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2012/09/02

近江鉄道・線路除草剤散布で沿線水田の稲が枯れる

 京都新聞web版8月30日配信記事及び、讀賣online関西発8月31日記事からです。滋賀県の近江鉄道(略して“近鉄”)で、軌道敷に7月中~下旬に散布した除草剤が沿線の水田に流れ出たとみられる影響で、稲穂が枯れる被害が出ているとのこと。近江鉄道のほぼ全線の沿線で影響がみられるとのことです。
京都記事→http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120830000080
讀賣記事→http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120831-OYO1T00398.htm

 8月中旬以降、沿線の約200ヶ所で稲が枯れ始めたとの農家からの苦情があり、滋賀県が調査したところ、除草剤成分「テブチウロン」が食品衛生法の基準値の4倍余りにあたる0.09ppmが検出され、被害面積は20ヘクタール以上、被害額は2500万円以上に上る見込みであるとのこと。

 この除草剤の残留値が基準を上回っているため、被害の水田では出荷をさし止めるとのこと。

   ◇   ◇   ◇

 近江鉄道によれば、除草剤の散布は例年と同じ方法で行ったとのこと。それで昨年は影響が無く、今年は影響があったとのであれば、何かが違っていたのでしょうね。

  • 風で舞い上がる・舞飛ぶ
  • 散布後の大雨で除草剤が流れた
  • そもそも散布量が多過ぎた

こんなところでしょうか。軌道敷に除草剤を撒くのは、比較的行われている事です。軌道敷、つまり軌道部分はバラスト道床(どうしょう)と呼ばれている砂利で、枕木を支え、その重力を下の路盤に伝えています。

 東海道本線のような重量列車や高速列車が通るところでは砂利厚も厚く、中々草が生えないですが、ローカル線ですと砂利厚が薄く、列車重量もそう多くはかからないので、放っておくと草が生えてしまいます。草が生えると砂利の中に土壌層が出来、砂利のもつ反発力が期待できなくなり、乗り心地も悪化、さらに見栄えもよくありません。
(近江鉄道の乗り心地の悪さは、かなりなものだそうですが・・・)

2012/08/27

奈良井の赤道(あかみち)の鉄道線路横断が閉鎖される事に

 中日新聞web版長野紙面2012年8月19日付け記事からです。中仙道奈良井宿沿いの中央本線に、踏切ではない線路横断箇所(作馬道)があり、これが今後2015年までには閉鎖される事になったとのことです。
記事→http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20120819/CK2012081902000002.html

 記事では作馬道(さくばみち)とありますが、一般的には「赤道(あかみち)」で、かつては法定外道路のことで、古来より人々が通行していたものの、何らかの理由で道路として認定されなかったもののことです。それを公図では赤色の線で引いたことから、赤道と呼ぶ様になりました。

 そんな道が長野県塩尻市の奈良井宿に平行して走る中央本線に4ヶ所で交差しており、その部分は踏切ではないものの、地元の方が通行していて、大変危険な状況で、地元のみならず観光客も多いこの地区故、更なる安全策が求められていました。その箇所、2009年8月24日に、「赤道(あかみち)の鉄道線路横断・中央本線奈良井」と題して記事を書いています。
http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/08/post_ef34.html

 しかし作馬道を閉鎖する事は簡単ですが、それでは地元の影響が大きく。そこでJR東海と協議した結果、この作馬道(赤道)4ヶ所を閉鎖すると共に、一ヶ所を踏切にして通行の便をはかるということです。しかし踏切の新設は原則認められない為、奈良井駅~木曽平沢駅間の橋戸踏切を閉鎖し、この部分を立体交差化することで全体の踏切数を増やさずに、奈良井宿横に踏切を一つ新設する事になったのだそうです。

 作馬道(赤道・線路横断箇所)2009年8月24日弊ブログ記事から。

Img_0195

 線路の東側は柵と扉付き。この扉、両方向に押したり引いたり出来ます。

Img_0204

 こうして長年の懸案だった安全の対策は出来ますが、橋戸踏切ですか、少し離れた所を廃止させ、そして立体化というから高架道路を造るのでしょう。平地ではなく元々が山道なので、勾配の位置が変わるだけですが、それでも一ヶ所、道路の高架化を行うわけで、奈良井宿の作馬道(赤道)廃止には、長野県と塩尻市の大きな出費が伴うわけです。

 安全は決して安くはないですね。

2012/08/02

名古屋市・市営交通発足90年

Img_0122  昨日2012年8月1日は、名古屋市内の路面電車が市営になってから丁度90年目の日。そこで名古屋市交通局は、市営交通90年にちなんだ行事が幾つかあるようで、そして8月1日から始まったそうです。

 90年前の1922年(大正11年)8月1日、新たに発足した名古屋市電気局が、それまでの名古屋電気鉄道市内線の各線の経営を引き継ぎ、運営を始めました。普通に私企業の名古屋電気鉄道が事業を行えばいいものを、何が理由で市営になったのだろうか。

 名古屋電気鉄道は1894年(明治27年)6月25日、愛知馬車鉄道株式会社として会社発足しました。その名の通り当初は動力を用いる予定でしたがその後、動力を電気に変更、1896年(明治29年)に商号(会社名)を名古屋電気鉄道と改め、1898年(明治31年)5月6日に、名古屋駅前(現在:笹島町)~県庁前(現在:武平町交差点)間の開通となりました。

 運賃は区間制、開業時点で1区1銭、全線で4区4銭でした。

 その後、市内線はどんどん拡充し、旧市内を網羅するまでになりました。しかし運賃率は開業当時のまま。長い距離を乗れば乗るほど運賃額が上昇し、一方で会社の収益はウナギのぼり。そのため市民から運賃値下げ要求運動が勃発し、やがてそれは不満のはけ口として会社に向き、電車の焼き打ち、車庫への放火、投石など、社会情勢の不安をあおるものでした。

 そこで出てきたのが、電車の市営化論。「市民の足は市営で」という考えで、東京、京都、大阪、神戸では私企業の路面電車が市営化されています。名古屋市もこれに続く形で、名古屋電気鉄道の市内線部分を買収する方針となりました。

 当時、名古屋電気鉄道は、市内線の他に郊外区間も路線を延ばし、市内線に対して「郡部線」と総称されていました。名古屋市の買収対象は郡部線は除かれ、市内線の名古屋市買収後は会社解散する予定となり、1921年(大正10年)6月13日に名古屋電気鉄道の郡部線を、新たに発足した名古屋鉄道株式会社に譲渡させました。この名古屋鉄道(株)はその後商号の変遷があり、今の名古屋鉄道(株)、略称「名鉄」の法人格となる会社です。

 そして1922年(大正11年)7月26日、名古屋市会で市内線市営議案が可決、5日後に運営体となる名古屋市電気局条例が施行し電気局が発足、そして翌日1922年8月1日、名古屋電気鉄道の事業を名古屋市が買収し、名古屋市営としての電車運行が始まりました。

 こんな背景で市営化が図られたもので、必ずしも目出度い雰囲気ではなかったと思います。それにしても電車や車庫の焼き打ちとは、また乱暴なことを。大正デモクラシーの時代ですが、一方で庶民の暮らしは厳しく、儲けすぎの名古屋電気鉄道にその捌け口を求めたのでしょうか。

 この頃、そろそろ自動車による運輸が多くなり、バスの運行も始まっています。バスも当初は民営で始まり、後に名古屋市もバス事業を行うこととなりました。1930年(昭和5年)2月1日のこと。この時点では複数の民間バスと市営バスとが競合していましたが、1935年以降、数次にわたって民営バスの買収で市営化されました。

2012/07/20

乗車券の払い戻しと誤購入の違い・手数料の要不要

 昨日の中日新聞朝刊生活面「くらし調査隊」に一寸気になるQ&Aが載っていました。

  • 質問者:先日。JRに乗ろうとして180円の切符を購入したが、後に家族が車で送ることになったので、駅で払い戻しを申し出たら、手数料210円が必要だった。結局手数料の方が高いので切符は処分した。当日中に申し出たのに全く戻らないのは納得が行かない。間違った金額の切符を買っても同じような手数料が必要か
  • 係から:JR東海によれば、使用開始前の払い戻しは手数料210円が必要。JR全社共通の決まり。なので210円以下の切符は払い戻し額が無いことになる。ただし間違って購入した切符は、有効期間内で使用前の一回に限り、日付や行き先を無料で変更出来るそうです。二回目以降は一度払い戻し、その際は手数料210円が必要。

 この切符の払い戻し関連は、乗り越しの場合などのように鉄道利用者の疑問が多い事例です。このQ&Aをブログ記事にしたのは、係からの回答としてJR東海の見解には大きな間違いがあるんです。

 まず順を追って。普通乗車券や特別急行券など切符の類はまとめて「乗車券類」といいます。この乗車券類は払い戻し出来る規定があり、今回の質問者のような旅客の任意による乗車を取り止めた場合は、係からの通り乗車券類一枚につき210円が必要です。
JR東海旅客営業規則・任意による旅行の取り止め(pdf)

 しかしこれはあくまで「任意の乗車取り止め」であり、間違って購入した場合は別の規定が適用されます。係からの文章で太字にした「ただし間違って購入した切符は、有効期間内で使用前の一回に限り、日付や行き先を無料で変更出来るそうです」は、全くの間違いです。これは乗車券類変更(未使用の切符を別の新たな切符に変更する)のことを述べているんです。

 間違って購入した場合(ボタンの押し間違い、似た駅名を混同した(高槻・高月、長浜・永原など)、子供が大人の切符を買った、或いはその逆、等など)は、駅員に正直に申し出て、駅員が認めれば全額戻って、新たに新しい乗車券類が発行されます。つまり、普通のお商売でも間違った商品を購入すれば、本来の正しい商品と取り替えて頂けますよね。それと同じです。
JR東海旅客営業規則・誤乗及び誤購入(pdf)

 最初の質問者に戻って。一旦180円の切符を購入してその後、車で送ってもらえる事になった場合は、旅客任意の取り止めになりますので、払い戻し手数料210円。元の普通乗車券が180円なので払い戻し額は無い事になります。

 そして間違った金額の切符を買ってしまえば、無手数料で新しい切符と取り替えて頂け、この場合は変更1回にはカウントされません。

2012/07/18

今年中にも近鉄特急の阪神線へ乗り入れ?

 本日の毎日新聞web版大阪記事からです。近畿日本鉄道(近鉄)と阪神電気鉄道(阪神)は、阪神の三宮駅~近鉄の賢島駅間を結ぶ特急列車の運行を今年中にも始める方向で協議しているとのことです。「今年中にも」とは、随分早い展開になったものですね。
記事→http://mainichi.jp/area/news/20120718ddf001020005000c.html

 来年は伊勢神宮で遷宮があり多くの利用が見込まれます。既に両社で需要調査を実施しており、どんな形の運転とするかを検討しているとのことです。乗り入れは一日で数本から始まる見通し。

   ◇   ◇   ◇

 2009年の阪神なんば線開業時では、早い内に団体利用の近鉄特急車両を阪神線に乗り入れる話は既に明らかにされて、それをステップに式年遷宮が行われる2013年に、一般の特急列車の阪神線乗り入れしたいとの構想でした(と記憶)。この毎日記事の文章を読む限り「今年中に」とは、どうも一般の列車のように読み取れます。まだ近鉄特急車両の阪神線内走行は行われていないと思います。

 またウワサでは阪神が営業制度の異なる特急列車の乗り入れについて渋っているとも聞きましたけど、何か話が付いたのかな。いずれにしても今年中というのは大きいです。もう半年しかありません。急展開といった印象です。

 神戸からお伊勢さんですか。早速2013年越年の初詣列車が三宮から発車するのかな。

***2012年7月21日追補記
 近鉄特急車両の阪神線乗り入れは、一般列車として運転するそうです。頂いたコメント参照。ただ一般列車は近鉄線部分で阪神線内は団体列車とのことです。

2012/07/12

回生ブレーキの電力をリチウムイオン電池に蓄電・JR西日本

 讀賣online関西発、本日付けの記事からです。JR西日本では電車減速時の制動力として、リチウムイオン電池に充電しながら制動するシステムの開発をはじめると明らかにしたとのこと。実地試験を経て2014年の実用化を目指す。
記事→http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120712-OYO1T00384.htm

 鉄道電気車両のブレーキ方式には、大きく分けて摩擦系(機械系)と電気系とに分けられます。摩擦系は空気の圧力により制輪子(シュー)を車輪に中てて、その摩擦力で減速させ、停める。

 対して電気系は、電車のモータを発電機として用いるものです。モータと発電機は同じ構造で、回転するモータの起電力に負荷を接続してやると、モータは回転を止めようとします。その負荷を抵抗器に接続し、熱として消費するものを「発電ブレーキ」。起電力を架線に戻してやるのを「回生ブレーキ」です。

 この回生ブレーキは、ブレーキ時の起電力を他の電車の走行電力として使えるもので大変経済的です。しかし架線に流す電力の区分内(変電所の受け持ち区間内)に他の列車がいないと回生電力を使っていただけず、「回生失効」と呼ばれるブレーキが一時的に利かなくなります。その場合は変電所で回生電力を消費するシステムがあります。

 ローカル線では列車回数が少なく、この経済的であるはずの回生ブレーキは必ずしも効果を発揮しません。そこでJR西日本では、モータの起電力をリチウムイオン電池に蓄電する装置を開発し、ローカル線での回生ブレーキを実現させようというものです。新聞ではこれ以上の言及はありませんが、蓄電した電力は別の走行用に使われるものでしょうか。

 今回は小浜線で実用化試験。リチウムイオン電池の蓄電装置を小浜線の美浜駅に設置。今後は順次、運行本数の少ない地域に導入する方針で、区間によっては電力の3%削減となるとのことです。

2012/06/29

関電・余力3%未満の逼迫時は新快速半分に・JR西日本

 昨日の京都新聞web版、及び本日の神戸新聞web版記事からです。関西電力の電力余力3%を切った場合の電力逼迫警報が発令された場合には、アーバンネットワークの新快速電車を一部、間引きして運転するとのことです。
京都新聞記事→http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120628000135
神戸新聞記事→http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005173406.shtml
JR西日本プレスリリース
http://www.westjr.co.jp/press/article/2012/06/page_2098.html 夏季における節電の取り組みについて

 この措置、両新聞記事によれば、「正午~午後3時の間、節電対策として1時間当たり上下各4本運転している新快速電車を、上下各2本とする。(神戸)」とあり、15分間隔、時間4本で走る新快速を時間2本にするわけで、さらに京都新聞記事では「正午から午後3時を中心に米原-姫路間の新快速の運行を減らす」とあり、30分間隔の米原~姫路間の列車が間引き対象(運休)になりそうな気配です。

 米原~姫路間は約2時間30分かかるので、正午~午後3時にかかる列車全てなのか、この時間帯だけ走る列車なのか、なにが運休対象になるのかは分かりませんが、本当に米原発対象ですと、個人的に影響が出そう。

 関西電力の前日に発表する、翌日の電力需給計画で、余力が3%未満となった場合には、政府が「需給逼迫警報」を発令し、その場合に新快速電車の計画運休を行うとの事。また駅では券売機やエスカレータを止めるとのことで、当日の段階で警報が解除されれば、通常ダイヤに戻すとのことです。

2012/06/13

我が国の鉄道開業から140周年・2012/6/12

 昨日、記事書くの忘れていました。2012年6月12日は、我が国で鉄道による営業が始まってちょうど140周年の日でした。あれ?我が国最初の鉄道開業の日は、鉄道の日の10月14日ではないか?

 明治新政府は、近代国家を目指す為にも鉄道なる輸送機関を導入するのを決め、明治3年から建設工事に入りました。建設資材は殆どがイギリスからの輸入品。そのため将来、国土に鉄道路線を張り巡らせる為に、開港場となった横浜への路線を敷設する事となり、東京側の起点は東京市街に近い新橋としました。

 そして建設工事は進み、海上区間を多く通る新橋駅(後に汐留・現在は廃止)から品川駅間を残して、品川駅~横浜駅(現在の桜木町駅)間は大体出来上がりました。そこで明治5年5月7日、これは当時の天保暦(旧暦)で現在のグレゴリオ暦(新暦)に直すと同年6月12日、実際にお客さんから運賃を収受して列車を運行する、営業運転が始まりました。

 しかし当時のこと。大きな社会的な出来事には必ず天皇の御臨席を賜わり、開業式典を行うべき時代でした。その天皇がお乗りにならないうちは正式な開業とはみなさない、ということで、明治5年5月7日(新暦6月12日)の開業はあくまで暫定的な「仮開業」という形です。しかし現実は列車が動いていましたので、汽笛一声の列車はこの日の朝、品川駅を出ていったはずです。

 ですので、私の中としては、鉄道開業の日は「明治5年5月7日(新暦6月12日)」、明治5年9月12日(新暦10月14日)の方は、「公式に開業した日」としています。

 明治5年5月7日(新暦6月12日)の開業区間です。開業時は品川駅と横浜駅(現在の桜木町駅)の二駅のみ。明治5年6月5日(新暦7月10日)に途中駅の川崎駅と神奈川駅が開業し、開業日は1日2往復の運転、翌日から6往復となったそうです。

18720512kaigyo

 神奈川駅(後に駅開業)から横浜駅にかけては海上区間。こちらも海の中に堤を設けてここに線路を敷設しました。遠浅の海岸でした。

 品川駅から高輪海岸を線路を敷いたのは、実際に敷設反対の力があったためです。今日、鉄道忌避伝説が各所であり、それらは殆どが迷信なものの、我が国最初の鉄道では、旧大名からの反対が強かったようです。版籍奉還後で所領地を失い、経済的に不安もあったのでしょう。

 この我が国最初の鉄道開業で一つ疑問なのは、「正式開業となる9月12日(新暦10月14日)の前は、いつまで営業していたのか」、です。

 当初は天皇をお迎えして開業式典を行う予定は、9月9日(新暦10月11日)でした。しかし暴風(台風か)で3日遅らせて正式開業となりました。9月8日まで(仮)営業していたのか、もっと前に一時中断していたのか、その辺りの資料が見つかっていません。

2012/06/05

鉄道車両のドアにはご用心・磐越東線で走行中に開いた

 今日のYahoo!Japanのトピックにあった、毎日新聞配信記事からです。4日、福島県のJR東日本磐越東線で、郡山~舞木間を走行中の4両編成普通列車が、運転台の扉知らせ灯が消灯しているのに気付き、列車は停止。運転士が調べると、一ヶ所のドアが開いていたのだそうです。

 走行中に何らかの理由でドアが開いたもので、運輸安全委員会は重大なインシデントとして調査官を派遣したとのこと。

   ◇   ◇   ◇

 磐越東線を走る車両は、キハ110だったかな。走行中にドアが開いたもので、なぜ開いたのか確実に調べなければなりません。運輸安全委員会の調査が入ったとの事で、やがて調査報告が為されるでしょう。

 ちなみに重大インシデントとは、事故には至らないものの、十分事故に至る要素がある脅威、違反などのことで、通常は見過ごされがちですが、今後の事故を未然に防ぐ為に、調べます。事故ではないのでマスコミはあまり飛びつきませんが、このインシデント事案には過去、大きな事故に至る可能性を秘めたものがありました。

 また運転台の扉知らせ灯とは、ドア回路と繋がっており、編成中のドアが全て閉まっているときにランプが点灯します。発車時に行う運転士の確認事項の一つです。

 

 走行中のドアが開くなんて、普通は考えませんね。しかし私はふと思います。満員電車でギリギリドアの中にねじ込み、体重をドアで支えている時にもしドアが開いたら・・・。考え過ぎの私ではよくあることです。

 電車のドアは、今の車両は構造的に走行中開くことは、かなり防止されています。速度が一定以上に達すると、ドア回路に電気が流れないようになりますし、ドア自体にロックがかかる車両もあります。

 しかし過去には走行中にドア開いたのは何度かありました。またかなり稀有な例では、ラジオの電波でドアが開いた事もありました。栃木県の東北本線。NHK東京第一放送の送信所が近くにあり、出力500kwと大きな電界強度。ドアかドア回路付近のさびがアンテナとなり、それがドア回路司令電流と認識されてドアが開いてしままったというのがありました。

 そのニュースに触れてから、ドアにもたれるのは絶対に止そうと思うものの、満員ではどうしようもありませんね。少なくとも後ろ向きでドアにもたれるのは絶対にせず、ドアには前向きで立つ事にしています。でも満員で万一開いたとして、中からの圧力がかかったらどうしようもないな。

2012/06/01

名鉄と近鉄の名古屋駅一体化を検討・構造はどうなる?

 本日の中日新聞朝刊一面記事からです。名古屋鉄道の社長は31日明らかにした事で、名鉄名古屋駅の再開発計画で、名鉄名古屋駅と隣接する近鉄名古屋駅とを一体開発したい意向である事を示したとのこと。再開発に合わせ、両駅間の乗り継ぎをスムーズに、利用者の利便性を高めるのが狙い。

20120601nagoyasta クリックで拡大

 現在の名鉄名古屋駅と近鉄名古屋駅は互いに隣接し、連絡改札口はあるものの主な改札口は大きく離れ、階段も多い現状。そこで名鉄名古屋駅を含む一体を再開発で建て替えるのを機に移動しやすい構造として、不便の解消に努めたいということだそうです。

 ただ駅構内の強度も必要であり、近隣のビルとの係りもあり、絶対出来る保証でもないとも述べている。

   ◇   ◇   ◇

 出ましたね、名鉄と近鉄の名古屋駅一体化計画。これは名鉄名古屋駅の上に建つ名鉄百貨店本店、一つおいて南の名鉄本社のある旧メルサ、さらに南の旧セブン(ヤマダの入っているところ)建て替え計画とリンクするもので、さらに名鉄百貨店と旧メルサに挟まれた近鉄百貨店、笹島町交差点南西のレジャック、これだけが2027年までに建て替え再開発する計画が出されており、二つの駅はどうなるのだろうかと思っていました。

 名鉄名古屋駅と近鉄名古屋駅は、壁一つで隣接していますし、かつては線路が繋がっていました。「うそだ!」と言われる向きもありますが、近鉄名古屋線が狭軌の時代は、近鉄の名古屋駅1号線と名鉄の当時新名古屋駅下り線とを結ぶ連絡線がありました。今でも近鉄側に痕跡が残っています。

 建物建て替え工事ではどのような工法が取られるのか、全くわかりません。ただ現在の駅構内線路配線は、多分手を付けないと思います。ホームの付け替えなど配線変更を含む工事になると、一時的に電車の運行を止めねばならないと思います。

 近鉄名古屋駅の駅構内は結構複雑で、名鉄百貨店下、近鉄ビル下、公道下、そしてJR東海名古屋駅にまで及んでいます。特急が発着する4・5号線は、あの上には高島屋へのスロープか、東海道本線上り線路があるぐらいの位置です。なので古くからの1・2号線部分は手を付けられても、3~5号線は難しそうですね。

 ところで「一体化」とは何処まで指すのだろう。「壁を作る必要はない」との名鉄社長の弁。同一構内という意味ですと、改札口も共通になるのだろうか。manacaとPiTaPa。相性が合うのだろうか・・・などなど色々考えさせられる今朝の記事でした。

名鉄名古屋駅関連の記事一部
2009年1月9日投稿:「名古屋鉄道本社ビル建て替え検討中
2011年8月10日投稿:「名古屋鉄道本社ビルなど名駅再開発は2027年をメド

2012/05/30

名鉄今伊勢駅・二つの線路に挟まれたホームが狭い

 名古屋鉄道名古屋本線とJR東海の東海道本線は、一宮駅から北へ約約3kmにわたって、二つの複線がまるで複々線の如く並行しています。そしてこの並行区間に名鉄には、今伊勢駅と石刀駅の二つの駅があります。

 国鉄→JR東海の東海道本線の線路は一直線に。隣の名鉄の線路も、今伊勢駅と石刀駅の部分も一直線。つまりこの両駅の名古屋方面行きホームは、複々線の真ん中にホームがあるようなもので、とにかく狭い。狭いだけならまだしも、両側を120km/hで疾走します。

 そんな二つの駅のうち、今伊勢駅を利用する機会がありましたので、ちょいと写真を撮ってきました。今伊勢駅を利用したわけは、駅すぐ西の「たのみま専科」へPC修理に持って行きました。

今伊勢駅。ご覧の通り、隣を東海道本線が通っています。

Img_0041

 駅舎。その昔、いつ頃までだろうか?コレの奥に掘っ立て小屋のような建物が一棟あるだけでした。名古屋行きホームへの跨線橋が出来たときに駅舎が建て替えられ、自動改札機設置の時にさらに大きくなりました。

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 跨線橋から見たホーム前景。

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 名鉄の特急通過も。画面後方のマンションがある位置に石刀駅があります。

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 二つの線路に挟まれた名古屋方面行きホーム。こうして写真とって見ると、案外広いような感じを受けました。

Img_0019

 上屋のない部分。隣は東海道本線下りです。床面板、張り変えてありますね。

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 東海道本線の下り線を列車が通過。風が凄い。金網のすぐ向うがJR東海の敷地で、そこから列車走行空間まではそれなりに距離はあります。

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 こちらは岐阜行きホーム。隣に線路は無いので、そこそこ広いホーム。

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 時系列で行くと、これが最初の撮影。岐阜行き普通列車から降りて、発車するところ。

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 岐阜行きホーム先端から見た、駅全景。

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 JR東海東海道本線と名鉄名古屋本線の平行具合。こんな状況で約3km続きます。この線路間にホームがあります。

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 上の画像、踏切から撮りました。昨今は線路内に入ったとか五月蝿いですからね。開かずの踏切。名鉄は一宮7号踏切。JR東海は宮後道踏切。

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 隣の石刀駅もほぼ同じ構造。違うのは石刀駅は踏切と駅との距離が近い点。そのため岐阜行き普通列車が6両編成ですと、2両ははみ出し、最高部車両は踏切にかかります。

 

 おまけ。名古屋方面電車待ち中に、タイミングよく上下線を特急通過しました。

Img_0031

 

 この今伊勢駅。実は自宅から直線距離では最寄駅だったりします。しかし利便性では×で、今回PCを持って行った際は、バスから電車乗り継ぎでした。もちろん、manacaの乗継割引を期待して。

2012/05/27

物言えぬ人が多くなった・鉄道に乗って感じる話

 今回は一寸ネガティブな話です。タイトル「物言えぬ人が多くなった」の物とは意を伝える言葉のこと。

 名古屋市交通局の地下鉄でのこと。昨年から節電とやらで、各車両の車内蛍光灯を2本乃至は3本外してあります。それは扉間にある左右どちらかの天井に付けられている蛍光灯で、多くある蛍光灯の一本を外しても実用性には問題が無いとの理由です。

 しかしこれ、近視で色覚異常の私には致命的で、そこだけ明りが無いのは相対的な暗さを感じます。そこで今は地下鉄に乗る時は連結部に行き、そこで座るなり立つなり(コレが多い)しています。連結部は連結面幌は灯りがありませんが、車内灯は左右両側ありますからね。

 話は立った時のこと。連結部を時々通る人がいます。一両の一番奥は連結面でそこに私が立つと、通る人の邪魔になってしまいます。ところがところが、いきなり背中をグッと押して通る人が何と多いことか。老いも若きも男も女も。全ての世代に亘ってそうです。

 一言、声かけられないのでしょうか。「通るよ!」とか。もちろん「すみません」と言う方もいらっしゃいます。いらっしゃいますがそれは少数派。人間黙って通る!とばかりに私の背中をグイと押しまくります。これは連結部でなく車両中央でも同じこと。

 これいつ頃からこうなったのでしょうか。昔は通るべき所に人が居れば、一言声をかけたものでしたし、私はそうしています。しかし今の時代、「関係ない人」に声を出すのがはばかれる時代なのだそうです。それどころか「関係ない人」に声をかけるのは宣戦布告みたいに捉える人がいるとか・・・。

 そもそも今は声を掛けずに殆どこなせてしまいますね。コンビニ然り、スーパー然り。街中で缶コーヒー買うのも自動販売機で、逆に自動販売機が喋ります。(それも方言で喋ったりして)

 人間関係、一昔前、二昔前と変わっているのだろうな。口を開くのは「関係ある人」だけ。先般も渋谷駅で剣の舞(刃物事件)があったらしいですけど、言葉で解決できない、否、術が無い人が多くなっているのだろうね。

 なんでも手に入れられる便利さの裏で、人の性が着実に変節している過程を見ているようです。

2012/05/26

国鉄にはかつて天然ガスを燃料とする車両があった

 新潟県南魚沼市(旧六日町)で起きた、トンネル内爆発事故。トンネル内の可燃性ガス濃度が高く、ガスの爆発によるものらしいことが分かり、いまだ作業員が救助されておらず、早く救出される事を願うばかりです。

 

 その事故とは関連は無いですが、ガスがらみで一つ思いだしました。新潟ではその昔、天然ガスが産出されることから、鉄道省→国鉄の時代、天然ガスで走る車両がありました。

 天然ガスを鉄道車両に使う最初のきっかけは、戦前の燃料不足で代用燃料として用いたのが始まり。戦前は今のような重油ではなく、ガソリンを燃料とする気動車があり、ガソリンは当然入手難。そこで代用燃料で、天然ガスが取れる地域ではをエンジンに入れる混合気体に混ぜる方法で、出力を得たそうです。

 戦後も暫くは燃料統制が続き、国鉄になってからも運行が続けられました。しかし我が国全体でのエネルギー供給から見ればほんの僅かでしかも高く、ガスボンベを積んで(床下装着)走るため万一の際の危険性。一回のボンベ装着での走行距離。そして走行区間が限られ、ガソリンや重油などが安定して供給されれば、天然ガスを燃料とする不都合さが現れ、昭和30年ごろまでにいずれもディーゼル動車に改造されました。

 この天然ガスを燃料とする気動車は、新潟地区のほかにも天然ガスが出る千葉県でも使われていました。41000形や42000形のうち何両かが天然ガスで走っていました。42000は後にキハ07形となった、正面が名鉄510に似た、丸いお顔のあの車両です。

 

 ところでこの記事書く元となったトンネルの場所は、八箇峠。最初は「新潟県で」だけ耳にしていましたが、場所をよくよく見れば、内陸の方です。近くは上越線六日町駅、上越新幹線には浦佐駅があります。新潟県の天然ガスは海に近いところで採れると思っていましたが、こんな内陸で。

 でも場所は失念しましたが、越後国では「くそうず」という真っ黒な液体がとれて、それを精製し灯明の燃料に使っていたそうです、江戸時代の話。「くそうず」とは「臭水」、早い話が水混じりの原油が地面から染み出ていたところがあったらしく、当然気化した可燃性ガスも同時に発生していたはずで、六日町の内陸でもこんなガスはありえるなと、キーボード打ちながら自分に納得しています。

2012/05/19

ラッセル車のようなシカ排障器のキハ85・特急南紀で

 今日の中日新聞朝刊社会面のコラム「通風筒」からです。シカと衝突することが多い、三重県内の紀勢本線を走る特急「南紀」号用車両に、シカと衝突したらヤンワリと線路外に押し出す、記事では「衝撃緩和装置」、一般的には排障器が完成し、本日19日から使われ始めたそうです。

20120519dc85

 紀勢本線でも、特に山間を走る多気~熊野市間にかけて近年、シカが多く現われているそうで、かなりの重量物ゆえ、衝突すると連結面のブレーキ配管などに損傷が起きる他、巻き込むとかなり厄介になってしまいます。

 そこでシカ対策として、当初は動物園で発生したライオンなど獰猛な動物のフンを撒き、シカが恐怖を感じ線路に近づかないようにしたものの、効果は開始当初の暫くだけで、やがてフンも限定的に。

 そのためシカが出やすい区間では、特急列車は速度を落としてシカと衝突した場合でも影響を極力小さくするようにしています。しかしこれではダイヤに影響がでますね。

 そこで考えたのが、列車と衝突したら強制的にシカを線路外に排除するもの。原理は至って簡単で、軟らかい材料の排障器を先頭車に取り付け、ぶつかったシカを巻き込ませず線路外に避けるもので、早い話、ラッセル車と同じものです。

 そして今日の朝刊。正面から撮影した画像なので、まるでスポンジの板を車両前部に置いたようですけど、レールから浮いていますので、車両に取り付けられているものでしょう。正面ですので分り難いですが、ラッセル車の様に斜めになっています。

 

 シカが人里まで現われるのは、里山が荒れる事と関係があります。シカだけでなくクマも現われ、よくニュースになったりします。紀勢本線ではないですが、東海道本線の関ケ原~近江長岡間にかけてもシカがよく現われ、時々電車の運行が止まったり、現に私が乗車した列車が暫く停車した事もあります。

 紀勢本線を走る列車は、特急南紀だけでなく普通列車もあります。こちらは速度が低い上、ダイヤ上に余裕があり、排障器の取り付けはされないらしいですし、第一分割併合がある普通列車ですので、あんな形の排障器は無理ですね。

2012/05/17

国会議員の鉄道バス優待パス・廃止への動き

 本日のyahoo!Japanトピックにあった、毎日新聞配信記事からです。衆・参両議員に支給されている私鉄とバスの優待乗車証(無料パス)、この発行元である日本民営鉄道協会と日本バス協会が、「負担公平の観点から利用者の理解を得にくい」として衆参両院の事務局に廃止か費用を負担してもらう打診を続けていることが分かったそうです。
記事(Yahoo!Japan)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120517-00000010-mai-soci

 この無料パスでは、旅客鉄道会社(JR)と航空各社には衆参事務局予算から年間計約13億円が支払われているが、私鉄とバス会社は無料だと言う。

 近年、バス事業者で国会議員無料パスを廃止した社が増え、毎年秋に衆参事務局に対し、廃止か一定の経費負担かを求めたが、「対応を考える」とだけで何らの対策をとらなかったとのこと。正式な要請とは思っていなかったらしい・・・。

   ◇   ◇   ◇

 やっと、という感じですね。国会議員無料パスは、国会のある東京とそれぞれの選挙区を移動する際に、速やかに乗車出来るよう鉄道省時代から続いている制度です。鉄道省から国鉄時代はそれ自身が省庁の扱いで、国会議員の無料乗車証に関する規程がありました。そして私鉄は国鉄(鉄道省)の規則を準用する習慣があり、規程が無くとも乗せてている鉄道事業者もありました。

 記事では、私鉄の「鉄道軌道乗車証」は1946年、路線バスには「バス優待乗車証」が1961年から発行が始まったそうで、衆参議員に毎年交付。しかし今ではバス会社の幾つかでパス使用を無効としている社もあります。

 その費用は国鉄時代からの継続で、JRには一定の金額が支払われております。航空機の場合も、これは聞いた話ですけど、議員さんの選挙区により引換券のようなものを交付し、交付枚数に応じて費用が航空会社に支払われているそうです。しかし私鉄には費用相当分は支払われておらず、全くの私鉄側の持ち出しです。

 公僕である国会議員の速やかなる移動の為に始まったらしい無料パス。国鉄ならともかく、私鉄や現在のJRにまで慣わしを継続しているのはどんなものだろう。無料パスは議員さん本人は無料ですが、同行する秘書がいると、その秘書の分は正式な切符を購入する事になります。また議員ではない霞ヶ関のお役人が出張の際は、これも正式な切符を購入しており、なぜ議員さんだけが無料のままなのか、明らかにおかしく、単に「昔からやってきた」が理由でしょう。

 ここは速やかに無料パスを廃止し、この秋からは正規の切符を買って頂きたいです。そもそも国会議員には歳費の他に、文書交通費なるものが支給されていますし。本当に必要ならば事務局へ旅費請求して、後日還付を受ける形でもいい。それが輸送機関たる者への最大の礼儀だと思うのですが。

 

 国会議員の無料、従来「公僕だから」という理由で何となくズルズルときたきらいがあります。また国会側も(というか議員ですね)も、自らの処置にかかわることはなんらせず、今日に至っているのでしょう。国会議員も一人の人間である以上、鉄道会社自体に何らかの目的でない限り、普通に乗車券類を求めるのが筋です。現在のパス有効期間が9月末が殆どなのだそうで、以後の継続はなされないよう願いたいです。

 ところで名古屋市交通局は、国会議員無料パスは既に使えなくなったようです。

2012/05/16

阪急・15%節電の場合は一部列車運行区間短縮

 本日の讀賣online関西発記事からです。政府が関電管内の対2010年比15%節電を要請した場合、阪急電鉄では電力消費の多い日中に、京都線と宝塚線で一部列車の運行区間短縮を明らかにしたとのことです。
記事→http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120516-OYO1T00217.htm

 15日、阪急が明らかにした15%節電要請が出された場合の内容は、

  • 京都線 準急列車のうち河原町~梅田間列車を、
    下り(梅田方面行き)は約23km短い河原町駅から高槻市駅までの運行に
    上り(河原町方面行き)は約17km短い茨木市駅から河原町駅までの運行に短縮
  • 宝塚線 梅田~雲雀丘花屋敷間の普通列車を、約8km短縮して梅田~豊中間に短縮

また節電目標が更に高くなれば、特急や急行列車の運行本数も減らすことも考えざるを得ない、とは阪急常務の弁です。

   ◇   ◇   ◇

 昨年は政府のおだてに乗って、節電に伴う記事を書いてしまいました。結局ギリギリのところで大きく影響を受ける電力制限には至りませんでしたが、今年は少なくとも2年前までのように電気は使えないわけです。そこで夏の場合は最大ピークが昼の午後に訪れるため、日中の比較的空いた時間帯の列車運行を削減するものです。

 阪急は昨夏、列車運行を減らすことはありませんでしたが、神戸線の普通列車10コ運用のうち、4コ運用を6両編成に差し替えました。讀賣記事では「ピーク時で前年比7%の節電を達成した」とありますけど、これ8両編成を6両編成に替えただけでこんなに節約出来るとは考えられず、全体の節電対策の結果によるものでしょう。

 この内容は計画運休(一部区間運休)ではなく、あくまでも節電要請が出た場合。京都線準急の一部区間短縮(一部運休)は、各駅停車区間となる部分を残し、通過駅のある区間を運休するもので、特急10分間隔運転となった今、今ひとつ存在感の乏しい梅田河原町準急ですので影響は若干少ないです。ただ不思議なのは、上下で運転区間(運休区間)が異なるところ。河原町方向は茨木市駅からの運転(梅田~茨木市間運休)。梅田方向は高槻市までの運転(高槻市~梅田間運休)。これなぜなのだろうか。

 あくまでこれらは政府からの節電要請が出た場合で、この夏はこんな減量ダイヤで運転するわけではありません。政府の言う電力危機は、大阪市のH市長のとおり「からくり」がある様に感じていますので、実施の可能性はかなり少ないでしょう。しかし節電は電気が在ろうとも無かろうとも、我々は心得ねばなりませんね。

2012/05/11

阪急梅田駅全面改装へ・40年ぶり・2015年完成へ

本日の讀賣online関西発記事からです。阪急電鉄の梅田駅、現在の場所へ高架で移転して以来、約40年ぶりに駅構内を全面改装することとなり、今月14日から工事に入るとの事です。
記事→http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120511-OYO1T00220.htm

 駅構内のほぼ全域、約1万2000平米を、約36億円かけての改装。駅の構造は変えないものの、洗練された内装や照明を随所に取り入れ、単なる通過点でなく、足を運ぶ楽しみが感じられる「劇場空間」にするとの記事。

 隣接するJR大阪駅は、ルクアなど大阪ステーションシティがすこぶる好調、阪急も現在二期工事中の百貨店「うめだ阪急」が今年11月に全面開業、大阪駅北側の梅田貨物駅再開発「うめきた」の先行開発区域が来春開業で、駅周辺の集客力がいっそう高くなり、「駅の魅力も高め、より多くの人に利用してもらう」とは広報の弁です。

   ◇   ◇   ◇

 そうですか、梅田駅改装。今でも十分洗練された内装だと思うんですが、阪急平野のハイセンスな「奥方様」には、さらなるグレードアップが必要なのかな。

 阪急の梅田駅は、1967年から4年かけて現在の場所に壮大な10面9線の駅が出来ました。それまでは国鉄線のガードをくぐって、うめだ阪急の場所に少しかかるような駅構内でした。JRのガード下にムービングウォーク(動く歩道)がありますけどそこが元線路で、建て替え前のうめだ阪急で、天井がとても高くステンドグラスがあった所が元の駅構内でした。

 40年ぶりですか。逆に言えば40年前からあの姿とは、洗練された阪急らしいものと感じます。私は、あの黒く光るホーム床が素晴らしいと感じています。同じ電車に乗るなら、あのような電鉄にしたいと思う見本のようなものです。

Img_0019 2011年7月撮影

 駅の建物の躯体に手を加える事はせず、内装のみの改装とのことで、現在の電車を運行しながらの施工。記事では1階の待ち合わせによく使われる「BIGMAN」前の広場は、柱の表面に天然石を張り天井に段差を付けて奥行き感を出すという。豪華な印象となりそうですね。そこ直すなら、ついでに紀伊国屋書店も直してやってください。売り場の通路が狭くて敬遠気味。

 新聞記事にあるとおり、大阪駅は変わり、阪急百貨店は建て替えられ、うめきたは街開きし、梅田地区変わりますね。

2012/04/25

神戸市営地下鉄西神・山手線は自動運転だった!

 今日のこのブログ記事、知っている方には「当たり前!」って言われそうです。

 昨日の神戸新聞web版社会面記事から。神戸市営地下鉄西神・山手線は、通常は自動運転のところ、運転士の技能維持のために昼間は手動運転を行っているという記事がありました。
記事→http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004998675.shtml

 見出しは「自動運転導入も“本能”に配慮 神戸市営地下鉄」とあり、運転士の持つ技能を「本能」と例え、その「本能」に配慮した対策を取っているとのことで、西神・山手線では午前10時から午後5時まで、海岸線では週に一度程度、手動運転を行っている記事です。

   ◇   ◇   ◇

 私、この記事読んで頭の中「???」でした。西神・山手線って、午前10時から午後5時まで手動運転ということは、逆に読めば自動運転やっていたのですか?全く知りませんでした。しかも記事では1977年の第一期開業時からなのですか。子供の頃ですけど開業の記事は鉄道雑誌で読みましたけど、そんな自動運転なんて書いてあったのかな?

 私の神戸の歴史は今年で21年になりますけど、神戸市営地下鉄はそれほど乗る機会は多くなく、しかも列車前方の運転室は遮光幕が完全に降ろされ、車内からは運転室も前方も全く見通せません。何とも不親切。やっぱり地下鉄でも線形を覚えておきたく前を見たいものでして。

 なので神戸市営地下鉄は時々乗る事があっても、列車先頭には乗らず適当な車両に乗っています。そのため運転室の構造は全く記憶に無いんです。

 ポートライナーなど新交通システムでの自動運転は運転士もいない完全自動運転がありますけど、普通の鉄道の自動運転は運転士がいて、発車は運転士がボタンを押して発車、以降の力行→惰行→制動(ブレーキ)→細かい制動緩めで所定位置に停車、これを自動で行います。「ATO」といい、自動列車運転装置(Auto matic Train Operation)といいます。新聞記事には「ATC」とありますが、これは保安装置で信号装置の一つになります。

 この自動運転装置が何らかの事情で使えない場合には、運転士が実際に運転しなければならず、その技能維持のために手動で運転しているという事で、これは他の自動で運転している鉄道でも同じですね。

 いや、だけど、この記事目にしなかったら、いまだに神戸の地下鉄は手動で運転しているものと思っていたことだろうな。知らないというのは恐ろしい事でして。

2012/04/23

名鉄とJR東海との連絡運輸終了・manaca・TOICA共通を機に

 4月21日ICカード乗車券、名鉄などのmanacaとJR東海のTOICAが鉄道・バス乗車部分で共通使用が始まりました。21日早速JR東海で、普段回数券の区間ですけどmanacaを使ってみました。当たり前ですが、何の違いもありませんでした。

 このmanaca・TOICA共通使用で、これまでひっそりと取扱いがあった、名鉄とJR東海の連絡運輸のうち、普通乗車券と団体乗車券の取り扱いが停止されてしまいました。連絡運輸とは、異なった事業者間の運送で一枚の乗車券を発行するもので、A社甲駅から接続駅乙駅を経てB社丙駅までを一体として運送するもので、首都圏ではおなじみのものです。

 4月12日に名鉄ニュースリリースが出され、4月21日のmanaca・TOICA共通使用に伴い、名鉄とJR東海との連絡普通乗車券と連絡団体乗車券は発売停止させていただくとのこと。今後はどちらか一枚のICカード乗車券で乗車して頂きたい、との内容です。

 唐突なお知らせですね。4月21日に「停止」とは4月20日までの取扱いで、それを4月12日に発表していますので、よほど影響が無い程の扱い件数が少なかったということでしょう。そしてこのお知らせは、名鉄でのみ出され、JR東海はweb上においては何のお知らせもありません。一応双方向の発売なのですけどね。

 4月20日までの普通乗車券と団体乗車券の連絡運輸区間とは、

  • 名鉄線 伊奈~鳴海間の8駅(東岡崎、知立など)
     接続駅 豊橋駅
    JR東海 浜松~二川間及び船町~本長篠間各駅

この区間内だけで発売されていました。発売実績数は存じ上げませんが、年間で数枚~十数枚と言った程度でしょうか。団体乗車券は果たしてあったのでしょうか。

   ◇   ◇   ◇

 ところで、連絡乗車券発売「停止」とあり、連絡運輸規則での規定はそのままで、発売だけ行わないものなのでしょうか。それともこの区間の完全廃止?

 私思うのですけど、連絡乗車券に限らず回数券も廃止した名鉄、ICカードがその代替だそうですけど、必ずしも乗車券に代わり得る性格のものではないと思います。乗車券は着駅までの運送が保障されていますが、ICカードでは必ずしもそうとは言えず、輸送障害が発生するとその区間の代替輸送(振替輸送など)を使えないこともあります。

 かつては名鉄からJR東海、以前の国鉄、さらには国鉄線を経て別の会社線までの連絡乗車券があったそうです。叔父がかつて名鉄に勤めておりまして、もう40年近く前の尾張地方が繊維・紡績産業盛んな頃、尾西線の小駅ではるばる九州鹿児島県の南薩線(後の鹿児島交通)まで発売した話を聞きました。運賃表あれやこれや参照して、大きめの補充券に駅名を書き込んだそうです。国内の長距離輸送、鉄道華やかな頃のお話ですね。

2012/04/22

名鉄・列車内での乗車券取扱い廃止・5月1日から

 昨日乗車の名鉄電車、車内アナウンスで案内されていましたけど、今度5月1日から列車内での乗車券扱い、すなわち無札や定期券区間外乗車での乗車券新規発行、乗り越しするなどの乗車変更など、車内において車掌が行っている精算は停止し、その様な場合は着駅または乗り換え駅でなさるようにとのことで、その旨のニュースリリースが出されております。

 ニュースリリースの内容は、単に「車内では行わなくなるので駅でお願いします」としかなく、理由が記載されていませんけど、これはストアードフェアシステムを導入し、さらに乗車券確認システムの導入で、無札の状態で駅構内に入る事はかなり難しくなった事と、このような高価な駅務システムで大方の乗車券にかかわる処理が出来るであろうとの判断でしょう。

 私の知る限り、先行事例として阪急がこの措置を取っています。90年代のどの頃だったかな?、沿線広報誌のLineaにこれを導入する旨のお知らせが載っていました。その一文にうろ覚えでしたが、こんな内容の文章がありました。

  • 車内で乗り越しの切符を発売しなくなったかといって、勝手に着駅よりも乗り越していいものではありません。急に用事を思い出したなどあくまでも緊急の例外的措置で、乗車前には正しく切符をお買い求め願います

文章はそのままではありませんが、こんな様な内容でした。

 それと名鉄の場合、車掌携帯する車内乗車券発行機の保守点検も結構な費用がかかっているのではないかな。駅務機器にカネをかけ、車掌の携帯する機器にもおカネがかかるようでは、どちらかに集約したいところでしょう。ストアードフェアシステムで一般とはしっかり垣根を作ってあるので、車内での乗車券扱い(精算)を止めるに至ったと解釈しています。それと精算で収受した現金の管理という点もあるでしょう。

 定期券の乗り越しでは、今や定期券はほぼ100%がmanacaで発券されますので、乗り越しはチャージ分から差し引けばいいことですし、回数券の廃止、さらには普通乗車券の発券枚数自体が減少傾向にありmanaca利用が増えているそうなので、従来の車掌による車内精算そのものが少なくなっているのでしょう。

 なお、特急列車の特別車両券(ミューチケット)については、今後も継続して車内扱いするとのこと。でもその場合、どうやって発行するのだろう。とすると、車掌携帯の発行機はまだ継続のままなのだろうか。

   ◇   ◇   ◇

 この特別車両券(ミューチケット)ですけど、駅発行と車内発行とで金額に差を付けたらどうかと思います。現状見てるとあまりにもミューチケット持たずに乗る人が多いです。名古屋駅で1番か4番乗り場から乗る人は、まず持っていないです。「車内で払えばいいや」って軽い方が多く、事前に用意した方となんらかの差別が有ってもいいような気がします。

***2012年4月23日
 文字の修正と文章を一部追加しました。

***2012年4月28日追補
 本日、名鉄を利用したところ、駅にこの旨のお知らせが掲げてあり、それによれば私の推察通り、車掌携帯の発行機を取り止めるとの事です。

2012/04/07

京阪電鉄石山坂本線に特急塗装復活・大津線開業100周年

 京都新聞web版4月6日付記事からです。開業100周年を迎える京阪電鉄の大津線の記念イベントを4月から1年間にわたり開催し、その一環で往年の特急塗装を復活させるそうです。京阪大津線のリバイバル塗装ですね。
記事→http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120406000020

 「大津線」とは、京津線と石山坂本線を総称した名称です。

 京津線が1912年(大正元年)8月15日(ちなみに大正改元から17日目)に開業して今年で100周年にまつわるイベントで、リバイバル塗装は9月下旬から運転される他、1997年に地下鉄開業により京阪三条~御陵駅間が廃止になった区間のハイキングなども予定しているとのこと。

   ◇   ◇   ◇

 この特急塗装は、京阪電鉄が押す観光地でもある琵琶湖への連絡として、三条駅から浜大津駅へ行く準急電車の260形車両に、京阪本線を走る特急列車と同じ塗装が施されていました。

 当時は京津線用の浜大津駅と、石山坂本線用の浜大津駅は別になっていました。京津線の準急は浜大津で終点になるのもありましたが、多くは石山坂本線の石山寺駅まで直通しており、京津線の浜大津駅は頭端式で、直通はここでスイッチバックして石山坂本線用の浜大津駅で停まり、石山寺駅までの運行でした。

 私、この特急塗装を知っています。私が乗ったのは特急塗装の最後の頃だったのかな。東海道本線を石山駅で降り、石山寺駅まで歩いて、三条駅まで乗ったことがあります。それから暫くして、雑誌で塗装合理化で他の一般車と同じ塗装になったことが掲載されていました。そして浜大津駅も京津線用と石山坂本線用と統合され、浜大津駅もエラく変わったとのことでした。

 京津線は現在、京都市営地下鉄東西線へ乗り入れていますので、専用の800形しか走れず、赤い特急塗装の列車は石山坂本線を走行するとの事です。ただ、地下鉄に入らない四宮~浜大津間は、営業でなければ走行できると思いますけどね。

2012/04/03

スルッとKANSAI2dayチケット・利用が連続2日間となった

 関西の大部分の私鉄が加盟している、共通カード乗車券システム「スルッとKANSAI」。これの企画乗車券に、「スルッとKANSAI3dayチケット」期間限定版、それと「スルッとKANSAI3dayチケット」通年版、並びに「スルッとKANSAI2dayチケット」通年版があり、それぞれスルッとKANSAIの大部分の路線が乗り降り自由となる、便利なきっぷです。(バスの路線の一部に乗車不可がある)

 これの通年版は旅行者用のもので地元近畿圏では発売しておらず、圏外の旅行会社で引き換え券を発行し、それをスルッとKANSAIの会社窓口で実際の券と引き換えます。

 この通年版の2dayチケットは、これまでは「お好きな2日間有効」で、私結構使わさせて頂きました。ところが、今年4月の引き換え分から、な、な、なんと「連続2日間有効」になってしまいました。なんということ・・・。

 これで私、使えなくなってしまいました。連続2日ではねぇ・・・。今後は、関西地区お住まい用の期間限定版3dayを使うしかないですね。

 通年版の3dayは、以前から利用日は連続3日間です。

 しかし徐々に購入と利用に制限を与えていくのですね。引き換え券方式は今と同じなものの、当初は近畿圏の旅行社でも発行していました。阪急の梅田駅の方が話していましたけど、同じ梅田駅構内にある阪急交通社の窓口で引き換え券を出してもらい、それを持ってこられた方が結構いらっしゃったとか。それが近畿2府4県と三重県の旅行社では発行しない事となり、そして今回のお好きな2日から連続2日へ。「あ~あ」だな・・・。

スルッとKANSAIのweb:http://www.surutto.com/tickets/ticket_3day2day.php

2012/03/26

高松駅は「さぬきうどん駅」・うどん県にあわせ

 讀賣online関西発、本日配信記事からです。JR四国(四国旅客鉄道)は、香川県が展開している「うどん県」キャンペーンに合わせ、高松駅を29日から愛称を「さぬきうどん駅」とすると、26日(つまり今日)発表したとのこと。
→記事:http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120326-OYO1T00721.htm

 高松駅構内に12ヶ所ある駅名標に愛称のシールを貼り、記念撮影用が出来るよう愛称看板と駅名スタンプを置き、切符の表記変更も検討するとのことです。

 

 このうどん県については、実はまだ最近知ったばかりです。ニュースに載ったのかな。基本、ニュースはラジオに頼っていますので、単なる話題性だけでしたら篩い分けられている恐れがあり、他の方のブログで香川県が名産を表に出した「うどん県」との愛称を付けた事を知りました。

 うどん県に付いてはブログ記事にするほどもなかったですが、駅名に愛称とはね。いわゆる「復称名」だと思います。正式駅名とは別に「( )」書きで添えられた別称。昔、大阪市営地下鉄の「四天王寺前(夕陽ヶ丘)駅」があり、むしろ復称の方が地元では通りが良かったりする例があります。また駅近くの有力な施設がスポンサーになったり、逆に鉄道側が施設への最寄駅であることを示す為に復称を付ける事も有り、それなりに事例は有りますね。

 さぬきうどん駅か。どの程度浸透するのだろいう。面白さからはそこそこありますけど、正直一寸「そこまで?」なのが私の感想。さぬきうどんは何も高松駅周辺の食べ物ではありませんからね。

 ところでJR高松駅の横の御城そばに、高松琴平電鉄の高松築港駅が有ります。こちらはどうするのだろう。たぶんそのままでしょう。

2012/03/23

小学校卒業後の鉄道運賃は?

 時節柄のネタ書きますね。この春に小学校を卒業した、ある人のブログを読んでいたら、「ディズニーランド行くけど、電車は子ども運賃なの?それとも大人なの?」などという記述がありました。これ結論は、「3月31日までは子ども運賃、4月1日からは大人運賃」です。

 話し拡げる前に弁解しときますけど、そっち系の趣味があるわけではなく、私のもう一つのブログがアメーバブログ(アメブロ)でして、頂いたペタ返しでそんな内容のエントリを読んだ、ということです・・・。

 日本の鉄道と乗合バスは、大抵(ほぼ全て)の事業者が定めるところの子ども運賃(小児運賃)は、6歳以上12歳未満となっています。12歳未満とは12歳は含まず、12歳となったら大人運賃となるのですが、特例で「小学生がその小学校卒業までは小児運賃を適用」と定めています。

 では小学生とは?ということで、ここでいう小学生とは「日本の学校教育法に定めるところの小学校に学籍をおく生徒」、ということです。そしてその学籍は、文部科学省の定めでは「4月1日から翌年3月31日まで」で、つまり3月の何日やらに卒業式で学校を出たとしても、3月31日まではその小学校の小学生なのであります。

 ですので小学校を卒業した方は、3月31日まで子ども運賃で電車・バスに乗れます。そして4月1日からは、中学校入学前でも中学生となりますので、大人運賃になります。

 

 ここで記事を終えるところですけど、一つおまけ。鉄道の近距離区間乗車では、乗車券の有効日数が1日(当日限り)ですけど、JRで長距離の乗車券は有効日数が2日以上となるのもあり、この場合、3月31日までに旅行開始(乗車開始)していれば、4月1日を過ぎても有効期間内であれば最終着駅まで何度でも途中下車できますし、乗り越し精算した場合も、小児運賃で計算されます。

2012/03/22

4月21日・manacaとTOICA相互利用開始・記念カード発売へ

20120322manac  本日の中日新聞朝刊社会面記事からです。来月の4月21日に、名古屋市交通局などのICカード乗車券「manaca」と、JR東海のIC乗車券「TOICA」が、相互に利用が出来ることとなり、その記念カードが各社から発行されるそうで、そのデザインが記事になっていました。

 右の画像はクリックで拡大できます。画像のカード、左がTOICA、右がmanacaで、manacaは名古屋市交通局と名古屋臨海高速鉄道、それと名古屋鉄道と豊橋鉄道で、カード表面は共通ですが、台紙は各社毎に異なっているとの事です。つまり計5種が出るわけで、全て収集する方、いるのでしょうか。

   ◇   ◇   ◇

 さて、このmanacaとTOICAの相互乗り入れは、巷では大きな話題となっていますが、私は今ひとつ、いやそれ以上に関心がありません。パスケースには、名鉄発行のmanacaと、JR西日本のICOCAが入っています。manacaとICOCAが相互利用始まれば、カード所持の在りようが変わりますが、それまでは現状通りですね。それ故、来月の相互利用は関心が無いんです。

 ただ、今でもうっかりやっていますが、JR東海の改札機にmanacaをタッチ(実際には接近です!)すると、今はエラーが返されますが、これからは有効と判断されちゃうんですね。その逆は(ICOCAで名古屋市地下鉄など)は今後もエラー。つまり私の場合は「片乗り入れ」。

 そこで気になったこと。中央本線の鶴舞~金山間をICOCAで乗る事が時々有りまして、金山駅では名鉄に乗り換えますけど、名鉄は名古屋得割30のきっぷ。連絡口の改札機では、先に名鉄のきっぷ(得割30)を入れて、それからJR線乗車用のカードをタッチします。来月以降、うっかり鶴舞駅でmanacaをタッチして、金山駅では同じ手順が踏めるのだろうか。名鉄線内はmanacaでは乗らないという選択です。いずれ分るでしょう。

 ところで、JR東海とで同じ改札口を使う豊橋駅と弥富駅では、名鉄線用に中間改札ならぬ「中間タッチ」する機械が置かれるそうで、そのタッチの有無論理で、経由地を判断するらしい。便利なICカード。便利さ故にその狭間では一手間が増えますね。

2012/03/20

神鉄粟生線・志染駅以遠は昼間1時間毎に・5月ダイヤ改正

 赤字で存続の岐路にある神戸電鉄粟生線。昨日出された神戸電鉄ニュースリリースによれば、本年5月に予定しているダイヤ改正で、粟生線の志染~粟生間で日中一時間間隔になるとのことです。またその件について、神戸新聞でも伝えられています。
→神鉄news release http://www.shintetsu.co.jp/release/2011/120319.pdf
→神戸新聞3/19配信 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004897304.shtml

 昨年末に兵庫県が主導とする新たな支援策について協議が始まり、今年初めにその支援枠組みについて発表がありました。その内容で神戸電鉄に課せられた「人件費抑制、昼間時間帯の列車減便、利用客の少ない駅でのトイレ撤去など」が謳われており、それを実行するためのダイヤ改正ですね。

 改正内容。

  • 昼間時間帯、粟生線に急行列車新設(実際は現行普通列車の格上げ)
    →新開地~粟生間で4分、鈴蘭台~粟生間で2分短縮
  • 昼間の一部時間帯で、一部列車運行見直し
    →志染~粟生間で1時間間隔
    ※急行列車が通過となる藍那、木津駅は30分間隔
  • 最終列車繰り上げ
  • 昼間の時間帯で、鈴蘭台駅において有馬線から粟生線への乗継時間を3~4分に
  • 他、始発終電の変更や、有馬線の列車に一部削減など

 そして新聞記事では、これら削減で平日走行距離が11.9%減り、人件費で数千万円規模の削減が見込まれるとの事。

   ◇   ◇   ◇

Img_0003  急行列車新設はある意味、目玉かもしれません。沿線のアンケートで粟生線の印象に「遅い」が結構あると伺っています。急行運転はそれを受けてのものですが、鈴蘭台駅~志染駅間では昼間も時間4本が確保されますので、現在は全て普通列車の15分間隔に対し、急行列車運転でこの定間隔が崩れますね。

 急行列車の停車駅は、新開地、湊川、鈴蘭台、鈴蘭台西口、西鈴蘭台、木幡以遠各駅です。

 一部列車の見直し。これもマイナスな面での目玉でしょう。現在は時間2本が粟生駅まで、時間2本が小野駅まで行っており、鈴蘭台駅~小野駅間が15分間隔、小野駅~粟生駅間が30分間隔です。これを改正後は急行列車1本が粟生駅まで運行し、普通列車2本と急行列車1本は志染駅止めとなります。このため鈴蘭台駅~志染駅間は急行2本、普通2本。志染駅~粟生駅間が1本となり、一時間に1本、すなわち1時間間隔。(本数はいずれも片道)

 かつては志染駅以遠に4両編成列車が入らない駅があり、新開地駅からの4両・5両編成列車は志染駅で終点。ホーム反対側の3両編成列車に乗換えでした。

 志染駅以遠を1時間間隔とした理由はよく分からないのですが、粟生線の神戸市部分は時間4本を確保しようという意図だったでしょうか。粟生線で折返しが出来る駅は、西鈴蘭台、押部谷、志染、三木、小野駅。緑が丘駅は三木市になりますけど、神戸市との境界ギリギリ。ここまでをカバーしようとすれば、かつての乗り換え駅だった志染駅までを時間4本としたのかな?と個人的に思います。

 しかし、志染駅~小野駅間では今の15分間隔から昼間だけとはいえ、一気に1時間間隔(60分間隔)ですか。思い切った減便ですね。また志染までの区間で、急行運転により15分等間隔が崩れるのは、利用する面で少しマイナスではないかと感じます。

 鈴蘭台駅での有馬線から粟生線への乗り継ぎは、私個人的に朗報です。森林植物園での観察を終え、北鈴蘭台駅から西鈴蘭台駅まで行く時がありますけど、鈴蘭台駅の接続時間がダイヤ上2分、実質1分しかありません。これ知ってて地下道乗換えをすれば間に合いますが、そうでないときは暫し鈴蘭台の空気を吸う事になります。

 

 さて、ダイヤ改正では有馬線・三田線も対象とのことですが、こちらは現行ダイヤをほぼ踏襲するとのことで、数本の削減の他は大きな変化はないとのこと。

 ただ私思うに、有馬線の有馬口駅~有馬温泉間折返しの列車、どうにかならないかと感じています。この区間だけで2編成が充てられており、3両編成が多いですが4両編成も入ることがあり、なにやら勿体ないですね。

 区間内の所要時間から1編成でも間に合いますが、有馬口駅で新開地~三田間列車との接続を確保させるために、有馬温泉駅で列車を換えての2編成運用。この区間は1両編成でも足りるほどですので、1時間に4本、往復で8本、乗るたびに勿体ないと感じています。年間通しで計れば、かなりの数になりますね。

***2012年3月23日追記
 粟生線の広野ゴルフ場前駅には、私鉄どころか今や珍しい「通過信号機」があります。

2012/03/18

東京スカイツリーそばの駅は「とうきょうスカイツリー駅」

 5月に開業する東京スカイツリー、これ東武鉄道業平橋駅の敷地に造られているそうで、だからなのか東京スカイツリーの事業主は、東武タワースカイツリーという会社、そして東武鉄道の出資比率がかなり高いのだそうで。

 その東武鉄道伊勢崎線。スカイツリーの最寄りは業平橋駅なのですが、この業平橋駅の駅名を最寄であることをアピールするために、東京スカイツリー駅と改称させることが昨年発表されました。

 そして今日のラジオで、ダイヤ改正がらみでの話題から、この業平橋駅改め新しい駅名は「とうきょうスカイツリー」駅なのだそうで。「とうきょう」の部分はひらがなで書くのだそうですね。そして伊勢崎線の浅草駅から東武動物公園駅までの区間は、愛称「東武スカイツリーライン」とされたのだそうで。これら初めて知りました。

 東京スカイツリーのそばにある駅は、とうきょうスカイツリー駅。耳で聞く分には変わりが無いですが、目で見ると一瞬「?」ではないかな。恐らく商標権とか登録名とかで使えなかったのでしょう。ならば業平橋駅は「業平橋駅」のままで、復称をつけて「業平橋(とうきょうスカイツリー前)」でいけなかったのだろうか。駅名変更に路線愛称、スカイツリー一押しは分かりますが、一寸やり過ぎではないかというのが正直なところ。

 いささかスカイツリーの名前にアンチな感を抱く私は、まだスカイツリーの実物を見ていないからなのでしょうか。ちなみにスカイツリーそばはもう一つ(二つですね)押上駅がありますね。

 で、やっぱり駅名変更はやりすぎだったのか、復称なのか?「旧業平橋」も添えられているそうですね。ラジオでのお話は、地元からは業平橋駅のままであってほしいと言う声が多かったのだそうです。

 業平橋は在原業平ゆかりの名前で、なかなか粋な名前でした。

2012/03/17

manacaポイント未還元がかなり多いらしい

 昨日のCBCラジオ「多田しげおの朝PON」、エンディングのところで話されていましたが、昨年2月から始まった、鉄道とバスの共通ICカード「manaca」。乗車した分に対してポイントが付きますけど、このポイントが溜まったままカードに移行していない(還元していない)ポイント数が、名古屋市交通局分だけで約6億円に達しているとの話題がありました。

 なにか他に、情報を補うソースは無いものかと検索したものの見つかりませんでした。

 名古屋市交通局分だけで約6億円。大きいですね。無効(失効)になるというのは、2011年2月11日から同年2月28日までの乗車分に対してのポイント。これの還元は今月末が期限で、以降は無効となるものです。

 何度も書いていますが、manacaはそれまでの磁気カードに代わるもので、磁気カードにはあった発売時についているプレミアムが、manacaでは付いていません。暦月の一ヶ月間に乗車した金額に応じて翌月にプレミアム相当のポイントが頂けます。しかしこのポイントは、利用者が自身でポイントをカードに移さねばなりません。ポイント還元操作といいますが、これを知らない方が案外というか、かなりいるらしいです。

 manacaが始まって4ヶ月ほど経った昨年6月。何人か私のまわりのmanaca持っている奴さんにポイントのこと訊いてみたら、一様に「知らん!」。当然ポイントなぞ還元しておらず、「それでは現金分しか乗れないよ」と言ったところ、ある方の答え。
  「manacaってそういうものじゃないの」
  私:「…」

 当然その後、券売機のところへ行き、私のいう通り操作してみぃ!でポイント還元しました。これ6月から7月だけで何人かやりましたけど、その後どうされているのだろうか。そのお一人なぞ、ポイント照会したら、なんと3000円近くも付いていました。よう乗っておられますね。これらから後は推して知るべし、ですね。ポイントのこと頭にない方はかなり多そうです。

 今月末で失効となる6億円は、昨年2月の乗車分。2月は18日間しか使用期間がありませんでしたので、昨年3月になると新たに購入された方も多いでしょうし、来月の4月末で無効となるポイントはもっと多くなるでしょう。それともPRが利いて、グッと減るのかな。車内広告で「還元してますか?」とPRしていますね。

 ところでポイント還元後は、manacaに現金チャージ分とポイント還元分が載ることになります。鉄道とバス乗車は先にポイント還元分から差し引かれますが、このポイント還元分で乗った場合は、新たなポイントは付きません。

 なので毎月毎月還元するよりも、一ヶ月分の乗車金額に近いくらいにポイントを溜めてから一気に還元した方が、ポイント率はよさそうです。

 あと、ポイントがmanacaに還元できるのは、毎月10日からです。昨日のラジオでアシスタントの方が「よくポイント照会してますけど、0でした~」と話されていました。一度還元すると、翌月10日まではポイント照会しても0のままです。

2012/03/13

JR西日本・明石市内のJR神戸線新駅は当面見送り

 本日配信の神戸新聞web版記事からです。JR西日本の山陽本線(愛称JR神戸線)、明石市内の明石駅~西明石駅間で新駅の構想がありますが、明石市は12日、新駅よりも優先事項があり今後の課題、として当面の事業化を見送る方針を明らかにしたとのこと。
→記事:http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004879960.shtml

 2004年にJR西日本から明石市へ新駅設置についてあり、2006年には明石市硯町1丁目を候補地とする新駅設置の覚書を交わし、一日当たり1万7千人の利用者を見込んで、2011年度の開業を目指していました。

 しかし明石市と地元との調整、そして地元では放置自転車等の環境問題、明石市は事業費の市負担分が大きく、2008年度からは棚上げ状態になっていました。この状態打開で2010年度に有識者、地元住民とで研究会を設置。さらに地元から要望がある大久保駅~魚住間の新駅についても論議したところ、いずれもの新駅も賛否が分れ、明石駅~西明石駅間は「今後の課題」、大久保駅~魚住駅間は「将来の課題」とすることで、当分は事業化が行われない事になりました。

   ◇   ◇   ◇

 これ新駅構想が明らかになって以来、さっぱり工事が進んでいなかった、いや着工されていなかったですが、こんな事情があったのですね。

  • JR西日本から新駅提案
  • 自治体負担額は?
  • 地元は環境問題が心配
  • ほな止めとこか

 こんな感じでしょうか。JR西日本は昨秋、東海道本線(愛称:琵琶湖線)の南草津駅~石山駅間(大津市と草津市内)で二駅の新駅を設置したいとの意思があることが伝えられていました。短い駅間で随分強気な構想だなと感じています。その一方で明石市の新駅は、結局はお流れですか。当分は見送るとのことで、何らかの情勢変化が無い限り設置されないでしょう。

 明石駅~西明石駅で新駅が構想されている場所は硯町1丁目で、この両駅間の中間ではなくかなり明石駅寄り。大体、明石駅から3分の1強ほどの地点です。さらにこの新駅予定地付近は、神戸市西区がグッと寄り出しており、仮に新駅が出来た場合は、明らかに新駅への徒歩若しくは自転車での駅勢圏内にはいります。

 新駅を使えそうな範囲の神戸市民人口はそう多くはないでしょうが、今回の事業計画に神戸市からの費用負担など、何か協議の場に加わったのでしょうか。単に明石市だけの議論では設置は難しいとなりそうです。

 その一方で、仮に新駅が出来ても、従来ある明石駅又は西明石駅に利用者は流れましょう。対神戸三ノ宮、対大阪への乗車を考えると、新快速の停まる明石駅の方が魅力的ですし、市中心部での買い物にも便利。西明石駅は新快速も、そして新幹線も使えます。

 それでも明石駅~西明石駅間3.4km。駅の一つもあってもいい距離ですね。今回の事業化見送りは、一寸残念に思うニュースでした。

 参考:明石市webページ http://www.city.akashi.hyogo.jp/doboku/doukei_ka/jr-ns.html

2012/02/27

近鉄名阪ノンストップ特急の津駅停車は運転士交代らしい

 近鉄は来月3月20日でのダイヤ改正で、名古屋~大阪難波間の特急で名阪ノンストップとよばれる列車が、全て三重県の津駅に停車することを、一ヶ月前の弊ブログで書きました。
2012年1月21日付記事

 その記事中、「三重県の県都でもあり、また北勢地方の方にも大阪への利便性・・・」などと書きました。その際に「もしや?」と思ったのですが、あえて書かなかったことで、ノンストップ特急の運転士交代があるのでは?と薄々は感じていました。先日、近鉄の事情に詳しい方と会いましたけど、やっぱり運転士交代の理由もあるらしいとのこと。

