世直し、前衛芸術、競馬、坐禅、音楽など、なんでもあり

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しき雑談。
 

ひとこと豆知識

2012年09月07日 19時14分59秒 | 雑談
しかし、使いにくいですね。案の定、編集画面のフォントが9ぐらいなので、ブラウザ上で拡大して書き込んでいます。

この時期は昼間暑いけど、夜から朝にかけて一気に冷え込んだり、風邪を引きやすい季節です。それで豆知識を。

整体の先生に教わったのですが、一年中靴下を履いて、レッグウォーマーまでしておくといいとのこと。確かに以前は冷房をつけたまま寝たりすると朝起きたときにクシャミを連発していましたが、こうして寝るとそれがなくなりました。試してみてください。

なお、雑談は適度に削除していきますのでよろしくご了解下さい。
それにしても、カウンターが面白いですね。この前アクセスがゼロでしたが、その後は計ったように25程度です。mixiにコピペや、同じく色んなコミュニティなどに重要情報を流しているのだから、もっと増減があってしかるべきです。

色んな実験をして見ましょう。
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公約の通りブログにしました

2012年09月07日 17時53分36秒 | 雑談
雑談は掲示板に書いて、まとまったエッセー類はブログで、と使い分ける予定でしたが、今のスケジュールだと、そんな時間的な余裕はありません。
 久々のブログ更新なので使い方を思い出せないのですが、瀬戸弘幸さんのようにmixiの日記と連携できるはずですから、手間が省けます。
今日はとりあえずテストをしていますが、書く方としてはやり辛いですね。画面のフォントが小さいので、大きくしても、編集画面だけは変わらないようです。本来私はブログは嫌いで、掲示板のほうが管理人と投稿者が同等に話し合えるという点で望ましいのですが、投稿がほとんどない状態なのでこっちに切り替えました。
 そうそうお奨めリンクを追加しました。

新しい機能も付いたようだし、いろいろ試してみますが、編集画面のフォントが大きくならないのなら、また掲示板に戻る可能性も高いです。


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次郎物語

2011年11月05日 11時49分33秒 | 書評、映像批評
『次郎物語』(清水宏、1955年、白黒)

 {あらすじ}

村一番の旧家で元士族の本田家には3人の男の子がいるが、次男の次郎は母親のおっぱいの出が悪いこともあって、分教場の小遣いをしている女性が乳母となって育てている。その女性には女の子がいるが、実の子供より大事に育てる。
 ある日、次郎は家に引き取られる。母は冷たい感じのする人で、祖母は封建制度の悪いところを全部引き継いだような身分主義者。次郎はこの家が気に入らず、乳母を慕う。ただ父親への尊敬の念はある。
 懇意にしている医者の娘に美しい女性が居る。次郎はこの女性にほのかな好意を寄せるが遠くに嫁に行ってしまう。
 父親が他人の保証人になったことから莫大な借金を背負い、大邸宅は売り払われて、町へ出て酒屋を営むことになる。これをきっかけに次郎は母の実家に引き取られる。
 母は思い病に罹り、実家に静養に来て次郎と暮らす。そしてそこで息を引き取る。
中学になった次郎は、酒屋の父親の元に引き取られる。父には後妻ができる。他の兄弟二人は後妻に対して「お母さん」と呼べるが、次郎だけは「おばさん」としか言えない。
 そこに乳母とその娘がやってくる。娘が学校も出たので、この家の奉公人になるのだ。子供たちがこの娘のことを「○○ちゃん」と呼ぶと、祖母が、奉公人は呼び捨てにしなさい、と注意する。次郎は、祖母に反感を持つ。
 修学旅行になる。1年生から3年生まで一緒に旅行に行くので、次郎は兄と一緒の旅行になる。学校の決まりで、お小遣いは一人5円と決まる。兄が、みんな隠れてそれ以上持って行っているんだ、とせがむと、祖母は、今は昔と違って贅沢はできない、兄は3円、次郎は1円で上等、と決め付ける。
 修学旅行先で、兄が上着のポケットに余計に2円入っていたことに気づく。次郎は兄にだけ祖母がやったのだろうと思っていたが、自分の上着を見ると自分にも2円余計に入っている。後妻が入れてくれたものだと知る。
 兄は祖母にお土産を買うが、次郎は後妻にお土産を買う。
修学旅行から帰った次郎は、後妻(義母)を探して「お母さん」と叫びながら家の中を探し回る。裏庭にいた義母は、大喜びで次郎を探し出し、初めて「お母さん」と呼んでくれたことに感謝して、次郎を抱きしめる。


