2012-08-02
■[主張]オリンピックで激増するスポーツハラスメント、略してスポハラ

オリンピックの季節ですねー。「オリンピック……それって何?」と思っている方もいると思うので簡単に説明させていただきますと、オリンピックとは、各国から選ばれた体力自慢の人々が国の威信をかけて競い、体力に自信のない人たちは大画面のテレビを通じて、どんなに自分と姿形が似ていなくて趣味が合わなくても、自分の属する国籍を有しているというのでればその選手たちをしばしば夜を徹して応援し、その結果について翌日学校や職場で確認しあい、たまに仕事の話をするときのたとえ話に使ったりする……というコミュニケーション能力とナショナリティの祭典のことを指します。ワールドカップもだいたい同じです。
「きのうのアレ、当然きみも観戦したと思うんだけど、感動したよね」的なムードに吐き気がする
昨日のスポーツの結果について、「きのうのアレ、当然きみも観戦したと思うんだけど、感動したよね」的に会議のアイスブレイクとして話題にのぼる状況、これは英語で表すと「fuck」あるいは「shit」です。どっちかというと、もともとなかったアイスがメイクされてしまいます。あなたが見ているスポーツとやらにわたしはまったく関心がないのに、あたかも見るのが当然であるかのように言われて心外です。はやく本題に入ってほしい。会社は仕事をするところであって、昨日のスポーツの結果について語り合う場ではありません。労働者の当然の権利である有給休暇をまとめて使ったりすると嫌な顔をするくせに、労働者の権利でもなんでもない、仕事中にスポーツの結果について語ることは容認される風土を改めて英語で表すと「fuck」あるいは「shit」です。
しかもスポーツの結果はプロ野球の話ではないところがポイント。タイガースについて「虎みたいに強い」(注:スポーツに興味がないので、いまのタイガースが虎みたいに強いかどうかは知りません。いちおう虎みたいに強くあってほしいという願望をこめて「タイガース」と命名しているはずですから、まったくかけ離れていたりはしないと思いますが……)などと延々会議の最初で語って、ジャイアンツファンが噴きあがって会議の最初から不穏なムードになったりするなら興奮するので見てみたい気もしますが、かならずワールドカップかオリンピックのときしか話題にしないのです。「日本人なら全員日本を応援してるよね」と強要を迫る。これこそがスポーツハラスメントの本質です。別にオリンピックの選手には何の恨みもないけれど、今回のオリンピック、日本の選手は早めに敗退してほしいです。しかも普通に敗退してしまうと、「昨日は残念な結果でしたが、それを他山の石として弊社も……」といった調子で、何も学びやしないくせに、仕事とスポーツを関連づけて語る人が出てくるので逆効果。競技中に脱糞して負けるなど、オフィシャルな場で語りにくい、下ネタを絡めて敗退していただきたいところです。あと、アメリカやイギリスにボコボコにされて敗退してほしいです。インドや韓国や中国に負けてしまうと、絶対スポーツで負けたことと経済的に追い上げられていることが関係あるかのように語る人が出てくるからです。
クラスの端っこにいた仲間がスポーツ好きに転向していく寂しさよ……
ふつうにスポーツが好きならばわたしも何も言いません。小さいころからテレビにかじりついてオリンピックを見ているのならいいです。テレビに近づきすぎると、躍動感満載の筋肉が、赤白緑の3つの色の粒々で構成されているにすぎないということを確認して興ざめしてしまうかもしれないのでその点は注意が必要になってくるものの、中学生のときからオリンピックと聞いただけで、のぼり棒を高速でのぼったりおりたりするときと同等の快感を覚えてきたような方は、引き続き、同じ気持ちでオリンピックをエンジョイできたらいいなと思います。わたしが問題にしたいのは、中高生のときにどう考えてもスポーツと無縁であり、むしろ、スポーツに邁進したり、それを観戦している同級生をアホ呼ばわりしていた人たちが、いつのまにか鞍替えしてしまっているという事実です!
ぼくたちはたしかにあのとき、クラス対抗のスポーツ大会をズル休みして、生きづらいマイノリティ同士として、部室で空手バカボンを聞いたり山田花子のマンガを読んだりしていたはずだろう?「たかだかスポーツの勝敗ごときで熱くなるなんて、あいつら子供やね〜」「同じクラスだからって団結すべきとか言ってて、デリカシーのかけらもないわー」「キャーキャー言ってる女子たちは本当に趣味が悪い!」などと話してたやん?同じクラスであっても、スポーツが好きな人とそうでない人の2つに分断されており、マイノリティに対して無理解なサッカー部の部長のことをうざいと思ってたやん?ぼくはあのときの山田花子のマンガを今も持っているけど、空手バカボンのレコードはどこにやったの?え?引っ越しのときに燃えないゴミといっしょに……さよか……。
鞍替えした人たちはちょっと後ろめたい気持ちがあるのでしょう。言い訳にならない言い訳をします。「いろいろ考えてたけど素直にいいと思うものをいいと言えるようになるのが大人じゃないかな〜」……「ないかな〜」ちゃうわ!たしかにいいと思うものをいいと言えるのは大人やけども、つまり、ぼくと「つまらんよねー」と言い合ってたとき、実は心の奥底で「いいと思ってるけどなんか言えない……」とか思ってたということよね?