 ノンストップ特急は、名古屋市の名古屋駅と大阪市の鶴橋駅を最速で1時間58分で走行しています。この間は看板どおりのノンストップ。運転士さんは生身の人間ですし、社内的にも名古屋線と大阪線の全線を運転担当することは出来ず、途中で交代しています。

 ではどこで代わっているのか?伊勢中川駅の短絡線で、走りながら交代しています。ここ急カーブで制限30km/h。ゆっくりであることと周囲より高いところを線路があるので、特認で運転士が交代するのを認められています。

 それが最近、短絡線のカーブを改良する新しい線路が出来たそうで、いや本当は橋の架け替えによるものだそうですけど、急カーブが緩和され、走行速度が少し高くなる(なった?)らしいですし、そんな動画がyoutubeに上がっています。

 そこで運転士交代。今は時速30kmだったからよかったものの、40km/hとか50km/hでしたらとても走行中の運転士交代は出来ません。そこでこれまで安全上も問題があった走行中の運転士交代を止め、津駅で停車し、そこで運転士の交代をするのでは?という話でした。

 また初めて知ったのですが、名阪ノンストップ特急でも津駅に停車する列車は、この津駅で運転士交代をしているらしいですのね。そして津駅や大和八木駅に停車する列車は「ノンストップ」とは言わないのだそうで。

 現在のノンストップ特急の運転士は、「運転士」だけでなく車掌業務も兼務しています。運転台にいない区間では車掌を務め、兼掌とか言うようなことをその昔、聞いたことがあります。今度3月改正で津駅に停車し、ここで運転士交代となれば、乗務員の乗り組み体制、すなわち運転士と車掌の業務がキッチリ分けられるのかもしれません。

 あまり憶測だけで書いてはいけないですが、半世紀以上続いた名阪ノンストップ特急は、2012年3月で終えることになります。

 

 ところで動画見ていると、アーバンライナーの運転台で運転士交代では、右から左へ流れるように人が替わっていますね。中央に運転台がある構造だから出来るのですけど、その昔、12000系や12200系などの車種ですと、貫通路の左側に運転台がある構造で、どう考えても一度、前の運転士が外してからしか次の運転士が入れず、その間は完全に運転台から人がいなくなってしまっていたのですね。

 名阪ノンストップ特急、12200系の2両編成だった頃、知っています。今は8両編成もあり、しかも増発便もあったりして、隔世の感がします。

2012/02/26

manacaでユリカの乗り越し精算初体験

 名古屋市交通局のユリカ、名鉄のSFパノラマカードなど、磁気のトランパスのカードは今月が使用期限です。今日、そのユリカ最終使用を果たしてきました。そんなことで大げさですね。

 弊ブログでもう一つのブログの方では、ユリカ残り200円と書きましたけど、パスケースを丹念に調べたら、もう一枚ありました、残り220円のカード。そこで思いつきました、このカードで乗り越しをし、不足分をmanacaで支払う時はどんな操作があるのかを一度見たくて。

 地下鉄の場合、manaca開始時に磁気カードの不足分をmanacaで精算できるとの案内がありましたが、有人改札口でのみ取り扱いとあり、ややこしい操作があるだろうからと、駅係員の負担も考え、これまでは避けてきました。でも残り220円のカードが見つかり、係員には悪いですが、最初で最後のユリカ不足分をmanacaで精算をやってみました。

 乗車区間の運賃は260円。ユリカは220円。降車駅の改札口へユリカを差し出しました。係員は親切な方で、こちらもつい余計なことを。「manacaでの精算、一度やってみたかった。最初で最後です。手間かけてごめんね」などと。こんな手順でした。

  1. ユリカの乗車駅を確認
  2. 一旦、乗車駅情報を消去
  3. カード残額を全て引き去る
  4. manacaの現金チャージ分から不足賃を差し引く

 他に確認項目がありましたけど、こんな手順でした。manacaから差し引く際に「40円引きますが良いですか?」と念を押されましたので、3の手順で磁気カードを0円にして次の4は、現金で40円を支払うこともできるようです。でもそんな場合は、普通に乗り越し精算機へ行きますけどね。

 それとmanacaから不足分を引き去る際は、ポイント分からではなく、チャージ分からなのですね。一つ勉強になりましたけど、もうこの先こんなケースは絶対にありませんね。

 とこんな感じで、最初で最後のユリカ不足額のmanaca精算を体験してきました。

 そしてその数時間後、もう一枚の残り200円のユリカでバスに乗り、これで私のユリカは完全に終わりました。

2012/02/25

やっぱり運転室内での喫煙もあった

 2月22日の大阪市営地下鉄御堂筋線梅田駅の倉庫からの火災では、約2時間電車が止まり、その後運転再開しても梅田駅を閉鎖し駅を通過して、さらに周辺地下街も閉鎖され、百貨店の地下階も閉鎖されたのかな?大きな影響がありました。弊ブログでも記事にしております。→こちら

 その後の情報など、讀賣online関西発本日配信記事からです。大阪市交通局は24日、市会の質疑で、地下鉄長堀鶴見緑地線で今年1月、運転士が運転室でタバコを吸っていた事を明らかにしたとのこと。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120225-OYO1T00267.htm

 もう一つ、梅田駅の火災に関して、作業員の喫煙が梅田駅の火災原因と断定されれば、作業員の所属する会社に、指名停止や損害賠償請求を行う方針を決めたとのこと。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120225-OYO1T00417.htm

 長堀鶴見緑地線の件は、乗客が駅員に「車内でタバコの臭いがする」と通報して発覚したとのこと。1月23日午後、長堀鶴見緑地線の大正駅終点に到着し、7分後の折返しの間に運転席で喫煙したとのこと。携帯灰皿を持っていたそうです。

 これ、あります!前記記事を書いた際に、
> どう考えても本職が吸っていたとしか考えられない残留濃度であったり
と書きました。これJR東海のことで、米原駅で留置線から出てきた列車に乗り込むと「煙草臭っ」。しかも何度か。

 米原駅では到着した下り列車は一旦、駅東の留置線に入れ、それから上りホームに入れます。この時間がかなり長く、閉め切った車内であるかもしれませんが、折返し前の列車に乗っていた客が吸った割には、かなり濃度が濃い。そこでどう考えても、留置線で折返し待機中に運転士が一服したとしか考えられないんです。

 そのことJR東海本社所在地の某駅に相談したら、乗務員を擁護するのか「折返しの客が吸ったのでしょうね」と、車内巡回を強化するとのお話だけでした。こちらも証拠を掴んでいる訳ではないので、それ以上は言えませんでしたけど、こうして大阪市営地下鉄の場合ですけど表ざたにしていただけるのですね。タバコのことは中々言いづらいものがあり、駅員が喫煙者ですと、こちらのことを理解していただけないような気がします。

 1月にあったという長堀鶴見緑地線大正駅での喫煙は、折返し中に喫煙していたとあり、ホンの数分のことだったのでしょう。大正駅の折返しは、一度降車ホームから引き上げ線に入って、それから折り返して乗車ホームに据付けます。米原駅のと同じ形態です。

 

 次に、梅田駅火災ではその後色々なことが分りました。そもそもこの倉庫では、ゴミの一時置き場としてはならないのだそうで。私、すっかり清掃した後の一時置き場として使われてるものと理解していましたけど、そもそもがゴミ収集までの一時置き場とすること自体が規定違反だったそうです。

 そして本日配信記事では、火災原因が作業員の喫煙であると断定された場合は、損害賠償を請求するとのことですが、作業員が喫煙したタバコの不始末なのか、収集したゴミにタバコの吸殻が混じりそれから出火したのか、もっと別の原因なのか、これは断定するのが難しいでしょうね。

 業務委託契約では、駅構内での喫煙を禁じ、地上で喫煙する様に求めているそうです。あれ?地上でも結局は道路になり、あの辺りの道路は路上喫煙禁止区域ではなかったかな?
→気になって調べたら、御堂筋の阪神前・阪急前交差点から南が路上喫煙禁止区域で、JR大阪駅周辺は禁止区域ではないようです。

2012/02/23

御堂筋線梅田駅火事はタバコ不始末らしい

 昨日の大阪市営地下鉄御堂筋線梅田駅の火事は、大事にはつながらなかったものの煙が凄く、駅だけでなく地下街は閉鎖されるわ、阪神電車の改札口も一部閉鎖されるわで、あたり一帯は大きな騒ぎになっていたそうですね。地下鉄御堂筋線も約2時間ほど止まり、その後は夕方まで梅田駅通過だったそうです。

 その火事、今日のCBCラジオのニュースやwebの報道でも伝えられていますが、出火原因はタバコの火であるらしいとのこと。讀賣online関西発記事からです。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120223-OYO1T00195.htm

 記事から、大阪市交通局によれば、出火場所とされたホーム端の倉庫は、業務委託している清掃会社が管理し、清掃用具の収納のほか、集めたゴミの一時保管場所として使っていたらしい。

 そして清掃員の説明では、駅構内の控室から空き瓶を持ち出し、倉庫内で瓶を灰皿代わりに喫煙。吸殻を空き瓶に入れ蓋を閉め、清掃作業をしているうちに火災が起きた(煙が出た)と話しているとのこと。倉庫内での喫煙は初めてではなく、一ヶ月前からやっていて、蓋を閉めれば火は消えると思っていたそうです。

   ◇   ◇   ◇

 このタバコの火が出火原因とは断定できず、ゴミに混じっていた吸い殻など何かがが出火原因かもしれませんけど、大きく疑われる内容ですね。そもそもホーム上を含めて駅構内は禁煙です。それは旅客が入らない場所にも及び、当然倉庫内も禁煙であると解すべきです。

 そこでタバコを吸われているのは、やはり業務規律が歪んでいると考えざるを得ませんね。駅係員や列車乗務員はしっかりしています(よね?)けど、出入業者も駅構内で業務に従事する以上、鉄道係員としての規律を正さねばならないと思います。

 

 私、とてもタバコ嫌いです。その嫌い度合い、半端ではありません。高感度煙草成分検出器を備えているほど。人と合ってその呼気でタバコ吸っている人かどうか分かります。数時間以内以内だったら大抵分かりますね。

 時々、本来ならタバコ吸えないハズの所でタバコの臭いがしてくることあります。鉄道車両でもバス車内でも、駅構内でも。よろしくない客が吸っている光景に出くわしますが、どう考えても本職が吸っていたとしか考えられない残留濃度であったりします。

 今でこそ習慣的な喫煙者は減っているそうですが、日本はタバコには寛容な国ですね。こうして火事の原因に結びつきやすいですし、私が超大嫌いですし、止めてもらいたいですね。

2012/02/18

阪急神戸線武庫川橋梁に新駅設置可否の調査・西宮市

 神戸新聞web版2月17日配信社会面記事からです。兵庫県西宮市は2012年度、阪急神戸線の武庫之荘駅(尼崎市)~西宮北口駅(西宮市)間にある武庫川を渡る橋に、新駅設置が可能かどうかを検討するため、当初予算案に初めて調査費50万円を計上したとのことです。

 この両駅間は3.3kmあり、神戸線では最も駅間が長い区間です。また橋のかかる武庫川の東西両側は住宅地が広がっており、西宮市側の地元住民らで2000年、「阪急武庫川駅誘致推進協議会」を結成し、1万人を超える署名を添えた陳情が市議会で採択され、2008年当時の西宮市長が駅設置へ実現に向けて、「阪急と尼崎市と調整を進めて行く」との発言があったものの、その後は進展していない状況です。

 2012年度に西宮市の行う調査は、需要など駅設置実現の可能性を検討するためで、阪急ともう一方の自治体である尼崎市とも協議したいとのこと。阪急も前向きに検討したいとしています。
記事→http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004821904.shtml

   ◇   ◇   ◇

 武庫川橋梁上に駅設置の検討ですか。神戸線の武庫川橋梁は2004年に架け替えられ、今は新しい橋ですが、工事期間短縮なのか全体の工費節約なのか、複線の旧橋梁の両側に単線の橋梁を二本建設し、新橋梁開通後に旧橋梁を撤去しています。そのため上下線の橋梁間隔が異様に広く、完成した際にあれは「新駅設置を予定しているのだ」という話を聞いたことがあります。

 そこに駅を設置する希望があったのはその後に聞いた話なのですが、「武庫川の橋梁上に島式ホームを設置するために上下線間隔を広くとった」というのは、これは全くのデマだと思います。

 武庫川橋梁はここ。川の左、つまり西側は西宮市。東側は尼崎市です。


大きな地図で見る

 しかし新駅ですか。地元住民にとっては利便性この上ない事ですね。ただ橋の中央にホームを造るとなると、町から少し遠くなるでしょうか。橋の長さが200mを超えており、普通列車の駅と仮定すると8両編成列車の長さは160mに満たず、ホームまでのアクセスが長くなりそう。

 この武庫川橋梁、新橋梁では旧橋梁より少し(1.5mくらい?)高い位置に通っています。河川改修に伴うもので、しかし両側の取り付け勾配の開始位置は旧線と変わらずの位置。旧線は直線で30‰(パーミル)の勾配を駆け上がっていましたが、現在はその勾配の途中で左右に軌道が曲がっています。その上さらに勾配がきつくなっているようで、この区間を乗ると「フワッ」とした三半規管酔いの感覚に襲われます。これ何とかならないのだろうかと、神戸線をよく乗る一人のたわ言です。

 ところで、武庫川駅というと阪神電車。同じ武庫川に架かる橋の真上、というより橋の大阪寄りに駅ホームがあります。橋の上とあって冬なんか六甲颪で寒そう・・・。もし阪急神戸線にも武庫川駅が誕生すると、二つの武庫川駅、しかもこの二つがどちらも「橋の上」の駅ですね。

【23時30分追記】
 阪急神戸線に新たに一駅が追加されますと、十三駅のボケネタが使えなくなってしまいます。

  • 神戸線十三駅は、三宮駅から数えて十三番目の駅です!

2012/02/16

名鉄電車・有松駅事故で90分遅れ・その顛末

 この内容はブログ記事にふさわしいのだろうか・・・?、いや体験ということで。本日2月16日は、所用があり知立まで行きました。その帰りのこと。

 簡単な食事を頂き、知立駅まで送ってもらったのが午後6時少し廻ったところ。駅でどの列車に乗ろうかと時刻表を見ると、18時12分急行一宮行き(第1823列車)、18時17分特急岐阜行き(第185列車)。特急は混んで座れないかもしれず、しかし乗ってしまえば先発の急行を追い越すので一宮へは早く着く列車。そこで、18時12分急行一宮行きに座れる場所があれば急行で、さもなくば後続の特急でと決め、ホームへ・・・。

 来た18時12分の急行は、座れる場所がありました。これで約50分間、暫しの電車旅。一宮駅3番線着19時03分です。発車して1分ほど経つと運転室から無線の声がしてきます。まぁ何かあってもJR西日本とは違い、名鉄のコトなので何とかなるだろうと、耳ダンボにすることもなくいました。そこへ豊明駅で停車。通常の停車だと思っていたら、通過駅でした。そこでアナウンス。

  • 「先ほど有松駅で人身事故がありましたので、暫く停車します」

 ありゃりゃりゃ・・・、無線はやっぱり事故だった。「一時間コースかぁ・・・」などと独り言。約5分後に一度は乗る候補にいれた特急の編成が到着。聞こえる駅のアナウンスは「回送です」で、知立駅18時17分発の特急は、知立駅でお客さんを降ろしたようで、回送で豊明駅へ。そして回送で豊橋方面へ出ていきました。

 聞こえてくる無線を纏めると、事故が起きたのは有松駅付近の踏切で、18時11分頃。列車番号から、知立駅17時59分発の急行岐阜行きらしい。この列車は有松駅を通過する列車なので、「人身事故」という限り、列車対人であれば、まぁ・・・(省略)・・・な状況であったでしょう。一時間ではすまなさそうな気がしてきました。

 10分ほどしてドアが開きました。JR東海への振り替えが18時45分からとアナウンス。そして事故発生前に現場を通過した(のか?)上り電車が豊明駅に到着しました。これに乗って一度知立駅へ戻り、刈谷駅からJRへの振り替えも考えましたが、現に座れていますし、開通まで待つことにしました。

 騒がしかった無線も次第に静かな時が現れます。午後7時をまわり、そろそろ一時間。しかしまだ現場検証中らしい。その間に下り列車が4本ぐらいかな、豊明駅に到着して、そして直ぐに折返していきます。いずれも途中駅打ち切りとなったのですけど、私の乗った列車は打ち切りとはならず、座席に座れているのを有難く思わねばなりませんね。

 そして19時半少し前の無線で、現場開通したとのこと。無線は「各列車の割り振りをしています」などと聞こえました。再開後の運転計画を作っているわけですね。

 そしてそして、無線は「1823列車は2021列車で!」。どうやら90分、つまり1時間半後の列車に変身して運転再開するようで、途中駅で放り出される心配も無くなりました!。19時47分、豊明駅ホームのアナウンスが「発車します」でドアを閉め、長く停まっていた豊明駅をやっと発車できました。やれやれ。

 ・・・と同時に、ふと思いました。90分遅れの同じ一宮行き列車ですと、堀田駅で後続の特急を退避するダイヤ。これだけ待たされて、後から来る特急に追い越されるのもつまらない話です。1823列車改め2021列車は走る走る。乗ってる側からすれば90分遅れですが、整理されたダイヤ上ではほぼ定刻。堀田駅ではどうなるのか気になりましたけど、何も通過する列車はなく、2分停車して発車でした。

 ここからはもう普段の姿。名古屋駅では案外乗る人が少なく、振り替えでJRへ行ってしまったのでしょうか。栄生駅と通過する二ツ杁駅で先行列車がつかえたのか、なにやらゆっくりでしたけど、結局名鉄一宮駅へは、ダイヤ上の定刻20時33分から遅れること2分、本来の到着時刻から遅れること1時間32分、20時35分到着しました。

 「お疲れ!」、自分への言葉でした。

2012/02/14

融雪器・ポイントは凍結防止のために温めます

 昨日の中日新聞夕刊社会面の、読者からの声を載せる「ハイ編集局です」のコーナーで、「線路の火なんのため」と題して、刈谷市の方の声が載っていました。タイトルで直ぐにどんな内容か分りましたけど、かいつまんで。

  • 雪の日に知立市内の踏切で停まったところ何か焦げ臭く、線路から火が出ているのが見えた。周りは民家で110番しながら駅の方へ「おーい」と叫んで手を振った。駅には作業員の人がいたけど、手を払う仕草だった。切り替え部分の凍結防止で何か燃やしていたのだろうか。

 最後の部分、正解です。そして中日新聞から名鉄へ問い合わせたのでしょうね。名鉄広報部からの回答。

  • 確認したところ、三河知立駅において「融雪器」を使っていた。早朝から積雪があり分岐器の凍結を防止するため。実際に火を使用するが、安全は保たれる機能がある。理解の程を。

 鉄道の分岐器、英語でポイント、米語ではスイッチですが、列車の進路を切り替えるための装置、レールの幅を薄くし可動する構造で、左右へスライドする事で列車の進路が変えられます。スライドするための支えに板があり、この板と可動レールとが凍ってくっついてしまったり、雪の塊が挟まったりすると進路の切り替えが出来ません。いわゆる「ポイント故障」といわれているもので、場合によってはダイヤに影響します。

 分岐器。

Dscf0031

 レールが動く部分の隙間に雪が入り込んではいけません。そのためにレール全体を温めるために、方法の一つとして下から火を炊いて温めるというもの。これなら降った雪は溶けますし、凍結も起り難くなります。そのための融雪器がこれ。

Dscf0035

 上の画像、丁度レールの真下になる部分に炎の吹き出し口があり、此処に点火して炎がレール面を超えない様に調整します。雪が降る日に鉄道に乗ると、ポイントの所で炎がゆらゆらしているのが見えることがあり、それがこれです。

 本来は必要のない時は片付けておきますが、降雪・凍結の恐れの時は直ぐに対応出来る様に、融雪器を常に備えているのかもしれません。

 この炎が出ている画像を一度撮りたいと思っていますが、近くの一宮駅は名鉄・JRとも電熱器を使っていますし、そもそも高架でポイントに近づけない。尾西線の森上駅で何度か見かけましたけど、なかなか「出かける日 and 雪の日」にならず、カメラに収められないままです。

 この炎が出ている様子を刈谷市在住の中日新聞読者さんが見て、「スワッ火事だ」と驚かれたものですね。

画像は今はなき名鉄美濃町線白金駅で。2005年3月撮影。

2012/02/09

当面存続・神鉄粟生線・兵庫県による支援の詳細を発表

 神戸新聞web版、2月7日及び2月8日配信記事からです。赤字で存廃の分岐路にある神戸電鉄粟生線。昨年末までに関係自治体などで構成する協議会で存続か廃止かを示されるところでしたが、兵庫県の主導で新たな支援の枠組みを協議する事となり、このほどその支援の詳細が発表され、3年後に支援の効果を検証する事となりました。

 つまり、少なくとも3年、支援する5年間は粟生線の運行が続けられることとなりました。
→2月7日付記事http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004799067.shtml
→2月8日付記事http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004801181.shtml

 主な支援策は、

  • 兵庫県と神戸市は2012年度から5年間、神戸電鉄に無利子で40億円を融資し、鉄道設備更新整備費用に充てる
  • 2014年度には粟生線を含む全線の経常黒字化を目指し、支援の効果を検証
  • 利用が低迷すれば、三木市と小野市からも最大1億円を補填する

というもの。兵庫県からの融資約36億円には、三木市と小野市の分も肩代わりしており、この両市は金利分を兵庫県に支払うとのこと。つまり当面はこの両市からは直接神戸電鉄への融資にはなっていないところです。

 そして車両の修繕など安全策に国の制度を活用して、国、兵庫県、沿線三市で年約3億円を補助し、神戸電鉄は、人件費抑制、昼間時間帯の列車減便、利用客の少ない駅でのトイレ撤去などで支出を抑える、とのことです。

   ◇   ◇   ◇

Img_0055  神戸電鉄が提案していたインフラ部分を自治体が買い取り、列車を運行する業務を神戸電鉄が行う上下分離方式は採用されませんでした。

 実は上下分離方式となった例は神戸市にあり、新神戸駅と谷上駅間の二駅だけの路線の北神急行電鉄が、債務増大で線路設備を神戸高速鉄道に売却したというのがあります。

 兵庫県の県土企画局長の話として、「上下分離をしても経営は改善しない」とのコメント。一方で神戸電鉄の常務は「今後も上下分離の必要性について、関係自治体の理解を得るよう努力を続ける」とのこと。交通一般論からは、この上下分離の考えはあってもいいと思いますね。そもそも道路運送は、殆どが道路管理者と運送事業者が違うではありませんか。この考えを鉄道にも応用してもいいと思いますが、鉄道は「私企業」というイメージが強く、日本では今ひとつイメージされませんね。

 ただ神戸電鉄の上下分離提案は、あまりにも神鉄側に都合のいい条件で、一寸受け入れられないものでしょう。

 こうした措置で、少なくとも2012年度の廃止は回避、そして当面は3年間、そして効果を見極められれば5年間は粟生線を続けられることとなりました。

 神戸電鉄の車内には、こんな粟生線利用啓発ポスターが出ていました。

Img_0008

Img_0009

 これら兵庫県からの支援策は、本来1月末までに纏められるものでしたが、なにやら「すったもんだ」があったのでしょうか。一週間も遅れてしまいました。

 ところで気になるもので、「利用者の少ない駅のトイレ撤去」。昼間は列車回数を減らすそうで、これら実行されると、たとえば「駅へ着いたら列車は出て行ったばかりで暫く来ないわ、そしてトイレに行きたくなっても無くなってしまうわ」で、利用者の印象がねぇ・・・。列車回数を減らすのは止むを得なくても、今あるトイレを無くすのはどんなものだろう。再考をお願いしたいですね。

車内中吊広告の画像は、2012年1月7日撮影。

2012/02/07

近鉄特急・名古屋~三宮間運転の構想・近鉄社長

 本日の中日新聞経済面記事からです。共同通信のインタビューで近鉄社長は、近鉄名古屋(名古屋市)~阪神三宮(神戸市)間を直通する特急を導入について検討する考えを明らかにしたとの事です。

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 3年前の2009年3月に開通した阪神電鉄の阪神なんば線は、それまで列車運転の面では関係の無かった阪神と近鉄を結び付けており、三宮~近鉄奈良間を直通する快速急行列車は、私の予想に反して、かなり人気になっています。(阪神沿線の方がミナミへの利用が多いです)

 レールがつながれば当然、いろんな直通について話題に成りますね。阪神を経由すれば山陽電鉄につながりますので、近鉄では伊勢志摩への特急列車を、阪神から、そして山陽電鉄からも運転したいと表明していましたが、名古屋からの列車についてはあまり表ざたにはなっていませんでした。

 近鉄で名古屋市~神戸市間の直通特急について、所要時間では勝負にならないものの、料金面、そして近鉄お得意の車内サービスの面で優位に立てるとの判断。ビジネス客が車内で情報端末を使えるサービスも想定しているとのことです。

 需要予測の上、運転開始時期を見極めるとのこと。

   ◇   ◇   ◇

 さてさて、近鉄名古屋~(阪神)三宮間の特急列車、旅客需要の他に大きな問題が2点。阪神線内のダイヤと、同じく阪神線内での旅客営業規定。

 その1。阪神本線は昼間の場合、10分間隔で特急と普通、20分間隔で快速急行が運転されています。これに近鉄直通の特急を割り込ませると、この10分間隔のパターンが崩れてしまいます。それと三宮駅での発着線容量。三宮駅の折返し用線路は、近鉄奈良直通の快速急行が20分の繰り返しで使用しています。どこで折返しましょうか。

 その2。阪神電鉄は当然ながら有料列車の運転を想定しておらず、特急列車は当然、特急料金不要です。そこへ近鉄の特急列車が走った場合、どんな名前にするのか。そしてどんな料金体制となるのか。そもそも阪神線内だけの近鉄直通特急に乗れるのかどうか、等々。

 でも近鉄~阪神の直通する特急は、なかなか面白いアイデアですね。名古屋市~神戸市間は高速バスも結構ありますので、運転開始したらその話題性でもお客さんは乗ってくると思います。私?私はどうだろう・・・。

2012/02/02

西宮市のビール工場跡地に防災拠点計画・しかし津波想定区域

 今日のABCラジオでの話題と、讀賣online関西発記事からです。西宮市は2日、東海道本線西宮駅近くのアサヒビール西宮工場敷地の一部4.5haを買い取り、災害時において避難場所となる体育館や市立病院、消防署などを新設し防災拠点として整備する構想を発表したとのこと。
記事→http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120202-OYO1T00710.htm

 しかしここは懸念されている東南海・南海地震での津波想定区域。ここに防災拠点を設置する事に讀賣記事の市長の弁によれば「交通の便がいい場所に多目的な防災拠点が必要と判断した」ということだそうです。

 アサヒビール西宮工場は、ビールを生産する工場。灘の生一本に表されるように、綺麗な水が採れるところにビール工場があります。ここが今年8月に工場閉鎖するとの事で、その跡地開発に防災拠点として整備しようかと、昨年から話が持ち上がっていました。

 ただこの場所は、昨年の大震災を教訓に兵庫県が昨年10月に公表した津波被害想定で、東南海・南海地震が発生して1時間50分後から2時間10分後に市臨海部に最大5.2メートルの津波に襲われ、西宮市域の16%が浸水するとの想定が立てられています。

   ◇   ◇  ◇

 このブログ記事を書くきっかけになったのは、もちろん防災拠点として津波想定区域に防災拠点とは如何なものか、ですけどもう一つ、また駅の近くのビール工場がなくなってしまうことです。

 ビール、その製品は瓶詰めで重くて嵩張る物ゆえ、出荷には昔から鉄道を使っていました。ビールの鉄道輸送。昭和40年代に入ると専用貨車もできたほど(ワム80000形の584000など)。そのため駅の近くに工場を作り、専用線(引き込み線)でつながって、各地にビールが出荷されていたものです。

 このアサヒ西宮工場然り、我が地元では東海道本線の清洲駅のキリンビール、中央本線の千種駅のサッポロビール、同じく新守山駅のアサヒビール。東京では山手線恵比寿駅はビール工場のために停車場が設置されたのが始まり。これらの駅からビール出荷のための専用線(引き込み線)で工場につながっていました。

 しかし世は自動車社会。道路の発達ともう一つ、出荷するビールでアルミ缶の割合が増えたこと。ガラス瓶はかなり重いですからね。そのため同じ製品出荷量でも重量が軽く体積も小さくなり、直接輸送目的地に届けられる自動車(トラック)輸送に移行しました。

 アサヒの西宮工場が閉鎖されるの情報に触れ、一寸鉄道貨物輸送の懐古に浸ってしまいました。

 余談ですが、缶などや缶入り飲料の工場の隣には、よく製罐工場があります。生産した缶を直ぐに充填できますからね。大阪府茨木市の東海道本線茨木駅南にはサッポロビール大阪工場がありました。その南、中央環状線・近畿道の南には東洋製罐茨木工場があり、サッポロビールが撤退した今、東洋製罐の工場だけが残っており、今は生産した缶は全て他所まで輸送しているのでしょう。

2012/02/01

manaca一周年キャンペーン・名古屋市交通局と名鉄

 名古屋地区の共通ICカード乗車券「manaca」が登場して、今月11日で丁度一周年になります。そこで名古屋市交通局と名鉄では、一周年キャンペーンが始まりました。

 名古屋市交通局では、manaca(交通局ではなぜか「マナカ」とカタカナ表記)の利用額に応じて、抽選でポイント進呈。対象となるmanacaは名古屋交通開発機構発行のもので、キャンペーン期間は2月1日~2月29日、金額とポイントは以下の通り。

  • A賞 利用額10,000円以上
     10名に10,000ポイント
  • B賞 利用額5,000円以上10,000円未満
     加えてA賞の落選の方 20名に5,000ポイント
  • C賞 利用額3,000円以上5,000円未満
     加えてA賞B賞の落選の方 100名に3,000ポイント
  • D賞 利用額1,000円以上3,000円未満
     加えてA賞B賞C賞の落選の方  500名に1,000ポイント

 利用額とは、名古屋市交通局の地下鉄とバス、それと電子マネー利用額。駅の券売機で乗車券と引き変えた場合と、バスで複数人利用も利用額に入るとのこと。

 次に名鉄。名鉄ではmanacaのポイント進呈などのサービスはなく、電子マネーポイントサービスの名鉄たまルンへ期間中の入会特典程度ですね。あとはmanaca支払い限定の居酒屋ちょい飲みグルメラリーが金山地区であり、これにたまルンのmanacaで支払うと、特別にポイントが進呈されるとのこと。

 

 要するにこれら、私には縁のないものばかりです。交通局でのキャンペーンは対象になりそうですが、実は今、使っているカードは名鉄発行(エムアイシー)のもの。残念ながら対象ではありませんし、少し前に書いた通り、そもそもこの2月は磁気カード使い切り月間で、manacaを使う事はほぼありません。たまルンは「貯まラン」ので、始めから入会していません。

 正直、ミスったな。何かしらの一周年キャンペーンはあると予想すべきだった。私ほどモノのなら。今は使っていない交通局のmanacaにチャージして、マクドなどで使おうかしら。それともビックカメラでなんぞ買い物するとか・・・。

2012/01/30

きのくに線特急は「くろしお」で統一・3月ダイヤ改正で

 つらつら見ていた朝日新聞web版のtravel記事、1月26日配信記事からです。JR西日本紀勢本線(愛称名:きのくに線)の特急列車愛称名を、3月17日ダイヤ改正から「くろしお」に統一するのだそうです。

 現在は「オーシャンアロー」「スーパーくろしお」「くろしお」の三種類で、停車駅と使用される車両の違いで愛称名が違うそうですが、JR西日本和歌山支社の弁として、「全社的に名称をそろえる傾向に合わせた。和歌山方面の特急は『くろしお』のイメージが強い」ということで、きのくに線特急は「くろしお」になるのだそうです。

  ◇   ◇   ◇

 現在、「くろしお」と「スーパーくろしお」には381系が、「オーシャンアロー」には283系電車がそれぞれ宛てられています。283系は、あのブルーの塗装が良いですね。何度か見かけますし、321系の車内広告でもよく登場しています。

 使用されている381系の一部がこの夏にも引退し、新たに287系電車が導入される紀勢本線(きのくに線)ですが、287系は振り子機能は無く、曲線通過速度はこれまでの車両よりも劣ることになります。

 ただ同じ方面の列車でありながら愛称名が違うのは、あまり好ましくないという判断でしょうね。個人的には乗ったことは無いものの、オーシャンアローという響きは気に入っていましたので、一寸残念ですね。さすがに速度が遅い287系電車では、オーシャンアローのイメージではないのかも。

2012/01/28

名鉄知立駅付近立体交差事業の知立市負担額軽減検討

Chiryu  1月25日付中日新聞県内版記事からです。現在工事中の名鉄名古屋本線と三河線の知立駅付近連続立体交差事業で、知立駅が乗り換え駅であることから、知立市の負担分を愛知県が一部負担する措置を検討しているとの事です。

 鉄道の立体交差事業は、都市部での道路と鉄道との平面交差、つまり踏切が、鉄道と道路双方のネックとなり、道路では渋滞を招き円滑な交通に支障があることから、自治体が事業主となり、鉄道を高架化若しくは地下化させて踏切を無くす、というものです。

 そのため事業のメリットは道路側、ひいては地域の自治体側にあることから、事業主は都道府県か政令指定都市で、都市整備計画と一体として実施されるものです。

 事業費、早い話建設費は事業主の自治体側によるものとし、鉄道側も施設が新しくなるというメリットがあることから、7%~15%程度の負担。その残りを国と自治体で負担し、自治体の内訳で都道府県と基礎自治体(市・町・村)が半々ずつの負担と「原則」はなっています。

 知立市の事業、記事によれば総額約615億円で、260億円を愛知県と知立市で半々、つまり知立市の負担額は130億円で、これが年間の一般会計が200億円の市にとって、大きな負担であると、この負担割合を「愛知県2:知立市1」にするよう要望されてきたとのことです。

 今回、知立市の負担額を軽減させる検討に入った理由は、知立駅が名古屋本線と三河線との乗り換え駅で、その乗り換えに必要なスペースや、線路の階が二層式になることから、その費用の分で、広く西三河地方の交通の便に寄与するということだそうです。

 愛知県内の鉄道立体化事業では、これまで一貫して県と市の負担割合を1:1で、今後もこの原則は変えないとの県の担当者の弁。知立市の今回の措置は、特例のようです。

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   ◇   ◇   ◇

 鉄道の連続立体化は、単にそこの地域だけに留まらず、広い地域にも便が及ぶということありますね。知立市の例では、三河線の曲線改良もあり、知立駅は下に名古屋本線、上に三河線のホームが設置され、そのコンコースや一ツ木駅方で名古屋本線と三河線を結ぶ高架部の建設まで知立市に負担させるのは、ちょっと市としては厳しいものがありますね。

 なお鉄道の連続立体化で、鉄道で現行の設備を上回るものが設置される場合、例えば発着線が3線から4線に増えるような場合は、その増分は全額鉄道事業者負担となります。曲線改良が行われる場合もほぼ同様です。

 この知立市の鉄道連続立体化では、名鉄の持ち出し分が新聞記事の数字から推定すると、90億円を超えているようです。現在の知立駅よりも規模が大きくなる分、名鉄の自己負担が増えていますね。

***投稿後1時間経過
 本エントリに早速スパム嵐が来ていますので、すみませんが当分はコメント設定を外します。何かあれば左サイドバー「メールをおくる」でお願いします。

2012/01/26

大阪市柴島浄水場廃止かも・阪急に挟まれた敷地

 讀賣online関西発1月25日配信記事からです。大阪市水道局の柴島(くにじま)浄水場を廃止する意向であると、大阪市長が表明したとのこと。現大阪市長の選挙公約に、大阪市水道局と大阪広域水道企業団を統合させ、浄水場の統廃合なのだそうで、市長の提唱する大阪都と特別区構想に絡むものですね。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120125-OYO1T00755.htm

 この柴島浄水場は2050年度までに(えらく長い話)総額2700億円投入して改修する予定であるところ、市長が代表を務める大阪惟信の会の試算では、柴島浄水場の廃止により、990億円の設備更新、用地売却益320億円の計1310億円の効果額を生み出せるとしているのだそうです。

 柴島浄水場の立地は新大阪駅の東に近く、約50ヘクタールの土地は、新しい街づくりには魅力的な土地なのだそうです。

 大阪市の水道供給能力は、水道局と大阪広域水道企業団あわせて一日476万トンのところ、実際にはこれをかなり下回り、柴島浄水場を廃止しても供給は可能とのこと。しかし柴島浄水場を廃止した場合、上水の経路が変わる事から、連絡管の建設が必要という。

大きな地図で見る

   ◇   ◇   ◇

 さて、この柴島浄水場。ブログ記事にしようとしたのは、ここが阪急電鉄京都線と千里線に挟まれた位置関係になっていることです。そして阪急淡路駅付近連続立体交差事業で、浄水場を挟む区間も高架化され、既に工事が始まっています。

 原則、鉄道の立体化では原線路の位置と同じところで高架若しくは地下トンネルが造られます。仮に柴島浄水場が廃止になった場合、跡地は多分、新大阪東ビッグプロジェクトとかで街づくりが行われましょうね。

 仮にその暁となった際に両側を阪急の高架が通っているのは、なんともアンバランスな感じを想像しました。今さごろ、設計変更は出来ないでしょうけどもし可能でしたら、柴島浄水場跡地開発と阪急千里線の曲線改良と線路移動が出来ないものでしょうか。

 淡路駅で発車する梅田行き電車から千里線を見ると、思いっきり左へ曲がって行きます。あのままアノ方向かと思いきや、今度は直ぐに右に急カーブ。そして浄水場を挟んで京都線と並行になります。あのカーブは高架化後も若干緩和されるようですが残るらしいです。

 もっと早く柴島浄水場廃止が出ていれば、これと組み合わせた阪急の立体交差事業が行われたのかな?と思いますね。再開発地の最寄駅が、柴島駅と崇禅寺駅と分れるのも、なんとも残念です。(まだ再開発決まったわけではないですが・・・)

   ※   ※   ※

 ところで、大阪市水道局の浄水場は三ヶ所。柴島、庭窪、豊野。柴島浄水場の大阪市東淀川区の他は、庭窪浄水場が守口市、豊野浄水場が寝屋川市で、仮に柴島浄水場が廃止されると、大阪市の浄水場は全て市外に位置する事になりますね。

 余談ですが、庭窪浄水場のすぐ近くに、地下鉄谷町線大日駅があります。大阪市の地下鉄がここまで延びたのは、浄水場があることの関連らしいですね。

***1月28日
 スパムコメントが激しい記事について、当分の間、コメント停止措置をとりました。

2012/01/24

JR西日本の痴漢被害は9割が快速と新快速に集中・兵庫県警

 神戸新聞web版1月23日付配信記事からです。兵庫県警が昨年の鉄道での痴漢被害相談をまとめたところ、JR西日本の快速や快速電車に集中していることが分かったそうです。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004764416.shtml

 2011年の相談受理件数は計137件で、そのうちの電車内の被害は113件。さらにその内訳でJR西日本が77件で、阪急12件や阪神9件を大きく上回っているとのこと。そしてJR西日本の路線別で、JR神戸線63件、JR宝塚線9件、播但線4件、加古川線1件。そしてJR西日本では女性専用車の無い列車での相談が71件で、快速や新快速電車での被害が集中しているのだそうです。

 そこで兵庫県警として昨年10月、JR西日本に女性専用車の運用拡大を申し入れたのに対して、JR西日本からは、編成が多々あり運用上、現時点では拡大は難しいとの回答であったという。

   ◇   ◇   ◇

 このニュースは、昨日のYahoo!トピックにも載っていましたが、資料の元が兵庫県警。つまりJR西日本の近畿地区全体ではないことですね。それでもJR神戸線の相談件数が突出しているのは、利用者数に加えて、快速と新快速電車は全て女性専用車の連結がないからでしょうか。

 実際のところ、快速と新快速に女性専用車の導入は困難でしょう。全くムリではないですけど。新快速。現在は8両か12両で運用されています(定期では)。その編成も、12両であれば「4+8」「8+4」、8両であれば「8」「4+4」の編成パターン。数字は固定編成の連結車両数です。そしてホーム上で女性専用車の位置を明確に示さねばならず、8両と12両ではそもそも停止位置が異なり、案内が出来なくなります。

 新快速で強いて導入するとすれば、4両組成編成では仮に1号車を、8両組成編成では1号車と5号車を専用車に指定し、これを連結すると1・5・9号車が女性専用車になります。そして各駅の停止位置を8両編成でも12両編成でもホームのどちらか一方の端に寄せれば、女性専用車の位置は一定します。

 でも快速をどうするか、です。快速は現在、6両、8両、10両、12両で運転されており、編成も6両編成「6」、8両編成「4+4」「8」、10両編成「4+6」「6+4」、12両編成「4+8」「8+4」「6+6」のこれだけのパターン。快速には6両組成編成があり、もし無理やり導入するとすれば、最大公約数で各編成奇数号車を女性専用車にするしかありません。

 ここは発想を変えて、多種多様な編成で運転するのではなく、例えば基本8両付属4両で運転し、各駅の停止位置も基本編成の位置に合わせれば、快速と新快速の女性専用車導入も可能にはなりますが、短い基本編成だけで駅舎や階段の位置から離れたところに停めるのも非現実的です。なお普通電車は7両編成で一定し、既に女性専用車が導入されています。

 そもそも痴漢犯罪の無い、健全な社会を目指すべきでしょうけどね。痴漢は当のJR西日本も問題を深刻に捉えていると以前、別の話で伺った際に聞きました。

2012/01/21

名阪ノンストップ特急が津駅に停車・近鉄・阪神・阪急ダイヤ改正

 阪急阪神ホールディングスニュースリリースからです。近鉄の名阪ノンストップと表題つけているのに、阪急阪神HDからとはこれいかに?

 阪急阪神HDのニュースリリースで、阪急電鉄神戸線のダイヤ一部変更と、阪神電鉄全線のダイヤ改正が実施されると発表がありました。その阪神のダイヤ改正で、近鉄もほぼ全線でダイヤ改正があるとの事で、近鉄からもニュースリリースが出ていました。ダイヤ改正としては近鉄は大規模な印象です。実施日は各社とも2012年3月20日。

 この各社ダイヤ改正で個人的に最大の関心事は、近鉄の名阪特急のうち、基本は名古屋駅~鶴橋駅間無停車の名阪ノンストップ特急が、全ての列車が名古屋線の津駅に停車することになりました。

 こうした両都市間を途中無停車で結ぶ「看板列車」は、旅客の動向や経営方針なのか、いまや途中都市駅での停車が増えています。名阪間と距離は大きく違いますが、京阪間の阪急京都線と京阪京阪本線も、かつての特急は京阪間ノンストップでした。ノンストップ駅間の時間が30分を超え、落ち着いた車内が良かった思い出があります。

 名阪ノンストップ特急、今は名古屋~鶴橋間無停車なのは昼間の列車ぐらいで、時間帯によって大阪線の大和八木駅、名古屋線の津駅、若しくはこの両駅に停まっています。それを終日津駅に停車するわけで、津市は三重県の県都でもあり、大阪方面の特急乗車チャンス、それと四日市駅などに停車する特急と接続関係にあるとのことで、これら北勢地方の方にもノンストップ特急、別の言い方すれば「アーバンライナー」に乗っていただこうということでしょうね。

   ※   ※   ※

 他の改正点で、近鉄は全線規模で変化があるので、全ては書ききれず。目立ったものとしては名古屋線で昼間、近鉄名古屋~近鉄四日市間で急行上下12本を増発。それと大阪線で昼間時間帯に区間準急平日44本、土休日49本を新設とのこと。この大阪線区間準急は、純粋な新設なのか、他の列車からの変更なのかはよく分かりません。区間準急停車駅は、鶴橋、布施、近鉄八尾以東の各駅、です。

 阪神は阪神なんば線の快速急行で昼間、旧西大阪線部分で各駅停車となっているのを通過となり、所要時間を5分短縮。そのため阪神本線部分も5分走行時間帯が変わることとなるスジ立てが変わることになるのでしょう。快速急行の通過駅設定で難波~近鉄奈良間の区間準急が尼崎発着になります。

 土曜休日の三宮発近鉄奈良行き列車のうち、初発から3列車を新開地駅始発になります。この列車は恐らくは阪神車両による列車で、いわゆる「運用の都合」でしょうか。

 そしてダイヤ改正で一番最初に目にした阪急神戸線。こちらは阪神のダイヤ改正で神戸高速線のダイヤが変わるのに伴う変更で、高速神戸駅発着の一部列車が新開地駅発着に延長となる変更だけで、神戸線内の時刻変更は無いとのことです。

 このダイヤ改正実施日、2012年3月20日から、現在工事中である阪神電鉄の三宮駅東改札口が使用開始されるとのこと。ミント神戸の南からポートライナーの真下にかけて東改札口のコンコースが設けられます。

2012/01/20

ユリカやSFパノラマカードが使えなくなる前に

Card  今回の記事、いささかセコい話です。昨年2月11日、名古屋地区の交通ICカードmanaca(マナカ)が登場しました。同時に磁気のユリカカードやSFパノラマカード、いわゆる「トランパス」のカードは発売停止となり、一年間の切り替え期間を経て、今年2月29日をもってトランパスカードの使用は停止となります。

 その使用停止まであと一ヶ月半。いや「半」もなくなりましたねぇ。ふと気付くと未使用・使用中の磁気カードが7枚、使用できる金額がまだ約4000円もありました。この4000円を向う40日で使いきらねばならない。溜め込んだなぁ。あれ?これも「溜めた」というのだろうか?

 そこで考えました。2月はトランパス消費集中月間。しかし2月だけで4000円はムリなので、この1月の乗車でmanacaのポイント付与が期待できる分はmanacaで、名鉄バスなどポイントが期待出来ない乗車はトランパスを使って、少しでも残額を減らしています。

 そして2月の乗車は全てトランパス。トランパスの残額が無くなったら、manacaのポイント還元で乗車しようと考えましたけど、manacaの未還元ポイントもかなり溜まっているでしょうから2月中での使い切りは到底ムリ。一寸計画性がなかったな。

 還元されたポイントは3月に持ち越しになること確実。ポイントでの乗車には新たなポイントは付かないんです。そこでポイント還元はもう少し先に延ばして、どこかでポイント還元分乗車月間を設けた方が良さそうでもあります。

 ・・・とまぁこの先、どういう乗車をしようか、あれやこれや考えていま・・・すけど、セコい話やなぁ、私。

   ◇   ◇   ◇

 2月29日でトランパスのカードが使えなくなると同時に、名鉄で現在発売中の回数券(普通・時差・土日)の発売も終わります。

2012/01/11

2005年福知山線脱線事故で判決

 今日午前のCBCラジオで速報が流されました。2005年4月25日、JR西日本の福知山線(愛称:JR宝塚線)尼崎駅~塚口駅間で発生した速度超過による電車脱線事故で、JR西日本の患部として一人だけ起訴された前のJR西社長に無罪判決が言い渡されました。

 直接事故にかかわったわけでは無く、経営上の判断として誤った部分があるとして公訴の提起に至った点はわかりますが、私が思うにそれを当時の鉄道事業本部長であった、後に社長となった氏一人としたのはどだい無理があると考えます。

 それ故、本日の無罪判決は、Y氏個人に対しては妥当な判決でしょう。

 しかしこの事故で明らかになったのは、ゆがんだ社内体質。細かい事は書きませんが、日勤教育とか「I天皇」とか、国鉄時代とはまた違った「一寸ヘン」な事が行われているのを知りました。

 その精神的な抑圧で事故当該列車の運転士が気をとられていた、というのが事故の原因だそうですが、それに至る社内体質まで踏み込めなかったのは残念です。しかしそれは現在の刑事訴訟としては無理でしょう。今の刑事訴訟では直接の当事者かその後背にいるものだけで、複雑に入り組んだ関係性による責任までは負えない、いや追及しにくいところがあります。

 それがあの耐震強度不足マンションの件。設計士、販売社、そして入居者。それぞれの違った思惑が欠陥マンションを生み出したわけですが、設計士と欠陥と知って販売した会社の責任だけで、それぞれの思惑が交錯する部分は追求できませんでした。

 あの脱線事故も根本的な面では何処かに責任があるはずです。しかしそれは一ヶ所(一人)にではありません。装置産業の装置たる所以で、むずかしいところでうす。

2012/01/05

あおなみ線・本気でSLを走らせるらしい・試験運行へ

 今日のYahoo!Japanトピックにあった、毎日新聞配信記事からです。名古屋市のあおなみ線(名古屋臨海高速鉄道)で2012年度、SL(蒸気機関車)を試しに走らせてみる「試験運行」に向けて最終調整に入ったとのこと。2012年度当初予算案に関連経費数千万円を盛り込む。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120105k0000m040085000c.html

 これは昨年、弊ブログで書いた「あおなみ線にSLを走らせよう」という、名古屋市長の河村さんの発言が、あれよあれよと具体化し、現在は影響評価をコンサルティングに調査させている段階までとなっており、その課程で実際にSLを走らせ、軌道負担力(強度)と煤煙の問題の他にも問題点を明らかとし、それをクリアさせるということだそうです。
→2011年7月2日弊ブログ記事:http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/07/sl_5216.html

 あおなみ線は荒子駅までは、将来は名古屋南方貨物線となるはずだった線路で、現在でも名古屋貨物ターミナルへ入る貨物列車が通り、重量の大きい電気機関車が入線する前提で造られていますが、以南は電車列車を前提とした設計で、軌道負担力が足りない状況です。

 そのため試験SL運行では、名古屋駅~中島駅間5.9kmとなる見通しとのこと。中島駅では折返しが出来ないので、荒子駅手前の分岐で、名古屋貨物ターミナル駅の中へ入って行くのでしょう。そしてあおなみ線中島駅の横辺りまで走ってみる計画と読みました。

 そしてSL。JR西日本から借り受けを検討。車両形式はC56かC57。C56は簡易線仕様で、軸重制限の厳しい線路でも走れます。C57は大形旅客用で、あおなみ線全線の走行は無理でしょうね。C56は米原駅から北陸本線を「SL北びわこ号」で。C57は山口線で走っている「SLやまぐち号」の機関車です。

 そして煤煙対策では、煙が出にくい無煙炭を使用するとのこと。これ少し私から補足があり、元来良質な石炭は煙は少ないんです。よく蒸気機関車の煙突からモクモク煙をはく映像がありますけど、あれは上り坂であったり、石炭の燃やし方が悪かったり、そしてこれが大きいですが品質が良くない石炭であったりします。ですので、夏場は殆ど煙が見えず、冬は排出する水蒸気が凝縮して湯気だけが見えたりするもので、良い石炭ですと、撮影組(撮り鉄)からは評判が良くなかったりしました。

   ◇   ◇   ◇

 しかし本当に走らせるんですね。昨年の拙稿記事の通り、あおなみ線にSLを走らせるのは懐疑的な見方ですけど、試験走行だったら、止むをえませんね。15分間隔のあおなみ線電車のダイヤを乱さないように願いたいです。

 そのSL試験運行は、2012年度ですが、琵琶湖でも山口県でもSLが走らない、2013年1~2月ごろの最大10日程度となるらしいです。

2012/01/04

山手線と京浜東北線・田町~品川間に新駅設置

 本日のYahoo!Japanトピックに掲載されたニュース、讀賣新聞配信記事からです。記事の見出しそのままに書くとJR東日本の「山手線、40年ぶりに新駅…品川―田町間」だそうです。40年ぶりの新駅とは、1971年(昭和46年)の西日暮里駅以来ですね。

 新駅が予定されている田町~品川間は、駅間距離が2.2kmと長いです。103系時代ではモーターの音高らかに走ったものです・・・と書くと古いでしょうか。

 この田町駅~品川駅間には、車両基地の田町車両センターがあり、これが将来さらに縮小され、この跡地は外資系企業の誘致を図る国の「国際戦略総合特区」に指定され再開発されるとのこと。そして新駅は同エリアの利便性を高める要となるということです。

 2013年に新駅を含む周辺の再開発工事の着工を目指すとのこと。

 新駅予定地は品川駅から北へ約1kmだそうで、大体この辺りですね。

大きな地図で見る

 記事と添付写真によれば、この田町車両センターの跡地は再開発エリアになるとのことで、大幅に線路が移設されます。現在、第一京浜道路に近いところを通る山手線と京浜東北線、それに東海道本線の上り線路を東海道新幹線沿いに移設し、移設した線路上に新駅を設置するようです。

 田町車両センターは、前身が東京機関区、品川客車区、田町電車区で、主に東海道本線を西へ向う中長距離列車の車両基地として機能して来ました。しかし現在は夜行のブルートレインの客車列車は全廃、それに伴い機関車の配置も大幅に縮小で、今は伊豆方面の特急用や、東海道本線(湘南電車)用の車両などが配属されています。

 その東海道本線も2013年には、東京駅から更に北へ、東北本線と高崎線を相互直通運転する予定で、東京駅始発終着の列車が大きく減る見込みで、この田町車両センターの役割も減り、これにより空いたスペースを「国際戦略総合特区」として再開発し、その最寄駅が新駅となるとのこと。

 「国際戦略総合特区」は、ここで働く外国人の入国審査などに関する規制を緩和し、東京都は特区内の企業の法人事業税の減免などで外資系企業の誘致を図っていくとのこと。そうなのですか、ここでは外国人の入国審査が緩和されると言う事は、ここから一歩外へ出るには改めて審査がいるのでしょうか。ということは、我々日本人もこの特区に入るには、何らかの審査が必要なのかな。そんなこと考えてしまいました。

 なお、山手線と京浜東北線、それに東海道本線の北行き(東京行き)線路を移設すると、必然的に品川駅ホームの大改造が伴います。東海道本線の上下線に挟まれた田町車両センターの出入庫がしやすいように、山手線と京浜東北線、東海道本線上りホームと、東海道本線下りホームとがYの字に離れています。これを並行にするみたいで、大きな工事になりそうですね。

***1月5日午前追記
 この新駅について昨晩、NHKラジオのニュースでも伝えられたほか、先ほど名古屋のCBCラジオ10時台のニュースでも伝えられました。気になるのは、一様に「山手線に新駅が・・・」との伝え方。記事読むと山手線電車だけでなく京浜東北線電車も停まるようで、何故に新駅設置が「山手線」ばかり強調するのか、気になります。

 私は東京から遠ざかっていますけど、この区間は山手線の方が分りやすい(通りがいい)のでしょうか。ちなみに正式な線路名称では「東海道本線」です。

2011/12/29

神戸電鉄粟生線・兵庫県主導の支援検討に・存廃結論出ず

 神戸新聞web版からです。弊ブログで何度か書いている、赤字で存続の推移が危ぶまれている神戸電鉄粟生線。関係自治体などで構成する粟生線存続戦略会議の最終会合が28日開催され、結果が注目されていました。しかし存廃についての結論は出ず、兵庫県の主導で新たな支援の枠組みを協議し、来年1月末までに結論を出すことになったとのことです。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004711899.shtml

Img_0055  これまでの動きで、今年になって神戸電鉄は上下分離案を提案し、線路などの地上設備の買い取りを沿線自治体に求めました。しかし自治体側はこれを拒否しており、国からの粟生線活性協議会への補助金が打ち切られることとなっており、2011年末までに粟生線存続するか廃止するか方向性を示すとされていました。

 結局のところ、存続か廃止かの結論は出せず、線路設備などのいわゆる「インフラ」の自治体買い取りはせず、新たに兵庫県が主導する新たな協議を発足させ、そこで粟生線支援策を検討することで、会議を終えたとのことです。

 兵庫県の支援策は、2017年度までに粟生線を含む全線(つまり有馬線なども?)を経常黒字とするを目標として、駅や線路などの大規模修繕や数十億円の無利子貸し付けなどを行い、神鉄に役員給与や人員の削減などの自助努力を求め、引き続き阪急阪神ホールディングスに支援を要請することとしたとのこと。神戸市は支援に対する態度を保留したそうです。

 新聞記事そのままに引用すると、

  • 三木市の薮本市長は「存続に向けて一つの方向が見いだせた。廃止の危機は脱した」と評価。県は「支援策をまとめる方向で最大限努力したい」とした

とのことで、よく分からない結論なのではありますが、廃止は一歩踏みとどまった方向のようです。来年1月(つまり一ヶ月先)には新たな支援の枠組みに対する結論が出るとのことで、その支援枠組みには、兵庫県主導の新たな協議会には加わらない阪急阪神ホールディングスからの支援も要請されており、どんな結果となるのか、粟生線沿線から兵庫県と阪急阪神HDという一つスケールの大きな組織の意向如何となりました。

***2012年2月9日追記
 兵庫県からの粟生線支援策がやっと発表されました。向う5年間は粟生線存続はほぼ固いです。
弊ブログ記事:http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/02/post_1fd0.html

2011/12/25

豊川稲荷さんでも名鉄とJR東海の初詣客争奪戦

 12月23日の朝日新聞web版travel記事からです。新春の豊川稲荷さん初詣で、JR東海でも割引切符を発売し、豊川さんへの初詣は古参の名鉄に挑むという記事がありました。
http://www.asahi.com/travel/news/NGY201112220015.html

 名鉄ではここ数年は、名鉄沿線の神社仏閣への初詣へは、全線フリー切符に置き換え、個々の初詣で割引切符の発売は止めておりました。しかし今年・・・つまり一年前・・・は数年ぶりに豊川稲荷さん対象の初詣切符を発売し、その特典に昨今有名らしい豊川の「いなり寿司」を付けたところ、これがとても好評だったそうです。

 名鉄では今年(というか来年ですね)もこの特典付き割引切符を発売するそうで、そこへ新たにJR東海でも、お稲荷さんを頂ける割引切符を発売するのだそうです。

 JR東海の割引切符の内容は、PRが下手で詳しくは分からないのですが、朝日記事によれば切符の名称は「初旅フリーきっぷ」、有効範囲は名古屋発着が名古屋~湯谷温泉間、浜松発着は浜松~湯谷温泉間のそれぞれ在来線で乗り降り自由となるフリー切符とのこと。そして発売額は名古屋発着が2000円、浜松発着が1300円。有効期間は2012年1月と2月の毎日。有効日数は1日。

 そして特典は、いなり寿司やおせんべいなどを豊川稲荷前のお店で引き換え券との引き換えで頂ける。そしてちょいと足を延ばし、鳳来寺山東麓にある湯谷温泉の旅館二軒で、特別料金500円でお風呂に入れるという、これは名鉄には出来ない特典があります。ですので、切符の有効範囲が湯谷温泉駅までですね。

 朝日記事では、今年の1月に名鉄のお稲荷さん付き初詣切符を発売したところ、JR東海の人が豊川市観光協会を訪ねてきたらしい。「来年はウチでも扱いたい」と強力を依頼してきたそうです。名鉄へのライバル心からですね。

   ◇   ◇   ◇

 しかしJR東海のこの切符、一寸戦力が弱いのかな。名鉄が台頭していたこの地域の交通ですが、1990年代から逆転しかかっていますね。でも豊川さんへ名古屋からは豊橋駅乗換えで、JR東海で行くには遠いイメージです。これは国府駅乗り換えの名鉄も同じですけど、昔から培われた印象と、一応直通の急行がありますので、どちらかと言えば名鉄です。

 そこで、です、この初旅フリーきっぷ、名古屋発着は新幹線も有効にしたらとても強力でした。なにしろJR東海には新幹線という飛び道具がありますからね。名古屋~豊橋間の割引切符でもこの新幹線の存在が無ければ、ここまでJR東海の躍進は無かったと思います。

 JRというところは、割引切符を発売すると、どうしてもいろいろと制約を付けるクセがありますね。新幹線使って頂いていいではないですか。もちろん950円の特定特急料金は別途お支払い頂きます。「初旅フリーきっぷ」を買った人が全て特急料金払って新幹線に乗るとは思えず、実際に乗るかどうかは別として、「乗れない」というのは結構気になるものなのです。

 

 かつて名鉄の豊川稲荷初詣輸送は、かつてはそれは大掛りなものでした。毎年1月1日から旧の正月までの期間中は、名鉄東部線(名古屋本線の神宮前以東)はダイヤほぼ全面改訂。豊川稲荷直通の座席指定特急が多数運転され、豊橋発着の「高速(高速急行)」は急行に格下げでした。所要時間も長くなっていました。

 これが1990年の特急に一般席車を連結した次の正月から急に縮小されていきました。ダイヤがタイトになり、豊橋発着の特急に正月ダイヤでも国府駅を通過するものが現れ、そして正月ダイヤそのものが編成されなくなって、21世紀の今日となりました。

 この話、書きだすと長くなりますので、このヘンで。(ここまでも長い)

2011/12/21

JR西日本・尼崎駅の乗換えが楽になるかも・改良工事へ

 昨日の神戸新聞記事、及びJR西日本のプレスリリースによれば、JR西日本の東海道本線(愛称JR神戸線)など三線が集中し、乗換えが多い尼崎駅のコンコースと階段を増設するなどの駅舎改良を行うそうです。

 現在の駅舎とコンコース、階段は、駅ホーム全体の西よりに位置し、しかも階段はあの乗り換え駅にしては狭く、かなり込み合う様子が見られます。そこで現在の南北自由通路の東側(大阪側)に、改札口とコンコースを設け、駅ホームの大阪側に下りる階段が設置され、乗り換えのルートが増える事になります。更に拡張部分には売店も設置し、線路上空間の有効利用を図ります。

  ◇   ◇   ◇

 現在の尼崎駅は、JR神戸線とJR宝塚線、それにJR東西線が集まり、宝塚方面と神戸方面の乗り換えと、新快速とJR宝塚線又はJR東西線との乗り換えは、ホームを換えての乗換えです。当然ながら一時に集中し、しかも上に書いた様にホームの西側に階段が寄っていますので、えらい混雑。

 下りで12両編成の最後部やそれに近い車両に乗ると、階段まで遠い遠い。逆に上りでの12両編成で最前部に乗ると、これも遠い遠い。南北自由通路から東を見ると眼下にホームが延びて、あそこに乗り換え通路があればどんなに便利と思ったものです。それがようやく現実化するわけですね。

 もう一つ階段が込み合う理由は、コンコースとを結ぶ階段で大阪側の階段は、上りエスカレータが設置されていて、階段部分がその分狭くなっているんです。

 工事は来年5月頃に着工し、2015年春頃に使用開始したいとのこと。

 

 ところで、JR西日本の改良イメージ図によれば、4つあるホームは、1番線(1番乗り場)と2番線(2番乗り場)の1号ホームから順に北へ2号、3号、4号ホームというのですね。

 もう一つ、南北自由通路の窓から、8月の淀川花火大会の花火がよく見えます。音がかなり遅れるところが面白いです。

2011/12/17

夜行急行「きたぐに」号も廃止・2012年3月ダイヤ改正で

 12月16日、JR西日本の社長定例会見がJR西日本webページに掲載されました。2011年を振り返る内容に始まり、2012年ダイヤ改正の内容にも触れられています。

 2012年春ダイヤ改正は、実施日を2012年3月17日(土)と発表されました。既に報道で伝えられている日本海縦貫線の寝台列車による特急「日本海」号の廃止(→弊ブログ記事にしました)のほか、同じく夜行で大阪駅~新潟駅間列車の急行「きたぐに」号も列車廃止と発表され、特急「日本海」号、急行「きたぐに」号共々、今後は多客期の臨時列車として運転する予定とのことです。

   ◇   ◇   ◇

 そうか、やっぱり「きたぐに」号も廃止なのですね。「きたぐに」というとやっぱり北陸トンネル列車火災事故を思い出します。当時は私、子供。そして時刻表に親しみ始めた頃。きたぐに号は今は新潟駅止めの583系電車ですが、当時は寝台車も連結した青森駅発着の客車列車。オシ17形から出火したので、食堂車の厨房部分が火元と疑われましたが、後に出火場所は配電盤であることがわかりました。しかし原因が分かるよりも食堂車を外す動きは早く、全国の夜行急行列車から食堂車が無くなってしまいました。

 「きたぐに」の廃止の理由は、まぁそうですよね。利用者減と充当車両である583系の老朽化でしょうか。向日町の操車場で583を見ますけど、たしかにくたびれています。それと駅の改札要員削減もあると思います。

 この急行「きたぐに」号。意外な使われ方をしているそうで、上り(大阪行き)は、早朝と言うか未明の北陸本線の駅から、関西空港へ向かう方が乗られているとのこと。大津駅若しくは京都駅で後続の関西空港行き特急「はるか」に乗り換えができて、それなりに人気があるそうです。

 急行「きたぐに」は、いわゆる「きたぐに問題」にかかわる列車ですね。細かいことは書きませんが、乗車経路のややこしい問題が一つ無くなります。まぁそんな乗り方なさる方は実際には少ないと思いますが。

 しかし、特急「日本海」号と急行「きたぐに」号、共に一気に廃止ですか。思い切ったことをするものですね。時代の流れといえばそれまでですが、どの幹線筋でも夜行列車が走っていた時代を知る者にとっては、やっぱり寂しい想いです。

***
この投稿記事、スパムコメントが多く、当面はコメント禁止設定にしました。

2011/12/15

名鉄・回数券廃止で特殊割引回数券・回数きっぷ10発売へ

 名鉄(名古屋鉄道)は今年2月11日のIC乗車券カード「manaca」導入で、回数乗車券の発売を来年2月29日をもって発売終了するとアナウンスされています。manaca発売と入れ替わりに発売終了となった磁気カードの「SFパノラマカード」も、同日には使用終了となり、一気の切り替えで利用者の中には些かの戸惑いを感じておられる方もいます。

 回数券的な利用で後継となるのがmanacaの位置付けでもありますが、定期券利用ではない障害者の救済措置が無いほか、ICカードでの乗車が出来ない広見線末端と蒲郡線では、定期券でない限り、この種の回数割引的なものが完全に無くなるので、地元では大いなる不満があると伺っています。

 そこで名古屋鉄道では、「特殊割引回数券」と「回数きっぷ10」を発売する事になり、回数乗車券発売終了の翌日、2012年3月1日から発売されるそうです。

 特殊割引回数券の内容

  • 通学用割引回数券
    ・・・1組11枚セットで大人片道普通旅客運賃を10倍の5割引と2割引の2種類
  • 身体障害者割引回数券
    ・・・1組11枚セットで大人または小児の片道普通旅客運賃を10倍の5割引
  • 知的障害者割引回数券
    ・・・上に同じ

 通学用割引回数券は、いわゆる指定学校への通学用で、割引の違いは、小・中・高の違いでしょうか。発売要件は係員に尋ねよ、とのことです。身体・知的障害者割引回数券は、名古屋市交通局での障害者用のmanacaにあたるものでしょうか。名古屋市交通局の障害者割引用manacaでは、名鉄線などには乗れないと伺っており、名鉄線での障害者割引措置だと思います。有効期間はいずれも三箇月。

 そしてmanacaが使えない、広見線末端区間と蒲郡線の回数券代替に、「回数きっぷ10」が設定される事になりました。「10」は「テン」と読むらしい。よみうりテレビの番組かいな。

  • 蒲郡線回数きっぷ10・・・吉良吉田~蒲郡間各駅相互間
  • 広見線回数きっぷ10・・・新可児~御嵩間各駅相互間

 上の区間での発売で、1組10枚セット、発売する区間の大人または小児の片道普通旅客運賃を10倍した額の1割引した金額で発売。ですので純粋に1割引です。(現在の普通回数券は9.1%引き)

 しかし上記各駅相互間との事で、吉良吉田駅又は新可児駅を跨って乗車する場合は、manacaが使えるものの、毎度毎度精算機のお世話になることとなります。

   ◇   ◇   ◇

 しかしどう考えても、回数乗車券の発売終了はやりすぎだと思います。しかし乗車区間を定めた複数の乗車のみを回数割引とするのも限定的なもので、一人の利用者が幾重の区間を何度も利用される場合にも回数割引的なものを求める考えはありました。manacaのポイント制度がその一つの回答とも言えますが、乗客の立場からは選択の方向が変わっただけで幅は同じ、いやむしろ同一区間利用だけでしたら選択の幅が狭まったとも言えます。

Tokuwari30 JRとの競合区間では、「なごや特割30」という強力な割引きっぷがあります。こちらはどうなるのだろうか。とりあえず現在の発売では2012年6月30日まで有効となるものを3月31日まで発売していますが、4月1日以降も発売されるのでしょうか。

 これ止めたら、名鉄の利用者は又減るでしょうね。少なくともこのブログを書いている方はそうするでしょう。

2011/12/07

大阪市営地下鉄初乗り20円値下げ?・橋下次期大阪市長

 讀賣online関西発記事からです。さる11月27日の大阪市長選挙で当選した橋下次期市長は、大阪市営地下鉄の初乗り運賃を20円程度値下げする方針なのだそうです。また大阪市在住の70歳以上の方が無料で市営地下鉄・市バスがのれる敬老優待乗車証(敬老パス)で、市内を走る私鉄に20~30億円を交付し、市内の私鉄でも使えるように検討しているとのこと。

 なにか橋下旋風がマスコミでは格好のネタなのか、よく伝えられていますね。旋風は兎も角、まず地下鉄運賃を下げ、目に見える改革を行うことなのでしょうか。

 大阪市交通局の地下鉄部門「高速鉄道」は、一頃はミニ国鉄と呼ばれるほど赤字と累積赤字が甚だしいものでしたが、内部改革を行い2010年度の決算で8年連続の黒字、と同時に累積赤字が解消されました。この時は結構大きなニュースでした。この黒字分を橋下さんは市民に還元しようということです。

 また敬老優待乗車証の一般会計から拠出されている約80億円の費用を、交通局にもたせ、前記の私鉄各社へ市からの交付金で、敬老優待乗車証で市内の私鉄にも乗れるようにし、高齢者の社会参加を促したいとのこと。

   ◇   ◇   ◇

 運賃値下げですか。記事では「初乗り運賃20円程度値下げ」とあり、10円か20円値下げとなるのでしょう。記事読んで気になるのは、初乗り、つまり1区運賃だけが値下げなのか、全区において値下げなのか、そのあたりは読み取れません。むしろ1区(初乗り)運賃だけが下がる様にも読めます。

 大阪市交通局高速鉄道の運賃は対キロ区間制で、3kmまで1区200円、7kmまで2区230円、13kmまで3区270円、19kmまで4区310円、19km超5区360円になっています。仮に1区運賃だけが20円値下げとなると、次の2区との差が50円になります。往復で100円。2区利用者はかなり多く、シビアな大阪市民からは“物言い”があったり、それか「50円も違うんやったら、歩こか」という方、多そうです。

 それよりも隣駅まで100円の方がインパクトは高いのですが、現在はICカードPiTaPa(osaka PiTaPaだけですか?)で実現されているだけで、現金では無理。しかもあまり知られていないという現実。むしろそちらの方を実施した方が、印象度は高いのですけどね。

 ところで上記の対キロ区間制で、何キロまで何区という区割りは、交通局ではあまり公表していません。その理由は、新たに開通した区間で既存の経路よりも短くなる区間も、従来通りの経路で距離算出となる区間があります。また市中心部では先に開通した並行する線路の駅間に合わせてある区間もあり、そのあたりは特例となっています。
(例:御堂筋線と四つ橋線は、梅田(西梅田)~大国町間で同じ駅間距離です)

 最後に余談。この記事書くにあたって大阪市交通局のwebページを見ましたけど、御堂筋線に新型車両が登場するそうですね。車両は30000系。12月10日から運用に入り、12月10日は、中百舌鳥(なかもず)駅を午前8時18分に発車し、千里中央まで一往復したら中百舌鳥入庫です。