{批評}

ご存知のとおり、児童文学の名作・下村湖人の「次郎物語」の映画化である。
たまたま私はこの小説を読んでいなかったので、小説と映画を比較することなしに、先入観を持たずにこの映画を見た。あまり評価の高くない映画だが、とんでもない、堂々とした佳作である。
 私は『しいのみ学園』を批評したとき、清水宏の真骨頂は、その「即興演出」からくる「ポリフォニックな構造」にあり、物語が単線的になると、凡庸な監督に落ちる、と書いたが、この意見は取り下げねばならない。
 この映画は、物語が単線的に進んでいくが、非常に良くできていて見ごたえがある。その理由を述べる。
第一には、主役が次郎という子供であることだろう。次郎役は小学生と中学生と二役になっているが、特に小学生役(一般公募で選ばれた)がいい。演技が素直で、きかん気の強い少年の性格が良く出ている。中学生役もそれなりに自然な演技をしている。物語が単線的であっても、少年の演技には計算外の「自然」が含まれていて、人為のいやらしさを壊す力がある。
 ここでテマティック批評あるいはモチーフ批評的な見地から一言言えば、清水宏は作品の中で「子供を走らせる」ことを好む。この映画でも、何度も次郎や他の子供たちは走る。3里も離れた病院に薬を取りにいく、といった場面もあり、途中で上着を脱いで上半身裸になって走り続けるシーンもある。実際、子供というものはパタパタとよく駆け出すものだ。走る、という演技は演出を超えた、肉体の自然の表出だ。特に子供の動きには、人間の本能を刺激して、愛らしさ、いとおしさを感じさせる力がある。清水監督はそのことをよく理解していて、わざと子供を走らせているのである。
 ついで、ロケーションと撮影の技術である。室内撮影も多いのだが、『しいのみ学園』の時と異なり、非常に大きな旧家を使っているために、広々とした空間性を感じることができる。
 清水監督はその空間性を出すために、ロングショットを多用している。例えば、二人の人物が対話をするときの切り返しのショットを例に挙げると、人物Aが喋っているときにはバストショットで撮影し、それに対して人物Bが答える場面では、逆アングルから10メートルも離れたロングショットを用いる、といった具合である。こうした工夫によって、屋敷の広々とした空間性が体感できて、芝居に「自然」の空気が舞い込む。
 それから、露出がシャープで非常にいい。『しいのみ学園』の場合は、アンダー気味で、しかも涙のシーンが多くて鬱陶しかったが、この作品では程よいシャープな露出になっていて、人物と周りの風景とがバランスよく映っている。
 それから、これまで書こうと思いながら書きそびれていたが、清水映画は音楽がいい。特別な使い方ではなく、悲しいときには悲しい曲想の音楽を、楽しいときには楽しい曲想の音楽を、といった実に素直な使い方だが、繊細に音楽を取り入れて、旨く観客の心をリードしている。
 以上が技術的に見たこの映画の素晴らしさである。
一方、物語を見直すと、この映画は、喪失の映画である。次郎は、実母の愛を拒否し、乳母を失い、医者の娘を失い、祖母への愛を拒否する。少年にとって母の愛は不可欠だが、次郎にはそれがない。愛を喪失した上に、旧家の厳格すぎる教育、世間体を気にする表面的な道徳の中で、心をかたくなに閉ざし、ますますきかん気の強い、強情な少年に育っていく。その閉ざされた心を開くのは、後妻になってきた義母である。
 愛の喪失と発見の物語である。その少年の寂しい情緒を、村の風景や広々とした旧家の佇まいが育む。

私はこれまで見た中で清水宏の最高傑作は『有りがたうさん』と『按摩と女』だ。特に『按摩と女』のポリフォニックな構造と、即興演出による雰囲気の取り入れは、これまでに見た日本映画のなかでは突出して優れていると思っている。しかし、『次郎物語』のような原作と脚本がしっかりした、単線的な物語映画を撮らせても、それなりに巧いということが分かった。私は、これまでの経験から、原作が名高い文芸映画というのは、大抵つまらないので、この映画もあまり期待せずに見始めたのだが、見るに従い、ぐんぐん惹きつけられ、巨匠清水宏の腕前に脱帽した。たいしたものである。
 なお、『次郎物語』は何人もの監督が映画化しており、中でも島耕二監督の作品が傑作として名高い。しかし、清水宏のこの作品も捨てたものではないことを、再度強調しておく。


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歌女おぼえ書

2011年11月05日 11時47分10秒 | 書評、映像批評

『歌女おぼえ書』(清水宏、1941年、白黒)



{あらすじ}

時は明治30年代。男3人、女1人の旅役者が山道を歩いている。
ある田舎宿に泊まる。そこには大店の製茶問屋の主人が来ており、芸者の到着を待っている。
芸者の到着までの暇つぶしに、旅役者の女・お歌(水谷八重子)が踊りを披露する。
旅役者の男たちは女が足手まといとなり、この宿に売り去ろうとする。
それを聞いた茶問屋の主人が、同情と酔狂心から、自分の店に連れて帰る。
 大勢の手代や女中から、お歌は邪魔者扱いを受ける。女学校に通う娘も、お歌を嫌う。
突然主人が死亡する。東京の大学にいっていた長男(上原謙)が戻って、家計を調べてみると、借金だらけ。
長男は、全ての従業員に暇を出し、自分は大学を中退して店を一から再興させようとする。
お歌は、二人(小学生の弟と女学生の妹)は私が見るから、あなたは大学を卒業しなさい、と訴える。
長男は考えた末に、突如として、他人のあなたに兄弟を任せることはできないが、女房にだったら任せられる、俺の女房になってくれ、と言って、求婚する。お歌、うなづく。
 広い屋敷にお歌と二人の子供。弟は同級生たちに、お前の家にはお化け(お歌のこと)がいる、と苛められ、姉はお歌になつかない。茶問屋に金を融通していた男の家が弟と姉を引き取るが、やがて、やっぱり家がいいと、二人ともお歌の元に戻ってくる。お歌、長男の言葉を信じて二人を懸命に育てる。
 そこへ、アメリカのトーマス商会の支配人がやってきて、この店のお茶がアメリカで非常に評判が良かったので、今年も注文したい、今休業中なら商標だけでも貸してくれ、と言ってくる。
 お歌、自分を拾ってくれた故人となった主人と長男のために、このチャンスを生かそうと考える。そして商標を貸すだけでなく、製品もこの店で引き受けることにする。そして同業のお茶問屋の経営者たちに何度も頭を下げて、新茶を廻してもらう。
 これを機に、店に再び暖簾が下がり、元通りににぎわい始める。
長男が大学を卒業して店に帰ってくる当日、昔の旅役者の仲間が金をせびりにくる。お歌、何を思ったか、その男と一緒に姿をくらまし、元のたび役者の生活に戻る。
 長男はお歌を探し回る。
遂に、お歌の前に現れる。お歌はわざと嘘をついて「かたぎの暮らしは窮屈です。旅役者なら好きなときに起きて好きなときに寝れるし、タバコも吸える」と悪態をつく。長男はお歌を平手打ちして、「そんな女が自分の弟たちを育てて、店を復興できるわけがない。俺の女房になってくれ」という。
 そのとき、芝居が始まりお歌の出番となる。お歌は鏡の前に座り、嬉し涙を流す。
お歌は、長男の嫁としてお茶問屋に嫁入りする。


