2007年12月24日
戦前の親を見習おう
最近は学校にクレームをつける<モンスターペアレント>とかいうのが問題になっているとかいうことをよく聞きます。日本の伝統を忘れ去った愚か者が増えてしまったということで、まことに嘆かわしい限りです。
戦前の立派な親たちを見習って、日本の誇るべき伝統を取り戻しましょう。
大正2年(1913).12.25〔小3のブランコ事故死で賠償命令〕
徳島県徳島市の市立小学校で、3年生(満9歳)が休み時間中にブランコで遊んでいて支柱が折れる事故で12.27に死亡した。木製の支柱はこれまで何度も修理しており、先月にも大工が点検して問題なしと判定していたが、地中部分が腐食していた。
両親は市に対して損害賠償請求訴訟を起こし、一審は父親に6百円、母親に4百円の賠償判決となったが、両親は風呂屋を経営して毎月50円以上の収入があるので、長男が二十歳で後を継いで月30円以上の収入が何十年もあるはずと、父親に4千円、母親に3千円の賠償金を支払うことを要求して控訴、二審でも一審と同じ賠償額となった。大正5年に大審院(いまの最高裁)でそのまま確定。この年の銀行員大卒初任給は40円。
この裁判の争点は、学校もこのブランコの安全性にはずいぶん気を使っていて、点検や修理を何度もしたうえに、念のため教師は3人以上が乗ってはいけないと日ごろから生徒に注意していて、支柱にも「三人以上乗るべからず」と書いた板を貼り付けていたんですが、事故時は10人の生徒が一度に乗っていたということなんです。
市側も生徒の注意無視が原因で、3人以上乗らなければ絶対事故は起きなかったと控訴していたんですが、裁判所は9歳では注意を理解できないという判決で、責任認定では両親の全面勝訴となりました。
大正4年(1915).12.7には、東京市神田区の小学2年生(満9歳)が校庭の隅に立てかけていたハシゴを登って倒れて12.17に死亡、両親は区を訴えて父親に3千3百円、母親に2千円の賠償金を支払うことを要求、父親に826円16銭、母親に750円の賠償判決となりました。
これもハシゴが壊れていたので生徒には絶対近寄ってはいけないと注意しており、しかも授業が終わって教師に校門の外まで送られてこの2年生もいったんは学校を出ているのにまた戻ってきて勝手に登っているわけで、区は大審院まで争ったのに責任認定では両親の全面勝訴となりました。
大正2年(1913).3.5に東京市牛込区の小学生11人(11〜14)が下校中に1人をリンチにして骨折させたんですが、加害者の親たちは自分たちには責任がなく、学校が監督者として賠償金を払うべきだと裁判で主張しています。これはさすがに学校内ではないことを理由に学校には監督責任なしとなりましたが、ケガをさせた側の親が学校の責任を追及しているわけです。
大審院まで行った戦前期でもっとも有名な体罰事件も、大正4年(1915).1.29に東京市本所区の小学校で、3年生三人が1年生の教室に授業中に勝手に入ってきて騒ぐという<授業妨害>をして、教師が注意すると奇声を発してバカにする態度を示したのでカッとして教師が3年生1人を床に引き倒して、コブがふたつできて足が内出血したからと、治療費3百円と新聞への謝罪文掲載を要求して親が訴訟を起こしたのです。いまの150万円ほど+新聞掲載費です。この民事とは別に刑事でも傷害罪で告発しています。
戦前の親は権利意識が非常に強くて、殊に子どものことでは見境がありませんから、自分の子どもに多少の非があろうがなかろうが平気で訴訟を起こします。
とくに体罰には厳しくて、ちょっと殴ろうものならケガなんかしなくとも生徒も親たちも断固学校と闘い、新聞は教師を袋叩きにするわで、学校は徹底的にやられてました。戦前は法律で体罰が禁止されているのですから、学校に勝ち目はありません。
このあたりのことは、拙著『戦前の少年犯罪』の第9章「戦前は体罰禁止の時代」を読んでいただければ。
この手の戦前の親たちの学校への訴訟なんかを集めた本は当時いろいろ出ておりまして、ゆまに書房の『教育事件・論争史資料』で復刻されているので簡単に読むことができます。第1〜4巻は数で勝負という感じで生徒が起こした事件も含めて膨大な事例を掲げていて、第5巻の『教育界ニ起コリタル裁判トソノ判決』(相馬喜作編纂 判決調査会 1929)は、重要判決の全文を載せた詳細な内容となっています。
教育関係者なら当然読んでいてしかるべきだと思うのですが、どうも教育関係者というのは勉強が苦手で学力がないようで、過去のことを調べるということをまったくしないみたいです。
そもそも、昭和10年前後に『教育事件・論争史資料』に復刻されているような内容の分厚い本が何冊も出たのは、大正デモクラシー期だけではなく昭和に入っても生徒や親たちが学校にクレームをつけ続け、訴訟を繰り返していたこともありますが、これだけぼこぼこにやられてその醜態は新聞や教育雑誌などで何度も取り上げられているのに、学校側は変わらずに生徒や親たちを甘く見て負け続けているので、その教師たちの無知、不勉強ぶりに呆れた弁護士さんなんかが見かねてマニュアル本を作ってあげたということらしいです。
