第21章 仏 子 反 撃


 第729号  1994年1月24日

日蓮正宗自由通信同盟

「1分間に60回だろう!」と怒鳴り血相を変えた日顕は
バシッ、バシッ、バシッ……と坊主3人の頭を中啓で連打した

 本年(平成六年)一月一日からはじまった日顕宗の“六百億遍唱題行”は、二十数日が経過した。目標完遂が四月十日なのだから、日数的にはやっと全体の約五分の一ほどが終わったばかり。
 ところが、日顕は“足の苦痛”はもちろんのこと“心の苦痛”も極限に達したようだ。
 六百億遍という架空の数字合わせを目指しての唱題行。その言い出しっぺの日顕は後に引けなくなって、いまのところ午前(八時から九時)、午後(四時から五時)の各一時間、一日二時間の唱題をつづけている。
 だが、これまで持続的に唱題に励んだ経験のない日顕にとって、一日二時間の唱題は予想外に厳しいものであったようだ。そのために日顕は心のバランスを欠き、周りの者に当たり散らしはじめた。それも、弱い者イジメという陰惨な形でストレスの解消を求めはじめたのである。
 日顕による凄惨なイジメ事件は、去る一月二十二日(土)午前の部で起きた。
 唱題は午前八時からはじまり、導師はもちろん日顕。唱題中は、一人の所化がマイクを持ち、日顕の声に合わせる。そして、マイクから流れる所化の題目に、その場にいる者たちが唱和することになる。
 この日もいつもと変わらず、二人の所化が三十分交代でマイク係を務めた。しかし日顕は、この日のマイク係が気に入らなかったようだ。いや正しくは、日顕は連日の唱題行の辛さからイライラが募り、心の平衡を失っていたと見るべきだろう。二人目のマイク係になってしばらくして、唱題中にもかかわらず、日顕がチラチラとマイク係を見はじめた。たしかに、日顕が気にするとおり唱題のペースが遅い。
 我慢しきれなくなった日顕は、導師席から直接このマイク係の所化に注意した。このとき、遠目にも日顕のこめかみに青筋が浮いていたのがわかったという。その後も日顕は、このマイク係の題目のペースが気に入らないようで、導師席でイライラ。
 そうこうしているうちに一時間の唱題行は終わった。終わるや否や、すかさず日顕はそのマイク係の所化に詰め寄り、「一分間に六十回だろう! もっと修行しろ!!」と大きな声で面罵。
 日顕の怒鳴り声は、唱題が終わった直後の大客殿内に異様に響きわたった。おびえるマイク係の所化。と、次の瞬間、日顕は手に持っていた“中啓”で、そのマイク係の頭を叩いた。
 「バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ……」と十発ほど容赦なく連打。シンと静まり返った大客殿に、所化の頭を叩く中啓の音が空しくこだまする。
 形相を変えた日顕は、今度は最初にマイク係を務めた所化を睨み据え、ツーと近づくや、「バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ……」と、これまた目にも止まらぬ早さで、イヤというほど連打した。
 その場に居合わせた百名ほどの坊主と七十名ほどの檀徒たちは、事態の険悪さに戸惑い息を飲んだまま重苦しく黙るのみ。大客殿の中は尋常ならざる雰囲気となった。
 ようやく殴り終えた日顕は、その場にいた檀徒たちに一瞥もくれず大客殿の出口のほうに向かった。すると、そこに控える“仲居”の駒井専道に向かい、日顕はまた興奮して、「しっかり修行させろ!」と怒鳴った。
 “駒専”は真っ赤になってうつむく。その坊主頭の後頭部に、日顕は腕をしならせ、「バシッ、バシッ、バシッ」と中啓で三発見舞った。真っ赤だった“駒専”の顔がスッと青ざめる。
 中啓で三人の坊主頭を殴りつけ、ますます興奮したのか、日顕は大客殿から内事部につながる廊下の中でも、なにやらわめき散らしていた。その怒鳴り声が、大客殿の中にも響き伝わる。
 この出来事を目の当たりにした檀徒たちは、ひとことも発することができない。皆が皆、気まずい思いで沈黙したままオズオズと大客殿を去っていった。
 数合わせの唱題行に動員され、寒い中を歩いて参詣した檀徒たちは、日顕を導師とする唱題行で身も心も、いっそう寒々とさせられてしまったのだ。
 天魔を導師とする唱題は、このような結果しかもたらさない。唱題すれば唱題するほど日顕は本性をあらわし、周りの者を不幸にし苦しめるのである。
 日顕は、堪え性のない癇癪持ちの老人なのだ。心を師としているこの男に信伏随従することは、日蓮大聖人の仏法に反することである。
 道理として考えても、異常性格者に信伏随従して幸福になることはない。日蓮大聖人の弟子たる者、信伏随従すべきは法華経である。
 御義口伝に云く。
 「信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり」
【通解】信伏随従の信とは無疑曰信(疑いなきを信と曰う)の信であり、伏とは法華経に帰伏することである。随とは心を法華経即御本尊に移すことであり、従とは身を御本尊に移すことである。すなわち、色心ともに御本尊に従い、実践することを随従という。
 
 心ある僧俗は、速やかに邪師・日顕を去り正法正義に帰すべきである。
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