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風塵山荘
この掲示板は仏教者の視点から時事を語る掲示板です。宗教・宗派を問わず、特に正系六門下の日蓮主義≠謔閧フ時事評論は歓迎します。また十数年の長きにわたり特定の人物を誹謗・中傷してきた冨士尻学研究≠ニ称する不倶戴天≠フ邪妄団とは情報交換を通してともに闘う掲示板である。

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日蓮非本仏論 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月05日(水) 01時47分
ありがとうございました。

>この娑婆世界に世世番番に出現して衆生を済度する仏はただひとり、釈迦牟尼世尊である。「今此三界皆是我有・是悉衆生悉是吾子・唯我一人能為救護」との原則は変えられない。
もし、「勝釈迦」を論じて報身如来に人格を付与すれば真言≠ノなってしまう。

日蓮非本仏論一から四まで、終始一貫。ありがとうございました。

>本因妙抄と百六箇抄には相反する思考が具わっており、両書は同一人の著作ではない。

つまるところ、前々から思っていたことは、日興→日寛系は総括して、後世に行き過ぎ、(自分的には造られたもの)が多すぎますね。ありがとうございました。

しかし、立川流で、えへへって。笑
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

憚りながら波木井坊竜尊@日蓮宗葵講さん

簡潔な文章、ありがとうございます。しっくりきます。
本尊という語は特定の密教経典以外にはあまり見ることができないようですね。曼荼羅も密教的概念ですものね。天台はやはり、密教(台密)も含む。ですね。
天台宗の本尊って何だろうって、ふと思い立ち本を開いてみたら、こんなことが書いてありました。
近年制定された宗憲には、天台宗の本尊は、法華経に説かれる久遠実成無作の本仏をもって本尊とする。という趣旨でした。
根本中堂には伝教作の薬師如来が安置され、各寺院の本尊も様々ありますが、つまり、他の諸仏(菩薩、明王、諸天も含む)はこの本仏たる釈尊が縁に随って衆生救度のために様々に身を変えて現れた姿であるから、個々の本尊は応現というかぎりにおいて、何尊でもよいのだそうでした。縁や機に応じて修行すれば。てことでしょうね。それは、ともかく。結局、天台教学では、仏は自己の心に現れてくる。心の中に具現する。これがいうなれば本仏であり本尊というものでした。波木井坊さんの文章読んで、本当に、日蓮って天台の流れを汲むものなんだって。思いました。しかし、私は止観みたいな高度なことができないので、専修題目しか手段なし。仕方がにですね。ホント

おちつくところは・・・・ 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月04日(火) 21時49分


あと二題、随宜論と血脈抄の真偽で終わろうと思っている。

本因妙抄と百六箇抄には相反する思考が具わっており、両書は同一人の著作ではない。


が、本日、札幌は夜中に猛烈な雷雨と豪雨でうるさくて寝られなかったのダ。(笑)、

これほどのカミナリというのも珍しい現象で、けっこう早めに帰宅したのだが、

晩飯をたべたらウトウトしてしまい、今めがさめたところで、一杯呑んで寝よう。(汗;


波木井坊よ、

>何をつまらんことでなやんでいるのやら。
>本覚思想を推し進めていくと、十界互具、一念三千なのだから、己の身に本尊が
>宿っている。つまり君自身が仏であり、本仏なのである。
>御本尊もいらない、仏像もいらない、何もいらない。
>それでいいだんろ。


本覚思想というのはつまるところ、そういうことらしいのう。本覚思想の思想的根拠は
密教が大きく影響しているようである。

空海は今でも生きていて高野山の奥の院で修行をしているという。

いっぺん、その扉を開けてやろうかい・・・・・えへへ、

真言宗のようにより高度で完成度の高い宗教というのは、あとは何も研究することが無く
なってしまい、怪しげな加持祈祷に専念するしかないようである。(笑)

ついには立川流のようなけっこうな宗義まで出てくるのである。おちつくところは・・・・・えへへ


ワケわからん。 返信  引用 
名前:新しい風に心を洗おう。    日付:09月03日(月) 22時52分
どうもです。北海道はそろそろ、秋ですか。
先週も書いたけど、ワシがわからんのは一仏一国土と言いながら、何故、釈尊大聖人の二仏がいるのか?天台はあくまでも菩薩の立場ではありつつ、しかもなぜ大聖人を指して久遠元初とまで言うのか、逆転の論理だと思うのだ。

ま、釈尊よりも大日如来が偉いと説く真言宗、イエスキリストこそ神であるとする一派、文鮮明こそと説く一派と、逆転現象はどの宗教でもあるのだが。

みんな、本当に心から納得して大聖人本仏と言っているのか?ただ、周囲に合わせて居るだけか?

