CCHRと原理主義患者会
今回も「叩かれまくり」そうな内容を書いてみた。
今週は先週以上に大御所な団体と会って話をすることになった。知る人ぞ知るCCHR関係者のkebichanさんである。まず敵を知るにはその敵からということでコンタクトを取ったところ、是非にと言ってくださり、しかもお会いしたらセカンドのこともその他私が知らないことも、いろいろ知っていて参考になった。
今週は先週以上に大御所な団体と会って話をすることになった。知る人ぞ知るCCHR関係者のkebichanさんである。まず敵を知るにはその敵からということでコンタクトを取ったところ、是非にと言ってくださり、しかもお会いしたらセカンドのこともその他私が知らないことも、いろいろ知っていて参考になった。
まず私はCCHRという団体に対して、非常に強いアレルギーを持っていた。彼らは完全なる反精神主義であり、一部の患者会と結託し自分たちに都合がよい反精神学だけを打ち出し、かつ他の反精神医学者からも避けられているくらいの過激派なのだと考えていたのである。会っていないのだから又聞きかネットで与えられる情報くらいしかないので、こうなるのはやむを得ないのかもしれない。要するに私がアホということなのだが。
彼ら、少なくとも彼はそのようなカルトを感じさせるような人間ではなかった。社会の中で生活し、社会規律を崩そうと考えるような人とは全く感じられなかった。法律も一般の人同様重視しているし、私が聞いていた話とは大分違うようである。そういう彼をみて他のCCHRの人のブログなどもみて、内部にもまた強行派や折衷派などがいていろいろ苦労しているのでは、と勝手に想像している。
と同時に自らをキーサンと自称する患者会たち(彼らのことを最近キーサン原理主義などと呼んでいるが)や一部のセカンド会員たちの目指すものとは、かなり違うものを目指していると私は強く感じた。彼らはCCHRの主張に対して自分たちの都合がいい部分しか抜き出していない。CCHRについてのことが精神医療者側からも、逆に精神障害者側からも歪められているのだろうという気がした。
もちろんだからといって、CCHRの意見を全面的に受け入れるのには無理があるのは明らかだ。精神薬のあったほうが本人にとっても楽だったり助かる、という人が多数いるのも事実だし、すべての精神障害という存在をなくしてしまえば困る人がどれだけいるか。またたとえ昔に精神障害という区分がなかったとしても、それは呼称が変わったに過ぎず、似たような扱いを受けた人は厳然として存在するわけで、このことにどう取り組むかは現代社会全体の課題といえよう。
今、少なくとも彼が多剤療法という問題と、抗うつ薬の種々の問題を重視しているのは明らかだ。はっきりいってルボックスMAX処方などというものは、彼らに言わせればあり得ない存在なのに、それを唱える人と信者のような人たちは、それがいいことだと本気で信じている。これは他の精神科医や製薬会社が、業界を洗脳してきたやり方と全く同じであって、R医師という人だって結局薬害を垂れ流してきた精神科医と同じではないかとあらためて確信するにいたった。思い返せばルボックス200mgとか250mgとか飲んで自殺企図しようとしたり、暴力的になってサードオピニオンを求めに来た人がどれだけいたか。しかも彼は20歳以下の患者にも容赦なくそれをすすめているが、それがどれだけ多くの罪をもたらしてきたかをCCHRは啓蒙してきたととらえることもできる。また他にも、エビは(メジャーとの)併用が大事などとのたまっているが、これも結果からみて相当危ない橋である。これらを考えればこういう処方を出す医師の意見に私は洗脳され、セカンドに協力することでますます悪さをしていたのだろうと思う。まずこの場を借りて謝らねばならない。
ここでこう書くことは世の大半の精神科医の処方を認めることでもなんでもない。彼らの処方の大半がオワッテルことはもはや曲げようのない事実である上で、セカンドの広げようとした処方自体も大差ない可能性があるということを述べたいということだ。
今回の訪問は自分が内科医であり、セカンドに入っていこうとした原点を思い返させた。
それは軽症や中等症レベルの患者さんに対する、意味なき多剤大量療法を根絶したいのであって、多剤大量療法をされてしまうような行為をする人達を、根本的に助けたかったのではないということだ(もちろんその人たちに対しても多剤療法しても無駄だとは言いたい)。そして今ある精神障害という診断にどれだけ妥当性があるかを考え直したかったということだ。その意味ではセカンドに関係した人たちを、反精神学に流れている、宣伝ばかりしていると考えたがどうも違った。実は私のほうが反精神医学には近いものを求めていることが今回のことであらためてわかったのだ。完全にそれに染まることはできず中途半端なことはこのうえないが、それでも両方の裏事情も知って、今後反精神学的に活動できる人間はどうやら少なそうである。
そんな中でキーサンと自称する人たちにも、自分の子供だけ発達障害呼ばわりして、精神科医と共同で薬漬けする人間たちの、自己都合的な行動を擁護するつもりなどさらさらない。彼らに多剤療法することや通電することや医療観察で一生病院に入れておくことはもちろん反対だけど、ひたすら法律にのっとって彼らの違法行為があれば裁かれればいい。家族会の都合がいい意見など弾劾されればいいし、自閉症は親には関係ないなどという、事実を無視した都合がいい意見など潰れてしまえばいい。前回出した凶刃という本はその流れに間違いなく一石を投じるだろう。そもそも全国の患者会の大半はそのような過激派集団の集まりであったりはしない。そして多くの患者を実際に支えていて感謝されているいろいろな人たちさえ、彼らは根底から否定している。そのことは最近福祉施設を行脚しているので多数聞こえてくる。そんなところまで否定する権利は到底彼らにはないのに、彼らがそんなことを繰り返すのだから、誰かが彼らやその応援医師を否定し批判しつくさない限りバランスさえなりたたない。
