70年ぶりに再会した人らと酒を酌み交わす内藤勇さん(中央、黒い服の男性) |
佐久市平賀の内藤勇さん(75)は8月半ば、朝鮮半島の南の沖に浮かぶ韓国の蘆花島(ノファド)を約70年ぶりに訪れた。自身の出生地だ。李明博(イミョンバク)大統領が同10日に竹島に上陸した直後で、日韓関係が冷え込む中での「里帰り」だったが、当時を覚えている人やその知人に温かく迎えられ、両国の将来に希望を見いだした、という。
「いさちゃん?」。蘆花島に着いたばかりの18日、昔を知っていそうな人を探して歩く勇さんの背後から声が掛かった。振り向けば、自分と同じ年格好の男性がほほ笑んでいた。「ものすごく驚いたが、いっぺんに懐かしい気持ちになった」
この78歳の男性を、勇さんは覚えていなかったが、近所に住み同じ学校に通った人だったらしい。ちょうど地元の公民館で会合の最中だったといい、集まっていた10人ほどと合流。およそ2時間、酒を酌み交わした。誰もが優しく、公民館にいた別の70代半ばの男性は、筆談で「(勇さんの両親が)優しく、情が深かった。島を離れるときは島のみんなで涙を流した」と繰り返した。
勇さんは「道路や小学校、港の建物も近代的になったが、人は変わらない。この島に生まれてよかった」と、胸がいっぱいになったという。
勇さんの父・豊さんが、先に島に渡っていた親族に誘われ、1929(昭和4)年、家族と移住。勇さんは37年に島で次男として生まれ、現地の小学校に通った。豊さんらは雑貨店を経営。「島の住民と親戚のように過ごした」といい、豊さんの出征の際に数十人の住民が旗を持ち、船を見送った写真が残る。
子どもたちに日本で教育を受けさせようと、勇さんが6歳の44年に帰国。戦後の混乱で島とも音信不通となった。
祖父母から話を聞いていた勇さんの長男、寛さん(45)が「(勇さんの)体の自由が利くうちに、生まれた地に連れて行きたい」と提案した。李大統領の上陸直後で現地の感情が危ぶまれたが、「当時の家だけでも見られればいい」と、勇さんと妻のみち子さん(69)、寛さん、通訳をしてくれる寛さんの友人の韓国人という4人で韓国入り。17日に空路で入国し本土で1泊、18日に島に渡り、19日に日本に帰国した。
緊張感を増す日韓関係だが、勇さんは「国同士がどうだろうが、結局は人と人の付き合いだ」。そっと見る島で写した酒盛りの写真には、笑顔が幾つも写っていた。