それとも、正法像法末法を持ち出し、釈尊にこだわるのが悪いと言うなら、釈尊の師匠とされる大通智度仏もいつまでが効力を持たれていたのか?

ってなことを考えた。



Re: ワケわからん。
名前:憚りながら波木井坊竜尊@日蓮宗葵講    日付:09月04日(火) 08時16分
何をつまらんことでなやんでいるのやら。

本覚思想を推し進めていくと、十界互具、一念三千なのだから、己の身に本尊が
宿っている。つまり君自身が仏であり、本仏なのである。

御本尊もいらない、仏像もいらない、何もいらない。

それでいいだんろ。

日蓮非*{仏論 (四)、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月03日(月) 21時37分

[日寛師の日蓮本仏論]

既に諸氏が知り得ている内容であるので概略と疑問点を述べておく。

日寛師云く、

「若し外用の浅近ら拠れば上行の再誕日蓮なり、若し内証の深秘に望まば本地自受用身の再誕日蓮なり。故に知りぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」(文底秘沈抄)


この「顕本日蓮」ほど大石寺の末流にとって爽快な一節はなかろうと思われる。宗徒を酔わせるに十分な力用を発揮するものである。しかし、この論理については疑問を持たざるを得ないのである。

百六箇抄には「上行日蓮は迹なり」とあるからである。わざわざ「上行日蓮」を上行と日蓮を分離して上行の内証である自受用身をただちに日蓮≠ノかぶせるのは論理の飛躍である。

日寛師は日蓮宗祖が上行の再誕であることは述べているが、次第の論旨には作意が見られるのである。以下、

「娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中に片瀬、片瀬の中には塔中の口に日蓮が命を留め置く事は法華経の御故なれば寂光土とも云うべき云云。寂光豈自受用土に非ずや、故に知りぬ、左州已後は蓮祖即ち是れ久遠元初の自受用身なり」
(文底秘沈抄)


日蓮宗祖の竜口における発迹顕本は自受用身ではなく、凡夫日蓮が釈尊の遣使還告である上行菩薩と顕本したのであり、自受用報身は拙速すぎる。つまり次第を通り越してただちに内証顕本≠ノ至っているのである。

これは論法の詐術≠ニ云えやしまいか。文底秘沈抄の中でも述べられているが「顕本日蓮」は「前代に未だ聞かず」である。論じている当人が云っているのであるから、「勝釈迦」による日蓮本仏論は日寛師から始まるものである。

日寛師が出家をする直因となった日精上人の御指南(随宜論)では、同じ論法でありながら日蓮宗祖を「余仏」と決判されているのでまさに摩訶不思議な現証といえるものだ。

日精上人の随宜論では娑婆世界における仏の化導に約し、釈迦如来の末法であるが故に久遠元初から二番成道以降であるから余仏≠ニ決判されているのであり、仏教の原理にのっとった道理である。いかに内証に約して自受用報身であるとしても、日蓮宗祖が応身に約して「唯我一人・能為救護」の釈迦牟尼仏だとしてもである。

さらに云えば娑婆世界の教主釈尊が釈迦如来の一仏のみであり三世十方の諸仏はすべて釈迦如来の垂迹であることは日蓮宗祖も御書判に述べられている絶待的な原理であり、これを突破したら仏教ではなくなってしまい、仏教モドキ、もしくは仏教の亜流となることは必定ではあるまいか。

