今朝、地元高幡の自治会(328世帯)の監事さんに公明党防災DVDを届けました。この自治会では自主防災会も兼ねており、毎年、
独自に防災訓練を精力的に続けてられています。
「公明党が作りました防災DVDです。とてもよくできているので、是非、自治会役員さんにみていただければと思いお持ちしました」と言ってお渡しました。
今夜、自治会の総会(班長会)があるので、事前に、役員に見ていただき、今夜は無理でも、今後機会があれば、会員に見ていただきたいと思いました。
午後7時からの自治会総会に、少し遅れて到着するやいなや、その監事さんから
「峯岸さんからいただいた録画、観たけど、あれ、すごくいいね!今日の総会はあの録画をみなさんに観てもらってから始めようとおもうけどいいかな?いいね?皆さん!今から、流す防災ビデオは峯岸議員に提供してもらったビデオです!今朝も午前4時過ぎに強い地震がありましたね。このビデオを見て、私たちも大地震に備えたいと思います」
と紹介されました。参加された班長さんたち25名が真剣に観賞していただきました。
市内の多くの自治会長さんに防災DVDを観ていただき、身近に迫った大震災に備えていただきたいと思います。
日野市では、石原都知事が昨年10月4日に宮古市のがれきの受け入れを決めたのを受け、日野市長が会長をつとめる東京市長会でも、昨年11月24日に女川町からのがれきの受け入れを表明し、試験処理の検証も終わり、いよいよ来週から地域住民への説明会を開催します。
説明会を控えて、昨日行われた、3月議会の環境まちづくり委員会に
「女川町からのがれきの受け入れに反対する」
陳情が審議されました。私は2月に女川町の災害廃棄物の処理施設をしさつしているので、「災害がれきの受け入れは日本人としての当たり前の責任であり、首都直下地震は発生して、自分のまちが同じ状況になったことを考えれば反対などできないはず」と訴えたかったのですが、委員長のため、発言できませんでした。
全員異議なく可決されるものと考えていましたが、共産党の女性市議から「放射能がれきの可能性があるので受け入れには反対し、陳情に賛成する」との意見が出て、説明員の部課長も他の委員も皆、一斉にその共産市議の顔を見ました。環境まちづくり委員会の副委員長をつとめるその共産市議に私も思わず、となりの委員長席から「今の本気?」とささやいてしまいました。
津波で住宅地の80%が流され、その民地にがれきが7~8mも道路の両側に積み上げられた、がれきの状況、港にある日本水産の広大な(元冷凍倉庫があって、現在は仮設のがれき処理施設になっている)敷地から、がれきと処理施設を撤去できないうちには、漁港として機能しない。漁港として機能しなければ、内陸に数十キロも離れたまちに避難している町民も町に帰ってこれない、その状況を詳細に説明された後だっただけに、(放射能の安全を徹底したり、広く市民への説明を求めることは当然と思いますが)現地を視察して、悲鳴のような悲痛な声を聞いてきているだけに、残念でなりませんでした。
結局、そのがれき受け入れに反対する陳情は賛成1反対3で不採択となりました。
その日の夜、宮城県商工会青年部連合会の前会長のO氏の講演会があり、
講演会終了後、その話を講師に話したところ、
「やはりそうでしたか。実は、女川町の地元でも、共産党の町議が『放射能がれきを町外に出すべきではない」と発言し、町民から総すかんを受けているんです。どこを何度測定しても、東京での数値とほとんど変わらないのに、どこが放射能がれきか、と批判されています。そもそも、地震直後に、首相が音頭を取って、最終的には国が責任を持つので、がれき処理を全ての自治体で検討するように支持を出していれば、今頃、がれき処理にめどがつき、復旧から復興に歩み出せていたはず」とのこと。
更に、宮城県では、ガソリンがないため、隣の商工会からまた隣の商工会へと内陸にある商工会館から沿岸部に一番近く、しかも被災していない商工会館めざして、支援物資をリレーして、救援活動を行ったそうで、その時に問題になったのが、商工会の職員が地元に1人もいない商工会では被災後、鍵を開ける職員が来るまで、全く機能しなかったこと。それを受けて、今後は、商工会の職員は最低1人は地元採用し、災害担当をさせること。商工会館には発電機とFM用の電話は常設すること。これだけで、被災地への物資の搬送ルートが少なからず確保できるとのことでした。
写真は2月に女川町を視察した時の状況