{批評}

この作品はあまり評価は高くないが、私は感動して泣いた。
確かに、新派の大物女優・水谷八重子の演技は、他の出演者と比べると「芝居臭く」、少し浮いて見える。
しかし、その欠点は次第に薄れて行き、気にならなくなる。
 この映画でも、清水監督の「実写精神」は生きている。大きな木の林立する中をお歌が歩く場面や、大きな商家の中を自在にカメラが移動して空間の広さを充分に味あわせる場面など、清水宏のロケーションのセンスを存分に生かした演出が冴えている。
 小学校の土手からお歌の歩行を俯瞰で撮るショットなど、土手の部分が画面の3分の2以上を占めており、大変大胆な構図になっている。このあたり、自然の中の「点景」として人物が描かれる「清水調」は健在だ。

この映画は明治時代の旅役者という存在の意味を知らないと本当の感動は味わえない。
川端康成の「伊豆の踊り子」に描いてある通り、旅芸人とは非人なみの下層階級だった。
だから、茶問屋にお歌が連れて来られた時、女中たちはお歌を嫌うし、娘の女学生も冷たく当たる。
 ところがその下層階級の女が、自分を拾ってくれた主人への「恩」と、自分に求婚してくれた長男への「愛」を
支えにして、一度潰れたお茶問屋を復興させるのである。
そして、そういう卑しい階級の女であることを承知で長男はお歌と結婚する。
 このように、当時の身分制度を理解してこの映画を見ると、実に大胆で奇抜とも言えるストーリーになっており、この映画は一種のシンデレラストーリーだと分かる。
 (余談だが伊藤大輔の傑作『王将』も、主人公の坂田三吉がエタ階級の出身であるという隠れた意味を知ってみないと本当の感動は味わえない)
 お歌が、潰れた店を再興させながら、長男の気持ちを知りながら、あえて失踪する理由は、この身分の違いを本人が知っているからである。そのけなげさ、哀れさが、この映画の主旋律となって漂うために、最後に二人が結ばれるときに感動があるわけだ。

但し、ラストシーンには物足りなさが残る。
長男の求愛が本物だと知ったお歌→芝居が始まり、お歌は長男を置いて小屋に戻り鏡の前に座り、涙ぐむ。
ここでお歌の涙をクローズアップにして音楽を流して映画を終えるべきだった。
 実際にはこの鏡の場面の次に字幕が映り、お歌がお茶問屋に嫁として迎えられることが説明されて終わる。
この、文字による説明、で終わるところがあまりに淡白で頂けなかった。
 清水宏は、「大芝居」を嫌い、ドラマに大げさなクライマックスを持ってくるのを嫌う傾向がある。だから、ラストシーンをわざと恬淡とした形で終わらせたのだろうが、観客の眼から見れば、やはりお歌の言葉にならない喜びをともに分かち合って、思い切り泣いて終わって欲しい。いわゆるカタルシスが最後にもう一つ爆発しない不満が残る。

このような、部分的な欠点が残るものの、全体としては良くできている、現代の映画では決して味わうことのできない感動の残る佳作である。
 蛇足かもしれないが、タイトルの「歌女」は「うたおんな」ではなく「うたじょ」と読む。


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しいのみ学園

2011年11月05日 11時45分50秒 | 書評、映像批評
『しいのみ学園』(清水宏、1955年、白黒)