最近の学者さんやらジャーナリストさんやらのあまりの無知、不勉強ぶりに呆れた誰かさんが見かねて戦前についてのマニュアル本を作ってあげたというのとちょっとだけ似ています。
そんな教師の不勉強の伝統はいまも脈々と続いているということですが、自分の子どもの権利を徹底的に護り、学校を叩き続ける、子どもに甘い日本の親の伝統を忘れ去って、<モンスターペアレント>とかくだらない問題を新たに創り上げる教養のない伝統破壊主義者には日本精神をきっちりと叩き込んでやらねばなりません。
そのためにも『戦前の少年犯罪』を読んで、子どもに徹底的に甘い日本の伝統をお勉強しましょうという宣伝でありました。
『教育事件・論争史資料』で復刻されている本に掲載の事件もじつは当時のごく一部で、『戦前の少年犯罪』はそれ以外の事件も多数発掘しておりますし。大正についてはあちらの本に譲りますが、昭和は圧倒的に勝っております。
戦前の立派な親たちを見習って、日本精神を取り戻しましょう。
戦前の立派な親たちを見習って、日本の誇るべき伝統を取り戻しましょう。
大正2年(1913).12.25〔小3のブランコ事故死で賠償命令〕
徳島県徳島市の市立小学校で、3年生(満9歳)が休み時間中にブランコで遊んでいて支柱が折れる事故で12.27に死亡した。木製の支柱はこれまで何度も修理しており、先月にも大工が点検して問題なしと判定していたが、地中部分が腐食していた。
両親は市に対して損害賠償請求訴訟を起こし、一審は父親に6百円、母親に4百円の賠償判決となったが、両親は風呂屋を経営して毎月50円以上の収入があるので、長男が二十歳で後を継いで月30円以上の収入が何十年もあるはずと、父親に4千円、母親に3千円の賠償金を支払うことを要求して控訴、二審でも一審と同じ賠償額となった。大正5年に大審院(いまの最高裁)でそのまま確定。この年の銀行員大卒初任給は40円。
この裁判の争点は、学校もこのブランコの安全性にはずいぶん気を使っていて、点検や修理を何度もしたうえに、念のため教師は3人以上が乗ってはいけないと日ごろから生徒に注意していて、支柱にも「三人以上乗るべからず」と書いた板を貼り付けていたんですが、事故時は10人の生徒が一度に乗っていたということなんです。
市側も生徒の注意無視が原因で、3人以上乗らなければ絶対事故は起きなかったと控訴していたんですが、裁判所は9歳では注意を理解できないという判決で、責任認定では両親の全面勝訴となりました。
大正4年(1915).12.7には、東京市神田区の小学2年生(満9歳)が校庭の隅に立てかけていたハシゴを登って倒れて12.17に死亡、両親は区を訴えて父親に3千3百円、母親に2千円の賠償金を支払うことを要求、父親に826円16銭、母親に750円の賠償判決となりました。
これもハシゴが壊れていたので生徒には絶対近寄ってはいけないと注意しており、しかも授業が終わって教師に校門の外まで送られてこの2年生もいったんは学校を出ているのにまた戻ってきて勝手に登っているわけで、区は大審院まで争ったのに責任認定では両親の全面勝訴となりました。
大正2年(1913).3.5に東京市牛込区の小学生11人(11〜14)が下校中に1人をリンチにして骨折させたんですが、加害者の親たちは自分たちには責任がなく、学校が監督者として賠償金を払うべきだと裁判で主張しています。これはさすがに学校内ではないことを理由に学校には監督責任なしとなりましたが、ケガをさせた側の親が学校の責任を追及しているわけです。
大審院まで行った戦前期でもっとも有名な体罰事件も、大正4年(1915).1.29に東京市本所区の小学校で、3年生三人が1年生の教室に授業中に勝手に入ってきて騒ぐという<授業妨害>をして、教師が注意すると奇声を発してバカにする態度を示したのでカッとして教師が3年生1人を床に引き倒して、コブがふたつできて足が内出血したからと、治療費3百円と新聞への謝罪文掲載を要求して親が訴訟を起こしたのです。いまの150万円ほど+新聞掲載費です。この民事とは別に刑事でも傷害罪で告発しています。
戦前の親は権利意識が非常に強くて、殊に子どものことでは見境がありませんから、自分の子どもに多少の非があろうがなかろうが平気で訴訟を起こします。
とくに体罰には厳しくて、ちょっと殴ろうものならケガなんかしなくとも生徒も親たちも断固学校と闘い、新聞は教師を袋叩きにするわで、学校は徹底的にやられてました。戦前は法律で体罰が禁止されているのですから、学校に勝ち目はありません。
このあたりのことは、拙著『戦前の少年犯罪』の第9章「戦前は体罰禁止の時代」を読んでいただければ。
