インダス文明は大河依存せず? 地球研教授ら新説
インダス文明は大河文明とは言えない―。古代、大河のほとりに栄えたとされる世界四大文明の一つ、インダス文明のイメージを覆す報告を、京都市北区の総合地球環境学研究所の長田俊樹教授(言語学)らのチームがまとめた。インダス川流域から離れて点在する遺跡などを科学的に調査し、当時の人々が大河だけに依存せず、陸・海路を移動して広範囲に農業や交易を行っていたとする新たな文明像を提示している。
長田教授らは、インダス川沿いのハラッパ、モヘンジョダロの二大遺跡以外にも、流域から離れた砂漠や海岸沿いなどに1500以上の遺跡が点在することに注目。2006年から地球研などの研究者約40人がインドに入り、二つの遺跡の発掘や砂漠の地質調査を進め、当時の雨量や水位変化を詳細に分析した。
これらを当時の農耕地の分布と照合した結果、インダス川流域以外でも雨の多い地域などで農耕が活発に行われていたことを確認。人々が雨期や川の氾濫に対応するかたちで陸・海路を頻繁に移動し、農業や交易を行っていた可能性が高く、「単純に大河に依存した文明ではない」と結論づけた。
発掘した2遺跡のうち、海に近いカーンメール遺跡からは、粘土を円形に焼いたペンダント型遺物(直径約3・5センチ)が出土した。一角獣と文字が押印されており、研究チームは「出身や氏族を示す一種のパスポートではないか」とみる。
インダス文明は文字の解読が進んでおらず、文明衰退の理由も謎が多い。長田教授は「エジプトのように中央集権が文明を築いたのではなく、民族や職能集団が移動する中で都市を作り、人や物のネットワークが生まれたのだろう」としている。
<インダス文明>エジプト、メソポタミア、中国の大河文明と並び称され、紀元前2600~1900年ごろ現在のパキスタンからインドにかけて栄えた。文明衰退の理由については気候変動など諸説ある。1920年代から本格的に発掘調査が行われ、インダス印章などが出土しているが、現地の政情などもあり、遺跡の多くが調査されていない。
【 2012年09月04日 11時09分 】