MARIのブログ

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小6の息子を小学校まで自転車で迎えに行くのを三女に頼みました。私は先天性股関節脱臼で2渡手術をしていて自転車にも怖くて乗れなくなっていたから。三女が自転車のある物置に行ってみると上の棚に置いてある物などが散乱していて出せない状態だと言われました。私はもう少し様子を見てから迎えに行くことにしました。それから間もなく実家の両親、94歳の祖母が我が家に避難してきました。築40年以上経っている実家は、足の踏み場がないほど物が散乱しているとのことでした。玄関前の柱も折れたそうです。両親は私の家を見て回り、被害の少ないことにビックリしていました。今晩は私の家で過ごすことにして来たそうで、母は「夕飯ご馳走してね。」と、その時はまだのんびりムードでした。近所の人達も外に出ていて、その時に津波が来ることを教えてもらいました。津波が来ると言ってもまだピンと来ていませんでした。私の家の脱衣所の扉に市から配布された津波の防災マップが貼られていました。私は毎日掃除をしながら見ていたのです。私の自宅は全く大丈夫な場所だったのです。取り合えず、みんなで避難することにしてジャンパーやコートなどの防寒着、いつも持ち歩いてる貴重品の入ったバッグを持ちました。父の軽自動車に大人5人では違反?緊急事態の際はOKということで乗るつもりで玄関先に出たら、母が「オシッコするから。」私は一階のトイレが水が散らばりよごれていたので二階のトイレを勧めました。私が玄関から外を見ると自宅前の広い道路に泥水と小枝が流れてくるのが見えました。車には父、三女、祖母が乗ろうとしていたので、私は大声で 「津波が来たから二階に避難!!」と叫びました。母には津波が来たから、そのまま二階にいるように言いました。父は冷静にエンジンを止め、玄関ドアの鍵も閉めて二階に上がってきました。みんなで二階の息子の部屋から外の様子を見ました。あっという間に道路が氾濫した川のようになりよその家が次々流れてきました。いろんな建物にぶつかりながら。私は30代の太ったロングの女性が 流されて行くのを見ました。女性は右腕を上げて「助けてー!」と、二階から見ている私に助けを求めているように見えました。でも、どうしてあげることもできないのです。父の軽自動車と私の普通自動車もプカプカと、どこかに流れて行ってしまいました。

次に続きます。

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