この手の戦前の親たちの学校への訴訟なんかを集めた本は当時いろいろ出ておりまして、ゆまに書房の『教育事件・論争史資料』で復刻されているので簡単に読むことができます。第1〜4巻は数で勝負という感じで生徒が起こした事件も含めて膨大な事例を掲げていて、第5巻の『教育界ニ起コリタル裁判トソノ判決』(相馬喜作編纂 判決調査会 1929)は、重要判決の全文を載せた詳細な内容となっています。
教育関係者なら当然読んでいてしかるべきだと思うのですが、どうも教育関係者というのは勉強が苦手で学力がないようで、過去のことを調べるということをまったくしないみたいです。
そもそも、昭和10年前後に『教育事件・論争史資料』に復刻されているような内容の分厚い本が何冊も出たのは、大正デモクラシー期だけではなく昭和に入っても生徒や親たちが学校にクレームをつけ続け、訴訟を繰り返していたこともありますが、これだけぼこぼこにやられてその醜態は新聞や教育雑誌などで何度も取り上げられているのに、学校側は変わらずに生徒や親たちを甘く見て負け続けているので、その教師たちの無知、不勉強ぶりに呆れた弁護士さんなんかが見かねてマニュアル本を作ってあげたということらしいです。
最近の学者さんやらジャーナリストさんやらのあまりの無知、不勉強ぶりに呆れた誰かさんが見かねて戦前についてのマニュアル本を作ってあげたというのとちょっとだけ似ています。
そんな教師の不勉強の伝統はいまも脈々と続いているということですが、自分の子どもの権利を徹底的に護り、学校を叩き続ける、子どもに甘い日本の親の伝統を忘れ去って、<モンスターペアレント>とかくだらない問題を新たに創り上げる教養のない伝統破壊主義者には日本精神をきっちりと叩き込んでやらねばなりません。
そのためにも『戦前の少年犯罪』を読んで、子どもに徹底的に甘い日本の伝統をお勉強しましょうという宣伝でありました。
『教育事件・論争史資料』で復刻されている本に掲載の事件もじつは当時のごく一部で、『戦前の少年犯罪』はそれ以外の事件も多数発掘しておりますし。大正についてはあちらの本に譲りますが、昭和は圧倒的に勝っております。
戦前の立派な親たちを見習って、日本精神を取り戻しましょう。
Posted by 管賀江留郎 at 09:13│Comments(22)│TrackBack(1)
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モンスターペアレントは日本の伝統ですよ。
(関連)日本人は“自子中心”のモンスターだらけ
日本人は“自子中心”のモンスターだらけ2【列島ブログ】at 2008年04月11日 10:28
この記事へのコメント
この切り口での記事はいつか来るだろうとは思っていましたが、やはり面白かったです。期待通りでした。
ところで、遅ればせながらですが「戦前の少年犯罪」、良い本ですね!買う時は正直ちょっと高いかもなどと思ってしまいましたが今は買ってよかったとつくづく思います。昼間気に障ることがあったとしても夜にこれを読めば気分が晴れます。
ところで、遅ればせながらですが「戦前の少年犯罪」、良い本ですね!買う時は正直ちょっと高いかもなどと思ってしまいましたが今は買ってよかったとつくづく思います。昼間気に障ることがあったとしても夜にこれを読めば気分が晴れます。
Posted by ノエルザブレイヴ at 2007年12月24日 13:38
ノエルザブレイヴさん、どうも。
それは素晴らしい読み方ですね。
あの本は揶揄が不快だと云う方が結構いて、私としては揶揄なんかしているつもりはなくて素直に書いているつもりなんですが。
しかし、また反対にあの本で気分が晴れるというのもどんなもんだか。
それは素晴らしい読み方ですね。
あの本は揶揄が不快だと云う方が結構いて、私としては揶揄なんかしているつもりはなくて素直に書いているつもりなんですが。
しかし、また反対にあの本で気分が晴れるというのもどんなもんだか。
Posted by 管賀江留郎 at 2007年12月25日 08:09
具体例を挙げますと、(http://www.ntv.co.jp/saito-san/)(←以前私が「観月ありさは臆病武士」と書いた根拠となったドラマです)の番組宣伝を観た後に、「ちっ、世直し気取りやがって…」と気分が苛立ち、そこで「戦前の少年犯罪」の永井荷風が出てくるあたりを読んで気持ちを落ち着ける、という感じです。
「戦前の少年犯罪」を精神安定剤代わりにするのは管賀さんが意図した本の使い方からは外れているような気がして少し罪悪感もありますけれども…。
「戦前の少年犯罪」を精神安定剤代わりにするのは管賀さんが意図した本の使い方からは外れているような気がして少し罪悪感もありますけれども…。
Posted by ノエルザブレイヴ at 2007年12月26日 23:10
その伝統的に不勉強な教員の一人であります。
まあ確かに注文の多い保護者は厄介ではあります。中には本当に辟易とするケースもあります。でも、親が自分の子どもを第一に考えるのはある意味当たり前です。