文底秘沈抄では人本尊の結論として「久遠元初の自受用身は全く是れ一念三千なり、故に事の一念三千の本尊と名づくるなり」とは日寛師の直観力による悟達の開示であり、心法である自受用身に人格を付与するもので人法一箇≠フ論旨であるが、ここで完璧に真言宗となっていることに留意すべきである。

この日寛師の論理は「法身」に人格を与えた真言に対し「報身」に人格を与えたもので、この時点で大石寺は真言宗の亜流と堕したといえるのではないか。既に前回に於て挙げた文証の御義口伝には、

御義口伝に云はく、法とは諸法なり、師とは諸法が直ちに師と成るなり。森
羅三千の諸法直ちに師と成り弟子となるべきなり。今日蓮等の類南無妙法蓮
華経と唱へ奉る者は法師の中の大法師なり。諸法実相の開覚顕はれて見れば、
地獄の灯燃猛火乃至仏果に至る迄悉く具足して一念三千の法師なり。又云は
く法とは題目、師とは日蓮等の類いなり。(御義口伝・新編一七四九頁)

と云われ、法に人格を付与したときは弟子位にも同じく人法一箇の地位を与えている日蓮宗祖の論旨とはかけ離れているのである。ここに日寛教学の行きすぎた一面が存すると思う。

ただし、如何に師弟不二とはいえ、いかに諸法の当体とはいえ師弟≠ノは法を授ける師と法を受ける弟子には厳格な前後の次第と礼が存することは云うまでもない。
 

再度、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:09月03日(月) 21時36分

いや、二十四番勝劣ではなく、私が聞いたのは、本因妙抄を興師の
著作とする理由についてであります。以下、


(一)、

云く
----------------------------------------------------------------
日興上人の著述である本因妙では、天台の教観二門はともに『教相』になるということのようですね。
----------------------------------------------------------------


※確認したいのだが、この「日興上人の著述である本因妙」とは、「本因妙抄」のことでありますか。もしそうであればその理由を説明されたし。



Re: 再度、
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月04日(火) 01時09分
> いや、二十四番勝劣ではなく、私が聞いたのは、本因妙抄を興師の
> 著作とする理由についてであります。以下、

いや、これは以前の松木さんのお書き込みにあったとおりに書き込みました。

松木さんの書き込み>>>>種脱相対の文証は、管見では通例の御書判ではこの観心抄のみだが、本因妙抄、百六箇抄に随分示されているが、余談だがこの相伝書は古くから日蓮宗祖から興師への相伝法門とされてきたが、ともに日興上人の著述≠ニすべきであろう。

実は、これは以前、私も教学オタクの知り合いから、聞いたことがあります。その理由までは知りませんが。
しかし、この本因妙抄は日蓮没後100年前後のものとも聞いたこともあります。なので、ネットでしか情報源がありませんが、参考までにコピペします。
結局、この論文では『日興上人の著述』でもないとの論述です。
かなりの教学オタクか、学者レベルの方のものでしょう。

コピペ
まず、この論述の出だしは
『日蓮正宗の教義についての学者による研究は、執行海秀『日蓮宗教学史』や望月歓厚『日蓮宗学説史』で、日蓮宗各派の教義の歴史的展開の一部として、考察されているほかに、執行海秀の遺稿を編纂した『興門教学の研究』ではこの問題に焦点を絞った考察がなされている。執行はまた日蓮宗教化部長金子弁浄編『創価学会批判』の「教学面からの批判」を執筆している(執行1 p.2)。
 これらの研究に共通しているのは、文献学的考察に基づいて、日蓮正宗の教義の歴史的展開過程を明らかにするということであり、それによって、現在の日蓮正宗の最も特徴的な教義である日蓮本仏論は、日蓮正宗の派祖である日興(1246-AN52)の教学思想とは異なっていることを証明するということである。』というものです。

