野村誠の作曲日記

2011-04-03

原発やめますと唱えてみることにした

インドネシアにいるし、震災復興にどうやって参加していくか、について、のんびり考えております。あと、福島での原発事故をきっかけに、まず、日本で原発を本気でやめようと決意しました。これまでは、「原発はやめるべき」と思っていたに過ぎず、今は「絶対やめてやる」と強く願っていこうと思っています。で、やめたいのですが、どうやってやめたらいいのか、具体的な方法が分からない。分からないまま、いつの間にか、原発が存続する流れになっていっては、嫌なので、まずは、できることからしようと思いました。でも、できることって何だろう?で、思いついたことが、まずは、声に出してみることです。

毎日、

「原発やめます。原発やめます。原発やめます。」

と、唱えて念じてみようと思うのです。これ、しぶとく、唱え念じ続けたら、いつか本当に原発やめられる。言葉って、魔力があるから。だから、毎日、このブログでも、「原発やめます」と書いてみようと思います。

原発やめます

原発やめます

原発やめます

原発やめます

原発やめます

原発やめます

原発やめます

原発やめます

原発やめます

原発やめます

念じてるだけで、何かが変わるわけではありませんが、念じることで、一歩、前進したような気がします。「原発やめます」以外に、もっと良い表現ないかなぁ。

2001年に「DVのなくなる日のためのインテルメッツォ」という曲を作りましたが、「原発がなくなる日のための」作品を作れないか、と思えてきました。原発をなくすための音楽作品を創作するために、原発について勉強したり、議論したり、そうしたことを経て、作品を生み出していく。

日本は、もう原発やめます。

Ibu Sudの歌

さて、今日は、大雨が降り続いて、人と会う約束もキャンセルしました。一体、いつになったら雨季が終わるのでしょう。で、今日も、いろいろIbu Sudの歌の歌詞を歌っていました。やっぱり韻を踏んでいます。Hai Bacakの歌詞では、


Saya mau tamasya

keliling kliling kota

hendak melihat lihat

keramaian yang ada

saya panggilkan becak

kereta tak berkuda

(becak becak)

coba bawa saya


と一番の歌詞は、4拍ごとに、a(または、at, ak)で終わっている。で、2番になると、


Saya duduk sendiri

dengan mengangkat kaki

melihat dengan asyik

ke kanan dan ke kiri

lihat becakku lari

bagai tak terkendali

(becak becak )

jalan hati hati


と二番の歌詞は、4拍ごとに、i(または、ik)で終わる。ガムラン音楽の4拍ごとに強拍が来るのと、通じるところあり。こうした近代の西洋音階インドネシア語の歌の中に、かえって伝統的な部分を感じたりするものです。

あんのうんあんのうん 2011/04/06 14:25 >2001年に「DVのなくなる日のためのインテルメッツォ」という曲を作りましたが、「原発がなくなる日のための」作品を作れないか、と思えてきました。

野村さん、同じこと、おもっていました。
ぜひ、つくってください。
おねがいします。

のむのむ 2011/04/13 00:13 はい。
大きなテーマですが、ゆっくり考えてみようと思います。

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