緊急報告 第2弾 ヤノマミ族大量虐殺事件 続報

September 04 [Tue], 2012, 21:25
先週末9月1日にアップ致しました

当ブログ『特別緊急報告 YANOMAMI ヤノマミ族大量虐殺事件』
につきまして

極めて多くの反響を頂戴致しました。




この記事に関して
アクセス数は、本日22:00の段階で
10,137件となり、
現在も
数秒ごとに
カウントを上げております。

これまで1年に渡って展開してきた
当ブログですが
1年間で、約33,000のアクセスでしたが、
この3日間で
一気に
10,000件を突破しました。



地球の反対側に住む
ヤノマミ族という
少数民族に対し、

いかに日本人の方々が
深い関心を持っておられるのか、

僕は、この意外とも思える数値に
驚いています。

そして、
遥か遠くの会った事もない人たちの事を

これほどまでに
気遣う日本人が

こんなにも大勢存在した事を
誇りに思いました。


当ブログは、
『自然』部門、
『地球』部門などで
1位をとる事を
ひとつの目標にやって参りました。

そして
昨日、今日の連日、
不本意な形で
その目標を達成してしまいました。



本日もすでに
昨日を上回るアクセスがあり、
明日も
各部門で1位になる事は確定的だと
思います。


日本人のヤノマミ族への興味、関心。

慈しみ。

思いやり。

気遣い。

尊敬・・・

そういった様々な想いが

この多大なアクセスにつながったものと
確信し、
急きょ、ヤノマミ族大量虐殺事件について
第2弾を
書く事とした次第です。




本日は、この痛ましい事件の続報に
対してと、
もうひとつ、
私しか知らない
ヤノマミ族の人間像について
書かせて頂きます。



どちらさまも、
よろしくお願い申し上げます。

※本ブログ中の写真は全て私が2003年に現地で撮影したものです。





9月1日の報道によれば、
今年7月に、ベネズエラとブラジルの国境付近で
ヤノマミ族約80人が
虐殺されました。

金の採掘業者の仕業ではないかという報道も
されています。



ヤノマミ族は、60〜200人ほどの単位で
村を形成して
暮らしているため、
虐殺された80人という数字は
村一個分であると思われます。

女性や、
お子さんも
相当数、いらしたでしょうね。



実は、ヤノマミ族には
数字に関する言語があまり発達していないのです。

ヤノマミ語では、
数字の『1』と『2』はあるのですが、
『3』以上がありません。

3以上になると、彼らは、『たくさん』とか
『大勢』と言い表します。

だから、村人の人数も、はっきりとは
把握していなかったものと
僕は考えています。



また、僕の調査では、
10歳以上まで生きる子どもよりも
10歳までに亡くなってしまう子どもの方が
多いという事で、
私が滞在中にも、
不幸にも、亡くなってしまったお子様が
いらっしゃいました。

また、村を飛び出し、
別の村に行ってしまう者もいるので
正式な村人の数を常に掌握は
していないのではないでしょうか。

7月に
焼き殺されたという事ですので
正式な被害者数は
出しづらい現状と思います。



続報が非常に気になるところですが
本日のロイター発の発表では
ベネズエラ政府は
事件があったと思われる場所の上空から
低空飛行により
調査を実施したが
証拠が見つからなかったので
事件はなかったのではないか?
という
驚くべきものでした。

日本の事件として
置き換えたら、
どうでしょう?

山間部で、人が80人、
殺されたという報告があって
上空からだけの調査で
証拠が見つからないので
事件はなかった。・・・って、
あり得ますかね?



これが本当の
人種差別ではないでしょうか?

僕は、これは最初の
第一段階の調査であり
ベネズエラ当局が
これから
しっかり調査をしてくれるものと
信じています。

そうじゃなきゃ、おかしいですよね!!