2011/11/26

今年の冬も発売・京都フリーパス

 京都市では、人が主役となるべく魅力あるまちづくりとして、「歩くまち・京都」憲章を設定し、歩いて京都の街を楽しもうとの一環で、昨年の冬の間、京都市内の鉄道とバスがほぼ全て乗れる「京都フリーパス」が発売されました。

 しかしこれ発売額が2000円とかなり高い。結局昨年の冬だけかと思っていたところへ、昨日の京都市交通局ニュースリリースで、今年の冬(2011年12月~2012年3月)も昨年に引き続き発売される事が発表されました。
→昨年の弊ブログ記事

  各社局毎にエリア限定のフリー切符や、スルッとKANNSAI加盟の社局では2day・3dayフリーがありましたが、これまで京都市内の(ほぼ)全ての鉄道・バスに乗れるきっぷは無く、交通機関の枠にとらわれずに乗り降りでき、京都の街観光を楽しんでいただこうという趣旨で登場したきっぷで、名称は、「電車・バスでまわる「歩くまち・京都」京都フリーパス」。1日フリー版と2日フリー版とがあり、2日フリー版は、JR西日本で発売する特別企画乗車券の「京都観光フリーきっぷ」又は「のぞみ&京都観光フリーきっぷ」に付属するものです。

 フリーエリアは昨年と殆ど同じですが、昨年はJR西日本のみで発売する2日間用だけで乗れたJR西日本の路線も、1日用で乗れる事になり、更にJR京都線の桂川駅~西大路駅間も乗れる事になりました。阪急京都線が洛西口駅まで乗れるのに対応した所ですね。

 昨年弊ブログに載せた図を再掲します。クリックで拡大。もちろん変更部分は直してあります。
詳しくはこちらへ。(京都市交通局のプレス発表)(PDF)

Kyoto2011

 エリア内で乗れないバスは、まず京女へ行くプリンセスラインバス。それに京阪バスの比叡山線と56・56A・57系統。京都バスの51系統。醍醐コミュニティバス。京都らくなんエクスプレス。あとはプレス発表にもある通り、定期観光路線と高速路線ですね。

 気を付けねばならないのは、京都観光一日乗車券でもタマにあるそうですが、国際会館駅から京都産業大学間は乗れないところです。途中の一条山~洛北グリーンハイツ間がエリア外になります。

 一日用の発売と利用期間は、2011年12月9日~2012年3月22日。発売額は2000円。

2011/11/23

「まやビューライン」・神戸市の赤字負担で継続

Img_0049  神戸新聞web版本日配信記事からです。神戸市灘区の摩耶山へ登る、摩耶ケーブルと摩耶ロープウェイ、合わせて「まやビューライン」と言いますが、これの来年度以降の運営方針について、神戸市は22日、収支赤字を神戸市が負担すると市長定例会見で明らかにしたそうです。

 まやビューラインは、震災による復旧でケーブルカーの運行を、六甲摩耶鉄道から摩耶ロープウェイの神戸市都市整備公社に移管され、ケーブルカーとロープウェイを一体化した愛称です。しかし震災復旧に6年もかかったのはひとえに利用者が少なかったからで、震災復旧以降も利用者は横ばいから微減傾向で、毎年1~2億円の赤字を出しており、昨年度に2011年度限りで運行を止めるとの方針を出してしまいました。

 しかし摩耶山にかかわる有志から存続の動きがあり、やはり廃止はしたくないとのことから神戸市として昨年度末になって存続の方針とし、設備更新費用と運行費用をどうするのか、今後の協議となっていました。
存続を決めた際の弊ブログ記事

 そして本日の神戸新聞記事。まやビューラインの運行者は、今後も継続して神戸市都市整備公社が担い、運行経費を切り詰め、それでも発生する収支赤字は神戸市が負担。設備投資として当初17億円を見込んでいたものを、ケーブルカーの車体取替えに留めて7億円に圧縮し、その費用も神戸市が負担するとの事です。

  ◇   ◇   ◇

 赤字負担とは思い切った施策ですね。こうした交通機関の自治体負担は利用者、つまり受益者だけの公費導入という事で、とにかく話題や批判の対象になりがちです。しかしその交通機関が存続する事により、域内全体の活性につながるのであれば、それはむしろ自治体としての責務だと思いますね。

 まやビューラインは、平日は利用者が少ないです。上の画像はロープウェイですれ違いの時に写しましたが、向こう側は利用者がお二人しかいませんでした。乗ってるこちらも4人だけでしたが。これでは厳しいですね。

 実際、まやビューラインは使い辛い一面があるのは確かです。ケーブルカーの山麓の駅へは市バス18号系統がありますが、これが回数が少ないのですね。平日で一時間に1回、土休日で2回ぐらいで、これではアクセスとしては弱いです。実は山麓駅より南へもう少し下がったところに市バス2号系統が、それこそ4~5分毎に通ってはいるのですが、それを知るのは地元の方のみ。

 神戸市長会見でもあった「ケーブル駅に行きやすくする工夫もしたい」というのは、とても重みのある言葉です。前記市バス18号系統は、三宮~摩耶ケーブル~阪急六甲~JR六甲道の系統。大阪側からは阪急電鉄とJR西日本の路線に接続していますが、阪神からの接続ができません。これを阪神御影に延長し、六甲ケーブルとの回遊ルートを構成するのも一案です。

2011/11/20

manacaが家の鍵・名鉄不動産で玄関鍵に導入

 昨日の中日新聞、11月19日付朝刊経済面記事からです。名鉄不動産は、豊田市に来年3月完成を目指して建設中のマンションにおいて、各住戸ドアの鍵に、名鉄のIC乗車券カード「manaca(マナカ)」を採用すると発表があったとのこと。manacaの採用は初めての取り組みという。

 名鉄不動産では、家を出て、通勤或いは通学、買い物、そして帰宅までをマナカで活用できる便利さをアピール。玄関鍵はマナカがキーカードとなって施錠・解錠を行い、マンション内でもエレベータ、宅配ボックスなどでの認証カードとなります。

Manakagi

 こうしたマンションでの住居人認証カードとしては、以前から磁気式のものが使われているところもあります。一方でセキュリティがより高いICカードの登場で、新しいマンションではICカードが玄関鍵というところも現れていますが、ICカード、特にソニーのFeliCa(フェリカ)はカード自体が一つの情報媒体で、情報の読み出しだけでなく書き込みが出来ることから、電子マネーなど他に目的としたFeliCaカードと一体化させる事が出来ます。

 その一つが、JR東日本のSuica。交通カードだけではなく電子マネーとして、さらにこうしたマンションの玄関鍵、企業や学校などのIDカード、そして社内・学内での入退室管理にまでSuicaが使われています。もちろんエリア内での採用数は全体数の僅かですが、多くの人が利用する交通系ICカードが交通以外の場面でのカードと一体となるのは、セキュリティの面でも利便性の面でも、今後はさらに増えますね。

 さて、来年3月に完成するというこのマンション。新聞記事では「名鉄のマナカ」とあり、名古屋鉄道のmanacaしかダメなのだろうか。名古屋市交通局でもmanacaを発行していますが、この両者、似て非なる部分が多いからなぁ。

   ◇   ◇   ◇

 さて、我が家。昭和30年代の建物で、勿論玄関鍵は普通のガチャガチャ鍵。これでもう何年も暮らしているので、マンションでICカードで開けたり閉めたりする暮らしは、できないだろうな。いや出来ると思う。思うけど、やっぱり鍵は「かぎぃ」と言えるものの方がいいな。

 ちなみに「鍵を掛ける」ことを名古屋弁で「鍵をかう」と言います。この「かう」部分に、鍵が締まる音につながっている様で、これがICカードですと、「鍵をかう」は完全に死語になりそう。

2011/11/18

寝台列車特急「日本海」号・2012年春ダイヤ改正で廃止

 讀賣online関西発記事からです。そろそろ2012年3月ダイヤ改正の話が出てくる頃ですが、JRグループ(ここでは主にJR西日本でしょうか)では、大阪駅~青森駅間の日本海縦貫線を走る寝台特別急行列車「日本海」号を廃止する方針を決めたとのことです。この特急「日本海」号廃止で、関西発着の寝台特急列車は全て無くなることになります。

 廃止の理由として讀賣記事によれば、新幹線や空路への転移で旅客数減少、そして充当されている客車の老朽化をあげています。

 そして記事では、‘定期列車としては廃止するも、季節列車として走らせる案もある’とあり、完全に列車廃止ではなく、季節格下げとなる可能性が残されています。

   ◇   ◇   ◇

 そうか、日本海廃止か・・・。車両老朽化もあり、廃止も時間の問題だと思っていました。

 1968年10月に急行列車から特急列車に格上げされ、1988年の青函トンネル開通後は、一往復が大阪~函館間列車となりました。大阪駅から発車する函館行きは、2本ある日本海号の最初の列車(つまり日本海1号)で、夏はまだ明るい夕方に発車するダイヤでした。ホームで見る方向幕の「日本海 函館」の表示は、あの青函トンネルを通って北海道に直通する、なんとも誇らしげですし、それを見た私は方向幕の文字で感動したものです。

 しかし時代は寝台列車、広く言えば夜行列車を要求する必要性は少なくなり、函館行き日本海1号も青森で打ち切り、最初から青森行きだった日本海3号は廃止となり、日本海号も一往復運転に戻ってしまいました。

 正直乗った事は無いですが、やっぱりあの濃い青色の車体は旅愁を誘いますね。日本海3号があった頃は、京都からの帰りに乗る新快速の前を走る列車が日本海3号でした。JR西日本の東海道本線京都駅では日本海号は0番乗り場発着。列車到着前のホームはこれから陸奥(みちのく)へ向おうとする長距離への緊張感から独特の雰囲気。

 アナウンスが流れ、列車が到着し、難しいブレーキ操作で停車。列車に乗る人、見送る人、それぞれの想いが交錯する中、出発合図。あの客車を引き出す音で列車は動き出し、遠く青森まで一晩かけて走る日本海号を見送って、足早に新快速の2番乗り場へと向ったものです。

 関西から北陸本線方面は、他に急行「きたぐに」号新潟行きがあります。来春のダイヤ改正ではまだ存続するのでしょうか。583系電車もかなり古い車両ですよね。

 日本海号、見てると修学旅行での利用が少なからずあるようです。前記の京都駅での光景でも、東北方面へ帰られるところなのかな、制服姿の修学旅行の一行はよく目にしていました。

 個人的な所感ですけど、日本海号、いや日本海号に限らず最近の夜行列車、よくもまぁ運休の多い事です。少し風が吹いたら「今晩の列車は運休」、雪が降ったら運休で、一晩を過ごす対象としての信頼度はかなり下がっていると感じています。そんな面でも列車廃止は時間の問題だと思っていました。しかし惜しいです。

***2011年12月17日追記
 急行「きたぐに」号は来春のダイヤ改正ではまだ存続するのでしょうか、と書きましたけど、JR西日本社長定例会見で2012年3月ダイヤ改正の概要が発表され、大阪駅~新潟駅間夜行の急行「きたぐに」号も廃止と発表されました。
http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/12/20123_f490.html

ヤマダ電機「LABI名古屋」・11月25日開店

 昨年秋に、突如(という私の感覚でした)話が出てきた、名鉄百貨店の旧ヤング館(旧旧セブン館)の建物に、家電大手量販店のヤマダ電機LABIが今年秋に出店するという話。一年前に弊ブログで記事にしておりますが、そろそろ開店時期で、このブログにも関連したキーワードでの検索が多くなっています。

 なんでも今月末に開店するような話を聞いたりしていたところ、ヤマダ電機のwebによれば、LABI名古屋は11月25日に開店するとのことです。来週の金曜日ですね。
http://www.yamadalabi.com/nagoya-op/index.html

 周辺、込むやろな。歩道も車道も。場所は名古屋駅前地区のど真ん中、笹島交差点の北西角。東のお向かいは、ねじれた形のビルが特徴の名古屋モード学園。南のお向かいは名鉄レジャック。

大きな地図で見る

 この場所、というより名鉄百貨店本館から続く建物は、昔の国鉄(鉄道省)東海道本線の線路敷地です。そしてヤマダ電機が入る旧セブン館のところは旧名古屋駅があった場所で、ようするにヤマダ電機LABI名古屋は、鉄道廃線跡の上に出来るお店ですね、って75年前の話ですけど。

 ところでこの名鉄百貨店本館から続く建物、そして笹島交差点南西角の名鉄レジャックの建物は、名古屋鉄道が再開発したいという意思を示しており、リニア中央新幹線が名古屋まで開業する2027年をめどに再開発したいと、社長がこの夏に表明しています。→弊ブログ記事

 数年のうちに基本計画をまとめ、そして設計、やがて現在の建物は取り壊して建て替えられることとなります。ここ数年・・・。現在解体工事中の名古屋ターミナルビルは2016年に新しいビルが出来る予定で、上層階にヨドバシカメラが出店します。名鉄のビルを建て替えるには、当然ながら一度中のもを出さねばならず、ヨドバシカメラが開店したら、暫く後にヤマダ電機LABI名古屋は出て行かねばなりません。

 一寸これは厳しい選択でしょうけど、少なくともあと5年、もう少し見て7~8年は安泰でしょうから、ヤマダとしても出店に踏み切ったのでしょう。ヘタすると(名鉄のヘタ)情勢が許さず、建て替え再開発が行われないかもしれません。

 さて私、25日はLABI名古屋は多分込んでて中へは入らないと思います。開店直後の混雑が落ち着いたら行ってみるつもりです。

2011/11/17

JR東海からラッセル車引退へ

 この時期の風物詩の一つとして、積雪地の鉄道で除雪車の試運転が始まったというニュースがありますね。11月に入りJR東海でも9日に、東海道本線の大垣駅~米原駅間で、15日からは高山本線の飛騨小坂駅~猪谷駅でも始まり、紅葉で色付いた山々を背景に、赤いラッセル車が走りました。

 そのJR東海の赤いラッセル車、中日新聞、朝日マイタウンweb版などによれば、JR東海のディーゼル機関車によるラッセル車はこの冬が最後なのだそうで、機関車の老朽化で引退が決まったのだそうです。

 そのラッセル車のディーゼル機関車はDE15形。DE15 1541号機が除雪出動用に一両だけ配属されています。結局これが非効率の考えなのでしょう。DE15形はDE10形にラッセルする装置を前後に取り付けられるもので、積雪期以外はラッセル装置を外して、通常のダイヤで列車を牽引したり、構内入れ換えに従事したりしていました。

 JR東海では国鉄時代に建造された車両はここ数年の内に交代させると表明しており、DE15形によるラッセル車引退もこの一つの流れでしょう。工事用列車、特に貨車のチキによるレール輸送も、ディーゼルカーのキヤ97形建造でこちらも機関車の出番がなくなり、新聞記事では引退の理由を「車体が老朽化し、部品調達が困難になり・・・」となっていますけど、一番の理由は「合理化による用途廃止」なところでしょう。DE15形は社内的には部品調達困難ですが、同形機・類似機はまだ全国で使われています。

 この一両だけのDE15 1541。通常は高山駅に置かれ、一両で東海道本線と高山本線の除雪を担当しているそうです。一日の積雪量が50cm以上のとき、高山本線では加えて1時間5cm以上の積雪が4時間以上連続で続いた時に出動するとのこと。昨年は東海道本線では出動0、高山本線では20回動いたとの事です。

 そんな一両で遠く離れた関ケ原と飛騨の山中を除雪できるのかと思いますけど、双方が同時に大雪になる事はそう多くは無く、列車回数の多い東海道本線はある程度は、列車の走行で積雪が抑えられるところもあります。そこで東海道本線では事前に回送するなど計画をたて、高山本線では即時出動できる態勢なのでしょう。

 このDE15形が来春に引退すると、JR東海からは機関車が無くなってしまいます。電気機関車も動く保有車としては既に無く、蒸気機関車は当然ながらありません。

 来年の冬からは、保線機械としてのロータリー車が登場するとのこと。保線機械としての除雪車は小回りがきき、ラッセルする形の物は既に使われていますが、高山本線でタマにあるドカ雪に対応できるのか、少々不安です。その新しいロータリー、一度見てみたいものです。

2011/11/15

名鉄manacaのたまルン・行事参加でポイント付与

Tamaran  名鉄発行のmanaca、電子マネー会員サービス「名鉄たまルン」で、電子マネー使用の他に可搬式の簡易端末を開発し、行事など地域のイベント参加者にもポイントを付与するサービスを始めたそうです。本日の中日新聞朝刊経済面記事から。(→クリックで拡大)

 たまルンは、名鉄発行のmanaca、正しくは(株)エムアイシー発行のmanacaで、電子マネー使用の際に購入金額に応じてポイントが頂ける会員制サービスです。(なかなか貯まらないので「たまラン」と揶揄されていますが)

 これまでのマナカでは、固定の端末で処理するために決済時にのみしかポイントを付与できなかったが、この新しい端末は、タブレット形PCにカード読み取り機をつないだもので、どこでも使用でき、カード情報が画面上で確認できるとのこと。

 このサービスでは当面は名鉄主催の「電車沿線ハイキング」で使用し、次回の11月19日実施の西尾市でのハイキングが初めての登場。ゴールで参加者(たまルンの加入者でしょうね)に20ポイントを与えるとのことです。今後は名鉄主催以外のイベントにも貸し出す予定だそうです。

  ◇  ◇  ◇

 この新しい端末、気になるのはオンラインでセンターと結ばれているのでしょうか。それともバス車載機のように、メディアにデータを蓄積させて後刻、データセンターとデータのやり取りをするのでしょうか。この先は問題あるかもしれず文章としては控えますが、機能としては以前から考えられていたものだそうです。

 このイベント参加20ポイントは‘たまルン’の電子マネーポイントになるのか、通常のmanacaポイントになるのか、そのあたり記事にはありません。名鉄webサイトも見てみましたが、私の見落としかもしれませんが見つかりませんでした。たまルンの電子マネーポイントですと、1000ポイントに達しないと権利行使できないんです。

 しかし20ポイントは大きいですね。電子マネーポイントは購入200円で1ポイント。20ポイントは4000円相当になります。それ故なかなか貯まらず、「貯まラン」と揶揄され、私もポイントは期待出来ないので、あえて入会しておりません。あ、私、10月から名鉄のmanacaに変えました。

 余談。新聞記事の「新端末でサービス拡充」が、「新瑞橋でサービス拡充」に読めてしまいました。

2011/11/12

被られましたな・尾張一宮駅でのキハ85編成

 今日昼に、名鉄一宮駅から見えた、JR東海道本線尾張一宮駅の光景です。

 金山駅へ向かうため、、12時半ごろの豊橋行き特急に乗るべく名鉄一宮駅のホームへ上がると、おや隣のJR東海の尾張一宮駅下りホームの下り方先端付近がなにやら賑やか。「賑やか」って書いてますけど、要するにカメラを持った方々が約10人ほどと、監視の駅員が一人。

 「今日は何走るのだな・・・新宮駅足止めの381特急車両回送か?いやあれは深夜だった」などと、一応私も同好者ですからね。しかしカメラの位置で上り線列車であるから回送ではないと思っているうちに、下り線をコキのコンテナ列車が比較的ゆっくり通過。そしてホームを過ぎたところで上り線路を、特急ひだのキハ85の4両か5両編成が通過。

 そしたら、あらら、カメラ御一行様が撤収を始めました。どうやら目標は被られたあのキハ85だったらしい。しかし下り線路は貨物列車の通過。これはしっかり被られましたな。でもキハ85形の先頭部だけは写せたのではないかな。

 鉄道列車写真を撮る際には、複線区間で間に線路を挟んで向かってくる列車を狙うと、すれ違う列車で目標列車が被られることがあります。こればかりは運で、可能であれば被られない位置関係のポジションを狙いたいですが、今度は架線柱の処理や光線の具合で必ずしも良好とは言えず、致し方ないところもありますね。

 しかし今日のお昼12時28分ごろ、尾張一宮駅上り線を通過したキハ85の列車は、何だったのだろう。遅れの特急「ひだ」なのか、何か別の臨時列車だったのか。気になるといえば気になります。誰かご存知の方いれば、コメント欄で教えてください。

***翌朝追加
 このキハ85形列車が何ナノだという糸口かもしれないブログ記事を見つけました。

2011/11/05

紀勢本線・新宮~紀伊勝浦間12月3日運転再開へ

 ちょっと病により臥してしまい、3日ぶりの更新となりました。この間にJR西日本よりニュースリリースが発表され、JR紀勢本線(愛称・きのくに線)の新宮駅~紀伊勝浦駅間が12月3日より運転再開となり、全線で運転出来る様になるとの事です。

 9月の台風12号により甚大な被害を受けた紀伊半島中部と南部。十津川村や田辺市などでは地形が変わる程の斜面崩壊と、それによる川の塞き止めで、いまでも不便な暮らしをしておられる方がいます。海沿いの紀勢本線も被害があり、川の増水で橋脚が流されたり、切り通し区間での崩壊による土砂流入などが各所でありました。

 そして不通区間は順次復旧され、最後まで残った、つまり現在の不通区間、新宮駅~紀伊勝浦駅間は、2011年12月3日の始発列車より運転が再開され、きのくに線全線でダイヤ通りの運転がなされるとの発表です。

 新宮駅には災害前に新宮駅停車中であったJR西日本の車両が取り残されています。特に特急用車両計3編成が留め置かれ、これら3編成は、新宮駅より東が一足先に復旧したJR東海の区間を経て、約400kmの道のりを回送させ「救出」することが10月の中頃、報道で伝えられました。ニュースリリースの文面では、これまだ実施されていないようですね。いやニュースリリースが発せられて既に3日経っていますので、夜陰に乗じてコッソリと行われているのかもしれません。

 その新宮駅留め置き特急車両の回送が出来、整備が行われれば、11月19日より紀伊勝浦~白浜間の特急運転回数を、現在の2往復から6往復に増やすとの事。少しずつ元の姿に戻っていきますね。

 

 もう一つ今回の風水害から復旧した交通の話。奈良交通バスに「八木新宮線」というのがあります。全線で166.9km、停留所の数167の、高速道路を通らない一般乗合路線バスとしては日本最長の路線。途中は今回の災害で被害が大きかった奈良県十津川村を通り、そのルートである国道168号線をもじって「168バス」と呼ばれることもありました。

 この国道168号線、十津川村南部の折立橋の橋脚流失で八木新宮線も全線の運転再開が出来なかったのですが、10月31日に折立橋仮復旧、翌11月1日より八木新宮線も一部区間迂回ながらも全線での運行が再開されました。

2011/10/23

名古屋市の敬老パスは「見直し」判定

 本日、名古屋市の行政評価の外部評価、いわゆる「事業仕分け」で、健康福祉局所管の交通局敬老がパスが評価対象にあました。

 結果は、廃止17名中1名、見直し17名中14名、継続(拡充を含む)17名中2名。

 よって、敬老パス事業は見直しの判定となりました。見直し意見の中には、本人負担金額の引上げ9名、利用限度額の設定4名、対象年齢の引き上げ5名の意見。廃止判定の意見には、利用割合が案外低い、回数券を渡す程度でいいのでは、の意見。継続の意見は、高齢者の生きがいで大切だ、でした。

 

 健康福祉局からの事業説明、そして学識経験者による論点整理のための質疑、そして市民判定員による判定、の流れです。

 学識経験者の質疑(質問)と意見です。気になったものだけ。

  • 敬老パス事業費の算出根拠として、一部本人負担導入した平成16年以降バス・地下鉄の運賃変化があったのでは?
    →変わっていません
    私:正直吹きました。名古屋市交通局のバス・地下鉄はここ10年ほどは運賃改定を行っておりません。
    算出根拠となる単価の変化に着目されたのは学者さんらしいですが、生活者感覚としては・・・?
  • 健康福祉局から交通局へ支払われる根拠は?
    →乗車回数を数え、それによりユリカ割引相当の5000/5600の金額を交通局へ支払う
  • 個々の乗車回数を把握しているのか
    →磁気カードゆえ把握できません
  • 敬老パス利用目的にいくつか項目があるが、複数の目的にまたがるクロス統計はあるの?
    →ないです
  • 敬老パス事業は、交付者一人当たり約40000円の費用が投入されている。しかし実際には約35%の方は交付を受けていない。この35%の対象者にも公平な施策はできないものか
  • 仮に敬老パスを廃止と判定したら、120億円の事業費が助かるわけだが、今度は交通局の事業がなりゆかなくなるおそれがある。
  • 敬老パスで交通局の収入に占める割合は?
    →交通局の地下鉄事業の約1割、バス事業の約3割は敬老パスによるもの。
  • (上を受けて)同じ市の局どうしのやりとりで、この収支構造は気になる。タコの足食い

などなどの質疑がありました。急いでメモしたもので、正確な記述ではないかもしれません。

 そしてコーディネータから市民判定員への判定の説明があり、廃止と継続は簡単ですが、見直しには幾つかのパターンがあり、幾つかのケースを説明していました。このコーディネータの方、分かりやすい話ぶりですね。webでは後姿しか映っていませんが、私、会った事あるような方です。

評価票
http://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000028/28399/1-12keiropasunokoufu.pdf
論点シート
http://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000028/28399/1-12keiropasunokoufu-ronten.pdf
説明資料
http://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000028/28399/1-12keiropasunokoufu-setumei.pdf

***追記
 上の文章で、後ろ姿で第1グループのコーディネータの方、知り合いかも?と書きましたけど、別人でした。この日午後、評価作業の現場を見てきました。しかし世の中よく似た人がいるものですねぇ。姿と言い、喋り口調と言い・・・。

2011/10/04

ATACS半年遅れで実用化へ・仙石線

 2日前の日経web版記事からです。JR東日本が開発中の新しい考え方に基づく保安装置「ATACS」。衛星で列車位置を判定し、各列車間隔の保安のほか、分岐器や踏切制御も一つのシステム内で行うもの。このATACSが長期実用試験が行われていた仙石線あおば通駅~東塩釜駅間で、10月10日の当初予定から半年遅れで世界で初めての実用化となるのだそうだ。

 ATACSというのは、これまで地上設備で行ってきた閉塞の概念を、列車の地上位置から衛星電波で割り出し(早い話GPSです)、相互の列車間隔を地上のコンピュータで解析し、各列車には地上局からのデジタル無線で伝え、実際の列車制御をおこなうというものです。

 閉塞は、線路のある地点ごとに区切り、そこに信号機を建てて、列車進入の可否を示します。その信号システムは、地上に敷設された複雑なケーブルで構成されています。またその信号を動作させるのにレールに微弱な電流を流しており、軌道(レールなど列車走行路のこと)も走行用の電流は流すも信号電流は流させない装置を入れたりと、まぁ見える以上に複雑なんです。

 こういったものがATACSでは殆ど不要になり、信号機は実際に電球(今はLEDですね)を灯させる電気を供給してやる程度。

 そして閉塞の概念が変わり、常に先行列車との物理的な間隔をコンピュータ上で解析し、先行列車に近づいた際のブレーキパターンを常に発声させておいて、それを高速列車に伝送させ、これまでのような固定された閉塞は無くなります。つまり移動閉塞、これが一番画期的な点で、高密度運転区間では現在よりもさらに詰めて運転できますが、今回の仙石線ではそこまでの高密度運転ではなく、このATACSで実際に列車制御してみるところにあります。

 10日からのATACS実用化ではまず、この列車制御のみで実施し、速度制限や踏切での制御は先送りになりました。踏切制御というのは、列車の走行に応じて踏切の鳴動開始を行うもので、踏切手前に停車する駅があれば、その情報を入れて踏切鳴動開始させます。また踏切が鳴動していないときは、常に線路側に停車パターンを発生させておき、踏切遮断機が降りるなどした時にこのパターンを消去、無事に列車は通過できるというもの。

 さて仙石線。宮城県仙台市のあおば通駅と石巻市の石巻駅間を結ぶ線路。ほぼ全線で3月11日の東日本大震災で被害を受け、一部区間では津波で車両もろとも線路ごと流されております。

 地震発生の翌日はダイヤ改正が予定されており、そして3月20日を過ぎたあたりでATACSの営業実用化開始の予定でした。津波で流された区間は今も不通のままですが、仙台市よりの区間では電気運転での復旧となり、9月25日に半年遅れで実用化開始となったものの、またもや台風で実施が遅れていました。

2011/09/26

台風12号での紀勢本線復旧は年内の見込み・JR西日本

 9月上旬に、台風12号の間接影響で豪雨となり、甚大な被害を受けた紀勢本線。新宮駅を境に東はJR東海、西はJR西日本が運行しています。

 このうち、JR西日本の不通区間は現在、新宮駅~紀伊勝浦駅間で、この区間は那智川の橋が流されたほか、切り通しの区間で土砂崩れなどがあって被害甚大。復旧まで早くて半年、場合によっては1年以上もかかるかもという見通しが示されていました。→弊ブログ記事

 本日のJR西日本からのお知らせでは、この区間の復旧について順調に進めば今年の内に(2011年12月末まで)運転再開できる見通しとなったとのことです。早い!よかったですね。

 和歌山県と連携を図りながら復旧工事の計画を策定してきたとのことです。つまり復旧工事に関して、和歌山県の協力を得、工事方法で和歌山県との共同歩調をとるということですね。当初見通しの半年とか一年とかいう情報は、和歌山県など他機関との協議を図る前で、JR単独での作業工程で推し量ったものだと思います。

 和歌山県としても、そんな紀勢本線(きのくに線)が半年も一年も不通では、たまったもんではありませんよね。復旧工事に県も協力し、早期復旧に漕ぎ着けられる見通しとなりました。

 そういえば過去、東海道本線の富士川橋梁が流されたときも、当初は半年以上とされたものが、三ヶ月弱で復旧したことありましたし、阪神大震災の際でも各線の復旧見通しで、半年とか一年とか出されていたものが、地元の協力を得て、早期に復旧となりました。

   ◇  ◇  ◇

 これにより、JR東海の紀勢本線不通区間である熊野市駅~新宮駅間も早期の復旧の見通しとなりました。この区間は熊野市駅構内の井戸川橋梁が流され、10月上旬に仮復旧の見通しで、あとは新宮駅構内の信号復旧次第とのことです。→記事

***追補
 そのJR東海の紀勢本線、熊野市駅~新宮駅間は10月11日より運転再開されます。

***11月5日追記
 JR西日本の紀勢本線(きのくに線)、新宮駅~紀伊勝浦駅間は、12月3日より運転再開と発表がありました。→弊ブログ記事

2011/09/16

JR東海・紀勢本線熊野市駅構内の橋梁来月に仮復旧・しかし

 本日の中日新聞社会面記事からです。台風12号の豪雨被害で運行休止しているJR東海の紀勢本線で、熊野市駅構内にかかる橋梁が流された現場では、10月上旬には仮復旧できる見通しであるとのことです。

 そして新宮駅構内の信号設備が復旧すれば、熊野市駅~新宮駅間の運転再開が可能になりますが、新宮駅構内はJR西日本が管轄していることから、JR西日本に早期復旧を要請しているとのこと。

 そうか、新宮駅構内の信号設備が使えない事には、JR東海の列車が熊野市駅~新宮駅間が運転できないわけです。

  ◇   ◇   ◇

 新宮駅の信号設備を復旧するということは、今どういう状態になっているのだろう。新宮駅が一時浸水していたという話もあり、信号装置を作動させる電源部がやられているのでしょうか。新宮駅には行き場を失った車両が多く留置されているらしく、信号装置の復旧過程で動作試験を行うにもやりにくそうです。

 素朴な疑問ですけど、仮に新宮駅が使用できない場合、熊野市駅~新宮駅間のどこかで折返し運転は出来ないのでしょうか。これも合理化が進んだ昨今、信号システムが折返し運転の存在を前提としておらず、構内の入れ換え(下り線→上り線)ができなさそうです。

 でも貨物扱いがある(あった・・・過去形か?)鵜殿駅では、駅構内の下り線から上り線での入れ換えは出来そうに思うのですが。

 JR西日本の紀勢本線は、9月26日に紀伊勝浦駅以西が運転再開の予定ですが、新宮駅~紀伊勝浦駅間は被害甚大で、復旧まで早くて半年、場合によっては一年以上の報道があります。

***9月17日追記
 熊野市駅構内の流された橋、井戸川橋梁ですが、駅ホームから約200mほど新宮寄りの地点で既に駅構内の線路が纏まって単線になっている場所で、普通の人の感覚からすれば駅構内とはいえないですね。井戸川橋梁は上り場内信号機の内方にあり、運転取扱い上では「停車場構内(駅構内)」とされています。

***9月26日追記
 JR西日本によれば、紀伊勝浦~新宮間の復旧について、和歌山県との連携で復旧工事を行い、順調に進めば年内の運転再開が出来る見通しとなったとの事で、新宮駅の復旧も間近いでしょう。→弊ブログ記事

***10月10日追記
 明日10月11日より、熊野市駅~新宮駅間は10月11日より運転再開されることになりました。

2011/09/15

JR西日本・JR京都線とJR神戸線で折り返し設備新設

 9月14日の神戸新聞で一報を知り、同日のJR西日本定例社長会見記事からです。JR西日本のアーバンネットワーク(最近はあまりこの名は言わないな・・・)の本線、つまりJR京都線とJR神戸線の計三駅で、輸送障害が起きた際に列車を折返し運転できる設備を、来年3月までに設けると発表がありました。

 設置するのは、平成24年2月に吹田駅、同年1月に尼崎駅、同年3月に灘駅。

 事例として、吹田~京都間での輸送障害時(事故など)のことを書かれていますので、一寸触れてみます。現在では複々線の内側を走行する普通列車と快速列車は、大阪駅以西での運転を確保するために、大阪駅で折返し運転を行い、外側を走行する新快速列車は全区間(長浜~網干間など)での運転を取り止めております。

 そこで吹田駅に折返し設備を設ける事により、普通列車と快速列車(新大阪~吹田は回送)は吹田駅で折返し、新快速は大阪駅での折返しを行う事で大阪駅以西での運転を確保できる、とされています。

 そして神戸新聞によれば、吹田駅と灘駅には上り線から下り線に移る渡り線を各2本設けるとのこと。ん?どういう方向だろう。渡り線を各2本という事で、両渡りを一組設けるということでしょうか。吹田駅には駅の京都方にY線(折返しの引上線)がありますが、これは普通列車用で長さは足りず、ホーム折返しを可能とすることなのかな。また尼崎駅では、姫路方の引上げ線の有効長を12両編成に対応できる長さに延ばすとのこと。

 これにより、吹田駅では吹田以西(大阪・姫路方面)への折返し、尼崎駅では尼崎駅以東(大阪・京都方面)への折返し、灘駅ではこちらは多分灘駅以西(姫路方面)への折返しができることになります。

   ◇   ◇   ◇

 このうちの灘駅に設置するという渡り線。現在は直ぐ東隣の東灘信号場に、上り内側線から下り内側線(5番線)に進入できる渡り線が数年前に設置されました。非常用の渡り線だと思いますけど、使用されている様子が感じられず・・・そもそも非常用だから目にする機会が無いでしょうけど、結局は何のための設置なのか疑問でした。

 来年3月に設置されるという灘駅の渡り線は、東灘信号場構内に設置するのか、灘駅構内に「新たに」設置するのか、どうなのでしょう。この辺り、信号システムに係わる事で気になっております。

 その東灘信号場は、平成28年目標で旅客駅化されることが発表されております。駅名仮称はまや駅。普通電車のみの停車で、運転整理(折返しや運休など)が行えるよう折返し設備が設けられるとあり、これとのつながりかも知れませんね。

2011/09/14

紀勢本線復旧まで1年以上の情報も

 9月13日の讀賣online関西発で気になる記事がありました。台風12号の影響でこのブログでも少しふれた紀伊半島の豪雨により、鉄道や国道でいまだに各所で不通になっています。

 JR西日本で、紀勢本線の那智駅~紀伊天満駅間に架かる那智川橋梁が、激しい流れで25mにわたって橋脚と橋梁が流されています。その他、和歌山県白浜町でも土砂流入などがあり、JR西日本管内の紀勢本線は新宮駅~白浜駅間で不通。

 この土砂流入の現場は大型重機が入れず、復旧作業は難航しているとの事で、和歌山支社によれば、完全復旧まで1年以上かかる恐れもあるとのこと。

 う~ん、1年か。ずいぶん長いな。那智川橋梁流失以外の現場の画像は見ておりませんが、1年かかる「恐れ」もあるということで実際にはもっと早く復旧するかもしれません。しかしそれだけ今回の水害は激しいものだったということです。まさしく明治22年の水害に比肩するものです。

 その他鉄道の不通は、南海電鉄高野線の橋本駅~紀伊清水駅間に架かる紀ノ川橋梁の橋脚が僅かに傾き、レールが6cmほどずれているとのこと。ここの現場、いつの時点でずれたのかは分かりませんが、9月5日の朝に難波行きの電車が走行し、運転士からの報告でずれたことが分かったとのこと。

 大量の流れる水による圧力よりも、相当な重量がある漂流物(例えば岩石)が衝突したらしい。いやそれ以前にこの橋梁、結構貧弱で(すいません見たままの感想)、列車に乗って渡るのはそれなりのスリルがあります。

 紀勢本線でもJR東海の管内で、熊野市駅構内に架かる橋梁が流されているらしく、JR東海の紀勢本線は、熊野市駅~新宮駅間で不通。こちらは他の情報が無いので、道床がどうなっているとか、復旧の見通しとか、全くわかりません。

 奈良交通バスの八木新宮線。日本一長い路線バスです。この路線の走行区間の大部分が被災地となり、五條市大塔の小代下~新宮市の新宮間が運休で、八木からのバスは小代下で折り返しています。沿線の最大の見どころである十津川村。至る所で土砂崩れ。橋も流されており、この八木新宮線の全線運転再開までは相当かかりそうな様子です。

 今回の水害では神社施設でも幾つか被害を受けているそうで、実はその神社施設も明治22年水害で現在地に遷座したものが多かったそうです。

***9月15日追記
 JR西日本によれば、紀勢本線白浜~串本間は9月17日、串本~紀伊勝浦間は9月26日運転再開とのことです。

***9月26日追記
 やはりJR西日本によれば、紀伊勝浦~新宮間の復旧について、和歌山県との連携で復旧工事を行い、順調に進めば年内の運転再開が出来る見通しとなったとの事です。→弊ブログ記事

2011/09/10

名古屋市版「事業仕分け」で敬老パスも俎上に

 9月9日付中日新聞朝刊県内版(愛知県)記事からです。名古屋市では以前に10月に実施するとしていた「事業仕分け」の対象事業を8日に発表し、その中に通称「敬老パス」、健康福祉局が発行し名古屋市交通局の地下鉄・バスに乗車できる敬老特別乗車証も含まれていることが分かったそうだ。

 この名古屋市版事業仕分けは、仕分け対象となった30の事業を、市民(おそらくは有権者)から無作為に選ばれた仕分け人を20人ずつのグループに分け、事業ごとに「廃止」「見直し」「継続」かを判定しするというもの。

 敬老パスのほかに、保育所など児童福祉、野外教育センター、留学生支援事業などが対象事業になっております。そしてもう一つ私にとって大きな対象事業が載っておりますが、それは次の投稿で。

  ◇   ◇   ◇

 敬老パス、つまり健康福祉局発行の敬老特別乗車証は、本山市長時代に始められたもの。地下鉄とバスの運賃を無料にし、高齢者が気軽に出かけられ、健康で過ごされるように、という趣旨で始められたもので、発行された乗車証分を名古屋市一般会計から交通局に支払われております。

 その本音のところは、赤字で苦しむ交通局へ経費補填する仕組みでもありますが、福祉事業の面でもお年寄が戸外に出かけ、その際の経費である地下鉄・バス運賃を市が負担することで赤字の埋め合わせにもある、それぞれの利害が一致した形であります。

 このような高齢者福祉の乗車証制度は他の都市でもあり、制度はいろいろ。対象年齢で名古屋市では65歳以上。これは政令指定都市では一番低い(つまり対象者の割合が多い)です。また名古屋市では数年前から所得に応じて最高5000円の一部負担金を求めておりますが、それまでは完全に無料でした。利用者の負担の面で他の都市では、無料の所もあったり、半額、100円均一、ある程度の回数までは無料だったり割引だったりなど、様々です。

 新聞記事では、敬老パスの2011年度予算額は132億2100万円と、今回の事業仕分けでも最高の額。それだけにその必要性や、存在そのものが予てから論議されてきました。が、一方で、長年の苦労を積み社会を動かしてきたお年寄りへの制度だけに、どこかタブー視する風潮もあるものです。

 予定ではこの敬老特別乗車証も、来年2012年9月からICカード(manaca?)化されることになっていますが、どうなるのでしょうか。9月なのは、敬老パスの有効期間の区切りだからです。

 名古屋市版事業仕分けは、10月21日から3日間。どのような判定がなされるのか、気になります。敬老パスは多分「廃止」判定にはならないとは思いますが・・・。

***
 当日朝。IC化の時期追加など一部字句訂正しました。

***10月24日追記
 昨日の評価作業で、敬老パスは見直しと判定されました。見直し意見の中では、自己負担額、対象年齢の引き上げなどを検討、などがあります。

2011/09/06

政府保有の東京メトロ株・売却を検討

 本日朝のCBCラジオ「多田しげおの朝からP・O・N」内のニュースで一報を知りましたが、日本国政府は東日本大震災復興財源捻出の一つとして、東京メトロ、正式名称「東京地下鉄株式会社」の政府保有分を、売却するのを検討しているそうです。

 東京メトロ、つまり東京地下鉄は2004年4月に、それまでの帝都高速度交通営団、通称「営団地下鉄」の経営を引き継ぐ形で発足した、全国でほぼ唯一の民間私企業による地下鉄運営会社です。営業利益が1000億円にも及ぶ優良企業で、売却される事となれば、それは引く手あまたになるのではないかと思います。

 新聞では、我が地元の中日新聞では掲載されておらず、ネット上のニュースを探してみました。その中で、讀賣ONLINEによれば、東京メトロ株は簿価で1749億円、時価で数千億円相当なのだそうで、この政府保有株売却とこども手当て廃止などによる歳出削減で、3兆円以上の確保を目指しているとのこと。

   ◇   ◇   ◇

 そうですか、東京メトロ株の売却。東京メトロ、つまり東京地下鉄株式会社の株式は非上場。そして日本国政府(財務大臣)と東京都が保有しています。政府の方が若干多いらしい。これは営団地下鉄時代からの出資者をそのまま引き継いだものだそうで、東京メトロとは、公でもなく民でもないその中間あたりの企業体である営団地下鉄による地下鉄経営を完全民営化するために設立された株式会社です。

 本来ならばJRのように、今頃は一般公開されているはずなのですが、何故かまだ一般売却されていません。これを機に、というところでしょうか。

 東京地下鉄の前運営企業である営団地下鉄、正式名称「帝都高速度交通営団」。私にはこの方が馴染みがいいです。「営団」というのは「経営財団」を省略したもので、日中戦争から続く戦時体制で国家総動員のもと、暮らしに必要な物資などを供給しまた統制するため、当時の政府が一元的に管理と実施が出来るよう、公でもなく民でもないその中間辺り、今風の言葉に無理にあてはめると1.5セクターでしょうか、そんな「営団」が住宅と農地、そして帝都高速度交通営団が設立され、それぞれの各事業をそれまでの民間会社で行っていたのを、新たに設立された「営団」に引き継がれております。

 戦後「営団」の組織は、独占事業となることと国策企業ということで、GHQの方針で廃止されました。営団地下鉄も廃止の方針でしたが、実際に地下鉄路線を運営し多数のお客さんが乗られていることと、仮に営団地下鉄を廃止した後の引き受け企業が無かったことが、理由にあるらしい。

 昭和16年設立の営団地下鉄もそれまでの地下鉄2路線を引き継いでおり、今の銀座線浅草-新橋間が東京地下鉄道、同じく銀座線新橋-渋谷間が東京高速鉄道による経営路線で、銀座線は別々の路線でした。ただ営団発足の2年前から、浅草-渋谷間の直通運転を始めております。

 この直通は逸話が幾つかあり、五藤慶太による東京高速鉄道の車両は出力もよく運転士も張り切りすぎていて、前を行く早川徳次による東京地下鉄道の列車にグイグイ近づこうとしていた・・・こともあったらしい。今ではATSだのATCだのでこんな武勇伝はできませんけどね。

***2011年9月17日追記
 9月16日の報道では、売却する政府保有分の東京メトロ株を東京都の石原知事が購入の意向であると示し、東京都で過半数保有としたいとのこと。さらに東京都交通局の地下鉄と東京メトロとの経営統合を目指すとしています。

2011/08/26

JR西日本・琵琶湖線の瀬田~石山間に新駅を計画

 京都新聞web版及び関西発讀賣online、共に8月25日配信記事からです。JR西日本の東海道本線、この区間の愛称「琵琶湖線」で大津市内となる瀬田駅~石山駅間に、新駅を設けることが明らかとなったそうです。JR西日本は既に大津市に対し打診しており、費用分担について協議の予定であるとのこと。

 京都新聞記事では6月に市に対して打診があり、設置箇所は瀬田川左岸近くが候補地と記されています。
(追加注:瀬田川は琵琶湖から流れ出る川で、琵琶湖を背に南(淀川)を向いて左側が左岸です。)

 この大津市東南部は、住宅やマンション建設が進み、人口増加が進んでいる地域。同じく隣接する駅間の南草津駅~瀬田駅間でも、新駅設置に向けた協議があり、大津市幹部の話として「住民の利便性の向上や交通渋滞の解消につながる。JR西と検討を進めていきたい」としている、のだそうです。

   ◇   ◇   ◇

 そうなのですか。しかし立て続けですね。まだ今月始めの頃に、南草津駅~瀬田駅間で新駅設置計画が明らかになったばかり。人口増加が著しい滋賀県のことだけありますね。瀬田~石山間の駅間距離は2.5km。瀬田川左岸近くですと、ちょうど中間地点よりやや京都よりの場所になりますけど、南草津~瀬田間新駅も開業すると、南草津駅から石山駅まで1.2~1.3km程度で駅が連続することになります。まるで国電なみですね。(国電って、たとえが古い・・・)

 讀賣記事では、瀬田駅が約3万4千人、石山駅が約4万8千人の乗降客数とあります。新駅開業後は瀬田駅利用者の一部が新駅へと流れそうです。一方で瀬田川を渡って石山駅利用している方は、瀬田川に架かる橋が渋滞の名所で、新駅開業すれば便利になりそう。ただ石山駅は新快速が停まり、大阪方面との利便性は今の通り石山駅の方が便利なのかも。

 新駅設置予定と考えられる箇所で。下り列車で瀬田駅を過ぎると、ちょっとした切り通しを抜け、右カーブで瀬田川の橋に向かいます。この切り通しから西は、既に住宅が建っていたり区画整理された地が続きます。新しい家ですし、そこを退かせてまでの新駅設置は考え難く、私が思うに、瀬田川橋梁手前で上下線が離れる場所を上手く利用すれば、駅ホームと駅舎の設置ができそうです。

 新駅開業の予定は全くの未定ですが、今予定されている各地の新駅が2016年とか2018年などですので、この瀬田~石山間新駅も南草津~瀬田間新駅と同時開業となりましょうか。

2011/08/12

名鉄名古屋駅開業70周年つれづれ

 このところ何処となく地味にPRしているようですが、名鉄の名古屋本線名鉄名古屋駅が今日8月12日、開業70周年だそうです。地下式の駅が出来て70年。名鉄webサイトでは記念入場券の発売のほか、パネル展示などを行うそうです。

 私の記憶やこれまで聞き及んだことで少し書いてみますと、名鉄、つまり名古屋鉄道は元々は柳橋を発着していた西部線や犬山線などの旧名岐鉄道と、今の神宮前を発着していた豊橋線や常滑線などの愛知電気鉄道が1935年8月1日に合併して出来た鉄道会社で(存続会社は名岐鉄道の商号変更)、東と西(北)とに別れていた線路を結びたいという願いがありました。

 その2年後の1937年2月1日、省線(鉄道省=国鉄)の名古屋駅を新しく北西の場所に移転し、旧線路敷は払い下げられる事となり、その敷地の一部を名古屋鉄道が払い下げを受け、枇杷島橋~新しい名古屋駅間を新たに線路を敷設し、西部線系統のターミナル駅として1941年8月12日、地下式の名古屋駅、そしてその上部に百貨店が出来たものです。

 なお、新しい名古屋駅、つまり新名古屋駅への線路が開通と同時に、枇杷島橋~押切町間の線路と柳橋駅は休止、そして書類上の正式廃止は翌年に入ってから。押切町~柳橋間は名古屋市電の線路を使っていました。

 今の駅構内は両側ホームの2線4面。しかし古い写真を見ると、3線3面だったようですね。そして神宮前からへ至る線路が出来たのが1944年9月1日。この時点で新名古屋駅は終点駅ではなく中間駅となり、名古屋鉄道成立以来の悲願だった東西の線路が結ばれました。

 しっかりと「いつごろか」は覚えておりませんけど、1990年前後かな?、岐阜方面行き線路の軌道位置が微妙に変更されました。ホームの幅を広げる工事だったと思いますが、よくあんな事が出来るものだと感心した覚えがあります。工事中は線路に近い部分のホームは板張り。天井も架線を支えるビームも、使用前と使用後が仲良く並んでいました。この工事、最大でも1mもの移設ではなかっと思います。

 2005年には中部国際空港開港に関連して、駅名を「新名古屋」から「名鉄名古屋」に変わりました。これ大きなエポックですね。その頃に構内の軌道面を少し(数センチ)下げる工事が行われております。バリアフリー対策の一環で、僅かの差とはいえ電車に乗って、施工前と施工後の接続部を通ると、「スッ」とした感じがしました。

 そして今後。周辺の名鉄関連建物の再開発が2027年をメドに行うとの発表があり、この名古屋駅上部の名鉄百貨店も建て替えの対象。どうやって工事するのでしょう。またこの名鉄名古屋駅はどうするのか。このまま使い続けるのか、造り直すのか。どちらにせよ、超大掛りな工事になりそうです。

2011/08/10

名古屋鉄道本社ビルなど名駅再開発は2027年をメド

 名古屋駅地区にある名鉄百貨店本店や名古屋鉄道本社などを再開発で建て替える計画の話。3年前に名鉄の社長から発表されたものの、その後がなかなか聞こえてきませんでした。そんなところへ本日の中日新聞朝刊一面及び経済面記事から。

 この名古屋駅地区の再開発をリニア中央新幹線が開業する、2027年を目処に進める方針であると、名鉄の社長が明らかにしたそうです。この名古屋駅地区でも道路の名駅線から西の部分は近鉄百貨店がある他は名鉄の所有地で、これら一体として2.6haを再開発を行う考え。1~2年程度で基本構想をまとめ、開発計画がまとまり次第、着工したいそうだ。

 一面記事 (カミソリは気にしないで)

Img_0010

 八面の経済面記事 (中電は今日又更新されたらしい)

Img_0016

 記事読めるように、クリック先の画像はいつもより大きめにしました。

 これで分かったこと、他社である近鉄百貨店ビルも再開発計画に入っていること。これまで伝えられたことでは、名鉄百貨店本店の本館、名古屋鉄道本社とグランドホテル、それに名鉄百貨店メンズ館が入る旧メルサの建物、この秋にヤマダ電機が入る旧セブン館の建物について、「老朽化もあり建て替えたい」としていました。しかしその間にある近鉄はどうなのか?、常識的に一つだけ残して建て替えるのは考えにくく、この四つの建物を一体として建て替え再開発するだろうと思っておりました。

 そして明らかになったことでは、更に旧セブン館から広小路通を隔てて笹島交差点南西角に建つ、名鉄レジャックビルも再開発に含まれており、名鉄百貨店本館からの南北約350m、面積2.6haに及ぶ名駅地区では最大の再開発規模となるという。

 さらに、旧笹島貨物駅跡地のささしまライブにも近い、レジャックビルから南へのビル所有者にも再開発の協力を呼びかけるとのこと。この南の方には名鉄バスセンター出入口があり、その上部には、地区の冷暖房を一手に引き受ける装置があり、その絡みもあると思います。

 

 しかし2027年か。ずいぶん先だな。生きておれるやろか・・・。でもこのエリアには、いや厳密に言えば、名鉄百貨店本館と近鉄ビルの地下には名古屋鉄道の名古屋駅躯体と隧道が通っています。特に名鉄百貨店本店本館建物は、この名古屋駅躯体を基礎とする部分と、普通に大地を基礎とする部分とが合わさっており、今の建物解体には超困難が待ち受けていると思います。いやひょっとして出来ずに、線路自体の移設もありうるかもしれません。

 その難工事を入れると、2027年完工がやっとかもしれませんけどね。しかし現実問題、名鉄線路と名古屋駅をどうするのだろう。営業しながら工事するのだろうか。その際の旅客通路は?通路だったら近鉄百貨店ビルも同じで、通路が工事の進捗具合に応じて、あちこちに変わるのでしょう。

 工事現場は出来上がってしまえば、それは素晴らしい施設になりましょうけど、あと数年で着工し、2027年まで約10年と少しの間、工事なのは正直辛いものがあります。

関連記事
2008年12月26日投稿:「JR名古屋駅の新超高層ビル・そして名鉄のトンネルの関係
2009年1月9日投稿:「名古屋鉄道本社ビル建て替え検討中
2011年1月27日投稿:「名古屋駅前再開発・1、2年で方向性を・名鉄本社ビルなど

2011/08/09

JR西日本・琵琶湖線の南草津~瀬田間に新駅を計画

 京都新聞web版8月8日配信記事からです。JR西日本の東海道本線、対象区間の愛称「琵琶湖線」の南草津駅~瀬田駅間の草津市内に、新駅を設けることが明らかとなったそうだ。草津市に対し建設に向けた協議を始めたいとのこと。

 設置される新駅の位置は、南草津~瀬田間2.7kmの中間付近で、大津市との境界近く。詳細な場所は今後検討されます。

 ・・・ということで場所の確認をしてみました。南草津駅を発車して扇状地地形を若干の上り勾配で右カーブしながら畑の中を行くと、狼川を渡ります。大津市との境界付近で両駅間の大体中間付近であれば、この狼川のすぐ西の辺りしか無さそうです。あまり建物が多くなく田園風景が広がっています。

 しかしウワサには聞こえていたものの、本当に駅を造るんですね。まだ正式な発表ではなく、報道の「情報をつかんだ」程度ですけど、JR西日本でそんな方針が出来たのでしょう。こうした新駅は大体地元からの誘致が多いですが、この記事読む限り、どうもJR西日本からの働きかけのよう。どんな事情があるのでしょうか。

 隣接となる既存の南草津駅も、JR発足後の1994年に新たに出来た駅。後背地への利便性がよく、乗降客数がぐんぐん伸び、この春からは新快速停車駅に昇格しました。この南草津駅が出来て、草津-南草津-瀬田-石山と、大体似たような距離で駅が並んでいますが、新駅が出来ますと、南草津-新駅-瀬田が1kmちょっとで続くこととなります。

 ですので、開業してもどの程度の利用者数になるのだろう。新快速目当てでしたら南草津へ流れましょうし、駅近隣の方が中心となりましょうか。

 新聞記事には草津市長のコメントが載っており、「市民の利便性を向上するものならよい提案だと思う。今後、市民や地元のみなさんの理解を得ながら協議を進めていきたい」とのこと。これ読んでも、JRから持ち掛けたような話のようです。

  ◇  ◇  ◇

 ところで、狼川は天井川です。明治にこの区間が開通した際は、川の下をトンネルでくぐっていました。琵琶湖線(東海道本線)を下り外側線列車に乗ると現在線の左下に、半分埋まったレンガ積みの旧線のトンネルポータルが見えます。

***8月26日追加
 昨日の京都新聞などの報道では、瀬田駅~石山駅間でも新駅設置の予定があると報じられています。
http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/08/jr_bb2f.html

2011/08/04

地下鉄東山線名古屋駅・地上とのエレベータ設置工事

 名古屋市交通局の地下鉄東山線名古屋駅。郊外からの名鉄・近鉄・JR線とが集まり、乗り換えの方のほか、名駅地区にある駅でもあり、名古屋の一・二の乗降客を数える駅です。

 地下鉄ではバリアフリー対策として、最低でも一ルートの車椅子ルートを確保しておりますが、この東山線名古屋駅は、隣接していた名古屋ターミナルビルのエレベータを介して、地上と地下の駅コンコースを結んでいました。

 しかしその名古屋ターミナルビルが昨年の12月22日を最後に建て替えで使用出来無くなったため、東山線名古屋駅への車椅子ルートは、駅の南東隣接する豊田・毎日ビル(ミッドランドスクエア)か、駅のずっと北にあるルーセントタワーのそれぞれエレベータを使用する事となり、どちらのルートでも大きく迂回させられることから、問題となっていました。そのことを昨年、弊ブログでも記事にしております。→こちら

 それから半年。旧名古屋ターミナルビル解体の音が聞こえる7月に、JR名古屋駅のタワーズデッキから眺めると、おやおや、道路の名駅線の車・歩道を一部閉鎖して、工事が始まっています。

Img_0203

 工事板を拡大して見てみると、ん、「エレベーターの新設工事」。

Img_0205

 そうか!、この位置でエレベータ工事というのは、この下が地下鉄東山線の名古屋駅がありますので、地下鉄の駅に至るエレベータに間違いないでしょう。でも造るのだな。昨年のブログ記事では、場所柄ちょっと無理ではないかと書きましたけど、結局造ることとなったのですね。

 この場所、平面では大体、中改札の位置になるでしょうか。ただここ、地上では北側からも南側からでも必ず横断歩道を渡らねば来られず、今の今があまりにも迂回過ぎていますけど、でも地下の構造からココしか設置出来ないと思います。

Img_0208

 この名古屋駅での車椅子ルート、出来得ることであれば、名鉄からも近鉄からも近い南改札口を経由した方がずっと便利です。しかしそのルートでのエレベータ設置は、残念な事に絶対に無理です。

 名古屋市交通局のwebページによれば、8月3日から中改札付近の通路を一部閉鎖するとあり、そこにエレベータができるのでしょう。

 ただその通路、ユニモール地下街からの突き当たりにあたり、また夕ラッシュ以降は、地下鉄から名鉄へ乗り換える人が多く通り、ちょっと混雑しそうです。

画像撮影 2011年7月29日

2011/07/22

阪急宝塚線と京都線・電力使用95%超で間引き実施の方針

Img_0030  今日の神戸新聞web版、お昼に更新されたニュースからです。阪急電鉄はこの夏の節電対策で「需給状況を見極めたうえで自主的に判断する」と説明し、関西電力管内の電力使用率が95%を超える場合、関電側の要請を待たずに独自の判断で、間引き運転を実施する方針を21日、明らかにしたとのこと。

 このニュースは「する」「やめる」で二転三転しておりますが、一度は間引きを行わない方針となりました(その記事)。しかし大飯原子力発電所1号機で緊急炉心冷却装置トラブルが「予期せず」発生する不測の事態に。その大飯原発も今日中には4号機が定期検査で運転が停止され、関西電力管内は半月前の見込みよりも電力事情が厳しくなり、日本国政府から10%の節電要請が出されております。

 関電は21日(つまり昨日)、阪急のほか、私鉄四社に担当者が訪れ需給状況を説明。逼迫した場合は一段の節電を求める可能性があると伝えたという。

 阪急の自主的な間引き運転対象は宝塚線と京都線で、平日の正午~15時頃に実施。宝塚、京都の両線で行うのか、どちらかの路線だけで行うのかは未定。また一部普通電車を6両編成に差し替える神戸線は、間引きの対象外。(その際の記事

 そうか、宝塚線と京都線では場合によっては減便ですか。これ、ひょっとしてこの両線には短い編成が所属していないからなのかな。神戸線所属編成は、かつて神戸高速を経て山陽電鉄の須磨浦公園駅まで乗り入れていて、それ用の6両編成があります(普段は2両繋ぎ8両組成で運転)。でも宝塚線は全て8両編成、京都線は7両と8両編成で運転されており、手ごろな6両編成も無く、そこで数本の列車を減らす事となったのかと考えられます。
(数本運休なのか、数本を減ずる節電ダイヤになるのかその辺りは不明)

2011/07/17

阪急神戸線・節電で普通電車の一部を6両編成で運行

Img_0098  7月15日の阪急阪神HDニュースリリースからです。阪急電鉄では使用電力の節約のため、平日ダイヤの午後時間帯で、神戸本線普通電車の一部を6両編成に差し替えて運転するとのことです。

 7月25日(月)~9月22日(木)の間、11時30分頃~15時30分頃、神戸本線普通電車(梅田~三宮間列車)で、通常8両編成の電車を西宮北口駅で6両編成に車両交換して運転するもの。特急列車は通常通りの編成で変更は無いとのこと。

 4日前のブログ記事で、関西電力から鉄道各社へは節電による減便は求めないことから、この夏の節電間引きは回避されそうであることを書きました。阪急では間引きはしないものの、夏休みで学生利用が減り、電力供給が厳しい状況には変わらない事から、午後時間帯の一部の減車に至ったのだろうと思います。

 ニュースリリースに6両編成にする列車の時刻が書かれていました。それを基に、6両編成に差し替える列車を挙げてみます。西北とは「西宮北口」のこと。

下り梅田発、三宮行き
 梅田  西北  三宮
11:11 11:34 11:55 西北から
12:01 12:24 12:45
12:21 12:44 13:05
12:31 12:54 13:15
12:51 13:14 13:35
13:41 14:04 14:25
14:01 14:24 14:45
14:11 14:34 14:55
14:31 14:54 15:15

上り三宮発、梅田行き
 三宮  西北  梅田
11:12 11:37 11:55 西北から
11:32 11:57 12:15 西北から
11:42 12:07 12:25 西北から
12:02 12:27 12:45
12:52 13:17 13:35
13:12 13:37 13:55
13:22 13:47 14:05
13:42 14:07 14:25
14:32 14:57 15:15 西北まで
14:52 15:17 15:35 西北まで
15:02 15:27 15:45 西北まで
15:22 15:47 16:05 西北まで

 神戸本線の普通電車は10編成が運用されており、そのうちの4編成が6両編成に差し替えられます。

***
 ところで、調整運転中である関西電力大飯原子力発電所1号機の緊急炉心冷却装置トラブルは、前記記事に書いた「不測の事態」で8月以降の需給が更に厳しくなり、現在は15%節電の要請に追加しての節電をお願いするかもしれないとのこと。

 その前記記事は大飯1号機のトラブル発生前のことで、今後の状況では一旦は節電間引きが回避される見込みとなりましたけど、どうなるのだろう。

2011/07/13

関西の鉄道・今夏の節電間引き回避へ

 関西電力の原発稼働率低下で、この夏の供給量が逼迫が予想され、需要先に対して節電を要請していますが、その大口需要先である鉄道各社では、午後の電力ピーク時に電車の運行を減らす「間引き運転」を予定しております。

 その節電間引き運転が回避されるらしいです。本日のなぜかCBCラジオで午前10時20分頃のニュースで伝えているほか、本日の讀賣新聞web版、神戸新聞web版、それと見込み記事が昨日の神戸新聞にあります。

 それら報道各社の内容をまとめると、13日(つまり今日)午前、関電の副社長がJR西日本本社を訪れ、「電力供給に好材料が出ており、現時点ではお願いしない」と正式に伝えた、のだそうです。また私鉄各社にも同じ内容を伝える予定で、関西の鉄道各社は今夏の間引き運転が回避されそうな状況です。

 これまでこのブログで、 
  6月14日投稿:「関西のJR西日本と私鉄三社が節電で減便へ」、
 一方で、
  6月16日投稿:「7月の間引き運転は回避か・関西の鉄道各社

で、間引きする言うたり、回避出来ると言うたり、この記事以降も結構揺り戻しがありまして、鉄道各社から正式発表があるまでは、もうブログ記事には書かない事にしました。

 でも今回の報道の通りであれば、何か特段の状況に変化が無ければ(発電所の故障など)、この夏は間引き運転は行われない見通しであり、その場合は鉄道各社からは特に発表は無いと思うので、今回は書いてみました。ただ裏を返せば、発電所の故障緊急時などでは更なる節電(つまり間引き?)をお願いする可能性もあるとのこと。

 そしてCBCラジオのニュースにあった文言では、阪急などでは7月19日から間引きを予定していますが、節電間引きが8月に行われるにしても、ダイヤ変更の周知にはある程度の時間がかかり、実際に節電によるダイヤ変更の可能性は少ない、とのことでした。

 そうですか!、阪急神戸線(に限らず阪急各線)は10分間隔で運転されており、その10分間隔のダイヤをいじらずにどれかの列車を運休するのではなく、そもそもダイヤ表自体を変えてしまうのを予定していたのですね。例えば12分間隔とか。どちらがいいのだろう、運休列車を出すやり方か、ダイヤ自体を変えるのか。

 しかし、電力供給状況が厳しいのは変わらず、駅構内の照明消灯など、細かい節電は今後も継続するとのことです。

 でもこの関西の鉄道こと、なんで名古屋のラジオ局であるCBCで出たのだろう。

2011/07/10

祇園祭を鉄道でPR

 今日7月10日は、京都の祇園祭で出される山鉾のうち、巨大な鉾を組み立て始める「鉾建て」です。今日から目に見えて祇園祭が始まる印象を与えますね。なにしろ道路上にあんなでかい物が鎮座しますので。でも毎年のこと。

 その毎年のことをこのブログでも。「祇園祭へは○○で」と鉄道各社のPR。阪急電鉄では毎年恒例の祇園祭ヘッドマーク。毎年のことでもつい写してしまいました。駅撮りですいませんね。

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 ヘッドマークの拡大。

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 場所は梅田駅。いつもはこれでお仕舞いですが、一枚余計に写しました。この位置で左を向くとこんな感じ。発着線が9線並んでいます。雄大ですね。どこかの赤い電車の駅とは大違い!

