第55号
「自虐史観」攻撃、歴史への無関心

アジアは「侵略を忘れない」

-問われるマスコミ


人権と報道関西の会例会「従軍慰安婦とマスコミ報道」が2月15日(土)大阪北区のプ口ボノセンターで開かれた。去年12月岡山県議会で「教科書慰安婦問題記述」の反対決議が出されるなど過去の侵略の歴史を美化する動きが露骨に見られるが、アジアの人たちへの人権侵害という観点から考えようと、例会では関西大学講師で日本近代史研究者の上杉聴さん(アジア太平洋地域の戦争犠牲者を心に刻む会)に来ていただき、最近マスコミをにぎわせている東大教授の藤岡信勝氏「従軍慰安婦問題の教科書記述は自虐的」とする「自由主義歴史研究会」の動きを交え、従軍慰安婦問題をめぐる現状について報告を受けた。そして議論の中で、日本での過去の歴史に対する無関心な態度、また侵略被害に対する責任感の簿さが問題になリ、アジアと日本との間で歴史認識に「温度差」があリ、アジアの「侵略を忘れてはいない」声をマスコミ自身が受け止め、広く紹介していく必要性などが指摘された。

◆ ◇ ◇ 

例会には20人余りが出席、このうち初めての参加者が大学生ら8人いて、改めてこの問題に対する関心の高さを示していた。初めに上杉聰さんが「アジアの戦争責任・戦後賠償とジャーナリズム」と題し1時間にわたって報告した。

報告要旨は以下の通り-

上杉聴さんの報告

1.アジアへの戦争責任、戦後賠償問題が今ごろどうして問題になっているのか。

第一に太平洋戦争でアジアの約2OOO万人の人たちが亡くなったという事実。第二に戦後処理が冷戦構造化の中、アジアの被害を受けた国を抜いて行われ、従軍慰安婦、強制労働、七三一部隣、天皇の問題が免責されてしまった事。第三にアジア各国とは戦後、「サンフランシスコ講和条約と二国間協定」で決着したと日本政府は考えていたが、アジア各国の経済力が増大するとともに民主化が進み、人々の不満の声が上がリ始めたという側面がある。

2 アジアと日本-戦争認識の大きなギャツプ一言で言えば「知っている事が常識』のアジアと「知らない事が常識」の日本ということだ。

 a) マレーシアの「赤ん坊』教科書事件
 b) シンガポール歴史教科書の半分が日本支配下の歴史を取リ扱っている
 c) 韓国・天安にある独立紀念館には修学旅行などで国民の過半数が訪ねているなどアジア各国では今も生きている現実が、日本では知られてはいない。

3 日本に突きつけられるアジアの声

98年の「侵略」を「進出」に書き換えた教科書問題、85年、政府閣僚による靖国公式参拝問題をきっかけとした、アジア各国からの批制など、外圧を通してアジアの声が突きつけられている。そして90年、韓国・廬泰愚(ノ・テウ)大統領の訪日を通して、日本の中て「加害」認識の一定の広まりが見られるようになってきた。

 

