一発目
金蝉寺江流(こんぜんじ こうりゅう)の一日は早い。前日によほどのことがない限りは、極力早朝に起床しシャワーを浴びる――などといったことはせずに自宅の二階にある自室のベランダで一服。タバコである。
タバコは中毒性があり、吸い続けている者は定期的に吸わなければイライラが起こり、その期間がだんだんと短くなっていくと聞くが、なるほど、確かになるべく早く吸うためだけに早起きをしている自分はまごうことなき中毒者だ。
やたら頑丈な作りをしている手すりに背中を預けた体制で右手にタバコ、左手に携帯灰皿を持った完全装備でふと、そんなことを考えていた江流は、灰皿に吸殻を押し付けるようにして仕舞い、ゆったりとした足取りでのそのそと自室に戻った。
眠気覚ましの一服を終え、頭も冴えたところで身支度を始める。江流の年齢は十六歳。当然、その歳の健全な青少年たちは高等学校という名の教育機関へと足を運ばなければならないのだが、この男には――いや、この男にとっては当てはまらない。
当たり前のことであるが、未成年の飲酒・喫煙・賭博は禁止されているものもあれば制限されているものもある。しかし江流は、あろうことかその全てに手を出している。所謂、世間一般で言うところの不良学生であった。
そして今から当然のごとく着替えるのは、着込めば堅苦しくもあり、誠実さを表す学校指定の制服ではなく私服。引き締まった体躯には不釣合なほどのゆったりとしたカーキの長ズボンに、半袖の黒シャツである。
夏は重ね着でコーディネートできないからつまらない。早く涼しい季節がやってくればいいのだが、と思いつつ着替えを手早く済ませた江流は、朝食を済ませるべくリビングのある下の階へと降りた。
我が家、金蝉寺家に住む人間はたったの二人しかいない。現在の父、光明(こうみょう)が孤児だった江流を進んで引き取った――そう、江流は父に聞いていた――のだ。
家の家事は基本二人で分担して、食事は当番性にしている。本日の当番を、マグネットで冷蔵庫に貼ってある表で確認すると『父』とあったので、間違いなく担当者は父であり、既に食卓は完成されてあるべきなのだが……
「ああ、すみませんね、江流。私は寝坊してしまったようです」
――と、生意気にものんきに欠伸をかます長身の男がゆっくりとリビングに現れた時にでも思い切り殴ってやろうか、と考えながら、江流はさっさと食材の調理に取り掛かっていた。
――結局、件のクソオヤジは現れなかったのであるが、一先ずは置いておく。食卓を完成させた江流は、その後食事を済ませた後に自宅から出掛け、現在は練馬区の新青梅街道(しんおうめかいどう)を横切った先、赤の軍団のしろしめす練馬戦域へ大型モーターの唸り声を上げながら走るバスに乗って侵入していた。中野区にある自宅から態々出向いてきてまでこうしているのには理由がある。それは、とある『一部の人間にしか理解できなければ認識さえされていない』ものに関係がある用事だ。
その名を《ブレイン・バースト(以下BB)》。ニューロリンカー用アプリケーションで、正式名称《Brain Burst 2039》。正式名称にもあるように、2039年4月に正体不明の製作者によって東京都心在住の小学一年生100名に配布され、時折アップデートも行われている対戦格闘ゲームだ。
江流自身がこれを入手したのは当時のその時ではない。しかし、ごく最近のことでもなく、ほんの数年前の話であるがこれはまた別の話。
ニューロリンカーという首回りに装着する量子接続通信端末。これを介して『親』となる人物から『子』なる人物へとコピーをして始めて広げられるアプリケーション(以下アプリ)。ただ、これには『大脳応答に適正を持っている』ことが条件であることから、アプリを所持している者は少なめだ。とは言うものの、昨今の子供は脳味噌の性能がよろしいのか、近年プレイヤーは履いて捨てるほど現れていた。
「Hi」
「……鬱陶しい」
今も尚増え続けるプレイヤーたち。そのせいで賑わいを見せる加速世界を煩わしく思い、せめて自宅周辺の喧騒だけでも減らすべくBBプレイヤーを狩り続け、つい数ヶ月ほど前にそれを達成した。
