MARIのブログ

ブログの説明を入力します。


テーマ:
K小学校に父母と祖母を残し、私と三女は息子のいるW小学校へ向かいました。見慣れた風景は全く様変わりしていました。行き交う人達は表情も暗く疲れているようでした。私はできるだけ元気に笑顔で「おはようございます。」と挨拶しました。私は自分の中にある元気を振り絞るように。そうしないと私も不安で潰れそうになるから。
田んぼの中にはたくさんの車が入っていました。どこからこんなに流れてきたのか。私の車がないか探しましたが田んぼにはありませんでした。途中、田んぼの中にある自販機を数人の男性がこじ開けてジュースを取り出していました。私は声を掛け、10本ほど分けてもらいました。道路の縁石に腰を下ろし、三女とジュースを飲みました。久しぶりにゆっくり味わって飲み、少しホッとしました。飲みながら辺りを見ていると、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。どれくらいの人達が亡くなったのか、これからどうなるのか…。考えると不安だらけです。とにかく今は息子の顔を見ること!またW小学校へ向かいました。W小学校の校庭を見て驚きました!瓦礫の山で埋まっていました!
体育館に入りました。避難民で溢れていました。少し中に歩き出したら「お母さん!」と息子が私に駆け寄ってきました。無事なことは知っていましたが、息子の顔を見たとたん涙が溢れてきました。私の到着が遅くて息子も気が気ではなかったと言っていました。みんなの親は駆けつけてたのに。息子もひとりぼっちでどんなに心細かったことか。訳を話して謝りました。すぐ下の妹もいて泣きながら私に駆け寄って来ました。妹は会社で津波にあい、高いマンションの上に逃げて無事だったそうです。マンションの上から見た光景は橋にいた車、人を津波はのみこんだそうです。救急車ものみこまれたと言っていました。本当に恐ろしくて、恐ろしくて、その晩はそこで会社の人達と過ごしたそうです。次の日、とにかく家族の安否が心配なので水の中を同僚と帰ってきたそうです。自宅に近づくにつれて、もっと、もっと悲惨な惨状になってきて不安だったそうです。妹もやっと2人の子供と会え安心したと言っていました。私も妹と一緒にW小学校の体育館で避難所生活をする事にしました。まさか、この日から5カ月間も生活するとは、その時は全く夢にも思いませんでした。

続きます。

Amebaおすすめキーワード