4 慰安婦記述をめぐる問題

細川首相の侵略戦争発言に危機感をもった自民党が党内でセミナ-を開くなど、過去の歴史を美化する動きに乗リ出してきた。また従軍慰安婦間題など過去の歴史に対する反省の動きを抑えるかのように、藤岡信勝氏らが中心となって結成された自由主義史観研究会の「自虐史観」キャンぺーンがマスコミを中心に展開された。このような中「日本を守る国民会議」(黛敏郎らが中心)がキャラバン隊を繰リ出し、教科書への慰安婦記述の削除を求め、地方議会で反対決議をするよう全国を陳惰して回った。
 この結果、反対決議が県議会では去年胆月の岡山県議会、市町村議会では9つ採択された.しかし決議の内容を見てみると、岡山県では陳情を取リ上げた文教委の採決は反対、賛成が同数で、「陳情は国にはあげない、採択だけする」ということで議長が賛成に回リようやく可決されている。他の9つの市町村議会の中には1票差で通ったところもある。熊本市議会ではこの陳情を取リ上げた新風自民が自民党ですら同意が得られず、取リ下げている。鹿児島の一木町、作東町でも否決されている。一昨年に戦没者感謝決議が都道府県26県議会で可決されているが、今回は県議会は1つだけ。自民党の動きを見ていると、橋本首相は去年の国会答弁で「アジアを意識した教科書記述」を述べている。また文部大臣は「教科書への慰安婦問題記述は中学生も理解可能」と答弁している。自民党森政調会長は「もう印刷が進んでいて、ス卜ップをかけられない」と述ベている。
 ここでストップするとスミ塗リでしか配れない事態になっている。こういった事から教科書問題は終息に向かっていると思われるのだが、慰安婦問題などに象徴される反動的な動きの問題は残る。自民党が勢力をもちかえし、政界は保々連合も繰り広げられている。テレビ番組の「朝までナマテレビ」によると慰安婦問題の教科書記述に賛成は50-60%、反対が40%。だいたい他のテレビも同じような数字と聞いている。今は私たちは小さな勢力だが、新聞などではコメン卜を求められる存在になっている。それは国内では小さい意見かも知れないが、国外では圧倒的多数派の意見だからだ。こういう国際的な力関係に頼るだけでなく、マスコミの力を借リて、国内で真剣勝負したいと思っている。

 

5 マスコミ報道の問題

マスコミの問題でいえば、88年、戦争中の被害について証言したマレーシアの被害者たちについて、中国新聞が反動的な記事を書いた。この時、こちらのメンバー(心に刻む会)が抗議、それに対して中国新聞が謝罪し、に対して中国新聞が謝罪しそれ以降七三一部隊など丁寧に書くようになった。NHK「おはようジャーナル」でマニラの元女優、コラソン・ノブレさんの「赤ん坊を放り投げて銃で刺した」などの証言が放送中止になるという事件があリ、これに加担したチーフ・プロデューサーが組合の追及で解任された。これ以降、NHKは一定、いい報道姿勢を示していたように思うが、自民党の復調に伴い、去年当たリからまた悪くなってきた。政治との関係が報道姿勢に直接出てきている。記者の多くが我々と同じように「アジアとのギャップ」という現実認識を持っていないだろうと思う。海外の感覚を日本に紹介するよう海外取材を積極的にやるという報道姿勢が必要ではないか。ギャップがある限リこの問題は終わらない。継続してやる必要があると思う。原爆など国内の被害を取リ上げないで、どうして国外の問題を取リ上げるのだという声もあるだろうが、その両方をキチンと取リ上げる事が必要だろうと思う。日本の原爆などの悲惨な被害を見れば、アジアの被害の問題もわかるのではないか。国際法違反という点では原爆投下の問題も、慰安婦強制運行の問題も皆同じだと思います。

 ◇ ◇ ◇

上杉さんの報告後、去年韓国で留学生活をした関西の会事務局の関屋が韓国挺身隊対策問題協議会(略称「挺隊協」)の活動などについて報告した。それによると挺隊協は90年11月に発足。日本の責任と謝罪を求めて活動し、元慰安婦の人たちと共に毎週水曜日にソウルの日本大使館前で集会、デモを行っている。集会に参加していた元慰安婦の金充心(キム・ユンシン)さんから太平洋戦争中に「当時、釜山近くに住んでいたが、小学校の時に軍隊に卜ラックで連れて行かれ、中国・ハルピンで軍隊の洗い物、縫い物をさせられ、ある日突然、関東軍のところに送られ慰安婦をさせられた」という体験を直接聞き、改めて「日本が忘れてきた過去の歴史が今も韓国では生きていると実感した」と報告。そして藤岡氏の「自虐史観」攻撃が歴史事実を無視した、一人よがリの議論である事、また日韓条約(1965年締結。日本政府はこの条約で韓国と侵略の清算は済んでいるという立場)は日本が侵略を反省した条約とは到底言えず、戦後52年、国、国民の全体として侵略への反省が薄く、責任を取る行動が求められていると述ベた。