前回、
僕は
ヤノマミ族の方々に
敬意と哀悼の意を込めて
『ハチミツ飴』の話をしました。

今日も、
地球上で僕しか知らない
ヤノマミ族の人間像について
書きます。

何故なら、
僕しか知らないのは
もったいない話だから。





以下、
2003年に
私が2回目にヤノマミ族の村へ
行った時の日記より




ベネズエラ最南端の町からは
もう交通手段がない。

この町からチャーター機を借りて
アマゾンのジャングルの行ける所まで
行く。

行ける所と言うか、
チャーター機が着陸できる所と
言った方がいい。

アマゾンのど真ん中に
チャーター機が着陸できる
所が、一か所ある。

ベネズエラ軍の密林の支部が
自分達の軍機の離着陸用に切り開いた場所だ。

そこに降りると、
ロペスさんというスペイン語を話せる
ヤノマミではない部族の方が
一軒の家を持っていて
そこに泊めてもらえる。

そこから丸2日、
ジャングルを歩いて行けば
シャマタリ村という
古くからの格式ある
ヤノマミ族の村に到着できる。


エニセヨが来た。
エニセヨは、
ヤノマミ族の人間だ。

身長はやはり150センチちょっとだろう。

年齢は30そこそこなのだろうが、この軍の滑走路付近に住む
数百名のヤノマミ族のリーダー的存在である。

エニセヨはサルの毛皮で作った帽子をかぶっている。

それはとてもヤノマミらしいのだが、
着ているミッキーマウスのトレーナーが妙にミスマッチだ。

ここパリマをはじめ、
アマゾンのジャングルに点在する軍隊の軍人か、
こんな秘境にまで入り込んできているキリスト教の
宣教師からもらったものだろう。

このミッキーマウスのトレーナーのようなものが、
パリマのヤノマミを撮影しづらい理由だ。

撮影の時だけ
ミッキーマウスのトレーナーを脱いでもらう事は
できなくはないけど、
そんな事はさせたくない。

文明人が、
先住民の方を、
非文明人らしく撮ろうとして、
わざわざ着ている服を
脱がす。
それはテレビマンとして最も格好が悪く卑劣な行為だ。

エニセヨは文明人になりたがっている。

常にノートを片手に持っている。

時代の最先端を行くヤノマミだ。

ヤノマミ達が一番欲しがる物は腕時計で、
それがステイタスシンボルになっているようだ。

我々のようにごくたまにやって来る
諸外国からのジャーナリストにもらったものかもしれない。

ガリンペーロと呼ばれる金鉱掘りの手伝いで手に入れたものかもしれない。


軍の滑走路に着陸して間もなく、
エニセヨの口から
とんでもないお知らせがあった!!