{あらすじ}

児童心理学を教えている大学教授(宇野重吉)の家庭。兄弟の子供が居るが、その兄のほうが高熱を発する。病院で調べてみると小児麻痺で、片足が不自由になる。
 小学生になって、野球をしたがるが、同級生たちは仲間に入れてくれない。それどころか、みんなでビッコの真似をしたり、泥棒の濡れ衣を着せたりしていじめる。兄は、大きくなったら、小児麻痺の子供を集めて学校を作ろう、と決意する。
 ある日、小学校低学年の弟も高熱を出して小児麻痺にかかる。兄より重く、両足が利かない。
悩む両親。ついに、あらゆる財産を処分して、自分たちで小児麻痺で足の悪い子供たちを集め学校を作ることを決意する。名前は「しいのみ学園」となる。
 生徒たちが集まってくる。教授の教え子の一人(香川京子)が学園の教師になる。
そこへ岡山の鉄工所を営んでいる男とその後妻が小児麻痺の子供(テツオ)をつれてやってくる。
後妻が小児麻痺の子どもと暮らすのを、世間体が悪い、と嫌がるので、引き取って欲しいと男は言う。教授は、そんな子供を捨てるような動機では引き受けられないと一度は拒絶するが、そんな後妻に育てられる子供が可哀想になり、結局面倒を見ることになる。
 ある日、みんなで両親に手紙を書くことになる。テツオは「歌が歌えるようになったから、おとうさん会いに来てください」と手紙を書く。他の子供にはすぐに返事が来るが、テツオにはなかなか返事が来ない。返事を待っている間に、テツオは高熱を出して倒れる。医者に見せると、テツオは先天性の心臓疾患がある上に、急性肺炎になっていることがわかる。教授は父親にすぐに来るよう電報を打つ。テツオはうなされながら、父親の手紙が読みたい、という。女教師は、父親の名前で手紙の返事を書き、郵便局に出す。そしてその手紙をテツオの枕元で読み上げる。テツオはその嘘の手紙を聞きながら息絶える。
 教室の生徒たち、テツオの眠るお寺をあて先にして、全員で手紙を書く。書けた生徒から順番に手紙を読んでいく。女教師はそれを聞きながら涙が止まらない。
 生徒と教師、しいのみ学園の歌を歌いながら、その手紙を郵便局に出しにいく。


{批評}

『蜂の巣の子供たち』で戦災孤児を取り上げた清水宏はここでは、当時差別を受けていた小児麻痺にかかった子供たちを題材にしている。現在ではテレビのニュースやドキュメンタリーがこの種の話題を取り上げることがしばしばあるが、当時はこのような題材を取り上げることは画期的だった。
 そういう意味でこの作品は高い価値を持っているし、また割合評価も高い。
しかし、私はこの作品については、美学的な立場から高い点数はつけられない。
 まず、前半はほとんど室内撮影で、苦悩する大学教授一家を描く。露出もアンダー気味で重苦しい。
後半になり、しいのみ学園が出来た後、ピクニックのシーンや校庭で子供たちが遊ぶ場面に少し実写の明るさが見られるが、それでもいつもの清水監督の自然を背景としたオールロケーションの味わいからは程遠い。結局室内劇が中心を占めるのである。しかも悩んだり、泣いたりする場面が多く、新派悲劇的な古臭ささえ感じる。
 次いで、清水映画の特徴である、独立した各シーンが一つの宇宙を持っていること、つまりポリフォニックな構造がこの映画では見られない。物語が単線的に展開するのだ。前半は教授夫婦とその子供が主人公になり、後半は女教師とテツオが主人公になる。清水宏のポリフォニックな物語構造は、シーンごとに「即興で」味付けを施していったことで生まれたようである。しかし、この映画は原作に基づいてきちんと作られすぎているため、逆にそれが欠点となって、清水映画の個性を失っているのである。
 第三に、『蜂の巣の子供たち』では本物の戦災孤児を使っていたが、ここでは本物の小児麻痺の子供を使わずに、子供たちに芝居でビッコの役をやらせている。この点が、どうも気になる。倫理的にも、大勢の子供にビッコのまねをさせるのはどうかと思うし、演技の上でも、ちょっと無理があるように見える。ここは本物の小児麻痺の子供を使うべきだったと思う。
 最後に、あまりにこの映画は涙の場面、苦労の場面が多すぎることである。身障者の世界にも、笑いもあれば、喧嘩もあるだろう。しかし、この映画では彼らの哀れさばかり強調されていて、どうしても新派悲劇調になってしまう。このあたり、清水宏の素朴なヒューマニズムが裏目に出ている。もっと透徹した眼で身障者のリアリティを描くべきだろう。
 以上の理由から、私はこの映画を評価できない。ただ、彼の着眼点が、時代の先端を行っていた、それだけは価値がある。清水は「自然」と「長閑さ」を描くと天下一品だが、このような単線的な物語を描くと凡庸に落ちてしまう。
 ヒューマニズムと美学という2点に問題を絞って考えると、清水は前者に留意したために彼独自の美学を退けてしまっている。表現者は、両者を両立させねばならない。いや、悪魔のように冷徹な眼で、美学を優先すればこそ、ヒューマニズムの訴求力が生まれるのである。『蜂の巣の子供たち』で清水は美学を優先することが出来たが、この作品ではそれが出来なかった。原作に忠実でありすぎたこと、小児麻痺の子供たちに「憐れみを抱きすぎたこと」が、このような欠点を生み出した理由だろう。残念だ。


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蜂の巣の子供たち

2011年11月05日 11時41分42秒 | 書評、映像批評
『蜂の巣の子供たち』(清水宏、1948年、白黒)