また、蓮實重彦などがスポーツを批評的に語っているのを援用している文化系っぽい人を見たりすると残念な気持ちになります。権威を持ち出して自分のスポーツ好きを正当化しようというのですか。言い訳しながら遅まきのスポーツ観戦デビューですか。そんな手のこんだことをするくらいなら、あのとき、クラス対抗スポーツ合戦に参加して、クラスの仲間と泣いたり笑ったりしていればよかったやん!本当はそうしたいと思ってたのに、現状ではクラスの底辺として参加することになり、プライドが許さない、と思ってたってことやろ?クラスの端っこにいるというのと、クラスの底辺にいるというのはまったく別の話です。それってただの負け犬の遠吠えだし、そんなんと一緒になりたくなかったわ!
読解力が減退しがちな夏なので念のため繰り返しておきますが、もとから文化系かつスポーツ好きな人はいいのですが、スポーツにファシズムの匂いを感じていたはずの同志の裏切りを「おまえもか…」と感じているだけです。
―こんな調子で書くと、「みんなが楽しんでるところに水を差すようなことを言うなんて野暮だ!」という反論を頂戴するのでしょう。
わたしにっては、「夏を満喫しようとしているのにオリンピックによって水を差された」という認識ですが、仲間と思っていた人も実は仲間じゃなかったりすることが判明するナショナリティ確認会あるいはマジョリティ確認会であるところのオリンピック、日本代表の方々は、メダルをたくさん日本に持ち帰って沈没国家日本の現実を一瞬でも忘れさせてほしいものです!
2012-05-31
■モテない人も、恋愛をプロジェクトとして考えればうまくいく

こんにちは。
去年、「恋愛の本を書いてください!」と言われて、どさくさに紛れて、小説を書きたかったので小説としての企画書を作ったら通ってしまい、阪急コミュニケーションズさんの懐の深さに感激しました。できたのがこの『モテる小説』です。本日より絶賛発売中です。
チャレンジングな表紙やねー。中身はもっとチャレンジングやけども……。
この本は、ビジネス書の手法を使って書かれた「役に立つ恋愛小説」であり、「ロマンを一切排除した恋愛小説」であり、つまり無茶苦茶な本です。今回は、恋愛をロマンチックなものと誤認するから恋愛がうまくいかないのであって、単純にプロジェクトとして考えたらうまくいく、という話をさせていただきたいと思います。
恋愛というのは、人間の活動において聖域のような扱いを受けていますが、もはやこの世に聖域などありません。たとえば神聖ニシテ侵スベカラズだったはずの皇室についても、エレガンス子さまとレギュレーション子さまの確執が報道されるような時代です。恋愛だけがロマンチックでテクニックとは関係ないピュアな魂の交歓であるかのような考え方は時代遅れにほかなりません。
……といっても何のことかわからんと思うので、実際、恋愛を仕事に置き換えつつ、モテるための重要なポイントを、やるべき順に3つのステップに絞ったので、お試しいただければ幸甚です。
(1)自分のセールスポイントを把握する
「どうせ自分は魅力がないから」とあきらめる人がいますが、それは仕事に置きかえると、「つまらない商品だから」といってセールスをやめるのと同じです。売れないものがあったとして、売るのをあきらたらボーナスがなかったり、最悪の場合職をなくしたりしますよね。ノーマルなサラリーマンなら、売れないなりにセールスポイントを見つけたり、ほかに何かつけたり、売れる商品を作ってくれと開発担当に訴えたりするもので、恋愛も、いまの自分のよいところを何とか見つけて売っていくしかありません。他にないものがなくても、他にあんまりないもの、くらいでも商品は売れます。よいところがまったくないなら、よいところを作れば大丈夫です。
(2)自分を売りこむ
「出会いがないんだよねー」と待っているだけの人がいますが、それは仕事に置きかえると、広告を出さずに「うちの商品売れないんだよね」と嘆いているのと同じです。このようなビジネスのスタイルを、一般的には「殿様商売」と呼びます。
「出会いがない」と嘆く人は多いです。そんな人も、昼間は普通に仕事をしていて、担当しているもので売れない商品があれば、広告を出す、広告で言う内容を変える、アプローチする対象を変えるなどしますよね。ビジネスにおいて、待つという行為はほとんど職務放棄に等しいのと同様、恋愛において「待つ」という行為は「恋愛したくない」という宣言と同じです。どうしても前に出る勇気がない場合、やむを得ず待つことになるかもしれませんが、それにしてもふつうに売り込むより何倍もの知性が必要になります。
(3)ダメならすぐあきらめて次に行く
同じ人に片想いをしつづけていることは、仕事に置きかえてみると、購入意欲のない客に物を売り続けるのと同じです。
片想いをしていると、えてしてその期間の長さを説得材料としてしまいがちですが、仕事に置きかえてみると、購入しないという態度決定をしたお客さんを説得し続けても何も得られないことは周知の事実ですよね。ふつうは見込みのある次のお客さんを探します。恋愛が何か特別な活動であるという思いこみから目が曇ってしまっているのです。