コーディネーターのユズリハさんが目を丸くして言う。


『佐藤さん、
エニセヨがねえ、
家造ってくれたって言うんですよ』

『家?』

『ええ、我々が泊る家』

『い、家?』

『そうなんですよ〜』

彼らの家とは、バナナの葉を重ねて作った屋根と
木の皮で作った壁だけの小屋のようなものである。

『いや〜、だけど逆なんですよ、方向が。
エニセヨの部落に作ったらしいんでね』

明日はジャングルを歩く。
少しでも歩く距離を短縮したいところなのだが、
エニセヨの部落は我々の向かう方角の正反対に
20分ほど歩かなくてはならないというのだ。

そこに泊れば往復で40分も余計に歩かなくてならなくなる。

『下も相当ぬかるんでますからねえ、
一応せっかく作ってくれたから見に行くだけ見に行って、
失礼のないように断りましょう』

ロペスさんの家もトタンの屋根と土の壁があるだけの
ちょっと大きな小屋にすぎない。

だが、ここにはトイレもある。

もちろん水洗ではなく、
深く穴を掘った所に
様式のトイレの便座を置いてあるだけだが。

エニセヨには申し訳無いが
往復40分のぬかるみを明日全員に余計に歩かせるのはきつい。

それでなくても、明日は1日中歩かなくてはならない。

私はユズリハさんの意見に賛成した。

そしてとりあえず、
せっかく作ってくれたという家を
全員で見に行く事にした。

確かに地面は所々ぬかるんでいて歩きづらい。

うっそうと雑草が生えている場所では、
そこがぬかるみかどうかすら
踏み込んでからでないとわからず、
思わず足首のところぐらいまで
泥水にはまってしまった。

靴の中に泥水がグチュッと沁み込む。

明日、
中がグチャグチャになった靴で
歩くのは最悪だ。

エニセヨの村についた。

本来ヤノマミ族の村は
巨大なドーナツのような形をしていて、
たくさんの家族がドーナツ状の屋根の下に
仕切りを作らずに暮らしている。

ところが、エニセヨの村では
8つの小屋を一応ドーナツ型に並べてあるだけだった。

彼らは一軒一軒の家族の
プライベートを大切にしだしたのか。

その新型の村の入り口に
大きな一軒家が堂々とたたずんでいた。

ユズリハさんがビックリした顔で指差す。


『ここなんですって!凄いなこれは!』

『ええ〜っ!マジすか〜!?』

それは我々が想像していた小屋ではなかった。





立派な2階建ての建築物だ。

外壁は全て木の皮を張り合わせて作られている。

驚いたのは窓があった事だ。

ヤノマミの住居に
窓というものは存在しないはず。

窓はもちろんガラスなどは入っていないが、
木の皮でフタができるようになっていた。

中に入ると階段まであった。
昇ってみると2階は床を木の皮で作ってあった。

僕ら日本人スタッフと
エニセヨらヤノマミ計10人が上がっても
びくともしない丈夫な作りだった。

『カサ(家)、トリヒーバ(最高)!グラッシャス(ありがとう)!』

僕は、ヤノマミ語とスペイン語のミックスで
何度もエニセヨや彼のお付きの若いヤノマミたちに言った。


『これ、作るのにどれくらいかかったんでしょうか?聞いて下さい』

私の質問をユズリハさんがスペイン語に換えエニセヨに聞いた。

エニセヨは、スペイン語がわかる。


『1ヶ月半だそうです。凄いですねえ〜』

それを聞いた瞬間、
私の心がここに泊らない事を許さなかった。

『ユズリハさん、僕、今日ここに泊まらせてもらいます』

『そうですか?』ユズリハさんの表情は曇った。

その陰りのある顔には、理由があった。

『ここ、虫多いですよ』

ユズリハさんの言う虫とは
ハマダラ蚊の事だ。

悪性のマラリアを媒介する。

悪性のマラリア

それは、死に直結する。

ヤノマミ族の多くが
この蚊に殺されている。

木の皮を張り合わせただけの壁には
細かい隙間がいっぱい空いている。

ロペスさんの家なら土の壁なので虫は入って来ない。

しかもロペスさんの家はトタンの屋根だが、
この家は天井が葉っぱを敷き詰めているだけなので、
雨が降ってきたら多少の雨漏りはするだろう。

夜は寒いので
我々はハンモックの中で寝袋に入って寝るのだが、
寝袋が濡れてしまうと大変だ。

雨期の間は衣類などは乾かせないので
ずうっと湿った寝袋を使う事になってしまう。

軟弱な我々文明人にとってこれは死活問題になりかねない。

だが、この建物を彼らが
1ヶ月半もかかって作ったと聞いた時に
すでに心は決まった。

何を言われようが、結論は変わらない。

彼らが私達の喜ぶ顔を思い浮かべて1ヶ月半も
汗水垂らして、
これを作っている光景が
目に浮かぶ。

だが、自分のとる行動を
他人にも強要してはいけない事ぐらいは
わかっている。

ここは
自分だけが泊まり
他の人には泊らせない方がいいだろう。

私が泊ると言ってしまえば
責任感の強い長谷川カメラマンや
ユズリハさん達は
絶対に一緒に泊ると言い出すだろう。

そこで、私は
自分だけがここに泊まれる口実を作った。

『皆さん、ここに泊りたいんだと思いますけど、
機材とかは持ち運べませんから
ロペスさんの所に泊って下さい。

万が一、機材置いてこっち来ちゃって
機材とかに何かあったら困りますから。
僕が代表して泊りますんで。

あと、
ロペスさんにも泊らせてもらうって
すでに言ってあるんで
急にこっちに皆行っちゃうと失礼になるから。

こっちに泊りたいでしょけど我慢して下さい』

長谷川さんもユズリハさんも
納得していない顔だったが
無理に了承してもらった。

はっきり言って
たった一人でヤノマミの部落に泊るのは
ちょっと不安だが、
この立派な家を見てしまった私は
その恩義に対し、
喜んで泊らせてもらうことしか考えられない。