本題のコピペです。
『 『本因妙抄』(『富要』1-1『宗全』2-1)の最古の写本は大石寺六世の日時(?-AN84-125)写本とされている(『富要』1-8)。ただし日時写本には執筆年次が書かれていないうえ、写本の原本が日興正本であったかどうかも言及されていない。
 東佑介の『大石寺教学の研究』によれば、興風談所の大黒喜道が『興風』第14号の「日興門流における本因妙思想形成に関する覚書(一)」において、『本因妙抄』の日時写本の字体が、日時の他の文献の字体と異なっていることを指摘し、日時写本ということに疑義を提出していることが紹介されている(東 40)。
 私は活字資料を基礎にして考察しているので、活字資料になる以前の写本資料の作者の確定という問題は既に解決済みという前提で議論していたのだが、この問題が解決済みでないということは、『本因妙抄』と日蓮―日興の結びつきへの信頼が一層揺らぐということを意味している。
 次に古いのは要法寺日辰(AN227-295)の写本(AN279)である(『宗全』2-10、『富要』1-8)。『宗全』は日辰本によっているが、『富要』は諸本を校合したとあり、『宗全』の最後の系図の部分が『富要』では欠落している。日辰本の奥書によると、日辰は、日興の直弟子である日尊(1265-AN64)筆とされる写本を写したとあるが、日辰自身はその写本に日尊の花押がなく、字体も日尊筆であるかどうかを確認できないことを認めている(『宗全』2-10)。
 したがって日尊本が発見され、それが日尊自筆であることが証明されれば、『本因妙抄』が日興―日尊と継承されたことを推測できるが、日尊本の所在が確認されていない現状では、『本因妙抄』を日尊の時代まで遡及させることはできない。
 『本因妙抄』の引用文献に関しては日興の薫陶を受けた三位日順(AN13-75-?)の『本因妙口決』(『富要』2-69 『宗全』2-294 執筆年次不明 写本は日棟本(写本年代不明)、日俊(AN356-410)本)があり、次いで日眼の『五人所破抄見聞』(『富要』4-1 『宗全』2-503 AN99? 写本は日諦本(AN377))がある(下記注)。
 もし日順の『本因妙口決』が日順自身の作であるなら、日時写本より古いことになるが、その文章の中に日順の活躍当時には決して使用されなかった「日蓮宗」という用語が使用されていることから、後代の偽作とみなされている。
 (下記注)で考察するように日眼が妙蓮寺5世日眼(?-AN88-AN103)であるとすれば、ほぼ日時と同時代の引用である。これらのことから、日蓮正宗に好意的に見ても、『本因妙抄』は文献学的には日蓮滅後100年前後までしか遡れない。
 内容的にも現行資料のままでは、日蓮滅後に日蓮宗各派の中で論争となった本迹一致、勝劣の論争に言及しているから、日蓮から日興への直授とはみなせない。堀日亨は『富要』では「後加と見ゆる分には一線を引く」(『富要』1-8)として、現行資料から時代的に適合しない部分を削除しているが、その削除が妥当であるかどうかの文献学的根拠は何も示されていない。
 執行は『本因妙抄』は日時によって書かれたことを示唆している(執行1 p.23)。東は大黒の説を踏まえて日時写本説を否定して、また堀日亨の『隠れたる左京日教師』の記述も参考にして、日尊門流による偽作説を主張している(東 p.42)。
 日時写本への疑問が生じてくれば(私は堀日亨の古文書鑑定能力をかなり信用しているのだが、後述の『滝泉寺申状』が日興筆であるという堀日亨の鑑定に対して、堀日亨が活躍していたときには、まだ未公開であった富木常忍の直筆資料の写真版と比較検討して、興風談所の菅原関道が富木常忍筆という見解を発表したことを見れば、古文書鑑定の難しさ、資料の公開の必要性を実感する)、私には『本因妙抄』が誰によって作成されたかの判断はできないが、日興との結びつきが文献学的に証明できないことだけで、この資料を日興の教学思想の解明のために第一段階や第二段階で利用することを差し控える十分な理由となる。』


Re: 再度、
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月04日(火) 01時50分
因みに、本因妙抄のことではありませんが、大石寺で日興上人筆とされる御筆集二巻についてもどうやら疑惑があるようです。日興上人の筆ではないとのレポートです。
このレポートは、松木さんも御存じの方と思います。富士門流側からみたら仏敵です。
しかし、この方は、立正大学などで学ばれ、多角的に研究をされています。いろいろ本も著作されてますが、一番の得意の分野は、筆跡鑑定でと記憶しています。
筆跡鑑定の分野では宗派関係なく一目置かれていると思います。