侵略被害者の取材

続いて出席者との討論に入リ、マスコミ報道の問題として「NHKで以前、元慰安婦の方のインタビューが紹介されたが、いかにひどい事をされたかを中心に聞いていて、まるで覗き見的取材としか思えない扱いだった」と発言があリ、これに対して通信社記者から「事実を知る作業としては、相手が答えにくい事でも聞くのが仕事だと思うのだが」という意見も出された。侵略被害者の取材についての在リ方については結論が出なかったが、「韓国内の原爆被害者、慰安婦の方たちに日本から大勢のマスコミが押しかけて取材してきたが、彼らの間からは話しを聞くばかりでこれまで何にも変わらなかったという声があリ、マスコミも含めて日本に対して不信の念を強めている」として、「マスコミも日本を構成する一つの機関であリ、その取材も問われる問題だ」と指摘する声も出ていた。また「侵略の旗をふってきた例えば朝日新聞など、新聞社も十分な反省なしに今日に至っているのも問題だ」という意見も出されていた。

犯罪的な「自虐史観」攻撃

「自虐史観」攻撃

 また藤岡氏らをはじめとした教科書攻撃については、参加した学生の中から『回リの学生の間でも藤岡氏の言い分をそのまま信用する雰囲気がある。歴史事実を知らないので、過去の歴史の負の部分を切リ捨て簡単に「自虐史観」と言ってしまう傾向がある』との指摘が出ていた。これに対し上杉さんは『過去を見つめる作業は確かに苦しいし、また重い作業でもある。過去を知る事で心を痛めているその繊細な気持ちを、彼らは「自虐的だ」と突いてくる。その意味で彼らの行動は犯罪的とすら言えると思うが、息長く運動していくしかない』と述べた。

 

広島の被害、アジアの被害 

また別の学生からは「広島の被害を見つめれば、アジアの被害ともつながってくるといわれたが、広島では韓国・朝鮮人の慰霊碑は日本人とは別の公園外に置かれている。日本人の被害とアジアの人たちの被害は別々の問題ではないか」という質問が出され、上杉さんは「確かにおっしゃる通リだと思う。しかしここ数年、広島のある部隊が戦争中にマレーシアで虐殺事件を起こしていた事実がわかリ、地元では反省する気運が出てきている。簡単に侵略された国の人たちの被害が思いやれるとは思わないが、それでもあえて広島は頑張っている。そこを大事にしていきたい」と述べた。

またこれと関連して「日本では侵略責任があるかないかの議論だが、アジアに行けば日本に侵略貢任があるというのが常識。日本人が事実を知らないという問題ではなく、国と国民の間に責任があるとは思っていないところが問題ではないか」という意見もあった。会場の締め切リ時間を超えて話し合いが続き、明確な結論は出なかったが、人権という問題を考えていく上で、日本と日本人だけに通用する議論ではなく、アジアの人たちにも普遍する考え方、行動が必要だという観点から、今後も例会で侵略の問題を取リ上げていく事などが話し合われた。(山内)

 

参加者の感想です 

■ 今回の会では「従軍慰安婦」問題を取リ上げてそれぞれの問題意識を語リ、今まで自分が気づかなかった見方を知ることができた。しかしまだまだ問題に対するそれぞれの知識の深さが違い、一定なリでも結論を出すことができなかったのは残念だった。これからもこの会を続ける中で、歴史をふリ返ることが日本人の人権意識の根本てあることを知リ、まだなんらかの行動をしていけるような建設的なものにできたら、と思う。(大学生・奈良県香芝市)

■ 日本の過去の歴史の無責任な行動は今のマスコミの犯罪報道や、社のあリ方に反映していると思う。根本にあるのはあやまちを認めないという態度だ。(大阪市・マスコミ労働者)

 

投稿原稿です!