もう一度ロペスさんの家まで20分かけてもどる。

寝袋とハンモックを取ってこなければ。

水筒もだ。

ロペスさんの家に戻ると辺りはもう真っ暗だった。

そして僕はもう一度、
エニセヨが建ててくれた
僕らの家に向かう。

何度か靴を浸水させながらも
エニセヨの部落に到着できた。

ルーチョ(ベネズエラ最南端の町のガイドでヤノマミ語もできる)が
『1階に寝たいか?2階に寝たいか?』と聞いた。

『せっかく2階を作ってくれたんだから
本当は2階に寝たいけど、
雨に濡れたくないから1階にするよ』と英語で言った。

ルーチョと若いヤノマミたちが
家の中にハンモックを吊ってくれると
エニセヨが奥さんや数人の仲間とともやって来た。



何度も何度も
私は
彼ら全員に
礼を言った。

私がありがたがっているのを見て
エニセヨも喜んでくれた。

すると『カサ、トリヒーバ、グラッシャス!』を
日本語で何と言うとエニセヨが聞いてきた。

『カサ、イエ(家)』

『カサ、イエ』と
エニセヨ達は皆で繰り返す。

『トリヒーバ、サイコウ(最高)』

『グラッシャス、アリガトウ』

エニセヨたちは何十回も繰り返し唱えた。

『イエ、サイコウ、アリガトウ』

それは本来、
私のセリフなのだが
彼らはそれを繰り返し大声で言っては
笑い続けた。

泊りに来させていただいて本当に良かった。

私はバッグからハチミツ飴の袋を取り出し、
袋を破いてから全部エニセヨにあげた。

エニセヨは皆に飴をひとつずつ配った。

私の心情としては、
甘い物が大好きな彼らに
リュックいっぱいに詰めたお菓子を持ってきてあげたかった。

それは前回来た時に痛切に思った事だった。

彼らの中には
砂糖欲しさに
闇の金鉱掘りに手を貸す者もいるという。

だが、同時に
それはしてはならない事だという事も
わかってしまった。

虫歯になったらどうするという現実に
気がついたのだ。

虫歯の痛みという地獄を
体験した事のある私はこの葛藤に随分悩まされた。

そして日本を出発する当日、
私は原宿で
100%ハチミツでできた飴を発見したのである。
『この手があったか!』

100%天然素材ならば
ヤノマミたちにあげてもいいのではないかという気がした。

その店にあったのを
全部買ってきたのだ。

おそらく彼らは
ハチミツの味は
知っているだろうから
それほどの感動は無かったかもしれないが、
皆喜んでくれた。

次にリンゴを1個取り出し、エニセヨに渡した。

カリウム不足で足がつったら食べようと
町で買っておいたものだったが、
ひょっとしたらヤノマミの人たちは
リンゴを食べた事が
ないのではないかと思ってあげたら、
案の定だったようだ。

エニセヨは不思議そうにリンゴを
回転させながら見ている。

そして若い者が
持っていたナイフを取り、
リンゴをきれいに8等分した。

そこにいたヤノマミはエニセヨを含めて8人だった。

彼らは一口一口大事にリンゴを食べてくれた。




人間は
他の人が喜ぶ事に
己の喜びを感じる
動物なんだと悟った。

皆の嬉しそうな顔を見ると
トラック1杯分ぐらい
いろんな食料を持ってきてあげたいとか、
一度アイスクリームを
食べさせてあげたいなどと考えてしまう。

私はエニセヨに『マウ』と言って
水を飲むジェスチャーをした。

(マウとは、ヤノマミ語で水の事)

