敗戦で命運尽きたはずの旭日旗、自衛隊発足で再登場

1870年に旧日本陸軍、1889年には海軍が採用
戦時中は旭日旗の前で「決死」を誓う

 旭日旗は日章旗(日の丸)と共に、大日本帝国の「顔」だった。その紋様は単純明快なものだ。中央の赤い円は太陽、縞模様は四方を照らす陽光を意味する。「浮かび上がる太陽の国」を表しているというわけだ。太陽は日本の伝統的な信仰、とりわけ皇室に対する崇拝と関連があり「天皇は太陽の女神・天照大神の子孫」と信じられている。日章旗の中央に描かれている赤い円も太陽を意味する。

 旭日旗は明治維新直後の1870年5月、陸軍が軍旗として採用したことで、軍国主義の象徴となった。海軍も1889年から、軍艦に旭日旗を掲げるようになった。ただし海軍の旭日旗は、赤い円がやや左側に寄った形になっている。太平洋戦争当時には、日本が「大東亜共栄圏」を掲げたことから、旭日旗は「大東亜旗」とも呼ばれた。軍はこの旗の前で「決死」を誓い、国民はこの旗を振って声援を送った。

 1945年8月、日本の敗戦により、日本軍が解散させられたことで、旭日旗も命脈が尽きたかのように思われた。当時、米軍を中心とした進駐軍は、旭日旗はもとより日章旗の掲揚や国歌「君が代」の斉唱を制限または禁止した。

 ところが47年5月、日本で新たな平和憲法が施行された後、54年に「自衛隊」という名の事実上の軍隊が復活したことで、旭日旗が再び登場した。海上自衛隊は16本の赤い縞模様をあしらった旭日旗を自衛艦旗として採用し、陸上自衛隊も8本の縞模様をあしらった旭日旗を自衛隊旗として採用した。一方、航空自衛隊は単なる赤い円を象徴としている。

 日章旗と君が代は、論争の末、99年8月13日に施行された「国旗及び国歌に関する法律」により、正式に国旗・国歌として指定された。

 結局、戦犯の処罰が不完全な形で終わり、自衛隊が事実上の日本軍の延長線上に位置づけられたことで、軍国主義の文化や象徴も生き長らえた、と専門家たちは話している。国防大のパク・ヨンジュン教授は「日本の軍国主義の清算が徹底されなかったのは、当時の北東アジア地域が冷戦に巻き込まれたことから、進駐軍も日本の再建に関心を払うようになったことが影響した。とりわけ海軍の場合、技術的な問題のため、旧日本海軍の関係者の多くが海上自衛隊に採用されたことが、戦前の軍隊文化を断絶できない一つの背景となった」との見方を示した。

全炳根(チョン・ビョングン)記者
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