もちろん、ダメだった場合、何がダメだったかをまとめてから、次の(自分自身の)販売計画を考え、淡々と実行していけばいいのです。仕事ならそうしていますよね。
結局モテるかどうかというのはほとんどが営業力の問題だと思います。
到底モテることなどないだろうという犯罪者に過去に奥さんがいたりして、投獄されてもしぶとく獄中結婚したりしていることがあり、なんでやねん的な気分になることがありますが、つまりこれは、上記の3つを無意識に実行しているからです。「心優しいが内気だ」という人は、よい商品だが広告を出していないのと同じです。「せっかくいい商品なんだから広告くらい出したら?」と思いますよね。
- 作者: ココロ社
- 出版社/メーカー: 阪急コミュニケーションズ
- 発売日: 2012/05/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 1人 クリック: 220回
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「恋愛はロマンではない」と訴える小説(ロマン)というのも、なんだかねじれた企画ですが、まったくロマンチックでないが小説として成立する恋愛小説、というのを書いてみたいと思っていたので満足しています。
買ってとまでは言いませんが、本屋で見かけたら立ち読みでもしてみてください。冒頭などは読んでいるだけで居心地が悪くなるのでおすすめです。
2012-05-20
■学費援助サイトを叩いた人も、ひとり900円くらい援助していたことになる

こんにちは。
studygiftという、「学費を援助してください」というサイトがオープンとともに炎上しました(写真左)。企画そのものだけでなく、学費が出せなくて困っている坂口さん自身についてけっこうな言われようだったようで大変お気の毒です。
「援助してください」という希望について、わたしたちが取れる行動は、「援助する」「援助しない」の二択のはずなのに、「援助を希望するなと説教する」という、三つ目の選択肢を選ぶ人がいらっしゃいました。まあ嫉妬のあまりそうしたくなる気持ちもわからんでもないけれど、叩くという行為が、最終的には自分の首をしめることになるかもしれないのに、と思います。
坂口さんは十分にがんばりやさんだと思います
坂口さんのあれを乞食呼ばわりするのはどうなんでしょうね。ぼくの場合、仕事は就職してから嫌というほどできるし嫌すぎて自殺してしまうかもしれないと思ったから学生時代は楽しいことだけしようと思って、本を読んだり音楽を聞いたりして過ごし、ほぼアルバイトはしていませんでした。そんなのと比べると、「学費と生活費を奨学金とアルバイトだけでやりくりしながら大学に通って」いる坂口さんはすごくがんばり屋さんやなーと思いますし尊敬します。ぼくもいま、内的必然性としては坂口さんと同じくらいお金がほしいです。今月は引っ越しをしたり、保険対象外の差し歯を入れたり、昔のミシン台を改造したデスクを買ったり、ドヤ顔で友だちをすてきなレストランに連れていったりするなど、お金を使いすぎたのですが、坂口さんの何倍も受け入れがたいぼくの話はともかく、今回の援助のお願いに共感できなかったとしても、静かにブラウザを落とすなり、「成績が悪くて奨学金を打ち切られた大学生が90万円を手にしているこの地球の裏側では乳幼児が毎日命を落としており、この90万円をアフリカに送金すれば分娩セットで約3000人の赤ちゃんを無事に産むことができるのだが……人の命って重さがいろいろ……みんな違ってみんないい!」などと思いながらも小規模な罪悪感に苛まれ、ワールドビジョン(写真右)にアクセスして5000円ほど単発の募金をして罪悪感を和らげるなりすればいいだけであって、そこで「がんばりが足りない」などとお説教をするのは筋違いなのではないかと思うのです。残業自慢を一次変換するとこういう感じになるんでしょうかね。
―とはいえ、インターネットの神様は坂口さんや、企画された方を見捨てていませんでした。日本は森総理(当時)が神の国だと言っていたわりには守られている感がなく、ほんとうに神の国なのか、伊勢神宮の中はもしかして…空っぽ?…あと、神の存在が疑わしくなったときって、だいたい「それは信仰が薄いからだ」という信じる側の問題にすりかえられてしまう宗教ってビジネスモデルとして秀逸やなと感心したりもするわけですが、少なくともインターネットには、神様がいることが判明したのです。彼女は無事90万円を手中におさめることに成功したようです。素晴らしいことだと思います。素晴らしいと思うところはたくさんありますが、いちばん素晴らしいと思ったのは、5000円出した人の声で「わたしも早稲田にいましたが〜…」という声がいくつもあったことです。たかだか4年(+α)在籍した集団について、未来永劫にわたってセンスオブビロンギングをフィールし続ける粘り強さと、その粘り強さの背景にある、卒業したあとの4年以上になるはずの社会人生活の……いつのまにか脱線してしまいましたが、90万円、このお金は、一見するとサポーターさんたちによって提供されたように見えますが、この企画にネガティブなコメントをつけることで、この企画を地道に支えた営業マンの存在がなければ成功しなかったでしょう。