……したのだが、間の悪いことに自宅周辺は七大レギオンの一組織《プロミネンス》の領地に入っていたのだ。どうりで赤いのが多いな、と狩りを続けていた江流ことカーキ・リロードはある日突然、いつものごとく加速世界の縄張りを渡り歩いてエネミー狩りをしていたところに構成員約二十人もの人数を引き連れて《プロミネンス》の幹部ブラッド・レパードを筆頭に襲撃を受けてしまったのである。
当然、江流は大立ち回りを演じて敵方の大半をポリゴンと化すことに成功したが、如何せん物量に押され、とうとうHPバー全損の危機――つまりレッド・ゾーンへと達してしまったのだ。
そんな絶体絶命のピンチのところに、相手の幹部から声を投げかけられる。
「抵抗は無意味」
「……あ?」
『抵抗は無駄だ。殺されたくなければ我が軍門に下れ』というような乱暴な解釈をした江流は、舌打ちの後に小銃を発泡。さらに真意技をぶっぱなしてまた数人ほどの構成員をポリゴンにした挙句に「死にてぇヤツは残れ」と一言。すると、初めから最後まで交戦する意図はなかったのか、あっさりと相手方はその場を後にしたのだった。それが先週の話。
それから数日経ち、なぜか気に入られたのか勧誘の使いっぽいのが訪れてはこちらが返り討ちにし、稀に現れる幹部クラスとの激戦を繰り広げている。コレが、江流の日常風景の一つであった。
用事、というのがその《プロミネンス》の幹部からの依頼で、赤と青のレギオンの境目に住む江流に対して、いわゆる国境の番人のようなことをしてもらいたいというもので、その打ち合わせである。
レギオンの会談の場所、というのだから厳かとはいかなくとも多少は緊張感のある場であると予測していた江流は、少なからず心構えをしてきた。しかし、指定されたところに来てみればそれは店で、挙句の果てに小規模な商店街にちんまりと並び佇む、なんとも可愛らしいケーキショップであったのだ。店に入り、周囲をざっと見れば、嬉しいことにイートンも可能であることが分かる。
待ち合わせに使うのは、今いるパブリックスペースのさらに奥にあるプライベートルーム(忌々しいことに双方禁煙)であった。扉は驚くほどに重厚感があり、一目で防音設備が完備されていることがわかる。受付の者に聞いたときは、さらに電波を防ぐ昨日まで部屋に付いているというのだ。もしかしたら、ここは赤のレギオンの所有している店であるのかもしれない、と考えながらルームに入室し、空いているソファへと腰を下ろす。それから間もなくして、ひとりの女性が入ってきた。
この店内でよく見かけた店員の正装――メイド服。それを上手く着こなした少女だ。長い髪を三編みにしている地味な髪型をしている。それと、クールに細められている眼が印象に残った。少女は設置されているソファ――江流の向かい側――へ腰掛けると、口を開いた。
「確認。ご注文は?」
事前に聞いていた合い言葉だ。江流は間髪いれずに返答をする。
「《真っ赤に染まったロイヤルパレス》をくれ」
「K」
ずいぶん物騒な合い言葉だと聞いたときは思ったものだが――返した答えに満足したのか、向かいに座る無表情の少女は頷き、再び口を開いた。
「私はただの連絡要員であることを言っておく。本題――」
「――待て。合い言葉とやらで、俺の素性は知れただろう。次はお前が名乗る番じゃねぇのか?」
「……」
遮るように言ったその言葉を聞き、一瞬の沈黙の後に
「ブラッド・レパード。呼ぶならブラッドではなくレパードで。縮めるならレパではなくパドで」
「続けろ」
きちんと名前を聞けたので、そのまま本題の方を促した。
「我々プロミネンスが要求するのは、最早国境といっても過言ではない中野区の番人役。報酬は我々側の構成員の、中野区でのバースト・リンカーとしてのダイブの制限」
「それで、俺は静かな落ち着けるダイブ場所を確保でき、お前らは侵入してくる馬鹿どもの対処に奔走する必要が無くなるというわけだ……ああ、言っとくが、入ってきた馬鹿の対処は俺の判断でいいんだろうな?」
視線を向けると、まっすぐ見返してきたブラック・レパードが頷いた。
「K。例えこちらの者がそうなってしまったとしても、それはこちらの責任。好きにして」
その言葉に、江流は口の端を僅かに上げ、
「交渉成立だ。精々、部下が鉛をぶち込まれんように教えこんでおけ」
「K。これで会談は終了」
そう言い切ると同時に席を立ち、ブラック・レパードこと少女は早々にプライベートルームを退室していった。人呼吸分間を開けて、江流も室内を後にする。さて、仕事に関しては勿論こなすが、まずはこの店の甘味を一品味わってからでいいだろう。