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 一番手前が1号線で、順に、2、3・・・と続き、一番向うが9号線。

***画像追加
 梅田駅で、助役さんが「祇園祭は阪急電車で」と団扇を配っていました。

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 裏はヒガシマル醤油の広告。

 さて、時間と場所は大きく変わってJR西日本の京都駅。中央口(烏丸口の方が一般的)の改札上には、山鉾の名を記した駒方提灯が並び、祇園囃子が流れて雰囲気を出しています。

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 右半分。

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 左半分。

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 上の三枚、もう一つのブログと画像使いまわしですいません。

 提灯の数を数えました。「祇園祭」とした4つを除くと、現在巡行に参加している山鉾の数32とピッタリ合います。ただ・・・、今年から現在は巡行には参加していない焼山の「大舩鉾」が祇園祭山鉾連合会に加盟し、近年(2014年らしい)には復元した大舩鉾が巡行に参加する予定なのだそうです。

 大舩鉾は今まででも毎年宵山には「居祭」をやっており、ここに仲間に入れても良かったと思うのですが・・・。

2011/07/08

阪急と阪神の駅ホーム全面禁煙へ・9月1日から

 7月5日の阪急阪神HDニュースリリースと神戸新聞記事からです。阪急電鉄と阪神電鉄の各駅構内及びホームは、9月1日から全面禁煙になるとのことです。

 現在は駅ホームの主に端に設けた喫煙所で喫煙を認める分煙方式であったものの、健康増進法で受動喫煙防止を措置をせねばならない他、私のような嫌煙派からも全面禁煙への要望が高いことから、駅ホームと構内通路などで全面禁煙に致すとのこと。

 このニュースリリース、阪急と阪神とそれぞれから出されており、表現が微妙に異なっておりました。両者違いは、阪急では喫煙コーナーを廃止する一方、喫煙ルームでは一部駅で設置し、そこでは喫煙が可能。阪神では「全ての駅で禁煙・・・」とだけあり、喫煙コーナーは無いのでしょうか。

Img_0156  いやこれ私には朗報です。私のタバコ嫌いはご存知の方はご存知でしょうけど、あの喫煙コーナー、なんでホーム端っこになるのでしょうか。あそこ私の乗車位置にすること多いんです。何故なら先頭車に乗りたいから。(笑)

 ・・・という鉄ヲタ精神でなくとも朗報で、たとえば阪急岡本駅(画像)。ここのホームは新開地方はホームが狭く、喫煙コーナーはホーム中ほどよりももう少し西のホームが狭くなる辺りにあります。梅田方面行きホームは、ホーム横の桜の木を隔てるとすぐ道路。地形的なことから少し上にあるこの道路を歩くと、よく匂ってくるんですわ、タバコの煙。あれ近所の家でも気になっているのでは。岡本駅では喫煙ルームは設置されないようですが、ここでの臭いが無くなるのは朗報です。

 他社では、JR西日本ではちょうど2年前の2009年7月から、京阪神地区の全ての駅で全面禁煙になっています。この時も本と嬉しいニュースでした。と同時に「阪急は?」と思っていましたけど、やっと阪急も全面禁煙となり、嬉しい限りです。

2011/07/04

吹き込み対策でガラス屋根を設置することに・JR大阪駅

 大阪駅ステーションシティ。JR西日本の大阪駅構内をスッポリ覆うドーム、というか大屋根が特徴で、ホーム屋根も撤去して頭上広々、となる予定でした。

 しかし昨年の連絡橋を、先行して乗り換え通路として使用開始した際、各ホームに繋がる階段とエスカレータ部分のホーム屋根を撤去したところ、雨が風に乗って霧状に吹き込みやすい様子で、どうしたものかとホーム屋根は撤去せずに大阪駅ステーションシティのオープンを迎えました。

 まだ屋根が残っています。
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 そして7月1日、JR西日本から発表があり、ホームの両端はこれまでの旧い屋根を残し、そこから連絡橋近くまでは屋根を撤去するものの、旧い屋根の位置よりもう一段高い位置に透明ガラスでできた屋根を設けるとのことです。

 こんな感じ。断面部分。(JR西日本発表の図より)

Danmen

  この図によれば、屋根は撤去するものの、柱はそのまま残るのですね。いやこの柱が無ければ、新しいガラス屋根が支えられない。

 で、このガラス屋根は、連絡橋の前後は設置されず、連絡橋の近くでは正真正銘の大屋根ドームが頭上に広がるわけですね。また環状線ホームの部分は大屋根が比較的低く、雨の吹き込みもまず無さそうで、このガラス屋根は設置されないようです。

 ガラス屋根を設置した後のイメージ。(これもJR西日本発表の図より)

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 しかしガラス屋根ですか。そもそも雨天の際に霧状に吹き込む対策であることは、逆に言えば水分が飛びやすい環境であるわけですね。ホコリなどがくっつくのが見えやすそうで、汚れを取る作業が今後増えるかもしれません。

 あの大屋根はこんな感じで両端の開口部面積は大きいですね。

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 一見して雨天の際には、たとえ風が無くともホームのある空間は気温が少し高めで、しかも屋根の存在で上昇気流が抑えられ、僅かに大屋根下へ吸い込む風が起き易くなり、雨粒が入るのではないかという懸念がありましたけど、それが結構大きかったようなのですね。

2011/07/02

あおなみ線にSL運転?河村市長

 毎日新聞web記事から、いりゃあせ名古屋掲載記事です。名古屋市の河村たかし市長は1日の市会本会議で、名古屋臨海高速鉄道「あおなみ線」にSL(蒸気機関車)を走らせる構想を明らかにしたという。

 記事によれば、河村市長の弁で、「新幹線に乗ると、あおなみ線のホームはすぐ隣。あそこにSLあれば、みんなが『ええなあ』と思うはず」とのこと。プロジェクトチームを発足させ、2012年度には走らせたい、と述べたと言う。

 記事はここまで、以下は私の意見です。閲覧の皆様、夢の無い話でごめんね。絶対無理です。本当に蒸気機関車を走らせるのか、蒸気機関車に似せた機関車で客車を牽引するのか。

 本当に蒸気機関車(蒸気機関車もどきでも)を走らせる場合、線路の高架と橋梁の負担力はどうか。名古屋貨物ターミナル以南は電車のみを走らせる前提ですので、軸重の重い大型の蒸気機関車は微妙なところ。

 それと設備。車庫はどこか(旧名古屋第一機関区がありそうですが)。石炭を積む、水を積む、灰を落とす、どこでやりましょうか。

 さらにダイヤ。王様列車で動かすことは可能ですが、現状のあおなみ線は貨物列車で多少のずれはあるものの、15分毎で運転されています。そこへ蒸気機関車ですか。名古屋駅と金城ふ頭駅での機関車付け替えはどうします?日中15分毎のパターンダイヤのうち、SL時間帯は一本運休せねばなりません。

 私、あおなみ線は滅多に利用しません(年に一回・・・荒子川のラベンダーのとき)ので、SLが走って通常の電車のダイヤがおかしくなっても影響はほぼありませんが、やっぱりSLの運転は反対だな。そもそも費用をどう捻出します?あおなみ線は一度経営破たんしております。SL運転で、集まるのはお客さんばかりで、SL運転に必要な費用分集まるかどうか。

 さらに別のサイトでは河村市長、引退した名鉄のパノラマカーも走らせたらどうと述べているそうですが、これもねぇ。地道に通勤型電車が一定間隔で走るのが、都市の鉄道だと思うのですけどね。

 そういえば、あおなみ線の終点には、JR東海の鉄道博物館「リニア・鉄道館」があるのでした。そこへのアプローチでSLだのパノラマカーだのというのは、面白そうですけどね。

***7月3日中日記事画像追加
 中日新聞7月1日付夕刊一面に、これに関する記事がありました。1日は帰宅後バタンで、新聞を読んだのは今朝でした。

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 ちゃんとここに、パノラマカーも走らせたいとありますね。他に話題性のある車両10種類ほどだそうで。まぁこれには私のコメントは、避けます。

2011/06/24

神戸電鉄・粟生線の上下分離方式を提案

 本日の神戸新聞web版社会面記事からです。赤字で廃止も取り沙汰されている神戸電鉄(神鉄)粟生線。神鉄の社長が小野市に対し、粟生線の土地と鉄道線路施設を買い取ってもらい、上下分離方式の案を示したことがわかったとのこと。近く、神戸市と三木市にも同じ内容を示すという。

 神鉄が小野市に示した資料では、粟生線の土地約13億円、鉄道施設約55億円分の計約68億円で、神戸市は約2億、三木市約40億、小野市約26億円になるという。そして施設を譲渡された三市は神戸電鉄に無償貸与し、施設修繕の負担も求めるとのことです。

 ただ、神鉄の素案通りに上下分離方式としても、2012年度は約7億5千万円の赤字、10年後の2021年度には9億3千万円の赤字になるという厳しい試算も提示されていると記事。

 

 鉄道の上下分離方式はインフラの部分と実際に営業を行う部分とを分離し、それぞれで経営をするというもの。多大な投資が必要な現在の新線や、赤字で経営が大変な鉄道の存続方法の一つとして有効な方法です。ちなみに道路での自動車を使っての運送は、ほぼ100%上下分離式の考え方と言っていいです。

 神戸電鉄では今年12月までに粟生線の存廃を含めた方針を決めるとしており、「具体的な内容を求められていたので、今の時点で考えられる案を説明した」ということなのだそうで。ただ示された案はなにやら神戸電鉄側に都合のいい内容で、沿線の三市がどのように出るのか。三つの市それぞれに思惑が微妙に違い、粟生線は今年暮には、続けるにも廃止するにも正念場を迎えそうです。

 ところで施設買い取り予定価格の約68億円には、複線化工事を始めたものの、工事中断となった部分の用地費や貫通済みトンネルの価格は含まれるのだろうか。約68億円は結構安い価格なので含まれていなさそうですけど、そもそもあの複線化工事は中断されてまもなく20年になろうとしています。

 神戸電鉄としては結構投資しているはずなので、投資回収できないまま今日の状況を産んでいるとも言えます。複線化工事が行われている(いた)のは全て神戸市部分。この先複線化するもしないも、粟生線のあり方と絡んで大きく議論しなければならないでしょう。単に赤字の粟生線を上下分離で運行を継続・・・、だけでなく、例えば神姫バスもテーブルにつかせ、地域の交通のあり方を論議する必要があると思います。

***2012年2月9日追記
 兵庫県からの粟生線支援策がと発表されました。神戸電鉄が提案した上下分離案は拒否されております。またこの支援策で粟生線は向う5年間の存続はほぼ固いです。
弊ブログ記事:http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/02/post_1fd0.html

2011/06/16

7月の間引き運転は回避か・関西の鉄道各社

 2日前の弊ブログ記事で、関西電力から電力供給されているJR西日本と阪急、阪神、近鉄の各社が、15%の節電要請を受けて夏場の昼の数時間、減便に踏みきると、朝日の記事をもとに書きました。

 そして本日の神戸新聞web版、さらにyomiuri onlineなどからです。関西電力(関電)の15%節電目標は根拠が無いとの批判もあり、関電も社会的に影響の大きい病院や鉄道などは10%に節電目標の値を下げるとの表明もあり、7月の間引きはなんとか回避されるとのことです。

 ただ原発の一つが定期検査に入る8月は、節電量が増える事から、需要量がピークとなる昼間の数時間の間引きが回避されるかどうかは微妙とのこと。

 この先の節電対策として、駅の照明を消す、券売機の一部停止、エスカレータの一部停止、車両の冷房の停止や減力運転などがあります。

 JR西日本が今後、間引き運転とした場合は、本線(東海道・山陽のこと)、環状線、片町線など京阪神の列車回数の多い線で実施すると讀賣の記事。

   ◇   ◇   ◇

 しかし2日前には「間引きは避けられない」の記事があるかと思えば、今日のように「7月は間引き回避」で、まだ正式に決められていません。関電の15%節電は大阪府知事が言うように、何の根拠があっての事かが示されず、結局数字が一人歩きしてしまった感があります。

 私も「節電=鉄道もそう∴列車の間引き」との概念がはたらいてしまい、2日前の記事を書いてしまいました。とにもかくにも少なくとも7月中の間引きは回避できそうで、まずは良かったです。

 神戸新聞に面白い記事が載っていました。神戸市の世帯で、7~9月の電気使用量の削減率が15%を超えた世帯に「省エネの匠」の認定証を交付する、のだそうだ。この認定を受けた世帯から抽選で、スルッとKANSAIのカード2000円分を贈ると、神戸市環境局の話。

 一般家庭でも節電の意識を高めてもらおうとの狙いで、対象者は関西電力との契約者で、神戸市内に1年以上住んでいる世帯。6月末までに申し込み、7~9月の間の検診票に書かれた値を報告し、昨年の同時期より15%以上減っていれば匠の認定証交付となる、のだそうです。

2011/06/14

関西のJR西日本と私鉄三社が節電で減便へ

 本日の朝日新聞トラベルweb版記事からです。10日の関西電力の需要先に15%の節電を正式に要請したことに伴い、JR西日本、阪急電鉄、阪神電気鉄道、近畿日本鉄道の4社は、都市部での昼間の時間帯に、運行本数を減らす方針であることを正式に決めたとのこと。他の私鉄、つまり京阪と南海含まれるのでしょうか、追随する公算が大きくなったと記されています。

 この四社、7月中の実施を目指すも、準備で開始が遅れるかもしれないとあります。

 関西電力の15%節電要請を満たすには、駅などの照明を一部消すだけでは足りず、JR西日本の場合、電力使用量は電車の運行で85%使用していることから、一部運休(間引き)ダイヤにせざるを得ないという。

  ◇  ◇  ◇

 今回、減便の発表となった阪急、阪神、近鉄は、直通運転などダイヤが絡んでいますので、共同歩調となったのでしょう。であるならば、山陽電鉄も、かな?

 結局、関西の鉄道も減便なんですね。昼間の数時間だけということですが、それでも減便は減便です。既に阪急では、節電の意識啓発も込めているのか、車内の冷房を入れていないか、或いは控えめにしております。

 中部電力の唯一の浜岡原子力発電所の運転停止で、私の所もこの夏は若干の不安を抱えた状況です。ただ名古屋地区は今のところ節電への努力は呼びかけられていますが、浜岡が停止しても供給量が最大の需要量を僅か上回り、節電要請までには至っておらず、鉄道各社の減便検討などといった事はまだ出ておりません。

 関西電力。福井県の美浜、大飯、高浜の各原子力発電所で4基の原子炉が定期検査中で運転停止、これらのうちこの夏に再開予定の原子炉が地元の了解を得られず、また高浜と大飯の2基が9月までに定期検査で止まる予定で、供給量が需要より下回ってしまうという。とても中部電力への融通が出来る状況ではなくなりました。

 ところで節電ダイヤですけど、どういう形になるのでしょうか。ダイヤを変えてしまうのか、ある列車毎に運休を決めるのか。阪急の場合、10分間隔で電車が走っています。梅田駅の神戸線特急ですと、00、10、20、30、40、50分に発車します。15%削減でこれを5本にしますと17%削減になります。例えば5本の運転で12分間隔のダイヤを新たに引くのか、それともどれか1本を運休するのか。降車ですとまるまる20分空いてしまいます。

 JR西日本と阪急は普段から利用しています。春の「ブラシ騒動」の時はなんとか目処がつきましたけど、結局は電力不足で減便ですね。止むを得ないです。

2011/06/12

尾張一宮駅に225系電車がいた

 今日、尾張一宮駅午前11時09分発の電車に乗るべく道を歩いていたら、栄一丁目の交差点を過ぎた先に見える尾張一宮駅上り2番線。普段はいないはずなの線路に何やら電車が。

 上り2番線というのは、一番東側のホームの無い線路で、時々「珍車」ともいえる車両がやってきたりします。今回もその類か?などと歩くうちに、だんだん駅に近づくと、それはJR西日本の225系っぽい。フラダンス教室のそばでそれは完全に断定できました。

 こんなことならもっと早くに駅に着くようにしておけばよかった。丁度発車時間に間に合うように、途中ゆっくり歩きましたもので(暑いですし)。

 で、その225系。6両組成が登場したのですね。

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 編成は、尾張一宮駅の上り出発信号機に近づけて停めてありますので、もう少し近くで撮影。

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 背景で一宮市内であること、地元の方ならお分かりでしょうね。

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 大阪方、というより下関方先頭車は、クモハ224-6。全車の車号控えておきたかったですが、あと数十秒後に乗らねばなりませんでした。

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 この尾張一宮駅には、JR西日本の大垣直通列車が221系に替わるとき、やはり乗務員の訓練でこの上り2番線に留置されていました。

 現在、大阪方面から大垣への直通列車は、3往復で上下6本あります。大垣行きは223系4連、221若しくは223系4連、223系6連の順でJR東海に乗り入れます。この編成が6両組成であることから、223系6連の運用に今後は225系も入る可能性がありましょうか。

 そのためにJR東海の乗務員も車両を周知するために試運転など、車両の扱いの訓練が必要で、おそらく今日見たものは、その類かと思います。

 しかしJR西日本のアーバンネット区間内でもなかなか見かけない225系ですけど、まさか我が地元、JR東海の尾張一宮駅で見かけるとは思いもよりませんでした。225系登場で、可能性は考えられましたけどね。

 一つ感心したこと。どこでどう聞きつけてきたのか、ホーム上には同業者の方が沢山。知ってる人はいなかった(気付かなかった?)ですが。

撮影:2011年6月12日11:07~08の間

***画像追加
 この225系、その後6月13日と14日も尾張一宮駅に来ていました。一宮市内が入る様に写してみました。

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 この画像の左側の工事は新駅前ビルの工事現場。昭和の香りがする「一宮ビル」は、新駅ビルが完成するとこの位置からは見えなくなります。

2011/06/11

JR北海道での運転士居眠りで

 昨日のラジオニュースで何度か、JR北海道の千歳線を走行中の快速列車で、運転士が居眠りし、それを乗客の通報で分かり、幹部が陳謝したというニュースがありました。

 ラジオはNHKですが、マスコミってあんな文章の傾向になるのですかねぇ、「トンネル火災事故などトラブルが続くJR北海道で・・・云々」。私のエコな目(耳)かもしれませんが、JRで一度何かあり、また別の何かがあるとそれに引っ掛けた言葉が、どうも私には引っかかります。

 で、今回発覚した千歳線での居眠り運転。JR各社の鉄道車両にはEB(emergency break)と呼ばれる装置があり、1分間運転士が運転の操作を何もしないと、直ちに非常ブレーキがかかるという装置があります。ですので、本当に眠りこければ非常ブレーキが作動しますので、こんなことを全国ニュースにするほどでもないと、NHKたるものに反発を覚えてました。

 しかし今朝のニュースで(CBCラジオですが)、JR北海道は乗客が撮影したという動画を公開したとのこと。そこで、ようつべ。ありました。私の1分間何も操作しなければ・・・は見事に崩壊。「うつらうつら」でマスコンレバー、動かしてますね。マスコンとはマスターコントローラー(master controller=主幹制御器)で、そのレバーを操作することで流す電流を調節して速度を高くすることができます。

 人間の睡眠は浅いの深いのそれぞれです。うつらうつらの居眠りは、覚醒状態と極めて浅い睡眠が一緒にあるもので、経験ありましょうけど、本来すべき状態の変化があれば直ぐに察知できるものです。そこでマスコンのレバーから一瞬手が離れれば、「おっとっと」というような感じで手が戻ることは用意に想像できますし、動画にはそんな様子が映っていました。

 EB装置は居眠り対策ではなく、本来は運転士の急な失神などで運転できない状況になった際に緊急に列車を止めるためのものです。EB装置が作動すると警報を発するブザーが鳴り、5秒後(5秒とは限らないかも)にブレーキがかかります。しかし5秒以内に解除ボタンで解除操作することで警報は解除、新たな1分間の監視に移ります。近年は名鉄でも取り付けられ、時々「ピコンピコン」など音が鳴っています。

 しかしこの運転士、なにか病気でもあるのでは。時々居眠りによるものと思われる事故がありますけど、病的な要因で睡眠に陥りやすいというのがありますね。しかもなかなか健康診断では見つけにくいもので、マスコミもJR北海道もこの運転士を追及する前に、そちらを疑ってみた方がいいと思います。「居眠り=不注意・真剣に非ず」という認識は広く考え直すべきでしょう。

2011/06/10

リニア中央新幹線の名古屋駅・新ターミナルビルの地下へ?

 リニア中央新幹線の概略ルートと駅の位置が公表されてから、なにかと関連の話題が出ております。その一つ、昨日の中日新聞朝刊一面記事からで、リニア中央新幹線の名古屋駅は、現在の名古屋駅と直交するように東西に400mのホームを設けるとあります。

 当面、リニア中央新幹線の終点となる名古屋駅は、ここで東海道新幹線に乗り換えて頂けるよう、名古屋駅の地下を東西に交差して地下20mより下に駅ホームを設け、リニア中央新幹線と鉄レール東海道新幹線とは高低差30m、乗り換え時間が最大で10分以内で可能にするとのアナウンスは既に出ており、それの裏打ちのようですね。→その記事

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 気になるのはその位置。現在取り壊し中の名古屋ターミナルビル。建て替えで2016年に新たらしく一部高層ビルの名古屋ターミナルビルが出来ます。地下階もかなり下まであるとのことですが、下の方の階は何が入るのかアナウンスが無い階があるんです。何も全て公表する必要はありませんが、この未定階にはリニア中央新幹線が入るのだ、という方がいます。いやウワサですけどね。どうなのだろう。

 新聞記事、右下の方が切れ掛かっていますけど、「16年度に完成させる駅東側の新ビルにも、エスカレーター、エレベーターなどで直結する可能性がある。」とあり、早い話、新ターミナルビルの地下にリニア名古屋駅のホームやコンコースなどが入る事となるように読めます。

 リニア中央新幹線のホーム長は400m。名古屋駅も当然この400mのホームが地下深くに東西に出現することになります。400mは結構長く、JR東海の用地を東西に計っても約360m。東西どちらかか双方でJR東海の用地からはみ出し、公道下に駅を設けることとなりましょう。

 リニア新幹線の名古屋駅は、将来は中間駅になることから2面4線の単なる「駅」でしょうか。車庫が中津川市に出来るとのことで、検査設備も設けられず、駅西の将来は本線となる引き上げ線をどこまで設置するのかがありますけど、配線は至って簡単なものとなるでしょう。

 それより、地上の東海道新幹線です。現在は2面4線の駅で、東京方からの折返しは一度引き上げ線に入って折り返す事が出来ます。しかしリニア新幹線開業後は大阪方からの折返しも考慮せねばならず、出来たらホームでの折返しができれば便利でしょうし、暫定措置とは言え、配線に手を付けねばならないと思います。

 ただ、名古屋駅での乗換えを嫌って、東京からそのまま大阪や岡山へ乗りとおす方も多いと思いますし、東海道新幹線は案外現状に近いままで、リニア新幹線名古屋暫定開業となるかもしれませんね。

2011/06/09

長野県木曽地域の中央本線・全線複線化への要望

 中日新聞web版社会面からです。まだ夜中でweb版ですけど、これ私のところ(尾張地区)に配達される紙面で記事になるのだろうか。

 リニア中央新幹線計画にからみ、長野県の木曽地域の首長や議会・財界人と、JR東海との面談が8日、木曽町で行われたとのことです。その席上で、リニア中央新幹線が中津川市西部に駅が設置される見込みで、木曽地区の発展を期待し、一部単線で残っている中央本線を全線複線化とするようにとの要望が出されました。

 また水源保全や旧妻籠宿一帯の環境保全も要請したということです。おや?なぜJR東海へ?と思いましたが、7日に示されたリニア中央新幹線の概略ルートが、岐阜県中津川市北部から馬籠峠近くを経て長野県南木曽町の蘭川(あららぎ)の谷筋近くを通ることから、こんな要請が出たのでしょう。馬籠峠近くの概略ルート近傍には、宮本武蔵ゆかりの男捶滝(男滝・雄滝)があり、豊かな森林地帯、滝の水源を枯らさぬ様にとの意味もあると思います。

 リニア新幹線が設置されることとなる予定の中央本線美乃坂本駅。中津川市は東京が一気に近くなることで大喜び。木曽地区も中津川市に近く、リニア新幹線開通で「木曽地区の振興につなげたい」、とは木曽町長らの弁です。

 中央本線の中津川~塩尻間94.9kmのうち、現在単線区間なのは、十二兼~倉本間14.8km、原野~宮ノ越間2.8km、奈良井~贄川間7.0kmの合計24.6km。

 木曽平沢~贄川間は一部で複線化工事が行われたものの途中で中断し、新しく掘られた複線断面のトンネルを単線で使っている箇所もあります。これ以外では複線化工事が行われた形跡が無く、狭小断面のトンネルもあり、昭和48年の電化当時からそのままな状況です。

 ただ、輸送が逼迫している状況でもなく、1時間間隔で走る特急「しなの」は上手い具合に複線区間ですれ違うダイヤになっており、私が見たところはそう複線化を求める程でもない様に思います。普通電車をもう少し増やして頂ければ、嬉しいのですけどね。

2011/06/08

リニア中央新幹線の概略ルートと駅の設置案を公表

 昨日7日、JR東海は構想のリニアモーターカーによる中央新幹線の一期分、品川駅~名古屋駅間の概略ルートと、駅の設置位置の案を公表しました。

 まずルート。

  • 出来る限り直線に近いルートを取り、山梨リニア実験線はそのまま営業線として用いる
  • 最小曲線半径は8000m、最急勾配は40‰
  • 大都市部は大深度地下を通す

このような制約と方針のもと大まかなルートが示され、長野県の諏訪を通すとか、南アルプスをトンネルで抜けるのか、でもめていた山梨県~岐阜県のルートは、南アルプス直線トンネルルートの「C案」となりました。

 線路、最急勾配が40‰ですか。磁気浮上式の鉄道は勾配に強いのが特徴ですが、時速500kmで40‰を走り抜けると、もろ「G」を感じるのでは。現在の東海道新幹線で垂井町から関ヶ原町にかけて例外的に25‰の勾配があり、そこの勾配変化点を時速200kmで走ると、エレベータの動き始め、動き終わりの様な感じがします。

 また駅の設置位置は、起終点の品川駅と名古屋駅の他は、経過地の各府県に一駅を設けることとなりました。そして、

  • 大深度地下を使用できる地域以外は地上駅を基本とする
  • 駅構内は2面4線島式ホームを備え、上下亘り線を設置する
  • そのため1kmの区間が平面線形で直線、縦断線形で水平であること
  • 乗り換えの便を図り、既存の駅と近接していること

他にもまだ条件はありますが、大まかな点はこんな感じです。

 そこで示されたルートと駅の駅を文章で書くと、先ず品川駅。地下駅です。私が当初思っていた現在の品川駅と直交し、東西にリニア新幹線の駅を設置するのではなく、並行して駅を設置し、リニア新幹線は一度南へ向うルートです。

 品川駅を含め東京都内は大深度地下を地下を通し、徐々に西に向き、多摩ニュータウン南端を通り、神奈川県相模原市の橋本駅付近へ。相模原市の駅は地下に設置する。

 相模原市からは更に西へ丹沢山系を抜け、山梨リニア実験線へそのままつなげるルート。山梨県内は、既存駅との接続で、身延線が通る中央市に駅設置の案が示されています。

 山梨盆地からは、盆地西部の巨摩山地が軟弱な地質で、直線ルートと言いながらも一度南西方向へ向き、巨摩山地を避ける様に山地南部を通過。南アルプスを長大トンネルで抜けるところまでは概略ルートで示されております。

 その先の長野県飯田市近くを通る伊那谷の区間は、まだルートが示されておりません。地元では飯田駅付近に駅設置希望であるも、伊那市ではもっと北寄りを希望しているとか、高森町に造るとか言われており、長野県部分はまだ調整が済んでおりません。

 長野岐阜県境は中央アルプスの南端部分を通り、岐阜県中津川市の北部から西部を通り、中央本線の美乃坂本駅付近へ。概略ルートでは駅名は一切書かれていませんが、JR中央線の既存駅に近接とあり、美乃坂本駅以外ありません。ここは高架駅で計画し、近くに車両基地も計画されております。

 中津川市からは中央本線の北側(西側)を通り、岐阜県多治見市の市街地を避け、愛知県へ。愛知県の平野部は全て大深度トンネルで抜け、愛知県名古屋市の既存JR名古屋駅と直交する様にリニア中央新幹線の駅を設置。

 ここまでで確定しているのは、品川駅と名古屋駅の位置、それと営業線に転用する実験線だけです。品川駅はどの辺りに造るのだろう。大深度だからいい様なものの、あの辺り高層ビルが増えている様ですね。

 名古屋駅。ここは建て替え計画の新・名古屋ターミナルビルで、建物基礎の上部に地下階ではあるものの、何が入るのか示されていない階が幾つかあります。この何も示されていない階はリニア新幹線の躯体であるとのウワサを聞いたことがあります。真偽は分かりませんが、実際問題、既存名古屋駅と直交するのであれば、あそこしか空間は無さそうですね。

 中間駅はこの設置案通り設置されるかどうかは分かりません。JR東海は地上駅で約350億円、地下駅で約2200億円もの費用を全額地元負担で求めております。これどうなのだろう。仮に地元が一切お金出さないので駅は要らない、となって品川~名古屋間に運転整理できる場所が無かったら、なにかあった時どうします?

 中間駅は単に地元の利便性だけでなく、運転扱いにも必要なもので、全額地元負担とは如何なものであろうか。ホームとか駅舎とかそういった設備に地元負担で、停車場はJR東海にとっても有益なもので、もう少し減らせそうです。

 が、この350億円というのは、この駅の旅客関係設備の設置費用のことだろうか。

 先日は国土交通省から建設の指示があり、中央新幹線リニアモーターカーは第一歩を踏み出しました。品川~名古屋間は2027年の開業予定。新大阪までは2045年の予定を前倒ししたいとのことですが、本当に2027年の部分開業に漕ぎ着けられるのであろうか。なにかまだまだハードルが出てきそうです。

2011/06/04

名鉄矢田駅で瀬戸線電車を撮ってみた

 昨日と今日、小幡駅前の守山文化小劇場で知人が演奏するコンサートがあり、行ってきました。小幡への往復で昨日は、久しぶりの名鉄瀬戸線。どのくらい久しぶりかな?今世紀始めの頃に瀬戸地区の名鉄バス乗り回し以来かな。

 その帰り、日もまだ高く、普通電車で矢田駅で一つ落として、少し電車を写してみました。矢田駅はかつて、名古屋市内でも一番うらぶれた雰囲気のあった駅。瀬戸方は急曲線と勾配で、瀬戸線中の隘路。

 瀬戸方向はこんな感じ。20パーミルの勾配とR120の曲線。曲がった先は有名な矢田川橋梁。35km/h制限です。しかし橋を渡った先も旧曲線で、隘路ですね。

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 今年3月で、つりかけ駆動の電車は引退し、今は三系列だけになりました。まず本線から移転した6000系。「本線ではこんな曲線は無い」と6000クンは思っているかもしれません。

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 1978年の瀬戸線1500V化で投入された、6600系。瀬戸線では一番古い電車になっています。

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 逆に瀬戸線で一番新しい4000系。私、今回小幡までの帰りで初めて4000系に乗りました。

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 瀬戸方のホーム端にいましたけど、4両分のホーム長、栄町方もズームきかせて写せました。

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 向こうに見える橋梁は、下を瀬戸街道が通る鉄橋で、旧の瀬戸街道付け替えで新たに掘割を掘り、瀬戸線には橋がかけられました。

 この矢田駅から中央本線の上を越える辺りまで、かつての矢田川の旧堤防に線路を敷設してます。尾張万歳発祥とされる、長母寺の境内を横切っています。

 で、守山文化小劇場のコンサート、近日中に記事にしますよ。

2011/06/01

JR北海道の火災事故はどうも根が深いらしい

 5月27日夜に起きた、北海道勇払郡占冠村のJR北海道石勝線で起きた、特急スーパーおおぞら14号の火災事故。その後の情報では部品破損を起こしていることが分かったそうで、その部品というものが機関(エンジン)からの推進力を伝える動力伝達装置。火災もさることながらこの動力伝達装置の破損、脱落がなにやら深刻です。

 この報道を見て、私はとっさに火災を起こした283系気動車特有の問題かと思いました。JR北海道の283系気動車は制御振り子式で、振り子式故の構造で最高速度130km/hで運転し、無理がかかったのでは?と思いました。

 しかし、一つ事が起こるとその後ゾロゾロと同類の事故(事象)が出てくるものなんですね、気動車の推進機構の破損が他のJR各社でもこれまでに何件か起きていたのだそうで、しかも、JR西日本、JR四国で振り子式ではない普通の気動車でも起きていたそうです。私知りませんでした。ニュースにならない程度だったのでしょうか。推進軸が壊れれば動けなくなるのですが。

 この事故で国土交通省は、全ての気動車、正しくは内燃動車と内燃機関車を保有する事業者に動力伝達装置を点検し、その結果を6月30日までに報告するよう通達が出ております。→こちら通達

 ところでJR北海道の石勝線で起きた「おおぞら」の火災事故。結局、

  • 推進軸などが破損・脱落→脱線→火災

という順番で起きていたようですね。この出来事に関連性が有るのかどうかは今ここで判断できませんが、部品脱落で落ちた部品を車輪が踏んで、脱線に至ったのでは?ということは想像できます。そして火災に至ったのは何故か。もし部品破片が飛び散り、燃料タンクに穴を開けたとすると、そんな「やわ」なタンクでいいのか?という問題があります。

 やがて運輸安全委員会の調査結果があることでしょう。

  ◇  ◇  ◇

 JR北海道のHPのニュースリリースで、PDFファイルの事故報告文書が公開されています。これによれば事故現場が「清風山信号場構内」とありますね。列車が燃えた第1ニニウトンネルの札幌方に新登川トンネルがあり、その釧路方出口付近に下り(釧路方面)場内信号機があります。

 つまり、列車が燃えた第1ニニウトンネルは清風山構内であり、駅間の本線上ではなく構内で起きた事故となっています。運転取扱い上では極めて正しい表現ですが、一般の方がこれを見ると「?」となるのではないかな。
→そのPDFです。構内の配線も掲載されています。こちら

2011/05/29

「煙が出た」ってレベルじゃないな・JR北海道の特急火災

 5月27日の夜、時刻表から推定すると午後9時51分頃かな?、北海道勇払郡占冠村の石勝線で、特急スーパーおおぞら14号から煙が出たという事故は、時々あるディーゼルカーの発煙事故だろうか、と思っていました。

 しかし今朝の新聞朝刊記事を見て、唖然。白黒写真ですのでよくは分からないのですが、煙が出たっていうレベルではなく、どうも車体が焼けているかのよう。それとも「焼けた」ではなく、激しい煙で「燻製状態」になったのだろうか。

 ネットで同じ写真のカラーがありましたけど、此れ見るとやっぱり焼けたみたい。つまり煙が出て、お客さん避難した、ですむ話ではなさそう。一つ間違えば大惨事になる出来ごとで、幾つかの不幸中の幸いがあったようです。

 発生場所を確認してみます。場所は新夕張駅~占冠駅間の第1ニニウトンネル内。この辺りは駅間距離が長く、信号扱いでの停車場間で書くと、東オサワ信号場~清風山信号場間。第1ニニウトンネルが清風山信号場の下り場内信号の内方にあり、トンネル内ですが厳密には清風山信号場構内ということになります。

***6月1日訂正・現場を通る動画は削除しました。

 昨日の新聞で消火活動を行っている画像では線路が3本見え、かまぼこ形の坑口からもうもうと煙が出ている画像があります。この煙が噴出しているかまぼこ形の坑口は、第1ニニウトンネルではなく、清風山信号場の分岐器(ポイント)部分に被せてあるスノーシェッドで、トンネルとスノーシェッドをくっつけて、あたかも一つのトンネルの様になっています。

 そして清風山信号場で写したと思われる、レールの内側の枕木に、車輪が脱線しフランジで大きく削ったとみられる画像があり、延々と続いています。今回の事故は5両目の後部が脱線していたとのことで、これ車内は相当揺れたのではないかな。そして信号場の三線ある線路を一線(つまり単線)にまとめる分岐器で思い切り飛び撥ねただろうと思います。

 それとこの脱線と火災とは関係有るのか無いのか。どこが火元なのか。これが今回の大きな焦点です。運輸安全委員会が調査に入ったとのことで、やがて報告があるでしょう。

 ところで、列車が停まったという第1ニニウトンネル。全長685mです。仮にそのまま列車が進み、次の新登川トンネル内で停まったら・・・。新登川トンネルは5,825mあります。坑口付近なら兎も角、坑口付近でも火が出ていれば避難に時間がかかり、北陸トンネル事故の二の舞になったかもしれません。

  ◇  ◇  ◇

 しかし車両から脱出して避難するも、これも危険が付きまといます。何しろここは北海道の山中。ヒグマですよヒグマ。本州のツキノワグマよりも大きく強い。私は遭いたくない動物です。夜ですし、ヒグマは夜動くのかは分かりませんが、外は外で危ないです。

***追記
 新しい鉄道車両は基準で、不燃性もしくは難燃性の素材で造られることとなっています。ですので炎を上げて燃えるまでに至ることは少ない点を付記しておきます。

***5月30日追記その2
 火災を起こした車両の車内を報道公開しておりましたが、見事に燃えております。燃料の油が全て燃えたとのことで、難燃性の素材でも油に火が付けば、ひとたまりもありません。

2011/05/27

明日から京阪の淀駅上り線も高架化・JRA大きく負担

 以前に弊ブログで書いた通り、京阪電鉄の京阪本線淀駅周辺が、明日5月28日始発から上り線も新しい高架線を走り、淀駅も一足先に高架化された下り線と同じ位置になります。

 京都新聞記事からです。この高架化(連続立体交差化事業)では3ヶ所の踏切があり、競馬開催日や朝はかなり混雑するので、高架化が求められ、1999年から事業着手したとのこと。そして気になるのは次の一行。

>約280億円の事業費をJRA6割、市と京阪電鉄が2割ずつ負担した。

 へぇ~、JRAが6割の負担ですか。意外な数字です。新しい高架の淀駅が現在の地上駅から約300m京都側(出町柳側)移動し、京都競馬場に近づいて利便性を高めたのはそのためか?・・・などと思えてしまいました。

 実際には競馬場に近づけたのはそのためだけではなさそうですが、6割とは随分大きな負担です。約280億の6割、約168億円ですか。競馬の事情分からないんですが、そのくらい負担できるのですね。

 また京阪電鉄の負担2割も結構大きく、一方で京都市の負担2割は異常に少ないです。鉄道立体交差化事業は、結局、「どこに利便益があるのか」で負担割合が決まってきます。都市計画によるものは、この地域ですと、鉄道事業者7%(0.7割)、残りを事業主体者(自治体など)が負担する事になっています。

 今回は京都市の負担割合が少ないのは、除去される踏切が必ずしも幹線道路になっていないのがあるでしょうか。そして高架化の理由としてある「競馬場客のマナー」もあり、JRAが多額の負担となったのでしょう。そして京阪電鉄の2割は、現在駅よりも設備の増強と改良が行われる分もあると思います。

  ◇  ◇  ◇

 ところで淀駅、296m出町柳方に移動します。既に高架になっている下り電車に乗ると、淀駅を発車後、一度地上に降ります。車庫への分岐器があるためで、淀駅から宇治川の鉄橋まで連続高架でもよさそうですが、この間には既に二つの道路橋が線路の上を通っており、高架にした場合に車庫との接続線を設けると、またややこしくなるため、一度地上に降ろした設計にしたのでしょうか。上がって下りてまた上がるのは、ジェットコースターみたいです。

 で、私が気になるのは信号の扱い。淀駅と淀車庫との間が微妙に離れます。高架線への坂道の分は離れます。現在の通り、車庫との分岐部分も淀駅構内になるのか、それとも淀駅と車庫部分とは切り離し、車庫との分岐は信号場を設けるのか、どうなるだろう。

 本線路完成の後の付帯工事に側線の工事もあり、駅前広場の整備も行って、事業の完成は2013年度です。

***夕方追記
 KBS京都のラジオ放送で、京阪淀駅が移転する明日、京都競馬場で駅移転を記念し、色々イベントがあるそうです。28日は競馬場入場料が無料になる他、なにか沢山あるようなこと、奈美ちゃんが話していました(妹尾さんの番組内で)。

2011/05/25

名駅のタワーズライツ・今年から事実上の中止

 5月24日付中日新聞朝刊一面記事からです。JR東海は、中部電力浜岡原子力発電所の発電停止を受けての節電対策を明らかにし、自社の主要駅のコンコース照明を二割削減するなどの他、加えてこの冬から、名古屋駅前にあるセントラルタワーズのイルミネーションを全面的に中止するとの事です。

 イルミネーションの中止、つまりタワーズライツの事ですよね。毎年11月10日前後から年明けの数日間まで、セントラルタワーズの2階テラスとガーデンで、毎年のテーマに沿って煌びやかなイルミネーションを輝かせています。

 タワーズライツはテラスとガーデンのイルミネーションの他に、高島屋の入るビルの壁面に大きな壁掛けイルミネーションもありましたが、こちらは名古屋ターミナルビル建て替えにより、バス乗り場が道路上に移設された事から、渋滞防止のために昨年の冬から2016年までは行われないことになっています。

 これに加えて記事の文章によれば、

  • 今冬から新ビルが完成する2016年までは2階と地上でも実施せず、壁面電飾の再開は電力の供給状況をみて決める

とあり、2階テラスとガーデンでも2016年まで行われない、つまりタワーズライツは2016年冬まで中止されることとなりました。残念です。ただ2階テラスとガーデンで行われない理由が、新ビルの建て替え工事による渋滞防止の理由の様に読めます。節電もあるでしょうけど。

 そして壁面電飾、つまり大きな壁掛けイルミネーションは、2016年以降でも電力供給状況ということで、この先浜岡停止による電力供給量減少が続けば、暫くは行われないかもしれませんね。

 タワーズライツに限らず、冬のイルミネーションは賛否両論があります。反対では、ムダに光が多いこと、電気が勿体無い、が大きな理由だそうです。確かに電気勿体無いとも思いますし、そんな面でもこれまでの有り方を見直す分岐路に差しかかっているようです。

 さて、これら節電対策を明らかにしたJR東海では、駅のエスカレータの運転中止などは、中電管内では考えていないとのこと。また運行本数の削減は「避けたい」考えだそうです。利用者として出来うれば、削減は行わずに済むことを願うばかりですね。

2011/05/21

商店街で見つけたレール文鎮

 久しぶりに我が地元の一宮本町商店街から。と書きながら、ここではあまり買い物すること少ないですが、アーケード街のテーブルでこんな物を見つけました。

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 チラシ(街あるきマップ)の押さえに、レールを切断して作った文鎮です。こういうのに私、目ざといですね。勿論手にとって見ました。エッチング加工だと思いますけど、浮き上がらせた文字があり、

 「1995年8月26日 一宮連続立体交差事業高架完成記念」

とあります。一宮駅を中心とした鉄道線路の高架完成を記念して作ったのですね。大きさから多分、40kg/mレールで、名鉄尾西線の本線路か。あるいは名鉄の側線で使われていた廃レールを加工したものかと思います。

 一宮市の連続立体化事業は最初、JR東海の東海道本線上り線路を高架、ついで下り線を高架、その後名鉄名古屋本線を高架でこの時に尾西線と分断、つづいて尾西線の津島方を高架でこの時に玉ノ井方は分断、最後に尾西線玉ノ井方が高架となり、愛知県と一宮市が推進する高架事業は完成しました。名鉄の一宮駅ビルが出来たのはそれからです。

 しかしこんな文鎮、公衆の通るところに置いて大丈夫だろうか。私のような好き者が持って行きやしないか・・・と思うのは私ぐらいで、普通の人はこれがレールとは直ぐに分からないでしょうし、分かっても欲しくならないでしょう。書道される方はもっと別の文鎮に愛好されているそうです。

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 レールの素材は鉄に炭素を含ませ硬度を増した炭素鋼です。レールから鉄やマンガンなどの成分を取り除くと炭素が残ります。炭素を思いっ切り固めたものがダイヤモンドですけど、ダイヤモンドとレールとが並べられ、「どっちか好きな方持って行っていいよ」といわれれば、迷わずレールだな。光り物興味ないもん。

 

 これ写真を撮った直ぐ近くにこんなお店が。鉄道カフェです。いろんな方に「あそこ行った?」と言われますけど、私まだ入った事がありません。

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 時々マスコミの取材があるそうです。だれか私と行っていただける方、いませんか~ぁ。

***追加
 コメントにありますような、文鎮用に鋳型に流して作ったものかどうか確かめました。

 結果。ニセモノでした。これを撮影した際は、ただ持ち上げて重さから本物だろうと思いましたけど、pontaさん、さすがにプロですわ。底部の厚さからニセモノではないかとの指摘ですけど、撮影角度ではなく、実際に(文鎮としての)上部と下部の厚さが違い、またこのレールが全く立たず、鋳型に流したものと判明しました。しかも頭部の磨り減りが見られませんね。

 しかし文鎮として作ったのなら、なぜあんなに重たくするのであろうか。子供には持てない重さです。

2011/05/20

節電で地下鉄の減便を検討・大阪市交通局で

 19日、讀賣関西web版記事からです。夏の電力不足が憂慮される中、大阪市交通局は地下鉄・ニュートラムの各線で、「通消費電力がピークとなる朝ラッシュ時(7~9時)」の運行回数を減らす間引き運転を行い、節電対策とする検討を始めたと伝えております。

 関西電力の原子力発電所、定期検査中の原子炉が運転再開できず電力不足に陥った場合に計画停電が行われる場合に備え、供給電力が10%ないしは20%カットした仮定で運行本数減を検証したとのこと。

 その結果、10%カットで御堂筋線を含む全線で減便。20%カットで御堂筋線は通常ダイヤで、その他の各線で大幅に削減なのだそうです。

 御堂筋線の削減は他線から廻る人も多いことから影響が大きいと見ているのでしょうか。10%カットでは減便ですが、20%カットでは通常運行とは、面白い結果です。

 関東の鉄道で、節電で減便としているところは基本的に日中ですが、大阪市営地下鉄では朝ラッシュ時というのが気になるところです。地下鉄・ニュートラムとしては一番電力を使うのは朝ラッシュ時ですが、電力供給全体でみれば一日のピークは午後2~3時ですので、朝に減らしてもただ混雑を増すだけだと思うのですけど。

 記事はあくまで「検討」とあるだけで、決まったわけではありません。

 ◇  ◇  ◇

 さてここで翻って我が地元の鉄道を考えたい。中部電力は今、唯一の浜岡原子力発電所が発電停止となっており、夏の電力ピーク時は需要ギリギリな状態らしい。そこで政府の呼びかける15%で、地下鉄も名鉄の動向が気になっております。

 人様の行動を見てこちらも動く傾向のある名古屋人の気質、もし大阪市営地下鉄で本当に節電対策の減便に踏みきれば、名古屋市営地下鉄も名鉄も減便へと動くのかもしれませんね。

2011/05/15

信楽高原鐵道・列車正面衝突事故から20年

 昨日は5月14日。私の地元の電力会社である中部電力が、保有する唯一の原子力発電の原子炉を止め、発送電も停止したニュースが大きくて、予てから書こうとしていたこの記事は一日遅れとなりました。

 信楽高原鐵道。滋賀県にある旧国鉄信楽線の廃止後に第三セクターを設立して運営を引き継いだ会社です。路線長は14.7km。起点の貴生川駅から連続33パーミルの急勾配が続くローカル線。JR西日本発足後の1987年7月に信楽高原鐵道信楽線として発足しました。

 ローカル線ですが脚光を浴びたのは1991年の世界陶芸際での旅客輸送。しかしこの世界陶芸際での臨時列車運転で重大な事故を起こしたわけです。

 事故の過程はマスコミやネットで多く記事になっていますのでここでは書きませんが、20年前の5月14日、この一報を聞いた時は、出来事としてにわかには信じられませんでした。単線区間ですので正面衝突の危険性ははらんでいる様に思われています。しかし鉄道には「閉塞(閉そく)」という概念があり、否、概念ではなくれっきとしたシステムであり、この閉塞の取扱いを厳正に致していれば、正面衝突というのはありえません。

 しかし現実に起こってしまいました。信楽駅の信号操作盤の電源が落ちたとか、いろいろ言われていましたけど、私が一番残念で極めて激しく非難すべき事として、信楽駅で出発信号機が赤(停止現示)のまま、安全装置の存在に依存して列車を発車させたこと。これに尽きます。

 後に分かったことですが、信楽高原鐵道のいわゆる責任者という立場の方は、鉄道出身ではない、第三セクターゆえの自治体出身の方が幾人かいらっしゃったようですね。鉄道の世界はある意味職人の世界でもあり、悪しき慣わしも無いことは無いですが、先人から鉄道魂を叩き込まれ、そしてそれが次の世代につながっていました。安全も当然、先人からそれこそ体を張って叩き込まれていました。それでもちょいちょい間違いがあったもので、安全への対策が出来ています。

 しかし自治体出身者では、マニュアルではこの取扱いを厳正に行うことは教えられていても、この「精神の伝統」は無かったのでは?と思います。それ故に「誤出発検知装置」に頼る発想が出たのでは?

 安全には万一の妥協も許されない、改めて思いしらしめられた様に思います。

2011/05/12

京都・関西空港間の新たなアクセスルート・堺筋線経由で

 5月9日の阪急阪神HDニュースリリース及び5月10日の日経近畿web版からです。国内外から関西空港を経由して京都を訪れる方への手段として、大阪市営地下鉄堺筋線を経由した新たなアクセスルートと、このルートを経るお得なきっぷを5月14日から期間限定で発売するとのことです。

 関西空港から京都へは、現在はJRの特急「はるか」を使うか、リムジンバスにするかが一般的でしょうが、これに加え既存の私鉄を使っていただこうというのが、今回の狙い。記者発表には、阪急と南海の他に大阪市、行政として京都市に加え、国土交通省近畿運輸局も連名となっております。力の入れ様がハンパではないみたいですね。

 明後日5月14日、阪急京都線と大阪市営地下鉄堺筋線のダイヤ改正により、土曜休日は阪急京都線の河原町駅と大阪市営地下鉄堺筋線天下茶屋駅との間での直通準急が20分間隔で運転されます。土曜休日に限ることですが、京都市内から関西空港までは乗り換え一回になり、JR線でも快速などを使った場合でも乗換えが二回となる事を思うと、利便性の点ではインパクトがあります。

 またこの新たなアクセスルートに使えるお得なきっぷが発売されます。京都から関西空港へは「関空アクセスきっぷ」。その中身は、

  • 天神橋筋六丁目駅から390円区間の各駅発天神橋筋六丁目接続、天下茶屋駅までの片道券(阪急の回数券様式)
  • 天下茶屋駅から関西空港駅までの片道券(南海の普通券様式)
  • 発売期間中の任意の一日有効

で、関西空港から京都へは「京都アクセスきっぷ」

  • 関西空港駅から天下茶屋駅までの片道券(南海の普通券様式)
  • 天下茶屋駅から天神橋筋六丁目接続、天神橋筋六丁目駅から阪急線390円区間着の片道券(大阪市営地下鉄の連絡普通券様式)
  • 発売当日限り有効

で構成されています。発売額はいずれも1200円で、2011年5月14日~2011年12月25日までの発売期間。

 ニュースリリースにこのきっぷのチラシも出ており、英語表記が多く、外国人も対象のようです。何しろ一回の乗り換えだけですむのは、比較級では分かりやすいですが、乗り換え自体がどの程度の評判となるのだろうか。こればかりは私には分かりません。

 南海線は有料の空港特急に乗れるそうですが、市営地下鉄堺筋線と阪急京都線直通の準急は、車両が極普通の横向きシートの通勤形電車。「それじゃ乗らないよ」と思うのは鉄道ファン的発想で、こういう座席は大きなトランクを持って乗るには意外と便利なんです(空いていれば)。陸に上がれば(降りれば・・・かな)少々遅いのは気にならない外国の方が多いと伺いまして、河原町行き準急が高槻市駅で追い越されるダイヤでも、意外と気にならないそうです。日本人、せっかちスギですね。

2011/05/11

大阪ステーションシティに行ってみました

 5月4日グランドオープンしたJR西日本の大阪駅開発プロジェクト、「大阪ステーションシティ」。開業直後の混雑を避け?て、8日に行ってみました。

 感想。外観は工事中から目にしていますが、とにかくデカイ!。一つ一つのエリアも大きいですが、そのエリアが幾つかあり、見た目にも気分的にもとてつもないものが出来たという印象です。

 どうせ昼間行っても込んでるやろと日が暮れてから。JR線北側の阪急梅田駅とを結ぶ歩道橋から。

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 今は梅田阪急が工事中で、阪急梅田駅からJR大阪駅へは、この通路が一番便利がいいです。

 渡った先のノースゲートビル(駅北ビル)手前は、カリヨン広場。

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 カリヨンというのは、音の出る小さな建造物なのですね。しかしこの画像、背景をもっと考えなくっちゃ。

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 ノースゲートビル(駅北ビル)は一部がJR大阪駅の線路上空にかかっています。行き交う列車がよく見えるいいスポットです。

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 駅ホーム沿いのデッキ。ノースゲートビルに入る専門店街LACUA(ルクア)へ人が流れ、あまり人が来ないエアスポットのようです。この先はJR線の連絡橋改札口。

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 一度下へ降り、今度は予てからの関心だったドーム下の連絡橋へ。JR大阪駅ホームの真ん中辺りを南北に跨ぐ大きい橋で、ここに改札が設けられました。この画像は連絡橋の改札口階よりもう一つ上の時空の広場から東側を望んだ画像。

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 ガラス面に寄ってホームのようす。予定ではホーム屋根が撤去されるはずでしたが、まだ残ったまま。ドーム屋根の両側が開いてますので、雨が少しは吹き込みやすいのでしょうか。

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 時空の広場の時計。後で分かったことで、もう一つこのような時計があるそうで、金色と銀色に分かれているらしい。これは金色かな。

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 と、ここまで外・・・いや屋根の下だけど外っぽいところを回り、いよいよノースゲートビルへ。専門店街の「LACUA(ルクア)」へ入り、時間の都合で上の画像に見える三省堂書店へ。揃え具合のチェックですけど、他回り過ぎでやっぱり時間が無くなってしまいました。

 しかしこの三省堂書店、隣がスターバックスで、スタバのテーブルが一部三省堂書店に入り込んでいます。しかも上の画像に見える線路側のガラス面にもテーブルがあり、これもスタバの席。どうやら、書店売り場の本をスタバの飲み物を飲みながら読める、大型書店にある喫茶店ですけど、本当に清算前の売り場の本を、コーヒー飲みながら読んでいいのかな。

 そしてブラブラしていると、上の階に庭があるというので行ってみました。だんだん駆け足です。10階に和らぎの庭、11階に風の広場、12階かなその上に農園があります。西宮北口の阪急西宮ガーデンズでもそうですけど、昨今は建物上部でお庭を設ける例が多いですね。そしてここは農園もあり、収穫もできるそうです。

 画像は風の広場で。

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 水も流れています。

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 とまぁこんな具合で、JR大阪駅部分以外は全てノースゲートビルの見学でした。ノースゲートビルはルクアの他に、百貨店のJR三越伊勢丹、それにスポーツのコナミなどがはいっています。伊勢丹は少し覗いてみましたが、全体がとにかく大きく、他は又次の機会に訪れてみます。

 大阪からの帰りは阪急京都線で。日曜日の夜ともなると、15分間隔となる河原町行きの特急は結構空いていますが、この日(5月8日)、いつもの日曜日より込んでました。大阪駅効果ですね。

2011/05/10

今日は一等車廃止でグリーン車が始まった日

 今朝のNHKラジオ「今日は何の日」と、加えてCBCラジオの多田さんがお話していたことから、1969年(昭和44年)の今日、国鉄の一等車制度が廃止、グリーン車が始まった日です。

 国鉄はこれ以前は航空路線の国際航路と同様、クラス制度がありました。1等と2等。1等の乗車券で1等車室に乗れるというもので、運賃も異なりクラス制末期では1等は2等の2倍。結構高かったですね。その「高い」がネックとなり利用者の減少で、1等廃止2等のみとするモノクラス制に移行したのだと後年、ものの書で覚えました。

 このクラス制度での乗車券、1等で乗車券を購入すれば、着駅まで1等で運賃計算されます。あくまで運送契約でのことなので、途中下車は自由。運送区間に1等車の連結しない区間があってもそのまま1等で運賃計算されます。
(全列車1等車が無い区間でその距離が長い場合は、異級乗車券が発売されました)

 ここから先、少し知っている世代ですので記憶を頼りに書いてみます。1969年の1等廃止モノクラス制移行で、従来の1等車は特別車、通称「グリーン車」に、2等車は普通車と呼ばれるようになりました。特別車(グリーン車)に乗るには、1等乗車券ではなく新たに設定された特別車両券(グリーン券)が別途必要となりました。

 そのグリーン券も今のような列車毎に必要とするものでへなく、限りなく旧来の1等制度を引き継いだもので、全乗車区間に必要とし、途中下車も自由、そして特定都市内制度も適用されるという、要するに従来は「1等乗車券」であったものが、「普通乗車券+特別車両券(グリーン券)」と二枚に分けられただけの様。そしてグリーン券も座席指定の要素は無く、急行列車のグリーン指定席に乗るには、

 「普通乗車券+『普通急行券+グリーン券+座席指定券』」

の四種が必要という、判じ物のようでした。ただ『 』で囲まれた部分は一枚で発券されるのが常でしたので、実際に4枚の切符を渡されるということは少なかったと思います。

 そんな乗車券のような特別車両券(グリーン券)も、新幹線博多開業を控えた1974年秋に今に近い「列車毎に必要」という制度に改められ、途中下車は不可の設備に対応した料金制度に移っております。

 ところでCBCラジオで多田さんも話していましたが、JRの車両記号で旧1等車、現在グリーン車の「ロ」は、「イ・ロ・ハ」から取っており、普通車は「ハ」です。かつて「イ」の車両もあり、国鉄は、というより昔の鉄道は3等級制でありました。1等車室が「イ」、2等が「ロ」、3等が「ハ」で、1960年前後かな?1等が廃止され、それまでの2等が1等に、3等が2等に繰り上がっています。

 余談。「イロハニ」の「ニ」は荷物車・・・はウソで、この場合は荷物の「ニ」が正解です。

2011/04/23

名鉄のダイヤ作成の苦労

 名鉄のダイヤ改正からそろそろ一ヶ月ですね。朝通勤時輸送の特急列車を強めたとか、河和線に全車一般車の特急が登場したとかが目玉ですけど、どんな状況でしょうか。私、この間に名鉄に乗ったのは、名古屋→一宮の片道を数回のみで、見事に名鉄とは縁が薄い生活を送っています。

 2011年3月11日付中日新聞朝刊記事からです。そう、あの地震があった日の朝刊。この日に書こうとしていた内容です。生活記事面に、働く人の姿を追う企画記事があり、3月11日は二週間後にダイヤ改正を控えた名古屋鉄道のダイヤ作成担当者についてです。

 3月11日付中日朝刊記事。(クリックで拡大)

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 ダイヤの作成は難しく大変で、記事によれば名鉄では運転士の経験が必要なのだそうで、現在(3月当時)4人いるダイヤ担当者はいずれもが元運転士だそうです。記事になっている方も運転士から運転指令を経てダイヤ担当者になられたそうです。当然、運転取扱い関係は熟知していなければなりませんからね。

 名古屋駅の列車集中は凄いですね。あの複線だけで本線も、犬山線も、津島線も、そして普通から特急までの列車を捌くわけですからね。記事の文中「全国でも1・2を争う難しさ」とあるとおり、名鉄のダイヤ作成は他線とは又違う難しさがあります。

 その一つが枇杷島分岐点では、犬山線下りと本線上りとが平面交差しており、本線列車同士か犬山線列車同士がすれ違うようにしなければなりません。逆に犬山線上りと本線下り列車がすれ違うことは可能ですが、運転間隔がいびつになってしまいます。

 もう一つ、豊橋駅の問題。名古屋本線の終着駅が発着線一線なのは厳しい制約ですが、それ以上にここはJR東海の飯田線と線路を約4km共用しているため、運行する時間(ワク)がほぼ決まっているからです。JRと名鉄とが同時にダイヤ改正を行えば宜しいですが、近年では別の日に行うことが多く、相手方の運行に影響を与えないように、走らせる時間のタイミングがほぼ固定されています。豊橋駅発の、02分、15分、23分・・・というのはここ十数年変わっておりません。

 豊橋駅の着発時間がほぼ固定され、枇杷島分岐点で運行系統が制約されているのが、名鉄のダイヤの大きな特徴でしょう。これに他線との乗り換え、例えば一宮駅で尾西線との接続を考慮すると、今度は単線の尾西線はすれ違う駅での制約があって、一宮駅での接続をどうするか、ということも起きてきます。

 ま、(時々の)利用者として名鉄のダイヤには一言申したいところはありますが、万人に便利なダイヤはそうそう有りえるものではないので、時刻表を読みながらウラの事情をつい考えてしまいます。

2011/04/20

神戸電鉄粟生線・小野市に公費支援要望

 何度か書いております、神戸電鉄粟生線の存続問題。昨年の1月に初めて「廃止」の二文字が現れた記事を書きまして、以来補助金の打ち切りで一層、事業継続を致しがたい状況になりつつある事を書いております。

 神戸新聞web版記事からです。神戸電鉄は粟生線の沿線市町村(町村は無い)である小野市に対し、鉄道事業への公費投入による支援の要望書を出したとのこと。今後三木市と神戸市、それと兵庫県にも要望書提出の予定だそうです。それらの回答を踏まえて、「年内」にも存廃を含めた方針を決定するとのことです。

 粟生線は、沿線自治体と神戸電鉄により旅客増を目指して粟生線活性化協議会を作って利用促進となる事業を始めたものの、国から協議会への補助金が今年度で打ち切りとなったことから、来年度以降の事業存続に見通しが立ち難くなっております。→その記事存続判断

 そこで沿線自治体と兵庫県に対し、公共の足を守るために神戸電鉄粟生線の固定資産税、減価償却費などを軽減するための財政支援を求め、「今年12月末までには2012年度以降の見通しを判断したい」ということです。

 これ回答次第では本当に一部区間でも廃止に至るのでしょうか。神戸電鉄粟生線は、起点に近い方から、神戸市、三木市、小野市を通っています。今回要望書を出した小野市には、粟生線の駅が5駅あります。また途中の小野駅から先は運転回数が少なくなり、粟生線の中でもローカル然としている区間でもあります。

 粟生線は鈴蘭台駅~西鈴蘭台駅間は大規模な住宅地を控えお客さんが多い区間ですが、西鈴蘭台駅を超えると新興住宅は駅から幾分離れ、沿線人口増がそのまま利用者増に繋がっていない面があります。沿線の状況が一括りに判断できないところにこの線の難しさがあると思います。

 一寸余談です。小野市内にある市場駅(いちば)は単線にホーム一本の棒駅でありますが、駅には引き込み線のポイントがあり、その先は舗装されています。神戸電鉄の新車搬入場所で、もし仮に粟生線が廃止されると、新車搬入場所を新たに確保せねばなりません。

2011/04/14

直流モータブラシ調達にメド・近鉄も減車と臨時列車運休回避

 昨4月13日の讀賣新聞web版、及び4月12日付近鉄のニュースリリースからです。直流モータの回転する部分に電気を流すカーボンブラシが、今回の震災で生産工場が被災し品薄になったことで、近鉄では一部特急列車の減車と、南大阪線の臨時列車運転を中止していましたが、ブラシ供給に一定の目処が立ったことから、4月15日(つまり明日)からこの減車と臨時列車運転中止の措置を取り止め通常の編成で運転、臨時列車も計画通りの運転となるそうです。

 JR西日本も同様の直流モータブラシ不足で、4月2日から京阪神エリア以外で一部列車の運休を行っていましたが、製品の目処が立ち4月8日から通常の運転に戻っており、近鉄はどうなるのか、同じく目処が経つのだろうかと気になっていました。

 近鉄ではまだ正式にはアナウンスされず、新聞報道だけが先行していますが、このブラシ不足では減車・臨時列車運転中止に続き、JR西日本でやっていたような定期列車の一部運休も6月頃から実施しようかと検討されており、「ブラシ供給に一定の目処」ということで、多分これも回避されることでしょう。いや近鉄からアナウンスが無い以上、何事も無く6月を迎えるのではと思います。

 近鉄では現在(今日まで)、8両編成で運転するアーバンライナーを6両編成に2両減車、桜シーズンによる南大阪線と吉野線の臨時列車の運転を取り止めています。

  ◇  ◇  ◇

 日立化成工業の直流モータのブラシ生産は、素材生産工場が地震で被災し、加工工場が原発の避難区域にあることから、当分ここでの生産は出来ず、JR西日本が「目処が立った」というのは他社製品を使うのかと思っていました。

 その後耳にした話では、他社は他社でも同業他社ではなく、被災した工場に加工前のカーボン素材があり、それを運び出して、他所の工場でブラシとして加工することとなったそうで、それで「当面の供給に目処が立った」というところだそうです。

2011/04/04

近鉄のモータブラシ不足による減便は狭軌線で

 Yahoo!のニュースより4月2日付産経新聞配信記事からです。直流モータのブラシを製造する日立化成工業が此度の震災で被災し、製品が供給できなくなったことにより、JR西日本の直流電車で同社製のブラシを使う車両が、2日から順次運行削減に入っております。

 これが報じられた当時に近鉄も同社製のブラシを使用する車両が約650両あり、ストックが切れる6月ごろから減車や減便に入るかもしれない、と伝えられていましたが、どうもそれが具体的になりつつあるようです。

 産経新聞記事によれば今後ブラシの在庫切れとなった場合、南大阪線系統の1067mm軌間の狭軌線各線と、762mm軌間の内部線八王子線、いわゆる特殊狭軌線で、日中と土休日の早朝深夜帯で運行の削減対象になるとみられる、と記事は書かれています。

 近鉄の標準軌間である1435mmの車両と融通が難しいとありますが、その1435mmにも直流モータ使用の車両が多数走っているのでは。大阪線では朝夕は直流モータの車両も走らせ、日中は交流モータの車両だけで運転するようなこと書いていますけど、この先ブラシの供給が行わなければ、1435mmの大阪線、名古屋線系統にも減便は兎も角減車が及ぶような気がします。名古屋線は直流モータの車両は結構多いんじゃない?。

 ところで狭軌線、特殊狭軌線で減便ということは、同じ車両を使っている三岐鉄道の北勢線、養老鉄道、伊賀鉄道はどうなるのか。違っていたらすいません、いずれも元近鉄の路線で、車両の保守点検を近鉄が担当していると伺っており、部品ストックも共通なのでは。であれば6月に減便の対象となるのでは?。

 ところで近鉄ではすでに一部で減車・減便に入っております。名阪特急アーバンライナーのうち8両編成で運転する列車が6両編成に短くなっています。アーバンライナーの21000系電車は直流モータを使用していますね。また南大阪線の臨時列車が運転取りやめになっています。

 今回の震災は被災範囲がとても広く、いろんな方面で影響が出ていますね。そしてその影響をカバーするにも、カバーするための生産拠点が計画停電で思うように操業できず、それが二重三重に重なります。やっぱり日本社会の曲がり角となるのでしょうか。

***4月7日追記
 JR西日本では、ブラシ調達に一定の見通しが立ったということで、4月8日から正常運行に戻すとともに、11日からの京阪神地区での一部運休は行わないと発表がありました。

***4月14日追記
 近鉄でもブラシ調達に一定の見通しが立ったということで、アーバンライナーの減車と南大阪線の臨時列車中止を取り止め、4月15日から通常の編成及び臨時列車も運転すると発表がありました。→弊ブログ記事

2011/03/25

直流モータのブラシ生産工場被災が中日新聞記事に

 昨日このブログにおいて、JR西日本の直流電車で、直流モータを使用している車両の電動機ブラシ、これを生産する日立化成が被災して当分操業ができないために不足し、4月から一部列車の運休となることを書きました。→その記事

 本日の中日新聞経済面で、震災の影響として部品生産ができず、自動車・電機メーカーでも生産が止まった記事とともに、この日立化成の操業停止記事があります。中日新聞のエリアである名古屋地区は近鉄も走っており、この近鉄が6月以降、運行削減がありえるという記事です。

 記事では、近鉄が保有する車両の33%の650両が日立化成のブラシを使用しており、近鉄名古屋事務所の話として、「6月頃から影響が出る見込みで、削減計画の策定を進めている」ということです。文章記事のニュアンスとして、どうも一部列車の運休があり得るのが確実っぽいという感じです。

 記事で名古屋地区の他社では、JR東海は在来線車両の44%、448両がこのブラシを使用しているということで、「当面は減便せず、影響を調べている」とは広報の話。

 そして名鉄。名鉄は4分の1(約25%かな)の250両が対象で、「二ヶ月分の在庫があり、代替措置を他のメーカーと協議して対応を考えたい」と広報宣伝部の話。

 ん?、二ヶ月分?二ヶ月ならば6月からの近鉄とほぼ同じような状況ではないか。「他のメーカーと協議」とありますけど、他の鉄道事業者もこの「他のメーカー」と協議していれば、注文殺到でこの「他のメーカー」の生産能力を超えてしまうでしょう。つまり結局のところ部品が手に入らないこととなるかも知れず、ことによっては名鉄も夏ごろに減便か減車がありそうな感じです。

2011/03/24

震災の影響がここにも・JR西日本が部品不足で減便

 昨日、唐突にJR西日本から発表がありました。車両保守部品不足により、4月から一部列車で運休するとの事です。

 保有車両のうち直流モータ搭載の車両で、モータの部品の一つである「ブラシ」、これを生産する会社が今回の震災で被災しかつ、加工する工場が原発の避難区域にあることから操業の見通しがたたず、この直流モータの車両の走行を減らすために、昼間を中心に一部列車を運休するというものです。

 しかしどうしたものか、JR西日本の発表の文章では「お客様のご利用状況を踏まえ、・・・」とあり、運休する割合に線路ごとでパラツキがあります。

 具体的には通称「本線」と称している、琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線では昼間も100%運転とあり、運休列車は無さそうです。この「本線」系統では快速電車の一部に221系電車が使われていますけど、これは運休しなくてよいのだろうか?と思います。ただこの3月のダイヤ改正で新快速の12両編成が増えており、223系・225系の新快速・快速を減車して賄うのかもしれません。

 一方で大和路線、おおさか東線、嵯峨野線などは昼間65%とか55%とあり、3分の2からほぼ半減。たしかに直流モータの車両が多い線ですけど、「ご利用状況・・・」なのでしょうか。

 運休列車は特急列車にも及び、381系、183系(元485)使用の列車は減車したり、臨時列車の運行取り止めがあるとのこと。

 実施は京阪神地区は4月11日から、その他の地区では4月2日から。

 

 ネットで検索し、ニュースサイトでもこれに関連する記事が幾つか見つかり、この直流モータのブラシを生産する会社は、被災したこの日立化成工業(株)が約7割のシェアだそうです。今はJR西日本だけの発表ですが、関西では近鉄もこの状況が続けば、6月ごろから運休か減車の可能性があるとの事です。関西のその他の私鉄では半年分程度のストックがあるということで暫くは影響がありませんが、操業不能が続くことになれば、何らかの対策が出てきそうです。

 ところで「ブラシ」というのは、その名の通り「摺る」部分です。直流モータは回転する部分と、それを囲む周りの磁石の部分とに分けられます。そして回転する部分に電気を流すと、磁石が発する磁界で回転部分が回転始めます。この動く回転部分に電気を流してやるためにブラシという部品があり、高速で回転するところに触れているため、当然消耗品です。そのために早ければ半年、長くて1年から1年半程度に交換します。

 そういった部品で、国内の7割のシェアが今回の震災で被災されたわけなんです。原発の問題でいつまで避難が続くのか先が見えず、長期化すれば鉄道の多くで影響が出そうです。

***4月7日追記
 JR西日本では、不足するというモータのブラシは、調達に一定の見通しが立ったということで、既に一部運休している列車は、4月8日から正常運行するとともに、11日から予定していた京阪神地区での一部運休は行わないと発表がありました。

2011/03/09

相互利用記念ICOCA・買っちゃいました

 2011年3月5日からJR九州のSUGOCAが、JR西日本のICOCA、JR東海のtoicaと相互利用が開始するということで、記念のICカードが各社で発売されました。私の地元の駅では発売開始早々に売り切れたそうです。私は買う気が無く、そのまま日々過ぎるつもりでしたが・・・。

 昨日3月8日、昼過ぎにJR神戸線の三ノ宮駅を通ったらまだ発売中。一瞬気持ちが揺らいだものの、出札窓口は数人の列、そのまま通り過ぎました。そして午後8時前、まだ発売中で、しかも窓口の先客が去ろうとするところで、「次の方、おいでおいで」としているよう。そのまま窓口へ入り、買う気は無かったのに買っちゃいましたよ、相互利用開始記念ICOCA。

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 上の画像、下は台紙で、折り曲げずに渡されたので、そのまま折り曲げずにかばんに入れて持ち帰りました。

 さぁどうしよう。買っちゃいましたけど、使いようがない。だってICOCAは一枚あれば十分ですもん。今使用中のICOCAはSuicaとの相互利用記念のもので、カモノハシとペンギンが描かれているもの。もう一つ残額0円の標準ICOCAがあり、いつでも返却可能な状態にしてあります。500円は戻ってきますからね。

2011/03/03

名古屋鉄道・保有車両24両減車へ

 このところ鉄道ネタが多くてすいません。やっぱり好きなモンでして・・・。今朝の中日新聞地域経済面記事からです。既報の通り3月26日の名鉄ダイヤ改正についての記事で、「新ダイヤで効率化」とあり、ダイヤ改正の効率化となる面について述べられています。

 ご存知の通り3月のダイヤ改正はこれまでと違い、朝ラッシュ時において主用幹線に特急列車を増やし、この時間帯において全線で特急列車が2割増えるとのこと。その分急行列車などが減らされているわけですが、その点についても記述があり、乗降客が多い駅では特急列車の特別停車で対応し、乗客数が比較的少ない急行・普通列車を減らしたという。

 この特別停車による対応は、名鉄では昔から(私の知る昭和50年代)行っていました。ただこれ、分かりにくいんですね。かつては急行が急行に追い越されるダイヤもあって、でも終日ではなく朝ラッシュ時だけですので、知っている人が知っていればそれでよいという考えもあり、一種のローカルルールなのかな。

 私の個人的な考えでは、特別停車よりは普通列車の増発で運転間隔を短縮するという方向であってほしいのですが。

 またこうした対策で新聞記述をそのまま書けば、「列車24両を廃車できるという。」だそうです。列車24両廃車?、車両24両廃車ですね。こういうこと言うのは鉄ヲタの象徴ですけど、「列車」と「車両」意味が全く違います。

 要するに保有車両を24両減車ということで、今後は更なる短編成化が進むのだろうか。7000系パノラマカーの置き換えで5000系を導入した際も総車両数が少し減っており、その際に6両組成が4両組成に替わってかなり批判されたことがありました。

 新聞記事で意外な記述が。これまでの輸送状況の調査は担当者が現地で目測で数える「アナログな」方式であったそうです。しかし自動改札機がほぼ全駅に設置されたことで、改札機通過数から15分ごとの乗降人数を得られるようになったとのこと。こうして3月26日のダイヤ改正につながったということです。

 ところで短編成にからみ、昨日名鉄名古屋駅で本線下り17時56分発の急行に乗ろうとしたら、こんな表示でした。

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「あちゃー4両!」。しかも運転順序が違っています。この順序変更は兎も角、夕方ラッシュ時に4両ですか。調べたらこれで所定だそうで、これから本線の急行は4両が増えるのでしょうかねぇ。この時はこんな4両の急行は止め、後からの遅れの特急に乗りました。

 ちなみにこの日は、JR東海の東海道本線で人身事故があり、この時間は運転再開後でしたがまだ振替中。4両の急行は一杯でした。

2011/03/01

京阪電鉄線5月28日にダイヤ改正・中之島線伸びないな

 京阪電鉄の京阪線(京阪本線・宇治線・交野線・鴨東線・中之島線)が、5月28日に一部ダイヤ改正を行うと、京阪のHPニュースリリースで発表されました。

 改正の表向き理由は、淀駅周辺立体交差事業による京都方面行き線路が高架になり、上下線とも高架化となることでダイヤ改正をおこなうものです。ただその中身はニュースリリースにもある、

  • 平成20年10月の中之島線開業時から実施した新ダイヤ以降のお客さまのご利用状況などを考慮し、淀屋橋-出町柳間直通特急の10分ヘッド運転時間帯の大幅拡大、昼間時間帯の淀屋橋-樟葉間急行の新設、京橋駅における緩急接続の改善による中之島線-京都エリア間の速達性向上など

で、鳴り物入り(本当に鳴り物があった)で開業した中之島線が今ひとつ振るわず、中之島から京都方面の直通快速急行を止めて、京阪本線淀屋橋系統の特急時間6本に戻すなど、中之島線シフトを鈍化させる内容です。

 新ダイヤでは淀屋橋~出町柳間の特急が10分間隔となり、平日夕方もこのパターンで、現在の30分毎に枚方市で終点の特急が、枚方市で中之島発の快速急行に接続するというパターンは無くなります。

 急行・準急・普通は一寸ややこしいことになっており、昼間パターンで

  • 淀屋橋~樟葉 急行 時間4本
  • 淀屋橋~出町柳 普通 時間2本
  • 中之島~出町柳 準急 時間2本
  • 中之島~出町柳 普通 時間2本
  • 中之島~萱島 普通 時間2本

で、京阪本線は基本10分毎のダイヤなので、普通に相当するパターン、急行・準急に相当するパターンも10分毎となりましょう。しかし2本とか4本とかで、中之島と淀屋橋とに分配しているダイヤですね。