エニセヨが自分の奥さんに『マウ』と言うと
すぐさま奥さんはひょうたんに入った水を持ってきた。

私はエネルゲンという
オレンジの味のするスポーツドリンクの粉末を
水に溶かした。

1リットル分のエネルゲンを
8人のヤノマミたちが最初は恐々口にし、
やがておいしそうに飲み干した。

NIPPONという知らない国の人間と
YANOMAMIという民族の人々が、
お互いに
お互いを
喜ばせようとした。

   2003年の日記より




よく聞かれる事があります。

今まで、たくさんの国に行って
どこが一番良かったですか?と。

僕は、
こういった人とのつながり
友情
共感や共鳴

そういうものを感じた時に
その場所が大好きになって

再び、
そこに行きたくなります。

あの時の感触を確かめたくなって。

日本には、
一宿一飯の恩義という言葉があります。

博徒や渡世人、旅人の言葉です。

一晩泊めて頂いて、
一食ご馳走になったら

それは一生の恩義であるという意味です。

一泊どころか
家一軒を建ててくれた。

こんな一宿一飯があるでしょうか。

YANOMAMIとは、
そういう
義侠心と思いやりに富んだ

思いやりのある人たちです。


そんな人たちを
焼き殺した?

よくもそんな事ができたもんだな



僕は毎日
神に祈っています。

犯人が一刻も早く
捕まって、
地獄に落ちる事を。

そして、

謹んで、
殺害された方々のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。



二度と
悲劇は繰り返しませんように。

        
        EIKI SATO



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YANOMAMI、なんと気高い民族なんだ!
非文明人?
まったくそんな風に思えない。
彼らの心根こそ、文明人と言われている我々が失いかけている、本来の人間の姿じゃないのか。

人を喜ばせる事に歓びを感じる。

すばらしい!

こんな崇高な民族が醜い争いに一方的に巻き込まれるなんて...
なんて不条理なんだ。
獣でさえ腹いせで敵を殺すことなどしないというのに。

亡くなられた人々が安らかな眠りにつくことを、そしてヤノマミ族に平穏な日々が再び訪れることを切に切に祈りたい。

エニセヨさんの建てた家、とても美しいです。
自然素材だけで無駄な作意を凝らすこと無く、手作業で建てられた家の強い存在感に圧倒され、感動します。

義に熱く情に厚いエイキさん。
よくぞエニセヨさんが建てた家に泊まってくれました。
僕も嬉しくなりました。

ありがとうございます!

(エニセヨさん一家は無事なのかな....)

by J September 05 [Wed], 2012, 22:50

mg.さん

mg.さん、
僕も、
ほんとにそう思います!!

今だからこそ!
なんすよね〜!!

おっしゃる通りだっ!!

今だからこそ、先進国の人間は、
先住民族に
学ぶべきなんじゃないかって、

僕も、思います!!

mg.さん、
これからも、ヤプミーよろしく
お願いしますねっ!!

ありがとう!!

by エイキ September 05 [Wed], 2012, 22:37

日本の裏側の見たことも会ったこともない人達ですが、知れば知るほど犯人に対する怒りが込み上げてきます。
触れあった事はなくても、そんな事件は許されるべきではないですし、きちんとした捜査がされるべきですよね!!
人間らしさが欠如してきた今だから、そういったヤノマミ族の生き方が大切に思えました。

今回、ヤノマミ族の事を知れた事は良かったと思います。

そして、心よりご冥福をお祈り致します。

by mg. September 05 [Wed], 2012, 22:27
プロフィール
  • ニックネーム:エイキ
  • 性別:男性
  • 誕生日:1962年6月5日
  • 血液型:A型
  • 現住所:東京都
  • 職業:その他
  • 趣味:
    ・自然観察-昆虫 野鳥 川魚を中心とした都会の生き物の観察と研究、そして撮影が趣味であり職です
読者になる
自然が大好きですが、特に川が好きです。そして、淡水に棲む魚や生物が一番好きかもしれません。バラタナゴの婚姻色を見ると幸せな気持ちになります。

この度、東京書籍さまより『動物トリビア図鑑』佐藤栄記著・千石正一監修
を出版して頂きました。
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