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  本土防空戦 作者:S.K.
第一部 1937
第一戦
梅雨の中休み、というやつだろうか、七月の初旬は晴れ空から始まった。

 本来練習部隊の性格が強い大村海軍航空隊が、警急体制に移行してすでに三ヶ月。その日の早朝の当直はぼくと柴田一空曹、そして蔡一等航空兵の三人だった。

 従兵の木村一等水兵に起こされたのは、まだ暗いうち。娑婆では誰もが未だ眠りについている時間帯だ。海軍生活にだいぶ慣れたとはいえ、寝起きの悪いぼくには早起きは結構苦痛だった。

 もとから当番であることはわかっていたから、寝る前にあらかじめ着込んでいた飛行服に縛帯を締め、マフラーを捲くだけで全ては事足りる。遠雷のように外から入って来る整備機の試運転の音に耳を傾けながら、縛帯に落下傘を繋ぎ、ピストへと向かう。

 宿舎の外に置かれた自転車。それが、ぼくら搭乗員が仕事場へ向かうための徒歩以外の交通手段だった。

 じっとりとした空気のだいぶ抜けた、朝の爽やかな冷気の中で自転車を走らせるのは快い。中学時代、学校へ向かって一心に自転車を走らせたことを思い出す。夢中になって漕ぐうち、朝焼けの赤い光の存在に気付き、思わず苦笑する。今日もまた、暑くなりそうだ。

 陽光の昇る向こう側には、大村飛行場の全容を伺うことが出来た。

巨大な湖を思わせる大村湾に面し、取って付けたような格納庫と指揮所以外は、平坦な芝生が広がるこの場所が、一通りの基礎訓練課程を終えたぼくが最初に配属された飛行場だ。

 飛行場の端に居並ぶ銀色の複葉機の列線に、ぼくは目を細める。

 今や旧型の九〇式艦上戦闘機と、一応第一線機の九五式艦上戦闘機の混成。それが、我が大村海軍航空隊の全戦力だった。

ペダルを漕ぐ足を緩め、ぼくはピストに自転車を滑り込ませた。

 列機の二人は、既に起き出していて、ぼくを待っていた。

 「お早う御座います。天満少尉殿。」

 蔡一等航空兵が、その特徴的な丸顔を、一杯に歪めて微笑みかけてきた。

 「コーヒー、ありますよ。」

 「もらおうか。」

 慣れた手付きで、蔡一空兵はポットからコーヒーを注ぐ。コーヒーを生まれて初めて飲んだのが、つい三ヶ月前とは思えないほどの手捌き・・・・・

 蔡一空兵は、その名の通り台湾の出身だ。本来海軍は植民地出身者の入隊を許してはいなかったが、周辺情勢はそんな「差別」を許さないほど緊迫し、逼迫していた。

 「まさか自分も、あの頃は予科練に入れるとは思っていませんでした。」

 と、蔡一空兵は自分でもそう言っていた。だが、前述の事情と、深刻な戦闘機操縦士の不足が、大量の搭乗員の需要を高め、蔡君にも大空への門戸が開かれたというわけだ。

 ピストの片隅で、地図に見入りながらコーヒーを啜る柴田一等航空兵曹は、つい三ヶ月前まで艦上攻撃機の偵察員だった。

彼は戦闘機部隊の大増員が決定され、他機種からの転科組が募られるや否や志願し、今ではこうして第一線の戦闘機搭乗員として勤務している。戦闘機操縦士としてのキャリアはぼくらと殆ど同じだが、それ以前の、偵察員としての経験を合わせれば、彼の海軍航空兵としてのキャリアはぼくと蔡君を合わせたよりも長いだろう。

 先月に海軍少尉に任官し、戦闘機操縦士としては未だ延長教育の途上にあるぼくもまた、緊迫する周辺情勢により生まれた即製海鷲―――俗称「テンプラ」の一人だ。


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