つーか、世の中、少子化が大問題なんでしょ?だったら、モンスターだろうが何だろうが、子どもを作っただけエライと、むしろ褒めてあげるべきなんじゃないでしょうか?特に厚生労働省あたりは「親になることへの不安を増大させるような言説はけしからん」と怒るべきでしょうに。
まあ確かに注文の多い保護者は厄介ではあります。中には本当に辟易とするケースもあります。でも、親が自分の子どもを第一に考えるのはある意味当たり前です。
つーか、世の中、少子化が大問題なんでしょ?だったら、モンスターだろうが何だろうが、子どもを作っただけエライと、むしろ褒めてあげるべきなんじゃないでしょうか?特に厚生労働省あたりは「親になることへの不安を増大させるような言説はけしからん」と怒るべきでしょうに。
Posted by shira at 2007年12月27日 00:22
shiraさん、どうも。
そのようにストレートに読み取っていただけると大変ありがたいです。
どうも、私の筆力が至らないためか、この記事も皮肉を云っているように受け止めてる方が多いみたいなんですが、私はほんとに戦前の親は立派で見習うべきだと思っています。
戦前は小学生なんかでも団結して教師と戦ったりしていて、まことに結構な時代だったと思います。
『戦前の少年犯罪』は戦前を非難していると読み取る方までいるんですが、私は戦前は若者に寛大でおおらかなじつにいい時代で、我々も大いに見習うべきだと主張しているつもりなんですが。
そのようにストレートに読み取っていただけると大変ありがたいです。
どうも、私の筆力が至らないためか、この記事も皮肉を云っているように受け止めてる方が多いみたいなんですが、私はほんとに戦前の親は立派で見習うべきだと思っています。
戦前は小学生なんかでも団結して教師と戦ったりしていて、まことに結構な時代だったと思います。
『戦前の少年犯罪』は戦前を非難していると読み取る方までいるんですが、私は戦前は若者に寛大でおおらかなじつにいい時代で、我々も大いに見習うべきだと主張しているつもりなんですが。
Posted by 管賀江留郎 at 2007年12月27日 11:56
あっ、最後の事件の治療費が3千円になってた。3百円に訂正しました。
死亡事故の親は、いまの数千万円を要求しているわけですね。
死亡事故の親は、いまの数千万円を要求しているわけですね。
Posted by 管賀江留郎 at 2007年12月27日 12:47
こういう行動をしたらどうなるかの予測ができない
生命など生命としておかしいと言わざるを得ないと思うのですが
生命など生命としておかしいと言わざるを得ないと思うのですが
Posted by イルカ at 2007年12月27日 17:30
イルカさん、どうも。
こういう行動をしたらというは、ブランコに10人で乗ったり、壊れたハシゴを登ったりする小学生のことでしょうか。
子どもはそういうことをするもんだというのが、戦前の裁判所の判定でした。
子どもがそういうことをやらなくなったら人類は滅んでしまいますからねえ。
ハシゴの先になんにもないことは見ればわかるのに何故か己の命を賭して登らずにはおれない人というのがいて、そんな人のおかげで人類は進歩して我々もその恩恵に預かってこんなコミュニケーションもできたりしているわけです。
好奇心こそが生物と無生物のあいだを隔てる唯一の差で、好奇心がなくなったら生命とは云えません。
こういう行動をしたらというは、ブランコに10人で乗ったり、壊れたハシゴを登ったりする小学生のことでしょうか。
子どもはそういうことをするもんだというのが、戦前の裁判所の判定でした。
子どもがそういうことをやらなくなったら人類は滅んでしまいますからねえ。
ハシゴの先になんにもないことは見ればわかるのに何故か己の命を賭して登らずにはおれない人というのがいて、そんな人のおかげで人類は進歩して我々もその恩恵に預かってこんなコミュニケーションもできたりしているわけです。
好奇心こそが生物と無生物のあいだを隔てる唯一の差で、好奇心がなくなったら生命とは云えません。
Posted by 管賀江留郎 at 2007年12月28日 22:30
>ハシゴの先になんにもないことは見ればわかるのに何故か己の命を賭して登らずにはおれない人というのがいて、そんな人のおかげで人類は進歩して我々もその恩恵に預かってこんなコミュニケーションもできたりしているわけです。
それは全面的に賛成ですが、
「でも失敗したら学校の責任」
というのは無茶なのでは……。
「自ら安全に気をつけて行動することの大切さ」
「自分の尻は自分で拭く」
というのも、重要な学習なんじゃないでしょうか。
http://www2.city.ritto.shiga.jp/mori/event/circlej1.html
ところで、現在でも体罰は禁止では?