コピペ
『※日興本について

従来、大石寺蔵「御筆集」二巻については日興書写本とされてきましたが、小林正博氏は論考「大石寺蔵日興写本の研究」(2008年「東洋哲学研究所紀要」24号)にて、大石寺蔵「御筆集」二巻と宮城県妙教寺蔵・日目所持本「法華題目抄」の筆跡が一致することを指摘され、「御筆集」二巻は確実な日興の文字と比較すると別人である可能性をぬぐいきれない、と解説されています。(趣意)

小林氏の指摘に続き、坂井法曄氏は論考「日興写本をめぐる諸問題について」(興風21号P229)にて、筆跡鑑定と詳細な考察を重ね以下のように結論しています。

「以上、小林氏が対照した以外で特徴的な文字を抽出し対照したが、結果を総括していえば、『おも』の書体は、決定的な相違であり、その他、日興が日蓮在世中から晩年にかけて使用した『經』の字体が、A・B本、日目所持本には見られないこと、さらにA・B本、日目所持本に見られる特徴的な字体『師』『者』『家』が、日興の筆跡には見えないことなど、『御筆集』A・B本と日目所持本『法華(経)題目抄』が同筆であることは疑いないが、これを日興筆とするには無理があり、年代的な隔たりを考慮しても、別人の筆である可能性は極めて高いといわなければならない。」


Re: 再度、
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月04日(火) 02時01分
松木さんが、他の大石寺VS創価の喧嘩とヤジのわけわからない破折遊びの人ではないと信じて、私が見つけたサイトを紹介します。

〇ttp://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/index.html

評価は要りません。
ダメだこりゃと、思われるのであれば、捨ててください。

お待たせしました。 返信  引用 
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月01日(土) 09時06分
>※じつは、これについて私は決めてを持っておりません。現在叡山の勤行は、朝題目(南無妙法蓮華経)・夕念仏(南無阿弥陀仏)なのだが、いつころからこの化義が確立していたのかまったくわかりません。

もし、最澄の時代に既に「南無妙法蓮華経」が定着していたのであれば、わざわざ題目≠フ正当性を智、最澄等の「稽首妙法蓮華経」「帰命妙法蓮華経」等の意義に対し南無妙法蓮華経であったと論ずる必要は無かったとおもうのだが。

=====================================

ここに、文献はありません。
かつて、別件で図書館にて調べものをしていたときに知り得たもの​という言い方が妥当でしょうか。
叡山では、南無妙法蓮華経もあったし、念仏もあった。いつ頃からとはそこまでは書いてませんでしたが、もともとあったのではないでしょうかね。別に​不思議なことでもないように思います。天台では念仏はどういう立ち位置にあるかは知り得ませんが。天台は​天台で様々に分別、立て分けがあるんじゃないでしょうかね。?

ただ、松木さんの言われる、『定着』というのは、どういうことをおっしゃっているかは分かりませんが。他の一切の修行を排他して​の、法然のいう専修念仏や日蓮のいう専修唱題はありませんでしたよ。
こういう専修思想は天台では、歓迎されないのではないでしょうか。
法然の念仏破折は、日蓮生誕以前から、しばしば叡山から南都からあったことは周知​のことと存じます。



Re: お待たせしました。
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月01日(土) 09時12分
============================
言い直します。法華経に限っては果分の法と。平安時代はすでに法華経。また題目もありましたもので。
===============================−

これ、自分で書いといてなんなんですが、おかしいですね。

日蓮も果分の法だとしたら、法然も果分の法ですね。

親鸞も果分の法ですね。

脳裏に本覚の匂いがよぎりました。余談です。


訂正
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月02日(日) 02時07分
>日蓮も果分の法だとしたら、法然も果分の法ですね。
親鸞も果分の法ですね。