坂口さんや企画した方を叩いた人は900円援助したことになります
というのも、叩こうが賛同しようが、話題になることで彼女のサイトにはどんどん人がくる仕組みになっているからです。たしかにネガティブなコメントとともに紹介したら、ノーマルな感性の人にはバイアスがかかるのですが、そもそもそのバイアスが不当なものであれば、むしろ味方をしたいという心理が働きますし、仮に正当な批判だったとしても、1000人に1人、アブノーマルな感性を持っている方がいたとしたら、手段を問わず20万アクセスを達成しさえすれば200人の援助が受けられるのです。
今回の企画、坂口さんが希望していた90万円、賛同者が5000円ずつ払うことになっていますが、これをふつうのビジネスと考えると、営業担当1000人で割って、ひとり900円の売り上げを達成したことになります。もちろん人数は前後するかもしれない、たとえば2000人かもしれませんが、彼女にランチをおごったくらいの感じでしょうか。また、この企画、援助の中に75135円の「システム利用料」が含まれているので、ひとりあたりの売り上げのうち、約75円は企画した会社にまわります。言われ損にはならなくてよかったです。坂口さんもサイトを企画した方も、びっくりしたかもしれないけどお金を手にしていると思うと心が安らぎます。
今回の企画を叩いた方々には、これからも営業マンとしての手腕が期待されています
今回の企画を叩いていた人は、気に入らない人が90万円を手にする企画の営業マンとして無料でサイトの宣伝をした挙げ句、言論空間をちょっと狭くして、もし自分がインターネットで何か言いたくなったときも言いにくくしてしまった、という残念な結果となりました。残念な思いをしたいという特殊な性癖をお持ちの方ならそれでいいのですが、もし意図せずそうなったのなら泣き面に蜂ですし、嫉妬に駆られて妙な行動に出ると、もっとつらい目に遭ってしまうという、世の中の真理が垣間見えてしまいましたが、そもそも、「大学の学費がないんです」という悩みの表出は、日本レベルでは「そもそも学校に行けません」という悩みであったり、世界的なレベルでは「そもそも今飲む水もない」「明日生きているかわからない」という悩みの表出と共存していて、そのなかで大学の学費の援助を求めても協力者はなかなか出ず、ネットを通じたあしながおじさん的企画は、援助する対象に感情移入させるための周到なプロモーション戦略があったとしても困難でしょう。今後、この企画がうまく回っていくのか心配です。
―つまり、このstudygiftという企画の今後は、不機嫌な営業マンさんたちのがんばりにかかっているのです。
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2012-04-17
■意外にも撮影OK!国立博物館で仏像や文化財の写真を撮りたおす!

人は誰しも、一眼レフのカメラを買ったら、まっさきに「仏像や埴輪や土偶の写真を撮りたい!」と思ってしまう、おかしくも哀しい生き物です。友だちや恋人の写真などを撮ってもろくなことがありません。目が半開きの瞬間を捉えてしまって「これ、わたしじゃなーーい!」などと怒られるのが関の山。心をこめて撮ったのになんで怒るのかと小一時間問い詰めたいところですが……。それに比べて文化財はさすがに多くの人に愛されてきた逸品たちなので、変な写真になったりしないし、なっても文句を言わないので被写体の中でもかなり優等生と言えるでしょう。
お寺や資料館などで、「文化財保護の観点から撮影禁止」と書いてあるところは多いです。仏像なら「神聖だからアカン」的なのも。撮影したくらいで損なわれる神聖さっていうのも脆弱やなーと思うのですが、それはさておき、こういうときは国立博物館がおすすめ。静かな場所なので撮影禁止のイメージが強いですが、実は「撮影禁止」のパネルがあるところ以外は耳なし芳一の耳のごとく、好きにしていいのです。
知識階級に属するこのブログの読者のみなさまにおかれましては、土日はだいたい会社の上司や同僚を招いてリッツパーティなどの出世工作に余念がなく、国立博物館なんかには行ったことないわ、という方もいらっしゃるかと思います。しかし出世したあとに教養がないことがばれてしまったらどうするのですか?教養のない上司にお説教される部下の身にもなってみては?今回は見どころも紹介させていただきますので、リッツパーティで発生したリッツおよびスモークサーモンの破片の掃除はルンバに任せて、国立博物館にお出かけください。
なお、長い文章が苦手な人のために、最初に要点をまとめておきました。このあとのどうでもいい写真とどうでもいい文章はおそらく時間の無駄なので、読まなくてもいいですよ〜
【博物館で撮影するときのコツ】
(1)F値は小さく(解放)する
撮影OKとはいえフラッシュは使えないので、ブレないよう、F値はできる限り小さくしておきます。
ちょっとボケすぎて恥ずかしいかもしれないですが、ボケているだけでいい写真だと思う人も多いから気にしなくてOKです。
