中国戦線に派遣された22歳の学徒兵がほかの新兵とともに中国人捕虜虐殺を命じられる。度胸をつけるため、縛られた捕虜めがけ着剣した銃で順に突進せよ。「血と人膏( あぶら )まじり合いたる臭いする刺突銃はいま我が手に渡る」▲
上官の命令は天皇の命令。だが学徒兵渡部良三さんはキリスト者として拒む。「『殺す勿(なか)れ』そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく」。陰惨なリンチが始まる…。渡部さんの歌集「小さな抵抗」(岩波現代文庫)は、短歌700首で侵略戦争の内情を証言する▲
同じような状況で刺突訓練を経験した人に会ったことがある。「これは敵の密偵だ」と上官に言われ若い中国人を刺したこと。目が合ったこと。実は近くの農民だったこと。「私らは鬼でした」と話の途中でその人は言った▲
戦争という言葉の奥のひだには後ろ暗い個別具体的な加害行為が無数にある。「悲惨な戦争」と抽象的に言えば言うほど、加害の歴史は曖昧になり、史実の重しがとれていくように思う▲
昨日、野田佳彦首相は全国戦没者追悼式で「悲惨な戦争の教訓を風化させず、不戦の誓いを堅持する」と述べた。しかし、同じ口で集団的自衛権行使の議論を進める発言をして、中国と韓国に批判されたばかりだ▲
67年前まで日本が近隣国に鬼の面相をしていた史実を忘れてはならない理由の一つがここにもある。