今回のシンポジウムはこれらを総括し、精神医療の被害や問題点を世に問うとともに、セカンドという活動全体にわたる自分自身を含めた罪を問いなおす場でもある。セカンドとCCHRを含めた反精神学と福祉的視点と内科医の視点と、これらをどこまで混ぜ合わせて表現できるか。それはシンポジウムが終わった後も会として続けていかねばならない自分自身の課題である。
彼ら、少なくとも彼はそのようなカルトを感じさせるような人間ではなかった。社会の中で生活し、社会規律を崩そうと考えるような人とは全く感じられなかった。法律も一般の人同様重視しているし、私が聞いていた話とは大分違うようである。そういう彼をみて他のCCHRの人のブログなどもみて、内部にもまた強行派や折衷派などがいていろいろ苦労しているのでは、と勝手に想像している。
と同時に自らをキーサンと自称する患者会たち(彼らのことを最近キーサン原理主義などと呼んでいるが)や一部のセカンド会員たちの目指すものとは、かなり違うものを目指していると私は強く感じた。彼らはCCHRの主張に対して自分たちの都合がいい部分しか抜き出していない。CCHRについてのことが精神医療者側からも、逆に精神障害者側からも歪められているのだろうという気がした。
もちろんだからといって、CCHRの意見を全面的に受け入れるのには無理があるのは明らかだ。精神薬のあったほうが本人にとっても楽だったり助かる、という人が多数いるのも事実だし、すべての精神障害という存在をなくしてしまえば困る人がどれだけいるか。またたとえ昔に精神障害という区分がなかったとしても、それは呼称が変わったに過ぎず、似たような扱いを受けた人は厳然として存在するわけで、このことにどう取り組むかは現代社会全体の課題といえよう。
今、少なくとも彼が多剤療法という問題と、抗うつ薬の種々の問題を重視しているのは明らかだ。はっきりいってルボックスMAX処方などというものは、彼らに言わせればあり得ない存在なのに、それを唱える人と信者のような人たちは、それがいいことだと本気で信じている。これは他の精神科医や製薬会社が、業界を洗脳してきたやり方と全く同じであって、R医師という人だって結局薬害を垂れ流してきた精神科医と同じではないかとあらためて確信するにいたった。思い返せばルボックス200mgとか250mgとか飲んで自殺企図しようとしたり、暴力的になってサードオピニオンを求めに来た人がどれだけいたか。しかも彼は20歳以下の患者にも容赦なくそれをすすめているが、それがどれだけ多くの罪をもたらしてきたかをCCHRは啓蒙してきたととらえることもできる。また他にも、エビは(メジャーとの)併用が大事などとのたまっているが、これも結果からみて相当危ない橋である。これらを考えればこういう処方を出す医師の意見に私は洗脳され、セカンドに協力することでますます悪さをしていたのだろうと思う。まずこの場を借りて謝らねばならない。
ここでこう書くことは世の大半の精神科医の処方を認めることでもなんでもない。彼らの処方の大半がオワッテルことはもはや曲げようのない事実である上で、セカンドの広げようとした処方自体も大差ない可能性があるということを述べたいということだ。
今回の訪問は自分が内科医であり、セカンドに入っていこうとした原点を思い返させた。
それは軽症や中等症レベルの患者さんに対する、意味なき多剤大量療法を根絶したいのであって、多剤大量療法をされてしまうような行為をする人達を、根本的に助けたかったのではないということだ(もちろんその人たちに対しても多剤療法しても無駄だとは言いたい)。そして今ある精神障害という診断にどれだけ妥当性があるかを考え直したかったということだ。その意味ではセカンドに関係した人たちを、反精神学に流れている、宣伝ばかりしていると考えたがどうも違った。実は私のほうが反精神医学には近いものを求めていることが今回のことであらためてわかったのだ。完全にそれに染まることはできず中途半端なことはこのうえないが、それでも両方の裏事情も知って、今後反精神学的に活動できる人間はどうやら少なそうである。
そんな中でキーサンと自称する人たちにも、自分の子供だけ発達障害呼ばわりして、精神科医と共同で薬漬けする人間たちの、自己都合的な行動を擁護するつもりなどさらさらない。彼らに多剤療法することや通電することや医療観察で一生病院に入れておくことはもちろん反対だけど、ひたすら法律にのっとって彼らの違法行為があれば裁かれればいい。家族会の都合がいい意見など弾劾されればいいし、自閉症は親には関係ないなどという、事実を無視した都合がいい意見など潰れてしまえばいい。前回出した凶刃という本はその流れに間違いなく一石を投じるだろう。そもそも全国の患者会の大半はそのような過激派集団の集まりであったりはしない。そして多くの患者を実際に支えていて感謝されているいろいろな人たちさえ、彼らは根底から否定している。そのことは最近福祉施設を行脚しているので多数聞こえてくる。そんなところまで否定する権利は到底彼らにはないのに、彼らがそんなことを繰り返すのだから、誰かが彼らやその応援医師を否定し批判しつくさない限りバランスさえなりたたない。
今回のシンポジウムはこれらを総括し、精神医療の被害や問題点を世に問うとともに、セカンドという活動全体にわたる自分自身を含めた罪を問いなおす場でもある。セカンドとCCHRを含めた反精神学と福祉的視点と内科医の視点と、これらをどこまで混ぜ合わせて表現できるか。それはシンポジウムが終わった後も会として続けていかねばならない自分自身の課題である。