からも謝辞を頂戴した。

しかし、である。出席者の中に敵がいた。元ウエスタンランドのスーパーバイザーであり、その時は保安を担当するセキュリティー課に所属するSは、職権を用い会社が所有するパドルが盗まれていないか調査するよう当時の私の同僚スーパーバイザーに指示したのである。

SはU君を育てたのは自分だという過信が強かったのであろう。その念がやっかみに変わったのであろう。

私は泣いた。悔しくてたまらなかった。私もカヌーを漕いだ人間だ。スーパーバイザートレーニングで「中村さんほど本気で漕いだスーパーバイザーを知らない」とU君に言われた人間だ。

その人間が「盗人」と会社から疑われたのである。

私は、自分用のパドルを捨てた。

Sは立教大学出身と記憶している。

7月3日の朝日新聞には、立教大学の全面広告が掲載されている。

「キリスト教に基づく人格の陶冶(とうや)」を建学の理念としている、と明記されている。

<引用開始>
さばいてはいけない   マタイ7:1〜5
 この聖書の箇所に「さばいてはいけません」とあります(1節)。 

「さばく」とは、人を非難し、悪いと決め付けることです。

「さばく」ことは、本来神がなさることです。
<引用終了>
http://kagoshimakyoukai.blog40.fc2.com/blog-entry-23.html

立教大学は、この聖書で一番大切なこの基本を学生に教えていないのか。

立教大学の学生が哀れでならない。

posted by S・C・ NAKAMURA at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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