{あらすじ}

戦後まもない下関駅。復員兵の青年が駅に降り立つと、何人かの戦災孤児がやってくる。食べ物をやると、片足の男(孤児たちの親分)に取り上げられる。
 また、故郷が戦災に会い、帰るところのなくなった女性もここで思案にふけっている。
復員兵と、片足の男と、孤児たちは、トラックに載せてもらって旅をする。
 途中で子供たちは片足の男から逃げて、復員兵と一緒に行動し始める。彼らは塩田に行って働く。
働いて食べる食事は美味しいと、と復員兵は子供たちに教える。
 一番小さい子供のヨシ坊は、たまたまめぐり合った、帰るところのなくなった女性と一緒に、彼女の親戚のある島に渡る。
 いつまでも、親戚の家にいるわけにもいかず、女性とヨシ坊は島を去り、たまたま復員兵たちと出会う。復員兵はヨシ坊を引き取り、一緒に四国に渡って、森林伐採の仕事に就く。
 ヨシ坊は大病に罹る。彼はサイパンから離れるときに、母親を海で亡くした経験がある。それで、海を見たら病気が治るので、山の頂上まで負ぶってくれ、と仲間の孤児に頼む。孤児はヨシ坊のための牛乳を一杯をもらうことを交換条件に、その仕事を引き受ける。
 傾斜の急な山を孤児は必死にヨシ坊を背負って登る。とうとう海の見える頂上につくが、そのときヨシ坊は死んでしまっていた。子供たちと復員兵はヨシ坊を海の見える山の頂上に埋めて、四国を去る。
 神戸に渡ると、孤児たちを仕切っていた片足の男が、故郷を失った例の女性に売春婦の仕事をさせようとしていた。復員兵は片足の男を殴りつける。
 復員兵は自分の育った感化院に、孤児たち、片足の男、女性を連れて行く。感化院の教師と子供たちは、彼らを大歓迎して迎える。


{批評}

ストーリーの主な部分は上記した通りだが、清水監督の真骨頂は、全編オールロケーションで、室内場面がほとんどない風景の中、子供たちが実に自然な演技を繰り広げることだ。
 この映画も戦後間もない都会の焼け跡や、塩田、森林などを「実写精神」で、堂々と明るく描いている。
ストーリーを追いかける、のではなく、その場その場のシーンのリアルな空気を吸う楽しさ、これが清水映画の本当の味わい方だろう。
 戦後、世界の映画界に強烈な影響を与えたものに「ネオリアリズム」がある。この作風は高名な映画批評家のアンドレ・バザンにより、「中心のない構図」あるいは「映画よりも現実を信じる」というキャッチフレーズで有名になった。しかし、私はネオリアリズムの作品を見るたびに、キャッチフレーズの割には、構図は綺麗で人物中心だし、物語主義で、ハリウッド映画と大差ないのが不満だった。
 むしろ清水宏のこの映画こそネオリアリズムの精神にふさわしいと思う。自然の中の点景として人物が置かれ、子供たちや登場人物は、ほとんど「棒読み」のような台詞回しだが、それがまさにリアリズムを生み出している。
 特に見せ場は、孤児の一人が、ヨシ坊を背負って山の頂上に上る場面。ほとんど省略せずに、延々とよじ登る。その様子を、隣の山にカメラを置いて望遠で撮影する。力技の、胸に迫る演出である。また、ヨシ坊が死んだのを復員兵に知らせるために孤児が山を駆け下りるシーンは、ワンショットで捉える。このカメラワークのこだわりによって、山の空間性が体感できる。
 この映画は、イタリアのネオリアリズムが生まれる前に作られたが、ネオリアリズムの美点の全てを備え、さらにそれを超えていると私は断言する。

 ちなみに、文献を読むと、この映画に出てくる8人の孤児たちは「本当の孤児」で、さらに、清水宏は彼らを自分の家で育てていたのである。そういえば、この映画の冒頭に「この子たちに見覚えはありませんか」というタイトルが現れる。だから、この映画は、戦災孤児の里親や親戚を探すための映画でもあるわけだ。
 こうなると、もうこの作品はフィクションとは言いがたい。ネオリアリズムを超えている、というのは演出や撮影だけのことでなく、その背景にある事実性においても言えるわけである。
 この逸話、清水監督の人間性を良く表している・・・・・・・・・といっても、彼が素晴らしい人間であった、というわけでもない。文献を読むと、彼は自信過剰で小心で、ホラ吹きで、あまり評判のいい人物ではなかったようだ。一例を挙げれば、小津安二郎が癌で「イタイイタイ」と苦しみながら死に、清水宏がポックリ往生を遂げたのを知った映画関係者の一人は「これだから神も仏もない」と嘆いたそうだ。それぐらい、あくの強い、一筋縄ではいかない人物であったようである。そのような人徳の欠如が、彼の作品がそのレベルの高さの割りに、これまで評価が低かった原因の一部でもあることは確かである。
 いずれにせよ清水宏の映画は冴えている。こんなすごい監督が、世界的に知られていないというのは、日本文化にとってもったいない。是非、海外で回顧上映し、日本映画の底の厚さを知らしめたいものだ。

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2011年11月05日 11時38分39秒 | 書評、映像批評
『簪(かんざし)』(清水宏、1941年、白黒)

{あらすじ}

日蓮宗の蓮華講の集団が山奥の温泉宿に泊まる。
そこには、学者(斉藤達雄)、傷痍軍人らしい青年(笠智衆)、新婚夫婦、孫二人を連れた老人、の4組が長逗留している。
 学者は議論好きでいつも不満を漏らし、トラブルメーカーだが人のいいところもある。
蓮華講の団体が帰った後、青年が風呂に入ると、簪を踏みつけて足を怪我する。
 学者が宿の主人に激しく抗議する。しかし青年は、この怪我は「情緒的なものを感じる」という。
学者先生は、だったら、その簪の持ち主は美人である必要がある、と解説する。
 すぐに、蓮華講の一人の女性から、簪をなくしたので探してくれ、という手紙が宿に届く。
宿の主人が、その簪で客が怪我をしたことを伝えると、女性(田中絹代)は、詫びにやってくる。
 簪の持ち主が美人だったことで、学者以下、長逗留の人々は青年のために喜ぶ。
女は、長逗留の人々の歓迎を受けて、自分もその宿に長逗留する。青年は子供たちと一緒に、歩行練習をしている。女も青年を励ます。
 この女、東京で愛人をしている身の上らしい。しかし、これらの人々に囲まれた温泉でのひと時に心が洗われ、愛人生活をやめる決心をする。
 長逗留の客は、一組ずつ東京に戻っていく。青年も東京に戻り、葉書をくれる。温泉で同宿した人々と東京でも常会をする、足も良くなり、松葉杖からステッキに代わった、という内容である。
 誰も居なくなった山奥の温泉町を女は一人で散策する。


