北海道での囚人労働は道路開削、炭鉱や硫黄採取などでも行われ、そのたびに多数の犠牲者を出していました。
みなさん、今日の北海道の基盤や繁栄は尊い犠牲の命の上になりたっていることを、どうか忘れないでください。「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と、国会で追及されるに及びついに明治27年廃止されたのです。 しかし、この囚人労働の歴史はその後も『タコ部屋労働』に引き継がれ、内地(本州)で食いつめた労働者や外国人を 巻き込み大正、昭和へと押し進められるのです。 当地で何が行われていたか、今でもみな沈黙を通します。そして真実を知る方も亡くなってゆきます。 時代時代で誰もが正しさを求めて懸命に生きてきましたが、今から見ると命として悲しい史実があることも事実です。 このような歴史観を持った上で、地域振興や観光施策を正しく認識して行わないとイケナイと思っています。 |
タコ部屋労働の主な変遷参考資料:「建設業における労使関係制度」筆宝康之教授より
生成期 1890 北炭室蘭・夕張線工事で(明23) タコ部屋始まる。 北海道の基盤工事を受け持った資本の 原始的蓄積期の囚人外役労働の廃止 に伴って、拘禁・強制労働のタコ部屋 が鉄道工事に発生し、以後産業資本 段階の労働形態として、鉄道・道路・ 港湾・用水溝工事にたずさわる。 1894 囚人の外役労働廃止 1896 「北海道鉄道敷設法」公布 確立期 1906 「鉄道国有法」公布(明39) 日露戦争後、独占資本が発展する中で 石炭・鉱石・木材・パルプなどの資源を 運ぶ鉄道と道路が、北海道・樺太では タコ労働によって作られ、大企業が進出 する。一方、地主の増収をはかるため、 畑地と原野の水田化は、北海道土功組 合法(1902)による灌漑用水溝の国庫補 助と、第一期拓殖計画(15ヶ年)とにより 推進され、タコ労働者の需要最盛期を 迎える。 この頃からタコ部屋労働者の酷使・虐待 が新聞に報道され、警察の取り締まりが、 次第に厳しくなる。 1910 「第一期拓殖計画」実施。 (明43「軽便鉄道敷設法」公布 1914 庁令「労役者募集紹介雇傭(大3) 取締規則」公布 1919 庁令「労役者使用取締規則」 (大8)公布 再編期 1925 内務省令「労働者募集取締令」 公布 酷使・虐待労働に対する取締が、土工夫 紹介と現場の両面で強化され、タコ部屋 も再編を余儀なくされる。 1928 厚生省令「職業紹介法」公布 沈衰期 1930 「強制労働廃止案」、第十四 (昭5)回国際労働会議で採決 国際世論と国内の廃止・改善論によって、 北海道土工殖民協会が発足する。 職業紹介法による紹介事業の国営化で タコ部屋もようやく衰退に向かい、土工殖民 協会は労働福利協会と改称する。 1932 北海道土工殖民協会設立 1938 「国家総動員法」 「職業紹介所制」 再建期 1939 朝鮮人強制連行・労働始まる 労働力不足を補うため、中国人・朝鮮人を タコ部屋に収容し、ナチスの強制収容所の ような酷使・虐待を加える。 1944 中国で「労工狩り」始まる 消滅期 1946 米軍政部、タコ部屋解散を 命令 米占領軍の民主化政策の一つとして、労 働者供給事業の民主化が行われ、タコ部屋 解散命令が出る。 1949 道知事、タコ部屋を告発