タバコは中毒性があり、吸い続けている者は定期的に吸わなければイライラが起こり、その期間がだんだんと短くなっていくと聞くが、なるほど、確かになるべく早く吸うためだけに早起きをしている自分はまごうことなき中毒者だ。
やたら頑丈な作りをしている手すりに背中を預けた体制で右手にタバコ、左手に携帯灰皿を持った完全装備でふと、そんなことを考えていた江流は、灰皿に吸殻を押し付けるようにして仕舞い、ゆったりとした足取りでのそのそと自室に戻った。
眠気覚ましの一服を終え、頭も冴えたところで身支度を始める。江流の年齢は十六歳。当然、その歳の健全な青少年たちは高等学校という名の教育機関へと足を運ばなければならないのだが、この男には――いや、この男にとっては当てはまらない。
当たり前のことであるが、未成年の飲酒・喫煙・賭博は禁止されているものもあれば制限されているものもある。しかし江流は、あろうことかその全てに手を出している。所謂、世間一般で言うところの不良学生であった。
そして今から当然のごとく着替えるのは、着込めば堅苦しくもあり、誠実さを表す学校指定の制服ではなく私服。引き締まった体躯には不釣合なほどのゆったりとしたカーキの長ズボンに、半袖の黒シャツである。
夏は重ね着でコーディネートできないからつまらない。早く涼しい季節がやってくればいいのだが、と思いつつ着替えを手早く済ませた江流は、朝食を済ませるべくリビングのある下の階へと降りた。
我が家、金蝉寺家に住む人間はたったの二人しかいない。現在の父、光明(こうみょう)が孤児だった江流を進んで引き取った――そう、江流は父に聞いていた――のだ。
家の家事は基本二人で分担して、食事は当番性にしている。本日の当番を、マグネットで冷蔵庫に貼ってある表で確認すると『父』とあったので、間違いなく担当者は父であり、既に食卓は完成されてあるべきなのだが……
「ああ、すみませんね、江流。私は寝坊してしまったようです」
――と、生意気にものんきに欠伸をかます長身の男がゆっくりとリビングに現れた時にでも思い切り殴ってやろうか、と考えながら、江流はさっさと食材の調理に取り掛かっていた。
――結局、件のクソオヤジは現れなかったのであるが、一先ずは置いておく。食卓を完成させた江流は、その後食事を済ませた後に自宅から出掛け、現在は練馬区の新青梅街道(しんおうめかいどう)を横切った先、赤の軍団のしろしめす練馬戦域へ大型モーターの唸り声を上げながら走るバスに乗って侵入していた。中野区にある自宅から態々出向いてきてまでこうしているのには理由がある。それは、とある『一部の人間にしか理解できなければ認識さえされていない』ものに関係がある用事だ。
その名を《ブレイン・バースト(以下BB)》。ニューロリンカー用アプリケーションで、正式名称《Brain Burst 2039》。正式名称にもあるように、2039年4月に正体不明の製作者によって東京都心在住の小学一年生100名に配布され、時折アップデートも行われている対戦格闘ゲームだ。
江流自身がこれを入手したのは当時のその時ではない。しかし、ごく最近のことでもなく、ほんの数年前の話であるがこれはまた別の話。
ニューロリンカーという首回りに装着する量子接続通信端末。これを介して『親』となる人物から『子』なる人物へとコピーをして始めて広げられるアプリケーション(以下アプリ)。ただ、これには『大脳応答に適正を持っている』ことが条件であることから、アプリを所持している者は少なめだ。とは言うものの、昨今の子供は脳味噌の性能がよろしいのか、近年プレイヤーは履いて捨てるほど現れていた。
「Hi」
「……鬱陶しい」
今も尚増え続けるプレイヤーたち。そのせいで賑わいを見せる加速世界を煩わしく思い、せめて自宅周辺の喧騒だけでも減らすべくBBプレイヤーを狩り続け、つい数ヶ月ほど前にそれを達成した。
……したのだが、間の悪いことに自宅周辺は七大レギオンの一組織《プロミネンス》の領地に入っていたのだ。どうりで赤いのが多いな、と狩りを続けていた江流ことカーキ・リロードはある日突然、いつものごとく加速世界の縄張りを渡り歩いてエネミー狩りをしていたところに構成員約二十人もの人数を引き連れて《プロミネンス》の幹部ブラッド・レパードを筆頭に襲撃を受けてしまったのである。