 逆に中之島~出町柳間の快速急行は、枚方市で淀屋橋~枚方市間特急の接続を行うため、所要時間が少々延びていますが、京橋でホームタッチで接続するするとあり、今よりも所要時間は短くなるとのことです。

 このダイヤ改正と同日に、淀駅周辺高架化により淀駅の位置が変わることと、中之島線建設による天満橋駅付近の線形が少し変わっていることから、営業キロ数の変更を行い、一部駅で運賃が変わります。普通運賃で変わる区間。

  • 淀-墨染 260円→200円
  • 淀-宇治 300円→260円
  • 淀-滝井 340円→360円

 これは淀駅の位置が現在よりも296m出町柳方に移動するもので、淀駅付近高架化による線形変更で中書島~出町柳間各駅が淀屋橋方面へ6.54m短縮、そして天満橋駅付近の線形変更で京橋~出町柳間各駅が出町柳方面へ7.27m移動したのを今回の運賃変更で反映しております。つまり中書島~出町柳間の各駅は、0.73kmつまり73cm伸びているわけですね。細かぃ・・・。

***3月3日追加
 昨日の讀賣関西版に記事がありました。その見出しはモロ

   「京阪中之島線の運行本数削減…利用少なく」

と、中之島線が振るわないことを反映したダイヤであることを示しています。記事によれば、平日の運行回数1381本を改正後には1285本と7%の減。この削減は過去最大という。

 ネット上の掲示板などで、中之島発着の萱島区間急行が廃止になることの是非について考察が多くあるようで、私は致し方ないと思います。普通と区間急行の双方が停まる守口市~萱島間各駅は、昼間時間あたり12本、均せば約5分間隔は、一寸輸送力過剰だと思っておりました。

 ところで、キダ・タロー作曲の「はじまりは中之島」と「鴨リバーサイド物語」は今、どうなっているのだろうか。

2011/02/27

名鉄時刻表・2011.3.26改正の号を買いました

Mjikoku  一ヶ月ほど前に概要が発表された3月26日の名鉄ダイヤ改正。それの時刻表が昨日発売開始となりました。

 まだパラパラ見た段階で、というより名鉄に乗って出かけることは殆ど無いのであまり実情はよく分かっておりませんけど、概要発表と実際のダイヤを比べてみた感想です。

 概要発表では(弊ブログ記事)、

  • 朝出勤時のミュースカイ・特急の再編
  • 輸送体系の効率化
  • 最終列車時刻繰り下げ

ということで、二番目の輸送体系の効率化では、津島線から名古屋本線に乗りいれる列車が、昼間は津島線内のみの運転となる列車が増えています。つまり本線名古屋以東の準急となるものが、須ヶ口折返しの津島線内列車に。そのため準急が停まっていた二ツ杁駅は、名鉄一宮~豊川稲荷間急行が停まることとなっています。

 その豊川稲荷急行は昼間に限り名鉄一宮駅折返しとなっているところ、新ダイヤでは最終近くまで一宮駅折返しに。その方が効率がいいのですが・・・。

 名古屋~岐阜間。そもそもこれだけ本線急行列車のお客さんが減っているところ、そんな15分間に特急と急行を1本ずつ走らせる意味があるのでしょうか。朝夕のラッシュ時はそこそこ需要がありますけど、私は基本的にはもう時間6本の急行だけでいいように思います。特急は朝夕だけでいいです。15分毎の乗車タイミングよりも私は10分毎に同じ種別の列車が繰り返しやってくる方が分かりいいのですけど。私は名鉄一宮駅利用者だからでしょうか。

 あと気になったのは、河和線が昼間の特急は平日に限り全車一般車特急になるんですね。これも既にアナウンスされておりまして、そんな全車一般車にするぐらいだったら、普通に時間4本の急行として運転すれば宜しいと思いますけど、土曜休日では昼間も特別車を連結するのですね。わざわざ「連結」するのではなく、それ用の編成を充てがうわけで、つまり平日は特急用は列車検査に充てるのでしょう。朝の特急列車増発で検査時間確保のダイヤかと思います。

 全体の印象では昼間の列車削減は目立ってはおりますが、基本パターンは変わっていない従来の通りです。一宮駅と名古屋駅での発車時刻を覚えなおす必要は殆どありませんでした。名古屋から最終の岐阜行きが少し遅くなった程度です。

2011/02/20

一宮市「i-バス」でmanaca・名鉄でも初使用です

 名古屋地区でICカード乗車券「manaca」が始まり、一週間が過ぎました。13日にmanacaの購入及び初使用しまして、その様子は弊ブログで記事にしました。→こちら

 13日は名古屋市バスと地下鉄一回ずつの計400円分乗車でした。その後今週は名鉄電車に一回と、名鉄バスに一回、manacaで乗車してみました。いずれも手持ちのユリカや回数券で乗ればいいところを、やっぱりmanaca使ってみたかったです。

 で、本題の愛知県一宮市のコミュニティバス「i-バス」にmanacaです。「i-バス」は一宮市から名鉄バスが事業の委託を受けて走らせているもので、これまで名鉄バスの乗車券類は一切使えませんでした。ところがICカード乗車券「manaca」開始で、ポイントの対象外ではあるものの、なんと「i-バス」で使う事が出来るようになりました。これはおそらく、カードで乗車のデータが、ICカード化でやり取りでが簡単になったのも理由としてあるかと思います。

 そこで19日、乗りました。manacaで名鉄バスは初使用です。i-バスの回数券があるのでそれを使えばいいのに、と自問自答しながら到着したバスの中扉脇にある車載器にタッチ。i-バスは全区間均一運賃(100円)なので整理券など乗車地の情報は要らないと思うけど、乗降区間のデータ取りでしょうか。

 高齢者が多いバスで、manacaは私一人かと思いきや、途中で乗られた比較的若い女性がmanacaでタッチして乗ってきました。その方、manaca本体を手にしてのタッチ。その理由は後で分かります。

 尾張一宮駅に着きバスから降り、その際に運賃箱車載器にタッチします。名古屋では散々ICOCAを見つけられエラーの連続でしたが、ここでは一発OK。整理券を取らなくてもいいし、回数券を財布から出してちぎらなくてもいいし、manacaですと現金と同じ扱いで一回あたり9円高いのですが、その手間代と思えばいいのかな。

 ところで件の女性は私の前を歩き、JRの改札へ。今度は定期入れを改札機にタッチさせていまして、そうなんです、ICカードを重ねてはいけないことを知っており、それでmanacaは裸の状態で使用していたのでした。

 名鉄尾西線、一宮駅→森上駅と乗りまして(片道だけ)、ユリカを使えばいいものをやっぱりmanaca、名鉄電車で初使用です。一宮駅も森上駅もICOCAの干渉無く一発OK。名鉄はリーダライタの通信電波範囲はごく普通なのかな。ちなみに昨日乗った地下鉄栄駅では、やっぱりエラーが出てしまいました。

2011/02/17

銀座線に新型車両導入へ・昔の黄色い電車だそうだ

 Yahoo!Japanのトピックから。日本の地下鉄第1号の路線である東京メトロ銀座線に、来年春に新型車両1000系を導入すると17日、東京メトロの東京地下鉄より発表がありました。この新1000系は、昭和2年に東京地下鉄道が開通させた当時の旧1000形を彷彿とさせるデザイン、当然車体の色も黄色となるんだそうだ。

 昨今は時々リバイバル塗装だとかで、昔懐かしい色に塗り替えて走らせることがありますが、今回の新1000は最初から黄色なのだそうだ。これは大きな話題になりそうですね。

 銀座線の黄色は、名古屋市の地下鉄東山線のような黄色、名古屋弁で「真っ黄っ黄ぃ」というよりも、幾分山吹色に近い黄色だったという印象。

 私、銀座線で戦前製の車両に乗ったことがあります。さすがに1000形や1100形は廃車になった後でしたが、1200形はまだ存在していて、6両編成の浅草側から2両目に1200形が連結されている編成が数編成ありました。1200形は元は電動車でしたが、私が乗っていた頃は付随車に改造されていました。

 しかし東京地下鉄道生え抜きの車両、車内もそんな香りがして、1200形を期待して乗車位置を選んでいたものです。

***追記
 車体の黄色で、明るめの黄色を言うのに、名古屋市地下鉄東山線よりも国電の総武線を出すべきでしたね。総武線の黄色は東山線よりも更にもう少し明るい黄色だったという印象です。

廃止予定だった「まやビューライン」・一転存続へ

Mayaview  三連続、神戸新聞からネタ元頂きました。神戸市外郭団体の神戸市都市整備公社が運営する、灘区摩耶山に至るケーブルカーとロープウェイの「まやビューライン」が、2011年度末の撤退予定が一転、存続させる方針となったそうです。

 このまやビューラインは、灘区の摩耶山麓から摩耶山腹の虹の駅までの摩耶ケーブル、それと虹の駅から摩耶山上までの摩耶ロープウェイの二つの路線。虹の駅は単に乗り換え地点で周囲には特に何もなく、ケーブルカーとロープウェイで一つの「まやビューライン」としています。

 沿革は摩耶ケーブルと摩耶ロープウェイで異なり、摩耶ケーブルは天上寺への足として1915年に民間会社の路線として運行開始。摩耶ロープウェイは1955年に交通局により運行開始しております。

 しかし1995年の震災で、摩耶ケーブルの方に大きな被害があり、このまま廃線かと思われていました。休止期間中に神戸市都市整備公社へ譲渡され、6年後の2001年に見事復活となりました。これ大きなニュースであったと記憶しています。

 ただ旅客数は最盛期には程遠く、後に毎週火曜日は運休となりましたが、昨年秋にとうとう2011年度で運行を止める方針を打ち出してしまいました。そこで摩耶山に係わる地元有志により存続を求める動きがあり、神戸市として廃止から一転存続の方向へとなったということです。今後老朽設備の更新負担など費用をどうするか、協議していくとのことです。

 今年秋までに新たな運営方法を決めるとのことですが、神戸市都市整備公社による運営は止める方針に変わりは無く、民間への委託を含めて検討するとのこと。新たな運営方法として、1)民間委託、2)市直営、3)運行のみ公社へ再委託、などの案が出ているという。1)と3)は委託先が民間か現在の公社かの違いだけで同じことですね。3)ですとそのまま委託(公社かすれば受託)後も同じ人員で運営できます。

 摩耶ケーブルは六甲ケーブルと異なり、生活路線ではありませんでした。それ故、戦争の時も一時レールが撤去され、また震災の後も暫くは復旧がなされずにいました。震災後に運行開始しても、平日は空いていますね。土日はそこそこ乗っていますけど、摩耶ビューラインのお客さん少なさには、一つには山上バスの運行回数が少ないのではと思います。

 山上バスは、途中六甲山牧場を経て六甲ケーブル山上と結んでいます。これの運行回数が平日は少ないんだな。平日の需要を考えれば仕方が無いですが、回遊ルートが取りづらく、結局山上交通の便がいい六甲ケーブルの方に観光のお客さんは集中しているようです。

2011/02/16

やはり和田岬線は廃止の方向なのか

 昨年12月7日に弊ブログで「和田岬線・本当に廃止するのか」と題して、神戸市兵庫区の兵庫駅~和田岬駅間2.7kmの和田岬線が、街づくりの障害となる地元の意向を受けて、廃止も検討にあるらしいという、讀賣新聞記事引用で書きました。

 そして昨日の神戸新聞web版から。続報になるのか、神戸新聞では初めて取り上げる(と思う)ので事態が進んで表面化したのか、和田岬線を運行するJR西日本が、廃止する方向で検討を始めることが分かった、と伝えております。

 地元としては線路で地域を分断しているとして廃止を求め、JR西日本と神戸市は2011年度に地元団体を交えた協議の場を設け、廃止を前提に地域の活性化策を検討する、という。

 讀賣報道よりも一歩踏み込んでいますね。廃止してほしい意向のあらましは前回投稿の通りで、清盛以来の歴史ある兵庫の町で、運河を廻る船の運航や歩行者の回遊ルートを整備する際に和田岬線がどうしても障害となるらしい。

 しかしどうなのでしょうか。地元としては廃止したい気持ちは分かりました。ただ和田岬線は一時より旅客数は減ったとはいえ、その地元の工場に通う方々の重要な足ですよね。それらの方は地元の方ではないと思います。和田岬は神戸市営地下鉄海岸線も通っており、それが廃止後の代替ルートとなりますが、神戸新聞記事の最後に神戸市の本音がちらりと書かれていました。

 地下鉄海岸線の利用者は、当初予想の13万人を大幅に下回り、2009年度では一日4万人に留まっています。そして累積赤字が830億円にも上り、海岸線への利用促進を図る狙いもあるとみられる、と書かれています。神戸市としてはそんなところでしょうね。

 ただ三菱の工場も重工の方だったかな、一部の部門が移転するような話もあり、和田岬線の利用者は今後減少する方向にあるらしく、地下鉄海岸線で朝夕の通勤輸送が出来れば、それが廃止のタイミングとなるかもしれません。

 私思うに、兵庫運河と同じく和田岬線も兵庫(ローカルな意味で)の産業を支えたものですよね。私は運河と共に活線状態で残してもいいとは思いますけどね。

2011/02/14

名古屋市交通局ギフトにマナカチャージ券

 続けてmanacaの話題です。名古屋市交通局ではオリジナルギフトとして贈答用デザイン共通一日乗車券及びドニチエコきっぷを用意しています。これにICカード乗車券「manaca」へチャージできる「マナカチャージ券」もオリジナルギフトのラインナップとなりました。

 マナカチャージ券、リーフレットからの画像です。

Manacagift

 いわゆる商品券で、名古屋市交通局の地下鉄駅へ持って行くと、manacaへチャージ出来るというもの。1枚1000円で1枚から発売するそうです。

 このマナカチャージ券を10枚以上購入すると、メッセージカードと封筒がついており、そのメッセージカードに四種類の絵柄があります。この絵柄、かつて贈答用ユリカの絵柄に使われていたものと良く似ています。同じかな。

Manacacharge

 以前はこの名古屋市交通局ギフトに、贈答用デザインユリカというのがありました。「贈り物にユリカを」ということで通常発売されていたユリカとは全く異なる十数種類の絵柄を用意し、10枚以上購入の際はメッセージが印刷できるというものでした。そこに一日乗車券とドニチエコきっぷが加わったものの、一年ほど前からは贈答用ユリカは外されていました。

 今考えると、ICカード移行によりユリカ全廃の方針だったからなのでしょうね。そんな一年前は「manaca」の名前は決定前、まさかユリカを止めるなんて思いもしなかったです。

 ユリカ廃止で困ったのが贈答用で買い求めていた方。私もそれに該当します。manaca本体を贈答用としては難しい(一人一枚が原則なので)、そこでこのマナカチャージ券を用意したのでしょう。これで参加賞など賞品として贈ることが出来ます。ただmanacaを持っていない方には如何しようもありませんけど。

 このマナカチャージ券は、チャージ専用。新たにmanacaを買うことは出来ません。

manaca(マナカ)初体験!

 大変遅まきながら、名古屋の地下鉄市バスでもやっとICカード乗車券が始まりました。このブログをお読みの、いやブログでなくとも関東や関西の方々は笑うてるやろな。本当に「やっと」という感じです。

Manacacard  昨年春に新しく始めるICカード乗車券の名前が「manaca」と発表され、その意味は「日本のをつなぎ、くらしのをつなぐICカード」でマナカだそうで以来、「マナカ、まだか」などとクダラナイこと思いながら年が明け、とうとう2月11日のmanacaスタートの日となりました。

 11日12日とは名古屋へは行かず、昨日13日、manacaを手に入れました。多分これが最初で最後のmanaca購入となります・・・紛失しない限り。地下鉄名古屋駅の改札窓口で購入したのが画像のmanaca。

 購入時に「いくらになさいますか?」と尋ねられ、一瞬どぎまぎしました。そうだったんだ!、名古屋市交通局の地下鉄改札窓口か券売機で買うと、購入金額が決められます。財布から千円札が3枚出かかっていましたので、その3000円で購入。デポジット500円を除いて2500円使用可能。二つ折りパスケースの右側にmanacaを入れました。

 そして近鉄に乗って一度名古屋市を離れます。近鉄はICOCAで乗車。パスケースの左側にICOCAを入れておりそちらを改札機にかざし、manacaの干渉は無く無事、近鉄改札通過です。

 夕方名古屋へ戻り、さぁmanaca初使用です。市バスに乗り、リーダライタ(車載機)にかざすもあらら「枚数超過」になっちゃいました。運転氏が「トイカかなんかはいとりゃせんか」て言うてましたけど、入ってますよICOCAが。なぜICOCAが読み取られたのだろう。もう一度トライ、やっぱり枚数超過。そこで三度目はあえてリーダライタの中心を外してかざすと、無事200円減額残額2300円と正常処理されました。後ろにお客さん乗ってこなかったので運転士とミニ会話、「これ(リーダライタ)の通信エリアは結構広いんですね」なんて話ました。

 そのあと、今度は地下鉄に乗ってみました。普通にパスケースをリーダライタに近づけるも、あららこちらも「枚数超過」が出てしまいました。二度目もエラーで、三度目の正直、市バスの時と同じく中心を外してかざすと、正常処理されました。

 manacaって、感度が良いのか、それともまだ初心者が多いと判断で、通信エリアを広めに強めに電波出しているのか、どうなのだろうか。教訓として中心から外し外側の空間にmanacaを通すのがコツみたいです。

 栄駅の東改札から入り、manacaで通過し、パスケースを180度向きを替えて傍らにある交通エコポンのリーダにタッチ。エコポンはICOCAで登録してあるんです。

 とまぁこんな感じで、名古屋~栄一往復の市バス・地下鉄manaca初体験でした。ところでこのエントリのタイトル、“manaca”を取って「マナカ初体験!」としたら、えらく卑猥なこと想像しそう・・・・・・。

2011/02/11

岐阜の路面電車開業100年目の日

 今日は2月11日。「亡くなった子の齢を数える」という諺(ことわざ)がありますが、今日2011年2月11日は、既に廃止された岐阜の路面電車が開通して100年目の日です。

 1911年(明治44年)2月11日、岐阜の財界のバックアップもあって美濃電気気道が設立され、中濃地区と岐阜市街地とを結ぶ郊外路線と、官鉄岐阜駅と岐阜稲葉を結ぶ市街路線が開通したのがこの日。開通した区間は、

  • 郊外路線 柳ヶ瀬~上有知
  • 市街路線 神田町~今小町

郊外路線は後の名鉄美濃町線、市街路線は後の名鉄岐阜市内本線になります。「えっ、美濃町線が柳ヶ瀬?」そうです、美濃町線は昭和25年まで柳ヶ瀬から出ていました。梅林公園から柳ヶ瀬の間に真っ直ぐの道が延びていますけど、そこに昔の美濃町線がありました。

 市街路線の神田町~今小町間。今でこそJR岐阜駅のある界隈を岐阜といいますが、元は上加納村。旧の岐阜駅前である神田町から岐阜の市街地である今小町まで開通した当時、電車道の神田町通りは細い田舎道で、柳ヶ瀬辺りまで田畑が続いていたそうです。

 1911年の当時、官鉄東海道本線の岐阜駅は今の長住町辺りにありました。早い話各務原線の岐阜駅を西にスライドした位置。市街路線はその旧岐阜駅と岐阜市街を結ぶ路線で、今の名鉄岐阜駅前スクランブル交差点の北側に市街路線の起点でした。路面電車を通すにあたり美濃電気軌道の費用で道路拡幅され、その道路が今の神田町通り、つまり旧電車通りで、電車開通後は約200m東の岐阜街道と並んで商業地となっています。

 その後、市街路線は北へは何度か延長され、1915年には長良川を越えて長良(長良北町)まで開通。また1913年に官鉄東海道本線の線路が南へ移設され、新しい岐阜駅の位置まで南へも延長しております。

 とまぁ、聞きかじったお話を端折りながら、路面電車がもし存続していれば、開業100周年と大々的なイベントがあったであろうと、妄想しながら書いてみました。市街路線、後の岐阜市内本線は徹明町以北が1988年に廃止、郊外路線、後の美濃町線を含め岐阜の路面電車が全て廃止されたのは2005年と記憶に新しいです。

 文章だけではナンですので。2005年の美濃町線廃止が近づくと、リバイバル塗装の電車が登場しました。1975年ごろまで岐阜市内線の電車はこんな色をしていました。

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 美濃町線の最新鋭車モ800。中扉部分がノンステップです。一度だけ乗りましたけど、無理な構造で居心地は良くありませんでした。美濃町線では4年と少々の在籍でした。今は豊橋と福井で走っているそうです。

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 しかし折角の都市の公器である路面電車をなくし、惜しいことをしたものです。岐阜の街には路面電車がよく合っていたのですけどね。

2011/02/05

名鉄電車最後のつり掛け駆動6750形が中日新聞に

 既に各サイトなどで話題に上がっていますが、名鉄瀬戸線を走行する6750系電車がこの春に廃車になるそうです。6750は動力伝達の方法が昔ながらの「つり掛け式」と呼ばれているもので、今では大変珍しい方式、また走行音も(今となっては)独特なもの。この6750のさよなら運転が行われると、2月4日付中日新聞朝刊に掲載されました。

6750

 記事の文章が読めるように、クリック拡大の画像をいつもより大きめにしております。

 この6750系は、車体はまんま新しいものなのですが、実は旧い車両の走行部品、つまり台車やモーターなどを再利用しての車両で、走行性能は昔のまま。いやむしろ加速性能が下がっております。

 この車体は新しいが性能は旧い6750系が登場した背景は、元となった旧い車両、3850や3900は冷房が無く、車内のインテリアも時代に合わなくなっており、そこで比較的安価で新しく冷房車を導入できる策として、走行関係の下回りに新しい車体を載せたこれらの車両などが登場しました。こうしたやり方はこれが初めてではなく、3700や7300など何度か登場しております。

 新聞記事では「走行時に独特の重低音」とあり、実際このつり掛けの音は、数が少なくなった今は人気があるそうです。しかし私が思うに、この車両のブレーキ方式がやはり名鉄の旅客車としては最後の三動弁の自動ブレーキ方式。

 JRでは気動車にこの方式のブレーキはありますけど、ブレーキ操作が難しいんですね。ブレーキをかける地点のやや手前でブレーキハンドルを回し、空気圧が所定の圧に下がる僅か前に重なり位置に戻し、そこからブレーキがかかる。さらに再び強くブレーキをかけることも出来ますが、一度緩めて再度ブレーキをかけようとすると、補助空気溜の圧力が下がっていて、時にはブレーキがかけられないこともあり、ブレーキを一度緩めて再び強くすることは「下手」のシンボルとされているほどです。ベテランはいとも簡単にこれら操作を行いますが、職人技です。

 さて、私と6750系との関係は?と訊かれても、実はこの車両には乗った記憶が無いんです。そもそも瀬戸線自体が滅多に乗りませんし、今世紀に入ってはまだ無いです。1990年代にあったスタンプラリーに参加した際に、電車に乗ってつり掛けの音を聞いているので、その時にはのったかな?・・・という程度。

 しかし本線系でも二昔前まではこんなつり掛けの電車が幅を利かせていましたし、「独特の重低音」をイヤというほど聞かされていました。でもいよいよ名鉄からなくなるのですね。20日のさよなら運転はあくまでファン向けのイベントだそうで、その後ももう少し走るそうですけど、多分このまま乗らずに最後を迎えそうです。

2011/02/04

JR西日本の可部線廃止区間を一部復活・広島県

 今日のYahoo!トピックにあった情報から、中国新聞web版記事参照です。広島県にあるJR西日本広島支社の可部線で、2003年12月1日に廃止された可部駅~三段峡駅間のうち、可部駅から一駅だけ旧河戸駅付近までの約1.7kmを、広島市が復活させる方針であることが2日分かったそうだ。実現すれば、JRの廃止路線を復活させる全国初のケースという。

 可部線の現在運行区間である、横川駅~可部駅間は電化されていますが、廃止された可部駅~三段峡駅間は非電化区間で、ディーゼルカーが走っていました。可部線が全線廃止ではなく電化区間が残ったのは、広島近郊エリアで利用客が多く、しかも列車回数が多くて一定の利用者がいたからです。しかし可部駅から先は回数も大きく減り、従って乗客も少なく廃止に至っております。

 今回復活させようという可部駅~旧河戸駅間は住宅も多く、沿線住民からの要望も多いことを受けて、鉄道として復活。可部駅までの区間が電化されており、電車が直通できるよう電化して復活するそうだ。そのための費用として広島市は2011年度予算に事業費と関連経費を計上する方針であるとのこと。

 計画では廃止された線路跡を用いて、旧河戸駅付近と中間の一箇所、計二箇所に駅を設けるとのこと。既に着工を想定して測量などを一部初めているらしい。そして広島市とJR西日本の費用分担など協議を進め合意を経て、2013年度には完成させたいそうです。

 JRとしては初めてですね、一度廃止された区間を復活させるのは。ただこれまでにも一度廃止された線路設備や、或いは一度線路が撤去された後の路盤を利用して、全くの別事業者が鉄道を再開した事例はあります。

 今回の可部線は、なんでも2003年の廃止時点で、可部駅に近い区間は復活が「有り得るかも」という想定があったのか、線路設備が結構残っているそうですね。使えるものは使うかもしれませんが、これまで7年の放置で、一度剥がして再度敷設しなければならないと思います。

2011/02/01

北近畿タンゴ鉄道一部廃止と京都府が兵庫県に打診

 本日の日経近畿web版からです。第三セクターの北近畿タンゴ鉄道。このところ経営悪化が伝わっていますが、そんな中の31日、筆頭株主の京都府から北近畿タンゴ鉄道の一部が通っている兵庫県に対して、線路の一部を廃線にする案が打診されていたことが分かったそうだ。

 2008年度からの急激な経営悪化で、自治体からの補填額が拡大。京都府は兵庫県と負担額が折り合わず、廃線を含めた経営改革を目指すという。この日までに、筆頭株主で経営権を握る京都府は、兵庫県が負担額を増やさない場合は廃線もあると伝えたとのこと。

 廃止も視野に入れているのは、記事の文章では「輸送人数の少ない宮津線の兵庫県豊岡市方面で、」とあり、宮津線のどの辺りからだろうか?、天橋立駅とか、峰山駅とか、その辺りから豊岡駅までの区間を指していると思います。実際この区間は国鉄時代から輸送量が少なくそれ故、特定地方交通線に指定され、第三セクター移管となった経緯があります。

 年度内に周辺自治体と交通網について検討する委員会を発足させ、仮に廃止した際の代替交通も検討するとのこと。一部区間の廃止で赤字拡大を抑制できるということですが、これはどの程度の抑制になるだろうか。地上設備の固定費は抑制できますけど。

 北近畿タンゴ鉄道の赤字には、京都府と兵庫県及び沿線市町が補填しており、その額2009年度の経常赤字約7億円に、京都府からは運営助成費として約5億円。一方で兵庫県からは約1000万円であるとのこと。この兵庫県からの助成を京都府としては増やしてほしいというとこですね。

 北近畿タンゴ鉄道は、宮津線西舞鶴~豊岡間83.6kmの路線と、宮福線宮津~福知山間30.4kmの二つの路線があります。宮津線は国鉄宮津線より継承した路線で、天橋立や丹後ちりめんを控えた東半分は集客があるものの、西半分は草深いローカル線。

 宮福線は、鉄道建設公団建設路線が凍結された宮福線を、北近畿タンゴ鉄道が経営を引き受けることで建設が再開され、近年に開業した線路で線形も良く、後に電化されて大阪・京都からJR西日本の電車による特急が運転されています。なんでもこの3月に直通の特急は運転を止めるそうですが。

 そんな北近畿タンゴ鉄道ですが、大阪・京都からの短絡効果がある宮福線にほぼ並行して京都府道路公社の綾部宮津道路が開通し、大きなライバル出現となっております。最近の経営悪化もその辺りにもあるのでしょうね。

2011/01/28

火山は活動より休む方が長い・霧島山噴火で

 数日前より活発になった霧島火山群の新燃岳噴火で、今日はじめてテレビニュースによる画像を見ました。これまでは新聞やネットの写真を見ていましたけど、やはりあの噴煙の上がり具合は、相当活発な活動であることを伺わせます。

 もともとこの霧島火山群の新燃岳は日頃から火山活動をしていますが、今回の爆発的な噴火活動は52年ぶりだそうですね。久しぶりというニュースがありましたけど、火山としてはとても短い間隔かなと私は思います。桜島のように年がら年中噴火している火山はむしろ稀で、長いところでは1万年以上お休みしている火山もあります。

 私のここでのハンドル「kisomitake」は、長野・岐阜県にある御嶽山からとっておりますけど、この御嶽が1979年に噴火した際は「死火山が噴火した!」と騒がれたものでした。当時、死火山とは

  • 過去に噴火の記録が無いもの

とされており、噴火の記録、つまり人間の歴史より以前に噴火して以来のものは死火山であったわけで、新聞の見出しにも「有史以来の噴火」の文字が躍っていました。

 人間の歴史なんてたかだか1万年程度です。自然の営みに比べれば遥かに短いです。そこでこの御嶽噴火で「活火山・休火山・死火山」の区別が廃され、単に「活火山」と「活動を終えた火山」という区別になっています。

 ひとたび火山が噴火すると、それは大変ですね。今回の霧島新燃岳噴火では降灰が激しく、かなり離れたところの鉄道線まで不通になっているそうです。火山に近いところでは火山弾が飛んできて、少し離れれば噴石が、そして火山灰は小さく細かくなればなるほど遠くまで流れます。

 鉄道が火山で影響を受けるのは、レール面上に灰が降ることで軌道回路の接触不良が起きる恐れがあるからです。レール(軌道)と車両の車輪で信号などの回路を構成しており、灰が挟まれば接触不良に、特に短い区間での軌道回路で作動する踏み切りは、動作しないこともあります。そして運転において見通し不良があります。

 ところで、私が「霧島(きりしま)」の名を知ったのは鉄道の列車名から。京都⇔西鹿児島間の電車による寝台列車が「きりしま」号でした。京都駅という点で特に覚えておりました。

 きりしま号は電車でしたので鹿児島本線経由でしたけど、山の霧島は日豊本線に近いところです。尤も鹿児島本線の前身である肥薩線は、霧島のそばを通っておりますけどね。

 火山は普段はおとなしい上に風光明媚な景色を創ります。それだけに自然の力は大きく、それが「恐れ」に繋がったのでしょう。大きな被害が無いように望むところです。

2011/01/27

名古屋駅前再開発・1、2年で方向性を・名鉄本社ビルなど

 1月25日付中日新聞朝刊地域経済面からです。名古屋鉄道の社長記者会見が24日、名古屋市内のホテルで開かれ、名鉄百貨店本店本館、名鉄本社ビルなど名古屋駅前の再開発について、行政や近鉄などとの協議を経て、1~2年の間に「こうやりたい」という方向性を述べたとのこと。

 この名鉄百貨店や名鉄本社ビル建て替えについては、私のこのブログでも、2年前に名古屋鉄道本社ビル建て替え検討中と題して記事を書きました。→こちら

 2008年秋にはじめて明言したもので、その後はJR東海と日本郵政グループとの新しい高層ビルや、三菱地所の大名古屋ビルヂング建て替えも浮上する中、名鉄からの音沙汰がありませんでした。やっとという感じです。

 名鉄百貨店本館の建物は、地下に名古屋鉄道の線路と名鉄名古屋駅構内があり、これが昭和16年の建設。そしてその上に百貨店が二回に分けて増築されているのかな、一寸複雑な構造。

 その南隣は近鉄百貨店がはいっている建物。そして南隣に名古屋鉄道本社と名鉄グランドホテルがも入っている名鉄百貨店メンズ館(旧メルサ)の建物。さらに南隣は名鉄百貨店ヤング館(旧セブン館)で、近鉄百貨店、メンズ館、ヤング館の上部には名鉄バスセンターがあります。

 建て替えるならばこれら一体として開発した方が宜しいでしょうし、それ故にもう一つの当事者である近鉄と行政の名古屋市、開発の影響を受けるであろう周辺企業との情報交換を進め、どのような開発を行っていくのか、との認識を示しています。

 また新ビル建て替え時期や完成時期は、全く分からないとのこと。まだこれから各方面への調整を行い、開発の方向性を示すということで、着工に至るまでまだまだ時間がかかりそうです。

 2年前の投稿でも書きましたけど、名鉄百貨店本館の地下には名鉄の線路と名古屋駅があります。近鉄百貨店の地下も一部トンネルがかかっているようです。いざ建て替えとなればどうするのだろう。どのような工事となるのだろう。建て替えの前に現建物の取り壊しもあり、駅設備の影響はどうなのか、そもそも名鉄名古屋駅は百貨店建物の基礎が通っており、かなり大変な工事になると思います。まさか鉄道の運行を一時止めるわけにもいきませんし。

 本題とは外れますが、ヤマダ電機LABI名古屋駅前店が名鉄百貨店ヤング館に出店することとなり、ヤング館は3月末をもって大部分が閉鎖されます。

***2011年8月10日追加
 本日の新聞報道で、名鉄社長から2027年をメドに再開発を行いたいとのことです。
その記事

2011/01/25

名鉄が3月26日にダイヤ改正

 昨日の名古屋鉄道ニュースリリースから。名古屋鉄道では3月26日(土)に全線でダイヤ改正を行うとのこと。新ダイヤの主なポイントは、

  • 朝出勤時のミュースカイ・特急の再編
  • 輸送体系の効率化
  • 最終列車時刻繰り下げ

です。

 これまで数回のダイヤ改正では、あまり朝ダイヤには大きな変更は無かったのですが、今回は一部特別車の特急を増発し、名古屋への速達性を高めるという。実際には列車の純増を行うとは考えられず、特急の増発分はおそらくは急行の格上げでしょうか。

 具体的に名古屋本線では、豊橋発が1本、岐阜発が3本増えることとなり、一部特別車編成は車両が限られることから、車両運用に大幅な変更が加えられることとなりそうです。

 そして「輸送体系の効率化」では、

  • 昼間帯~終列車で利用が少ない列車の見直し・・・つまり廃止
  • ワンマン運転区間の拡大

というもので、現在の岐阜~中部国際空港間のミュースカイを、岐阜~名古屋間の運転を取りやめ、名古屋~中部国際空港間の運転にするらしい。また河和線の特急に特別車編成ではなく一般車編成を充てて、全車一般車の特急列車として運転するらしい。

 ワンマン区間の拡大は、尾西線(津島~名鉄一宮・名鉄一宮~玉ノ井)、豊川線、築港線で新たに行うとのこと。

 最終列車の繰り下げは、ニュースリリースで4本の列車が記載されており、個人的に係わりそうなのは、現在の名鉄名古屋0時01分岐阜行き急行を、6分繰り下げるらしい。JR東海の東海道本線が0時03分発で、これよりも3分遅くなることになります。

 その他は新木曽川駅と笠松駅が特急・快速特急の停車駅とし、現在朝方は通過しているこれらの列車が全て停車することとなり、岐阜駅から竹鼻線に直通している列車は、笠松駅発着となり、竹鼻線内のみの運転となります。

 この先は私の感想ですが、「輸送体制の効率化」ですと、名古屋本線の西部区間(名古屋~岐阜間)をどうにか出来ないものかと思っています。というのは、約15分ごとに特急・快速特急が1本、急行・快速急行が1本運行しています。しかし特急が新木曽川と笠松に停まるようになり、急行との違いは須ヶ口と新清洲に停まるか停まらないかの違いです(最近は栄生駅にも急行が停まるようになっています)。

 そのため急行の一宮以北はすこぶる利用が悪い状況で、暫く前の改正で半分の急行は一宮駅折り返しとなりました。残る岐阜発着の急行も昼間は勿論、夕方も惨憺たるもので、ニュースリリースに書かれていませんが何らかの手が加えられそうな感じがします。

 一宮駅利用者からあえて書きますと、この際は15分毎の特急と急行を止めて、10分間隔に急行だけの運転でもよさそうに思います。でも岐阜駅利用者は特急の方が宜しいでしょうけど、岐阜利用者の大部分はJR東海を使うとも聞きますし。

 この新ダイヤの冊子時刻表を、改正一ヶ月前の2月26日に発売するとのこと。時刻表を見て(読んで)の感想を、またその頃に書くことにしよう。

2011/01/22

「マナカなかなか難解」と中日新聞記事

 二回連続で名古屋市交通局と名鉄のmanaca関連記事です。昨日1月21日の中日新聞夕刊記事に、現在のユリカなど磁気カードでのプレミアムからmanacaのポイントに切り替わることが、「なかなか難解だ」という記事がありました。しかも一面トップ記事に。

 なぜこの日にしかもトップだったのだろう。記事の一部です。

Chunitimanaca

 私なぞは、ICOCAからもう何年もICカードを使い続けていますが、このICカード内にポイントが溜まるというカードはまだ経験が無く、しかも磁気カードからある日を境に一気にICカードに切り替えるというものですから、そりゃ確かに難解ですわ。

 PRを盛んにしだした1月11日頃(つまり実施一ヶ月前)から急に問い合わせが増えているといい、その内容の殆どは使い方だということです。JR東海ではTOICAがありますけど、この地区(名古屋地区)では多くの方がICカード乗車券は始めてなのでしょうね。でもsuicaという単語はドラマで知っていると、普段は鉄道に乗らない人もいて、それなりにICカードとは「なんぞや」は知れ渡っているようです。

 記事では電子マネーとして使えることも強調していますが、これもICOCAなど先行の各社での多くで電子マネーが使え、とりたてて珍しいことではありません。ただ名古屋鉄道発行(正式な発行社は(株)エムアイシー)のmanacaでは、駅構内の売店などで購入するとポイントが付く「たまルン」に加入すると、お買い物毎にポイントが付きます。

 manaca、いいとこばかりではなく不都合なところもあります。いや利用形態によってはこの方が大きかったりする方もいますね(私)。

  • 乗車によるポイントは暦月単位で、この一ヶ月間に名古屋市交通局では2000円以上、名鉄では2001円以上(切り上げになるので実質2010円以上)の乗車がポイント付与の対象となり、これ以下ではなんのプレミアムは付かない
  • 名鉄バスでは昼間割引バスカードの高額なプレミアムが無くなる
  • 名鉄は回数券廃止で、manacaが導入されない蒲郡線と広見線の新可児駅以東は、定期券か普通乗車券でしか乗れなくなる。(他に団体券もありますが個人客の場合)
  • ユリカなどの磁気カードを2月10日をもって一切発売を取り止めるため、参加者に配るなどといった、賞品として使うことが難しくなる。(既に私が係わる団体で該当する)

 なにわともあれ、あと三週間ほどでmanacaが始まるわけで、人によってはプレミアムの高いユリカを沢山買い込んで、来年のユリカ利用停止まで使い続ける人がいますけど、私はバスの昼間用を数枚買う程度ですね。はやくmanacaで乗ってみたいところです。ポイントが付くことは少なそうですけどね。

2011/01/21

IC乗車券「manaca」対応改札機に電源が入りました・名鉄

 名鉄や名古屋市交通局が導入するICカード乗車券、その名を「manaca(マナカ)」といい、いよいよ来月2月11日から利用開始となります。ICカード読み取りユニットを内蔵した新型改札機や、後付けのユニットを取り付けたものなど改札機の準備は出来上がっており、最近になって実際の機器を使用した機能の実地試験のため、やっと電源が入りました。

Img_0008

 上の画像、蒼白く光っているICカードを触れる部分には、これまで黒いシールが貼ってありました。またその先のmanacaPRシールが貼ってある部分に、読み取ったICカードの残額など情報が表示される窓です。今は試験中でPRシールが貼ってあるのでしょう。

 改札口通路全体。黄色のアクセントとなっているのは、manacaの色が黄色だからなのでしょうか。入場側と出場側とでは色を変えた方がよかったと思います。

Img_0006

 場所は、名鉄一宮駅です。

Img_0003

 こちらは出場側から見た改札機。違いはありません。使用済みのミューチケットを入れる箱があるだけ。やはり乗車券挿入口の色は変えた方がいいと思います。

Img_0009

 さて、こんな記事を書くのは、私、早速やってしまいました(ワザとか?)。パスケースに入っている回数券(得割30)を出しながら改札機を通ろうとして、キップを挿入口に入れる前にパスケースがユニットの感知エリアに入ってしまった。

 ケースの中にはICOCAが入っており、manacaと同じシステムのカード。通信エリアに入れば当然見つけられるわけでして、無効な券種と判断、「ピンコーン」と音が鳴り、扉が閉まりました。実はこれ、JR東海のtoicaが始まる前にもやらかしております(知っていながら・・・)。

 さて、このICカード乗車券。各社では「必ずタッチして・・・」とPRしております。しかし私は「必ずタッチしておりません」。ICカードは改札機と電波で情報やり取りするため、改札機に触れさせる必要は無いからですし、そのように当初は開発されました。

 しかしユーザーであるお客が、必ずしも検知電波の範囲内空間にカードをもって来るとは限らず、そこで確実に読み書きさせるために、ユニットに一旦着地させる「タッチアンドゴー」をお願いしています。

 ところで、manacaの本体発売開始は、manacaの運用開始と同じ2月11日からで、開始前に予め発売しないのは、この機能試験のためなのでしょう。機能試験は本番と全く同じ機器構成で行うため、事前にmanaca発売すると、私のようなモノがうっかり改札機に近づけるて、有効な券種と判断され改札機を通れてしまう(電車に乗れる)からでしょうか。でもこれ設定で試験用と本番用とを切り替えられると思うのですが。私が開発者ならそうします。

2011/01/10

JR東海のキハ25を見ました

 すいません、今回は純粋に鉄道だけのエントリです。

 過日、JR東海の東海道本線尾張一宮駅に向かい、駅前広場から見た高架の駅ホーム1番線(上り1番線)に、新しい313系電車と思しき2両編成が停車中。新車の試運転か、或いは回送だろうと思いつつ改札へ。

 そして階段を上ると1番線の次発車案内では「臨時列車」とあります。行き先も時刻も無い「臨時列車」四文字だけで、これは「313系電車を使ったどこかの団体かな?」と思いホームに上がると、なにやら工場のように騒がしい。

 騒がしいのは工場というよりエンジン音で、「これはもしや!」と1番乗り場の車両に近づくと、案の定、新型車両キハ25でした。まさに313系電車もどきですね。初対面でどう違うのかは瞬時には見分けがつきませんでしたが、ぱっと見いは313系そのもの。

 ふとホーム屋根を見ると出発反応が点灯しており、ホーム先の出発信号機も進行を示していて、発車の準備が整っております。しかし車掌がいない。前部運転室から一人身を乗り出して後方確認して、キハ25は豪快なエンジンを残して発車していきました。

 ですので写真は撮っておりません。(尤もこの日はカメラ持ってませんでしたが)

 あれ、だまって列車出て行くのはどんなものだろう。大抵は「1番線ご注意ください」の案内放送が流れそうなものですが。上りホームは快速電車が出て行った後で、お客さんは少なかったですけどね。

2011/01/06

退避場所指示はえらかったものの・桜通線事故で

 昨日の午前10時半ごろ、つボイさんのラジオ(CBC)を聞いていたら鉄道運行情報が入りました。名古屋市の地下鉄桜通線は人身事故で、全線の運行を止めているとのこと。秋から桜通線の人身事故が多いようなので「またか」と思っていたら・・・。

 その後、お昼のNHKラジオニュースで詳細が分かりました。車道(くるまみち)駅で線路に落ちた高校生に、老人がホーム下の退避場所を身を乗りだして指示していたところへ電車が入ってきて、その老人と当たって怪我をしたとのこと。

 事故を未然に防いだはずが、結果的に事故になってしまったわけで、件の高校生は落ちた時の怪我で済んだらしい。

 老人はえらかった。ホーム下の退避場所があることを知っており、それを指示したわけで。ただ電車の走行までは一瞬気が抜けたのかもしれないですね。昨日の新聞夕刊記事では老人、頭に怪我だそうで、折角高校生を助けたものの自身が怪我にあい、お気の毒様です。

 このホーム転落事故はちょくちょく発生しているもので、それゆえに桜通線ではホーム柵を設置する工事が進められています。ホームの線路側を柵で囲い、ドアの部分は可動扉となります。電車が到着すると可動扉と電車の扉がほぼ同時に開いて乗り降りできるというもの。

 ところで私はまだ人がホームに落ちた場面に遭遇したことはありません。しかしその場に遭遇した際は「どうすべきか」は、常に頭に入れております。今は緊急知らせボタンがホーム各所に設置されている駅が多くなりましたけど、それが見当たらない、或いは無い駅では状況によっては線路に降りることも考えています。

 普通の方は線路に降りてはいけません。絶対にいけません。私は電車の速度から非常制動をかけてどのくらいで止まれるか、そして車両の大きさを身をもって知っております。私自身の逃げ場所が無いところでは降りません。しかし運転士が非常停止をとり、止まれる位置でありかつ、線路際の余裕があれば下りるかもしれません。こんなことにならないように願いたいところですけどね。

 ところでホームから線路のある場所まで結構高低差があります。軌条(レール)面からホーム面では約1m10cmですけど、レールの高さと枕木との締結具の高さも加わり、1m30cm近くになり、落ちた衝撃で痛くて動けないかもしれませんね。

2011/01/05

三宮ターミナルビル建て替えとJR三ノ宮駅改修へ

 神戸新聞web版記事からです。4日15時40分配信の記事では、JR神戸線三ノ宮駅のリニューアルに向けて、JR西日本と神戸市が協議を始めたことが分かったそうだ。またJR西日本は11階建ての三宮ターミナルビルも建て替える方針だそうで、駅舎改築も視野に、本年度中にも三ノ宮駅の改修構想をまとめるという。

 1997年の京都駅に続き、今年5月には大きな大阪駅開発プロジェクトが出来上がることから、神戸市などがJR西日本に神戸市の表玄関たる三ノ宮駅もリニューアルとなるよう、要請していたそうです。

 そうか!、京都駅と大阪駅の建て替え・リニューアルと続き、神戸だけが取り残されるような雰囲気を感じたのかな。三ノ宮(三宮)は何年か前の神戸新聞会館「ミント神戸」オープンで、結構活気付いていると思うのだけどな。

 そして三宮ターミナルビルの建て替えですか。線路のすぐ南、ポートライナーの駅に続くような形で建っている11階建てビルですけど、これ結構新しいのでは。神戸新聞記事では1981年のポートアイランド博覧会(ポートピア'81)に合わせて開業したとあり、建て替えにはまだまだ早いのでは。でも震災で傷ついた部分もあるとかで、建て替えの方向になってしまうのかな。この三宮ターミナルビルはホテルのほか、当初はプランタン神戸も入っていました。

 画像中央の高い建物が三宮ターミナルビルです。見た目、まだしっかりしていそうですけどね。昨年秋の撮影。

Img_0039

 余談ですが元のプランタン神戸。店内は日本語の案内放送のほか、フランス語による放送もあり、プチ・フランスが感じられました。開店当時発行された観光ガイドブックにも掲載されていました。震災でプランタンとしての営業は止めており、今はOPAが入ってます。

 三宮界隈は、現在阪神の三宮駅が2013年春の完成を目標に、東改札を設け、発着線の配置を変える大規模な改修工事が行われています。完成すれば近隣ビルの地下階とを結ぶ地下通路が整備されます。

 鉄道とバス・タクシーなどの乗り換えの円滑化、駅前広場の拡張なども神戸市とつくる勉強会を通じて検討を進めるということだそうだ。高架線のJR神戸線三ノ宮駅。駅機能は全て高架下に集約され、本来は「駅舎」なるものは存在しませんが、高架線路を造り替えることをも含んでいるのだろうか。

 実際、あの高架線路は震災で崩壊はしませんでしたが応急復旧箇所もあり、また三ノ宮駅ホームも手狭になっており、なんらかの方策が期待されていたところではあります。

 この三ノ宮駅改修はあくまで「本年度中に構想」ということで、計画開始はまだまだ先のことですね。その頃には阪急神戸線が神戸市営地下鉄に乗り入れるか、それともしないのかのケリがついていることでしょうし、その辺り含めてJR西日本のみならず、阪神・阪急も含めた三宮界隈のあるべき将来に期待したいと思います。

2011/01/02

山陰の大雪

 報道にもある通り、暮の30日から鳥取県西部から島根県にかけて記録的な大雪であったそうです。降り続く雪でスリップした大型車が道をふさぎ多数の車が雪の中、立往生しているという報が31日にあり気の毒に思っていたところ、今度は明けて1日に昨日から山陰本線と伯備線で列車17本ですか、立往生しているという報がありました。自動車の立往生で一晩過ごしたのはその後約1000台であったそうです。

 雪の中、お気の毒としか言いようがありません。自動車では暖をとるためエンジンをかけておくと、今度は積もっていく雪に排気口が塞がれ、中毒になる恐れもありました。今回は幸いそこまでにはならなかったそうですが、気分の悪化で救急搬送された方がいるそうです。

 鉄道では中毒になる恐れはなくとも、いつ動くのか分からない状況は同じこと、その不安は深刻なものだったと想像するに気の毒過ぎます。これはお客だけではなく乗務員も同じこと。特に乗務員は指令を受けるため待機しておらねばならず、疲労たるもの相当なものだったのではないか。

 31日午後に鳥取駅を発車した、山口線経由新山口(旧称・小郡)行き特急「スーパーおき5号」はよく報道され、鳥取駅を何時に出たのだろうか所定では13時43分発ですが、約1時間弱走った下市~御来屋間で雪の重みで倒れた樹木により運転停止、それが16時過ぎだそうで、除雪車は脱線するわ、道路は渋滞で救援に迎えないわで、雪の降りが弱まった1日遅くなってようやく除雪が進み、スーパーおき5号は34時間ぶりに運転再開して、2日4時過ぎに米子駅まで運転してそこで打ち切り。乗客130人が降り立ったという画像がYahoo!で配信されています。

 このスーパーおき5号は米子駅到着時刻所定は31日14時41分で、それから比較すると約37時間20分の遅れ。この間、運転士と車掌はずっと乗務しっぱなしだったのでしょう。あまりにも大変過ぎます。お客さんも大変ですけど、動き出せばそれなりの注意力を要求される乗務員、特に運転士が気の毒に思えて仕方ありません。

 駅間抑止は避けねばなりませんね。でも今はあまりにも駅の無人化が進み、駅で抑止されてもホームと無人の駅舎があるだけで、状況の情報は無線からの指令のみ。しかも駅の無人化は運転関係だけでなく、保線の人たちもいなくなり、指令室で降雪状況は分かるものの、それは間欠的なデジタル情報。雪の質までは判断できないと思います。

 今回の年越し二晩抑止は記録的な大雪であった故のものですけど、現場の人を減らした結果でもありましょう。臨機応変が利きにくい現代の鉄道、表面的な華やかさの影に、ひょんあことでこんな実態が現れたりします。

 特急列車では、伯備線の特急「やくも」も何本かが31日夜から動けなくなっていたそうです。駅での抑止ですが、もう「お疲れ様」としか言い様がないです。

2010/12/28

名鉄フリー切符復活・豊川稲荷参拝向けに

 一昨日26日の中日新聞朝刊記事からです。豊川市の豊川稲荷と稲荷周辺20店舗の協力で、豊川開運キャンペーンの一環として、名古屋鉄道のお正月フリー切符が復活するそうだ。2005年にこの種のフリー切符を廃止、以降豊川さんへの参拝者数が大きく減っていることで、2年前から要望していたそうです。

 名鉄豊川線豊川稲荷駅の利用者数は、2004年に約42万人、フリー切符が廃止された2005年は約25万人にまでに落ち込んでいるそうです。長期的な名鉄利用者数の減少傾向ではなく、この数字はフリー切符廃止が大きいでしょうね。

 豊川稲荷駅の乗降客減少はそのまま豊川稲荷さん参拝の減少、そして駅から門前へのお店の売り上げにも係わってくることから、豊川市観光協会は2年前から名鉄と復活交渉をしてきたという。

 2005年のことは覚えています。空港線が開業した年。従来、名鉄には通常発売の2dayフリー切符の他、期間限定の3・3・SUNフリー切符、外来の観光客向けのグループ7社2day・3dayフリー切符がありました。2005年はまず観光客向けグループ7社2day・3dayを廃止、3・3・SUNフリー切符はこの年の愛知万博バージョンを発売しましたが、それ以降の発売は無し。

 そして2005年の暮、名鉄社員には少しはホッとしたかもしれませんが、2006年お正月の初詣向けとした期間限定商品である、1day・2dayフリー切符が発売されませんでした。このうち2dayフリー切符は名古屋鉄道の鉄道線だけでなく、外来の観光客向けのグループ7社2dayフリー切符と同じく、名鉄バスや名鉄海上観光船にも乗れる大変嬉しい切符でした。

 お正月初詣フリー切符は従来は、破魔矢などの記念品引き換え付き寺社参拝用往復割引切符であったものが、発駅毎に切符を印刷用意せねばならず手間が掛かったことから、その日に帰ってくるなら1dayフリー、泊りがけなら2dayフリーに集約したものです。そして往復割引切符の時代から名鉄社員への一種のノルマかな?を課して、これらお正月初詣切符を発売していました。

 ある名鉄のジンが言っていました。

  「フリー切符が無くとも目的地へ行く気があれば、切符買ってでも行くだろう」

あちゃー、こんなこと言わはるから名鉄のお客さん、減ってるんとちゃいますか。必要があれば目的地へ乗車券は買ってでも行くけれど、行楽やお正月の初詣では、こうした旅行商品の存在が動機付けに大きいことを理解されていないようでした。その結果が2005年(年度)の豊川稲荷駅が前年比で17万人の減少となって現れたものでしょう。

 さて、今回発売するのは、

  • 新春1DAYフリーきっぷ 2500円
    2011年1月1日~1月16日の1日有効
  • いなり寿司食べ比べ!豊川1DAYフリーきっぷ 2800円
    2011年1月17日~2月28日の1日有効
  • 豊川稲荷御祈祷+精進料理プラン 4900円
    2011年1月17日~2月28日の1日有効

で、名鉄の出札窓口がある有人駅(除く弥富・赤池)で発売とのこと。

2010/12/24

南海の特急が梅田に乗り入れか・南海社長が意欲

 2日前の日経近畿web版記事からです。南海電鉄の社長が、計画中のなにわ筋線開業後には、南海特急を梅田地区まで走らせたいとの意向を示したとのこと。さらに関西空港と新幹線とを結ぶため、JRの新大阪駅までの乗り入れにも意欲を示しているという。

 来年はJR大阪駅が生まれ変わりますね。大阪駅開発プロジェクト。そして阪急百貨店も建て替えられ、先日は新阪急ビルの建て替えも発表され、これは阪神百貨店の建て替えと連動してツインタワービルになるのかな、大阪・梅田界隈が大きく変わろうとし、また人も今以上に梅田に流れようとしています。

 そしてなにわ筋線。これはいつ頃出来るのだろう・・・。その名の通り大阪市のなにわ筋下を通る鉄道新線で、運行主体はまだ決まっていませんが、当初はJR湊町駅、今のJR難波駅と新大阪駅を結ぶとされていたことから、JRが運行主体となるのだろうか。

 新大阪から梅田貨物線を通り、梅田駅(梅田貨物駅)の再開発に仮称・北梅田駅を設置し、そこからなにわ筋線の単独線路となり、そしてJRのJR難波駅、南海汐見橋支線(正式名称は高野線)汐見橋駅を結び、さらに南海の難波駅との接続も構想に入っている、事業費およそ3000億~4000億円の路線です。

 そのなにわ筋線を経由して、南海電鉄の特急が梅田まで行けば、「梅田界隈勤務の方でも南海沿線に住んでもらえる」とし、南海電鉄線の乗客数増加に期待を寄せているそうです。

 南海の特急には関空特急「ラ・ピート」のことも含まれていると思いますけど、JR西日本もなにわ筋線経由で新大阪駅と関西空港とを結ぶ「はるか」をこのなにわ筋線経由で走らせたいという意向を示していて、完全競合状態になりますね。特に新大阪駅から仮称・北梅田駅まではJR西日本の貨物線を経由することになりますし、そのあたりどういう調整が行われるのでしょうか。

 まだ南海の社長が、「特急の乗り入れに意欲を示した」だけの段階で、具体的な動きはまだまだ先のことですね。

 記事では南海から乗り入れるのは特急だけのようで、急行など一般の列車がそのまま梅田まで行くわけではなさそうです。ミナミの難波はこれまで通りですけど、梅田貨物駅跡地のプロジェクトに大きな注目が集まるようになれば、地下鉄御堂筋線が微妙に梅田貨物駅とは離れているだけに、なにわ筋線への旅客集中が考えられます。

 ところで南海難波駅となにわ筋線とどうやって接続させるのだろう。南海難波駅の線路は地上三階(だったかな?)、なにわ筋線は地下そこそこ深い所を通ります。また南海難波駅の線路の向うはビル群。難波駅はるか手前から地下への新線を建設することとなりましょうか。

2010/12/17

JR西日本・2011年3月ダイヤ改正の片鱗が見えた

 約2年前、つまり2009年のお正月にJR西日本からなんとも大きな発表がありました。(→弊ブログ記事)。それは「2011年春ダイヤ改正で、本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)の新快速が全て12両」というもの。その2011年3月ダイヤ改正では、大阪ステーションシティの完成を目前にして、大阪駅に人が集まるようなダイヤにすると、昨日の日経新聞近畿web版に記事がありました。

 大阪駅へどんな増強策をとるかというと、箇条書きで

  • 本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)の新快速が土曜休日は全て12両編成
  • 大和路線から大阪駅へ向かう大和路快速を現在の1時間3本を1時間に4本に
  • 阪和線から大阪駅へ向かう紀州路快速・関空快速を現在の1時間3本を1時間に4本に

ということで、本線系の新快速は増結だけですが、大和路快速と紀州路快速・関空快速は増発となり運転間隔は均されるでしょうから、大和路線と阪和線はダイヤパターンが変わるほどの改正になるようです。

 ところで本線の新快速のオール12両は、土曜休日だけなのですか?約2年前の発表では「全て」という文字が見えていたようですけど。ちょっとがっかり。

 大和路線(関西本線)。現在は大阪環状線へ直通する「大和路快速」と普通の「快速」がそれぞれ1時間に3本で、普通電車も区間運転を含めて1時間に6本。それが2011年3月ダイヤ改正で大和路快速が1時間に4本ということは、約15分間隔の運転でさりげなく快速系統の減回なのではないか。それとも大和路快速4本とJR難波駅発着の快速が2本なのかも。いずれにせよ大和路線はダイヤパターンが大きく変わりそうです。

 阪和線も紀州路快速・関空快速併結列車が1時間に3本から4本に増えるわけで、ダイヤパターンが変わると思いますけど、阪和線は滅多に乗らないので、現在どんなパターンなのか、そしてどう変わるかはよく分かりません。

 そして大和路快速と紀州路・関空快速の両方が走る大阪環状線は、西半分の天王寺~大阪間でこれら快速が1時間8本と、市内の移動でも随分便利になりますけども、当然ダイヤパターンが変わることで、現在は約10分間隔の環状線普通電車がどうなるのか、さりげなく減られるのか、気になります。

 これら大阪駅直通列車を増やして、大阪駅の乗降客数を現在の85万人から大阪ステーションシティ開業後は91万人程度に増やしたいという。その成功例としてJR京都駅で駅ビルとジェイアール京都伊勢丹開業に合わせ、JR京都線の京都~高槻間で昼間帯に普通電車を倍増し、京都駅の乗降客数が約8%増えたとのこと。今のご時勢、大阪駅で一日6万人も増えるなんて、正にビッグプロジェクトですね。

***追補
 コメント頂いた通り、JR西日本からプレスリリースが出ました。それによれば、大和路線と阪和線は、大阪直通する快速の他に、線内の快速(区間快速)を時間4本運行するという。その分普通電車は削減。

 それとJR宝塚線で、JR東西線からの快速が塚口で折返しで事実上運転取り止め。そして丹波路快速と15分間隔になるように、大阪~宝塚間の快速を運転するとのこと。JR宝塚線については大阪駅発着の快速は増えるものの、マイナスの印象が強いのか日経記事にはありませんでした。

 大阪環状線は私の心配の通り、環状系統が時間4本に削減。ただ大阪まで来る大和路快速が増え、現行通りそのまま天王寺まで普通電車として走るようなので、環状線東半分については、運行間隔はいびつながら現状の頻度はありそうです。そして大正駅が快速停車駅になります。

2010/12/16

JR琵琶湖線・南草津駅に新快速停車・来春ダイヤ改正

 えらいニュースがありました。京都新聞web版からです。滋賀県草津市にあり駅乗降人員が伸びているJR西日本のJR琵琶湖線南草津駅。来年春のダイヤ改正で新快速が全て停車することとなったと、関係者への取材で分かったそうだ。春のダイヤ改正・・・、2011年3月12日でしょうか?

 南草津駅はJR西日本発足後の1994年9月に開設された新しい駅です。開業当初は駅周辺も閑散としていましたが、年々駅前らしくなり、立命館大学びわこキャンパスが移ってきた頃は、南草津駅周辺には高層マンションが並び始め、JR琵琶湖線でも乗降人員の伸びが大きく、今や滋賀県内では草津駅、石山駅に続き第三位の約4万4千人(2009年度)であるという。

 それほどの駅であることから、地元では新快速停車要求が盛んだと伺っており、JR西日本へ停車を求める署名が行われ、6万人に及ぶ署名が集まったと報道がありました。ただ新快速など速達系の列車(系統)は、単純に駅の乗降人数だけで決められるものではないので、私は多分通過のままだろうと思っておりました。そこへ新快速南草津駅停車・・・。

 これ、ひょっとして立命館大学と、場所は少し離れていますが龍谷大学で一部学部の移転が噂されていますけど、それの引き留めもあるのでしょうか。南草津駅利用者数のうち立命館の学生は結構多いそうで、JR西日本としてもいい収入となっていますね。地元としても折角大学を誘致したもの、移転して出ていかれては困ってしまいます。

 新快速が停車することとなれば、京都へは3~4分短くなると、新聞記事。普通電車よりも瀬田駅と膳所駅に停まらない分速い訳で、米原~京都間、いや草津~京都間でみれば、南草津駅停車により新快速の所要時間は約2分延びることになりそうです。

 個人的には新快速南草津駅停車は複雑です。現在のまま通過してもらいたい気持ちもありますけど、あれだけの乗降人数があるのは無視できませんしね。

2010/12/15

JR神戸線の新駅・仮称「まや」駅は普通電車だけの停車か

 JR西日本のJR神戸線、六甲道~灘間の東灘信号場に設置する新駅について、10月7日に弊ブログで「JR神戸線に新駅・2016年目標で仮称「まや」駅」と題して書きました。この新駅について、昨日のJR西日本webページのプレスリリースで正式に新駅設置の旨が発表されました。

 また神戸新聞でも、JR西日本から設置発表があったとの記事がありました。

 それらによれば、「新駅」は六甲道駅から約1.4km、灘駅から約0.9kmの地点で、線路の上に駅設備を設ける橋上駅舎。旅客ホームは8両対応の島式1面。ホーム上屋は7両対応分の長さで、駅舎とはエレベータ1基とエスカレータ1基が設置されるという構造。そしてわたり線(渡り線・亘り線)を神戸駅方に新設し、乗降客は1日1万4千~2万人程度を見込み、開業予定は2016年春。総事業費約40億円。

 「8両対応」の島式1面・・・。甲南山手駅のように普通電車が走る上下内側線の間を広げ、そこにホームを設置する方式なのですね。そして8両対応。新駅は普通電車専用の駅となるのですね。

 10月7日の記事では、列車折返し設備を設けるとの新聞記事から、新快速が走る外側線にもホームを設け、ダイヤが乱れた際にはここで双方の方向に折返し出来るようになるのでは?というようなことを書きましたけど、実際に停まることが出来るのは、内側線列車だけ、しかも8両対応となることから、8両よりも長い編成がある快速電車は停車出来なさそうです。

 ところで新駅の神戸駅方のわたり線は、既にあります。3年か4年前に上り内側→5番線(下り内側線路)のわたり線が設置されました。ただ、東灘信号場の上り内側線場内信号機には、上り→5番線進入の信号は無く、現在は使用できません。

 神戸新聞記事では、大阪~西明石間にはわたり線が無く、この間で列車運行見合わせがあると、姫路方面からは西明石駅での折り返しとせざるを得ないという。おや?須磨駅に両わたり線がありましたよね。神戸駅にも入れ替え扱いですがわたり線がありますけど、須磨駅も神戸駅も、姫路方面からは列車扱いでは折返しが出来ず、その辺りの利便性を狙ったものでしょう。

 プレスリリースには、新駅はあくまで「新駅」とだけしか書かれておりません。仮称名「まや駅」とは、無用な混乱、つまり既に駅名が決まったかのような印象を持たせる恐れがあるからか、書けないのでしょう。ともかくJR西日本から新駅設置についてお知らせがありました。

2010/12/13

回数券廃止!・manaca導入で名鉄・2012年に

 本日の名古屋鉄道webページ、ニュースリリースに衝撃的な内容が発表されました。ICカード乗車券「manaca」導入により、現在の磁気式SFカード「SFパノラマカード」の取り扱い方と共に、回数乗車券発売終了するという、なんとも衝撃的、いや「衝撃」そのものな内容。

 先にSFパノラマカードについて、これは「manaca」に全面移行するため、名古屋市交通局と同様、2011年2月10日をもって発売終了。また2012年2月29日をもってカードとして、また乗車券引き換えとしての利用を終了します。

 次にこのエントリで題名にした回数券。名鉄では、普通、時差、土・休日割引の三種類の回数券を発売しています。このいずれもが2012年2月29日をもって発売終了。三ヶ月の有効期間後は名鉄から回数乗車券が無くなります。これは大いに困る

 しかし、回数券廃止ですか・・・。名鉄は本当に「」鉄になった感じがします。回数券の制度は明治期の鉄道創業の頃までに遡り、一定区間をある程度頻繁に往復する旅客用に設定されているものです。しかしそれがいくら「manaca」にプレミアムとなるポイントが付いていても名鉄線でのポイント率は低い。しかも暦月で一ヶ月ごとに計算して、その月間利用金額からポイント率を導き出し、計算の過程での端数は切捨てとなり、ポイント率の満額ポイントが頂けるケースはそう多くないでしょう。

 それを考えると、三ヶ月間有効で約9.1%のプレミアムである普通回数券、土曜休日は約28%の土・休日割引回数券のほうがまだ安心して使え、私のケースでは今は回数券を購入している区間はありませんが、今後も回数券を選ぶつもりでいました。しかし今日の発表。

 もう名鉄には乗らないほうがいいのかな。もっとも名鉄なんてそんなに乗らないので、影響はほとんど無いと言えばそうですが、それでもタマには一宮⇔名古屋、一宮⇔森上以外の区間に乗るかもしれません。走る電車も私の好みとは言えず、もう名鉄は私の意識から外した方がいいのかしら。(電車はJR東海の車両もあまり好かんのですが)

 さて、名鉄ついでに。名鉄バスからもお知らせが出されました。名鉄バスはSFパノラマカードのほかに普通と昼間の「バスカード」を発売しています。バスカードも同様に2011年2月10日をもって発売終了、そして2012年2月29日で取り扱いを終えます。

 また名鉄バスでは、紙の乗車券類も発売を止めるとのことで、紙の普通乗車券、回数乗車券は2011年2月10日をもって発売終了。定期乗車券、得々パスはmanacaで発売するとのこと。普通乗車券を発売しないって、これ普通のバスは車内で現金扱いで乗れますけど、「運賃先払いの原則」に違反するのでは。

 今日の発表、なんだかねぇ・・・。いくらmanacaが便利なツールだとはいえ、ここまで合理化・省力化するのはどんなもんだろう。考えてみれば、飛行機の世界では航空券を発行せず、電子取引で行っているそうですね。これは航空券発行の手間と資源節約なのだそうで、今回の名鉄と名鉄バスもそんなこと書いてありましたけど、それならそれで、現状の金額的な期待感を抱かせる措置があってもいいと思います。

「やっぱり栄が好きだから」・名古屋の中心は栄です

 昨日、久しぶりに名古屋へ行きまして、名古屋市交通局の地下鉄名古屋駅構内で見かけた広告です。

  やっぱり栄が好きだから
  紅葉も栄で楽しもう

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 「え゛、栄で紅葉?」

 写っている林は、栄は栄でも、100m道路の久屋大通りで、桜通りより北側のリバーパークです。見事なケヤキが並んでいます。またイチョウもカエデもあり、秋の彩りは美しいですね。ただここで観楓しようとまでは思わなかったですが。

 ミッドランドスクエアに、二つのJRタワーズ、モード学園のあの変わったビルが建ち、さらに名古屋ターミナルビルに大名古屋ビルヂングの建て替えなど話題いっぱい。今一番トレンディな名駅地区(名古屋駅前地区)ですけど、やっぱり名古屋は栄ですよ栄。400年の歴史の重みがあります。

 名古屋駅なんて駅ができた頃は、周囲沼地や葦原が目立つ場所。駅前の体裁が出来始めたのが明治22年の市制の頃からで、停車場開設で旅館や食堂、荷貨物取扱い業者などの、いわゆる「駅前風景」が出来てきたというところです。ちなみに名古屋駅は昭和12年2月までは、今の笹島町交差点のところにありました。

 何度も書きますけど、名古屋は栄ですよ。何故って聞かれても困るのだけど、私は名駅よりは栄の方がはるかに合っていますし、どこか落ち着きます。買い物も栄ですし、食事しようと思うのも栄ですしね。

 この地下鉄構内の広告は、私の心にピタッときたフレーズでした。

2010/12/11

京都フリーパス・今日から発売・しかし高いな

Freepass  11月の京都新聞に掲載され、京都市と京都市交通局他14社局の連名でお知らせが出されていた「京都フリーパス」。今日から発売開始です。

 京都市内の交通機関には、京都市交通局の地下鉄とバスの他に、民間の鉄道・バス事業者があります。京都市交通局の地下鉄とバス、そして民間の京都バスに乗れる「京都観光一日乗車券(二日乗車券)」が観光用としては一般的な存在で、他に数社で自社線内だけ乗れるフリーきっぷの類が発売されています。

 しかしこれまで京都市内の(ほぼ)全ての鉄道・バスに乗れるきっぷは無く、スルッとKANNSAI加盟の路線では、3day(又は2day)フリーチケットで乗れるのみ。そこで、京都市の「歩くまち・京都」総合交通戦略の一環で、交通機関の枠にとらわれずに乗り降りでき、京都の街観光を楽しんでいただこうという趣旨で登場したきっぷだそうです。

 きっぷの名称は、「電車・バスでまわる「歩くまち・京都」京都フリーパス」。1日フリー版と2日フリー版とがあり、通常発売されるのは1日フリー版の方。2日フリー版は、JR西日本で発売する特別企画乗車券の「京都観光フリーきっぷ」又は「のぞみ&京都観光フリーきっぷ」に付属するものです。

 乗れる鉄道・バスは、一部のバスと定期観光バス、長距離以外は大体全て。ここで列記すると長くなりますので、こちらを参照。またニュースリリースに掲載の範囲に、エリア境界駅・停留所文字を大きく手を加えました。

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 京都観光一日(二日)乗車券と比較すると、市営地下鉄・バス、それと京都バスの有効区間は完全に網羅。加えて京都バス32系統花背線の京都産業大学前~鞍馬温泉間が入っています。この区間途中の市原駅前停留所までは、35・36系統もありますが、有効でしょう。小町寺停留所という、小野小町ゆかりのお寺が沿線にあります。

 しかし一条山~洛北グリーンハイツ・洛北病院前間は相変わらずエリア外で、地下鉄国際会館駅から京都産業大学前へは行けません。京都観光一日乗車券でたまに「京産大行けない」と別払いしている方、いるそうです。

 京阪バスは山科営業所の路線が対象。ですが、京都バス51系統と同様、比叡山に登る路線は使えません。しかも三条京阪から比叡平団地への路線もダメで、該当する56・56A・57系統は全区間乗れません。途中に銀閣寺道停留所があるのですけどね。