日蓮も果分の法だとしたら、親鸞も果分の法ですね。

補足ですが、少し蒸し返すような書き込みしてしまいました。
最澄教学に見られる特徴の一旦を日蓮、親鸞に見ることができる。と、そこで終了しておけばよかったことでした。
日蓮の場合の最澄の影響としての文証は、見つけました。
法華経は果分の法門です。
下記のようなものを最澄は書いています。
伝教の法華秀句巻下無問自説果分勝三『仏の成就し給う所は第一稀有難解の法なり、唯仏と仏とのみ乃ち能く究尽し給うと、この如き等の文は果分の法を示す』

親鸞ですが、宗派が違うので、果分の法にあたる依文は分かりません。しかし、果分の法は、一般的には仏果を説いた法です。
親鸞の教えは、絶対他力の教え、他力回向の宗教で、衆生が仏陀となるのに必要な因(行・信)も果(証)も、すべては仏の方から回向されているという変わった教義です。
★ここで注目して頂きたいのですが、親鸞の教えは『阿弥陀如来』即『南無阿弥陀仏』で、南無阿弥陀仏の名号は、そのまま仏の徳の全てでございます。
親鸞の教えはこの世にて、信心を得たそのときに、必ず仏に成るべき身に定まる説きます。
定まるとは、つまり、生身の体を持っているのでは、仏になることはできないが、肉体が滅する時に仏に成るというものです。
ともあれ、親鸞の教えでは、南無阿弥陀仏の名号は、そのまま仏の徳の全て。これは、もはや果分の法といっても差支えがないと思います。
そのようなわけで、その論考を書いた東洋大学の方は親鸞のそれを果分の法と考えたのではないかと思われます。
あと、道元においてもそれなりの教義がございます。
時間の都合上、ここで研鑽をおわります。道元の場合は説明が難しいそうです。なので、果分の法といえるか、いえないか、確たるものはありませんが、先の論考を書いた方はなんらかの文証も把握しており、
最澄教学の一旦として果分の法を上げるとき、親鸞、道元、日蓮にその最澄教学の共通点を乱したことと存じます。

最後に法然は果分の法とは言い難いと思いました。

法然はまず浄土門(易行道)にてまず、往生し、しかるべきのちに、聖道門(難易行)にて成仏するという教えです。果分の法ではありません。

「法隆寺釈迦三尊」さんに、三点、確認したい、 返信  引用 
名前:松木法太郎    日付:08月31日(金) 21時10分

(一)、

云く
----------------------------------------------------------------
日興上人の著述である本因妙では、天台の教観二門はともに『教相』になるということのようですね。
----------------------------------------------------------------


※確認したいのだが、この「日興上人の著述である本因妙」とは、「本因妙抄」のことでありますか。もしそうであればその理由を説明されたし。


(二)、

云く
----------------------------------------------------------------
東大寺は小乗の戒律によって受戒し、大僧(高僧)の資格を与えられて、ついで大乗戒を受けるというものでした。その理由は『一乗の機の人間は小乗の機に問迅、礼するのを許さず、講堂を同じにすることえお許さない』というものでした。
----------------------------------------------------------------


※いや、東大寺の戒壇については最近も波木井坊氏の意見に補足を加える意味で我が国の三大戒壇(東大寺・太宰府観世音寺・下野薬師寺)について論じたばかりだが、東大寺で大乗戒も受けていたというのは何かの錯誤ではあるまいか。

いわゆる僧階を得るための「戒壇」とは「具足戒」が必須で、三師・十証≠ノよって具足戒を得てついでに大乗戒を受けたが、浄戒・法戒・生戒、はいわゆる大乗菩薩僧≠ニなるための梵網菩薩戒ではなく、僧としての心構えの次元であり、この戒は震旦でも中国でも行われていたが、「大乗戒壇」というものは存在はしていなかった。

三国で始めて大乗戒を受けるための「大乗戒壇」が建立されたのは最澄の叡山戒壇(戒壇院)が最初であり、これは「大乗戒」を受けるには「大乗戒壇」が必要であると最澄が勘違いしたためであると考えられている。


(三)、

云く、
----------------------------------------------------------------
言い直します。法華経に限っては果分の法と。平安時代はすでに法華経。また題目もありましたもので。
----------------------------------------------------------------