当然、江流は大立ち回りを演じて敵方の大半をポリゴンと化すことに成功したが、如何せん物量に押され、とうとうHPバー全損の危機――つまりレッド・ゾーンへと達してしまったのだ。
そんな絶体絶命のピンチのところに、相手の幹部から声を投げかけられる。
「抵抗は無意味」
「……あ?」
『抵抗は無駄だ。殺されたくなければ我が軍門に下れ』というような乱暴な解釈をした江流は、舌打ちの後に小銃を発泡。さらに真意技をぶっぱなしてまた数人ほどの構成員をポリゴンにした挙句に「死にてぇヤツは残れ」と一言。すると、初めから最後まで交戦する意図はなかったのか、あっさりと相手方はその場を後にしたのだった。それが先週の話。
それから数日経ち、なぜか気に入られたのか勧誘の使いっぽいのが訪れてはこちらが返り討ちにし、稀に現れる幹部クラスとの激戦を繰り広げている。コレが、江流の日常風景の一つであった。
用事、というのがその《プロミネンス》の幹部からの依頼で、赤と青のレギオンの境目に住む江流に対して、いわゆる国境の番人のようなことをしてもらいたいというもので、その打ち合わせである。
レギオンの会談の場所、というのだから厳かとはいかなくとも多少は緊張感のある場であると予測していた江流は、少なからず心構えをしてきた。しかし、指定されたところに来てみればそれは店で、挙句の果てに小規模な商店街にちんまりと並び佇む、なんとも可愛らしいケーキショップであったのだ。店に入り、周囲をざっと見れば、嬉しいことにイートンも可能であることが分かる。
待ち合わせに使うのは、今いるパブリックスペースのさらに奥にあるプライベートルーム(忌々しいことに双方禁煙)であった。扉は驚くほどに重厚感があり、一目で防音設備が完備されていることがわかる。受付の者に聞いたときは、さらに電波を防ぐ昨日まで部屋に付いているというのだ。もしかしたら、ここは赤のレギオンの所有している店であるのかもしれない、と考えながらルームに入室し、空いているソファへと腰を下ろす。それから間もなくして、ひとりの女性が入ってきた。
この店内でよく見かけた店員の正装――メイド服。それを上手く着こなした少女だ。長い髪を三編みにしている地味な髪型をしている。それと、クールに細められている眼が印象に残った。少女は設置されているソファ――江流の向かい側――へ腰掛けると、口を開いた。
「確認。ご注文は?」
事前に聞いていた合い言葉だ。江流は間髪いれずに返答をする。
「《真っ赤に染まったロイヤルパレス》をくれ」
「K」
ずいぶん物騒な合い言葉だと聞いたときは思ったものだが――返した答えに満足したのか、向かいに座る無表情の少女は頷き、再び口を開いた。
「私はただの連絡要員であることを言っておく。本題――」
「――待て。合い言葉とやらで、俺の素性は知れただろう。次はお前が名乗る番じゃねぇのか?」
「……」
遮るように言ったその言葉を聞き、一瞬の沈黙の後に
「ブラッド・レパード。呼ぶならブラッドではなくレパードで。縮めるならレパではなくパドで」
「続けろ」
きちんと名前を聞けたので、そのまま本題の方を促した。
「我々プロミネンスが要求するのは、最早国境といっても過言ではない中野区の番人役。報酬は我々側の構成員の、中野区でのバースト・リンカーとしてのダイブの制限」
「それで、俺は静かな落ち着けるダイブ場所を確保でき、お前らは侵入してくる馬鹿どもの対処に奔走する必要が無くなるというわけだ……ああ、言っとくが、入ってきた馬鹿の対処は俺の判断でいいんだろうな?」
視線を向けると、まっすぐ見返してきたブラック・レパードが頷いた。
「K。例えこちらの者がそうなってしまったとしても、それはこちらの責任。好きにして」
その言葉に、江流は口の端を僅かに上げ、
「交渉成立だ。精々、部下が鉛をぶち込まれんように教えこんでおけ」
「K。これで会談は終了」
そう言い切ると同時に席を立ち、ブラック・レパードこと少女は早々にプライベートルームを退室していった。人呼吸分間を開けて、江流も室内を後にする。さて、仕事に関しては勿論こなすが、まずはこの店の甘味を一品味わってからでいいだろう。