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沈む「ランプの宿」 200年の秘湯、8代目無念 宮城

2008年6月23日13時27分

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写真水没がすすむ湯栄館=23日午前8時42分、宮城県栗原市、本社ヘリから、戸村登撮影写真被災前の「湯ノ倉温泉・湯栄館」。電気は通じず、山に抱かれるように渓流のそばにたたずむ写真三塚倉雄さん

 岩手・宮城内陸地震でできた土砂ダムの影響で、2階まで水没した宮城県栗原市の「湯ノ倉温泉・湯栄(ゆえい)館」は、「ランプの宿」として全国に知られた山あいの秘湯だ。約200年の歴史を誇る宿を経営する8代目主人の三塚倉雄さん(68)は「先代たちに顔向けできない」と落胆を隠せずにいる。

 地震が起きた14日朝、三塚さんは調理場で、この日来る宿泊客のための料理の下ごしらえをしていた。下から激しく突き上げられ、体が飛ばされそうになった。茶の間の柱にすがるようにつかまった。

 数年前のくも膜下出血で、体が不自由になった妻の洋子さん(68)を引きずるように連れて宿から脱出した。崩れ落ちた岩が転がる山道を歩き、途中で迎えに来た長男泉さん(39)と合流。宿を出てから約11時間後、やっと国道にたどりついた。

 宿の歴史は1820年ごろに始まる。三塚さんは25歳ごろから、病に倒れた父に代わって経営を担った。今も宿の1キロほど手前から歩いてしか行けないが、当時は林道がなく、4キロの山道を食料などをかついで運んだ。資金に余裕が出ると、木造一部3階建ての建物の柱を取り換えたりはりを補強したりと改修してきた。

 宿の最大の特徴は電気が通じていないこと。日が暮れると、明かりは灯油ランプだけ。果物やビールは約10度のわき水で冷やし、渓流沿いの露天風呂には懐中電灯を持って行く。小屋のような脱衣所で裸になり、月明かりと川のせせらぎに包まれながら湯につかる――。

 文字通りの「ランプの宿」で、都会の喧噪(けんそう)を忘れられるとテレビの旅番組や旅行情報誌などに取り上げられ、全国区の人気を集めてきた。30回ほど来たリピーターもいるという。

 岩手県一関市の自宅に避難した三塚さんのもとには、安否を気遣ったり宿の被害を心配したりする電話が全国から相次いだ。発生6日目の19日には陸上自衛隊のヘリで宿に向かったが、床上約1メートルまで浸水していた。近くまで歩いて行ったが中には入れなかった。

 水にのまれていく建物を見るたびに、居ても立ってもいられなくなるが、「どうにもできねえんだよね」と笑う。

 「200年近く続いた旅館が、おれの代で水の底に入っちゃった。天災だけど、先代にも全国のファンにも申し訳ない。つらいなんてものじゃない。せめて建物が壊れず頑張り続けてほしい」。無念な思いを押し殺すように、三塚さんは語った。

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