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中野歴史散歩 『中野町の十人組』
掲載 2007.08.10 * 中野の歴史について * CM:1 * TB:0 * home↑
「中野町の十人組」とは
 中野区中央図書館の企画展示(「商店街からたどるなかのの足跡 パート2」2/24~9/27)でみかけたパネルに紹介されていたもの。明治の頃、青梅街道沿いに発展した製粉、醤油・味噌醸造などの地場産業を興した実業家や財産家たちであり、当時彼ら「十人組」がOKしなければ中野町長になれなかったといわれるほどの実力者だった。
 その時代にはこのあたりはソバ畑ばかりだったという説もあるが、東京府以西から運ばれてくる農産物を食品加工するのに中野が好位置にあったらしい。また、神田川には水車があって工場の動力として用いられた。
 以下は、Web検索から得られた関連ドキュメントをまとめている。"浅田"姓が三人、"飯田"姓が二人、"石森"姓が二人となっている。親戚縁者かどうかは未詳。浅田味噌醸造(株)、あぶまた味噌(株)、石森製粉(株)の3社が現在もなお事業継承していて立派である。

<浅田ビール>の浅田甚右衛門
『1884年に、コープランドの弟子だった浅田甚右衛門は、倒産したスプリング・バレー・ブルワリー社の醸造設備を購入し、同僚だった村田吉五郎とともに東京府下中野に浅田麦酒醸造所を開設。「浅田ビール」の醸造を開始。しかし経営は振るわず、1912年自主廃業』 Ref.麒麟麦酒 by Wiki
『品質と規模の両面で明治10年代後半から20年代前半の国産ビールを代表する銘柄として「浅田ビール」(85年発売、浅田甚右衛門醸造)と「桜田ビール」(81年から発売)があった』Ref.日本のビール産業と横浜 by丹治雄一
『明治18年(1885)末には浅田甚右衛門が東京府下中野で技師にコープランドの弟子とスプリング・バーレー・ブルワリーで使われていた設備を使って、英国風の「浅田ビール」を醸造販売』Ref.国産ビールは横浜から始まった
『浅草橋の「江戸蕎麦手打処あさだ」は、創業 安政元年(1854年)に浅田甚右衛門が開いた手打蕎麦屋』Ref.同店 【編者注】姓名は同じだが同一人物かどうかは不明
【編者注】当時の地場銀行「浅田銀行」(Ref.大正14年(1925)浅田銀行のチラシ) もあるが不詳

<浅田みそ>の浅田鉄之輔
『創業明治19年(1886年)、浅田味噌醸造は初代浅田鉄之輔から数えて118年味噌一筋、現在は味噌専業の卸問屋』 Ref.みそ處浅田
『浅田さん方の先祖は“水車”の権利を所有していたそうで、今も橋の左岸側(中野区側)に浅田味噌醸造株式会社がある・・デニーズのあるビルの後ろ辺。水車の権利を所有していたこもあり、屋敷は江戸時代(徳川吉宗の頃から家斉のころまで)に将軍が鷹狩をした際の休憩場となっており、将軍が来訪時にのみ使う “御成門”(橋の右岸新宿区側)があったそうです。浅田家には今も将軍から頂戴した褒美の品が家宝として保存されているとのこと。水車の風景は「江戸名所図会」にも画かれている』Ref.淀橋の地名、水車や淀橋にまつわる伝説
◇山政(やままさ)醤油醸造所(明治初期創業)の分家のような説明もある

<山政(やままさ)醤油>の浅田政吉 
淀橋についての迷信打破に関する言い伝えが有名で多く紹介されている
<中野の浅田政吉氏らの寄付によりできた鉄筋コンクリートの永久橋>淀橋資料室

<映画館「城西館」>の飯塚惣八
大正時代に開館。昭和7年の東京府下映画館(全146館)に中野町の同館と中野館が記録されている。

<飯田製粉>の飯田喜六:未詳

<あぶまた味噌>の飯田又右衛門 
『あぶまた味噌は1885年(明治18年)、初代飯田又右衛門が東京中野の青梅街道筋に飯田味噌醸造所を創業、以来その地から動くことなく五代百十余年に渡り、江戸味噌の伝統を守り続けてきました』あぶまた味噌
『中野坂上は、江戸時代、青梅などでとれた農作物の加工所、特に、味噌、そば粉の製粉、醤油の醸造は中野の三大産業だった』 アド街ック 2003年1月 中野坂上

<石森製粉>の石森安太郎
『初代<石森鎌太郎>が明治5年(1872)、東京・中野の地にて「吉野屋」と称してそば製粉業を創業し、二代<石森安太郎>・三代<石森安雄>とそれぞれの時代に対応し、2002年には創業130周年を迎えた。中野坂上の市街地再開発事業にからみ、平成2年(1990)製粉工場は東京・江東区新木場に移転』Ref.石森製粉株式会社

<石森醤油>の石森清兵衛
『小淀橋近くに石森醤油醸造所が有った…』 Ref.父と蕎麦と中野
『江戸東京たてもの園で展示されていた石森醤油醸造所の写真』 Ref.てくてく日記

<栗原製粉>の栗原武右衛門:未詳

<高野製粉>の高野亀吉:未詳

  
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