{批評}

この映画は、原作は井伏鱒二の「四つの湯槽」からとられている。
しかし、清水監督が1938年に撮った『按摩と女』に設定があまりにも似ているので、井伏の原作は一部を拝借しただけであろう。設定の類似とは、山奥の温泉が舞台で、東京で愛人をしている女性が主人公で、なおかつ愛人生活を放棄する話になっているところ、按摩や子供の様子が生き生きと描かれていること、などであり、雰囲気は二つの作品はそっくりである。
 清水監督のお得意のオールロケーション、メインストーリーだけでなく各シーンが独立した世界をつくり、表現世界にリアリティと雰囲気があること、熱演をさせず自然な演技を求める点など、この映画でもあちこちに見ることが出来る。
 ただ、作品の出来としては『按摩と女』のほうが上だ。撮影も、この作品では露出オーバー気味になっていて、白が飛ぶ。夏のムードは出ているが、かなり気になる。

清水監督が二つの作品で、東京で愛人をしている女が山奥の温泉町にきて、愛人生活をやめる決心する、という同じ類型の人物を描いたことについて考えてみたい。
 この時代は、女性が働くことを「職業婦人」と呼んで、一種差別されていた。上流、中流の家庭の女性は働かずに、家に居るのが常識だった。このように、女性の就労に社会が扉を開いていない時代、お金持ちの愛人になる、というのは、現在と比べればかなり多く見られる現象だった。
 私の母の姉妹たちは大正から昭和初期の生まれだが、彼女たちの年代の考えでは「甲斐性のない男の妻になるよりは、甲斐性のある男の妾になったほうがいい」という。最近もそんな話をしているのを聞いて、驚いたことがある。
 戦前生まれの事業家、政治家などは「妾の一人や二人いるのは男の甲斐性」と言ったものだ。
こういう時代だから、妾=愛人になって生きた女性は数多かっただろうと思われる。しかし、清水監督の考えでは、そういう生き方は「悲しいもの」として写ったのだろう。贅沢は出来なくとも、遊んで暮らせなくても、愛人業をやめて自活するのをよしとする「道徳観」が彼にはあったからこそ、このような連作を作ったのだろう。
 私の家は、私が生まれたころ遊郭を営んでいたために、芸者衆が周りに一杯居た。そういうこともあり、私が小学校のころ、元芸者で愛人を営んでいる女性の家に母と遊びに行ったことがある。その女性は、飛びぬけた美人で、こざっぱりした家に住んでおり、白い猫を飼っていた。子供心に私は、愛人というのはいいものだな、と感じた記憶がある。
 働かず、人より贅沢な暮らしをする。その代わり、日陰の身分で、死んでも同じ墓には入れない。遊びと性の対象ではあっても、そこに家庭の温かな愛情は存在しない。そういう妾・愛人という存在に対して、清水監督は「憐れ」の感情を抱いたのであろう。この当たり、私と感覚は違うが、彼の人間に対する強い愛情を感じる。

余談だが、ヒロインの田中絹代と清水宏は結婚した後、離婚している。
 また、『簪』のように、一つの宿を舞台にさまざまな人間模様を交錯させる設定を「グランド・ホテル形式」という。映画『グランドホテル』から命名されたものである。


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按摩と女

2011年11月05日 11時36分38秒 | 書評、映像批評
『按摩と女』(清水宏、1938年、白黒)


{あらすじ}

トクさんとフクさんという二人の按摩が山奥の温泉町に向かって山道を歩いている。この二人、盲人ながら足には自信があり、毎年この険しい道で「目明き」を何人抜いていくかを楽しみにしている。
 その二人を追いこす馬車の中に、謎の女(高峰三枝子)と、子供をつれた男(佐分利信)がいる。
按摩たちは、按摩専用の宿に泊まって、温泉宿に仕事に出て行く。
 トクが謎の女の元に呼ばれて按摩をする。このトクは盲目ながら勘がよく、さっき馬車で追い越した女だと察知する。その宿で、入浴中の客の金が盗まれる事件が起こる。
 トクは、温泉宿のキクという仲居に惚れているが、この謎の女にも心を奪われる。
子供をつれた男と謎の女、いつしか仲良くなる。子供は甥にあたるテテナシゴで、男は独身ながら世話をしていることが分かる。男も、子供もこの謎の女に惹きつけられ、逗留を伸ばす。
 謎の女がいく先々で盗難が起こる。トクは犯人がこの女だと直感する。
とうとう警察がこの温泉町を包囲して、逗留客を片っ端から調べることになる。トクは謎の女のところへ走っていき、宿から連れ出して逃げさせる。
 トクは、目明きには見えなくても、メクラには分かる、あなたが犯人でしょう、という。女は、それはトクの勘違いだと述べる。この謎の女は、東京である男の愛人をしていて、妻子に迷惑をかけるのが嫌で、こんな山奥まで来ているのだと告げる。
 翌日、女は馬車に乗って別の温泉に向かって旅立つ。トクは眼は見えないが女が去っていくことを悟り、馬車の後を追いかけようとする。