(学校教育法第11条)
それは全面的に賛成ですが、
「でも失敗したら学校の責任」
というのは無茶なのでは……。
「自ら安全に気をつけて行動することの大切さ」
「自分の尻は自分で拭く」
というのも、重要な学習なんじゃないでしょうか。
http://www2.city.ritto.shiga.jp/mori/event/circlej1.html
ところで、現在でも体罰は禁止では?
(学校教育法第11条)
Posted by filinion at 2008年08月24日 21:35
filinionさん、どうも。
無茶かどうかはともかく、こういうのが日本の本来の姿であるということを判っていただければ。
伝統と云うのはそれなりの意味があって形成されていたわけで、反対するにしてもなんにしても伝統は知っておく必要はあるかと思います。
体罰に関しても戦前は問答無用の「絶対悪」で、学校も「殴ってない」という言い訳をすることはあっても、「体罰も時には必要」みたいなことは口が裂けても云いませんでした。軍隊でさえそうだったのです。
高邁な理念からではなく、こんなことを云ったら伝統的な普通の日本人の心情と敵対することになって、学校や軍隊に人が来なくなるからです。
いまは体罰を肯定する者がいて、しかもそれが日本の本来の姿であるかのような妙なことを云う者が多くてタチが悪いです。
体罰を肯定するのは勝手ですが、それは日本の伝統に反する西洋かぶれであることだけは自覚すべきでしょう。
無茶かどうかはともかく、こういうのが日本の本来の姿であるということを判っていただければ。
伝統と云うのはそれなりの意味があって形成されていたわけで、反対するにしてもなんにしても伝統は知っておく必要はあるかと思います。
体罰に関しても戦前は問答無用の「絶対悪」で、学校も「殴ってない」という言い訳をすることはあっても、「体罰も時には必要」みたいなことは口が裂けても云いませんでした。軍隊でさえそうだったのです。
高邁な理念からではなく、こんなことを云ったら伝統的な普通の日本人の心情と敵対することになって、学校や軍隊に人が来なくなるからです。
いまは体罰を肯定する者がいて、しかもそれが日本の本来の姿であるかのような妙なことを云う者が多くてタチが悪いです。
体罰を肯定するのは勝手ですが、それは日本の伝統に反する西洋かぶれであることだけは自覚すべきでしょう。
Posted by 管賀江留郎 at 2008年08月26日 07:41
>無茶かどうかはともかく、こういうのが日本の本来の姿であるということを判っていただければ。
「メリットはないかも知れないがこれが古くからの親の姿だ」
ということでしょうか。
そういう話であればわからないでもありませんが、その「伝統」が優れたものであると主張されているように読みましたので……。
>軍隊でさえそうだったのです。
してみると、軍で鉄拳制裁が横行していた、というのは迷信なのでしょうか。
証言している元日本兵はみな嘘つきで。
「のらくろ」でさえ、昇進したのらくろが、最初は「僕は部下をかわいがってやるんだ」と思っていたものの、「やっぱりビンタは必要だな」と思い直す話があったように思いますが……。
私自身は体罰には反対ですので念のため。
「メリットはないかも知れないがこれが古くからの親の姿だ」
ということでしょうか。
そういう話であればわからないでもありませんが、その「伝統」が優れたものであると主張されているように読みましたので……。
>軍隊でさえそうだったのです。
してみると、軍で鉄拳制裁が横行していた、というのは迷信なのでしょうか。
証言している元日本兵はみな嘘つきで。
「のらくろ」でさえ、昇進したのらくろが、最初は「僕は部下をかわいがってやるんだ」と思っていたものの、「やっぱりビンタは必要だな」と思い直す話があったように思いますが……。
私自身は体罰には反対ですので念のため。
Posted by filinion at 2008年08月26日 17:42
filinionさん、どうも。ずいぶん遅レスで恐縮です。
日本の軍隊では体罰は厳重に禁止されていて、行われていたのはあくまで「私的制裁」です。見つかれば必ず軍法会議にかけられて厳罰がくだされていました。
日本の軍は建前ではなく本気で体罰を一掃しようとしていました。軍にとってマイナスにしかならないからです。
意識としては「いじめ」と見られてたということです。現在でも、いじめが時には必要なんてことを公言する教師はいないでしょう。やってることは同じようなことでも。
日本の伝統はもちろん優れたものです。躾を厳しくなんてのは、最近になって西洋のまねをして広まったものです。
『戦前の少年犯罪』を読んで日本の優れた伝統を知っていただければ幸いです。
