・『はじめてのおつかい』というテレビ番組で、
ぼくがいちばん泣けるのは、
「がまんするお兄ちゃん」です。
弟や妹と、お兄ちゃんの経験のちがいなんて、
よくよく考えてみたら、それほどはないわけです。
でも、同じように不安な状況にあっても、
お兄ちゃんは、お兄ちゃんであるという理由で、
しっかりしなきゃいけないんですよね。
荷物は重いし、頼まれたことは忘れやすいし、
犬は吠えるし道はわからなくなっちゃうし、
しかもさっきまで楽しそうに歌なんか歌ってた弟は、
「怖いよ」だの「疲れたよ」だのと不平を言いだすし、
もう歩けないと座り込んだりもするんですよね。
お兄ちゃんは、弟を励ましているうちに、
どうにもならない壁にぶつかってしまうことがあって、
ついに涙があふれてきて、声をあげて泣き出したりする。
でも、その直前までは、たしかにがまんしていたんです。
そのこと、おじさんは、見ていたよと言ってやりたい。
弟(や妹)がいけないとは言わないけれど、
お兄ちゃん(やお姉ちゃん)だって、
ほんとは不安を抱えているし、疲れたりもするし、
泣き出してしまったらどれほどラクか知ってます。
だけど、そうしたら「まっしろ」になっちゃうんです。
だから、おぼろげな記憶やら、
一滴ほどの勇気やらをふりしぼって、
片足ずつ前へ出して進んでいるんですよね。
「こんなおつかいを頼んだおかあさんがわるい」とか、
「疲れてもう歩けないよ」とか、言わないんです。
お兄ちゃんは、泣き出す直前まで、ほんとにがんばって、
ありったけの力を出して歩いていたんです。
ぼくは、どうも、「大人」というのは、
お兄ちゃんの大きくなったものだと思っています。
弟のままでも「大人」になることはできますが、
それでも、おとうさんというお兄ちゃんになります。
今日も大人は、大人のおつかいをしていますよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いや、もちろん、「お姉ちゃん」も「お兄ちゃん」ですよ。
ぼくがいちばん泣けるのは、
「がまんするお兄ちゃん」です。
弟や妹と、お兄ちゃんの経験のちがいなんて、
よくよく考えてみたら、それほどはないわけです。
でも、同じように不安な状況にあっても、
お兄ちゃんは、お兄ちゃんであるという理由で、
しっかりしなきゃいけないんですよね。
荷物は重いし、頼まれたことは忘れやすいし、
犬は吠えるし道はわからなくなっちゃうし、
しかもさっきまで楽しそうに歌なんか歌ってた弟は、
「怖いよ」だの「疲れたよ」だのと不平を言いだすし、
もう歩けないと座り込んだりもするんですよね。
お兄ちゃんは、弟を励ましているうちに、
どうにもならない壁にぶつかってしまうことがあって、
ついに涙があふれてきて、声をあげて泣き出したりする。
でも、その直前までは、たしかにがまんしていたんです。
そのこと、おじさんは、見ていたよと言ってやりたい。
弟(や妹)がいけないとは言わないけれど、
お兄ちゃん(やお姉ちゃん)だって、
ほんとは不安を抱えているし、疲れたりもするし、
泣き出してしまったらどれほどラクか知ってます。
だけど、そうしたら「まっしろ」になっちゃうんです。
だから、おぼろげな記憶やら、
一滴ほどの勇気やらをふりしぼって、
片足ずつ前へ出して進んでいるんですよね。
「こんなおつかいを頼んだおかあさんがわるい」とか、
「疲れてもう歩けないよ」とか、言わないんです。
お兄ちゃんは、泣き出す直前まで、ほんとにがんばって、
ありったけの力を出して歩いていたんです。
ぼくは、どうも、「大人」というのは、
お兄ちゃんの大きくなったものだと思っています。
弟のままでも「大人」になることはできますが、
それでも、おとうさんというお兄ちゃんになります。
今日も大人は、大人のおつかいをしていますよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いや、もちろん、「お姉ちゃん」も「お兄ちゃん」ですよ。
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