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【3・11の家族】夢見た地、住めない 【第1部】フクシマの子ども(2)2011年7月20日
◆豊かな自然“一変”、自主避難電話口で、小学5年の宍戸柚希(ゆずき)さん(10)は泣いていた。「ことしは、食べられないんだ」 7月上旬、父俊則さん(48)が一人残る自宅の庭先に、すっかり黒ずんでしまったユスラウメの実が散らばっていた。サクランボに似た小さくて真っ赤な実は、口に含むとほんのり甘い。小さな口にほおばった柚希さんの顔を、俊則さんは思い浮かべた。 「ヒバクが怖いから逃げるんだよ」。両親に諭され、柚希さんは母(38)、兄(13)とともに福島県伊達市から札幌市内の雇用促進住宅に自主避難した。 11年前、柚希さんを授かった両親は、郊外の新興住宅街「夢見の郷」にマイホームを建てようと決めた。里山を切り開いた自然豊かな環境は「田舎でのびのびと子どもたちを育てたい」と願う両親にとって、理想の土地だった。 「春はチョウを追っかけ、秋は木の実を集めて。歩いて10分の場所に桑林があって、柚希のお気に入りだった」。俊則さんはそう振り返る。 福島第1原発の北西52キロ。距離は比較的離れているものの、風の通り道だった。妻が4月、5万9800円でネット購入した放射線測定器を使って屋外の放射線量を測ったら、毎時2マイクロシーベルトを超えた。年換算で10ミリシーベルト超。文部科学省が子どもの年間被ばく量として示した目標値の上限1ミリシーベルトの10倍以上の数値だ。 俊則さんは大慌てで本棚の奥にしまいこんでいた放射線関連の書籍を引っ張り出した。「再びこんな日が来るなんて」 23年前、俊則さんは新米教師として福島原発のおひざ元にある双葉高校に勤務していた。第2原発で炉心に大量の金属片が流れ込むトラブルが起き、公表が遅れたとして、地元は紛糾した。俊則さんも書籍を買い込んで独学を重ねた。 日焼けしたページをめくると、忘れかけていた放射能の恐怖がよみがえった。柚希さんに外出を控えるよう言い聞かせ、登下校時にもかっぱを着させた。大好きな野花や木の実にも触れないよう言い添えた。 5月中旬の朝、新聞を広げて驚いた。地方版の片隅に、学校の課外学習で1人だけかっぱ姿の柚希さんが普段着の同級生に交じって写っていた。 「自分がおかしいとは思いたくない。けれども、精神的に限界だった」。避難者を受け入れている自治体をネットで探し出し、札幌市への避難を決めた。俊則さんも教師を辞め、近く家族に合流する。 伊達市は今月になって市内全域を除染する方針を打ち出した。「周りにもようやく緊張感が漂い始めた」 引っ越しの数日前、それまで何の不平も漏らさなかった柚希さんが声を荒らげた。自宅を貸しに出そうかと両親が話しこんでいた最中に割り込んできたのだ。「私たちの家でしょ。絶対に嫌だから」 新天地でマスクを外した柚希さんは早速外に遊びに出るようになった。でも、「都会はちょっと苦手」と母にこぼす。 俊則さんに再会したら、開口一番に言うだろう。「いつになったらおうちに帰れるの」。答えを、俊則さんは持ち合わせていない。 ◇ ご意見をお寄せください。連絡先を明記し、〒460 8511(住所不要) 中日新聞社会部「3・11の家族」取材班へ。ファクスは052(201)4331。メールアドレスはshakai@chunichi.co.jp PR情報
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