日本の軍隊では体罰は厳重に禁止されていて、行われていたのはあくまで「私的制裁」です。見つかれば必ず軍法会議にかけられて厳罰がくだされていました。
日本の軍は建前ではなく本気で体罰を一掃しようとしていました。軍にとってマイナスにしかならないからです。
意識としては「いじめ」と見られてたということです。現在でも、いじめが時には必要なんてことを公言する教師はいないでしょう。やってることは同じようなことでも。
日本の伝統はもちろん優れたものです。躾を厳しくなんてのは、最近になって西洋のまねをして広まったものです。
『戦前の少年犯罪』を読んで日本の優れた伝統を知っていただければ幸いです。
Posted by 管賀江留郎 at 2008年10月29日 23:33
先日のコメントにも書かせてもらいましたが、今の親や教師は戦前とは逆に本気で「子どもをもっと締め上げろ、いじめだろうが体罰だろうが使って親や教師にに従順にしろ」と本気で思っているのではと考えてしまいます。
どうやら裏表の使い分けのうまい、処世術に長けた、他人を自分のために
使うことのうまい子どもらしくない子どもを作りたがっているようです。
私は最近管理人さんの本が逆手にとられてしまうのではと恐れています。
子どもを戦後厳しく躾けるようになって犯罪は減った。
子どもの犯罪を大きく取り上げ(騒いでネタにしているとしか思えません)やっと犯罪は減った。という議論が出そうでこわいのです。
それにしても最近の親はかわいそうです。長時間労働のうえ、自分の時間のすべてを子育てにささげ、それでも責め立てられるのですから。
どうやら裏表の使い分けのうまい、処世術に長けた、他人を自分のために
使うことのうまい子どもらしくない子どもを作りたがっているようです。
私は最近管理人さんの本が逆手にとられてしまうのではと恐れています。
子どもを戦後厳しく躾けるようになって犯罪は減った。
子どもの犯罪を大きく取り上げ(騒いでネタにしているとしか思えません)やっと犯罪は減った。という議論が出そうでこわいのです。
それにしても最近の親はかわいそうです。長時間労働のうえ、自分の時間のすべてを子育てにささげ、それでも責め立てられるのですから。
Posted by しんのすけ at 2008年11月02日 21:12
以前、いじめ自殺加害者の父親が農薬を飲んで自殺するという事件があったとか。世の中に独善的な寛容を押し付けてすっかり甘えきっている人たちに比べたらましな方かもしれない。まあ最善とは言いません。最善なら、そうなる前に何とかするでしょう。
少子化少子化とうるさいけど、私はとてもこんな言葉ははく気になれません。人殺しの穴埋めを女性が腹を痛めてするのは当然だと言っているようで、聞いてても恥ずかしくなる。私はこんな言葉をはくくらいなら舌をかんだ方がましとさえ思える。
よく生きて償えとかわかったように言う人っているようだけど、私は子供の頃に病気で死んだ子が同じ学校にいました。これもまた人の一生です。また、何年か前、病院で人を殺してほどなくして病死した人がいましたけど、この人はこれで一生をもって償ったことになるのでしょうか?長生きするのが当たり前という甘え思想そのものとしか私は思えませんがね。
昨日に自分たちがした悪事を正当化するために今日明日に人に同じことをやらせ、その通りにしたら母性がどうとかモラルがどうとか言って、モンスターだ何とか言って非難するのは最低な人たちですよね。こういう人たちに天罰はないのかしら、神も仏もないのかと思う今日このごろです。
管理人様、たびたびのお邪魔、すいません。私の駄文、お気に召さずば削除されてけっこうです。
少子化少子化とうるさいけど、私はとてもこんな言葉ははく気になれません。人殺しの穴埋めを女性が腹を痛めてするのは当然だと言っているようで、聞いてても恥ずかしくなる。私はこんな言葉をはくくらいなら舌をかんだ方がましとさえ思える。
よく生きて償えとかわかったように言う人っているようだけど、私は子供の頃に病気で死んだ子が同じ学校にいました。これもまた人の一生です。また、何年か前、病院で人を殺してほどなくして病死した人がいましたけど、この人はこれで一生をもって償ったことになるのでしょうか?長生きするのが当たり前という甘え思想そのものとしか私は思えませんがね。
昨日に自分たちがした悪事を正当化するために今日明日に人に同じことをやらせ、その通りにしたら母性がどうとかモラルがどうとか言って、モンスターだ何とか言って非難するのは最低な人たちですよね。こういう人たちに天罰はないのかしら、神も仏もないのかと思う今日このごろです。
管理人様、たびたびのお邪魔、すいません。私の駄文、お気に召さずば削除されてけっこうです。
Posted by 筆札読書人 at 2008年11月04日 10:00
