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「エリート集団の場合、そこに所属する人々に対してのみ維持される社交儀礼のようなものまでも生まれるかもしれない。他方で、マナーの悪さが予期される可能性のある人々は、幾分人間より劣る存在として排除されることになる〔注〕。このように、社会的世界とは、認識された秩序であり、それは、そこにおいて各々の参与者が〔それぞれの〕人生を切り開き、自らの地位を維持し高めようとする舞台として機能するものである。」
注:例えば、次を参照のこと。H.W.ゾーボー著/吉原直樹ほか訳、1997年『ゴールド・コーストとスラム』ハーベスト社、49-78頁。
http://www.jstor.org/pss/2771966
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