 阪急バスは向日営業所の路線で乗れます。しかし大原野神社や十輪寺の小塩へは、阪急東向日駅かJR向日町駅から。これらへの接続で阪急京都線の有効エリアは洛西口駅まで。東向日駅やJRの向日町駅はエリア外で、運賃別払いになります。

 洛西口駅から洛西ニュータウンの方面へ、全ての路線に乗れる配慮だろうか。ヤサカバスも全区間で乗れます。洛西ニュータウンには竹林公園があり、桂坂ニュータウンの桂坂公園は夜景の名所です。

 西日本JRバスは、京都~栂ノ尾間で乗れます。一応三尾までは行けるのですが、その先の小野郷やさらにその先の周山までは乗れないですね。乗れたら私は「買い」ですけど。

 乗れないバスは、京都女子大へのプリンセスラインバス、伏見区醍醐地区の醍醐コミュニティバス、山間部で京阪京都交通の右京区宕陰地区の路線、同じく山間部の右京区京北町の京北ふるさとバス。それに京阪電車の宇治線と京津線も全線で乗れません。ですので、市営地下鉄東西線で浜大津行きに乗り、山科駅で降りると、運賃別払いです。

 またJR西日本の鉄道線も、通常発売の1日フリー版では乗れません。上の図のJR線はJR西日本で発売の「京都観光フリーきっぷ」で2日フリー版の場合にのみ乗車できます。

 さて、この「京都フリーパス」。発売額が2000円と結構高い。京都観光一日乗車券が1200円で、それよりはるかに多くの鉄道・バスが乗れるから、という理由でしょうが、そんな私のような乗りまわしで使うなら兎も角、普通の方が観光で使うには、あまりモトが取れないと思います。

 観光で目的地を昼間のうちに回ろうとすると、せいぜい3~4箇所ぐらい。京都市内は移動時間が掛かったりします。大原へ行って、それから戻り、京福電車で嵯峨野嵐山へというような使い方ですと、各交通機関の合計額よりも安くはなりましょうが、あまりうまみは感じられなさそうです。

 発売・利用期間は通年ではなく、2011年3月23日までの期間限定。

阪急神戸線9000系「未来のあかり号」・12月17日から

 阪急阪神ホールディングスニュースリリースからです。12月17日から神戸線(神戸本線)に、すべての車内照明をLEDとした9000系一編成を新たに投入するとのこと。

 今回導入する9000系9002編成は、省エネルギーの性能向上を目指し、車両メーカーの日立製作所と共同開発であります。それ故、報道発表資料に発布者として、阪急電鉄株式会社と日立製作所が連名となっています。

 ニュースリリースの文章では、客室内の照明だけでなく、乗務員室の照明や計器照明もLED化し、前照灯を除く全ての照明をLEDとし、省エネルギーと照明機器長寿命化で廃棄物発生の抑制をはかり、より一いっそう環境に配慮した車両となった、ということです。

 客室内の照明をLED化。今、家電品でも居室の照明でLEDの製品が多数出ていますね。LEDの照明機器は価格は高くとも「玉切れ」がおこらず、電気代も安く(若干ですけど)、長期間使えば大変お安く、しかも今流の言葉では「環境に配慮」になります。

 私はまだこの居室や客室内の照明をLEDにしたものにはお目に掛かっておりません(家電品店ではある)。ただ何年か前に京都の祇園祭での山鉾で、宵山での菊水鉾をLEDの光で照らして、懸装品の保護をしながら宵闇に浮き上がる芸術品を楽しんでいただこうという実験がありました。結構明るく、私好みの白さがある光だなと思いました。

 阪急電車の車内は木目調に仕上げられています。そこにLEDの照明が当たればどんな感じになるのだろう。あの茶色っぽい木目調の模様がさらに映えるのだろうか。12月17日が楽しみです。て、多分乗れるのはずっと先でしょうけど。新車運が極めて悪い私です。

 で、「未来のあかり号」は、その新たに導入する9000系の9002編成を環境メッセージ列車として、今年7月末まで運転した「カーボン・ニュートラル・トレイン 摂津市駅号」のように、先頭車(9002と9102)の正面と側面半分をメッセージのデザインラッピングを施したもので、12月17日から2011年3月31日まで運転。

 これを機会に、ウチの照明もLEDにしようかな。ちらつきが無いか極めて少ないそうなので、目(と頭)が悪い私には優しそうです。

2010/12/10

名古屋ターミナルビル閉鎖で東山線への車椅子ルートが

 建て替え工事が始まった名古屋ターミナルビル。8月に松坂屋名古屋駅店は新ビルに移行せず閉店し、9月末日に地下街テルミナと7階の食堂街も営業終了。バスターミナルは昨日からJR東海バスは駅西新幹線側に移行し、残る市営バスターミナルも12月22日までの使用で、23日からは道路上の仮設停に移ります。

 その時点で名古屋ターミナルビルは完全に用途終了。備品などの撤去を終え次第、解体工事に入ります。

 さぁ、そこでです、建て替え工事でビルの閉鎖が決まった時から気になったことがありました。地下鉄東山線名古屋駅への車椅子ルート。地上と東山線コンコースを結ぶエレベータは、名古屋ターミナルビル内のものを使用しています。地上から一度テルミナ地下街に降りて、そこから東山線コンコースへというルート。それが12月23日からは使えなくなるんです。

 同じ懸念をされている人が多く、12月8日付の中日新聞夕刊社会面に、エレベータ閉鎖で車いすでの乗り換え大変との記事がありました。

 今年の夏から秋にかけては、私は杖携行の若干歩行困難であり、「使えるものは使え」とばかりに、駅構内ではエレベータを使っており(エスカレータは乗り降りで危険だった)、工事開始後はどうなるだろうと思っていたところへ一昨日の記事。

 名古屋ターミナルビル閉鎖後の車椅子ルートは、なんと、今の位置から北へ約300mのルーセントタワービル出入口のエレベータから入るルートか、或いはミッドランドスクエアの中にあるエレベータからのルートになるという。ま、なんとも大変で大回りなルートになります。

 建て替え後の新しいターミナルビルにエレベータが設置されるそうですが、それでも2016年度の話。長きに亘って不便をかけることから、駅近くにエレベータが設置できないか検討したい、とは交通局施設車両部主管のお話。

 実際のところ、暫定措置としてのエレベータ設置は無理ではないかと思います。地下街の設置可能場所と上部の歩道部分で設置可能場所とが一致する箇所は、無いか、有っても極めて限られるのでは。仮にあったとしても地下街躯体に手を加えることとなり、設計から施工まで考えると、これまた一年以上はかかるのではないかと思います。

 ただ一般的に、名古屋ターミナルビルの位置は地下鉄東山線名古屋駅でも北の外れにあり、そこへのエレベータ使用で名鉄・近鉄からの乗換えではかなり回り道になります。南改札付近はホーム幅で絶対に無理。せめて中改札付近に出来ないかと思いますけど、あそこも無理でしょうね。

***2011年8月4日追加
 この地下鉄東山線名古屋駅へ、地上からのルートでエレベータが設置されることとなりました。駅前ロータリーを望む名駅線上にエレベータ設置工事が始まっています。その記事

JR京都線・茨木市内に新駅設置を検討

 12月9日の毎日新聞大阪web版記事からです。JR西日本のJR京都線、正式線路名称では東海道本線の摂津富田駅~茨木駅間に新駅の設置を検討しているとのことです。

 この駅間距離は3.7kmと、京都~西明石間の電車区間(電車特定区間)では5番目に駅間距離が長く、地元から駅設置の要望があったとのことで、12月8日の茨木市議会において、茨木市側がJR西日本と駅設置について、8月に覚書を交わしたと説明。

 また庄一丁目の工場跡地を、駅前広場や取り付け道路に活用することを想定しており、跡地を所有する開発業者も協力していくという。

 庄一丁目の工場跡地?フジテックのエレベータ試験塔があったところではないですか。赤い色の塔が線路の近くに建っていて、側面には「フジテック」。あれは沿線の名物でした。昨年に解体され、今は本社屋(かな?)があるだけで、跡地はさらに奥に続く帯状の空き地になっています。ひょっとすれば、あの空き地や帯状の空間は、新駅設置を念頭に置いたものだったのでしょうか。

 JR西日本は、駅設置で利用が見込めると考えており、関係者と話し合いを進めたいとのこと。近くに阪急京都線総持寺駅があり、駅勢圏がかなり重なります。

 今後、駅が設置が決まればどんな構造になるのだろう。近年に開業した甲南山手駅やさくら夙川駅のように、普通電車(C電)が走る内側線だけの島式ホーム一面二線構造になるのだろうか。いずれにせよ、長距離や新快速の走る外側線の移設工事もあり、フジテック前の新駅予定箇所から摂津富田駅側は大阪駅方向に向かって下り勾配と掘割になっており、かなり大掛かりな工事になりそうです。

2010/12/09

阪急電車の座席はネコの手触り

 昨日のMBSラジオ、馬野アナが担当する夕方の番組「MBSたびぐみとっておき旅ラジオ・鉄どうでしょう」を8時過ぎまで聞いておりました。前半のゲストは、オリックス・バッファローズの木佐貫洋選手。私が野球選手の名前を知るはずもなく、この漢字はネットで調べました。しかしプロ野球選手にも鉄道に興味を持つ方がいらっしゃるんですね。

 なんか野球選手と鉄道がどうしても結びつかないように感じており、野球場入りでも選手って自動車を使っている人が多いのでは。しかも「3」ナンバーで。でも番組で木佐貫選手は鉄道で野球場入りしているそうで、コーナー最初の質問は「何線に乗る?」でした。

 話題の中で、木佐貫選手は阪急電車の座席が大好きなのだそうだ。その理由が「あの緑色のシートを逆撫ですると、手触りがネコの手触りようで、気持ち良い」だそうだ(笑)。私も大笑い。全く同感。

 阪急乗っておられる方はご存知だと思いますが、あの座席の緑色とも鶯色ともつかない生地は何を使っておられるのだろう、とにかく肌触りが良いんです。両側に人が座っている時はしませんが、空いている時には指先で、手のひらで座席を「ナデナデ」したくなります。同じこと思っていらっしゃる方いたんですね。しかもプロ野球選手で。

 こんな選手がいらっしゃるんだったら、来年はオリックスを応援しようかな。いや阪急ブレーブスだったら私ファンになっていたかもしれません。

2010/12/07

和田岬線・本当に廃止するのか

 週末、神戸で妙な話を聞きました。

   「和田岬線て廃止するのかい?」

 「そんなバカな」と、どこでそんなウワサが有るのかと聞き返したら、一部新聞に載っていたそうで、帰宅後ネットの某サイトで記事をデジカメで撮った画像がありました。この日の神戸新聞では見かけなく、讀賣一紙だけの記事なようで、未公表事案をすっぱ抜いたのか、単なる「構想案」だけを記事にしたのか、どうなのだろう。

 JR西日本の和田岬線。これは通称名で、正式には山陽本線兵庫・和田岬間線路。高架になった本線の兵庫駅の高架下片隅にひっそりとホームがあり、線路は一方が大きくカーブして工場地帯の和田岬駅に向かい、途中川崎重工業への専用線を分岐して2.7kmの旅客専用線。終点和田岬駅近くには、三菱重工業と三菱電機の二つの大きな工場があり、そこへの通勤者の足として、朝と晩のみに列車が運転されています。

 駅は、起点の兵庫駅と終点の和田岬駅のみ、中間には駅がありません(昔は一つあった)。それ故、工場通勤者の事実上専用線のような状態。地元の方の利用は僅かにあるそうですが、和田岬駅近くには神戸市営地下鉄の海岸線が通り、当然そちらの方を使われます。

 このJR和田岬線の廃止は今始めて出てきたわけではなく、その地下鉄海岸線開業でも廃止がウワサされました。結局は工場通勤の利用者が大変多く、海岸線の輸送力だけでは不安が残るなどで、存続されています。

 今回の廃止の話は、地元の方は殆ど利用されない線路が街を分断し、線路途中で渡る兵庫運河を生かした街づくりの整備をする際に、和田岬線が障害になるという。その街づくりは清盛(平清盛)以来の兵庫の街整備で、何処かパンフレットで見ております。

 一方のJR西日本。和田岬駅の乗降人員は一日約10,000人ほどあり、「経営的に廃線にする差し迫った事情は無いが、地元の意向があれば大事にしたい」だそうだ。

 「地元の意向を大事にしたい」とであれば、これは廃止への動きが大きくなるのではなかろうか。和田岬線の利用者は工場勤務者。殆どは当然「地元」の方ではなく、利用者からは大きな反発が出てきそうです。

 和田岬線の代替交通としてはその地下鉄海岸線ですが、神戸駅(ハーバーランド駅)接続ならまだしも、新長田駅は山陽本線の快速は停まりません。「ホーム伸ばせばええやろ」と言う向きもありましょうが、通勤時間帯、特に朝の快速はホームのある線路は通らず、新快速と同じホームの無い列車線を通ります。通勤者の多くは明石・加古川方面からを考えると、「一度神戸まで乗って」というのは一寸きついですね。

 運河を生かした兵庫の街づくり。これ和田岬線をも街づくりに生かせないものだろうか。今でこそ旅客専用線ですが、かつては貨物輸送を行っておりました。そう、兵庫運河と共に。貨物は陸上の自動車に移ってどちらも寂れてしまいましたけど、だからこそ歴史の遺産として街づくりの中に取り込みたいと私は考えます。

***2011年2月16日追補
 神戸新聞でも和田岬廃止を検討と伝えております。→弊ブログ記事
 http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/02/post_2dfc.html

2010/12/02

名古屋ターミナルビルのバスターミナル・仮設停に順次移転

 何度か書いております、名古屋駅前の名古屋ターミナルビル。これが今月から建て替え工事となり、新ビルが出来る2016年までの間、1階と2階にあるバスターミナルは、名古屋市営バスは道路上の仮設停留所へ、JR東海バスは名古屋駅西口(太閤通口・新幹線側)へ移転します。このほど正式な移転日が発表されました。

 日付順にまずJR東海バス。JR東海バスと記しておりますが、JR東海バスと共同運行の他社バスも一緒で、12月9日に名古屋駅西側の新幹線そば、太閤通口に移転します。

 ミント神戸の三宮バスターミナルで頂いた移転を知らせるチラシ。12月9日予定とありますが、決定です。

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 場所は道路認定もされているJR東海の用地で、以前は中部空港へのバスが出ていました。乗り場の図。JR東海バスwebページから少し手を入れました。

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 現在の名古屋ターミナルビルでは、1~8番の乗り場を使用していますので、それよりは縮小です。しかしあの駅前広場道路を丸々バス乗り場(降り場)として使うんですね。となると、一般車の入る余地が無くなりそうですが、どうなるのでしょうか。他に、駅弁の納入車が通ります。

 期間が約6年と長いため、乗車券発行所などが入る建物が建てられております。空港バスが出ていたときは申し訳程度の小屋みたいなものでしたが、今回は本格的です。(固定資産税の対象かどうかは不明)

 中部空港行きがあったころは、上の図の4番の場所を使っておりました。また5番と6番のところは待機所でした。

 かつて名古屋市営バスが発着していたのは、上の図の1番2番あたりです。ここに三箇所のバス乗り場がありまして、今も深夜バスがここを使用しています。こちらも12月9日からはどうなるでしょうか。名古屋市の深夜バスとJR東海の夜行バスの発車時間帯は重なってはおりませんが。

 

 次に、名古屋市営バス。昨日、交通局webページで公表されまして、道路上の仮設停移転となる日は12月23日と決まりました。

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 名古屋市営バスの移転先は、名古屋駅東側道路上。名古屋ターミナルビルの出来る前は、道路上にバス停がありまして、それの再現のようなもの。

 この名古屋市営バスの仮設停留所については、既に9月に先行して発表されており、9月4日にその記事を書きました。乗り場位置は大きく分けて三箇所に分かれます。ロータリー北側と名鉄前、そして桜通の堀内町。

 また道路上に駐車設備が設けられないことから、到着したバスが折返し発車までの間は、那古野の元車庫跡地にある待機所へ行くでしょうけど、全て捌ききれないように思いまして、ひょっとしたら別の所に待機所を設けるかもしれません。

 9月4日の記事にも載せました、12月23日からの市バス乗り場です。9月の時点では予定となっていた乗降場の位置は、乗り場に関しては変更は無さそうなので、使いまわしですがこちらでも載せます。

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 一部系統で経路が変わったり、栄758と名駅16系統は那古野町発着となる事から、名古屋駅発着の系統では時刻が変わります。また関連して(運用が共通で)他の系統も変更があります。

 私に係わりのある系統は、栄758と名駅16、それにメーグル(観光1)の系統。個人的にはさほど影響はありません。基幹2系統、たまに乗りますけど、堀内町交差点そば、遠いよ。あとの感想は9月4日の投稿を参照。

 

 こうして6年後には新しい名古屋ターミナルビルができるわけですが、バスターミナルは1階だけになります。今の1階バスターミナル面積よりは広くなりますが、2階の市バス部分を含めた面積は狭くなります。名古屋市営バスの系統削減がありうるのでしょうか。或いは一部系統を道路上に残したままにするとか。

2010/11/27

神戸電鉄粟生線・2011年に存廃判断

 神戸新聞web版記事からです。神戸電鉄粟生線については、神戸市近郊の鉄道でありながら、乗客の現象で年間で12億円もの赤字を出し、廃止も選択肢に入るかという状態であることを何度か書きました。

 粟生線を活かすため「粟生線活性化協議会」を発足させ、利用促進に結びつく事業を行いはじめたところ、地域公共交通の活性化・再生法に基づいた支援事業として国庫の補助を受けるべき分が例の「仕分け」で、今年度と来年度のみとなり、それ以降は打ち切られる事となったことは先回の記事で書きました。

 そのため、神戸電鉄としては補助が打ち切られる2011年度中に粟生線を続けるのか、それとも廃止するのか、の判断を固めたということです。先回の記事では「廃止も視野に入る」から「廃止の声が聞こえてきた」と書きましたけど、存続か廃止かの瀬戸際にまでなってしまいました。

 しかし粟生線廃止ですか。輸送人員は1992年がピークで今はその半分ほど。沿線はそんなローカル色豊かな風景は先の方へ行ってから。新興住宅地があちこちに見える沿線ですが、その新興住宅地の方々がどうも乗っていただけないようです。並行する神姫バスにお客さんが流れている他、神戸市営地下鉄の西神中央駅などにも流れております。やっぱりこの辺りはマイカーでしょうか。車窓から見える住宅も、自動車が二台停められるスペースが用意されているお宅が多く、その神戸市営地下鉄の駅へはマイカー送迎が多いです。

 どうも粟生線はアテにされていないような様子が伺えます。

 そんな粟生線でも大変に込み合う区間はありまして、鈴蘭台~西鈴蘭台間。ですので仮に廃止が決断されても鈴蘭台~西鈴蘭台間は存続するでしょう。いや存続しなければならないと思います。西鈴蘭台駅前は地域の核ともいえる街づくりがなされており、西鈴蘭台駅がなくなってしまえば鈴蘭台駅へと流れましょうが、鈴蘭台駅はそんなバスも送迎の車も捌けるスペースはありません。 

 粟生線は一部複線の他は単線区間。複線化工事が進められていましたが、一部区間が完成しただけで、工事はストップ。バブル崩壊と阪神・淡路大震災の影響です。そんな工事中断区間を行くと、なにか切なさを感じるものがあります。

***2012年2月9日追記
 その後、2011年末の判断は、兵庫県の支援を検討することとし先送りされ、その県からの支援策がと発表されました。またこの支援策で粟生線は向う5年間の存続はほぼ固い模様です。
弊ブログ記事:http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/02/post_1fd0.html

2010/11/26

名古屋市交通局での「manaca」ポイントサービス

 ちょうど一週間前、名古屋鉄道からICカード乗車券「manaca」のマイレージポイントサービスのポイント内容が公表されたことを書きました。こちらです。

 その記事中で、

  >今後名古屋市交通局からも発表がありましょうけど

と、まだ名古屋市交通局からはマイレージポイントが発表されていないつもりで書きましたが、実は既に発表されていたんです。しかも名鉄発表よりも一週間も前に。名古屋市交通局公式webページの記者発表資料に載っていたのを、名鉄の記事書いて二日後、発見しました。そのページ、そうしょっちゅう見ないものでして・・・と言い訳。

 コメント書いていただいたヒマジンさんの通り、名古屋市交通局でのmanacaポイント、プレミアム率というそうですが、名鉄よりもかなり大きいですね。名古屋市交通局のmanacaは、現在の磁気式SFカード「ユリカ」に代わるもので、ユリカ自体が回数券の代替の性格を帯びており、ポイント率は高いものとなることは想像しておりました。が、しかし・・・。

通常ポイントは下表の通り。

市バス・地下鉄一ヶ月間の利用金額合計  
大人用 小児・割引用 ポイント率
2000~4000円 1000~2000円 10%
5000~9000円 2500~4500円 12%
10000~14000 5000~7000円 12.5%
15000円以上 7500円以上 13%

 注意しておきたい点として、利用金額合計は1000円単位(小児・割引は500円単位)とすること。1000円(小児・割引は500円)に達しない端数は切り捨てます。つまり大人用で利用金額が4750円であってもそれは4000円とみなされます。そこで上の表では公式発表とは異なり、切捨て後の金額としました。

 一ヶ月間で仮に4990円使う方なら今でもユリカ5600をお持ちですよね。ユリカ5600(発売額5000円、利用金額5600円)はざっと12%のプレミアムが付いているわけですけども、この方の場合、約8%までに下がってしまうわけです。

 ですので、普段から頻繁に乗られる方ならともかく、思ったほどプレミアムは期待出来ないと考えた方が正解かもしれません。一ヶ月間というのは恐らく「暦月」一ヶ月間のことでしょう。

 続いて昼間ポイントです。manacaは昼間用と通常用とを区別しないので、昼間乗車時には通常よりも高いポイントを設定とのこと。

  一ヶ月間の利用金額合計  
区分 大人用 小児・割引 ポイント率
市バス 2000円以上 1000円以上 30%
地下鉄 2000円以上 1000円以上 20%

 利用金額合計は1000円単位(小児・割引は500円単位)となるのは通常と同じ。1000円(小児・割引は500円)に達しない端数は切り捨て、通常ポイント率の対象となる利用金額に算入する。また利用金額が2000円(小児・割引1000円)に達しない利用の場合も同様とのこと。

 よく分からないのは、昼間用にポイント率の対象となった金額は、通常用のポイント率から除外するわけですかな。例えば、

  • 一ヶ月間に4990円使った
  • うち市バスの昼間に2200円分乗った
  • この場合は市バス2000円の30%
  • 残り200円分は通常ポイントに入れる
  • 通常は4990-2200+200=2990円
  • 端数切捨てて2000円にポイント率10%
  • 頂けるポイントは、合計800円分

ということか。実際には乗継割引が適用されたりしてもっと複雑ですが、こんな感じでしょうか。また昼間乗車時においても乗継割引が適用されるとのこと。

 manacaは2011年2月11日から始まります。このため名古屋市交通局では、2月10日をもって「ユリカ」の発売を終了するとのこと。やがてユリカの使用自体の終了も来ることでしょうから、週に一度か二度の利用者にとっては、金額的には後退する制度のように感じています。

***追記
 2011年2月10日をもって現在のユリカは発売停止となると共に、地下鉄1区特別きっぷも発売停止となります。
 また、ユリカ、地下鉄1区特別きっぷの利用も、2012年2月29日までであると発表がありました。

2010/11/25

リニア中央新幹線・有料体験乗車

 本日付中日新聞社会面記事からです。JR東海の社長会見で、2014年度以降をめどに、山梨県にあるリニアモーターカー実験線で、一般向けに有料で体験乗車を実施する方向であることを明らかにしたという。

 これまで関係者向けや、一般募集をかけての無料の試乗会はあったが、有料での試乗は初めて。「有料の試乗会」、これって営業とどう違うんですか?。

 リニアモーターカー実験線は現在、線路延長が18.4kmあり、それが2013年度内には42.8kmに延長されることから、営業線と同じ規格の車両を用い、本格的な走行試験に入るという。そして土日などにこの実験線で有料での体験乗車を行おうとする方向。

 「たくさんの人にリニアの良さを知ってもらいたい」とはJR東海山田社長の弁。

 有料の理由として、「建設費をまかなうためではなく、お客さまとの通信費用や、乗降場など施設のコストを補うため」ということだそうだ。ABCラジオのニュースでは、有料体験乗車は募集をかけて行う予定だそうで、その際の通信のやり取りでいくらかかかるのでしょうか。

 さぁ、これ始まったら人気絶大でしょう。申込者が多ければ抽選だそうですが、これまでの一般募集での試乗会でも倍率が三桁に及んだとのことを何かの資料で見ており、体験乗車日数が多いとはいえ、なかなか当たらないのかも。

 私は、今でもリニアモーターカー方式の中央新幹線の実現には懐疑的な見方なのですけど、こんな奴の見方を変えさせるためにも体験試乗会を行うのかな。

 ところで昨日、一部の新聞社サイトで、リニア中央新幹線が一部区間開業するとの報道がありました。2020年をめどに、神奈川県から山梨県の区間で。具体的には相模原市から甲府市間で運行を始めるということでしたが、今朝の中日新聞記事では、社長会見の言葉として、「そのような事実は無い」ということでした。ホントに無いのか、公にしていないだけで(新聞の素っ破抜き)水面下では進められているのか、どうなのだろう。

 ところで「お前はリニア有料試乗会が始まったら、乗りに行くのか?」と聞かれそうですが、私は多分行きませんね。かなり重症な鉄ヲタな私ですけど、ここまで重症になると結構枯れて来るんです。私の予想を覆して営業開始すればいずれ乗れるでしょうし、ことさらお金出してまでの試乗会は、あまり興味が出ないんです。

JR東海名松線・不通区間の復旧に向けた動き

 昨日のNHK総合テレビ、午後8時45分の東海北陸地区向けローカルニュースからです(VTR録画で)。昨年10月の台風で、土砂崩れ多数が発生し不通となっているJR東海の名松線の家城駅~伊勢奥津駅間。この区間で復旧に向けた動きが出ているそうです。テレビ見た記憶だけで書いている事をお断りします。

 名松線のこの区間は旅客輸送量も少なく、昨年に弊ブログで「一部区間事業廃止へ」と題した記事の通り、復旧してもまた同様な災害があれば不通になりやすく、復旧費用もかさむ事から、鉄道を廃止して代替バスを運転したいと地元に伝えておりました。しかし地元では強く廃止反対があり、鉄道としての存続要望が出されております。

 昨日のニュースによれば、JR東海の社長会見で、三重県など地元自治体が災害区間の治山復旧と河川改修を行い、そして将来に亘って維持管理を行うことを条件に、JR東海では鉄道線として復旧する、といった内容でした。

 もうてっきりあの区間は廃止だと思い込んでいたところへ、この復旧の動き。喜ばしいところですが、一方で輸送量が少ないのは確かで、仮に鉄道として復旧してもこの先厳しい環境でしょうか。

 名松線のこの区間は現在、鉄道としては不通状態が続いており、鉄道代行バスが運転されております。

2010/11/21

京阪間ノンストップ復活か・阪急京都線来年5月ダイヤ改正

 日本経済新聞近畿版記事及び、昨日のABCラジオのニュースからです。阪急電鉄が来年5月にダイヤ改正を予定し、その目玉として、土曜休日ダイヤで大阪梅田駅~京都河原町駅間に観光目的とした列車を運転するなど、京都観光に力点を置くダイヤとするそうだ。

 その観光目的の列車は、土曜休日ダイヤに現在の特急よりも停車駅よりも少なくして、十三、淡路、桂、烏丸のみに停車し、6300系車両を京風イメージの内装にして、1日数本運転するという。恐らく、朝の河原町行きで1本、夕方の梅田行きで1本か2本の運転となるでしょうか。淡路と桂に停まりますが、往年の京阪間ノンストップの復活です。

 また観光嵐山として、現在のダイヤで春と秋に運転している神戸線、又は宝塚線から嵐山線への直通臨時列車を、四季折々の風情を楽しめるようにと、新緑の頃や冬の期間にも運転し、「嵐山の多彩な魅力を楽しめるようにしたい」ということです。

 また淡路駅から千里線を経て、天六(天神橋筋六丁目)で大阪市地下鉄堺筋線と相互乗り入れする列車を、一部で高槻市から河原町まで延長するとのこと。堺筋線は阪急と反対側の天下茶屋駅で南海の乗り換え駅となっており、南海電鉄線から京都方面への利便性を高める、ということだそうだ。

 記事では京都市の調べとして、京都を訪れる観光客は大阪府から約27%に対して兵庫県からは約9%程度と随分少ないらしい。そこで神戸線と宝塚線からは十三駅の乗換えの手間を省いた臨時列車の運転期日を増やし、需要開拓につなげたいとのこと。ちなみに東京からは約8%で、兵庫県からと遜色ないですね。新幹線が込むハズだ。

 しかし私思うに阪急京都線、少々迷走気味だと感じるんです。京阪間直通旅客の減少(それほどでも無いですが)で、従来の特急と急行を統合したような形で今の特急があるわけですが、京都側で西院駅と大宮駅に停まらないだけでかつての急行と殆ど一緒。これには賛否両論がありますけど、京阪間を「たまに乗る」人には随分魅力の無いダイヤになってしまったことは事実です。

 それに加えて来春からはごく一部とはいえ、停車駅が少ない列車が登場するのですか。この停車駅少ない列車は、通常の特急列車との運転間隔バランスを保たないと、変に込み合ったり、逆に乗って頂けなかったり(前後の特急が極端に込み合ったり)しますので、中々難しいところです。

 やはり「ふい」の客を呼び込むには目玉商品が必要ですね。かつては京都線の「特急」が大きな目玉でしたが、それが無い今、一日数本ではありますが観光用特急が新たな目玉商品かな。来年5月ダイヤはそんな面があると感じました。

2010/11/19

名鉄から発表・「manaca」のポイントサービス

 来年2月11日に始まる、名古屋市交通局と名古屋鉄道、そして豊橋鉄道など一部の鉄道・バスで使えるICカード乗車券「manaca(マナカ)」。これのマイレージポイントサービスと電子マネーポイントサービスの内容が、名古屋鉄道から発表されました。
名鉄ニュースリリース

 一言でいうと、「ややこしい」。ポイントサービスなんていうのは何処でもややこしいのが当たり前ですけど、私の利用環境からは今回の名鉄発表分でのポイントサービスは、ほとんど享受出来ないだろうと思いました。

 詳しくは上のリンク先を見ていただく事として、名鉄の鉄道線では乗車距離のマイレージポイントサービスでは暦月一ヶ月間の、利用金額で2001円以上、あるいは11回以上の乗車で、段階的に2%以上のポイントが付与される仕組み。

 名鉄バスでは、やはり暦月一ヶ月間で乗車毎に運賃の2%のポイントがつき、2000円到達時に50ポイントを付加、さらに5000円、10000円到達時にそれぞれ100ポイント、150ポイントを付加するもの。

 こうして付いたポイントは、お客自らが券売機等で「ポイント還元」操作を行い、1ポイント1円相当で、以後の乗車で運賃に充当できるとのこと。

 ということでシュミレーションしてみま・・・したと言いたいところですが、するまでもありませんでした。だって名鉄あまり乗らないですもん。乗っても一宮⇔名古屋・金山間で、当然「なごや特割30」ですし、他は一ヶ月の単位では乗るところ思い当たらないな。尾西線には少しは乗るかなという程度。

 名鉄バスも乗るのはそう多くなく、乗車毎の2%ポイントだけになるであろうか。たまに一宮市内の自宅⇔一宮駅間と、名鉄BC⇔栄・市役所ぐらいなものです。

 

 さて「電子マネーポイントサービス」では、サービス名を「たまルン」といい、まず利用登録を行うとのこと。また使用するマナカも無記名ではなく、(株)エムアイシー発行の記名式カードを用いるとの事です。「たまルン」って可愛い名前ですね。

 ポイント付与率は加盟各店が独自で定め、1000ポイントに達したら1000ポイントで1000円をチャージ出来るチャージ券を発行し、マナカにチャージするとのこと。こちらも少々めんどくさい。

 

 名鉄から発表された「manaca」のポイントサービスはこんなところ。今後名古屋市交通局からも発表がありましょうけど、ポイントは私にはあまり縁がなさそうです。家電品のエコポイントも全く縁がありませんし、交通エコPONも、駅での0.5ポイントだけですし。自然環境にエコな私は、造幣局と印刷局にもエコな暮らしをしております。

***追補
 名古屋市交通局からは既にポイント率の発表がありました。→こちら
 また名鉄では2012年2月末で、回数券の発売を取り止めるとの発表がありました。→こちら

2010/11/17

鉄道ファンアナウンサーのラジオ番組「鉄どうでしょう!」

 世の中いろいろな人がおりまして、その一つに鉄道が好きな「鉄道ファン」。一口「ファン」でもいろいろですけど、その社会的立場問わずいろいろな分野で鉄道ファンがいらっしゃいますね。前の国道交通大臣のM氏もその一人だそうで。

 さて、MBS毎日放送ラジオでナイターオフ番組に「MBSたびぐみ・とっておき旅ラジオ」という番組が夕方にあります。いやこの存在はテルテルさんに教えていただいたもので、旅を主題に扱うラジオ番組。その中でも毎週水曜日は、毎日放送一番の鉄道ファンアナウンサーが進行する「鉄どうでしょう」で、大変深く鉄道のことを取り上げて番組を進めているということがテルテルさんのブログで何度か紹介されていました。

 昨年は聞く機会はありませんでしたが、とにかく「濃い」鉄道話をラジオ放送で紹介していこの番組、先週少しですがやっと番組を聞くことが出来ました。

 いやすごいですね。番組開始の午後6時半から7時までと、7時10分ごろから20分頃まででしたが、番組MCの馬野アナウンサーが話す視点は、たしかに旅番組ではなく、鉄道ファンそのもの。テーマは「駅」でしたけど、普通に鉄道の駅いうと、出会い・分かれとか、駅弁だとか、そちらに話が行きそうですね。しかし馬野さんは違っていた。都会の駅と田舎の駅の違いとか、駅にある設備がどうとか、昔はきっぷをに鋏を入れていたとか、その鋏の形が駅毎に違っていたとか・・・、アシスタントの方、着いていけなかったようで。

 水曜日にラジオを聞ける、いや毎日放送ラジオが入る環境であれば、これからはダイヤルを合わせようと思います。と言いながら今日は又聞けないと思いますけど。

 ところで先週の番組でかかった一曲目(二曲め以降があったかは不明)は、北山修作詞、端田宣彦作曲の「花嫁」。この曲は聞くと胸にジンと来るものがあります。歌詞を書いてみますけど、今では絶滅危惧種にしたくなる文句があるんです。

  • 花嫁は 夜汽車に乗って 嫁いでゆくの
    あの人の 写真を胸に 海辺の街へ
    命かけて 燃えた 恋が結ばれる
    帰れない 何があっても 心に誓うの

下線+太字にしたところ、今は少なくなりました。

「夜汽車」、夜行列車ですけど、かつては幹線・亜幹線どこでも走っていたものの、高速輸送機関の発達で今では数えるほど。

「命かけて燃えた恋が結ばれる」、これも少なくなったよな。私が思うに。今ではなんとなく結ばれて、なんとなく結婚し、一寸の事で簡単に別れてしまう。恋というのはそんな生易しいものではない。本来は厳しく切ないものである。その厳しさ切なさを乗り越えてこそ、結ばれるべき恋心が出来るのであって、続く歌詞の「帰れない何があっても心に誓うの」、これに行き着くのである。男女とも心に誓うほどの恋心を宿す人間は、今やいかほどいるのか。

 世の中の便利さと引き換えに、失ったものが数多いことを感ずる歌です。

2010/11/13

リニア中央新幹線名古屋駅

Img_0094  本日11月13日付、中日新聞朝刊地域経済面記事からです。計画中のリニア中央新幹線名古屋駅を、現在の東海道新幹線名古屋駅地下に建設し、新幹線との乗り換えに必要な移動時間を、3分から9分となる試算を示したとのことです。

 12日に開かれた国土交通省の交通政策審議会中央新幹線小委員会(長い!略して交政審)でJR東海の専務から、15分あれば列車間の乗り継ぎが出来るとの説明がありました。

 計画では中央新幹線名古屋駅は、現在の名古屋駅地下約20mに造り、地上7mの新幹線ホームとの高低差は約30mで、この間をエスカレータとエレベータで結ぶという計画。またホームの長さは現在新幹線と同じ約400m(新幹線は410m)で、乗り換え時間はホーム中央に設けるエスカレータを使用した場合を想定しての試算だそうな。

 新幹線の下・・・、下というてもどのような位置に造られるのだろう。つまり線路の方向。現在の新幹線を含むJR東海の名古屋駅は、北北西から南南東の方向に線路とホームがあります。これと同じ角度で地下に造るのか、或いは地下鉄桜通線と平行するのだろうか。

 新聞記事では、地下20mというのは、地下鉄桜通線名古屋駅のホームと同じ深さだという。ということは、地下鉄桜通線とは名古屋駅部では交差しないということになります。であるならば、リニア中央新幹線は、名古屋駅へは東の方向からのアプローチですね。さて、あそこにリニア新幹線通す地下空間があったのだろうか。

 名古屋駅東側にはご存知の通りJR東海のツインタワーが「ツイン」の通り二棟建っています。間の低層部の地下に地下鉄桜通線が通っており、リニア中央新幹線はこれより北か南を通る事となります。あんな高層ビルの真下は、基礎があって通れませんね。

 しかしウワサではツインタワーの真下はリニア新幹線を通せる構造になっているとか、今度出来る新しい名古屋ターミナルビルは、下にリニア新幹線を通すことを前提にしているとか、そんな声がちらほら聞こえてきます。でもこんな計画であると、このウワサもまんざらデマでもなさそうに感じます。でも名古屋駅の東も西もビルが建つ民有地、どんなアプローチを予定しているのだろうか。

 これにより、もう一つのウワサに過ぎなかった、笹島駅跡地へのリニア中央新幹線名古屋駅は無いことになりました。

 リニア中央新幹線。一期工事は2027年に東京~名古屋を開業。この間40分。名古屋駅乗換えで東京~新大阪間は約1時間45分となる予定。現行の2時間30分に比べて45分の短縮。その際の乗り換え方法について交政審から説明を求められていたとのこと。

 こうして名古屋駅の位置も少しずつ分かってきましたが、やっぱりリニア中央新幹線は、本当に2027年に開業できるのだろうか。私はまだ紆余曲折が多くあるだろうと思います。

***2011年6月10日追加
 中日新聞によれば、リニア概略ルートの発表についで、名古屋駅の位置が公表されました。現在の駅に交差する様に東西に設けられます。また駅の一部は、新名古屋ターミナルビルの地下に出来る様子の図が載っていました。→2011年6月10日記事

2010/11/11

神戸電鉄粟生線活性化事業が補助打ち切りに

 神戸新聞web版記事からです。年12億円にも上る赤字を出し乗客も減る神戸電鉄粟生線の存続を目指す「活性化事業」に対して、来年から補助が打ち切られることとなったそうです。これは事業仕分けで、国土交通省所管の公共交通支援制度が来年度から廃止されることとなり、そこから拠出する粟生線活性化事業の補助も打ち切られることとなったという。

 神戸電鉄粟生線は、弊ブログ2010年1月24日に「神戸電鉄粟生線が廃止も視野に入る状態らしい」と題して、年12億円にも上る赤字を出し乗客も減り、とうとう廃止の二文字が選択肢に上る場面にまでなったことを書きました。

 そこで昨年に神戸電鉄粟生線活性化協議会を発足させ、三ヵ年で約4億円の事業が認定され、うち約2億円を地域公共交通の活性化・再生法に基づいた支援事業として国庫の補助を受け、今年の4月から始まるところでした。しかし昨年の事業仕分けで、この地域交通の活性化について。存続の判断は地元に任せ財源も地元に移すこととなりました。

 そして国土交通省では、こうした地域交通への支援制度は、コミュニティバスなど最後の交通手段(道路上を小型バスなどで運送できるため)などに絞った新制度を要求し、この粟生線活性化協議会への補助の打ち切りが決まったという。

 粟生線活性化協議会では来年度からの2ヵ年で3億円規模の事業を予定したいたものの見直しが迫られる、と記事は締めくくっています。

 これで粟生線が直ちに廃止と云うわけではないですが、「廃止も視野に入る」から「廃止の声が聞こえてきた」ところでしょうか。粟生線活性化協議会では神戸電鉄と共に利用促進や沿線へのPR事業を行っています。粟生線沿線は完全並行ではないですけど、神戸市中心部の三宮へは神姫バスが走っています。ですので三宮へは乗換えが必要な神鉄粟生線を選ぶ方はどうしても少なくなってしまいます。そして運賃水準が高い。長く乗ればそれほどでもないですが、10km~15km程度の区間がどうしてあんな値段なのだ。そんなお金を払うなら、私でも神姫バスに乗るでしょう。利用促進には大転換が必要と私は思います。

 画像使いまわしですいません。粟生線木幡駅で写した車両。有馬線と共通の車両です。

Img_0055

 この木幡駅、私は電車から降りて駅の外へ出てみましたけど、駅前に街が出来ていないんですね。しかも外からは駅の在り処が分かりにくく、夜だったら場所を探すところだったかもしれません。そんな状況からか、この駅接続で住宅団地バス路線は廃止されてしまいました。

2010/11/09

名鉄・鉄道本部移転とヤマダ電機「LABI」出店基本合意

Img_0005  本日11月9日付中日新聞夕刊一面記事、及び名古屋鉄道webページからです。名古屋鉄道が、本社機能のうち、鉄道事業本部の移転を計画していることが分かったと、中日新聞夕刊の報道。同居するグループ会社も移転させ、空いたスペースを貸し出して資産有効活用するということで、9日午後に正式発表とのこと。

 そして正式発表された内容が、名古屋鉄道webページニュースリリースに掲載されています。「名駅地区の保有資産の有効活用について」と題して、1と2に分けられています。直リンクは避けましたので、各自で見てください。

 1の記事は神宮前駅東口に、「鉄道業務棟建設計画の概要がまとまる~安定的な列車運行と事故・災害時対応力の向上~」として、新たに業務ビルを建設し、そこに現在名古屋駅前にある「名鉄バスターミナルビル(というのですね。今回初めて知った・・・元メルサのビル)」にある鉄道事業本部を移転し、鉄道の現業部門と管理部門を一つの業務棟に集約して、日々の運行を司るというもの。

 そして、鉄道事業本部が抜けた後の本社は、新聞記事によれば7階と8階に集約し、9階と10階にある名鉄バス(株)他の関連会社も移し、空いたスペースを貸し出すという。

 神宮前に建設する鉄道業務棟は、事務棟と合宿棟の二棟で、2011年3月着工、2012年1月竣工予定。鉄道事業本部の各部の他、列車指令、名古屋乗務区、中部支配人室などが入るとのこと。

 本社そのものは移転しないと読めますので、あのエレベータが7階で一旦停まるのは今後も続くのでしょう。7階に本社受付があります。広報にこれまで何度か行った事あります。

 2の記事は、「名鉄百貨店ヤング館へのヤマダ電機「LABI名古屋駅前店(仮称)」出店及び本館のお買場改装について」で、名鉄百貨店の本館一部改装と、先日弊ブログで書いた、ヤマダ電機の出店に係わる内容。気になるヤマダ電機は、

  • 株式会社ヤマダ電機との間で出店交渉を行っておりましたが、この度、株式会社名鉄百貨店本店ヤング館への「LABI名古屋駅前店(仮称)」出店について基本合意に至りましたのでお知らせいたします。

とあり、誘致どころか出店交渉まで漕ぎ着け、さらに基本合意にまで成っていたのですね。

 そしてヤマダ電機「LABI名古屋駅前店(仮称)」は、既に伝えられている通り名鉄百貨店ヤング館に入るという。そして新たに分かったのは、このヤング館(旧名鉄百貨店セブン館)は名鉄自社ビルではなく、「大手町建物名古屋駅前ビル」という建物の入居者だったのですね。一つのニュースで関連の事柄まで分かります。LABIはその地下1階から6階の12,000平米に入るとのこと。オープン日は未定。

 この関連で名鉄百貨店本館一部改装は、3階と4階と他一部で行い、2011年春にオープン予定。こちらは別途詳細を発表とのこと。

 ところでいわゆる「売り場」をこのニュースリリースでは「お買場」と表現しているのですね。我々お客からすれば「買う」場所だからと云うことでしょうが、慣れない表現です。

 ということで、ヤマダ電機の「LABI」は来年の何処かに名古屋駅前(笹島交差点)でオープンすることがほぼ決りました。思いがけなく家電量販店の競争が目の当たりとなりそうです。

関連記事2010年11月7日投稿:「名鉄百貨店本店にヤマダ電機誘致

9年間使われていないらしい原宿駅宮廷ホーム

 昨日のYahoo!に出ていた記事、産経新聞11月7日記事配信から。東京都にある山手線の原宿駅宮廷ホームが、これまで9年間使用されずにおり、地元からは旅客駅として使用できるようにして欲しいとの要望があるという記事がありました。

  電車の原宿駅ホームから少し北へ、貨物線から側線のように分岐し、そこに大屋根を備えたホームを設けてある姿は、山手線電車の中からもよく見えました。今は貨物線を走る埼京線や湘南新宿ラインの方が間近ですが、私のいた頃は埼京線が新宿駅までであり、この区間はまだ走っていませんでした。

 そう、9年間も使用されないのは、この貨物線を埼京線や湘南新宿ラインの電車が多数走るようになったのも遠因があると記事にあり、実際そうでしょう。こう貨物線を走る列車回数が多くなった現在、お召し列車といえどもここから運転するのは難しいらしい。

 この宮廷ホームの線路は普段は使用されず、運転取扱上では「無い」ものとみなされています。貨物線の原宿駅は閉塞区間としては新宿~大崎間の中間に位置し、宮廷ホームへの分岐器は鎖錠されています。この宮廷ホームに列車を運行する場合は、事前に閉塞取扱いの変更を行い、普段は使用していない場内信号機と、宮廷ホームからの出発信号機を「活かす」手続が必要です。またその移行で一時的に新宿~大崎間には列車を走らせない時間帯を設ける必要があります。

 記事ではいつでも陛下が使えるようにホームは整備されているとのことですが、一方で敷地の中で草が伸び放題なところもあるそうで。地元としては、埼京線など貨物線を走る列車の原宿駅として使えるようにして欲しいとの要望があるそうですが、JR東日本にはそのような考えはないという。それはそうでしょうね。たまたま今は9年間、ここからお召し列車が運転されていないだけで、今後はあり得るかもしれませんね。

2010/11/04

明治村の蒸気機関車と京都市電・長期検査で運行休止

 11月3日の、yomiuri online 中部版記事からです。愛知県犬山市にある博物館明治村。明治時代の建築物を主に展示し、明治時代の街の雰囲気を再現するテーマパークでもあります。ここには、私のような鉄ヲタですと唸り倒してしまう、鉄道開通当時の蒸気機関車、日本の電車第一号である京都市電が、動態保存として実際にお客さんを乗せて走っております。

 記事によれば、その保有する蒸気機関車2両と、京都市電2両が共に、12月20日から点検に入り運行しなくなるとのこと。しかも今回の点検は老朽化の進み具合を点検するもので、場合によっては大規模修繕となり、運行の再開時期は決めていないという。

 この明治村の蒸気機関車と京都市電は、鉄道事業法に基づく鉄道ではなく、施設内の設備という位置づけです。ですので定期検査は義務付けられてはいませんが、明治村ということは名古屋鉄道、この名鉄の基準に従い、何年かに一度は全般検査とほぼ同じことを行っています。

 しかし蒸気機関車で古い方の12号機は1874年英国製、新しい方の9号機でも1912年米国製、京都市電1910年と1911年の製造で、12号機は製造後136年、その他の車両もほぼ100年が経過しており、今回、老朽化がどの程度進んでいるのか、を調査するために詳細な点検が必要だとのこと。おそらく順調であったとしても三ヶ月は動かないでしょう。いやこれは私の勝手な推測、いいや推測にも至らない「カン」みたいなもので、大規模な修繕が必要となったら、半年や一年はかかるのではないかと思います。

 蒸気機関車の12号機は、1872年の我が国鉄道開業に遅れること2年。開業にあたっての車両ではないですが、開業当時に用意された車両とほぼ同じもので、後に車両の記号番号を整理する際には同じ形式となっており、当時を今に伝える貴重な車両です。明治時代に払い下げで尾西鉄道(後の名鉄尾西線)へ移り、番号を今の12号と改番し、戦後暫くまでは現役で動いていたとのこと。あの尾西線森上駅にも出入りしていたらしいと、子供の頃に古い人から聞いた事があります。

 それほどまでに古い12号機は一度ボイラ交換が行われており、御釜(ボイラ)の方はまず大丈夫だと思いますが、ピストンやシリンダの部分でどう劣化が進んでいるのか。ぜひ復活を果たしたいところです。

2010/11/02

期間短縮でやっと発表・青春18きっぷ冬季版

 JRグループのうち、旅客鉄道会社6社の共同特別企画乗車券「青春18きっぷ」。このキップの内容は省略しますが、例年では春季・夏季・冬季に発売されてきました。しかし今年はどういうわけか春季と夏季のみの発売発表に留まり、冬季の発表は「検討中」と保留状態になっていました。

 そのため一部では「もう止める」とか、「続けるけど期間や値段に変化が」とか、根拠が有るのか無いのかよく分からないウワサだけは飛び交っていました。しかも神奈川県の某大駅では「今年(2010年)は夏の発売が最後」などというチラシまで出る始末で、多くの人に期待されているキップだけあって、かなりやきもきさせてくれました。

 10月29日、ようやくJRグループの共同発表で、今年の冬季の青春18きっぷ発売が発表されました。しかしその中身たるもの、ウワサの一つにあった期間や内容に少し変化がありました。

 キップの体裁は、5回分が一枚になったもので発売額は、11,500円と変わりません。変わったのは発売期間と使用期間。従来は

  • 発売期間 12月1日~翌年1月10日
  • 使用期間 12月10日~翌年1月20日

であったものを、それぞれ10日ずつ短縮し、新たに

  • 発売期間 12月1日~12月31日
  • 使用期間 12月10日~翌年1月10日

となりました。年明けが10日までしか使えないのは、一寸厳しいですね。

 またJR線以外に乗車できる特例が新たに設けられました。12月4日に東北新幹線が開業することで、在来線の東北本線のうち、新幹線並行区間の八戸~青森間が青い森鉄道に移管されます。このため従来の決りではこの区間は乗れなくなるところですが、特例として次の区間を通して乗る乗り方であれば、青春18きっぷで青い森鉄道に乗れることになりました。

  • 八戸~野辺地
  • 野辺地~青森
  • 八戸~青森

この間の途中駅で乗り降りした場合は、青い森鉄道の実際乗車区間の運賃が必要とのこと。大湊線への接続を考えた制度でしょうね。

 私が青春18きっぷで東北地方へ行くことは絶対にありえませんが、ともあれ今年の冬も青春18きっぷが発売されることになりました。しかしこのきっぷ、いつまで続けられるのか、やはり先行き不透明な感じがしています。

2010/10/18

JR東海の117系・廃車前提の留置

 JR東海は昨年に313系車両を投入し、今年から来年にかけて117系など国鉄時代に投入された車両を更新すると発表しており、今年7月から313系四次車が落成し、運用に入っております。

 117系の廃車が始まったらしい話が聞こえ始めた中、昨17日の大垣駅。乗り換えで名古屋方面からの電車を降りたら、ホームを挟んだ向うに117系の姿が。7番乗り場の向うの線路のようで、乗り換え時間に行ってみました。

Img_0055

 この停車中の線路、運転取り扱いでの名称は「樽見1番線」。以前あった樽見鉄道の貨物列車が発着していた線路で、今は時々、JR東海大垣電車区所属車で運用に入っていない車両の留置に使われております。最近では落成直後の313系車両がここに置かれていました。

 角度を変えて。

Img_0058

 接続列車の発車時間も近く、撮影時には気が付きませんでしたが、正面の種別幕は「新快速」になっていたんですね。

 この樽見1番線、さらにその向うの樽見2番線には、新車や逆に廃車で運用に入っていない車両が留め置かれることが多く、ここにこの117系車両があるということは、この車両も廃車前提なのでしょうね。

2010/10/16

全長世界一・ゴッタルドベーストンネル貫通・スイス

 三連続鉄道ネタです。やっぱり好きなもので。暫く前に伝えられていましたが、10月15日に建設中である、スイスのゴッタルド・ベーストンネルが予定通りに貫通しました。

 このゴッタルド・ベーストンネル(Gotthard-Basistunnel)は、アルプトランジット計画の一環として、チューリッヒとイタリアのミラノを高速かつ大量に運ぶための高速鉄道として、もう一つの長大トンネル、チェネリベーストンネル(Ceneri-Basistunnel)と共に建設中のトンネル。それが、10月15日に事前に報じられていた通りに貫通しました。

 ゴッタルド・ベーストンネルは、エルストフェルト(Erstfeld)とアルプス山脈を南東へ越えたボディオ(Bodio)の間で掘られているもの。土かぶり(トンネルの上の土)は2500mの深い所。複線鉄道ですが単線トンネル二本を平行し、東側のトンネルが57.1km、西側のトンネルが57kmで、日本の青函トンネル53.9kmを抜いて開通すれば世界一の長さです。

 単線トンネルの二本平行で、350mごとに二本のトンネル間の連絡通路を設け、非常時の避難経路となり、途中一箇所か二箇所に、青函トンネルの吉岡海底駅のような「定点」を設置して、緊急避難口へと続いています。

 今回貫通したのは東側のトンネル。100億スイスフラン(約8500億円)、15年もの歳月がかかったトンネル貫通は、スイスにとって歴史的な瞬間で、貫通式の模様がテレビ中継されたそうです。

 場所はここ。Erstfeldは写ってますが、反対側のBodioは枠外右下です。

Agrandir le plan

 西側のトンネルは来年貫通。そして内部の工事を行い、2017年に全体の営業開始の予定だそうです。

 自然環境保護で道路輸送量も限られる地域で、在来線とも言うべきかな、ゴッタルドトンネルを通る鉄道線もあり、今回の新ゴッタルド・ベーストンネルはこの峠越え部分をショートカットで結びます。勾配も緩和され、輸送量が飛躍的に増大します。

 

 しかし我日本人として、青函トンネルが世界一の座を譲ることとなるのは、何処か悔しい思いがあります。何処かの誰かが「世界一ではなくてはダメですか?」と言うてましたけど、トンネル掘削技術を誇る我が国としては、やっぱり悔しいな。

 リニア中央新幹線は南アルプスを貫通するルートで決まりそうです。しかしこちら、前後の山もろとも掘ったとしてもせいぜい50km程度、極端な話、甲府盆地から岐阜県までトンネルで造れば世界一ですが、それはあまりにも非現実的です。

2010/10/15

鉄道・今日が普通に営業を始めた日

 鉄道の日、一昔前までは鉄道記念日と称していた10月14日は、1872年10月14日(当時の陰暦明治5年9月12日)に我が国で初めて鉄道が開通した日を記念して制定されたものです。しかし本当にこの日が開通した日=営業開始した日でありましょうか。

 昨日の弊ブログ、リニア中央新幹線の記事冒頭、

  >我が国で初めて鉄道が開通したとされる日です

のように下線を入れた意味深な表現としておきました。

 昨日は記事がつい長くなってしまいましたので深入りはしませんでしたが、1872年10月14日(明治5年9月12日)は天皇陛下らを迎えて、鉄道の開通式典を起点の新橋駅(後の汐留駅)で行い、陛下らそろって記念列車に乗られて終点の横浜駅(今の桜木町駅)でまた開通式典を行って、また記念列車に乗って戻られただけ。それと横浜駅での式典を警備する警察官らを乗せた列車が走っただけで、一般客は翌日から乗ることとなりました。

 ですので私的には一般客が乗る営業が10月15日(旧暦9月13日)からなので、鉄道開通日とは別にこちらが「鉄道開業の日」ではなかろうか、という思いがあります。今では実際に旅客運輸営業を開始した日が開業日となりますので、今流で書けば、我が国最初の鉄道開業日は10月15日(旧暦9月13日)ということになります。

 実は話はこれだけではなく、本当の本当に我が国で初めて鉄道運輸営業を行ったのは、この1872年10月よりも4ヶ月も前のこと。1872年6月12日(当時の陰暦明治5年5月7日)に、一足早く完成した品川駅~横浜駅間で、乗客から運賃を頂いての営業が行われておりました。

 仮開業といわれているもので、開業当時は途中駅は無く、1日2往復のダイヤ。これが曲りなりにも最初の運輸営業ですが、何しろ昔は・・・というより明治維新政府が出来て間もない頃で、全ては天皇陛下、その陛下が乗らないうちは「正式」には鉄道の開業とは言えず、あくまで「仮」の開業でした。

 というわけで私的な見方ではありますが、一番最初の鉄道開業日は6月12日(旧暦5月7日)、正式な営業を開始した日は10月15日(旧暦9月13日)という認識でいます。

 ちなみに、当時の横浜駅は今の桜木町駅。決して相鉄ジョイナスや横浜そごうのある横浜駅ではありません。今の横浜駅は単なる中間地点で、そこから東へ少し行ったところに神奈川駅がありました。汐留駅は再開発が行われて今では高層ビルが並ぶ地区。ここに「♪汽笛一声新橋を・・・」の新橋駅がありました。

 ところで、この仮開業(仮営業)はいつまでであったのだろうか。なかなかハッキリしませんので私の推量で考えてみると、陛下をお迎えしての開通式は当初、10月11日(旧暦9月9日)に行われる予定でした。この日は旧暦では9月9日重陽の節句で、これに合わせて開通式典を行うはずでしたが、暴風雨で(台風か?)式典は3日延びたものです。つまり10月11日(旧暦9月9日)は仮営業の列車運行は予定されず、この前日までで一旦は仮営業は終えていたのだろうと想像します。何処か詳しい資料は無いものだろうか。

2010/10/14

リニア中央新幹線「直線」ルートで決着しそう

 10月14日、今日は「鉄道の日」、少し前までは「鉄道記念日」と言われていた、明治5年のこの日、我が国で初めて鉄道が開通したとされる日です。そんな日に今後の行く末を占う大きな新聞記事がありました。

 中日新聞第3面、総合面記事からです。JR東海が東京~名古屋間を2027年開業目標で計画している、リニアモーターカー方式の中央新幹線。今月下旬に開かれる国土交通省の交通政策審議会中央新幹線小委員会(長ったらしいな~)で、山梨県甲府市付近から岐阜県中津川市付近をJR東海が希望する、南アルプス(赤石山脈)をトンネルで貫く直線ルートを優位とする試算が報告されることが、13日分かったとのこと。

Img_0005

 これだったのだ。昨日から弊ブログの2009年6月27日記事「リニア中央新幹線は南アルプス直線ルート」に幾つかアクセスがありました。ここに山梨県甲府市付近から岐阜県中津川市付近の比較ルート図を載せましたので、こちらでも同じ図ですが掲載します。(私が描いたもの・クリックで拡大)

Linearroute

 JR東海はこの三案あるルートのうち、直線で結ぶ「C」ルートを強く希望するも、長野県は諏訪市付近を通る「B」ルート、或いは加えて木曽を通る「A」ルートとするよう求め、両者の隔たりは大きかったものの、今年6月に長野県知事を上記小委員会に委ねる考えを示していた。

 確かに上の図はちょっと諏訪市を迂回するところが誇張気味ですが、東京~名古屋、そしてさらには大阪を結ぶ高速鉄道にこんな迂回があっていいものでしょうか。所要時分は約7分の増と試算が出ております。また建設費も南アルプストンネル貫通ルートよりも約6400億円多くかかります。

 そんな状況から、南アルプス直線ルートとなるのは当然です。長野県の主張は気持ちは分かりますが、無茶な話です。我田引鉄の最たるもの。南アルプスを貫通するトンネルの技術的な課題を含め、直線の「C」ルートで今後のルート選定を行い、来年春にも最終的な答申をしたいとのこと。

 さて、そうなると、南アルプスを貫通するトンネル、どういうトンネルでどのくらいの長さになるのだろう。南アルプスつまり赤石山脈は、フィリピン海プレートに乗った伊豆半島が南からの圧力でせり上がった地形で、西側には中央構造線が通り、地質は局所的にもろいものでしょうか。工事は大変なものになりそうです。またそのトンネルの長さも。

 実はまもなく、世界一の長さである日本の青函トンネルが世界一でなくなります。スイスのゴッタルド峠を新線で通り抜けるゴッタルドベーストンネルが全長約57kmで、これが開通すれば世界一長さのトンネルになります。さて中央リニア新幹線の南アルプストンネルは?。

 地質調査においてのルート選定では、約20kmほどのトンネルを想定していますが、仮に甲府盆地からいきなり飯田市付近までトンネルで抜けるとすると、どう計っても50km程度となりそう。もちろん小縮尺の地図上でのことで確実な数値ではないですが、世界一のタイトル奪還は難しそうかな。

2010/10/08

福知山線の特急「北近畿」が「こうのとり」に改称検討

 福知山線を走る特急列車。183系電車による「北近畿」号に「文殊」号のほか、北近畿タンゴ鉄道のディーゼル車両による「タンゴエクスプローラ」号が走ってます。

 ・・・という前置きで、神戸新聞web版記事から。7日、JR西日本はこの「北近畿」号に投入している183系電車を新型車両287系電車に置き換えるとともに、来春のダイヤ改正(2011年3月12日)から「北近畿」号の愛称名を、「こうのとり」号に変更する方向で検討しているとのこと。

 この「コウノトリ」は北近畿に位置する豊岡市の鳥でもあり、豊岡市はコウノトリの野生復帰事業に取り組んでおり、空を舞うコウノトリにちなんで「北近畿」号の列車名を変更して欲しいと言う要望があったそうです。

 国鉄時代より、特別急行列車(略して特急)の愛称名は自然現象や自然の事象にちなむ命名が多かったです。中でも鳥の名前は大空を優雅に飛ぶ様から、特急列車のイメージによく合います。「北近畿」は地域の名前からですけど、登場当時から正直今ひとつな感じもあり、私はこの検討中ですがこの新しい「こうのとり」号は好感が持てます。

 ちなみに兵庫県の県鳥もコウノトリです。

 一方でその来春のダイヤ改正では、北近畿タンゴ鉄道直通の「タンゴエクスプローラ」号と「文殊」号が廃止する方向で調整とのこと。完全廃止なのか、或いは福知山駅で分割して、JR西日本区間は「こうのとり」号、北近畿タンゴ鉄道区間は別の列車として運行するのか、どうなるのだろう。

 ところで現在この「北近畿」号に充てられている183系電車。新聞記事では

    >国鉄時代に製造された183系車両を用い、

とありますけど、厳密には国鉄時代に製造されたときは、交直両用の485系もしくは489系電車でした。「北近畿」号の運転区間が全て直流区間内にあって交流機器が不要であることから、この交流機器を他の車両に移す改造を行い、直流用の183系に編入されております。

2010/10/07

JR神戸線に新駅・2016年目標で仮称「まや」駅

 神戸新聞web版記事からです。6日、JR西日本は東海道本線(JR神戸線)の六甲道駅~灘駅間2.3kmに新駅を設置する方針であることが分かったとのこと。

 六甲道・灘間、それ東灘信号場ではないか。新駅は灘駅から東へ(六甲道駅へ)約900mだそうで、東灘信号場の営業キロ数と同一の距離。つまり「駅」としては新設ですが、「停車場」としては信号場の駅への変更ですね。

 新駅は記事によれば、線路・ホームの上に駅舎を設ける橋上駅の構造とし、40億円の工費、2016年春の開業予定。そして駅名は「まや」駅を軸に検討するとのこと。駅構内は、折り返し設備も設け、ダイヤが乱れたときの影響を抑えるようにするという。

 そこまでの記事で大体イメージが湧きました。東灘信号場は元は東灘操車場で(さらに前は貨物専用の東灘駅)、ここから神戸港駅に至る貨物線の分岐点でした。その貨物線も今は廃止され、広い構内はかなり遊休地ともなっています。

 ダイヤが大きく乱れるなど異常時発生で、極力、列車の駅間停車は避けたい。でも東灘信号場は停車場で運転線路変更など列車整理もしやすい。そこでダイヤが乱れた時にここで旅客列車を停められれば、弾力的な運転整理も出来易い、ということでしょう。きっと。そこで広い敷地を用いてホームを設け「駅」とすることとなったのだろうと思います。

 今では若干様子が違いますが、5年前にこの東灘信号場を撮りました。上り内側線を走る普通電車の正面から撮影したもの。先ずは灘駅から見た東灘信号場場内信号機。ですので灘駅から上り方向へ発車する際は「出発進行」ではなく「場内進行」です。(場内注意の時もありますが)

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 東灘信号場は構内が長く、場内信号機の次は閉塞信号機があります。また撮影時には上り線4線、下り線4線の計8線ありましたが、今は両外側の1線ずつ、すなわち上りの1番線と下りの8番線が撤去されています。走行中の上り内側線は4番線。

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 その先の上り出発信号機。おそらくこの場所辺りにホームが出来るのだろうと思います。そのホームも多分、多分です、外側線列車も停められるような島式二面になるのではないかな。

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 そして東灘信号場の、東の端。灘駅の先の場内信号機からここまで構内の延長は約1.5km。見えている信号機は駅間の閉塞信号機。

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 新聞記事さらに。この計画にあわせて、駅周辺に三井不動産レジデンシャルと共同で分譲マンションを建て、その土地の売却益を駅の建設費に充てるため、地元自治体である神戸市の費用負担は発生しない見通しとのことで、この手法はJR西日本としては初めて。

 駅から徒歩0分ということではないでしょうが、至近距離に住まいが出来れば、人気が高くなりそうですね。

 

 ちなみに現在の「東灘信号場」、所在地は東灘区ではありません。東灘区にはない東灘ということになりますけど、実は「東灘」の名称は東灘区よりもこちらの東灘信号場の方が先です。

 東灘信号場は開業当初は貨物も扱い、その名は「灘駅」。1917年(大正6年)に旅客専用の灘駅が開業して、同名を避ける為に「東灘駅」に改称してこの名が出来ました。またその当時の名残として、線路北側に兵庫県道198号線東灘停車場線という道路があります。旧貨物扱い所へ至る県道ですね。東灘区が誕生したのは33年後の1950年(昭和25年)のことです。

***10月8日追加
 15年前、いやもうすぐ16年前になりますけど、阪神淡路の大震災で不通になり、2月下旬に灘以西が復旧した際は、一時的にこの東灘信号場に内側上下線間の渡り線を設け、ここで折り返ししていました。

2010/10/06

新しく出来た大阪駅のドームを上から見てみた

 大阪駅のプロジェクト、ノースゲートビルディングから斜めに大阪駅ホームを覆うデッかいドームがこのほど完成したそうで、久しぶりにアクティ大阪の27階展望ロビーに登ってみました。いやホントに久しぶりだな。前回登ったときはまだ下の線路が見えていました。

 大阪駅ビルアクティ大阪は27階がレストランとなっており、北側と南側は展望ロビーとなっています。その北側ロビーから外を眺めたところ。

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 これが完成したドーム。ドーム言うても別に丸い形しているわけではなく、駅の北から南へ降りる形で覆う屋根のようなドームです。この下に空中通路などができます。12両編成分の長さがあり、とても大きくカメラに収まりませんでした。

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 少し上を向けて、大阪駅の北の方向。梅田駅が見えますけど、こちらも再開発で線路が減っています。

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 北東の方向。MBSの社屋が随分低くなってしまいました。こっちの方向がテルテルさんちですね。

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 ノースゲートビルディングのオフィスタワー棟。

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 前回ここへ登ったときは、まだオフィスタワー棟がこんなに高くなる前でした。今後は梅田貨物駅も再開発でなにやら出来るそうですし、大阪駅は変わって行きますね。

2010/10/03

尾張一宮駅前ビル・建設準備工事に入りました

 昨日、一週間ともう少しの約10日ぶりに東海道本線尾張一宮駅を使いました。すると、駅東から見て、コンコースの右側高架沿いがなにやらバリケード。そしてコンコースへ入り左にあるはずの東海Kioskが閉鎖されていました。

 そのKioskは9月26日で、また東側の有料駐車場も9月30日で閉鎖され、どうやら駅前ビル建設工事が始まったみたいです。いや正しく言えば建設への準備工事に入ったでしょうか。

 コンコースに入ったばかりのところにあったKioskは、東海道本線高架下ではなく、ビル建設用地になります。また駐車場の敷地半分もビル用地で暫定的に駐車場としているもので、新ビル建設の前にこれらを撤去せねばならず、その準備工事でしょう。

 いよいよ新駅前ビルが出来るんですね。2012年(平成24年)に完成予定だそうで、新しい一宮市図書館がここに入ります。ただ工事中は一箇所いつもたどる通路が通れなくなり、現在の所約12m歩行距離が延びています。

 さて、今度出来る駅前ビルは、敷地がJR東海の土地というだけで駅の機能は入りません。JR東海から見て入居者は全て民間です。民間と言っても図書館など一宮市の関連施設が半分ですけど。

 やがて起工式が行われ、本格的な工事に入りましょう。新聞記事にもなりましょうから、その時にまたブログ記事にします。

***2010年10月18日・画像追加
 中日新聞に、準備作業に入った記事が載っておりました。

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2010/10/02

関西人が選ぶ大阪環状線の駅は天満駅・ABCラジオ

 またラジオからブログネタを頂きました。ABCラジオ「桑原征平粋も甘いも」木曜日から。略して「粋甘」木曜。木曜日の粋甘では今は時間が不定になってしまいましたが、「関西人の常識2010」のコーナーがあり、毎週研究テーマ(お題)を設けて関西人の常識をお便り募集で認定する、面白いコーナーです。

 これまでに、「関西を代表する鉄道は→阪急」、「トマトになにかけて食べる→1位・塩、2位・砂糖」を記事にさせてもらいましたけど、その後は時間が不定になってやったりやらなかったり。しかし今週9月30日放送では、久しぶりに鉄道ネタがありまして、お題は「関西人が選ぶ大阪環状線の駅は」でした。

 結果は次の通り。

   3位:野田駅 38票
   2位:京橋駅 54票
   1位:天満駅 61票

 あと、選外でお便り紹介された駅には、新今宮、鶴橋、大阪城公園などがありました。鉄道が好きな征平さん、新今宮駅のお便り紹介では、「ホーム狭いで、くろしお通過するときは危険やで」なんて仰っていましたけど、くろしおは前後の分岐制限があって、結構遅いでっせ。そのお便りの主は、新今宮駅はラーメンが美味しい店があるから、だそうです。

 そう、大阪環状線は駅そばならぬ駅ラーメンがある駅がいくつかあります。以前発行されていた縦に細長い沿線情報誌「環状線遊ingマニュアル」では、その駅ラーメン特集をやっていたことがあります。天王寺駅にも駅ラーメンがあったよな。

 征平さん話してましたけど、3位が野田駅なのはなんだろう。実は私、野田駅はまだ乗り降りしたことが無く、駅周辺の様子は高架を走る電車から見るのみ。以前はここから大阪市場へ貨物線が分岐していました。今でもその跡が残っています。

 2位の京橋は、京阪電車乗り換え、かの有名なCMソングの城が「おます」街で話題は沢山。そのグランシャトーのラジオCMは、MBSラジオを聞いていた頃は馴染みですが、ABCラジオに移ってからはあまりやっていないような。

 1位の天満駅。あの長い長い商店街からでしょうか。ある意味一番大阪らしい商店街とも言えそうですし、その商店街を南へ行けば天神さんです。

 私が選ぶとすれば、京橋駅ですね。今は利用する機会が減っていますが、やっぱり京阪乗換えですし、20年前の花の万博ではお馴染みの駅でした。それと今はエレベータ設置で無くなってしまいましたが、内回りホームにあった蕎麦屋が「それなりに」美味しかった。かけ190円なのは何ともありがたかったです。

2010/10/01

明日の中日優勝記念きっぷを発売しない理由・名鉄

 私、野球オンチです。それを前提に。先ほどニュースでプロ野球の中日が今日にも優勝するとかで、しかもそれ、中日は試合が無く、阪神が今日の試合に負けたらその時点で優勝なのだそうで、それで一つ分かりました。

 名古屋鉄道、つまり名鉄では、中日ドラゴンズがリーグ優勝したら、その翌日午後2時から一部の駅で優勝記念きっぷを発売します。
http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2010/1204742_1138.html
午後2時からってえらい遅い時間やな。そして10月1日に優勝が決まった場合は、翌10月2日の発売はせず、翌々日の10月3日となり「なんでやろか?」と思っておりました。

 なんでも記念きっぷのデザインの中に、優勝の胴上げの写真が入るらしく、その準備で午後2時からの遅い時刻に発売となるらしい。

 そして、これが今日分かったことで、要するに今日は中日の試合が無いんですね。そして明日は試合があって、仮に今日優勝しても明日の試合が終わってから胴上げするらしく、その様子を写真に撮りプリントして、きっぷにするのでしょう。それで明日の発売は無いわけだ。

 で、中日優勝したら、お前買うのか?と訊かれそうですけど、私買いません。これがパノラマカードだったら買うかもしれませんが、記念きっぷではねぇ。野球には興味ないですし。

 では阪神が優勝したら何か買うんか?と訊かれそうですけど、こっちも買いまへん。名鉄も阪神も最近は乗る機会は少ないですからね。中日も阪神もどっちでもよろし。私が密かに応援するのは、Braves です。

2010/09/29

大阪市電の遺構かな?