口うるさい親が増えたといいますが、口うるさいのが何故いけないかと
いえばただ単に応対する手間がかかるだけで、それをその思想がいけないと
いうのは変だなって思いますね
人それぞれ思想はあるし、それによる害はないのですから
時間をとられて迷惑だっていう話でしかないと思います
あんま関係ない話ですがw
いえばただ単に応対する手間がかかるだけで、それをその思想がいけないと
いうのは変だなって思いますね
人それぞれ思想はあるし、それによる害はないのですから
時間をとられて迷惑だっていう話でしかないと思います
あんま関係ない話ですがw
Posted by あ at 2009年02月07日 22:47
たとえ教員が本気を出して裁判で勝っても
今後、その子供が学校で肩身の狭い思いをするのだと思います。
その子との関係もギクシャクしてしまうし、その子の親ともギクシャクしてしまうでしょう。何かに付けて逆恨みで文句付けられたらたまりませんから・・・
なので、法的に解決ができたとしてもそれは正解ではないのは確かです。
法律は弱者を守るものと言われますが、そのときはみんな自分が弱者だと思っているから本当の弱者なんて誰にもわからないと思います。
今後、その子供が学校で肩身の狭い思いをするのだと思います。
その子との関係もギクシャクしてしまうし、その子の親ともギクシャクしてしまうでしょう。何かに付けて逆恨みで文句付けられたらたまりませんから・・・
なので、法的に解決ができたとしてもそれは正解ではないのは確かです。
法律は弱者を守るものと言われますが、そのときはみんな自分が弱者だと思っているから本当の弱者なんて誰にもわからないと思います。
Posted by at 2009年02月17日 16:21
初めまして。
宮城県で中学校教師をしていた元教師です。
職員室内でこの言葉がよく使われていましたが、新聞で報道されるほどの
我が儘な要求をする保護者に対して使用するというよりは、正当な苦情申し立て(在職中は自分の感覚も麻痺していましたが)保護者に対しても、とにかく学校に何か要求してくる保護者全般に対して使用していた感がありました。教員の世界は閉鎖的ですのが、自分たちが楽を出来るような通俗的なマスコミの煽りを利用したがる傾向はあったのかなと思いました。個人的にはここ最近になって急に給食費未払い等の問題が急増したようなデータも実感も無かったので不思議でしたが、やはり戦前からそう変わっていないのですね・・・貴重な本のご紹介ありがとうございました。
宮城県で中学校教師をしていた元教師です。
職員室内でこの言葉がよく使われていましたが、新聞で報道されるほどの
我が儘な要求をする保護者に対して使用するというよりは、正当な苦情申し立て(在職中は自分の感覚も麻痺していましたが)保護者に対しても、とにかく学校に何か要求してくる保護者全般に対して使用していた感がありました。教員の世界は閉鎖的ですのが、自分たちが楽を出来るような通俗的なマスコミの煽りを利用したがる傾向はあったのかなと思いました。個人的にはここ最近になって急に給食費未払い等の問題が急増したようなデータも実感も無かったので不思議でしたが、やはり戦前からそう変わっていないのですね・・・貴重な本のご紹介ありがとうございました。
Posted by 元教員 at 2009年06月19日 00:13
元教員さん、どうも。
昭和30年代くらいまでは、村中で学校に押しかけて教師を吊し上げたり、小学生全員を登校させない決議をして何日も同盟休校を続けたり、日本全国で毎週のように父兄が学校に圧力を加える事件が起きてました。
最近の親はなんで学校に要求を出さなくなってしまったんでしょうね。日本の伝統が廃れて困ったものです。
昭和30年代くらいまでは、村中で学校に押しかけて教師を吊し上げたり、小学生全員を登校させない決議をして何日も同盟休校を続けたり、日本全国で毎週のように父兄が学校に圧力を加える事件が起きてました。
最近の親はなんで学校に要求を出さなくなってしまったんでしょうね。日本の伝統が廃れて困ったものです。
Posted by 管賀江留郎 at 2009年06月20日 00:19
初めまして、遅まきながら「戦前にあった少年犯罪」を読ませていただきました。実に勉強になりました。いろんな人に読んでもらいたいです(とくに石原慎太郎)自分も昔の地元紙を読んでいろいろ調べてみようと思います。ありがとうございました。
Posted by セロニア at 2011年03月29日 23:34
はじめまして。
>戦前の親は権利意識が非常に強くて、殊に子どものことでは見境がありませんから、自分の子どもに多少の非があろうがなかろうが平気で訴訟を起こします。
とのことですが、戦前の裁判件数が膨大に多かったということでしょうか?