{批評}

この映画は傑作である。
上記のように「あらすじ」を綴ったが、この映画は非常に込み入った作りになっていて、あらすじを追っていくような見方になっていない。
 なんといえばいいのだろう、ポリフォニック、というと分かりやすいかもしれない。メインストーリーと別に、各々のシーンが「独立多声旋律」的に、味わい深いエピソードや雰囲気に包まれている。例えばこの映画に、100のシーンがあるとすれば、そのシーン一つ一つが、俳句なり短歌なりに詠めるような、小宇宙を作っているのだ。
 例えば、子供が退屈で、トクさんと水泳をするシーン。トクは盲目だが、飛び込みも水泳も出来ると言う。トクがパンツ一枚になったところに、謎の女が現れる。トクはあわてて着物を着るが、裏返しになっている。女がそれを指摘して着なおすのを手伝ってやる・・・・・・・といったシーン。
 あるいは子供が橋を渡ろうとすると、4人の按摩に片っ端からぶつかってしまう、といったシーン。あるいは、雨の中、川にかけられた木の橋を傘を差した女が渡っていくシーンでは、二度のフェイドアウトでジャンプカットになる情緒たっぷりのシーン・・・・・・等々、メインストーリーと関係ないシーンが独立した小宇宙を作っていて、山奥の温泉町のリアリティと雰囲気をかもし出している。
 また主人公というものがいない。謎の女にも、按摩のトクにも、佐分利信にも、その甥にも、平等に焦点が当てられている。さらに言えば、ハイキングにやってきた学生たちや旅館の番頭や仲居たちにも、観客の脳裏に強い印象を残す。
 だから、この映画は、どんな映画だった?と聞かれても、答えにくいが、とにかく「いい映画だった」と答えるしかないような、そんな作りになっているのである。
 脚本も清水宏。清水宏という監督は確かに一種天才的な才能をもっている。撮影と編集も自由自在。溝口健二のような長廻しがあるかと思えば、短いクロースアップもある。シャローフォーカス気味で、温泉町の長閑なうらぶれた感じが良く出ている。

なお、些細なことだが、この時代には言論の制約が今ほど厳しくなかったので、現在の禁止用語=メクラという言葉が頻繁に出てくる。按摩が自分のことを称して「メクラ」というのだ。道路で前を行く人にぶつかって文句を言われると「メクラが人にぶつかるのは当たり前でしょ」と言い返したりする。それが自然で実にいい。
 メクラを盲人と言い換えようが、カタワを身障者と言い換えようが、意味内容は同じである。それを、使ってならぬとマスコミが自重することに、偽善を感じずにはいられない。
 禅の世界でも、悟りというのは「オシが夢を見たようなもの」で、とても表現できない、などという。
差別用語も、立派な歴史を残す日本語である。メクラ、オシ、ツンボ、ビッコ、チンバ、エタ、ヒニン、チョン、ロスケ・・・・・・・これらの言葉を抹殺しても、指示対象は消えるわけではない。むしろこういう言葉をいかに味わい深く使うかが文学者の腕の見せ所なのだ。

話が逸れたが、この映画は実にいい。現在の巨匠ではとても作れない。私はこの映画を見ながら、こんな温泉町に行って、按摩に肩でも揉んでもらいながら、高峰三枝子のような世捨て人の愛人崩れと酒でも飲みたいものだ、あの川で子供と魚釣りでもしたいものだ、とすっかり映画に描かれた世界の虜になってしまった。
まさに描かれた虚構の世界に「匂い」があった。
 清水宏という監督、『有りがたうさん』にせよ『小原庄助さん』にしろ大したものだ。今後も注目していきたい。



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非常線の女 小津安二郎

2011年11月02日 11時56分17秒 | 書評、映像批評
{あらすじ}

ある会社の真面目そうな事務員(田中絹代)は、社長の息子に好かれているが、実はこの女はチンピラの情婦である。彼女の男の元ボクサー譲二(岡譲二)は、数人の子分を連れており、けんかに強い。
 ボクシングジムに通う大学生は、譲二に憧れてチンピラの仲間入りをする。それ以来、賭けビリヤード場に入り浸っている。素行の悪さに気づいた姉は、譲二のもとに現れて、弟を元に戻すように言ってくれ、と哀願する。譲二は、学生を姉のもとに帰す。
 このことをきっかけに譲二は姉を好きになる。情婦は、二人を分かれさせるために姉のもとにピストルを持っていき脅そうとするが、姉の純情さに打たれて帰る。そして、譲二に、カタギの生活に戻ろうとせがむ。
 学生、姉の会社のレジから金を盗んで逃げている。そして譲二にその欠損を埋めるために200円貸してくれ、という。
 譲二は学生を追い返すが、カタギになるまえに一仕事して金を稼ぎ、学生を助けてやろうと考える。
譲二は情婦の勤める会社に乗り込み、情婦と二人でピストルを社長の息子に突きつけ、200円を奪って逃げる。そして学生と姉の住むアパートに金を届ける。
 二人が逃げようとすると警察が囲んでいる。二人は二回の屋根から飛び降りて夜の町に逃れる。が、情婦は、いっそ捕まって刑に服してから生きなおそう、という。譲二は女を置いて去ろうとするが、情婦は彼の足をピストルで撃ち、二人とも警官に捕まる。