(2)ピント合わせは慎重にする
F値が小さくなると、ピントが合っている領域が狭くなってしまうので、どこにピントを合わせるかはよく考えて決めるべきです。
カメラのプレビューでは問題なく写っているように見えても、家に帰ってパソコンで見たら、意図しないところがボケていたりするものです。仏像など人物をかたどったものについて、ノーマルな感性の方は目にピントが合うようにすると無難です。埴輪は目のところが無になっておりますので瞼などにしてみてください。
しかし土偶のころは目を描いていたのに、なぜ埴輪では無にしてしまったのでしょうかね。退化しているのではという疑惑が頭をもたげてきます。
(3)ガラスケースが汚れていない朝イチに行く
ガラスケースは、オッサンが「ほっほぉ…」と言いながら指紋をべったりつけたり、ちびっこが顔をべったりつけたりする(注:変な顔にするポイントは鼻。強く押しつけて、可能な限り斜め上か斜め下にズラすと、いっそう変な顔になります)などのハラスメントに晒されているおそれがあるので、乱暴者たちが活発になる前にさっくりと撮影を済ませるほかないのです。
(4)ガラスにレンズを近づけて撮る
まず反射が少ない角度を見つけ、ガラスにレンズを近づけて撮るようにすれば、ガラスの映りこみが最小限になります。
(5)展示物はローテーションを組んでいるので、あらかじめホームページをガン見して、行く日を決める
たとえば東京国立博物館だとここで展示物を見ることができます。だいたいローテーションを組んでいて、いま何が展示されているのか、これから何が展示されるのか、人はどこからきてどこへいくのか……はわからないですが、だいたいのことはわかるので、お目当てのアイテムがある場合は参考にしてみてください。準備なしに行くと気が動転してしまって、超どうでもいい焼き物などをガン見しつつ撮影、、家に帰ってからこれじゃなーいなどと思う羽目になるのです。
今回は、あんまり知られていない事実、「国立博物館は写真撮影可である」という事実を、東京国立博物館を例にとって、小生の拙い作例と作例とはほとんど関係ない病的なキャプションで紹介しようという野望に満ちた企画でありますが、ツイートやブックマークなどしていただければわたしのささやかな自己顕示欲が満たされます。
混雑している特別展のチケット売り場を横目に、華麗に常設展のチケットを買うのがOSHARE
東京国立博物館というと、特別展が気になってしまうかもしれませんが、あれは飾り。刺身の上のタンポポ、ポテトサラダの下に敷いてあるレタス、あと有給休暇も。気まずくて全部消化なんてできないんだから買い取ってくれやせんかのー。話を戻します。特別展は混んでいるので、「圧倒的な孤独感に耐えかねて、赤の他人でもいいからそばにいてほしい」「たくさんの老人たちを見て、いま自分の支払っている年金がどのように使われているか確認したい」などのややこしい気持ちになったとき限定で行くべき場所で、よほど見たいものがない限りはおすすめできません。原則的に撮影禁止ですし。
それに対して、常設展はほとんど人がいなくて、土日に見に行っても「もしかして今日、平日なん?」的な不安に襲われるほどであります。同様に、ブラック企業も土日に出社しても平日みたいですけどね。
本館の入口入ってすぐの仏像コーナーは必ずエンジョイしたい
まずは本館から。入ってすぐ右を向くとおもに仏像コーナーがあります。
このコーナーに限らず、頻繁に展示替えをしているのですが、まず、4月22日まで展示している素敵なアイテムたちを紹介させていただきます。
まず毘沙門天立像。平安時代のものなのでムキムキ感はないのだが、このぎこちなくはりついた感じ。
絶対にしばかれそうにない安心感がありますね。
毘沙門天の多くは邪鬼を踏みつけているので、こちらも要撮影。
かわいらしいからといって会社のパソコンの壁紙にしてしまうと、だんだん自虐的な気分になってしまうので注意が必要です。
そして博物館なら、仏像のパンチ部分をなめるように撮影することもできます。実際になめたら超苦いんだろうけど……
こうしてアップで見ると、パンチ部分は貝のように渦巻いており、やはりパンチ部分をパンチ呼ばわりすることはそれなりに適切であったということになりましょう。
そして、いま展示しているなかで一番すてきなのが釈迦涅槃像。
お釈迦さまが志んでいる(注:「死んでいる」と書くと縁起がよろしくないので、あえて「志んでいる」と表記しています)釈迦涅槃図は多いのですが、これは彫刻で、ここ以外で見たことないです。
釈迦涅槃図は周囲に人間や動物、ヘビやムカデまでもが泣いているのですが、こちらの像は単体で横たわっているだけで寂しい……
ピンの方が偉いのかもしれませんが。
寂しさのあまり、意味もなく足にピントを合わせたりしてしまいます。
いまは展示されていませんが、神像を展示してあるときもあります。
神像について簡単に説明すると、大昔はとくに神の像などはなかったのですが、仏像が朝鮮半島から入ってきて、「これはいいねー。やっぱり形がないよりあった方が拝みやすいよね。うちもやろっか」ということで、日本の神々についても像が作られたという経緯。