韓国で考えた事

まず被害の総体を知る事‐

「あなたは不幸な方だ」

前々号では在韓原爆被害者の声を紹介しました。韓国では他にも日本の侵略統治時代を体験した市民、サハリンから引き上げてこられたお年寄リ、従軍慰安婦のハルモ二たちに話を聞きました。
 韓国では侵略の時代に人生を踏みにじられた方が大勢いらっしゃいます。ここではその証言を一人一人紹介するスペースがあリませんが、日本で過去の侵略の歴史にほとんと関心がないのと正反対に、韓国では今も日本の侵略責任を問う声があふれています。聞き取りをしていてこんな事を言われました。「関屋さんは不幸な方だ」と。どういう意味かというと日本が過去何をして、韓国人がどう思っているのかば当の日本人から聞けばわかることではないか。やったのは日本人なのだから。それが日本で聞けないということは親は都合の悪いことは話さない、考えないということだ。それは「不幸事」だと言うのです。

「過去を忘れる」社会

日本では国の「反省」は国会や首相のコメン卜などでたびたび表明されていますが、政府高官による「妄言」のため韓国ではその「反省」が本物であるとは受け止められていません。同時に私たちの社会でも侵略の事を真剣に考える機会がなく、それ故にそれほど重要な問題であるという認識もあリません。韓国留学中に、日本の侵略の問題について延世大学に通う日本人と韓国人の学生らと話す機会があリました。一人の日本人学生が「確かに日本に責任がめると思うが、自分が反省する主体ではない」というような事を言ったところ、そばにいた韓国人学生が「日本に責任があるなら、責任を取るのは日本人ではないか。あなたは日本人ではないのか」と返してきました。するとこの日本人学生は「日本ではそういう考え方をしないのだ。国家と個人とは違うのだ。自分には関係のないことだ」と最後まで言い通しました。彼は「自分がやったことでもないしどうして自分に責任があると言われなくてはならないのか」ということが言いたかったのです。韓国でもそうですが、日本でも戦後世代が社会の中心になリつつあリます。韓国では戦後世代も教育などを通して侵略された体験を引き継いでいます。一方の日本では国と社会全体が「過去を忘れる」気運で満たされています。さきほどの学生の言う事は日本社会のある種の「常識」言っているのだと思います。しかしそれが韓国からだけではなく、アジア全体から信用を勝ち得ない大きな要因でもあると実感しました。 

責任を取る姿勢

侵略責任の課題。日本にとってはアジアから突きつけられている課題です。国家に責任があるなら、国家に責任を取らせるよう行動する。それは国民にしかできない課題だと思うのです。前号で紹介した在韓被爆者のおっしゃっていた「日本は何もしてくれなかった」悔しさ。日本の侵略による被害は韓国人なら誰でもわかることです。しかし日本にはそれがわかる風土、空気がありません。それはどうしてなのか。日本の歴史の受け止め方に問題があると思います。日本政府は「1910年の日韓条約は今の地点では違法な点もあったかもしれないが、当時は合法だった」と説明していますが、現在は違法と考えらるものがどうして今も「当時、合法だった」と言えるのか。責任を取る課というのは、違法なものは違法、「当時から違法だった」と認識する事ではないのか。国を奪った、民族を妹消した、人間の誇りと尊厳を奪った事実は日本がどう合理化しようと、消えるものではあリません。やった事を自覚し責任を取るという姿勢を明確にする事、それなしに金や技術を提供していても、真の理解は得られないと思いました。人権と報道の活動とも連動してくるのですが、人は人として扱われる「人権」の課題、日本の歴史教育のあり方など取リ組まなければならない課題がそこに浮かび上ってきます。皆さんにも是非考えていただきたい課題です。韓国での聞き取リ集は今、まとめている最中です。読んでみたい方は事務局まで連絡下さい。(関屋)

  

