「明治大学広報」
 
第546号(2004年10月15日発行)
◆特別企画 北野武氏座談会
 −知られていなかった明大時代を語る-
 

 明治大学は9月7日、北野武氏に特別卒業認定証、特別功労賞を贈呈した。学園紛争でやむを得ず卒業できなかった北野氏の世界的活躍を評価したもの。贈呈式後には、長吉泉理事長、納谷廣美総長兼学長との座談会を渡辺宜嗣氏の司会で行なった。その模様を今号と次号で紹介する。
○渡辺(司会) 改めて学長に伺いたいのですが、今回、特別卒業認定をたけしさんに贈呈しようということが決まった経緯と、思いみたいなものをお話しいただけますか。
○納谷 たけしさんのご活躍は、もう皆さんご存じのとおりです。映画監督として国際的な活躍をしておられる。97年に『HANA―BI』でベネチア国際映画祭金獅子賞を授与されました。国際的な評価を得られて以来、いつか明治で何かをしてみたいなと思っていた教員のひとりでした。このような時代を迎え、個性的な活躍はいいね、できれば卒業生に加わっていただきたい、というようなことがあって今回の話になりました。
○渡辺 その話が来たときは、たけしさん、まずどんなことをお感じになりましたか。
○北野 やはり「恥ずかしいよ」って言ったんだけどね。海外で評価は高いけど、国内の評価はで、ちょっとまずいんじゃって言ったの。
○渡辺 何も今さらみたいなものがあったんですか。
○北野 文化庁から芸術選奨の表彰を受けるときも、いいんですか、オレですよっていう感じがあって、オレにくれるわけ? オレは、そういうのに値しないでしょという感じがあるんだけど、大学自体は思い入れが違うので、ギャクで「いらねえよ」とか言えなかったのは、やっぱりおふくろだね。おふくろとオレとの子ども時代からの戦いの和解みたいなものだから。親は死んで何年かたつけれども、はじめて和解したって感じがあるよね。漫才師になろうが、映画で賞を取ろうが、家に行っておふくろに小遣いをやっても、「こいつは私が大学に行かしたのにやめちゃって、金を無駄遣いした」なんていつも言われるから、これでやっと和解かなと思って、ホッとしたね。
○渡辺 我々が想像している以上に、たけしさんにとっては今回の受賞はものすごく思いが深いですね。
○北野 要するに、うちはだらしない家庭だったんで、家の食べることも何も全部おふくろにかかっていたわけ。子どものときからその姿を見ちゃっているから、オヤジが酔っぱらって寝ている横で内職をやって、その金は食費以外に学費にまで行くわけだから。そういうのをやって兄弟を学校に行かせるわけだから、それを最後の最後にオレが裏切ったわけだから、それはちょっと申し訳なくてしょうがなかったんだ。
○渡辺 そういうお話を聞くと、理事長、やはり贈呈した甲斐がありますね。
○長吉 このお話が出ましたときに、果たして受けてくれるのかなと。私どもの明治大学にとっては大変な賞のつもりですけれども、たけしさんにとっては、いまさらこういうものを受けてくれるのかどうか、実は非常に心配しました。そしたら、快く受けてくださるということで、これはよかったと。
 さきほどちょっとお隣で、特別功労賞のメダルの話、ご著書の話をしましたときに、「このメダルをお母さんのところにずっとお供えしておきたい」とおっしゃっていただきました。それほどお母さん思いというか、いまお話ありましたような、お母さんと和解というので、私もジーンと感激しました。ほんとにお受けいただいてうれしいと思います。
○北野 ローマ法王庁からロシア王朝にイコンを持っていくようなものだ。
○渡辺 長い歴史の中で、こういう特別卒業認定の第1号が北野武さんということになったわけですから、改めて伺いたいのですが、なぜ明治大学を受け、そして工学部に進もうと思われたんですか。
○北野 おまえが受かるところならどこでもいいよと。いろんな大学があるけど、東京六大学ぐらいは受かるだろうと。とにかく機械なんだね。これからの日本の産業の支えになるのは機械だというので、文化系はだめって言うわけ。変な政治運動するからって。機械科のほうへ行けば就職には困らないし、いいんだというわけよ。
○渡辺 受験して、合格して、生田に通うわけですね。明治大学のイメージというと、1・2年生、一般教養課程は和泉校舎があって、京王線・井の頭線の明大前ですね。そして本校があって、生田の工学部ができたすぐの時代ですよね。
○北野 和泉校舎は憧れていたんだけどね。文化系は、女の子もいるし、キャンパスらしいじゃないですか。明大前だし。それがいきなり生田校舎に行かされて、女の人は食堂のオバサンしかいないし、化学にひとり女の子がいるっていう噂を聞いて、教室をのぞきに行ったことがある。あいつだ、あいつだと言って。軍隊みたいなもんだもん、情けないよ。全然女っ気ないんだもん(笑)。
○渡辺 そのころ、生田のあのあたりはどんな感じだったんですか。
○北野 小田急線の生田で降りて、トボトボ線路際を歩いていく。そうすると山の上に隔離された病院みたいなのがあって、あれ「白い巨塔」なんだよ。田宮二郎さんのころ(注‥ロケで使用された)。あそこ、サナトリウムみたいじゃない。上がりきったら体力あるって感じで。新校舎だから、確かにすごいけど、そこに全部男でしょ。はじめてのクラスだから、地方から出てくるとか、浪人したとかいっぱいいるじゃない。歳がわからないし。面白かったですね。いきなり酒を覚えさせられたり。
○渡辺 学校の中で?