このように、仏像に比べておっそろしくシンプル。伊勢神宮とか桂離宮はモダニズム呼ばわりすることで欧米へのコンプレックスがふんわりと和らいだことでおなじみやけれども、これをモダニズム呼ばわりするのはどうしても無理があって、どうやって弁護していいのかわからへん、という意味で戸惑いを発生させるモダンアートのようであります。
並置してある仏像と比較してみると、このままじゃアカンという気になってしまうが、かといって橋本市長かというとそれも違うような気がするし……。
これも以前の展示ですが浄瑠璃寺の仁王像。
浄瑠璃寺は吉祥天像をはじめとして仏教美術が満載で、この仁王像ですら序の口なので、ぜひ足を運んでいただきたいところです。
これはめっちゃ強そうなので、フレームいっぱいに撮ると壁紙向きかも。
もちろんMっ気たっぷりに踏まれている邪鬼も見逃せません。
お召し物にあしらわれている動物もCawaiiが、チューしたら逮捕されるので、せめてアップで撮っておきたいとこやねー。
BIGな不動明王が展示されているときもあるが、こちらもいい顔だし炎が盛り上がっているので壁紙向きでございます。
怒りっぽい人と思われるかもしれませんが……。
この部屋のトリは、めっちゃ豪華なコーナーが常に用意されていて、4月22日までは、蓮華王院本堂(a.k.a.三十三間堂)のずらりと並んでいる例の千手観音のうち三体が飾られています。
残念ながら撮影禁止なのですが、あの仏像を近くでガン見=玩味できるチャンスです。Don't miss it.
参考までに、以前行ったときは鎌倉時代後期の康円という仏師がこさえたコンパクトな仏像たちがありました。
小さいのに躍動感が凝縮されていて、若き日の福原愛ちゃんを見ているようでありますなァ……。
特に福原愛は好きじゃないけど、日中友好のためにがんばってほしいです。
これも前ので申し訳ないですが、彩色がごっそり落ちているこいつらが展示されているときもある。
彩色がないことで恐ろしさが際立っております。
絵画コーナーも充実。
基本的にあんまり写真に撮っても面白くはないのですが、時期によっては暁斎の絵などもあって、つい撮ってしまいたくなります。
親子連れは全員、お子様に「悪いことするとこうなるんだからね!」と言い聞かせており、数百年経っても教育的効果を誇っている。
「実際に悪いことをすると刑務所に入れられ、出所しても社会復帰への道はきわめて厳しい。ちなみに悪いことをしていないからといって安心できないのがいまの社会。再チャレンジは事実上不可能なので、進路の選択を間違ってはならない」などの事実を教えてあげてほしいですね。
彫刻・絵画以外の作品も面白さ爆発です!
彫刻・絵画以外も面白いものがたくさん。小物類をいい感じに撮るのは難しいですが、仏舎利入れなども精巧ですばらしい。
中に仏舎利があるのですが、実際、仏陀の骨が極東の弱小国まで来るわけがないのではないかという気がしてならないので、舎利の部分にはピントを合わせない方がいいのかもしれんね。
これは残念ながら展示が終わってしまった銅人形。
これはすばらしいので常に展示してわたしたちを妙な気分にさせてほしいところです。
これ、鍼灸関連の試験に使われてて、表面に蝋を塗って、ツボの部分に針を刺すと、「正解〜」っていう意味で水とか水銀が出てくる仕組みらしい。
生まれたての赤ちゃんは頭のてっぺんがやわらかくて、「これってつっこみどころ?」と思ってしまいますが、あそこも針を刺すと水銀が出てきたりするんやろか。
こっちの人形は血管などの位置もわかる高性能な人形……なのですが、スケベ丸出しの爺をかたどっています。
血管の位置がわかるとともに、スケベも度がすぎるとこのような罰を受けるという見せしめ効果もあり。
ちなみにこの人形のように、年老いると眉毛が際限なく長くなりがちですが、これは老化によって「眉毛このへんでストップにせんと変な顔に見えちゃう!」みたいな命令が届かなくなって伸び放題になるそうな。
また、こちらはいま展示中のもので、昔のイラストつきの書籍です。
何も考えないで見るとフーンと思うだけで通りすぎてしまいそうですが、驚くべきことに、100年も続いたベストセラーなのです。100年売れ続けるファッション本、編集者にとってのファンタジーですね……。
現代だと、10年前のモードでも、なんやその眉毛はモッサリして、と思ってしまうのに、当時は100年前の眉毛がアリだったということですから衝撃です。どんなにぼんやり生きていたとしても、江戸時代の人に比べたらせわしなく生きてるということになりますね。
平成館の伏兵、国宝級の埴輪&土偶の土臭い見世物たち
「平成館=特別展」というイメージがあって、われわれ常設展愛好者にとっては近寄りがたいイメージがあるかもしれませんが、平成館の1階も実は常設展が入っていて、常設展のチケットで入ることが可能。もうまるでベトコンやねー。パルチザンやねー。民間人と思ってたらねー。
その常設展には老若男女に大人気なアイテムがギッシリなので、人気者になりたいと思うなら絶対に外してはならないのです!