>戦前の親は権利意識が非常に強くて、殊に子どものことでは見境がありませんから、自分の子どもに多少の非があろうがなかろうが平気で訴訟を起こします。
とのことですが、戦前の裁判件数が膨大に多かったということでしょうか?
Posted by アルクエイド at 2011年05月11日 13:29
戦前の親が子の不利益ですぐ訴訟を起こすのは
その時代の子どもは家庭の労働力だったからです。
勉強なんかより家の手伝いをさせたいという考えが基本ですから
学校に行かせる事自体に元々不満があったのですよ。
そこで学校に文句を言える隙があれば針小棒大にしてでも突付いて騒ぎ立て、学校は害悪と子どもに言い聞かせ行かせないようにしていたわけです。
家のお手伝いの域を超えた家事労働も含め、児童労働で子どもの人権を脅かし、子どもの学ぶ権利を奪っていた戦前の親達をどうお考えですか?
その時代の子どもは家庭の労働力だったからです。
勉強なんかより家の手伝いをさせたいという考えが基本ですから
学校に行かせる事自体に元々不満があったのですよ。
そこで学校に文句を言える隙があれば針小棒大にしてでも突付いて騒ぎ立て、学校は害悪と子どもに言い聞かせ行かせないようにしていたわけです。
家のお手伝いの域を超えた家事労働も含め、児童労働で子どもの人権を脅かし、子どもの学ぶ権利を奪っていた戦前の親達をどうお考えですか?
Posted by 海 at 2011年09月25日 21:33
海さん、どうも。
戦前の親は非常に教育熱心で、中学や女学校へ入るための受験競争は激烈で、不正入試問題で毎年大量の教師や親が逮捕されているような状況でした。
海さんが仰るような子どもを家庭の労働力だと考えている親は元から学校になど通わせませんから、ここに出てくるすでに学校に通っている子の親には、そういう図式はまったく当てはまりません。
子どものほうも教師に対しては団結してとことん闘います。謝罪要求などというレベルではなく、クビになるまで徹底的にやるのです。
戦前は権利意識が強くて個の意識が確立していましたので、簡単に学校の云うことなんかききません。軍隊でも体罰を振るうような上官に対しては、逆に殴ったり刃物で刺したりする事件が続発していました。
このあたりのことは拙著『戦前の少年犯罪』を読んでいただければさらに理解が深まるかと。
労働力云々よりも日本の伝統に反する西洋的な学校や軍隊に庶民は反感は持ってましたので、学校や軍隊は非常に気を遣って、西洋から伝播した体罰を徹底的に禁止したのです。江戸時代までは基本的に日本に体罰などありませんから。
戦前の親は非常に教育熱心で、中学や女学校へ入るための受験競争は激烈で、不正入試問題で毎年大量の教師や親が逮捕されているような状況でした。
海さんが仰るような子どもを家庭の労働力だと考えている親は元から学校になど通わせませんから、ここに出てくるすでに学校に通っている子の親には、そういう図式はまったく当てはまりません。
子どものほうも教師に対しては団結してとことん闘います。謝罪要求などというレベルではなく、クビになるまで徹底的にやるのです。
戦前は権利意識が強くて個の意識が確立していましたので、簡単に学校の云うことなんかききません。軍隊でも体罰を振るうような上官に対しては、逆に殴ったり刃物で刺したりする事件が続発していました。
このあたりのことは拙著『戦前の少年犯罪』を読んでいただければさらに理解が深まるかと。
労働力云々よりも日本の伝統に反する西洋的な学校や軍隊に庶民は反感は持ってましたので、学校や軍隊は非常に気を遣って、西洋から伝播した体罰を徹底的に禁止したのです。江戸時代までは基本的に日本に体罰などありませんから。
Posted by 管賀江留郎 at 2011年09月25日 22:21