脳みそ先生とは、ずっと前からある方を通じてうっすら知り合いだったのだが
初めて率直に打ち解けたお話をする機会をもてたのは
私が脳みそ先生を訪ねていったときだった。
実を言うと
悪いニュースを持っていかなければならなかったときだった。
それは何かというと
企画のお断りだ。
脳みそ先生の本ではない。
先生のお知り合いの方から先生を通して持ち込まれた企画のお断りだった。
その本自体の内容はよかったと思う。
おそらく多くの親御さんや当事者の方々が希望を得られる内容。
自伝だ。
でもその当時は、私のほうにまったくやる気がなかった。自閉症を続ける気もなかったし、自伝はなおのこといやだった。
神田橋先生の本を作るために勉強していた期間のことだった。
もう「治る」ものしかやりたくなかった。
ドクターフリフリギライや名大吉川には反感をもたれるだろうが
私のような経験をしたものなら「治れよ、自閉症」と思うのも無理はないなあとは思ってもらえないもんですかね。
「治れよ、自閉症」と思う人に腹を立てるより先に
そう思う人が少なくなるようにすること
それが支援者の役目じゃないのかね?
差別に悲憤慷慨するだけだったら医師免許なんかなくたって活動家でもできるんじゃないのかしら。
自伝を誰かが出す。誰かがそれを嫉妬する。想像力の障害やコミュニケーションの障害を経て、その嫉妬がひどいかたちをとる。
誰かを家族ごと10年にわたって傷つける。
「自閉症支援」を標榜する人たちはそれを知りながら、コップの中の嵐に気を取られ、それを見殺しにする。
「かわいい」自閉症しか自閉症とは認めない。あとは別の障害のせいにして終わり。別の障害なら自分の責任じゃないし〜。
それって共存でもなんでもないんじゃない?
そういう状況にもう反吐が出るほどうんざりしていたので
「自伝なんかもう出さない」と思っていた。
本を出してちょっと光った当事者に対し嫉妬が起きて
そのトラブルが触法レベルにまで達しても、見逃す以外のことをしないのだったら
自閉症支援の人たちに自伝を読む資格はない。
脳みそ先生にもそう伝えた。
企画がいやなのではない。すばらしい原稿だと思う。
ただ私は、自閉症者の自伝を出すということがもういやなんです。
うちじゃなくて、よそがやればいい。
私はもううんざりなんです。
これを伝えるため、私はわざわざ飛行機に乗って先生に会いに行った。
それくらいの義理は果たそうと思った。私にとってすごく大事な人の仲良しの方だったから。
脳みそ先生は私の話を聞き
「そういうこともあるんですよ」とおっしゃった。
そして一冊の本を出してきた。
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」。
出版直後のことだった。
上記の理由でもう自閉症の世界はいやだ、と思っていた私が
「これは出すしかない」とぴんときて出した本だ。
大地君が頑張ってるから、だけではない。
周囲の環境作りが素晴らしかった。大地君が頑張れる環境を作るための。
そして何より
「頑張ることができるんだ」「頑張ることに価値があるんだ」と伝えているのが素晴らしかった。
「この子は精神性の高い子ですね。
自閉症の中にはときどきこういう精神性が高い子がいます。
知的障害の重い子にも精神性の高い子はいますよ」
その言葉が妙に心の中に残った。
知的障害の重い子の中に精神性の高い子がいる。
そういう感性を持って治療に当たられている先生なんだな、と印象に残った。
でもそのころまだ、脳みそ先生の本を出させていただくことになるとは思わなかった。
本を出させていただきたい、と思う再度の再会までに
一年以上の時が流れた。
その間に神田橋先生の本が出た。そして・・・
今日はここまで。
続きはまた。
=====
事務連絡です。
札幌での講演会ですが、昨日最初
6月25日日曜日と書いてしまったのですが
6月25日は土曜日です。
訂正してお詫びいたします。お申し込みは一個前のエントリをご参照ください(↓)。
脳みそ先生の本の話たくさんすると思いますが
私が脳みそ先生の本を出そうと決めたのは
神田橋先生のこの言葉が心に残っていたからです。
「とにかく今日の問題はね、診断が粗すぎるでしょ。アスペルガーとかADHDとか高機能自閉症とか。本来千人千通りの病態が大雑把にくくられている。大事なのは、鑑別診断ではなくて今この人に何をすればいいかという視点です。そういう視点が今の粗い診断にはない。」
診断が粗くないんですね、脳みそ先生は。
脳みそのかたちを探るための軸をいっぱい持っていらっしゃるんです。次の手を打つために脳みそのかたちを細かく探る先生なんです。
そして必ずその子のいいところを探す。どんな重い子でもね。
そして脳の知識は「いいところ探し」に役立つんです。
だから出そうと思ったんですよ。
初めて率直に打ち解けたお話をする機会をもてたのは
私が脳みそ先生を訪ねていったときだった。
実を言うと
悪いニュースを持っていかなければならなかったときだった。
それは何かというと
企画のお断りだ。
脳みそ先生の本ではない。
先生のお知り合いの方から先生を通して持ち込まれた企画のお断りだった。
その本自体の内容はよかったと思う。
おそらく多くの親御さんや当事者の方々が希望を得られる内容。
自伝だ。
でもその当時は、私のほうにまったくやる気がなかった。自閉症を続ける気もなかったし、自伝はなおのこといやだった。
神田橋先生の本を作るために勉強していた期間のことだった。
もう「治る」ものしかやりたくなかった。
ドクターフリフリギライや名大吉川には反感をもたれるだろうが
私のような経験をしたものなら「治れよ、自閉症」と思うのも無理はないなあとは思ってもらえないもんですかね。
「治れよ、自閉症」と思う人に腹を立てるより先に
そう思う人が少なくなるようにすること
それが支援者の役目じゃないのかね?
