9月12日に”奇跡の一本松”を切断し防腐処理(1億5千万円)、当日はセレモニーも…陸前高田市が募金を呼び掛け
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”奇跡の一本松、9月12日切断 保存に向け防腐処理 陸前高田市、募金呼びかけ” 東日本大震災の大津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が 来月12日に切り倒され、保存に向けた防腐処理に入ることが29日、 市関係者への取材で分かった。 当日はセレモニーも開く予定で、震災2年を迎える来年3月11日までに 元の場所に立て直すとしている。 市によると、高さ約27メートルの一本松を根元から切断して幹を5分割。 芯をくりぬき、防腐処理を施す。その後、金属の心棒を通して 立ち姿のまま保存する。 保存費用は約1億5千万円。市はホームページや交流サイト 「フェイスブック」で募金を呼び掛けている。 </引用終わり> あ〜あ…ヤっちゃったな…って感じですね。 何をヤっちゃったか?って言うと、まず先に >大津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が 来月12日に切り倒され、保存に向けた防腐処理 ↑これ…結局潮枯れちゃった訳で…「残った」わけでもなければ「奇跡」でもない。 前に私の市の豊間と言う集落で、海側にある建物が盾となって後ろ側の民家が残った話を書いたけど まぁ、そんな事で「奇跡」ではなく「必然」で残った訳で…盾があったとか明言は避けるけど 残ったのは何らかの事があっただけです。 まぁ↑この辺りは「奇跡にすがる気持ち」の方に悪いから、この辺で辞めておきましょう。 私が「これは駄目だろ」と強く思ったのは、こんな事よりコッチ >保存費用は約1億5千万円。市はホームページや交流サイト 「フェイスブック」で募金を呼び掛けている。 保存に掛ける金額も金額だけど、その資金の募金を「自ら募る」って点。 こんな言い方は良くないが、 福島県の原発難民なら、「まぁよくある話で呆れつつも、またか(恥さらしが)」と思うんだけど まさか他所の場所(県?市?)でも、同じ現象?傾向が起きてるとは… つまり「自分で金を作くらずに他所をアテにする余り、金の大事さを忘れてしまった。」って点。 これはつまり ・こんな無駄な事に金を使ってる場合じゃない。今使うべきはココだ!って判断力の鈍りとか ・人様から金を貰う事が当然の様になってる思考回路って事。 その人様は「汗水流し寿命を削って働き自分の欲しい物を我慢して募金」してる点まで考えが回らないらしい。 …回ったら、こんなくだらない事なんか出来ないはずですし… 被災した町は今、更地の荒野であり住んでいた人々は家を失い苦しんでるのに たかが木の保存に臆の金なんか使ってる場合じゃないハズ。 (と、書いた通り、今回言ってる相手は住んでた一般人じゃなく自治体に言っております。) これ究極なんですがね。 こうヤって自分で金を作り出そうとぜずに人ばかりアテにしてると、マジで復興なんてありえません。 あと、これは自分の住んでる県とかの話だけど 他人の「お情け」に今でもスガル様な雰囲気は、もういい加減にすべき。 テレビとか見てると、ほんと、そんなに見てる訳でもないのに 震災とか原発って言葉を聞くし「お情けちょうだい」が毎日見聞きする。 これは私個人は…の話として聞いて欲しいんだけど 「震災にカコつけたイベント」が、あまりにも多いし、テレビを見てると 当たり前だが去年の3月11日の事を「ほじくりかえす」訳なんだよね。 もうね。確かに色々経験したから、それを見聞きしてると自然に悲しい気持ちが蘇る訳なんだけど もうイイっての。そんなモン。もう震災は終わったんだよ。 今までよりは生活レベルは落ちるかも知らんが人(他人)に頼らず、 自分自身で自分を支えて生きて行ければ、それでイイじゃないか!って思うんですよね。 大体「去年の出来事は自然災害」なんだし、これ「仕方なかったわ」って思わないと いつまで経っても抜け出せないっての。 |