日本映画批評家大賞

第21回受賞作品



保田 道世

アニメをご覧になっている方々はあまり気づかれないかもしれませんが、
アニメ制作における重要な役割として色彩設計という職種があります。
色彩設計とは全ての登場人物や乗り物などに色を与え、
その世界を彩る仕事です。
一つの作品を生み出すにあたり色彩設計は、
最初に監督と大きな意味での作品の世界観を打ち合わせし、
その後、登場するキャラクターや乗り物にどんな色がふさわしいのか、
どんな色がより際立つのか等、一つ一つ綿密に構築しながら
尚且つ全体のイメージも崩さない的確な色を与えていくのは
色彩設計に必要なセンスです。
例えば肌の色一つをとってもそのシーンにおけるイメージや背景、
その人物のキャラクター性により微妙に異なっているのです。
この微妙な違いこそがキャラクターを生き生きと浮き上がらせ、
そこに命が吹き込まれます。
色のニュアンス一つでキャラクターの性格そのものも変えてしまうため、
その作品を生かすも殺すも色彩設計次第といえるでしょう。
今でこそコンピューター上で1000万色をゆうに超える
豊かな色を表現できますが、セル画の時はせいぜい数百色程度という
少ない色彩で表現をするしかない時代もありました。
その限られた色の中で二つの絵具のわずかな配合の違いにより
新しい色を生み出す技術はまさに職人技としか言いようがありませんでした。
保田さんが仰っておりますが、色使いに関して注意していることは
「優しい色使いを心掛けている。派手でなくても表現する色はある。」
とのことです。
いかにその世界に馴染むか、私たちが普段親しんでいる
アニメーション作品の世界に違和感なく入り込めるのは、
この色彩設計という魔法がかかっているからなのです。
そうした色彩設計の保田さんが、ジブリ作品の礎になっていると思います。
宮崎駿監督から「戦友」と呼ばれ高畑勲監督からは
「同志」と評されているそうです。
この職人仕事にあこがれているアニメスタッフは多いです。

古川 雅士

今では、日本のアニメーションは世界中で上映されるようになりましたが、
最初にまんがからアニメを作った先人たちのご苦労は
想像を絶するものだったでしょう。
古川雅士さんは、アニメがマンガと呼ばれていたアニメ創生期の頃から
ずーっと編集者でした。
古川さんが手がけた作品は
「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」、「タッチ」など枚挙にいとまがありません。
子供の頃、僕らはテレビから日本の素朴さ、勇気、希望、愛、冒険を
「まんが日本昔話」「三丁目の夕日」で教わったのです。
手塚アニメの傑作である映画「クレオパトラ」は
今もアニメ映画ファンのあいだでは伝説の作品になっています。
編集のお仕事だけでなく、後進の指導にもご熱心で、
数多くの編集者を世に送り出しました。
日本映画テレビ編集協会の発足に尽力された古川さんは、
日本が世界に誇れるアニメの礎を築かれた立役者のおひとりなのです。
そんな古川さんに編集とはとお聞きすると、
「編集は常に監督の助手であってはいけないと考えています。
言い換えれば、編集という中で自分にしかないモノを出せるということが
一番楽しいのです。僕は、自分では柔軟性があると思ってますが、
これは悪くすると妥協してしまうことになりかねません。
柔軟性を持ちながら自分を出す。
ここに映画作りの面白さと難しさが同居してると思うんです。」
と言われます。
古川さんが編集されたマンガで育った私は、
古川さんのお仕事を心から誇りに思います。
日本の編集マンの技術は世界で一番だと自負している僕にとって、
フィルムがこの世から姿を消そうとしている今だからこそ、
古川さんに日本映画批評家大賞を受け取っていただけるということに
この上なく感動しています。

今村 治子

日本映画批評家大賞が、映画スクリプターに賞を差し上げるのは
21年間で、初めてのことです。
スクリプター、記録は単に映画を記録すればいいと言う仕事ではありません。
スクリプターとは、現場、仕上げのプロセスを理解している人でなければ
務らず、ある時には演出部に所属し、又ある時には技術部に所属します。
ですから、ある意味では、映画の善し悪しは、
スクリプターで決まるとも言っても言い過ぎにはなりません。
今村治子さんがスクリプターを務められた数多い作品から、
まず一本、代表作を上げるとすれば、「太陽を盗んだ男」
長谷川和彦監督作品になるでしょう。
長谷川監督の2本目の作品とお聞きしていますが、そのとき以来、
長谷川監督からは「次撮るときもお願いします」と懇願されているそうです。
又、坂本順二監督とは「どついたるねん」から
最新作「大鹿村騒動記」まで、すべての作品でのお付き合いになるそうです。
一言で言うとそれほど、多くの監督から絶大な信頼を受けている
スクリプターが今村治子さんです。
そんな今村さんの仕事には、監督試写をする前に編集部で行われる
「今村チェック」と言われるものがあります。
ここで今村さんは現場の意見が編集にちゃんと反映しているか、
確認するわけです。この作業は、どのスクリプターも行うわけですが、
編集者からは「今村チェック」は特別に緊張すると聞いています。
時には厳しく怒り、褒めるところは母親のように優しく褒める
その指導ぶりは特に新人監督にとって、心強い味方であったに違いありません。
ですから、この賞を今村さんが受賞したと聞いて、我がことのように
喜んでいらっしゃる、かつての新人監督、つまり、今ではすっかり
有名になられた監督も少なくないはずです。
特にこれからは、いろんなジャンルの世界から映画界へ、
監督として入ってくる方がもっともっと増えていくことでしょう。
そこで一番頼りになるのが、今村さんです。
いや、ここでは現場で一番親しみのある
「おはるさん」と呼ばせていただきましょう。
「おはるさん」、これからもますます、たくさんの現場で
私達、映画人を叱咤激励してください。
厳しいご指導のほど、よろしくお願いします。

西田 敏行

東日本大震災のちょうど3ヵ月目の6月11日に封切られた
『星を守る犬』(瀧本智行監督)は、
東京から北海道まで1万キロをこす長い旅をした
名もなき男“おとうさん”(西田敏行)と、白い秋田犬ハッピーとの
切なくも胸せまる物語のロードムービー。
震災前の美しい東北の海辺の町々を舞台に撮影されているだけに、
この映画は観る人の胸に染み入ってくるものがひときわ大きい。
しかも死で終る旅とはいえ、
おとうさんとハッピーの旅は決して絶望の旅ではなく、
行く先々で出会った人々との深く濃い絆の物語なのだ。
おとうさんと愛犬の足取りをたどる孤独な青年(玉山鉄二)と
道連れの少女(川島海荷)も、
男と犬の旅が決して淋しいものではなかったことを知り、
自分たちも希望を持って再び歩み出すことを決意する。
エンディングの画面いっぱいに咲き誇る
110万本のヒマワリの花畑は北海道の名寄でロケされた。
原作は08年に刊行された村上たかしの同名コミックで、
書店の店員たちの支持を受け「泣けた本ランキング第1位」に輝き
ベストセラーとなった。
主演の西田さんは3月11日の東日本大震災に
誰よりも強いショックを受けた一人であった。
出身地が福島県郡山市であることと、
この映画のロケでお世話になった東北の海辺の町の人々への強い思いが、
彼を駆り立てたのだと思う。
誰よりも早く行動をおこして被災地を見舞ったばかりか、
避難している人々をトークと歌とプレゼントで励まし、
郡山や東京でも復興にむけた支援活動を何度も行うなど、
本当に頭の下る活動を続けて下さっている。
同じ福島県出身者として私は心から感謝しありがたく思っている。

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