 先般、IKEA鶴浜(大阪市大正区)へ行ってみました。JR難波駅西側から発車するシャトルバスに乗って。このIKEA鶴浜は初めてです。

 そのIKEAの話は今回は主題ではありません。シャトルバスで向かったIKEA鶴浜。途中、大浪通を走行し泉尾(いずお)の交差点で信号待ち。そこでバス車窓左前方に見えた、交差点脇の歩車道境界に地面から延びた二本の棒。遠目ですがこの棒、なにやらレールのように見えます。

 私、首から上は悪いところばかりで、眼も近視かつ乱視ですけど、こういうのには目ざといですね~ぇ(笑)。信号が青になりバスは発進し、件の現場に近づくと、地面から延びたその黒い二本の棒の断面は、確かにレールの断面っぽく見えました。現場を地に足つけて確認した分けではないですが、あれはレールだと思います。

 場所は大阪市バス泉尾一丁目バス停から南へ二つ目の信号交差点北東角。グーグルのストリートビューに写っていました。

大きな地図で見る

 横断歩道脇に建っているの標識すぐそばに背の低い黒い棒が出ていますけど、これです。よく分からないかも知れず、スキャンした画像を。

Izuo

 この大浪通はかつては市電が走っていました。ここは何線というのかな、1927年に開業し、1967年に廃止された、三軒家~新千歳の区間です。

 この黒い棒は、歩道を拡幅する前の飛び出し防止のために設置されたものと思いますが、これはその当時の市電のレールなのか、或いは他所から持って来た物なのか。今日では安全施設として無役な位置にあり、1967年(昭和42年)に廃止された当時に設置され、それが今日まで続いていたのではないかと思いますけど、どうなのだろう。

 

 ところでこの大浪通。今は新千歳の先で海上高く千歳橋を渡って鶴町に至っていますが、この千歳橋が出来る前は道路は港に突き当たって行き止まりでした。しかしもっと前、1945年までは新千歳の先、鶴町四丁目まで市電が通っていました。市電が通っていたということは道路があったわけで、戦後の大阪内港の建設で、北恩加島と鶴町の間が分断されてしまいました。

 分断後は千歳渡という渡船が運行されていましたが、2003年の千歳橋開通で、大正から鶴町へは少し近くなりました。なお大阪内港建設で発生した土は、大正区など周囲の地盤の低い地域に、盛り土として使われています。

2010/09/28

昨晩の停電は広範囲だった

 昨晩、自宅周辺が停電になりました。復帰後にすぐ「mitake徒然なる小径」に書いた記事で、「久しぶりの停電」に書いておりますが、その後の続きがいろいろ分かりましたんで、こちらのブログにも書いてみます。

 少し再掲しますと、午後10時51分ごろのこと。PCでWikipediaの記事を読んでいたら、スーッと闇の中。我が家はブレーカーの容量が少ないので、沢山使うとブレーカーが落ちる事がありますが、そういう場合は音がします。しかし昨晩は音が無し。つまり送ってくる側に原因がある本当の停電でした。雨が降っていましたけど、その関連かも?と思っておりましたが・・・。

 その停電と同じでしょうか、某巨大掲示板の東海地区運行スレに、

  • 名鉄一宮駅で瞬時停電があり、駅のシステムがダウンし、再起動で時間がかかって、22時55分発の列車が5分延発

という、これは要約ですがこんな書き込みがありました。我が家の停電時間とよく似ていますし、家も駅もで昨晩の停電は結構広かったのですね。

 瞬時にしては長く、我が家では1分は越えていたように思いますけど、その停電については、本日の中日新聞夕刊、尾張地区配送の社会面に載っており、それによれば(記事要約)

  • 「一宮で4万戸停電」
    27日午後10時55分ごろ、愛知県一宮市内の約4万戸が一時停電した。
    中部電力によれば旧尾西市三条の起変電所で蛇が一部こげた状態で見つかり、ショートして停電したらしい。
    そのため変電所近くの12,000戸で最大75分、周辺の28,000戸で1分程度の停電

ということでした。これは結構広い。我が家も名鉄一宮駅も周辺の28,000戸に入っていたのでしょう。雨が直接原因ではなかったです。でも昨晩は一時激しく降っていたからな。それで蛇君が地上から避難しようとしたのだろうか。

 駅のシステムがダウンしたということは、あのホーム南側にある運転室(信号扱い所)は中部電力からの通常の配電で動いていたんですね。ちなみに鉄道の動力となる架線と信号装置へは全く別系統による供給ですので、駅が停電しても電車が動く事はたまにあります。

 

 周辺の約1分停電は、配電回路を切り替える時間だったと思います。以前に中部電力で教わった事がありますが、こうした配電トラブルでは、支障箇所があるとそのブロックを切り離し、迂回するように自動で切り替えるシステムがあるのだそうで、約1~3秒ほどで切り替わりますけど、今回は少々長かった。

 たった1秒の停電でも自前でサーバを動かしている人など、大変だったのではないかな。もっと短いと「瞬断」というそうですが、そんな事を考えたら、無停電電源装置を入れねばならないですね。

 昨晩の停電時はたまたま重要な事をやっていなかったのでよかったですが、作業中で作業内容を保存する直前だったら、真っ青になりそう。ちなみに私は最低でも5分ごとには「Ctrl+S」で保存する事を心がけておりますが、それでも停電したら5分以内の作業は「パァ」。しかも再起動には結構時間がかかりまして、リズムに乗っている状態に水をさすことになります。でも停電も「ありうるんだ」という前提で事を進めた方が本当でしょう。

2010/09/24

湘南色の185系電車が登場したらしい

 時々見ている、とある鉄道系ブログで湘南色の185系電車が載っておりました。これが元で少し検索したら、今週に湘南色に塗り替えたらしい。ただ慣れないせいか、あの車体に湘南色はねぇ。

 これなんだろうか?と、JR東日本高崎支社主催の、「特急草津号50周年感謝キャンペーン」なのだそうですね。そのイベントで10月9~11日に記念列車を運転し、その列車に運転開始当時の車両塗装である湘南色に塗った、185系電車を充てるのだそうで。

 湘南電車。元は80系電車(正しくは「系」ではないですが)の愛称で、私は乗った事がある世代であります。登場当時は関東色と関西色とで違っていました。関東色はいわゆる今の湘南色、関西色は関東での緑の部分があずき色に近い色の二色塗りで、何年かして関西色をやめて関東色に統合されました。その際に、塗り分け線は関西、塗り分け色は関東方式になり、以後このスタイルが直流の急行形や近郊形に続いています。

 湘南色でも、急行形と近郊形で微妙に塗り分けが異なり、特に側面の車体裾からの緑色の部分。これが近郊形は幅が狭く、窓周りのオレンジの幅が広くて、個人的には近郊形の湘南色塗り分けは締りが無くてあまり好きではありません。やはりスカ色のように車体裾からの濃い色の部分はある程度幅を取らないとね。

 185系の湘南色は画像を見ると、近郊形に塗られていた湘南色に近いようですね。窓の上下幅が狭いのでそう感じるだけかも。またグリーン車はかつてのように、薄い緑色がかった白帯を巻いており、優等車の風格があります。このグリーン車の白帯は末期は廃止されて、普通車と同じ外観になってしまいました。

 ところで50年前の草津号は、温泉への週末臨時準急列車として運転開始したのが始まりです。当時は長野原線、後に延長して吾妻線は電化されておらず、線内は80系電車を蒸気機関車牽引で運転していたそうで、そんな事を書物で読みました。後にディーゼルカーに置き換わり、電化後は165系電車となり私の知る時代となります。

2010/09/17

仮称JR東海鉄道博物館は「リニア・鉄道館」

 四連続鉄道関連の記事ですんません。気になったもので・・・。本日の中日新聞朝刊一面記事からです。一面でも下の方の掲載です。

 東山動物園にあったC62など、かつての鉄道車両を保存展示する仮称「JR東海鉄道博物館」は、その正式名称を「リニア・鉄道館 ~夢と想い出のミュージアム~」とし、開館日を2011年3月14日とすることを16日、JR東海から発表がありました。

 記事の一部とロゴマークです。

Jrmu

 この名称は記事によれば、「最先端技術のリニアモーターカーと、各時代を走ってきた鉄道車両の歴史を端的に表現」で、ロゴは「リニアと新幹線車体を、走る水色と紺色で車両形状を抽象化したデザイン」だそうです。

 展示車両は、リニア実験線のリニアモーターカー車両の他、新幹線000系車両など鉄道車両39両、国鉄バス第一号の車両。それと鉄道模型の大パノラマが出来るらしい。入場者は初年度で60万人、以降40万人を見込むという。

 そうか、やはり初年度、特に開館当初は人で一杯になりそうだな。開館後は人が多そうだから多分行かないけれど、車両の現物の他、なにか文献資料でも保存していただけると足が向きます。でも保存だけで公開はしないかもね。余談ですけど文献資料の中には、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーでも見られるものがあります。いい時代になったものです。

 ところで個人的印象を書けば、この正式名称「リニア・鉄道館」はちょっとねぇ。仮称の「JR東海鉄道博物館」でもよさそうに思うんですが。なんだかこの名称では、博覧会などでの一パビリオンのような感じもしますんです。

 この「リニア・鉄道館」。場所は上の画像で名古屋港と書いてありますが、これ広い意味での名古屋港で、港区金城ふ頭にできます。最寄駅はあおなみ線金城ふ頭駅。駅のすぐそばに出来ます。間違っても地下鉄の名古屋港駅で降りてはいけません。

2010/09/16

九州新幹線博多-新八代開業とダイヤ改正は3月12日

 昨日のラジオニュースと新聞web版からです。9月15日記者会見したJR九州社長によれば九州新幹線、2004年に開業した新八代駅~鹿児島中央駅間137.6kmに引き続き、2011年春開業を目指して現在工事中の博多駅~新八代駅間129.9kmは、全国的にJRのダイヤ改正が行われる2011年3月12日(土)に決まったとのこと。

 九州新幹線鹿児島ルート、国鉄時代の全国新幹線構想では鹿児島新幹線と称していたように思いますが、その新幹線レールがとうとう博多で繋がれ、東京から鹿児島まで結ばれるんですね。ただ、レールは繋がりますが、東京駅から、というより東海道新幹線の区間から九州新幹線への直通列車は運転されないこととなっています。当面は・・・。

 九州新幹線の運行体系は概ね、博多~熊本間列車が1時間に2本、博多~鹿児島中央間列車が同じく1時間に2本。博多~熊本間は1時間に4本程度の頻度になるそうだ。そして1時間に2本ある博多~鹿児島中央間の列車のうち時間1本は山陽新幹線に乗り入れ、新大阪発着となるという。そして博多~鹿児島中央間は約1時間20分、新大阪~鹿児島中央間は最速の「みずほ」号は3時間47分、「さくら」号で約4時間を予定しているのだそうだ。

 朝日のweb版で面白い記事がありました。いわゆる「運用の都合」ってやつですけど、熊本なり鹿児島なりから博多へ着いた列車の中には博多駅で折り返させず小倉駅まで運転、或いは海をくぐって新下関駅まで来るのがあるという。つまり山陽新幹線の列車も折り返す博多駅では在線時間がとれず小倉駅か新下関駅で折り返すというわけです。小倉発着は既にJR九州の側でそんな列車が出来る事を公表していますけど、新下関発着の分は小倉~新下関間は回送となるのだそうだ。

 さて、折角東京駅までレールが繋がるわけですから、東京駅から鹿児島中央まで列車を走らせたいところですね。しかし私が考えてもちょっと無理があるように思います。

 まず所要時間。東京から鹿児島中央まで簡単に計算しても6時間30分近く。1975年に博多まで開業した時は、東京~博多間がこのぐらい時間がかかっていましたけど、当時は編成内に食堂車がありました。しかし今は・・・。この所要時間ではやはり飛行機の分野でしょう。さらに輸送力の点。東海道区間は昨今の不況でいくらか乗客数が減ったと言ってもそれは僅かな値。16両編成でしっかりお客さんが乗れる編成でなければ需要に追いつけません。

 でもその気になれば6時間半か・・・。現状、博多と新八代乗換えで大体7時間半から8時間弱。かつて特急「はやぶさ」号がほぼ22時間、急行「桜島」号が約25時間半かけて運転していたことを思えば、隔世の感です。

 

 下になってしまいましたけど、このJR九州社長の記者会見で、来年3月のダイヤ改正は3月12日(土)であることが明らかになりました。このダイヤ改正、私が行動する範囲内では車両の変化はあってもダイヤは大きな変化は無いと思います。しかし一つだけ期待しているのが。それはアーバンネットワークの新快速がオール12両組成になること。これは昨年の正月にJR西日本より発表されました。昨日このブログ記事に書いた大阪駅開発プロジェクトで、2011年春に新しい姿を現し、新たに百貨店などが出来ることから、さらなる乗客増を見込んでの措置だそうです。

 名古屋地区ではダイヤパターンは変わらず、ほとんど変化が無いか、或いはパターンのタイミングが若干ずれるか、そのくらいの規模でしょうか。なにか分かったらまたブログに書くこととします。

2010/09/15

大阪駅新北ビルのJR大阪三越伊勢丹開業は5月4日か

 現在、工事たけなわの大阪駅再開発プロジェクト。ホームとその下のコンコースは大体出来上がり、完成予想図で目をひく駅南ビルと新しくできる北ビルとを結ぶ、空中通路の大きなドームも現れております。

 この新しい駅北ビル、「ノースゲートビルディング」にはJR大阪三越伊勢丹が入ります。そして本日の新聞各紙のweb版、それにラジオのニュースで伝えられたことですが、その開業日がこれまで2011年春としてきたものを、2011年5月と具体的時期を明らかに。さらに日経など一部紙では大型連休中の5月4日を軸に調整していると報道。

 開業日が5月となったのは、4月は福知山線塚口事故と同じ月でもあり、遺族感情を配慮して避けたいとのJR西日本側の意向がはたらいたらしい。

 しかし私が思うに、5月4日は大型連休の最中ではないですか。どうせ開業するなら話題性も高く、期待感も高められる大型連休の前か前半のうちに開業したらいいかと思いますし、実際日経によると、三越伊勢丹ホールディングスは大型連休で盛り上がる消費需要で4月下旬の開業を希望していたという。

 福知山線の事故の日は4月25日。来年の大型連休初日は4月29日(金)。確かに近接しています。でも事故は事故、百貨店の開業は開業ではないでしょうか。このような「遺族感情」を言い出したら、今後4月には何も出来なくなってしまいます。私は大型連休の始まる4月下旬の開業でもいいと思うんですが。

 JR大阪三越伊勢丹は、ノースゲートビルディングの西側、一部高層ビル部分にかかる、地下2階~地上10階の部分に入居。その高層ビル部分はオフィス棟で、最上階はレストラン街が入ります。他にノースゲートビルディングには専門店街、近畿地区最大らしいシネコン、それとスポーツクラブ、託児施設などが入ります。

 大阪駅は、三越伊勢丹開業の話題が今後高くなりますが、駅南ビルのアクティ大阪に入る大丸百貨店もそのままではいません。アクティ大阪を南側に増築し、その増築部分に大丸が入って販売力強化につなげるそうです。そして今のアクティ大阪の名前を「サウスゲートビルディング」に変えます。

 通りをはさんで東側、現在改築中の阪急百貨店。第一期工事が昨年竣工し、南側の高層オフィス棟が特徴的です。現在建設中の第二期工事部分は2012年に完成予定。さらに今後は阪神百貨店とその南の新阪急ビルも建て替え、阪神も増床を計画しているそうで、梅田界隈はこの先、大きく変わりますね。

 

 ところで、上にも少し書いた2011年3月のダイヤ改正で、JR西日本は本線系統(JR琵琶湖~京都~神戸線)の新快速を全て12両組成にすると発表しております。大阪駅再開発プロジェクトで百貨店などが開業し、多くのお客が見込まれるという理由もあります。

 ダイヤ改正はおそらく3月に行われるでしょう。JR大阪三越伊勢丹開業の5月まで若干タイムラグがありますけど、改正の日から全て新快速12両で走るのかな。JR大阪三越伊勢丹開業まで一部8両組成を走らせる方が、車両運用を途中で変えねばならず、改正日から新快速12両というのが無難なところでしょうか。

***9月16日追補
来春のダイヤ改正は、3月12日(土)ということです。

2010/09/14

神戸高速東西線が新体制に・阪急と阪神

 以前にこのブログで神戸高速鉄道東西線を第二種鉄道として運行している阪急が、その一部区間を廃止するとしての記事、「阪急電鉄線一部廃止へ・・・書類上ですが」を2010年4月7日に書きました。

 繰り返しますと、神戸高速鉄道の線路を使って運行する阪急電鉄第二種鉄道事業区間のうち、事業休止中の西代~新開地間を廃止。また山陽電鉄第二種鉄道事業区間である西代~元町間と高速神戸~(阪急の)三宮間の全線を廃止するというもの。

 これにより、西代~元町間は阪神電鉄の、新開地~(阪急の)三宮は阪急電鉄の第二種鉄道事業区間として、新開地~高速神戸間を別にすると重複無く運営できることとなり、阪急電鉄と山陽電鉄の廃止届けも、当初2011年3月末日予定であったものが繰り上げ廃止が認められ、2010年9月30日をもって廃止される事が正式に決まりました。
2010年7月16日付阪急阪神HDニュースリリース

 そして昨日、阪急阪神HDより、2010年10月1日に阪急と阪神の神戸高速線が生まれ変わる旨のニュースリリースが発表されました。
2010年9月13日付阪急阪神HDニュースリリース

 これによれば10月1日から、神戸高速線東西線の駅で勤務する駅員の制服を、阪神電鉄の駅員と同じデザインとし、ネクタイと制帽は新しいデザインとする。また駅名標を、高速長田~西元町間の各駅では阪神の様式の駅名標、花隈駅は阪急の様式の駅名標にするということで、神戸高速線を見た目でも阪神化又は阪急化が図られるという事です。なお新開地駅の南北線はこれまで通りのスタイルです。

 このニュースリリースの文章を読む限り、神戸高速鉄道の駅員は、阪神スタイルの制服を着用しても、神戸高速の社員のままということでしょうか。この神戸高速の扱いは大変ややこしく、神戸高速線の線路施設保有者は第三種鉄道事業者の神戸高速鉄道。そこを走る各社が第二種鉄道事業者です、しかし阪急など第二種鉄道事業者は駅の営業にはかかわらず、その業務を第三種鉄道事業者である神戸高速に委託している形となっています。

 というわけで、10月1日からは神戸高速線が新しい姿に生まれ変わることとなりました。駅名標が変わり、駅員の制服が阪神スタイルになり、しかし走る電車は変わらず、これまで通りの姿とダイヤで走ります。将来的には運賃もどうにか致したいところですね。神戸高速線の運賃はそれ自体は安いですが、乗り入れ各社線へ通しの運賃は単純に合算され(近距離は割引あり)、割高感が伴います。

 ところで、高速神戸駅と新開地駅の駅名標が阪神スタイルのものとなると、そこを走る阪急電車とはミスマッチな光景が見られます。

 そしてこの神戸高速の新体制にあわせて、期間限定の乗車券を発売するそうです。詳細はニュースリリースを見ていただく事として、個人的には「神戸再発見!きっぷ【阪急全線版】」ですね。阪急電鉄全線と神戸高速全線が乗れて金額1,100円。通年発売中の阪急阪神1dayパス(一日乗車券)が1,200円ですので、それよりも安い。そして高速神戸までも乗れるのが嬉しく、これは買いです。

2010/08/23

大阪市営地下鉄・民営化と隣駅100円

 昨日から今日にかけて、大阪市営地下鉄がらみで二つのニュースが出てきました。一つは、地下鉄の運行を民営化するというもの。もう一つは隣の駅までは100円にするというもの。

 民営化ですけど、予てから交通局の赤字体質を是正する為にも民営化の提言があり、今年の冬にはなぜか府知事が、府(大阪府)と市(大阪市他)の再編を言い出し、その一環で地下鉄も民営化へとの発言があった様に思います。

 そして朝日新聞web版によれば、大阪市が交通局の地下鉄事業で運行部門を民営化する検討を始めた、とあり、私鉄各社との共同出資で新会社を作り運行するという、いわゆる上下分離方式で運行するというものだそうだ。このニュースはテルテルさんのブログで初めて知ったものです。

 記事から、複数の市幹部によれば新会社の出資比率は、大阪市が50%、残りをJR西日本と阪急など在阪の大手私鉄五社が出資し、大阪市主導形の第三セクターとなるらしい。つまり現在の大阪市交通局所有の軌道敷はそのままで、実際に列車を走らせる業務は新会社が行うというものらしい。とすると駅業務は?車両の所有者はどうなる?とかは、今後詰めて行くのでしょう。

 気になるのは、大阪市交通局の地下鉄はその殆どが軌道法で運行されています。軌道法は鉄道の様に上下分離を想定しておらず、この民営化の枠組みで実施するならば、法改正か何らかの通達処理が必要でしょうね。いわゆる便宜上の取り計らいです。

 ただこの「民営化の検討を始めた」のニュースは、webでは朝日しか記事が見当たらず、他のサイトでは見つからないのがちょいと気になっております。

 

 次に隣の駅100円のニュース。毎日、産経他のサイトからです。大阪市長は地下鉄一駅間つまり隣の駅までの運賃を、現在の200円から100円にするよう交通局に指示している事が、22日分ったという事だそうです。今秋に発表する市政改革案に地下鉄サービス向上の目玉として盛り込みたい、とのこと。

 短距離の移動で地下鉄を使っていただき、地域の活性化(記事ではキタやミナミ周辺とある)を促進し、放置自転車の減少につなげたいという狙い。ただ隣駅100円は、交通局内部には減収に繋がるので慎重意見もあるという。そりゃそうでしょうね。従来200円のお客さんの何割かは100円で済む事になりますので。一方で「100円なら地下鉄にしよか」という誘発効果も期待できます。

 隣駅でもいろいろですね。御堂筋線梅田~淀屋橋間1.3kmは多数の方が利用しますので、恩恵に預かる方がとても多そう。ちなみに一番長い駅間距離は、中央線の大阪港~コスモスクエア間2.4km。逆に一番短いのは、長堀鶴見緑地線の松屋町~谷町六丁目間0.4kmです。

 それと事実上の途中下車制度の導入もあるらしい。現在、梅田三駅(谷町線東梅田駅・御堂筋線梅田駅・四ツ橋線西梅田駅)の乗り換えは一旦改札を出る方式で、その時間を30分に限定しているものを、今後は乗り換え時間中に買い物など出来る様にと3時間に延長するらしい。また難波駅(なんば駅と表記)などでも途中下車が出来る様なシステムを目指すと言う。

 ただこれ、発着駅の関係から、一乗車と判定するのか二乗車と判定するのか、またややこしいことになりそうです。

 でもこれら実現すると画期的なことです。普通乗車券やカードによる乗車を前提とした乗車だと解釈できますが、この都市の鉄道で普通乗車券などでの乗車は、途中下車ができないと相場が決まっている様な物ですからね。

2010/08/21

車両交換

 ご近所ブログの主が所有している自動車、この度車検にだされて、現在は代車に乗っているそうです。またブログにはこれまで乗ってきた(所有してきた)自動車の種類があり、その都度乗り換えてきたわけですね。そこでふと思い付いた言葉。「車両交換」。

 今まで乗っていた自動車と換えることから「車両交換」ですが、鉄道の世界でも車両交換なるものがあります。しかしそれは、新たに導入(新規建造車とは限らず)した車両と旧い車両を入れ違いに交換する意味ではなく、もっと複雑です。

 阪急神戸線の普通に乗ると、時々「西宮北口駅で車両交換を行います」というアナウンスがあります。すると今乗っている編成が西宮北口駅に着くと、ホーム反対側に「普通 梅田」の幕を出した編成が。お客さんはそちらに乗り移られます。同様な事が京都線の正雀駅と桂駅でも見られます。

 これは会社によって言い方が変わりますが「列車検査」と言われる一番簡単な検査を行うために、一度車庫へ取り込むためです。そして代替編成を出して、ホームの両側に停めて、乗り換えの便を図っています。ただこれ、折角座れて目的駅まで行けると思ったら、乗り換えさせられるという不便はありますね。

 ですので、阪急の駅にある時刻表では、車両交換がある列車には記号をつけて、その旨を知らせています。あれ?今はどうだったのだろう。見てるようで見てない時刻表。私も必要な情報しか見てないな・・・。

 時刻表に書かれていると言うことは、予め決まっているわけで、阪急の場合は例えば、西宮北口駅で車両交換を行う場合であっても「三宮発梅田行き普通列車」として案内しております。列車番号も同一で車両だけが換わるというわけ。

 通常は予め決まっている計画に従って車両交換をしますが、車両の不調で突然交換することもあります。名鉄の話ですが、須ヶ口駅が本線と津島線とが別れていた時代。新名古屋駅夜の21時台は急行だけの15分毎というダイヤ。6両編成のパノラマカーに満員のお客を乗せた編成を、須ヶ口駅で交換させたことがありました。しかも交換後は4両編成で、お客の一部は津島線乗換えでホームに残ったものの、さらに込み合った4両編成は、お客の怒号が飛んでいました。

 バスの世界でも車両交換があります。その中でちょっと特殊な例を紹介。長野県木曽郡木曽町のコミュニティバス。木曽福島と開田高原を結ぶ開田高原線と、旧開田村役場を起点とする開田西野線とがあります。

 開田西野線の車両は朝夕はスクールバスとして旧開田村内を走り、昼間は開田西野線として一般路線を走ります。しかしどこかで燃料を入れたり検査したりしなければならず、そこで平日に一回だけ開田高原線と開田西野線の車両を交換する方法。すなわち、木曽病院発13時36分発開田支所行き開田高原線のバスは、開田支所で折り返さず、そのまま開田支所発14時25分発開田西野線として走り続けます。逆も有り、高坪13時55分発開田支所行き開田西野線のバスは、開田支所で折り返さず、そのまま開田支所発14時27分発開田高原線として走り続けます。お客さんは乗り換えずに済みますので、便利と言えば便利ですね。
開田西野線の時刻表
木曽町バス路線図

2010/08/17

緑一色の113系を見ました

 JR西日本は車両メンテナンス経費削減の一環として、四社ごとに普通列車用の車両塗装を一色塗りにするそうで、その京都支社版の緑一色の113系を、昨晩京都駅で始めて見ました。長浜行き新快速の車内からですので、画像はありません。

 夜の9時半少し前、京都駅で長浜行きを待っていると、ホーム反対面に湖西線列車が入る旨の案内放送。と同時に長浜行きの新快速も入線し、12両編成の最後部車両へ。動き出した車窓の向うには、な、な、なんと緑一色の湖西線。いや始めて見ました。

 ウワサには聞いていましたが、113系の一色塗装って、これは慣れないせいか違和感アリアリですね。ホームの照明に映る緑色は、山手線の黄緑色とも違うし、旧名鉄の深緑色とも違う。名鉄でも旧600V線の緑色に近い様な、比較的明るめの緑色でした。

 一色塗装といえば、今でもJR西日本には走っていますが、103系・201系の各色。走行線別に色を分けて、例えば黄緑色なら山手線というよに非常に分りやすかったです。しかしこの支社別の一色塗装は、走行線別ではありませんので、京都駅に緑色の113系が停まっていても、それは湖西線なのか草津線なのかは分けられませんね。ま、これは従来の湘南色でも同じことですので、差が無いと言えばそれまでですが。

 昨日は突然の事ですし、そもそも足を病んでいますので、写真には納められませんでした。またいずれ写真を撮ることがありましょうから、その時に又ブログに載せたいです。

2010/08/16

北区飛鳥山にモノレールがあるそうだ

 「人の褌で相撲をとる」という諺がありますが、今回の記事はまさにそれで、失礼します。youtubeのup主さん、ありがとう。

 鉄ヲタの中でも私の様なモノになりますと、鉄道の基本である「軌道による運搬システム」は全て関心の対象になります。先日、youtubeで軌道式運搬具である農園用モノレールの動画を探していたら、東京都北区王子にそれに類似したモノレールがあるそうで、その動画がありました。しかも前面展望で。「何処なのだろう?見てみなければならない」。それは王子駅そばの飛鳥山でした。

 別の動画。軌道がよく分ります。

 ざっと見た感じ、「線路延長」は100mもなさそうですね。50mを超えるぐらいか。

 その後ネットで色々情報を調べたら、昨年(2009)7月17日に完成したそうで、その後愛称を募集、その愛称は「あすかパークレール」。この車両(搬器)の名前は「アスカルゴ」と決まったそうだ。可愛い名前ですね。こんなのがあるなんて全然知らなかった。余程東京の情報かに疎くなっている証拠ですね。

 これは桜の名所でもある飛鳥山公園への足として設置されたそうで、モノとしての取り扱いは「鉄道」ではなく「公園設備」だそうで、運行は搭乗者自らが行います。方法はエレベータと全く同じ。しかし目的も機能もまさに鉄道そのものですね。

 こういうの、萌えます。以前に何処かで書きましたけど、エレベータでも垂直方向に動くモノは反応しませんが、斜め、つまり水平成分があると、とたんに鉄ヲタ魂が萌えますねぇ。このような斜行エレベータは全国各地にありますけど、ここは車両(搬器)自体に動力があり、軌道を自らの力で推進力を得ることから、モノは鉄道ですわ。

 システムは、このスジの人には知られている嘉穂製作所によるもの。その嘉穂製作所のHPに導入例として、飛鳥山のモノレールの写真があります。
http://www.kaho-monorail.com/photo01-asuka.html

 

 その昔、神戸市北区有馬温泉にある、兵衛旅館に線路延長僅か80m程のケーブルカーがありました。そんな「鉄道」でもちゃんと中間駅がありました。山の上の新館への連絡として敷設されたもので、私が有馬温泉へ始めて見に行った時は既に運行を止めた後でした。そこ、今でも一部が「廃線跡」として残っています。

 この類の話になると、奥が深くなりますので、この辺りにしときます。

2010/08/09

JR東海リニア中央新幹線始発駅は品川になりそう

 本日は新聞朝刊がありませんので、ラジオのニュースから。今朝のCBC(中部日本放送)ラジオ、朝PONで午前8時のニュースにおいて、タイトルの「JR東海リニア中央新幹線の東京の始発駅は品川になる事が昨日までにほぼ決まった」と伝えておりました。

 まだこのニュースはこのCBCラジオ8時の一回だけで聞いた記憶だけで書きますが、

  • 2027年に東京(都内)~名古屋(市内)を開業する予定である、リニアモータ方式のJR東海の中央新幹線。これの東京都心側の始発駅を品川駅とすることが昨日分った

ということです。その理由として、

  • 東京駅と品川駅周辺の地質を調べ、品川駅の方が適切であろう。また品川駅は羽田空港との乗り継ぎにも便利

だそうです。

 品川駅ヘの決定はほぼ自然な流れでしたでしょうね。東京駅は地下が込み合い過ぎています。総武線(東海道本線別線+総武本線)に京葉線、地下洞道が多く有り、中央新幹線が入りうる地下空間を造るには余程深く掘らねばなりません。また既存の地下構築物を避けながらの施工は難しく、第一、東京駅を発進して西へ向かうと、そこは皇居ではありませんか。たしか皇居は地上も地下も通れなかったと思います。

 その点品川駅は、駅のある場所は元は海でしたが、中央新幹線の駅構築物を作る地点では、西から続く台地のしっかりした地盤の中に施工するのでしょう。また品川駅発進後は西へ向かうとその台地の下を通ることとなります。

 「羽田空港へも便利」というのは一瞬「?」と思いましたが、今は京浜急行が空港線直通列車に力を入れているんですね。京急の品川駅から羽田空港駅まで乗り換え無しで行けます。正直旧い頭の私は、羽田空港と言うと、浜松町からのモノレールを想像してしまいました。

 そもそも東京から山梨県にある実験線の間は、全くルートが決定されておらず、これは実験線以西も同様で、つまり実験線以外のルートは全く未定な状況。当面の部分開業である名古屋市内駅も同じで、名古屋駅地下に造るとか、笹島貨物駅跡地に造るとか、いろいろウワサは出ています。名古屋の場合、名古屋駅地下は事実上不可能ですが。

 山梨実験線から名古屋へは長野県内を少し(直線ルートでは)通りますが、この長野県内では、諏訪を通るとか、加えて木曽を通るとか、いや南アルプスをトンネルで突き抜けるだとか、ここまで来ると政治的な駆引きに繋がりそうです。政治的な駆引きはこの長野県に留まらないと思いますし、社会情勢がどう続くのか。それ故、私はこのリニアモータ方式の中央新幹線、実現の可能性は薄いと感じております。

2010/08/03

東京の地下鉄経営一元化へ向けての協議会

 今日のNHKなどラジオのニュースで(多分テレビでも)伝えられていますが、東京で地下鉄を運営する、東京地下鉄株式会社(東京メトロ)と東京都交通局の地下鉄事業を一元化しようとする協議会があり、課題等が話されたという事です。

 東京メトロ、私なんぞは営団地下鉄(帝都高速度交通営団)のほうが遥かに通りが良いのですが、この元半官半民の営団地下鉄、数年前に民営化された東京メトロ、これともう一つ、東京都交通局の地下鉄(都営地下鉄)と二者で、都内の地下鉄が運行されています。

 会社が違えば(都営は会社ではありませんが)当然運賃も異なるわけでして、東京メトロから都営地下鉄に乗り継ぐと、乗継割引があるものの、単純に運賃が合算されます。またこの両者の運賃水準はかなり違っており、東京メトロが初乗り6kmまでが160円に対して、都営地下鉄は初乗り4kmまで170円。以後の上昇も都営地下鉄の方が高く、東京メトロ東西線で中野~西船橋間を乗り通すと30.8km300円に対して、都営新宿線で新宿~本八幡間を乗り通すと23.5km360円。

 そのため両社局に跨って乗るという方は、結構高い負担を強いられています。その為に過去何回か経営一元化の動きがありましたが、実現することはありませんでした。当時は営団地下鉄の帝都高速度交通営団時代。東京都も出資していたのですが、東京都は自らも交通局を経営していたりして、またこの両社(者)は社風も異なり、当然従業員の気質も違っていて、合併(という言葉もあった)など一元化は難しいとされていました。

 今回、これは石原知事の肝煎りなんですか?石原さんの名前が何度かあがっていたように記憶しています。そして会議には猪瀬副知事が出向いたということで、一元化へ向けての壁をどう乗り越えるのか、期待が持てそうです。その壁でも大きな物が、都営地下鉄の長期債務ですね。

 我々から見た地下鉄の経営一元化は、もっぱら運賃面でのメリットです。異なる二社を乗り継ぐと、どうしてこうも運賃が高くなるのか。この運賃面だけの解決なら、線路の持ち主を現在の通り、東京メトロと都営地下鉄のままにしておいて、別に運営だけする組織を作る方法もあります。

 ただこれで地下鉄の一元化は図られても、今度はJR線との運賃問題が出てくるでしょうね。都内はJR線(国電)の比重が高く、JR線と地下鉄線とを乗り継ぐと大変スムーズに目的地へ着けることもあります。こうした運賃問題はもう昔から言われていまして、今はさらにICカード乗車券であるが故の問題も。細かくは書きませんが、実際乗車区間と運賃集収受区間とが違うという事がよくあり、それも元は運行事業者の違いによるもので、ことのほか運賃問題は根深い物があります。

 ところで、地下鉄一元化で、どういう組織になるのかな。東京メトロへ都営地下鉄を吸収、その逆に都営地下鉄へ東京メトロを吸収、第三の組織を設立、そして線路の保有者は現状通りで第三の組織が運営を担当する、こんなのが考えられます。

***2011年9月17日追記
 2011年3月に発生した東日本大震災の復興資金として、同年9月に政府保有分の東京メトロ株を売却する方針を示しました。その株式を東京都の石原知事が購入の意向であると示し、東京都で過半数保有としたいとのこと。

 さらに東京都交通局の地下鉄と東京メトロとの経営統合を目指すとしています。東京都が東京メトロ株過半数保有となれば、その経営意思に東京都が大きく係わる事となり、乗客の立場としてある意味迷惑な二重運賃制度も、社局を超えた統一的な運賃制度になることが期待でき、地下鉄一元化に一歩近づきそうですね。

2010/07/22

中継☆ちょばーん!で学研奈良登美ヶ丘駅

 今日は(今日も)あまりに暑いので、書きたかった予定を変えて、ラジオネタで鉄道ネタへ。

 ABCラジオの「武田和歌子のぴたっと。」。ABCアナの名前を冠した番組名ですけど、その本人現在産休で、代役のアナウンサーさんが担当しておられます。

 その中で桂ちょうばが担当する中継コーナー「中継☆ちょばーん!」は、大阪市営地下鉄の駅周辺からの中継。その中継する駅は、前日放送で「超高性能ハイパーガラガラシュート」というハイテクな回転抽選機で決めるという極めて原始的な方法。そのガラガラ抽選機には、地下鉄の駅番号が書かれた玉が入っていて、出た番号で桂ちょうばの中継先が決まるわけで、今日の放送ではなんとC30の学研奈良登美ヶ丘駅でした。

 昨日のガラガラでC30が出たのでしょうけど、ここは大阪市営地下鉄ではなく、近鉄の駅になります。大阪市営地下鉄中央線と近鉄けいはんな線とが直通運転しており、市営地下鉄の駅番号も通しで付けられています。近鉄の駅だから、という理由で除外していなかったのですね。そこで大阪市ないばかりの中継から、いきなり奈良県からの中継となりました。ちなみに御堂筋線と直通する北大阪急行も、千里中央から順に番号が振られています。

 私、学研奈良登美ヶ丘駅へ行った事があります。駅開業、すなわちけいはんな線開業は2006年のことで、まだ4年しか経っておりません。

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 駅の東の方。いわゆる新興住宅地です。駅開設で、とても変わりました。

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 この学研奈良登美ヶ丘駅の西約1kmには、登美ヶ丘信号場(近鉄は信号所か?)があり、その画像。丘の上に見える通りの住宅地が広がるところです。

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 上の二枚目の画像で書いた、「駅開設で、とても変わりました」は、本当に変わり過ぎたと思えるほど変わっております。実はこの学研奈良登美ヶ丘駅がある場所は、ずっと以前に一度立っております。その時はここに駅が出来るなんて全く知りませんでした。

 奈良交通バスで、近鉄奈良線学園前駅発着のバスで鹿ノ台北二丁目へ行くバスがあります。学園前駅発着の奈良交通バスは、往路と復路とで乗降方式や運賃の支払い方法が変わり、その様子をみたり体験したりして何度か訪れております。その一つが鹿ノ台北二丁目行き(発)でして、鹿ノ台北二丁目の帰り、樋ノ口停留所で降りました。

 何で樋ノ口やねん?ですけど、この奈良交通バスはもう一つ午後9時以降の降車専用停留所が有り、その一つが樋ノ口停留所近くにあり、鹿ノ台北二丁目へ行く途中に見かけて、帰り道に降りてみて、停留所を見てみようと思った次第です。

 この降車専用停留所がちょうど学研奈良登美ヶ丘駅が出来る場所の少し北にあたり、一角は工事現場のようでも有り、ここに後に駅が出来た場所だったんです。正直な感想、降車専用停を置くほど住宅が近くに無さそうな寂しいところでしたけど、駅ができイオンができ、マンションが出来て、私が最初訪れて僅か5年であそこまで変わるとは。

2010/07/15

阪急そばあれこれ

 この記事、鉄道カテゴリに入れてあるけど、鉄道そのものの話題ではありません。急ぎ小ネタを書いて、次やらなきゃ。

 「阪急そば」。尾張国住人からすると凄いネーミングです。阪急電車の駅構内や駅のすぐ「そば」で店舗を展開する、いわゆる「駅蕎麦」。私もよく頂きます。関西なのに何ゆえ「そば」なのか、其処はよく分らないけど、とにかく流行っています。屋号は「阪急そば」ですけど、お客さんの多くはうどんを食べていらっしゃるようですね。

 よく頂くという十三駅ホームのお店は、何でも阪急そばの第1号店だそうで。それはあまり関係ないでしょうけど、ここ結構店員さんがいらっしゃいます。食券を受け取ってそばを作る人数名、洗い場、ホールにも一人乃至二人。私は具には拘らないので、もっぱら「かけ」。食券出して20秒ほどです。早いです。駅そばの魅力は、「早い」「旨い」そして「安い」ですね。二番目と三番目は多少違うでしょうけど、早いのが命。

***画像追加
 その十三駅店です。

Img_0075

 味はやはり関西の地。薄い味付けでそこそこ塩味も効いている味。じっくり構えてのそば屋ではないので、このぐらいの薄さがよろしかろう。もう少し濃いと日本酒が欲しくなります。そうなったら「駅そば」の範疇を越えてしまいますね。

 ちなみに十三店の「かけ」は220円です。あまり「かけ」を頼む方は多くないとみえ、食券は「そば・うどん」共通で、券を出す時に「そば」か「うどんか」をいうシステム。そもそも名古屋地区でこの値段の駅そばは無いですよね。というより駅そば自体が少ないです(と思う)。

 あと、西宮北口駅構内の店舗は宜しいですよ。座って頂けます。食券ではなく注文を聞きに来てくれる普通のそば屋スタイル。でもここは今津北線のホームにあり、そう頻繁に行ける店ではないのが残念です。

2010/07/08

阪急電車で祇園祭ヘッドマーク・ただ駅では…

 毎年恒例、というよりブログ三年目、同じこと書いてますねぇ、恒例、阪急電車の祇園祭ヘッドマークです。祇園祭、特に7月14日~16日の宵山(14は宵々々山、15日は宵々山)、17日の山鉾巡行を前に、沿線行事PRの一つです。

 先日、京都本線の特急で乗った編成がヘッドマーク付きで、発車前と降車後に写してきました。駅ホームからの撮影です。

 十三駅で。右端柵が気になりますねぇ。

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 ヘッドマークの拡大。

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 同じ京都本線の画像ですいません。神戸本線も乗りましたけど、ヘッドマーク付き編成ではありませんでした。夜の梅田駅。

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 ヘッドマークだけの拡大。

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 さて、タイトルのもう一つ「ただ駅では・・・」ですけど、阪急の一部の駅では、スピーカーからBGMのように祇園囃子を流しているのですね。季節感を演出するという意図なのですが、私個人的にはどうもこの駅構内で聞こえてくる祇園囃子は頂けないんです。もちろんわざわざ練習中の二階囃子を聞きに行くほどですので、好きは好きなのですが、場所によりけり。JR西日本の京都駅でもこの時期、祇園囃子を流しています。

 これ、駅構内では普通に普段通りの演出、してもらえないかな。祇園囃子は、あの大きな鉾が巡行する様子を思い浮かべます。その日は必ず7月17日。梅雨明け前でも明け直後でも、盆地特有の蒸しィッとした暑い日ばかりです。そんな皮膚ネットリ感を連想しますンで、実際に鉾町へ入って「さぁッ、聞くぞぃ」っていう気持ちではない、一方的に聞かされるのはどうもねぇ。ヘンでしょうか。ヘンでしょうね。

 ちなみに、お正月によくある、駅や地下街でのお琴の音も苦手です。

 さて、ヘッドマーク、祇園祭の次は天神祭。まだこれはカメラに収めてません。昨年も同じこと書いたよね。是非!っという気持ちはあるのですが。

2010/07/05

あおなみ線経営破綻だそうで

 先ほど、NHK総合テレビジョンの、「大相撲は生まれ変われるのか」に引き続き、名古屋ローカルニュースのトップで伝えられたことです。

Img_0080  愛知県の名古屋市にある名古屋駅と、同市港区の金城ふ頭を結ぶ第三セクター、名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線、愛称「あおなみ線」が経営破綻し、資本金157億円を減資し、名古屋市などから約400億円規模で支援することとなったそうです。今年3月末時点で、572億円の赤字で、開業当時から言われてきた事ですが、とうとうこの日が来たといったところでしょうか。

 この経営破綻に対する再建として、事業再生ADRにのって進めるとのこと。事業再生ADRとは裁判外紛争解決手続きというそうで、国が認定した第三者が仲介し、主要な債権者だけを相手方として簡易迅速に手続を進める私的整理の一類型、なのだそうです。

 支援策として社の借り入れ金を一部名古屋市が肩代わりするほか、名古屋市からの貸付金を株式化して出資金扱いとすることで、返済の必要が無くなることとするということだそうです。

 あおなみ線は2004年の開業当時から、需要予測程度の半分以下しか乗って頂けず、空気輸送の状況が長く続いております。沿線は名古屋市でも西部の郊外に近い辺りで、沿線人口はそこそこありますが、とにかく乗って頂けない。

 理由はいろいろありまして、私が感ずるところでは名古屋市交通局とは別体系の運賃制度である点。定期券やユリカで乗り継ぐと割引が受けられますが、一日乗車券で乗れない。また乗り継ぐという場合でも、他交通機関との乗継が不便。その一例として名古屋駅。あおなみ線の名古屋駅は遠いでぇ。JR名古屋駅構内の南西片隅に位置していますが、そこから地下鉄に乗るには、延々歩かされます。特に今年6月に乗った際は足がまだ不自由だった頃で、あおなみ線ホームからエレベータに乗ったのもありますが、地下鉄東山線ホームまで20分以上かかりました。足が痛いのにぃ。

 そんな状況ですし、そもそも需要予測は適切であったのか。藤が丘からのリニモにも言えますが、そちらは万博特需があったので少しだけマシ。いずれにせよバラ色過ぎる予測であったと思います。

2010/06/26

名古屋と関西の鉄道の違い・ブレーキ扱いで

 日頃、名古屋圏と関西圏の鉄道を乗っていて、幾つか違いを感じます。もちろん、それぞれ鉄道事業者の生い立ちや社風の違いと言ってしまえばそれまでですが、その幾つかある違いの中から、駅停車時のブレーキ扱いの違い。

 先に申しますがこれら観察対象(つまり乗っている線)は、関西は阪急とJR西日本、名古屋は名鉄とJR東海それに名古屋市営地下鉄でして、必ずしも一般化された話ではありませんので、宜しく。

 列車が駅に近づくとブレーキをかけて速度を落として、乗っているお客さんに衝動を与えないようにブレーキ扱いをします。停止するまで強めのブレーキ力のままでは、速度が低下すると大きな衝撃になります。そこで停止の手前でブレーキ力を弱め、停止時の衝撃を和らげて所定の位置に停めます。

 関西では、乗り心地重視でしょうね、停止寸前にはブレーキを完全に緩めます。つまり停止位置寸前まで弱いブレーキで減速し、車両がここで動かなくなるという僅か直前、ブレーキをオフにします。空気ブレーキの車両ですと「残圧停車」というそうですが、フワッと微かなGを感じて、ピタリと所定の位置に停めるのは、正に職人業です。

Img_0120

 対して名古屋。名古屋ではこの「残圧停車」ともいう、停止寸前にブレーキを緩めることなく、弱いブレーキ力のまま停まります。全電気指令式の車両ですとB1段、稀にB2段のままブレーキ力が僅かあるまま車両停止しますので、少しですが衝動があります。

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 関西でも名古屋でも、いや全国的にも列車は駅停車中には転動防止のため、強いブレーキをかけておきます。残圧停車でもB1段で停車しても、車両が静止したらブレーキを強くかけます。

 まぁどっちが良いかと言えば、やはり阪急の様な停止寸前にブレーキを緩める通称「残圧停車」ですね。これに接すると「うっとり」しますわ。でもこれに慣れてしまうと、今度は名鉄などに乗ると、「何でこんな衝撃与えるねん」って思うでしょうね。いや今もうそう思ってます。

 私、他に神戸電鉄にも何度か乗りますけど、こちらは勾配のある駅も多い事から、停止寸前にブレーキを緩めることはやっていないようで、名鉄と同じくブレーキをかけたまま停まっています。
⇒2010年7月5日追補
 昨日二度神鉄に乗りましたけど、その二度とも停車駅毎に残圧停止しておりました。以前ブレーキハンドルの様子を見ていた際に、たまたま停止寸前にブレーキを払わなかったことが、そんな印象に繋がっていたようです。

画像
一枚目:阪急神戸線 夙川~芦屋川間 2010年4月撮影
二枚目:名鉄尾西線 玉野~山崎間 2009年11月撮影

2010/06/25

尾張一宮駅・新駅前ビル72億円の総工費で計画推進

 6月23日付け中日新聞朝刊尾張版記事からです。一宮市のJR尾張一宮駅東側に2012年度の完成予定を目指して市が建設予定の駅前ビル、総工費が2008年5月の基本計画策定時には49億円であったものが、内部施設の追加や設計費用なども盛り込んで72億円になるとのこと。そしてこの計画で建設推進の方針であるとのことです。

 この駅前ビル、すったもんだの末の建設計画推進で、当初は修文大学が建物南側に入る予定でした。しかし大学として将来経営を考え費用効果が見込めない事から進出を断念、商業施設も何がどうなるのか不透明なままです。そこで一部から(特に共産党)は建設計画の見直し論も起こっておりました。

 しかし手狭になっている豊島図書館の代替施設として、また他の公共施設も駅前ビルに入れたいとの意向もあり、「一宮市の玄関口に集客施設を造り、活性化の起爆剤としたい」として、新駅ビルの建設を予定通り進めるという。また駅前ビルの外観イメージも公開されました。新聞記事からの引用です。

Ekibiru

 ところでここには豊島図書館が入ります。図書館では既に「平成23年度に移転する」ことが公表されています。といいますのは、新しい図書館(新駅前ビルのこと)ではICタグを資料に取り付け、これで管理することとして、昨年度後半で閉架資料にICタグを取り付けました。そのために閉架資料の閲覧・貸出が未作業の資料については行えなかったということがあります。

 そんなこんなで新駅前ビルの建設は実際に始まるでしょう。2012年度完成予定、つまり2013年春までには出来上がるという事。

 そしてこの駅前ビルはあくまで一宮市が建設するもので、JR東海は土地を貸すだけでビルの事業には関係はないと思います。以前の駅ビルは「民衆駅」と言って、戦争で荒廃した駅設備復旧に際して、民間資本を導入して駅舎を建設し、そこに駅務設備のほか商業施設も入るという形でした。今回の駅ビルにはJR東海の尾張一宮駅は全く関与せず(全て高架下にある)、市の公共施設と商業施設が入ります。

 いろいろ言われていますけど、単なるハコモノに終わらせず、良い方向でこの駅前ビルが成長していけるといいですね。

***午前1時20分のボヤキ
 この時間で本日のカウンタ「3」です。皆、フットボールに備えて寝てはるのか・・・

2010/06/11

いるもんですねぇ~・JR東海のICカード不正処理

 昨日6月10日付け中日新聞朝刊記事からです。第一面と社会面に掲載された記事によれば、JR東海のIC乗車券「Toica」若しくは他のIC乗車券を使って、不正に他社線乗車の入場情報を取り消して運賃支払いを免れていた例がこのところ出ておりますが、JR東海の全社的な内部調査により、既に判明している分を含めて85人に上ったとのこと。

 しかしいるもンですねぇ。数年前にJR西日本で、使用開始されたIC乗車券「ICOCA」で、入場の際に使用したICOCAを下車駅で、窓口備え付けの処理機で入場情報を取り消して、運賃の支払いを定期的に免れていたという「事件」がありました。その後はこの種のモノはなりを潜めていましたが、またぞろ出てきたようですね。あちこちの会社で。

 しかも共通しているのは、不正を行った社員の属する交通機関ではなく、共通使用を行っている他社線の運賃を免れている点。そりゃ確かに社員は自社線に乗れる職務乗車証がありますので、自社の運賃支払いには関係ありませんね。

 手口は極めて簡単で、JR東海と乗り入れている他社線の駅改札口を通り(ICカードに入場記録書込み)、連絡駅でJR東海に乗り換えて、JR東海の駅窓口備え付けの処理機で、入場時にICカードに記録された入場情報を消すという、社員しかできないけど極めて単純なやり方。そこで社内調査では、共同使用駅(乗り換え駅)の勤務経験者の聞き取りの他、機器の記録を調べて不正を確認したとのこと。

 このため対策として、駅員なら誰でも操作出来るICカード処理機を、駅長クラスなどごく一部しか使わせない方法も考えられているそうですが、これはどんなものだろう。窓口備え付けの処理機は何らかの事情で、お客さんに素早く対処する為に置かれたもの。それを社員の不正の恐れがあるという理由で使用に制限を与えるのは、やってはならないことです。

 実は私、三回この処理機のお世話になった事があり、うち二回は改札機通過の際に上手く読み取られなかったことで情報確認のために調べて頂きました。後の一回は今回の不正の手口の様な入場取り消し。これは入場したものの、運行が出来なくなって乗るのを止めた時です。

 ところで記事では「(免れた他社線の)運賃を全額弁償させた」とありますが、この場合の運賃算定方法はどうしたのだろう。ICカードの情報抹消でも改札機を通ったという事実は記録されている様子ですね。ICカードに限らず改集札機に関してはセキュリティの面で書けない事がありますし、私も全貌を存じ上げませんが、そんな記録でもないと算定できないと思うんです。そして乗車日と区間が分れば、その区間の普通運賃だけなのか、二倍の増運賃込みとなったのか、その辺りどうしたのだろう。小市民ですな。

2010/06/07

荒子川公園のラベンダー・今年は早かった

 名古屋市港区の荒子川河川敷にある荒子川公園。ここは名古屋市の緑地公園の一つで、ガーデンプラザという施設もあります。

 ここはラベンダーが有名で、クソ暑い名古屋の地でラベンダーが見られるんです。ただ北海道よりは時期は早めですけどね。そしてこの時期は荒子川公園でラベンダーフェアが行われており、フェア期間中の土日は演奏会があるということで、ランの館でお馴染みの演奏者さんが出られるこの5日に行ってきました。

 そもそもいつもの年よりは一週間早い上に、今年は春の低温傾向が大きく影響し、ラベンダーの成育はとても遅かったです。先ずは見本園から、「ホワイトフラッグ」という品種。

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 「アボンビュー」という品種。最初の三文字はドキッとさせられます。

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 見本園は他にも10種ほどの品種が植えられていました。花の時期はまちまちで、一斉に咲くことは無いそうです。

 見本園はこのぐらいにして橋を渡ってラベンダー園へ。でもこちらの花はまだまだ見ごろではありませんでした。上にも書いた通り、今年は成育が遅れている上に、例年ですと6月の中頃に訪れ、今年は一週間早かったです。

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 お花はまだこんなに小さい。

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 昨年の様子はこちら⇒2009年6月15日投稿分

 さて、一週早い5日に訪れたのは、クラリネットの浅井崇子さん、同じく牧野貴子さん、そしてピアノの平山晶子さんのクラリネット演奏会がありましたので。よくランの館で演奏なさるお馴染みの方々です。ガーデンプラザに隣接している日本庭園で演奏し、池を挟んで芝生広場などで演奏を聞けるという趣向。

 ただそんな事情でPAを使っての演奏でしたが、途中からPAを止めて生音で演奏なさったそうです。私は演奏者さんの後ろから聞いており、その変化はさほど感じませんでした。

 14時30分の回を聞き、曲目は日本の歌曲に流行歌など。誰にでも親しめる曲ということで選ばれたのでしょう。ここでいつもなら演奏曲もくリストを書くところですが、ガーデンプラザ内に掲示された演奏会の演奏曲を写真に撮ってメモするのは怠けたところ、これ11時30分の回のものだったようです。毎回演奏曲は変えて居たのでしょうか?演奏者さ~ん。

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 屋外の演奏は好いですね。ただ風で音が流されてしまうのは惜しいところです。でも「好いですね」なんて書いていますが、演奏者さんは陽の当るところで辛かったのでは?と思います。

 ところでここ荒子川公園は、名古屋からは大変便利になりました。貨物線の旧西名古屋港線(東海道本線の笹島・西名古屋港間線路)を旅客線化した名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線、長ったらしいですね、通称「あおなみ線」が通っており、隣に荒子川公園駅があります。

 荒子川を渡るあおなみ線。下の水面に近い橋は貨物線時代の鉄橋。今は人道橋として活用されています。

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 新しい「あおなみ線」の高架は、旧線路の真上に出来ているのではなく、水平位置で少しずれています。上の画像は港の方を向いての撮影。

 と、まぁこんな事情で、今年のラベンダーはまだ早かったです。もう一度見ごろ時期に行くか、それとも止めるか、どうしよう。ラベンダーフェアは13日まで、予定では直ぐに刈り取ってしまうそうですが、これだけ成育が遅くてはもう少し刈り取りを遅らせてくれるのかな。だったら見に行きたいところです。

2010/06/06

「放出」を読めますか?

 一寸した事から、このところ大阪市の「放出」なる地名に触れる事が多かったです。鉄道の話でも人の行方話でも。

 そもそも読めますか?「放出」。よくある難読地名の一つでそれも第一級の読み難さですけど、大阪から近畿一円の方には割と知られている名前ですね。

 人の行方話のことで、少し前こんな事ありました。私の知人の娘が結婚することとなり、新居構えられたと聞きました。そこでどこに住んでいるのか、地理好きの私は聞いてみました。

 私:「結婚おめでとう」
 知:「あ、私じゃない」
 私:「分ってまんがな。で、○○ちゃん何処に住んでるの」
 知:「大阪」
 私:「へぇ、大阪の何処?大阪は詳しいで(大阪だけやないけど)」
 知:「新大阪駅で降りて、何かの線に乗って、ほんで乗り換えて・・・・・・」
 私:「ややこしいとこみたいやね。区で言うと?」
 知:「鶴見区」
 私:「ハナテンか!」
 知:(目の色と直径を変えて)「何でアンタ知ってるの!」

鶴見区と聞き、テキトーに放出を言うてみたらドンピシャでした。それは私もビックリです。その知人、岐阜に住んでる方で、「放出」が読めなかったそうです。それを平気で私の口から飛び出したので、えらく驚かれました。そりゃそうでしょ。難読地名の代表格ともされますから。「爾志」などは漢字自体が難しい難読地名ですけど、「放出」や「及位」は漢字は難しくないですからね。

 私は「放出」は昔からなぜか読めていました。国電の片町線の駅ですね。国電とは古い。今はJR西日本の学研都市線です。国電で旧型国電の頃を知っており、なにやら飯田線に走っているような形状をした、それでもって扉が片側四つ、オレンジ色の環状線と同じ色で走っており、子供心に印象深かったです。

 その中でも片町駅電留線に停まっていた編成で「クハ79055」。73形の先頭車。貫通扉付きの半流線型で、元は戦前製のモハ43の制御車クハ58の半流線型車両。関西国電の流電と呼ばれた車両の増備で、流線型を止めて貫通扉付きの43として製造された車両の、後に改造された車両でした。その他にも貫通扉付きのクハ79など改造車のオンパレード。まぁそんな頃を知っていますので、片町、京橋、鴫野、放出、徳庵、鴻池新田・・・、と駅名は覚えてしまいました。

 しかし73系っていろんな形してましたね。旧63からの改造車、新製73、新製でも全金属の73、そして戦前戦中派国電からの改造車と、まぁすごいのなんの。さらにそれらの改造車もあって、系列を覚えるのに一苦労と同時に楽しかったです。

 ところで「放出」の語源はなんでしょうか。ちゃんとネットにありますね。引用するのも何ですので、リンクだけ張っておきます。大阪市立図書館のページです。
http://www.oml.city.osaka.jp/net/osaka/osaka_faq/67faq.html#67-200803-001

 ここにある説1と説4は少々解説が必要で、今は大阪市と堺市の境界を流れる大和川は昔は北へ向かって淀川へ流れていました。そして河内平野には湖が出来ていて、その下流部辺りがこの放出であったらしいです。

2010/06/04

上牧駅で新幹線と並走する阪急電車を撮ってみた

 阪急京都線。桑原征平さん的に言えば「新京阪」かな。阪急電鉄の主要な三つの路線でも、この京都線は生い立ちもゲージも異なり、神戸線などと比較すると微妙に違っています。あ、ゲージが異なるいうてもレールの幅ではなく、車両・建築限界の違い、線路敷地にある設備配置が微妙に異なるという意味でして。

 京都線はこれまで、ただ通り抜けるだけの乗車で写真を撮る機会が無かったので、5月のある日、新幹線と並走する上牧駅(かんまきえき)でカメラを向けてみました。新幹線と並走するシーンが撮れれば嬉しいかな・・・との想いを込めて。

 先ずは手始めに河原町行きの5300系トップナンバー車。京都線車両は新京阪からの伝統なのか、1番から始めていましたが、この5300系から神戸線・宝塚線車両と同様、0番からの附番となりました。

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 殆ど一瞬の出会い。東京行きの新幹線。風切り音がすごい。

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 梅田行き特急。9310で第11編成。最新車です。

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 河原町行き特急が通過するところへ、東京行き新幹線の並走・追い越し。

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 阪急の特急110km/h、新幹線270km/hでは自ずと勝負アリですね。

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 ちょうど最後部が揃ったところですが、コンデジですので咄嗟のズーム操作ができない。しかも新幹線は金網の向う。

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 特急通過だけで風がすごいのに、同じ方向に並走する新幹線で、一気に空気が押されるようでした。

 カーボン・ニュートラルトレイン摂津市駅号。3月の摂津市駅開業の記念列車。摂津市駅は環境に配慮した取組が優れ、列車運行により生じるCO2を実質的に0にしたという事でのメッセージ列車です。

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 8300系の準急梅田行き。神戸線・宝塚線(合わせて神宝線という)用の8000系と同じコンセプトですが、車体の幅が微妙に広いです。

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 新幹線の軌道。こんな写真、ここでしか撮れませんね。

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 この画像は、春、桜咲く頃にJR東海道本線から見える、山の中腹に桜の木がポツポツ白い花を咲かせる印象的なところです。阪急上牧駅のすぐ近くだったのですね。

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 約30分ほどここにいましたけど、新幹線と並走したのは上の画像の一回だけでした。この区間、阪急に乗っていて新幹線と出会うと嬉しいものです。何故か。どのくらい新幹線列車の風圧でこちらが揺れるか、これが楽しみだったりして。いや、阪急の梅田行きに乗っていて新幹線の東京行きがすれ違う時と、それはドキッとするほど揺れます。

 もう一つ小ネタ。昭和38年頃かな?新幹線の線路が出来上がったこの区間、新幹線の線路を阪急電車が走りました。上牧駅の高槻市駅側から大山崎駅まで阪急の線路沿いに新幹線線路を敷設し、その後阪急の線路を高架にする工事が行われ、その工事中に先に出来た新幹線線路を阪急線高架工事の仮線として阪急が走ったという事です。

2010/06/01

近代デジタルライブラリーの中から

 先週一週間、実は小生の足首関節に炎症を起こし、足首のひねりが一切利かず歩くのが大変困難な状態でした。自転車にはかろうじて乗れましたので近場には少し出ましたけど、杖ついてまで出かけるような場所は全てキャンセルでした。

 そこで時々は見ておりました、国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」。これをあれこれと見て、感動したり、「へぇ~」と驚いたり。あ、「近代デジタルライブラリー」とは、国会図書館の蔵書で、明治・大正期の資料をスキャンして、web上で閲覧出来るというもので、市町村合併の資料検索中に偶然発見しました。

 何しろ多くのものは一次資料で、誤字は稀にあるものの、東京まで出かけなくても良く、しかもネットに繋がっていれば(更に相応のブラウザがあれば)どこでも資料調査できますし、世の中便利になったものです。出来ることなら、日本の図書館所蔵の資料は、こうしたデジタル化行って頂ければ、資料調査行う際に「破損に気を付けて」なんてことはなくなります。

 さて、その近代デジタルライブラリから、こんな資料を見つけました。

  • 資料名 交通学問答
    編者 軍需商会編纂部編
    発行 軍需商会出版部
    発行年月 明43.5

 明治43年いうたら、ちょうど100年前の1910年。私設鉄道法で敷設された各地の(長距離の)鉄道が国有化され、ようやく日本の国土に官営の鉄道が整った頃です。その頃に発行された「交通学問答」。そんな時代に交通学なんて無かったと思いながらクリックして目次だけ見ると、「道路とは」とか「鉄道とは」とかあり、 本文を見てみました。

  • 問 道路トハ何ヲ謂フヤ
    答 陸上ノ交通ニ用ユル通路ヲ謂フノテアル

 なるほどね。そして続く「準線」の用語が出て、これ道路中心線の事だそうです。今も道路行政では「準線」というのでしょうか。他にも多くの問答がありますが省略して、次に鉄道編。

  • 問 鐵道トハ何ヲ謂フヤ
    答 鐵道トハ陸上ノ上ニ特別ノ軌道ヲ設ケテ特種ノ車輌ヲ運轉サスル交通線ヲ謂フノテアル
  • 問 軌條ニ依テ鐵道ヲ區別スレハ何種アリヤ
    答 一、單線軌道 二、複線軌道

 中省略して

  • 問 軌間ニ依テ鐵道ヲ區別スレハ何種アルカ
    答 次ノ三ツテアル
      一、準軌道
      二、廣軌道
      三、狹軌道

 この「準軌道」というのは、標準という意味で国際標準の1435mm軌間のことですが、我が国(日本)での準軌道は1067mmなのだそうです。今はこんな「準軌道」という言い方はしません。それにこれは発行所で分る通り軍事作戦用の資料で、当の鉄道で称していたのでしょうか。初めて目にした用語です。

 あと鉄道に関する問答が続き、続いて通信に対する問答、その後はなんと「道路の破壊法」「鉄道の破壊法」、物騒な章分けです。あくまで軍事作戦用で、「どうやって行軍させるか」の資料な様です。そして復旧法と続き、奥附と出版社の出版案内と続きます。

 しかし近代デジタルライブラリーで閲覧出来る資料は膨大なもの。愛知県(愛知縣ですね)発行の資料もあり、100年前の様子が手に取る、とまではいきませんが歴史の流れというおどろおどろしいものを感じました。

2010/05/29

京都駅の烏丸口は今は中央口なのだそうで

 京都駅烏丸口。改札を出ると、京都駅ビル内の広場を出ると、バス乗り場があり、タクシー乗り場があり、さらに向うのビルの屋上に京都タワーが見えるというあの改札口。

 最近、というより昨年暮れか今年早々に知ったのですが、実はここ「烏丸口」とは言わないのだそうですわ。今は「中央口」というのだそうで。何かの本か新聞記事だったのか、文章で読んで「へぇ~」って思っていました。かつては市内電車の乗り場もあり、街の中心部側に位置して「烏丸口」と親しまれてきたのですが、今の駅ビルが出来た際に称せられ方が変わったそうです。気がつかなかったというか、あそこは「烏丸口」だと頭から思いこんでたところもあるのでして。⇒JRお出かけネット

 烏丸口の「烏丸」とは南北の通りである「烏丸通」。そちらに面していて烏丸口と称していたのですが、考えてみれば(考えなくとも)烏丸通は、京都駅で分断されても、駅の南にも続いているのですよね。だから今の駅ビルが出来たときに、北側の烏丸通側へ向いた改札口を「中央口」と言うことになったらしい。

 でも今もって厳然と烏丸口は存在しています。JRでいう正式な名としては中央口でも、京都の人や以前から駅を使っている人には中央口よりも烏丸口の方が通りが良いですね。そんな正式にはこだわらないところが京都らしいといえば、そうなのかな。

 先般、このことをふと思い出して、烏丸口、いや中央口の写真を撮ってきました。画面向うに中央口改札があります。この位置で後ろを振り返ると、京都タワーが見えると言う場所。

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 こちらは中央口に位置する京都駅ビルの案内板。「JR線(中央口)」とあります。そして烏丸の「カ」の字も出てきません。やはり中央口なんですねェ。

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 思い返せば、私「烏丸口」だけではなく、「烏丸中央口」というような使い方していたかもしれません。駅ビルが出来たあと南北自由通路が設けられ、そこに改札口が出来ました。これ西口というそうですが、その頃から「中央」という文字を目にしていたような。

 その南北自由通路ですけど、通りでいうと大体室町通に位置します。なにか烏丸から室町まで距離がありそうですが、烏丸口、じゃなかった中央口が烏丸通というより少し西側にずれていますので、えらく離れていることはありません。あ、だから烏丸口をやめて中央口というようになったのだろうか?

2010/05/28

防護無線10km先まで飛んでいく

 走り梅雨のような天気が過ぎたかと思えば、何やら風強く気温も下がってきました。風薫る5月なのですが、上がったり下がったりで、中々大変な5月でもあります。

 この風薫る5月頃から暫くの時期は、地球を取り巻く電離層でも、普段より低いところで電離層が発生する事があり、スポラディックE層と呼ばれています。これ突発的に発生し、しかも濃く発生すれば放送電波や無線通信に大きく影響を与えます。また反射しやすくなり、遠隔地のFM放送が受信出来たりします。

 そんなスポラディックE層の影響ではないかと思われる現象が、27日朝大阪府でありました。ABCラジオのABC朝日ニュースで伝えられたり、夕方のネット上のニュースでも詳しく書かれています。それらによれば・・・。

 27日朝、JR西日本東海道本線(JR京都線)摂津富田駅付近を走行中の普通電車が、踏切内で人影を発見。ブレーキをかけると共に、近くの列車を緊急停止させる為に「列車防護無線装置」を発報(発信)しました。この防護無線は非常を知らせる信号波で、これを受信した列車は二次事故を防止するため、直ちに止まらねばなりません。

 この踏切での人影はどこかへ行ったらしく、普通電車にも線路にも異常が無いことから3分後に運転を再開しました。しかし発せられたこの防護無線。淀川を越え、遠く10km以上離れた片町線(学研都市線)にも届き、こちらでも複数の列車が受信したらしく約20分停車し、その影響で列車5本の運休を出して、1万人の足が乱れたという事です。

 これ、スポラディックE層の影響でしょうか。防護無線は通常は半径1km程度に届くようになっているそうですが、実際には半径3kmぐらいは届いているようです。私のこれまでの経験では。

 結局、原因側である東海道本線(JR京都線)は状況が掴め、直ぐに運転再開できましたが、遠く離れた片町線(学研都市線)で却って運転再開が遅れ、列車運行が乱れたのは、なんとも皮肉に感じられます。自然現象なので止むを得ないとは思いますけど。

 このスポラディックE層による遠くまで届いてしまった防護無線は、こちら愛知県でも起きており、稲沢市走行中の東海道本線列車から発報、それが10~15km以上も離れた春日井市の中央本線にまで達した事がありました。やはり季節は初夏から夏にかけての頃でした。

2010/05/20

223系のブレーキハンドルが壊れた!