まずは埴輪。埴輪といえば、まず真っ先に頭に浮かぶ「挂甲の武人」がおります。
210円切手にもなっておりますが、あの大スターがこんなに近くに!
うしろはこんな感じ。
なんや汚れてるように見えるので、いますぐガラスをバリバリに割って拭いてあげたくなりますが、ここはグッと我慢。
あと、このペアの埴輪もかわいらしい。
「我こそは真の不思議ちゃんや!」と思われる方は、写真に撮ってパソコンの壁紙にしたら、すてきなボーイフレンドができるかもしれませんね。
まあ不思議ちゃんが好きな男は不思議くんなので、共倒れになってしまう場合も多いんですけどねー。
もちろん、家型の地味な埴輪も撮影し放題なので、ガンダムのプラモデルで好きなのがムサイ巡洋艦や武器セットだった、という特殊な性癖をお持ちの方も満足できるはずです。
また、土偶も負けてはいない、というか、そもそもこれ勝負じゃないし……。
UFOといえばアダムスキー型であるのと同様、土偶というと遮光器土偶を思い浮かべますが、挂甲の武人と一つ屋根の下にいるなんてねー!
しかし女性をかたどったものとはいえ、涙袋がdekasugiて泣いてなくても何かつらいことがあったのか聞いてしまいそうです。
これはまさに岡本太郎。岡本太郎関連を壁紙にするのはミーハー臭くてチョット……と思っている方にはこちらをおすすめいたします。
もちろん銅鐸も撮り放題。
当時の生活のいろいろが描かれていますが、いま銅鐸を作ろうと思ったら、バグにあたるのか仕様変更にあたるのかを切り分ける綱引き気味の会議をしていたり、待ち合わせで「ごめん、10分遅れる」みたいなメールを見て、毎回10分遅れて来るなら10分早いニセの待ち合わせ時間を設定してやろうかと思っていたりするところがあしらわれるんでしょうね。
表慶館のアジア文化財はいっそうガードがゆるくて撮りがいあり!
写真撮影に気を取られて忘れがちですが、東京国立博物館は、建物そのものが文化財。
ちょうどソフトクリームのコーン部分が、入れ物であると同時に食べ物でもあるのと同様ですね。
本館は上から撮るとスケール感が際立ちます。
文明国に生まれた喜びと罪悪感で胸の奥がじんわりしてしまいますね。
かっこいいのは表慶館。くる人はみんな真上にカメラを向けますが、魚眼レンズをお持ちの方は床と天井と両方おさめたいところですし、魚眼レンズをお持ちでない方は、写真を撮るのがめっちゃ楽しくなるので、安いモデルでもいいから買った方がいいかもしれません。
東洋館はアンダーコンストラクションで、アジアの文明的なものたちは表慶館に所狭しと陳列されています。
どれがなんという名前か忘れてしまったけど、日本の重文などに比べるとカジュアルに展示してあって撮りがいがあります。
もともとこれらがあった東洋館にはミイラなども展示してあったので、早く改装を終えてほしいところです。
なんなら手伝ってもいいが、お茶をこぼしてミイラを部分的に生々しい感じにしてしまうかもしれん。
撮影不可能っぽいムード満載の法隆寺館も実は撮影OK!
「美人は敬遠されがちだから、意外に口説かれることは少ない」という言説は、わたしの調査によるとウソであることが判明しています。実際は男たちがくじ引き感覚で言い寄ってくるので面倒だとか……。
わかりにくい例で申し訳ありませんが、照明がめっちゃ落とされてムーディでゴージャスなたたずまいから、撮影が敬遠されがちな法隆寺館も、実は撮影OKなのです。
入ってすぐ左にある伝来仏コーナーは幻想的な風景の中で仏像が見られます。特別展だけ見て帰る人の気がしれませんねー(……って、なんで特別展だけ見て帰る人を目の敵にしているのかわからんようになってきましたが)
そして、なんでこれが国宝やねんと思ってしまうことでおなじみの香炉もいちおう撮っておきますかね…
日本史の資料集でよく見かける竜首水瓶も見放題。
本当の龍だったら食べた象の毛とかを丸めた毛玉状のものをペッとするんでしょうけど、出てくるのは水。
これはちょっとかわいらしいから国宝と言われてもさもありなんと思う。
今回、東京国立博物館を例に紹介させていただきましたが、国立博物館はどこも展示替えが頻繁に行われるので、カメラを持って、定期的に行ってみると楽しいですよ!
