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プロレス評論家、菊池孝さんが亡くなられた…… |
昨日の午後11時半過ぎ友達からのメールでプロレス評論家の菊池孝さんが亡くなられたことを知った。
先日、ジチョー(宍倉清則氏)が自分のブログで何10年振りかで菊池さんの自宅を訪ねたことを書いていた。
あれを見るとああ、菊池さんは元気だなと思った。私が東京に出て来たのは1980年の5月。
今から32年前のことだ。ベースボール・マガジン社のプロレス編集部に入れてもらったのだ。
その時、菊池さんはフリーの評論家。私にとっては大先輩である。大先輩といったら東スポの桜井さん、山田さん(故人)、門馬さんに「ゴング」の竹内さん(故人)、「ファイト」の松下さん(故人)たち。
菊池さんには当時、大変にお世話になった。「月刊プロレス」と「デラックス・プロレス」を出していたプロレス編集部は、杉山編集長の方針で新日本プロレス中心の雑誌作りをしていたため、全日本プロレスからいい顔をされなかった。
あの時代、新日本と全日本、猪木さんと馬場さんはホントに犬猿の仲。ファンまで猪木派、馬場派。新日派、全日派に二分された。
だから、馬場さんは取材できなかった。ただ菊池さんをインタビュアーにというと馬場さんも元子さんもOKしてくれるのだ。
その部分で菊池さんには大変に助けられた。まあ、こっちとしても菊池さんを利用させてもらったという見方もできるが……。
取材に同行すると菊池さんは馬場さんのことを「馬場ちゃん!」と呼んでいた。あれを聞いてこれはもう逆立ちしても自分には無理だ。
2人は昔から強い形でつながっているんだと思ったことを実感。それが逆に私の中で馬場さんへのあこがれになっていったこともたしかである。(この項続く)
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