○北野 帰りに下宿に寄れとか言われて。今まで、おふくろの管理のもとに悪いこともしていたんだけど、はじめて親はなしに友だち同士でタバコ吸ったり、酒飲んだりして、ワーワーやれるようなことになったんだ。それが学校に行かなくなった理由みたいなもので、新しい文化というのを教わっちゃったから。
 下宿の友だちが、ほかの大学の文学部か何かで、いろいろ文学を語られちゃったら、すごい世界があると思ってね。今まで計算しかやってないのが、そっちのほうが楽しいじゃない。生きることはとか何か言っちゃってさ。哲学、実存主義が出てきて、そのあとボーボワールの『第二の性』とか、コリン・ウィルソンの何とかって出てきて。それを急いで買っても、何もわからない。頭からはじめなきゃいけないって『次郎物語』買ったんだけど、ギャップが激しすぎて、実存主義なんか届くはずがないのを買っちゃって。しょうがないから、ドストエフスキーかなんかに行ったんだ。そしたら、そっちのほうが面白くなってね。そっちが文化だと思った。だから新宿で電車を降りちゃったの。新宿の朝の喫茶店に行って。それがジャズ喫茶で、タバコ吸って、なんか難しい本読んで、こんな顔してジャズ聴いているの。今考えれば、そんなバカな聴き方ないんだけど、ジャズ聴きながら哲学書を読んだりする。そして隣に座ったら、「君、人生とは何だと思っているんだ」とかいろいろ言われて、あっ、こういう世界もあるんだなって、そっちが面白くなって。
○渡辺 特にそういうことを語る時代でしたよね。
○北野 そう。それで「行こう」って言うんだ、ヘルメットを持って。
○渡辺 デモに参加したこともあるんですか。
○北野 ある。「行こう」って言われて、新宿騒乱なんて行ったことあるんだ。第三インターだか第二インターだか何かわからない歌うたってて。労働者どうのこうのって。オレわからないから、小さな声で軍歌うたったの。そしたら「おまえ、歌が違う。何うたっているんだ。それ、学生がうたう歌じゃねえじゃないか」って(笑)。
○渡辺 それ本当ですか。
○北野 知らないんだもん。いつの間にか前に押し出されちゃって、後ろから角材で殴られ、前から警棒で殴られる。はいつくばって逃げたの。やだ、こんなのと思って。
○長吉 そこで軍歌うたったらやられるね。
○北野 あの当時、いきなり教室をガラッと開けて、全学連のセクトだというのが入ってきて、アジ演説をはじめるわけ。授業をボイコット、封鎖なんてはじめたから、沖縄がどうの、アメリカがどうのとかやっても、それは沖縄かわいそうだなと思ったけど、あまりよく知らないわけ。
○渡辺 たけしさんは、工学部の卒業140単位のうち106単位を3年間で取っているんですよね。これは不思議ですね。勉強はしたんですよね、きっと。
○北野 レーザー光線のゼミナールだったんだけど、その当時は、将来のものだと。今だったら、あらゆるものをレーザーで読み取ったりする時代ですごいけど、その当時はまだSF的だったね。レリーか何かに電圧かけて波長が一定になるのをつくるんだけど、それだけで感動していたから。でも、感覚的には、これはすごいことになるんだろうなと思ったね。
○渡辺 伺った話ですけど、今でも時間があると数式を解くんだそうですね。
○北野 遊びでね。
○渡辺 数学から物事がはじまるんですか、発想的には。
○北野 よく言うんだけど、数学できない人が文学とか映画は撮ったらだめ、つくったらだめというのは、「映画における因数分解」というような言い方をするわけ。ファクタライゼーション、要するに、Xという殺し屋がいる。Xが、Aという人、Bという人、Cという人を殺すときには、映像的には、A×Xというシーンを撮らなければいけない、同じようにB×X、C×Xというシーンを撮らなければいけない。それでXは、A・B・Cとかかわるわけ。因数分解になると、Xという人が拳銃を持って血を流して歩く。ただ歩くだけ。その歩いている中にAの死体、Bの死体、Cの死体をただ映す。そうすると、Xはこういう人を殺したとなるわけよ。細かくいちいち撃つシーンを何回も使わなくてもいい。それは、X(A+B+C)で、だから因数分解になるわけ。2乗とかルートというような、強引にルート的な映像をつくる。そういうのが無感覚になっている人もいるけど、数学的に解釈すると、そういうふうになるというかね。
 映画は世界基準というか劇場の基準で、1時間50分ほどで終わらないと、1日4回回せないので、長い映画を撮っても映画館が困っちゃうわけ。3回しかできなかったら、1回分の入場数400人がだめになるから。そうすると、だいたい1時間50何分で頭の先から終わりまでやっていく。でもその中に、下手したらひとりの人生を描くときもある。どうやって外してエッセンスを見せるかの勝負なので、そのエッセンスはファクターだから、それをどうやって映像に焼き付けて、それを中心に前後の話を想像させるかとなってくる。どうやってエッセンスだけ抜くか。
○渡辺 そうすると、映画って、我々は文化系のもの、芸術というイメージがありますけど、実は緻密に計算されている理数系のものということですか。
○納谷 普通の映画だったら、まっすぐ緻密につながっていくものですよね。でも、(たけしさんの映画は)ときどき別な風景が入ったり、そういう映像がよくあります。今、たけしさんがエッセンスを考えて映画づくりするっておっしゃられていたけど、ちょっと聞いてみたいなと思っていたんです。
(次号に続く)
 
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