>※じつは、これについて私は決めてを持っておりません。現在叡山の勤行は、朝題目(南無妙法蓮華経)・夕念仏(南無阿弥陀仏)なのだが、いつころからこの化義が確立していたのかまったくわかりません。
もし、最澄の時代に既に「南無妙法蓮華経」が定着していたのであれば、わざわざ題目≠フ正当性を智、最澄等の「稽首妙法蓮華経」「帰命妙法蓮華経」等の意義に対し南無妙法蓮華経であったと論ずる必要は無かったとおもうのだが。
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ここに、文献はありません。 かつて、別件で図書館にて調べものをしていたときに知り得たものという言い方が妥当でしょうか。 叡山では、南無妙法蓮華経もあったし、念仏もあった。いつ頃からとはそこまでは書いてませんでしたが、もともとあったのではないでしょうかね。別に不思議なことでもないように思います。天台では念仏はどういう立ち位置にあるかは知り得ませんが。天台は天台で様々に分別、立て分けがあるんじゃないでしょうかね。? ただ、松木さんの言われる、『定着』というのは、どういうことをおっしゃっているかは分かりませんが。他の一切の修行を排他しての、法然のいう専修念仏や日蓮のいう専修唱題はありませんでしたよ。 こういう専修思想は天台では、歓迎されないのではないでしょうか。 法然の念仏破折は、日蓮生誕以前から、しばしば叡山から南都からあったことは周知のことと存じます。
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