2011-12-31
■[正論コーナー]年越しそばを食べる習慣が日本をダメにしている

年越しそばは本当にひどい習慣で、そばだけでなく、日本の食文化って何やねん、とさえ思うこともあります。年越しそばについて考えていると、腹立ちのあまり、坊主憎けりゃ……ではないけれど、どんな天ぷらを見ても、大阪のうどん屋Nの天ぷらうどんのエビ天(たしかにエビの尻尾が天ぷらから顔を出しているのだが、尾だけで身はついておらず、匠の技で衣を盛り上げて揚げ、あたかも身が入っているかのように錯覚させる)のように見えるし、どんな寿司を目にしてもネタが小さくてシャリが多めに見えてしまうし、そもそも仏陀の骨といえども、食べ物を骨に喩えるセンスって衛生的にどうなん?―などと、気のロングなわたしですら、小言の一つも言いたくなってしまいます。
「ねえ、なんで大晦日にはそばを食べるの?」と、白目が真っ白で頭のなかも真っ白なタブラ・ラサであるところのちびっ子に聞かれて、あなたはこう答えたに違いありません。「細く長く生きられますように、という願いを込めて蕎麦を食べるのよ」と。最後の方は聞こえました。長く生きられるように、ですね。長生き、大いに結構です。春先に残念な事件があって、まあ昔から予想されつつも放置されていた件なので、「騙された」などとは言いませんが、長生きが難しいご時世になってきましたから、いっそう強く願わないと長生きはできないでしょうし、年末にそれを願うのは素晴らしいことだと思います。わたしには、その前の部分がよく聞こえなかった。いや、正確に言うなら、きっと聞こえていたのだろうけれど、あなたが信じられないようなことを言うから、「いっそのこと聞いていなかったことにしてしまえ」と思ってしまったのです。わたしにはこう聞こえました。「細く」と。「細く生きる」とは、ちょっと具体性に欠け、このまま話をすすめてしまうと、単にわたしが頭のおかしな人間であるかのような扱いを受けるかもしれませんので、実例をあげて、「太く生きる」ことと比べてみます。
「太く生きる」(futoku ikiru)
・そこそこお金を持っていながら「人生の豊かさってお金じゃないよね」と余裕のツイート
・シャワーの赤いところをひねるとすぐお湯が出る
・道端にたけのこの里が落ちていたら迷わず拾って食べる
・好きなものを素直に「好き」と言える
「細く生きる」(hosoku ikiru)
・あんまりお金がないが「世の中ゼニやで!」と、関西人でもないのにえげつない話をするときだけ関西弁でツイート
・シャワーの赤いところをひねっても、すぐお湯が出ないので、やけをおこして全開にした瞬間にお湯が出てアチチ……
・道端にたけのこの里が落ちていたら、自分も食べない代わりに他人にも食べさせたくないので原型がなくなるまで踏みつぶす
・好きなものを「嫌いじゃない」「悪くないね」と言ってしまう
「人生には勝ちも負けも存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という観点からすると、人生を太さで比較するのはナンセンスと言わざるをえません。しかし、仮に人生というものを太さという物差しではかってみて、太い方がいいか細い方がいいか聞かれたら、せっかくですし太い方を選びますよね。自分から細い方を志願するなんて負け犬根性も甚だしい。平家物語を「滅びの美」とか言って賞賛するセンスと大差ありません。
つまり、世間的に「負け」とされる人生を自らwantするのはどういった了見か。しかもそれが国民的習慣になっているなんて絶句してしまいますが、絶句したままだと、それはそれで寂しくなってブログを書いたりしてしまうほどです。わざわざ年の終わりに「不幸かつ長生きしたい」と願いながらモゾモゾとそばを食べるなんてド変態に他なりません。日本全体で「細く長く」を、毎年、年の終わりに祈念しておきながら、中国に抜かれてびっくり、なんて、どこのコントかと。なお、「細く長く」自体は難しくて、細く生きる人はだいたい短いものですから、泣き面にハチとしか言いようがないです。
こうなってくると、「じゃあ年越しに食べるのはラーメン二郎か」と思う人も多いと思いますが、あれもある意味においては年越しそばと同じくらい負け犬根性満載の食べ物です。何も考えずに「たまに食べたくなるよねー」と思って賞味するのであれば勝ちも負けもありませんし、わたしも何も考えずに3ヶ月に1回くらいは行っていますが、一部の二郎マニアの精神性には問題があります。とくに秘密などありはしないのに、あたかも敷居が高いシステムがあるかのようにでっちあげているからで、「高級な食べ物より、この脂ぎったラーメンにこそ真実があるのだ」という思想の背景にあるのは負け犬根性以外のなにものでもないからです。
以上の話をポジティブにまとめると、充実した人生を願う場合、「濃く長く生きたい」という願いをこめて、年越しは種も仕掛けもない天下一品がおすすめですが、そもそも食べ物に願いをこめるのはナンセンスですし、そんなことをする暇があったら鍋でもつつきながらこの一年を冷静に振りかえって、反省すべきところは反省し、来年どうしたら同じ轍を踏まないですむかについて、家族で議論する方がよっぽど有意義だと思われます。