※じつは、これについて私は決めてを持っておりません。現在叡山の勤行は、朝題目(南無妙法蓮華経)・夕念仏(南無阿弥陀仏)なのだが、いつころからこの化義が確立していたのかまったくわかりません。

もし、最澄の時代に既に「南無妙法蓮華経」が定着していたのであれば、わざわざ題目≠フ正当性を智、最澄等の「稽首妙法蓮華経」「帰命妙法蓮華経」等の意義に対し南無妙法蓮華経であったと論ずる必要は無かったとおもうのだが。


以上の三点、よろしく願いたい。
 



Re: 「法隆寺釈迦三尊」さんに、三点、確認したい、
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月01日(土) 02時54分
> ※確認したいのだが、この「日興上人の著述である本因妙」とは、「本因妙抄」のことでありますか。もしそうであればその理由を説明されたし。

申し訳ありません。『抄』が抜けておりました。本因妙抄です。その理由は下記に。  天台と日蓮の対比の御文から載せます。
本当は、文中の、『彼の観心は此の教相』だけで用は足りるのですが、分かりにくいので、前後、載せます。

『彼の本門は我が迹門・彼の勝は此の劣・彼の深義は予が浅義・彼の深理は此の浅理・彼が極位は此の浅位・彼の極果は此の初心・彼の観心は此の教相・彼は台星の国に出生す・此れは日天の国に出世す・彼は薬王・此れは上行・彼は解了の機を利す此れは愚悪の機を益す・彼の弘通は台星所居の高嶺なり・此の弘経は日王・能住の高峰なり・彼は上機に教え・此れは下機を訓ず・彼は一部を以て本尊と為し・此れは七字を本尊と為す・彼は相対開会を表と為し・此れは絶対開会を表と為す・彼は熟脱・此れは下種』

上記、天台の教観二門はともに『教相』になる。との依文としてはこの御文の中の『彼の観心は此の教相』です。これは創価系教学による著作にありました。私独自の思考ではありません。
日興→日寛での教学で自分で持っている書物としては、創価系のものだけしかありません。そこに書いてありました。
富士門流系の書物は手元にありません。

>東大寺で大乗戒も受けていたというのは何かの錯誤ではあるまいか。

私の錯誤のようです。徐々に思い出してきました。

>いわゆる僧階を得るための「戒壇」とは「具足戒」が必須で、三師・十証≠ノよって具足戒を得てついでに大乗戒を受けたが、浄戒・法戒・生戒、はいわゆる大乗菩薩僧≠ニなるための梵網菩薩戒ではなく、僧としての心構えの次元であり、この戒は震旦でも中国でも行われていたが、「大乗戒壇」というものは存在はしていなかった。

東大寺の受戒は、もともと梵網菩薩戒ではないとの認識です。それは、以前にも書き込みをさせて頂きましたが、梵網菩薩戒によって受戒すべきと叫んだのは、最澄によるものとの認識です。
ただ、文献が無いので、ネットの情報源ですが、梵網菩薩戒は戒壇は要らないようですね。最澄が勘違いした。分かりました。これは知らなかったです。
しかし、松木さんの、東大寺では『具足戒を得てついでに大乗戒を受けた』というニュアンスと、私は、少し違いました。つまり、『ついでに』という意味ではなく『次いで』という見解で、大乗を軽んじてはいない。むしろ、聖武天皇の国、民を思うという背景もあいまって、盧舎那仏を造立された大乗の心を東大寺には、また、その奥さん光明皇后の振る舞いもあって感じていました。なので、いつしか、大乗戒と思い込んでいたようです。
本当は現実問題としては、その当時、社会秩序が乱れていた。つまり、課役免除のために、官の承認を経ず出家得度する私度僧が増えたため授戒制度を設けたのですが。なんとも夢もクソも無い話です。

東大寺で行われていたのは、僧に授けるのを『具足戒』が正解です。大乗家から見た場合、小乗です


Re: 「法隆寺釈迦三尊」さんに、三点、確認したい、
名前:法隆寺釈迦三尊    日付:09月01日(土) 02時56分
松木さん、もう3時ですので、三点目は明日にします。

6時には起きないといけないので。

すいません。

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