{批評}

舞台が日本であることを除けば、全くハリウッドのギャング映画であり、小津安二郎のアメリカ映画好みが全面に出た作品である。
 技術的には何回かの移動撮影があるものの、スタイリッシュでカット割りが細かい。フィルム・ノアール風に光と影の演出も目立つ。
 脚本の構成から言えば、サイレント時代なので仕方ないといえば仕方ないが、物語が単線的で、サブストーリーがなく、あっけないほど単純な物語である。もっとも、一般に小津安二郎映画は、単純な物語を特徴とするが・・・・・
 キャラクター論から言えば、この主人公である譲二と情婦は「グッド・バッド・マン」の典型だ。小津安二郎は『朗らかに歩め』でもこのグッド・バッド・マンを描いている。善良なところのある悪党、という意味である。
 余談になるが、グッド・バッド・マンは意外なほど多く映画の主人公になっている。座頭市、眠狂四郎、木枯らし紋二郎、それから喜劇になると、ハナ肇の馬鹿シリーズやフーテンの寅さんもそうだ。
 子分になった学生の姉の古典的な日本人像=道徳的で弟のために身を犠牲にして愛を注ぐ女、にあこがれるチンピラの情婦。そして同じように姉の健気さに心を奪われチンピラのヘッドから足を洗おうとするギャング。その心の動き方が、いかにも新派悲劇的である。戦前、洋画のヒットから日本語でもしばしば使われた「アパッシュ(チンピラ)」のかっこよさを、小津安二郎は出そうとしたのかもしれないが、そのかっこよさはこの作品には出ていない。
 この映画は、いかにもアメリカ映画のスタイルを踏んでいるがその心理的要素は和製の新派悲劇であり、この点で木に竹を接いだような違和感が残る。
 また、この映画は後半はスリルとサスペンスの物語(強盗と追いかけ)になるのだが、テンポがのろく、作品としては失敗している。
 小津安二郎というのは不思議な監督である。前年の『生まれてはみたけれど』のような小市民映画を撮り、この時点では天下一品の技量を見せているのに、まだこのようにアメリカ映画のコピー作品を作っている。この辺りの感覚が分からない。若気の至り、というものだろうか。
 この作品は、あくまでも研究者向きの素材であり、映画そのものを楽しもうという人には、退屈だから見ないほうがいいですよ、としかアドバイスできない。つまらない映画である。
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母を恋はずや 小津安二郎

2011年11月02日 11時54分40秒 | 書評、映像批評



{あらすじ}

ある上流家庭。両親と小学生の兄弟が何不自由なく暮らしている。が、父親が突然他界する。
 その後も母一人と、兄弟二人、つつましくも仲良く暮らしている。しかし、兄が大学受験のときに戸籍を見て、自分が本当の子供でなかったことを知る(愛人の子供か?)。
 兄の大学合格にあわせて、山の手の豪邸から郊外の民家に引越しをする。母は、兄弟差別なく育てているつもりだったが、兄から見れば、自分をえこひいきして、弟に厳しいように見え、どうして同じように扱わないのか不満がつのる。兄は、弟に厳しく自分に甘い母親の態度に反抗し、母親に辛く当たって泣かせる。それを見た弟が兄をなぐる。しかし兄は殴り返しもせず、家を出て遊郭に寝泊りする。母親は、兄が自分の子供でないから、家を離れようと考えているのだ、と善意に解釈する。居続ける遊郭に母が迎えに来るが、きつい言葉を投げかけて帰らす。その様子を見ていた遊郭の掃除婦(飯田蝶子)、それとなく諭す。
 兄、非を悔いて、母と弟の元に戻り、一家はさらに郊外の家に転居して、仲良く暮らす。

{批評}

この作品は出だしの1巻と終わりの9巻が欠落している。
映画にとっては、致命的な欠落だが、残った7巻を見ることでそのスタイルの構造を見ることは出来る。
 率直に言って、この作品は小津安二郎の映画としては失敗作だろう。ロケーションが変化に乏しく、家の中での仕草と会話が延々と続き、見ていていらいらする。この作品は、母が継母と知った息子の心理的葛藤を描いた心理劇である。その心理の動きを、限定された場所での会話(字幕)で描くので、実に進行が遅い。
 ただ、小津の好み・・・・・・・大学は相変わらずここでも早稲田の大隈講堂の時計台を写し、遊郭の壁には洋画のポスターが貼られている。こういう決まりごと=儀式性は、小津に独特のものである。
 風俗の面から面白いのは、兄が居続ける遊郭の様子である。これは横浜本牧にある外人専用の遊郭(通称・ちゃぶ屋)を使っていて、非常にモダンな作りになっている。一階はバーで、二階は個室になっており、洋風建築。女たちは和服を着ているが、食べ物はサンドイッチ、と本牧らしいモダンな遊郭である。
 没落した家庭の大学生が何日も居続けられるのだから、昔の遊興費・女を買う値段は、相当に安かったのだということが分かる。戦前は土地の値段、家賃、食べ物の値段、売春の値段などが統制されていたので、今の世の中よりも随分暮らしやすかったようである。(うらやましい。私も遊郭に居続けてみたいものだ)
 この作品は、最初は会社経営者らしいブルジョア家庭を描き、徐々に庶民の生活に没落する一家を描いている。小津は巨匠になってからは、上流家庭や高給取りのサラリーマンを描くことが多かったが、戦前は、ルンペン・プロレタリアート(喜八もの)から、ブルジョアまで、幅広い世界を描いている。
 なお、この作品は、小津自身が、「脚本の練りが足りなかった」と述べていること、またこの撮影中に、偶然小津本人の父親も他界したことなどのエピソードがある。


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