差別に悲憤慷慨するだけだったら医師免許なんかなくたって活動家でもできるんじゃないのかしら。
自伝を誰かが出す。誰かがそれを嫉妬する。想像力の障害やコミュニケーションの障害を経て、その嫉妬がひどいかたちをとる。
誰かを家族ごと10年にわたって傷つける。
「自閉症支援」を標榜する人たちはそれを知りながら、コップの中の嵐に気を取られ、それを見殺しにする。
「かわいい」自閉症しか自閉症とは認めない。あとは別の障害のせいにして終わり。別の障害なら自分の責任じゃないし〜。
それって共存でもなんでもないんじゃない?
そういう状況にもう反吐が出るほどうんざりしていたので
「自伝なんかもう出さない」と思っていた。
本を出してちょっと光った当事者に対し嫉妬が起きて
そのトラブルが触法レベルにまで達しても、見逃す以外のことをしないのだったら
自閉症支援の人たちに自伝を読む資格はない。
脳みそ先生にもそう伝えた。
企画がいやなのではない。すばらしい原稿だと思う。
ただ私は、自閉症者の自伝を出すということがもういやなんです。
うちじゃなくて、よそがやればいい。
私はもううんざりなんです。
これを伝えるため、私はわざわざ飛行機に乗って先生に会いに行った。
それくらいの義理は果たそうと思った。私にとってすごく大事な人の仲良しの方だったから。
脳みそ先生は私の話を聞き
「そういうこともあるんですよ」とおっしゃった。
そして一冊の本を出してきた。
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」。
出版直後のことだった。
上記の理由でもう自閉症の世界はいやだ、と思っていた私が
「これは出すしかない」とぴんときて出した本だ。
大地君が頑張ってるから、だけではない。
周囲の環境作りが素晴らしかった。大地君が頑張れる環境を作るための。
そして何より
「頑張ることができるんだ」「頑張ることに価値があるんだ」と伝えているのが素晴らしかった。
「この子は精神性の高い子ですね。
自閉症の中にはときどきこういう精神性が高い子がいます。
知的障害の重い子にも精神性の高い子はいますよ」
その言葉が妙に心の中に残った。
知的障害の重い子の中に精神性の高い子がいる。
そういう感性を持って治療に当たられている先生なんだな、と印象に残った。
でもそのころまだ、脳みそ先生の本を出させていただくことになるとは思わなかった。
本を出させていただきたい、と思う再度の再会までに
一年以上の時が流れた。
その間に神田橋先生の本が出た。そして・・・
今日はここまで。
続きはまた。
=====
事務連絡です。
札幌での講演会ですが、昨日最初
6月25日日曜日と書いてしまったのですが
6月25日は土曜日です。
訂正してお詫びいたします。お申し込みは一個前のエントリをご参照ください(↓)。
脳みそ先生の本の話たくさんすると思いますが
私が脳みそ先生の本を出そうと決めたのは
神田橋先生のこの言葉が心に残っていたからです。
「とにかく今日の問題はね、診断が粗すぎるでしょ。アスペルガーとかADHDとか高機能自閉症とか。本来千人千通りの病態が大雑把にくくられている。大事なのは、鑑別診断ではなくて今この人に何をすればいいかという視点です。そういう視点が今の粗い診断にはない。」
診断が粗くないんですね、脳みそ先生は。
脳みそのかたちを探るための軸をいっぱい持っていらっしゃるんです。次の手を打つために脳みそのかたちを細かく探る先生なんです。
そして必ずその子のいいところを探す。どんな重い子でもね。
そして脳の知識は「いいところ探し」に役立つんです。
だから出そうと思ったんですよ。