「韓国見聞録」

〜マスコミの現状 その2〜

 「今の記者は、当時の政権が説いた国家保安法の必要性と同じ論理で繰り返している弾圧される側の視点は全くないようだ。」昨年夏の韓国・延世大学校での学生デモについてまとめた前回の報告でこう書いた。一般的にはそう言っても間違いではないと確信しているが、学生側に立っていた報道機関も無いわけではない。市民らの出資によって1980年代後半にできたハンギョレ新聞は反権力の側にあった数少ないマスコミの一つだった。購読していたわけではないので、同紙の報道内容を詳述することはできないが、趣旨は以下の通リだ。「今回、韓総運=韓国の学生団体=が開こうとしている集会は、例年、韓総連が開いていた集会とそう変わるものではない。つまリ今回の集会を厳しく取り締まる特別な理由はない。また、学生らが叫んでいる国家保安法撤廃などのスローガンは正当だ。」学生デモが鎮圧されて間もないころ、ハンギョレ新聞の幹部と面談する機会があった。今回のデモについて、同紙の報道姿勢を尋ねたところ、上述のような回答が得られたが、ある「出来事」をめぐって社内の意見が真っ二つに割れた、と言う。その「出来事」とは。野党・国民会議の総裁で、韓国の民主化運動を支えてきた一人とされる金大中氏がデモが収まった延世大学校を視察。そこで「学生は暴徒と化した。こんな運動はあってはならないし、鎮圧して当然」という趣旨の発言をしたことがそれだ。金総裁を支持する人が多い同紙で、この発言は波紋を投げかけた。これまでの報道姿勢と発言内容があまりにもかけ離れていたからだ。問題はこの発言をどう報道するのかだった。事実を事実のまま書くのか、批判的な論評を入れて記事を書くのか。その結論はどうだったのか確認していないが幹部は「金総裁はもう死に体」と漏らした。
 このように今回のデモについては、最も民衆に近いとされるハンギョレ新聞でさえ、その報道をめぐって内部的な葛藤があったのだ。昨年9月、私が帰国した後、韓国社会は危険な方向に進んでいるとしか思えない。韓国政府は学生運動を一網打尽にしたのを契機に、国家保安法を改悪。左翼勢力への一定の捜査権を取り戻した。
 一方、労働法の改悪も進められ労働者が体を張った抗議行動で、闘争を続けている。さらなる民主化に進むのか、あるいは逆行の道を進むのか、岐路に立った韓国で、マスコミがどんな役割を果たすのか目が離せない状況が続きそうだ。
 民主化運勤て先導的な役割を果たした反面、過去の歴史の大部分において権力に迎合した韓国のマスコミ。その真価が真っ向から問われている。(道岡)


 刑事事件においては、無罪推定の原則が貫徹されなければならない。ある犯罪事実があったとされて被告人が裁かれるとき、その事実は、そうではなかったのではないかという合理的疑いをさしはさむ余地がない程度に証明されてはじめて有罪となる。そうでなければ無罪となる。真実に肉薄するという努力を極限まですべきであるが、それでも人間には、過去に起こった事実を寸分狂わず再現する能力はない。たとえ真犯人を逃がすことがあっても、えん罪に苦しむ人を一人たリとも出さないための理性的な原則である。犯罪者であると間違われたときの害悪は、刑罰を科されるのも、マスコミによって人々に知れわたるのも、同じくらいにひどい。かえって、マスコミにとリあげられることによる害悪の方が大きいかもしれない。無罪推定の原則は、このマスメディアに対する場面でも妥当する。「権力または権力に匹敵する強い力を持っている存在」対「個人」の場台に一般的に妥当する原則ではないだろうか。このところの日本の侵略責任の問題についての議論は、歴史認識の違いが論陣間に大きな溝を生んでいるようであるが、それだけでもない。真実へのアプローチの仕方も問題ではないだろうか。例えば、従軍慰安婦問題についていえば、むリやり慰安婦として連行したという客観的証拠がないのに、自らの責任を声高に叫ぶのは自虐的だとか、若い人が自国に誇りをもてなくなるとか、そもそも公娼制度があったのにこれだけを間題にするのがおかしいとかいった議論を耳にする。
 自国の非行を云々するといっても、それは当時の特定の個人を攻撃することを意図してのものではない。自らの国家が行ったとされる非行について、どれだけ真実に肉薄し、その真実に従ってどのように行動すベきかを真剣に考えているのだ。まさに究極的な真実究明の作業でなければならない。いわれるところの国家の非行について、無かったという証明がないのだからあったに違いないというつもリもない。しかし、また、その非行が動かぬ証拠によって完全に証明できていない以上、そのような国家の非行は無かっだという論法もなリたたない。国家に無罪推定の原則は働かない。(木村哲也)


 このページは人権と報道関西の会の御好意により当ホームページに掲載されていますが、本来会費を頂いている会員に送付している会報です。その性格上2ヶ月毎にこのページは更新されますが、継続して御覧になりたい方は是非上記連絡先に所定の入会の手続きを行ってください。

1