(意見論文)
オウム子弟就学拒否は憲法違反
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0 要約
教育委員会は、オウム真理教(現アレフ。以後通称としてオウムと略す)子弟に対する就学拒否をすべきではない。また、地域住民も同様の運動をすべきではない。憲法26条に規定される、教育を受ける権利・教育を受けさせる義務に抵触するからである。
1 事件
2000年1月20日、埼玉県都幾川村教育委員会は、就学予定の児童に入学通知を送付したが、オウム施設にすむ児童2名には送らなかった。
96年1月に、千葉県木更津市の「保護者の会」が、市に麻原被告の女児の就学拒否を求める要望書を提出した。97年2月には、福島県いわき市の教育委員会に対して、市立小名浜第三小学校の保護者たちが、麻原被告の女児の就学を拒否するよう主張した。99年7月には、長野県松本市でいったんオウム信徒のこの入園・入学を拒否する見解が出された。ただし、これらの件では、実際の就学拒否はなかった。
2 拒否の根拠と関係者の反応
都幾川村では、99年9月に、同村の村長が、すでにこの方針を発表していた。「超法規的立場から決断した」ものである。
2000年1月28日、中曽根文部大臣は「教育を受ける権利は当然尊重される必要があるが、地元のみなさんがオウム関係者との共存に非常な不安を感じていることも十分理解できる」と述べた。
いわき市で行われた保護者説明会では、「『一人のために五百人を超える子供たちを犠牲にするのか』と涙声で訴える母親もいた。」(97.2.9付『産経新聞』)
松本市長は、見解を撤回する際に「信徒の犯罪と子供の人権は別問題。心情的には複雑だが、入園・入学は認めていきたい」と述べた。(以上、特記のないものは、『朝日新聞』記事からの引用)
3 事件についての意見
教育権は、「公共の福祉」の制限を安易に受けるべき性質のものではない。
就学拒否より広域で起こっている、オウム信者の転入拒否も、憲法22条の住居・移転の自由に抵触するおそれがある。が、この条文には「公共の福祉に反しない限り」という
明示的な制約がある。破産者が管財人の管理下にあって、居住・移転にある程度の制約を受けるのと同様に、「団体規制法」によって観察処分を受ける団体(この法律自体の適否はここでは論じない)が一定の制約を受けることは、あり得ると言える。
しかし、教育権を定めた26条には「公共の福祉」という明示的な制約はない。自由権的基本権などと同じく、「侵すことのできない永久の権利」として保障されていると見るべきなのである。
まして、教育権は、「超法規的」に阻害されてはならない。基本的人権が「侵すことのできない永久の権利」であるならば、それを恣意的な解釈によって侵害することはできない。たとえ地域住民の総意であろうと、基本的人権に制約を与えることはできないのである。
むろん、12条の「(基本的人権を)国民は……常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という概括的規制は受ける。しかし、教育を受ける権利の行使、教育を受けさせる義務の履行が、「公共の福祉」を損なうという観点は、すくなくとも、今回の事件に関しては、得難い。
「一人のために五百人を超える子供たちを犠牲にするのか」という発想の基礎には、オウムという団体が「何をするかわからない」という「不安」があるだろう。しかし、この種の不安は、すべての国民にあてはまる。すべての国民が、基本的には「何をするかわからない」からである。オウムの団体としての活動への不安は、「団体規制法」による監視によって解決をはかるべきである。その種の不安感は、オウム子弟の教育権を制約する要件とはなりえない。就学拒否によっても、「不安」は解決されないのだが、それは自明である。
逆に、オウム信徒も、国民であるならば、子弟に教育を受けさせる義務を負う。それを阻害することは、非オウム信徒の基本的人権を「公共の福祉のために……利用」したことになるのだろうか。就学を拒否することよりも、就学させ社会体験を積むことで、公民としての資質を得させるという発想に立つ方が、「公共の福祉」の見地からすれば、好ましいのではないか。
さらに、たとえ、今後、オウムが団体として犯罪を構成したとしても、オウム子弟の教育権は守られるべきである。犯罪者の子弟が、その肉親の犯罪のゆえに基本的人権を失うということは許されるわけもない。また、児童自体が犯罪を構成したとしても、それは少年法の趣旨に従って、しかるべき保護を受け、その制約の中で教育を受けることになるべきである。これらの措置は、すべての犯罪者と犯罪者の子弟に保障されているのではなかろうか。
責任の所在は、二カ所にある。一つは、就学を取り扱う教育委員会、今ひとつは、行政に住民の意思という形で圧力をかけうる地域住民である。特に、後者の公民としての責任を強調したい。公共の福祉に反する可能性を有する団体を批判することは許される。しかし、その構成員の基本的人権を「超法規的」に侵害する権限は、誰にもない。さもなくば、基本的人権という、人類の不断の努力によって得られた成果は、その享受者の愚昧の故に、あたら水泡に帰してしまうことになるのである。
しかしながら、現在求められているのは、原則論ではなく、現実的対応であろう。実際、たとえモラルハザードに陥っていようと、国民(オウム信徒を含む)は人権を有するという観点でこの論を述べている以上、地域住民も彼らの権利を主張することは当然認めねばならない。彼らが、「オウム関係者との共存に非常な不安を感じている」以上、それに対応することが、行政には要求されるだろう。(ただし、その「不安」を就学拒否と結びつける感情を行政が「理解」する必要はないと考える。)
ここで提案したい。教育委員会は、オウム子弟を地域の学校で受け入れる。ただし、住民の「不安」を解消しうる何らかの形、たとえば特別学級、個別指導、訪問指導などの形をとる。そのための費用は地方自治体が負担する。こうすることで、オウム子弟の教育権は全うできるであろう。これは次善の策である。が、子供たちの入学は二ヶ月後である。速やかな決断が必要なのである。
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