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井伊直弼
幕末の大老井伊直弼は、勅許なしに日米修好通商条約の調印を行い、幕府政治を批判する者に大弾圧を加えました。この大弾圧を安政の大獄といいます。直弼は1860年、桜田門外の変で殺害されてしまいます。しかし、多くの人は井伊直弼のことは幕府の大老として活動していた時のことしか知らないのではないでしょうか。もうすこし、井伊直弼という人物に注目したいと思います。

直弼は彦根藩主井伊直中の14男として誕生したので、本来ならば他家に養子に出る立場でした。父の死後、兄が家督を継ぎました。埋木舎は父の死後、井伊直弼が17歳から32歳まで過ごした場所です。

この埋木舎で文武両道に励み、後に幕府の大老職を勤めるまでの器量を養ったのでしょう。

井伊直弼は「チャカポン」というあだ名がありました。茶道・和歌・鼓だけでなく居合術にも秀でていました。

井伊直弼の像です。いまも彦根の町を見守っています。

これが「ひこにゃん」です。かわいいですね。写真を何枚も撮ってしまいました。

ひこにゃんの兜がなぜ赤色なのでしょうか。それは徳川四天王の一人井伊直政が部隊を赤備えにしていたからです。「井伊の赤鬼」とよばれて恐れられました。もともと武田家の飯富虎昌、そして弟の山県昌景が赤備えの部隊を率いていました。武田家滅亡後、その赤備えの部隊を引き継いだのが井伊直政です。
吉良上野介
吉良上野介はドラマなどの影響もあってかどうしても悪役のイメージがあります。しかし、地元三河では名君として領民から慕われていたのです。

吉良家の菩提寺である華蔵寺です。

吉良上野介義央のお墓です。

吉良上野介の像です。上野介が領内を赤馬に乗って視察したというエピソードから作られたものではないでしょうか。でも、この像、実物を見るとわかりますが、それほど大きいものではありません。
高校2年国際コース日本史授業風景
高校2年生国際コースの日本史の授業も平安時代に突入しました。前回は平安遷都の話しでしたが、今回は桓武天皇・嵯峨天皇の授業が中心です。

桓武天皇の政治について、前回、蝦夷征討まで話をしているので、今回は勘解由使や健児の制の話です。そして嵯峨天皇の政治は、薬子の変が中心となりました。いままでの授業で、蘇我馬子や小野妹子は男性だったので今回の藤原薬子も男性だと勘違いした生徒もいました。藤原薬子は女性です。
宇治
宇治といえば何を思い起こすでしょうか、平等院、宇治茶などがあげられますが、今年は源氏物語千年紀です。紫式部が書いた源氏物語にも注目してもらいたいと思います。

宇治十帖とは「源氏物語」全五十四帖のうちの最後の十帖のことです。物語の中心人物は光源氏から薫大将に移ります。写真は宇治十帖の最後「夢の浮橋」の高札です。宇治橋のそばにあります。

藤原頼通がつくった平等院鳳凰堂です。

少し違う角度から写真を撮ってみました。

源頼政のお墓が平等院にあります。源頼政は以仁王とともに平氏打倒の兵を挙げましたが衆寡敵せず、自刃しました。

宇治川の戦いとは源範頼・義経軍と源義仲軍の戦いです。義仲は源氏の中で真っ先に京に攻め上り平家を都落ちさせましたが、その後、後白河上皇と対立しました。この戦いで佐々木高綱と梶原景季が先陣をあらそいました。その碑がこの写真です。この戦いで敗れた義仲は、粟津の戦いで敗死します。

竹島というと日本と韓国との間で、どちらの領土かという領有権問題が思い浮かびますが、実は愛知県にも竹島があるんです。この橋の向こうが竹島です。ご存じない人も多いのではないでしょうか。
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