 本日の中日新聞社会面記事からです。いわゆる三面記事。JR西日本の東海道本線(JR琵琶湖線)で、駅を発車しようとした電車のブレーキハンドルが、付け根の部分でポッキリ折れてしまいました。

 記事では19日午後2時ごろ、篠原駅を発車しようとした網干行き電車のブレーキハンドルを戻したところ、付け根からポッキリ折れ、電車を停車させて運転取止めとなった、ということ。時間からして当該は、米原駅13:30始発の785T列車、網干行き。車両は223系で運用番号も偶然「A0223」運用の8両編成列車。

 このニュース、実は昨晩のうちにネットのニュースで知りましたが、何故か中日新聞にも写真入りで掲載されました。見事にポッキリ折れています。

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 破断面を見ると、直径の2割ほどで線が入っており、ここで大きな応力がかかった感じ。つまり金属疲労によるものでしょうね。発車時のブレーキ緩解(かんかい=緩める事)で力一杯戻していて、それが繰り返されることで破断に至ったと思います。人によっては思いっ切り力いっぱい「ガチャン!」と戻す方、いますからね。

 電車(に限らず鉄道の列車)は、駅停車中は転動防止のためブレーキをかけておきます。そして発車の際に、ブレーキを緩めてノッチ(加速のレバー)を入れます。ちなみにこの車両のブレーキハンドルは右手で操作します。

 新聞記事をもう少し続けますと、発車する際にブレーキを緩めたところ折れてしまい、電車は140m先で停車。中日記事にはありませんでしたが、昨晩のネット上での記事では、ブレーキハンドルの折れた付け根部分に指をあてがい、付け根をブレーキ位置にもってきて停まれた、とありました。

 そして列車はここで運転中止。乗客は後続に乗り換えた、ということですが、ここで私の疑問。このブレーキが折れた785T列車はどう処置したのでしょうか。篠原駅はいわゆる棒線駅で車両を収容する側線がありません。先頭車はブレーキハンドルが折れているので運転できず、後部運転台からの推進運転としたのでしょうか。推進運転となると速度は25km/h以上出せず、後続列車にも大きな影響を与えます。記事では最大35分の遅れが出たとあります。

 しかし不幸中の幸いというべきなのか、篠原駅の次は野洲で、ここは車庫のある駅。車両収容まで短い時間で済んだことで影響が最小限に抑えられたと思います。

 画像は記事とは関係ありませんが、223系電車。

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建て替え後の名古屋ターミナルビルにはJR高島屋出店

 本日の中日新聞朝刊一面記事からです。このブログで何度か書いてきたJR名古屋駅の名古屋ターミナルビル建て替え。新しい名古屋ターミナルビルには、現在セントラルタワーズに入居している、「ジェイアール名古屋高島屋」が増床する形で入居すると、昨日発表があったそうです。

 新しい名古屋ターミナルビルは・・・建て替え後も「名古屋ターミナルビル」と称するかは未定です・・・こちらの記事の通り当初計画よりも低くなっており、高さ約220m、地上46階建ての建物。1階~14階の商業施設部分にJR高島屋が、また名前は発表されていませんが、大型家電量販店も入るのだそうです。

 商業部分は、現在は松坂屋名古屋駅店が入っています。しかし新しいビルには賃料などで折り合いがつかず、結局撤退することとなったのも何度か書いており、おそらく高島屋以外の百貨店は何処でも賃料で折り合いがつかなかったのでは。JR東海とすれば、JR高島屋以外の百貨店はある意味、競合相手になります。

 また新しいビルの中身ももう少し明らかとなり、ホテルは19階~25階で客室数約350。オフィス部分は29階~44階。他に保育移設、医療・健康施設もはいるとのこと。そして私にとって一番の要である、バスターミナルは1階となります。新聞記事では「市バスターミナルが1階に入る。」とあり、あれ?JRバスは入らないのでしょうか。名古屋市バスもこの先系統削減が予定されているとも聞きますので、現在の市バス2階とJRバス1階の規模からは大きく縮小されることでしょう。

 名古屋ターミナルビルの今後は、松坂屋名古屋駅店が8月末をもって閉店。その後バスターミナルの撤退・駅前路上のバス停設置。そして12月から建物解体。新ビルは2012年に着工し、2016年の完成を目指します。

2010/05/17

報道公開されたJR西日本225系電車

 今日のwebでのニュースから、JR西日本の新型車両225系電車が報道公開されました。今まではイメージ図だけの世界から、はじめてその姿が見えました。

 225系は5年前に起きた、福知山線塚口での事故で、衝突時における先頭車の衝撃を、車体上部へ逃すような構造にするなど衝撃性に強い構造となっており、また車両内部で立ち客の安全を考えて、吊革の数を従来車の1.5倍にし、また大型化、さらに黄色系統の目立つ色になっています。

 さて、画像を見ての正面の印象です。中央貫通路の両側に運転台を設け、その運転台を高くすると、どうしても同じような正面の形になって仕舞います。特にこの225系は運転士側だけでなく助士席側(今は運転助士はいませんが)も高くなっており、一時代前のような印象。塗装を車両下部に向けて半円のようにデザインされているのは、例えば京阪の新塗装のようで、今流のデザインなのでしょうか。

 まだ車両内部から見た正面の画像がないので何とも言えませんが、私の好きな「正面かぶりつき」はどうなのかな。今の221系・223系よりは眺望範囲が狭くなりそうですが、国鉄時代の113系よりは前が見やすそうに感じます。

 実はこの助士席側も窓が高くなったのは、「飛び込み」対策もあるのではないかと思います。「飛び込み」ってなんぞや?ですが、ホームから人が落ちて(降りて)、それが車両にぶつかるとガラス突き破って車内に入ってくるんです。運転士側はまだ窓が小さいので確率は低くなりますが、助士席側は後部の客室仕切りも大きなガラスですので、これを突き破って入ってくる、考えただけでもゾッとすることがこれまで数回起きたそうで、正面ガラスには遮光も兼ねた強化フィルムが貼られています。

 暫くして落成、試運転を行って今年中には営業に入るのでしょうか。来年には新快速がオール12両編成になりますので、この225系も運用に入ることでしょう。新車の引きが弱い私、上手く遭遇出来るかな。

2010/05/15

肉焼く香り・韓国の香り・鶴橋

 まだ先程の話。NHKラジオ第一放送、土曜午後はJOBKでお馴染みの「かんさい土曜ほっとタイム」。関西のノリでラジオ番組を全国に提供するほぼ唯一と言って良いのかな、NHKらしく押さえ気味と午後3時台のぼやき川柳が好評とあり、全国的に人気で何年か前に毎週土曜日放送となりました。

 14日放送の午後1時台前半、今週はオススメ関西ガイドがあり今日は大阪の鶴橋。JR大阪環状線に近鉄線、それと大阪市営地下鉄千日前線が交差し、駅周辺には鶴橋商店街が広がるというここ鶴橋は、とにかく大阪でも一・二を争うほどのエネルギッシュな街。そしていわずと知れたコリアタウン。

 鶴橋の商店街は環状線と近鉄線の交差から主に南東方向に広がりますが、一部北へ西へも続き、生野区の他、天王寺区と東成区に続いています。

 放送で言うてましたが、焼肉の街ですねぇ。いや別に焼肉だけではないですけど、鶴橋商店街の多くは韓国系のお店で、飲食店もそちら方面の店が多く、肉焼く香りがあちこちムンムン。この街の香りは一種独特ですね。昼間はそれほどでもないですけど、夕方になるとまぁ凄いのナンの。環状線でも近鉄線でも鶴橋に着いてドアが開くと、焼肉の香りが漂ってきます。いやこれ誇張でもなんでもなくて、事実なんですね。ホームで電車待っていると、正直あの香りがきついと思う事もあります。

 鶴橋商店街。商店街というよりむしろ市場に近いかな。大阪環状線の二つある改札口を抜けるとそこは商店街の中。北側の改札口はまだJRの敷地で観光ポスターもありJRの管理区域と分りますが、近鉄と共用の南側改札口は、もう両側が商店街そのもの。しかも薄暗く、初めての時は躊躇したな。しかしもっと商店街の中なのは、近鉄の東改札口。

 近鉄東改札口のある近鉄敷地はごく普通ですが、一歩出ると狭い狭い市場の中。しかも通りは薄暗く、樽に一杯の김치(キムチ)を幾種類も山盛りにして売っていたり、고츄카루(唐辛子粉)、옛날 탕면(春雨・湯麺)の袋が並び、라면(ラーメン)と돌김(岩海苔)は私でも買って行けそう。他にも한글(ハングル)が並ぶそんなお店が続いています。そしてアチラ語の会話が聞こえますが、方言訛りがきついですし、聞きとるのは無理でした。

 幅2~3m程のそれこそ市場内を行くようですが、この狭い通路もれっきとした公道。つまり道路法と道路交通法の適用対象ですが、そんなのお構い無しですね。自動車は勿論のこと自転車通行禁止の標識があり、規制対象となっていますが、平気で自転車来るんですね。そもそも道路幅2~3mの両側に建物があるところ、現在では建築が許可されず、元が戦後の闇市から始まっており、建物の新改築はできなくて昭和20年~30年代から姿は大きくは変わっていないと思います。

 大阪環状線と近鉄線の乗り換え駅ですが、いわゆる乗り換え駅にありがちな百貨店などはここには存在せず、この両線の鶴橋駅は街との境い目の改札口より、乗り換え改札の方が遥かに大きいです。

2010/05/13

栄生駅で名鉄電車を撮ってみる

 私が名古屋市へ出向く際は、往路は大抵JR東海の東海道本線を使います。庄内川を渡り、名鉄線が近づき、その線路が増えて名鉄病院が左に見えるとそこは栄生(さこう)駅。

 その栄生駅ホームの名古屋駅方端っこでよくカメラを構えている方をお見かけします。そこはすぐ南(名古屋方)は下に道路が通るガーダー橋で、撮っている様子を見て「あんなとこで写しても、下が(床下の意)が写らんやろ・・・」と思っておりました。

 そこで、先日庄内緑地公園へ出かけた際、名古屋駅を寄らずに一宮から栄生駅乗換えで直接中小田井駅へ。そこで栄生駅乗り換え電車待ちの間、モノは試しとこのホーム南端で名鉄電車を写してみました。その結果です。

 豊橋駅へ向かう特急。1200形。右上に見える建物は、ルーセントタワーとJR東海のツインタワー。

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 鵜沼行きの急行。3150形。このタイプの車両は私、嫌いです。なんでクロスシートとロングシートやねん。それに側壁上部が折れ曲がって圧迫感を覚えます。

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 こうやって写してみますと、下まわりを諦めれば、車体は充分写せますね。ただ角度から正面(後面)ばかり目だってしまいます。まぁ「こんな列車が走る」といった程度でしたら充分でしょうね。

 さて隣はJR東海の東海道本線。これはシャッター押したタイミングが悪く、もう少し手前に引いてもよかったですが、それでも手前のガーダー橋がうるさく(音ではなく絵ヅラで)、ここではNGですね。

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 この日の栄生駅滞在時間(つまり乗り換え時間)は約10分。撮影する意思が無ければ名古屋駅まで乗るところでした。

 ちなみに名鉄一宮駅~中小田井駅間の乗車の様に、名鉄本線~犬山線の乗車は、分岐点経由で運賃計算をします。そして東枇杷島駅が乗車区間の接点となりますが、急行以上の列車に乗車した場合は、東枇杷島駅~名鉄名古屋駅間の区間外乗車が認められています。

2010/05/11

名古屋市バス徳重支所停留所にもっとバスを停めて

 先ほど名古屋市の自動車図書館(移動図書館)の事を書きました。徳重のことについて思い出して、続編です。

 名古屋市図書館自動車館は、一旦は廃止が決まりました。その理由の一つともされた徳重図書館の開館をあげており、その徳重図書館が入った「ユメリア徳重」が連休明けの5月6日、開館しました。

 ユメリア徳重。これ公募で神奈川県の方が名付けられたそうですね。鳴海町字神沢と字徳重地区の山林を切り開いて、と書くより、建設中の地下鉄6号線(桜通線)の徳重車庫設置工事が行われ、その地上部にユメリア徳重他、民間の商業施設が今後出来るそうです。

 ここ、バス停でいうと緑黒石と徳重のほぼ中間。この間のバス停間隔は営業キロベースで0.8kmと少し長い区間。暫く前まではこの間は山中を走る区間でしたが、変われば変わるモノですね。私、緑黒石停留所が出来た頃にここへ行ったことがあり、しかも夜、その寂しい光景に驚いたことがあります。しかしもっと驚くべくはその後の変遷ぶり!。

 そんな徳重支所の場所、5月6日にバス停「徳重支所」が設置されました。緑黒石~徳重間のバス停新設なのですが、何と停まるのは、地域ローカル系統である位置付けの「緑巡回1系統」と、それの朝夕版である「大高12系統」のみ。二箇系統ですけど、運行する時間が違うだけの同一系統。他に原12・原13・野並12系統、それと出入庫系統が通りますがこれらは停まりません。徳重支所停留所の南西側に住宅が広がっており、停めても集客効果は充分あると、私は判断します。

 ところで名古屋市営地下鉄桜通線徳重延長区間の終点駅「徳重」は、この徳重車庫の隣に設置されます。つまり徳重交差点までは行かないわけで(レールは延びている)、平面的には地下鉄徳重駅最寄バス停は、徳重支所ということになりそう。

 しかし地下鉄徳重駅出入口が一つは徳重交差点北西詰めのJA支店そば、もう一つが件のユメリア徳重そばで、駅構内の規模に比べてえらく不便な駅なようです。尤も、桜通線などここ最近の駅は何処でも出入り口が少ない上に、桜通線は土曜休日の運行回数が少なく、心理的に不便な地下鉄である事には変わりません。

 ユメリア徳重の場所はこちら。画像ほぼ中央です。その中央やや左下の道路下に徳重駅。ユメリア徳重の南に隣接して、バス発着場らしきが設置されます。

大きな地図で見る

2010/05/07

関西を代表する鉄道は「阪急」・ABCラジオ粋も甘いもで

Img_0004  ABCラジオ「桑原征平粋も甘いも」からです。略して「粋甘」。木曜日の粋甘では午後1時過ぎに「関西人の常識2010」のコーナーがあり、毎週研究テーマ(お題)を設けて関西人の常識をお便り募集で認定する、ちょいと面白いコーナー。

 4月29日放送分は「関西を代表する鉄道と言えば」でした。この回は放送聴けませんでしたが、阪急と南海が同率一位となったそうで、翌週5月6日放送(つまり昨日の放送)でこの阪急と南海で決戦投票がありました。これは聴きました。

 南海沿線に住みながら阪急に一票を入れた方、阪急は駅や車両が綺麗だから一票の方、南海は海が見えるところを走るから一票、南海はこうや号・りんかん号・ラ・ピートが走るから一票、阪急は揺れないから一票等々、キーボード打つ手を休んで(止まって)笑いながら聞かせて頂きました。皆様いろいろ思いがあるのですね。

 そして投票結果(お便り数)は、
   阪急 41票
   南海 22票
と、思いのほか大差がついてしまいました。いや、阪急だろうとは期待を込めながら予想はしていましたが、それでも僅差であろうと思っていました。でもこんなダブルスコアに近かったとは。阪急が選ばれて、阪急ファンでありちょくちょく乗る私としては嬉しい限りです。

 お便りにあった「南海は最古の私鉄」というのは、現在の南海電気鉄道を構成する路線のうち南海本線の一部は、JRの路線以外では関西で一番最初に開業した線路、つまり関西私鉄最古の路線でもあります。1885年のことで、堺と浪速を結ぶ鉄道路線として敷設されました。

 阪急電鉄は1910年の箕面有馬電気鉄道による梅田~宝塚間開業から、沿線の文化創造に育んできました。これも創業者の誘客対策なのですが、明治の後期から昭和の初めにかけて、この地域に花開いた「阪神間モダニズム」の文化は、阪急の影響もあっただろうと思います。

 さて、来週の粋甘木曜日「関西人の常識2010」研究テーマは、「トマトは何を付けて(かけて)食べるか」です。私は塩かドレッシングかな。オリーブ油もよく合いました。

2010/05/06

だんじりが渡る阪急神戸線踏切

 このエントリは、昨日の記事「本山だんじりまつりパレード・今年は東灘区制60周年」の続きです。本山だんじりまつりのパレードが終わったら、各だんじりはそれぞれの地区へと巡行しながら帰って行くわけですが、中には線路を越えるだんじりもあるわけでして、その一つ、田辺区のだんじりが阪急神戸線新梅林踏切を渡ります。

 これ又毎年の事ですが、その模様を写してきました。昨年は踏切からでしたが、今年は岡本駅ホームからです。

 パレードの進行が遅れて、想定した時刻よりもだんじりが来るのが遅かった。そこでだんじりが来るまでしばし電車の撮影。8000系のトップナンバーです。阪急では0番より番号を始めています。

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 暫くして、だんじりの囃子が聞こえてきました。近づいています。待機していた阪急の運転係員の一人が、梅田方へ歩いて行きました。4トンもあるだんじり故に、通行中に万一のことがあれば、列車を止める手配をするためです。画像ではまだ途中で、向うに見える踏切まで移動しました。

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 梅田発神戸方面行きは高速で踏切に進入しますが、逆方向の神戸発梅田行きは岡本駅では全て停車するため、駅において抑止出来るということでしょうか。

 そして踏切にだんじりの先陣が到着。引っ張る綱を外しています。

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 走る電車を見送って。

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 綱と共に子供たちを先に渡らせます。

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 そしてだんじり本体が踏切まで接近。屋根方が降りているところ。だんじりは田辺区。

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 電車一本見送っただけで、一発で踏切を渡るOKが出て、いざ発進。画像奥に梅田行きの後尾が見えています。

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 真ん中まで来たところ。踏切左手にはギャラリーが大勢見ています。

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 無事、踏切を渡り終えました。この間、20秒。遮断機が上がってだんじりを動かし始めた時からは25秒ほど。もう少し進んで又屋根方が屋根に上って巡行を続けます。ちなみにここからは坂道です。

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 ここ阪急の新梅林踏切は複線だからまだいいのですが、JR東海道本線の摂津本山駅東側にある田辺村踏切は複々線ですし、駅の島式ホーム近接で軌道間隔が広く、だんじりを渡らせるのはとても大変です。

 というわけで、だんじりが通るコースにはこんな注連縄が張られ、御神灯が提げられています。

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 これ見ると、春から初夏へと移っていく季節の変わり目だなと感じています。

2010/05/04

日本の新幹線鉄道技術はそれほどいいのか

 昨晩、珍しくテレビニュースのチラ見でしたが、11ch(名古屋テレビ)と3ch(NHK総合)で、ベトナムへ日本の新幹線を売り込みに、鉄な国道交通大臣が出かけていったそうですね。

 11chは古舘さんの番組で、大岡越前を見終わりVTRを止めた時にたまたま映っていたのがベトナムの鉄道。まぁ雑誌の海外鉄道情報で見てはおりますが凄いですねェ、市街地の線路。「線路まで家が迫っている」という言葉がありますが、それでも日本では道路ではない線路側に玄関を設けるなんてまずあり得ませんが(例外あり)、ベトナムのそれは線路側が玄関で線路が道路の如く、住居空間の中に列車が走る様。そして停車場ではホームに玄関がある御宅が並んでいて、京福電鉄の嵐山本線太秦広隆寺駅にそんな様子が見られます。

 ま、ベトナムの鉄道は兎も角、日本の新幹線を、JR東海が、車両メーカーが、そして政府がいろいろ売り込んでいるニュースがよくありますけど、こんな事書くと石ぶつけられるかな・・・、日本の新幹線ってそんなにいいものなのでしょうか。

 いや日本の新幹線技術は、車両の技術も、運行を管理するシステムも、そして軌道・土木技術も世界一であります。ただこれは日本の厳しい輸送条件、特に東海道新幹線の輸送を満たすべく鋭意努力したもので、世界の何処にでも必要だとは思えないのですね。

 日本の新幹線列車は動力分散方式、平たく言えば「電車」であり、16両編成中何両かはモーターの無い車両がありますが、編成中の各車両にモーターを配する方式。一方で諸外国の多くでは長距離の列車は動力集中式、いわゆる機関車方式です。フランスの高速鉄道TGVも見かけは電車みたいですが、編成両端の車両は動力車のみ。

 動力費は、編成長にもよりますが、動力集中式の方が概して安いです。しかし日本では折返し駅での線路不足があったり、加速・減速度を高めたいという要求があったりして、機関車方式よりも電車方式が多く取り入れられて来ました。新幹線もその延長上にあります。

 そしてこのような緻密ダイヤ、3分毎に270km/hの列車を走らせ、加速・減速度も毎秒2km/hなんて高速列車を走らせられる技術は、世界の多くではオーバースペックではないのかな。米国ではワシントン~ニューヨーク間などでは有ってもいいかもしれません。テレビにあったベトナムでは、国土の発展で高速鉄道は必要でしょう。でもそれは日本方式ではなく、フランスのTGV方式やドイツの方式も考えてみたら如何と、ニュースを見ての感想でした。

2010/04/29

関西の鉄道と言えば・粋も甘いもで放送予定

 ABCラジオで水曜日と木曜日の午後は「桑原征平・粋も甘いも」が放送されています。人気番組で今年4月の改編期ではそれまでの毎週木曜日だけだったのが水曜日も加えられ、週二回の放送となりました。

 その昨日水曜日の放送終わりがけに、「明日の予告」として木曜日放送分(つまり今日)の告知があり、午後1時過ぎにあるコーナー「関西人の常識2010」、本日放送のお題は「関西の鉄道と言えば・・・」だそうです。「関西を代表すると思う鉄道をリスナーの皆さん挙げてください」で、鉄分が少しある征平さんらしい企画。

 恵理ちゃん(水曜日のアシスタント:小川恵理子)はえちぜん鉄道ならぬ、現在の居住地近くを通る近鉄、征平さんは生まれ育った西院を通ることで阪急、それも京都線をあげておられました。

 私だったら、やっぱり阪急ですわ。阪急いちおし、それも神戸線。神戸線は単によく乗りますし沿線風景がお気に入りだけの理由ですが、阪急という会社、関西は関西でも北摂地域の文化を創り上げた会社なのです。よくぞあれだけ沿線の文化を創造したものと、その沿革には大変興味ある会社です。

 一方で和泉を走る南海。かつての南蛮貿易で馳せた堺商人に端を発する文化のもと敷設されまして、社風にはまだその頃の重みのある名残りが見られます。ただ経済の歴史深いことからなのか、阪急ほどに沿線の文化創造の影響力があったわけではなさそうです。

 近鉄。これはただ大きいだけ。複数の鉄道会社が合わさって今の近鉄があり、線毎にはそれぞれの沿革があるので、十把一絡げでは話せませんね。神社仏閣への参詣鉄道が多くありました。

 京阪。こちらも阪急ほどではないですが、沿線の文化創造に育んできました。京と大坂を結ぶ淀川水運の上に成立った会社で、地味に発展して来た印象がある様に、技術は堅実なところがあります。

 阪神。これはどこか名鉄にた印象がありますかな。沿線の方々に電車に乗っていただく動機を与える営業はようく似ています。名鉄が行楽地に対して阪神は、あの職業野球。いや阪神も少しは沿線の行楽地開発をやってきました。

 最後にJR西日本。当然関西では最大の企業さんですが、所詮はJRグループの一員。国の国鉄分割民営化政策で誕生した会社で、地域密着をうたいながらその実、向いている方向が一寸違う様に感じられるのは、私だけかもしれません。

 こんなことこのブログに書かずに番組に送ったらどうだと云われそうですが、今日の粋甘、多分聴けないんです。それにブログですと後々読んで戴けると思いますしね。

2010/04/25

異常時訓練中・尾西線森上駅で

 昨日、名鉄尾西線森上駅を電車から降りたら、駅舎側1番線にいつもの通り赤い6000系族4両編成が停車中。でもなぜか駅舎に近い所に止まっています。

 ホームを降り、構内踏切を渡るところで留置中の電車を見ると、運転台に「異常時訓練」の方向板が。あぁ、なるほど、訓練中なのでした。

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 この鉄仮面タイプの6500は、車両正面に方向板をはめる枠が無いので、車内からぶら下げられています。同じ尾西線でも、一宮⇔玉ノ井間の折返し運用に入ると、こんな感じで方向板がぶら下げられます。

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 何の訓練していたのだろう。時々「チン!  チンチン!」と乗務員間の呼びだし合図のような音が聞こえていました。異常時ですので異常時の訓練ですね。当たり前やけど・・・。森上駅で時々こうした訓練があるようで、私が見るのは二度目。前回は訓練が終わった所で、参加者が電車の前で並んで撮影でした。

 この森上駅は、土曜休日ダイヤでは1番線に4両組成の留置車が止まっていたかと思いますが、一時的にダイヤを変更したのか、この留置車を訓練に用いたのか。留置車は奥の車止め一杯に押し込めますが、訓練中は営業用の4両停止位置で停めるんですね。

2010/04/22

地名と常用漢字

 何日か前の新聞にありましたけど、我が国の文化審議会漢字小委員会は、常用漢字表に追加する文字を、試案の通り191字とすると決めたらしい。新聞自体が片付けられてしまって、ネットのニュースを見ながらの文章ですが、その追加された文字が一覧表として掲載されており、その多くで地名として用いられている漢字です。

 例えば「岡山」の岡。これ常用漢字ではなかったのですね。でも人名用漢字には入っていて、今度参議院議員に立候補するらしい探偵!ナイトスクープの秘書さんもこの文字が使われています。

 常用漢字というのは、1981年にそれまでの当用漢字に代わって、日常用いられるであろう約2000字ほどの漢字を指定したもので、1947制定の当用漢字とは制限が緩やかになっています。ですので、こうした私的な文章では常用漢字以外のものも使用できますが、新聞や公的機関で用いる漢字は常用漢字表に従っているらしいです。

 しかし土地の名前、つまり地名に用いられる漢字に常用漢字表外の文字があるんですね。いや、以前から知ってはいましたけど、改めて追加される表を見て、「常用漢字って一体何?」と思えてきました。上に書いた岡山の「岡」。大阪の「阪」。木曽の「曽」。いずれも人名漢字表には入っていますが、もう誰もが知って地名として親しんでいる文字ですね。なぜ広く地名として用いられている文字がこれまで常用漢字に入っていなかったのだろう。少々違和感を覚えます。

 でもこの違和感、私が地理ヲタだからかもしれません。そのほかさっと見たところ、嵐、阜、弥、藍、勾・・・あとメンドクサイ。これらの漢字で直ぐに地名が思い浮かべられます。

 経営が青息吐息の名古屋臨海高速鉄道あおなみ線。ここの終点の駅は「金城ふ頭」という名前です。勿論名古屋港13号地金城埠頭のことですが、埠頭の「埠」の字が当時の当用漢字表に入っておらず、地名を制定するにあたって「金城ふ頭」としたことから、後に開通したあおなみ線の駅名も「金城ふ頭」です。こうしか漢字交ぜ書きはあまりみっともいいものとは思えないのですが。

 埠頭の駅については、神戸市の神戸新交通ポートライナーは、中埠頭駅、北埠頭駅という駅がありますが、埠頭を漢字でそのまま表記する一方、同じ頃に出来た大阪市のニュートラムは「中ふ頭」駅とこちらは交ぜ書きです。

 名古屋市でもう一つ、昭和区の鶴舞線に「いりなか」駅があります。ここはバスの停留所は「杁中」と漢字表記。「杁」の字が常用漢字に無いため、「いりなか」と表記したと後々に担当者から聞きました。先程の13号地金城埠頭ですが、かつてこちらに市バスが走っており、その際の停留所名称は「金城埠頭」でした。名古屋の市バスは常用漢字に対して緩やかなんでしょうかねぇ。

2010/04/16

名古屋市と名古屋鉄道のICカード乗車券は「manaca」

 本日の名古屋鉄道(名鉄)ニュースリリース及び名古屋市交通局のお知らせからです。名古屋市交通局と名古屋鉄道などが参加するトランパス協議会で、今年度末に導入を予定しているICカード乗車券について、その名を「manaca」とするなど、カード名称とカードデザインが発表されました。

 「manaca」か。「まなか」と発音するらしい。最後は多分「・・・ca」となるだろうとは思っていましたが、本当に「・・・ca」でした。cardのcaでしょう。

 「日本のをつなぎ、くらしのをつなぐICカード」

これが名称の由来です。私の友人(女性)にえらいマナカナファンがいまして、「manaca(マナカ)」の文字を見て、直感的にマナカナを連想してしまいました。

 かつての名鉄だったら「panorama(パノラマ)」を押し出していたかも知れませんが、ここ5年ですっかり社の体質が替わり(変わり・・・か?)、堅実な地理的位置関係を前面に出したようなネーミング。また名古屋市交通局だと「yurica」になるかな、と昨年4月1日ネタにさせて頂きましたが、名古屋市だけのカードではないので、堅実に位置的なものをモチーフとするのが妥当なところでしょうか。それに名古屋市では「にっぽんど真ん中祭り」がありますしね。

 「manaca」の導入社は、名古屋鉄道(名鉄)、名古屋市交通局(地下鉄とバス)、名鉄バス、豊橋鉄道(バスはどうなのか?)、名古屋臨海高速鉄道、名古屋ガイドウェイバスです。最後の名古屋ガイドウェイバスは磁気カードの共通システム「トランパス」には入っていませんが、今回ICカードには入る事となりました。

 岐阜バスのICカード「ayuca(アユカ)」は入っておらず、こちらも入れて欲しかった。私未だにayucaを持っておらず、理由として一つは岐阜へ行くことは少なくなったことと、将来の名鉄などのIC化でICカードを増やしたくなかったことです。

 カード発行会社は、名古屋鉄道、名鉄バス、豊橋鉄道が「名鉄ICカード(株)」、名古屋市交通局、名古屋臨海高速鉄道、名古屋ガイドウェイバスは「(株)名古屋交通開発機構」で発行し、名称は勿論、デザインも共通のカードを発行します。

 さてこの先、個人的にはどんな機能が付くのでしょうか。差し当たって名古屋市の一日乗車券。関東の「PASUMO」にはバス乗車に一日券機能を付与出来る社があるそうで、それが「manaca」にもあるのか。また定期券機能は?。「PiTaPa」のようなユーザー指定区間割引になるのか、定期乗車券が付与されるのか。この先オイオイ分ることとなります。

***4月19日追補
 豊橋鉄道(株)のバスについては当面車載器を設置せず、manacaは使えないことが分りました。またコメントにもある通り、藤が丘~八草間のリニアモーターカーである愛知高速交通(通称:リニモ)は、今回は導入しないとのこと。

2010/04/11

山の街で神鉄電車と桜

 この東海道ラインの平地では、桜は見頃を過ぎつつあり、一寸した風でも花びらが舞うようになっています。でも少し標高が高いとまだまだ見頃。

 昨年も同じ場所で撮影しましたが、神戸市北区緑町の神戸電鉄有馬線。50‰(パーミル)の勾配と向きを120度変えるほどの急カーブ。ここには線路沿いに桜の木が植わっており、カーブ・高低差と中々良い被写体ということで10日、森林植物園の後に桂木まで移動した際に写してみました。最寄駅は山の街駅で、上下列車がここ付近ですれ違うことが多いです。

 山の街駅を発車した三田(さんだ)行きが電車が50‰の勾配を下ってきます。

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 その見送り。

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 反対側の新開地行きが50‰を登ってきます。また3000系ですわ。全電動車で神鉄電車は登山電車でもあります。

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 13分後。上の地点から100mほど向うの場所。思いっきり傾いていますねぇ。フェンスの上をカメラ持ち上げて写してます。

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 最初の場所から徒歩1分かからず。頻繁に電車来るなら兎も角、15分に一回上下電車がすれ違うダイヤなので、写す電車が来るまで身の置き所に困ってしまいました。

 森林植物園への連絡バス発着する北鈴蘭台駅から神戸北町の桂木までは徒歩で移動しました。歩く道中、結構楽しいですよ、標高差がしっかりありますし。

2010/04/07

阪急電鉄線一部廃止へ・・・書類上ですが

 このところバタバタして、あまりあちこちのサイト訪問をしておりませんでしたが、先月に阪急阪神ホールディングスより3月30日付で「神戸高速線における鉄道事業許可の変更について」と題して目を引く内容の発表がありました。

 つまり阪急電鉄他二社が神戸市内の神戸高速東西線を第二種鉄道事業として運行していますが、このうち阪急電鉄の第二種鉄道事業区間のうち、休止中の西代~新開地間を廃止するというもの。

 以前は阪急電鉄も神戸高速線を経て山陽電鉄の須磨浦公園駅まで乗り入れておりましたが、阪急は8両編成なのに対して山陽電鉄は6両編成までしか入れず、山陽直通の列車は阪急神戸線内も6両で運行しており、編成車両数が少ない分だけ車内は込みあって、私としては少々不満でした。

 そこでもう10年ほど前になるかな、ダイヤ改正で阪急から山陽への乗り入れを止め、阪急神戸線では全て8両以上の編成で運転出来る事となり、以来夏の臨時で数度阪急車が須磨浦公園まで乗り入れたことはありましたが、これもかれこれ10年近く無く、西代~新開地間は事業休止となっていたそう。

 また同時に文書に記されていますが、山陽電鉄の神戸高速線内第二種鉄道事業区間の、西代~元町(阪神元町)間も事業廃止ということで、なにか事情があったのでしょうか。こちらの方がニュースとしてはむしろ大きいと思います。この区間、阪神電鉄の第二種鉄道事業は存続しますので、廃止実施日以降は、神戸高速東西線を走る山陽電鉄車両は、阪神電鉄の第二種鉄道事業として運行するみたいです。つまり阪神が山陽から車両を借りるという形。第二種鉄道事業は他者の線路設備を借りて運行する形態の鉄道事業をいいますが、車両も借りることは制限しておらず、可能です。

 これら阪急電鉄神戸高速線西代~新開地間の事業廃止、及び山陽電鉄神戸高速線西代~元町間の事業廃止は、2010年度中に行われるとのこと。しかしこれはあくまで書類上の事で、ダイヤや営業には全く変化はありません。

 なお神戸高速鉄道東西線と南北線では阪急電鉄他三社が第二種鉄道事業として運行しておりますが、この各社の第二種鉄道事業をさらに第三種鉄道事業である神戸高速鉄道に委託しております。ややこしいですね。

2010/04/05

桜咲きました・阪急電車と共に

 開花が早かった今年の桜、今年「も」と言った方が良いのかな?開花はしたものの花冷えで遅々と進みませんでしたが、平地ではこの週末に一気に満開になりました。

 今年は何度か阪急電車と桜を絡めて写しており、花開いた4月3日、阪急神戸線沿線で少し写しました。先ずはいつもの通り岡本駅西側。狭い道路からの撮影。

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 ホームの神戸方端っこから。

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 場所を移動して、武庫之荘駅東側で撮影。線路沿いに桜が続いているのは知っていましたが、武庫之荘駅で降りたのは初めてです。岡本から武庫之荘まで220円なのですね。

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 線路の反対側から。

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 こんなのも撮ってみました。

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 そして場所を移動して、夙川駅西側の地点。7000系の更新車です。

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 もう少し西側で。フェンスが高いので、カメラを目から離して持ち上げフェンスの上からの撮影。

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 こんなのにもトライ。結構イケますね。

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 夙川付近の桜はここまでで、上の地点からもう少し西の地点が小高い峰越えのサミットです。直線区間で踏切から上手い具合に編成全てがカメラに入ります。

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 ところで今回、初めて武庫之荘駅で降りました。というより十三~西宮北口駅間にある駅で乗り降りしたのは今まで全くありませんでした。逆に西宮北口~三宮間で乗り降りした事の無い駅は、春日野道駅だけです。

 それにしても4月3日は込んでました。4日も同じくらいだと思いますが、電車も普段の土曜日以上に込み、駅の券売機は行列。私はICOCA若しくはラガールカードで乗ってますので関係ないですが、とにかく人・人・人でした。陽気がよくなって桜も人も一気に開きました。

2010/04/02

JR摂津本山駅バリアフリー化へ

 二つ連続で東灘区本山地区のローカルネタですいません。JR西日本と神戸市が先月に発表した事ですが、東灘区を東西に通る東海道本線(JR神戸線)の摂津本山駅が、2010年度からバリアフリー化工事に着手するとのこと。

 摂津本山駅は島式ホーム二面四線で、普通電車(C電)が走らない外側線側は柵がしてあり、事実上は相対式二面二線です。そしてホーム下り方端一箇所階段があり、地下道を介して線路南北にある駅舎に繋がっています。そんな構造から各駅でバリアフリー化工事が行われる中、この摂津本山駅では現構造ではエレベータを設置するなど車椅子の通路を確保する工事は絶対不可能で、今まで行われて来ませんでした。

 事が動き出したのは昨年からで、JR西日本ではバリアフリー化を行うには現設備を全て廃し新たに橋上駅舎を設けることとし、そして南北自由通路を神戸市で設置するということで、3月中頃に報道発表されました。

 現設備を廃す・・・つまり駅舎も撤去するわけで、駅舎は昭和10年の開業時からの建物。阪神間モダニズムの文化香り高い建物で、この間は勿論補修してありますし、15年前の地震では瓦に被害がありましたが、幸いな事に倒壊は免れました。バリアフリー化とはいえこのまま撤去するのも惜しい建物です。

 その駅舎です。こちらは線路南側。南側はそう行くことが多くないので、今回初めて写真を撮りました。南側の改札口は人がいないことが殆ど。

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 15年前の地震で、この南側駅舎の周囲に建つマンションは、二棟の他は全て崩壊し、ホームに立っても視野がとても広かった事を覚えております。そんな中をこの駅舎は屋根瓦が少し崩れただけで、よく耐えたものだと感じました。 

 北側の駅舎。駅設備としてはこちらがメインで、みどりの窓口など有人出札口があります。

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 ホームです。下り(西明石方面)ホームから西明石方を望む。お向かいのホームは上り線。

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 もう少し左を向いて、下りホームの西明石方。向うに線路を横断する歩道橋がありますけど、それとホームの間の上空に橋上駅舎を建設し、それの手前、見えてる地下道の階段辺りに南北自由通路を設置するそうです。

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 ホームの上り方大阪方面。

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 今の駅舎は工事が始まれば撤去される事になります。地元の方に親しまれているだけに惜しいです。ただ新しい駅舎には同様に橋上駅化した灘駅のように今の駅舎の趣を残した外観にするそうです。

2010/04/01

なかなか桜、咲き揃いませんね

 今日から四月です。3月中頃にはあちこちで桜(ソメイヨシノ)開花が早い早いと伝えられましたが、直後から花冷え。この時期これだけストーブを点けるのも近年に無いことです。

 そんな気象の下、開いた桜がそれからなかなか咲きませんね。昨日聞いていたABCラジオでは、大阪の満開時期がさらに遅くなり、来週中頃に後ずさりするとの予想があると伝えていました。私も「いつ頃に何処へ」と予定を立てておりますので、これだけ遅くなるようでは困ってしまいますね。

 で昨日、阪急神戸線岡本駅の西側、天上川の西側に咲く桜がどの程度花が開いているか楽しみで岡本駅ホームに来てみましたが、三日前とさほど変わらず、しょうしょうがっかり。おりよく「さくら」ヘッドマークの編成が来ました。

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 岡本駅に停車したヘッドマーク編成。

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 阪急電鉄100年ヘッドマークの編成もあります。

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 阪急はこのぐらいで桜に戻りますけど、これだけ寒いからなのでしょうか、折角咲いた花が元からボトッボトッ落ちています。歩く私の顔に落ちたものもあります。

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 桜は花びらが風に乗って散るからこそ、咲いて良し散って良しの花ですが、こんな姿は正直見たくないですね。この画像は京都市内は左京区琵琶湖疏水縁の散策路です。

2010/03/31

名鉄蒲郡線・向う三年間は存続へ

 ネット上の毎日新聞愛知web版によれば、廃止が取りざたされている名鉄西尾・蒲郡線、西尾~蒲郡間は、存続に向けて地元で構成する対策協議会が開催され、この区間に対して軌道・架線など線路設備や車両の保守費用を一部負担する事として、向う三年間は存続することで一致したとのこと。

 2008年度は前年比2.3%の増加となったが利用人員の減少が続き、2008年度は10年前より12.5%の減、8億7000万円の経常損失とのこと。随分大きな損失額ですね。いつぞや書いた神戸電鉄粟生線よりは損失額が少ないですが、昨今の名鉄の置かれた状況を考えると、とても大きな額ですね。

 今、西尾・蒲郡線は、吉良吉田駅で運転系統が完全に分割され、吉良吉田駅構内には構内改札が設けられ、吉良吉田~蒲郡間は全く別会社のような扱いになっています。これは多額の設備費用がかかるSFシステムをこの吉良吉田~蒲郡には施さなかった措置で、吉良吉田駅を抜けるお客には評判悪いと伺っております。

 一方で、廃止が取り沙汰されている西尾~蒲郡間の運賃を廃止対策協議会からの負担で均一運賃にする構想もあると聞き、名鉄から切り離してでも存続させたい意向でもあります。ただ均一運賃にして運行費用の一部を対策協からの補助で続けていくことは、持続可能な措置なのかどうか微妙なところがあります。

 なにはともあれ、もう一つの廃止が取り沙汰されている広見線、新可児~御嵩間も昨年秋に今年から三年間の期限付きで存続されることが決まっており、名鉄の現路線網はこのままで維持されることとなりました。しかし広見線も蒲郡線も環境が厳しいことには変わりがなく、地元廃止対策協議会からの負担も何処まで続けられるのか、三年後にはどのような結論が出されるのか、気になっております。

2010/03/29

ちと早いですが桜と阪急電車

 桜、咲きましたけど、凄い花冷えですね。開花はゆっくりもいいところですけど、お蔭で私にとっては余裕となりました。

 昨年、桜と阪急電車と題して神戸線の岡本駅付近で写しましたが、どうも今ひとつ、今年はもう少し他の区間で写してみようとロケハンよろしく神戸線に乗車。岡本駅まで乗車予定でしたけど、夙川~芦屋川間の小高い峰を上り下りする区間でそこそこ咲いている箇所を発見、急遽芦屋川駅で降りて、夙川駅まで一区間歩いてみました。

 どうせ試しに写して見ただけで、しょうもない駄作ですがこんなんが撮れました。

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 ここから少し西の地点、カーブしている場所ではこんな写真が撮れることが分りました。ここは夙川駅と芦屋川駅の間、夙川駅から3分の1ほどの距離があります。画面左後方が上の画像の地点。

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 こちらは時間と場所が違い、岡本駅西方の桜と電車を写せる場所。いい具合に太陽の部分だけ雲に覆われ、夕方近い逆光ながら写せました。ここ撮影したお立ち台の北に岡本南公園があります。

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 ところで上の写真、8両編成の最後部辺りから向うの勾配区間、上下線の間隔が僅かに広がっているのがお分かりでしょうか。この勾配の向うは住吉川橋梁。住吉川は天井川でこんな勾配になっています。そしてこの勾配区間が震災で崩壊し、新たに作り直しまして、その際に幅の広い山陽電鉄車両との乗り入れも可能なように、軌道間隔を広くして造ってあります。

 さて桜本番では、もっとまともな写真を撮りたいところ。今からスケベジュールをたてておかねば。

2010/03/21

武豊線電化へ

 本題に入る前に。本日3月21日は、2008年の今日に私がYahoo!ブログでブログを始めた日です。ただどうも私の性に合わなくて三週間ほどで今このOCNブログ人に移りましたけど、とりあえず私のブログとしては2周年のアニバーサリーです。

 さて、3月19日付中日新聞社会面及び県内版掲載の記事からです。愛知県の大府から知多半島の武豊を結ぶ、愛知県内最古の鉄道、JR東海の武豊線は現在非電化で旅客列車は気動車(ディーゼルカーつまり内燃動車)で運転しておりますが、2015年春までに電化するとJR東海よりの発表です。

 国鉄時代には電化の構想はあったものの、ついぞ電化工事には至らないまま国鉄末期の一連の工事停止時期を迎え、そのままJR東海に引き継がれました。JR東海になってからはエンジン出力の高い新型気動車を積極的に投入し、もはや電化の「デ」の字もでないと思っていたら、ココへ来て電化するんだそうですね。一方で高山本線は電化工事に入ったものの結局工事凍結。今は工事再開の予定もなさそうです。

 記事によれば高山本線を走行する車両の更新時期を向かえ、双方(高山本線と武豊線)に新形の気動車を投入するよりも、武豊線を電化し新造車28両を投入し、余剰となる気動車を高山本線に投入する予定という。

 あぁ、なるほど、すぐに分りました。つまり武豊線は大府~武豊間19.3kmの周囲は全て電化され、非電化としては孤立した線。また列車の半数は名古屋へ直通しており、この武豊線だけの為に気動車を用意しているのでは、運用効率の面でも一寸不都合(一寸だけですよ)な面もあります。私はダイヤを組めますのでこの辺りよく分ります。

 武豊線はワンマン仕様の車両で運転しています。多分電化後もワンマンで運行するでしょうから、そうすると東海道本線と共通と言うよりも、関西本線または中央本線の木曽区間で運用されている313系3000代のワンマン仕様と共通になるのではないかな。或いは全て車掌乗務の4両編成を入れれば、東海道本線と共通化が図られます。

 ちなみにかつて名古屋地区を走っていた113系車両の方向幕に「武豊」が入っていました。それを見て「武豊線電化の予定がある!」と思い込んだファン殿が結構いるそうですが、方向幕なんて担当者の意思ひとつでどうにもなったものでして、将来構想だけは電化意思があり、替える手間を考えて幕に記入されていたものです。

 ところで気動車の車両更新時期は高山本線だけではありません。伊勢地区の参宮線、紀勢本線もそうでして、こちらはこちらで車両需給の都合をつけるのでしょうか。

 武豊線は1886年(明治19年)に開業した県内最古の線路。当時計画されていた中山道経由の東西両京間鉄道の資材運搬用に建設されたもので、明治初期の英国風鉄道施設ともいうべき物が残っています。

2010/03/15

他所の会社のダイヤ改正が中吊り広告に?

 画像は昨日、JR神戸線内で見た車内中吊り広告です。クリックで拡大できます。

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 “3月14日新駅開業!”

 「あれ?、どこか駅できたんか?。そもそもダイヤ改正は13日やろ」。広告の文言を読んでみると、「パークシティ南千里丘 中略 新駅「摂津市」駅徒歩1分」。なぁんだ、マンション広告だったのでした。阪急電鉄京都線が3月14日にダイヤ改正を行い、同時に新駅摂津市駅が開業しており、利便性向上となったマンションなのですね。

 しかし広告面中央に大きく「3月14日新駅開業!」。これインパクトありまっせ。よくJR西日本の広告審査通ったものですね。

2010/03/10

二つの快速・紛らわしい発車案内

 下の画像は、JR西日本大阪駅5・6番乗り場に掲げられた、JR神戸線(東海道本線)下りの発車案内標です。本来なら、17:29発普通三田行きの次に、17:30発新快速姫路行きが表示されるはずですが、この日は13分遅れで順序通りの発車ではないので、ここには表示されておりません。

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 今回この写真を出したのは、17:31発と17:35発の二つの快速について。この線区では快速が15分間隔で運転しておりますが、乗客が多い夕ラッシュ時はこのパターン以外に2本があり、その一つが大阪駅17:31発の快速姫路行き。大阪駅が始発です。

 この大阪駅始発でパターン破りの快速電車、いや「電車」というより「列車」の方が合ってるかな。列車番号も「M」で歴史を遡ると、宮原仕立て(宮原操車場)の客車列車が姫路を越えて遠くまで行っていたもので、快速電車が走る「内側線」ではなく、新快速や長距離が走る「外側線」を走行します。兵庫駅以西の外側線は列車線と名を変え、通常の快速電車が停まる、須磨、垂水、舞子、の駅にはホームが無く、そのためにこのイレギュラー快速はこの三駅には停まることができません。

 しかし大阪駅他のホームにある電光発車標は通常の快速も、夕ラッシュ時だけのイレギュラー快速もどちらも「快速」ではねぇ。これではパッと見ぃ、何の迷い無く17:31の方に乗ってしまいそう。実際、須磨だの垂水だので降りるつもりが明石まで連れて行かれた、ということが時々、あるそうです。

 ところで上の画像で、「17:30発新快速は隣の4番乗り場からの発車やで、ここには出ぇへんのちゃうか」と言う方の為に、こんな画像も撮っておきました。

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 ちゃんと「4番のりば」と表示されているんです。朝夕のラッシュ時は新快速は外側線のホームに発着します。そんなことするのなら、新大阪駅も外側線のホームに発着させたらいいと思っているのですけどね。

2010/03/06

京都伏見に建つ電気鉄道事業発祥地の碑

 昨2009年9月5日に「京都駅前に建つ電気鉄道事業発祥地の碑」と題して、我が国電車発祥の地であることを記した記念碑を紹介しました。

 1895年2月1日、京都電気鉄道の手で東洞院塩小路下ル⇔伏見下油掛間に開通し、その両端の地に記念碑があり前回は京都駅前に建つ碑に続いて、今回は伏見の地に建つ記念碑です。

 「いちご大福、うぐいす餅」の文字が目立ちますけど、老舗和菓子屋さんの敷地内にあるんです。

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 よってみると。

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 あっさりしていますね。上の画像の左手側側面です。

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 昭和45年2月1日、鉄道友の会京都支部の手によって建立。つまり電車開通75年目の日に建立されたわけです。

 右側側面。もっと写したかったですが、いちご大福の看板で、勝手に動かすわけにもいかず、店の人に声かけて動かして貰う方法もありましたが、いちご大福買うてけ!とも言われそうですし、これでガマンです。

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 刻まれている碑文は次の通り。

  • 明治廿八年二月一日 京都電気鉄道株式会社は京都市下京区東洞院通東塩小路踏切(旧東海道線) 南側から伏見町油掛通まで 電気鉄道を我国において初めて開業した

 京都電気鉄道の伏見側終点は下油掛。油掛通(あぶらかけどおり)という通りが竹田街道と交差しており、伏見の中心部でした。その油掛通の説明板があります。

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 この記念碑がある場所の全体はこんな感じ。手前の横の道路が油掛通。左側が竹田街道。

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 場所はここです。


大きな地図で見る

 伏見というところは、今は京都市の一部で伏見区となっていますが、近世までは淀川の水運で栄えた、京都とは別の城下町です。その伏見と官鉄(今の東海道本線)とを結ぶ目的で開通したのが京都電気鉄道で、琵琶湖疏水によって発電される電力を用い、我が国初めての電気動力による輸送機関となりました。

画像撮影:2010年2月

2010/03/03

i-バスからメーグルの乗継は微妙に・ダイヤ改正その2

 昨日に引き続き、もう一発ダイヤ改正ネタです。JR東海の東海道本線は上りのダイヤパターンが、快速・新快速系統の運転時分見直しと共に現行より若干後にずれております。

 すなわち大垣駅~岐阜駅で1分、尾張一宮駅で2分、名古屋駅で停車時間を4分として現在より4分後にずれるダイヤ。その結果、尾張一宮から名古屋に至る、一宮市コミュニティバス「i-バス」から東海道本線を経て名古屋観光ルートバス「メーグル」への乗継で微妙なこととなりました。

 一宮市のi-バス右回りの尾張一宮駅停留所到着は毎時31分。接続する東海道本線尾張一宮駅は、37分に普通、45分に快速で、名古屋駅ではいずれも次の時間の00分発のメーグルに間に合います。しかしダイヤ改正で37分発は39分に、45分発快速は47分になって、快速に乗ったのでは名古屋駅58分着となり、00分のメーグルには間に合いません。

 では尾張一宮駅39分の普通は?ということで、名古屋駅55分着ですので00分発のメーグルには間に合いますが、39分発の前に北陸からの特急「しらさぎ」が一時間おきにあり、これも時々1~2分の遅れを引きずってきます。岐阜駅で「しらさぎ」の発車後に普通が発車しますので、「しらさぎ」が遅れるとこの普通も遅れることとなり、2分ぐらいなら大丈夫ですが、3分遅れると名古屋駅での乗換えが微妙です。なおこれらメーグルの名古屋駅00分発は、土曜休日限定のお話です。

 

 次に木曽地区。直接私がかかわることではないのですが、松本駅12時19分発の1828M普通中津川行き、木曽福島駅は13時23分着で、木曽町のきそまちバス13時40分発の王滝行き、開田支所行きのバスに接続しています。しかしこの1828M列車、松本駅は1分早まりますが塩尻駅でなぜか30分の大休止。そのため木曽福島駅着が13時51分となり、王滝行きと開田行きには接続できなくなります。

 木曽町のきそまちばすは3月30日まで現行ダイヤで行くそうなのですが、でもこの1828Mからバスに乗り換える方が何人かいますので、その点が気になっています。ダイヤ改正悲喜こもごもですね。

2010/03/02

忌まわしき尾張一宮駅10時43分発が解消!・ダイヤ改正で

 昨年の5月26日に「忌まわしき尾張一宮駅10時43分発」と題して、名古屋以北では日中きっちり15分間隔で走るJR東海道本線の快速・新快速に、一回だけ落とし穴がある事を書きました。すなわち尾張一宮駅10時43分発で本来のパターンより2分早出ししており、結果45分のつもりで駅に向かって乗りこけること何度か。これが来る3月13日のダイヤ改正でなんと解消されることとなりました!。

 JR東海の東海道本線のダイヤパターンが次のダイヤ改正で、上りは大垣~名古屋間で2分後にずらしております。このため今では尾張一宮駅上りの快速・新快速は「00」「15」「30」「45」分発だったのが、13日からは「02」「17」「32」「47」分で、10時台も10時45分の大阪発特急「しなの」と重ならなくなりました。これは朗報!ラッキー!。頭が悪い私には嬉しい。しかし折角落とし穴として体が覚えてくれたのだけどね。

 この新しい尾張一宮駅10時47分発、ずっと「しなの」の後を走るわけではなく、岐阜駅で「しなの」に追い越されるダイヤ。つまり大垣~西岐阜駅間では「しなの」の前を走るため、15分毎のパターンより5分早く走る事になります。現行ダイヤより早出しの幅が広がった!。言い換えれば「忌まわしき大垣駅10時21分発」でしょうか。

 ダイヤを仔細に見てみると・・・といっても時刻表の裏から推定してみるわけですが、大阪発「しなの」は、名古屋駅では中央上り1番線(10番乗り場)に到着します。駅手前で東海道本線上り線から転線するので、名古屋駅手前上り線の第一場内信号以降は分岐制限も加わって所要時間が延びています。そのため後ろを走る尾張一宮駅10時47分発の新快速2522F列車は、おそらく庄内川を渡った辺りから「しなの」におさえられ、尾張一宮~名古屋間の所要時分が13分と他の快速・新快速より2分余計にかかっています。

 でもこの大阪しなの、よう遅れて来ますんやな、これが。少ない時で数分、アーバン地区で何かあるとダイナミックに30分1時間遅れたりします。数分の遅れ、これが一番きついです。尾張一宮駅10時47分の2522Fは、岐阜駅で「しなの」の発車1分後に発車します。つまり「しなの」が極僅かに遅れると列車順序を変更しないので、そのまま2522Fも極僅かの遅れが出てしまいます。

 ところで過去の投稿を確認してみたら、一年前の今日3月2日にもダイヤ改正を話題とした投稿をしておりました。⇒こちら

2010/02/19

モザイク状の成田スカイアクセス

 このところ、鉄道など交通ネタが多いです。花・植物など自然を期待されている方、すみませんです。

 昨日、国土交通省のプレス発表で、京成電鉄成田空港線の旅客運賃上限設定について認可手続きに入ることが発表されました。上限運賃というのは、これより高い運賃を受けてはならない限度をいい、収支見通しや経営状況から審査します。

 この成田空港線は、都心から成田国際空港へのアクセスとして、成田新幹線が頓挫して以降、すったもんだの末に整備することが決まったもので、北総鉄道を延長した先から予定されていた成田新幹線ルートに結ぶもので、運行する列車の営業は京成電鉄が行いますが、線路設備の事業者は複数の別会社です。

 今回上限運賃設定されるのはこの京成電鉄で、第2種鉄道事業の京成高砂駅~成田空港駅間51.2km。この区間で京成高砂駅~小室駅は北総鉄道の線路を使用します。また小室駅~印旛日本医大駅間も北総鉄道が第2種鉄道事業で運行しており、この区間では全く重なります。そこで申請運賃も北総と同額ですが、今の北総鉄道の運賃が高く値下げ要望もある事から、京成成田空港線上限運賃認可後に北総鉄道と共にこれより低い実施運賃を届け出るそうです。

 さてタイトルの「モザイク状」ですけど、建設の経緯から事業主体が多義に渡り、言葉は悪いですが「モザイク」とも言いたくなって仕舞います。勿論、上野駅から成田空港駅まで普通に電車乗れば京成電鉄一社で運んで頂けますが、下の線路は幾つかに分かれており、この間の線路を順に書くと

  1. 上野駅~京成高砂駅間:自社(京成電鉄1種鉄道事業)
  2. 京成高砂駅~小室駅間:北総鉄道
  3. 小室駅~印旛日本医大駅:千葉ニュータウン鉄道
  4. 印旛日本医大駅~土屋の接続点:成田高速鉄道アクセス(現在建設中)
  5. 土屋の接続点~空港第二ターミナル駅:成田高速鉄道(現在建設中・JRと並行)
  6. 空港第二ターミナル駅~成田空港駅:成田高速鉄道

こんなところです。参考⇒千葉県のページ

2010/02/14

C62 17が去った東山動植物園

 前回2月9日のエントリで搬出準備中の様子を書いた東山動植物園のC62 17。無事2月9日の未明に運び出されました。

 東山最後(開園日として)となった2月7日の様子は2月9日の記事に書きましたけど、7日は機関車本体は吊り上げやすいように前へ引き出されておりましたが、テンダー(炭水車)はそのままの位置で、「ひょっとして来週回し?」かとも思いまして13日、東山動植物園へ行きました。

 結果、8日のうちに前へ引き出され、トレーラーに積まれ、金城埠頭へ運ばれたようです。

 で、13日の様子。今まではこの位置からも機関車が少しだけ見えていたのですが、やはり無い。

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 ここに39年間、蒸気機関車C62形17号機がいたんです。運び出されたことは知っていても、いざ主がいなくなった跡地は寂しさがつのります。またこの画像の通り、テンダーも運び出されていました。

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 この場所、サルが逃げられてしまった日本ザル舎改修工事の際は、工事現場用の衝立が」並べられ中の様子を伺うことは大変困難でしたが、今回の蒸気機関車搬出関連工事では、売店からバラ園までは衝立が並べられたものの、その先はトラポール、さらに蒸気機関車横まではロープのみ。お陰で木立の向こうの様子が充分撮影することが出来ました。

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 振り返るとモクレンのつぼみが膨らんでいました。花をつける頃は、C62 17がいた跡地も整備されていることでしょう。

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2010/02/11

新しい名古屋ターミナルビル・当初計画より低くなる

 JR名古屋駅の北東側に位置し、ホテルアソシアと松坂屋、それにバスターミナルが入る名古屋ターミナルビル。一昨年の暮に、北側の名古屋中央郵便局駅前分室がある日本郵政と共に、高層ビルに建て替えるとの発表があり、それに関してこのブログでも「名古屋ターミナルビル建て替えへ」と「JR名古屋駅の新超高層ビル・そして名鉄のトンネルの関係」他でも書きました。

 本日の中日新聞朝刊によれば、この新・名古屋ターミナルビルについて、当初計画より低くすると発表があったそうです。当初計画ではミッドランドスクエアよりも高い約260m、地上階で55階建てでした。しかし環境影響やオフィス需要を検討し、高さ約220m、地上階で46階建ての建物となります。

 昨日の東海ラジオ放送のニュースでは、高さ変更について環境の事には触れず、低迷するオフィス需要を考慮し採算の取れる容量(高さ)とした、と伝えております。

 今後は、今年9月を目途に現在のビルの解体を始め、2016年度の完成を目指します。解体工事から完成までの間は、バス乗り場は駅前路上に分散配置、松坂屋は8月頃に閉店で新ターミナルビルに入るのかどうかは協議中と新聞記事にはありますが、撤退が濃厚でしょう。

 新しいターミナルビルは、1階から18階に商業施設、19階から25階はホテル、26階から上はオフィスの入居を予定しているとのこと。バスターミナルは1階に入るということで、現在のJRバス1階、市バス2階の規模より縮小される様子です。また地下は機械室となり、今ある三省堂書店などテルミナ地下街は上の階へ行くのだろうか。

 記事では新ターミナルビルの2階と15階でセントラルタワーズとの間に連絡通路が設けられるということで、回遊性が高まります。この回遊性というのは施設建物など集客施設には大切ですね。

2010/02/09

搬出作業の東山動植物園C62 17

 なんどか書いております、名古屋市千種区の東山動植物園に展示され、来年開館予定のJR東海鉄道博物館で展示される蒸気機関車C62 17。2月8日の中日夕刊によれば、博物館へ移転搬出に向けて大きく作業が進んだとのことで、8日は蒸気機関車のボイラー部と走り装置(動輪)の部分とに分け、トレーラーに載せたのだそうです。

 記事ではさらに蒸気機関車本体後部に繋がれる炭水車もそれぞれ三台のトレーラに載せられ、9日未明に27km先の金城埠頭まで2時間かけて運ばれるという。つまり今頃、名古屋市内をあのデッカイ物体がゾロゾロと運ばれているわけですね。

 記事の写真には、ボイラー部がクレーンで持ち上げられる様子が載っています。

C6217

 意外と早く搬出されたのですね。2月の搬出らしいということでしたが、動植物園休園日に大きく作業をやるだろうと思っていましたが、私の予想より一週早い8日月曜日に載せられました。15日に大きく進むのでは?と思っておりました。

 さてこの前日、つまりランの館で入館200万人を達成した7日、東山へ様子を見に行き、駆け足で廻ってきました。まさにランの館で入館200万人のイベントをやっている最中です。

 トレーラーに載せたSLが引っ掛かるため、現在運休中の園内モノレールの軌道桁を一部撤去してあります。

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 日曜日で作業はお休みでしたが、クレーン車は補助の足を出して準備万端。後ろに見えるSLは随分前へせり出しています。

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 確かに前へ出ておりました。持ち上げるのに上の高架道路が支障となるからでしょうか。少しずつ移動させた様子が伺えます。

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 よく見るとどこかヘンで、車輪が浮いているよう。ズームで寄ったら確かに浮いていました。SLの前の部分はシリンダで支えており、後ろは木立でよく見えませんでした。

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 動輪は錆付いているように見えますが、塗装を剥がしたものでしょう。参考までに今年の1月8日に撮影した同じ部分の画像です。

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 機関車本体が前へ出されていましたので、炭水車の機関車側連結面が見えました。常緑樹が邪魔してよく見えませんが、こんな感じです。炭水車の連結面ははじめて見ました。

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 少し離れたところには信号機が横倒しに。丁寧に置かれているところを見ると、これも博物館かあるいはどこかで展示用として使われるのでしょう。

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 ところで昨日の作業で炭水車も本当にトレーラーに載せたのだろうか。あの位置では上の高架道路でクレーン作業が出来ず、もっと前へ出さねばならないでしょうし、多分あの炭水車は転がらないでしょうから。梅も咲いている頃合ですし、また週内には見に行きたいところです。

2010/01/31

四條畷市と四条畷駅・駅名の改称は当面ムリ

 Yahoo!japanのトピックスから。大阪府のJR片町線(学研都市線)の四条畷駅について、四條畷市から「條」の字が違うことから駅名変更を要請しているものの、JR西日本としては変更の費用を出して頂けるなら応じるということなのですが、その費用数億円。よって駅名変更されないままであるという記事がありました。

 この記事、産経新聞に掲載されたもののようで、四條畷市としては7年前から「四条畷」とあるものは「四條畷」に変更をお願いしているところ、その殆どが変更に応じて頂けたが、市の玄関でもあるJR片町線(学研都市線)の駅名だけは応じて頂けない。その理由としてJR西日本としては変更費用を自治体、この場合は四條畷市が負担するなら変更に応じるという回答で、とても四條畷市としては負担出来る金額ではなく、市としてはお願いするしか無い・・・と頭を抱えているそうです。

 実際、駅名変更にはキッチリやろうとするとかなりの費用がかかります。旅客接客用としてまず運賃表。現在四条畷駅以外の運賃表に「四条畷」とあるモノは全て書き変えねばなりません。シール貼付で済ませられますが、それでも300駅から400駅はありそう。

 また全国のJRの駅に備えられる運賃台帳を直さねばなりません。現在は99%は機械で発券するのですが、それでもごく稀に手書きで乗車券を発券することがあります。そして内部的になりますがその機械、つまり販売システムの改修をせねばなりませんし、今は自動改札機のデータもそう、また乗務員の持つ時刻表、各駅の「何々方面」などの案内サイン・・・、数多いですね。

 さて、この四条畷駅、四條畷市ではなく大東市にあります。尤も市境ギリギリの所で、下り場内信号機は四條畷市内にあり、構内の一部は四條畷市にかかっているともいえますが。

 なぜ四条畷駅が「四条畷」駅になったのか、私なりに推定してみました。あまりこちらの方面の資料は持ち合わせがないもので。

 四条畷駅。駅開業は1895年(明治28年)に浪速鉄道という私鉄により開業致しました。駅開業当時の地名は讃良郡(1896年北河内郡に改称)四条村。そして近くには楠正成公縁でもある四條畷の戦いがあった場所があり、駅名を「四条畷」としたのではないかと思います。

 で、四条村の境界向うは同郡甲可村で、この甲可村が1932年(昭和7年)に自治体の名前を変える事になりました。その名がなんと「四條畷村」。ここに四条畷駅が四條畷と異なる名称になり、そして四條畷には無い四条畷駅というある意味、話題提供ネタとなることが始まったというワケです。

***
 四条畷駅を開業させた浪速鉄道のこの線路は、2年後の1897年には関西鉄道(かんせいてつどう)に移管され、関西鉄道は名古屋まで線路を伸ばし、また大阪市内の網島駅に線路を伸ばしてこの四条畷駅を、つまり片町線を名阪間の列車が走ったものでした。

 ところで四條畷市というと、元MBSのSアナウンサーを連想します。今はテレビに出ておられるそうですね。以前は「すみからすみまで」をよく聴いていました。条件電話、これ面白かったです。

2010/01/29

尾張一宮駅に特急列車停車は必要か

 暫く前に私のこのブログ、2009年5月26日投稿「忌まわしき尾張一宮駅10時43分発【ボヤキ】」に検索からのアクセスがありました。その検索キーワードとは、

“尾張一宮駅に特急列車停車は必要か”

とまぁ、何ともストレートなキーワード。吹き出してしまいました。そこで今回のエントリタイトルにしましたけど、そこで検索にあったYahoo!知恵袋に、「特急しらさぎは全列車尾張一宮駅に停車するが、ひだは何故通過する列車があるの」というような内容の質問がありました。

 尾張一宮駅。私が現在最も多く利用している東海道本線の駅で一宮市にあります。特急列車の停車ねェ・・・。優等列車の停車駅選定は難しいモノがあり、単に利用者の多寡だけでは決められないものでして、その列車の設定目的に応じて個別判断するのが一般です。

 このYahoo!知恵袋にあった「しらさぎ」は、新幹線連絡を含んで名古屋地区と北陸地方を結ぶ特別急行列車で、全てのしらさぎが尾張一宮駅を停車します。名古屋「地区」のとおり名古屋近郊も含まれると考えられ、一宮市も岐阜市も対北陸の需要の為に停車しています。ならば稲沢市の稲沢駅はどうなのか、清須市の清洲駅は・・・、と言い出すとキリが無く、そこで駅利用者数や駅勢圏内の人口を加味しているのでしょう。

 さて、「ひだ」です。「ひだ」も新幹線連絡を含んで名古屋地区と高山本線を経て高山方面を結ぶ特別急行列車ですが、尾張一宮駅には上り下りとも各10本中7本が尾張一宮駅を通過しております。つまり停車するのは上下各3本で、特急「ひだ」の大多数が急行「のりくら」の格上げ列車である事を考えると、尾張一宮駅利用者にとっては不便になっておりますね。しかしなぜ「ひだ」は通過する列車が多いのだろう?。

 いや、かつては「ひだ」も全列車が尾張一宮駅に停車していました。それがダイヤ改正の度に通過列車が一本増え一本増えして今や停まるのは上下各3本。思うにこれ、高速化の措置でしょうか。1分でも所要時間を短縮させたい、そんなダイヤ編成の想いがあるのでしょう。

 ところで二昔も三昔も前、東京⇔西鹿児島間急行の「桜島・高千穂」号という、鹿児島本線経由の「桜島」号で24時間を、日豊本線経由の「高千穂」号で28時間を超える運行時間の今では伝説の列車がありました。東海道区間は昼間通るからなのか、この列車は尾張一宮駅に停まっておりました。何故尾張一宮駅に停まってたの?。一宮市など尾張西北部地方は毛織物産業が盛んで、そこに従事する工員・女工さんたちは九州など西日本出身の方が多く、そこで「桜島・高千穂」も尾張一宮駅に停まっていたのだと聞いたことがあります。

 昔は集団就職という時代があって、3月も下旬になると中学卒業したての方々が揃って尾張一宮駅ホームに降り立ったものだそうです。定期列車の他、集団就職専用の列車もあったほどで、一宮市や尾西市の繊維産業を支えてきました。

 さて、尾張一宮駅10:43発の快速、投稿してその後1度乗りましたが、さすがにブログ記事にしたほどで頭に記録され、乗り遅れることはありません。しかしこの快速を2分早出しさせる大阪しなの、どうにかならないのか。関西へ向かう時にすれ違いますけど、遅れっぱなし。数分のレベルからダイナミックに1時間も遅れるなど、定時運転率4割程度。西日本のアーバンエリアの乱れがそのまま引きずっています。余談ですけど、この大阪しなのの遅れで、中央本線木曽区間のダイヤも乱しているんでっせ。

2010/01/25

山陰線と参院選

 久しぶりにラジオネタからです。といってもその内容は鉄道に絡むものでして、このところ鉄道ネタが続きますね。

 今日の昼前、東海ラジオ放送のかにタク内で放送された「純喫茶・谷村新司」で読まれたハガキ、思わず大笑いしてしまいました。だって私と全く同じですもん。そのハガキの内容とは、

  •  「これまで参議院選挙のたび気になってます。参院選、参院選と聞くたびに私の頭の中で山陰線を連想します。今年もまたそんなことになるのでしょうか」

だそうで。山陰線と参院選。世の中同じような方がいるのですね~ぇ。大笑い大笑い。私も「参院選」と聞くたびに京都駅の端っこからあの重厚な客車が発車する山陰本線を連想しています(今は電車ですよ)。私の他にもまだこんな想いする方、他にもいらっしゃると思いますね。そしてハガキの主はもう少し続きました。

  • 「参院選なんて可笑しく略さずに、せめて参議院選にならない?」

と締めくくってました。全く持ってその通りです。参院選が行われる頃には山陰本線沿線の海水浴場も浜開きするでしょうね。日本海側の白砂青松を行く山陰本線。パーソナリティの谷村新司さん、彼は鉄道ファンなのでしょうか、情緒タップリに山陰本線の魅力を語ってくれました。

 山陰本線、京都側の京都~園部間は京都鉄道という私鉄が開業した路線ですが、この京都鉄道といい福知山線の阪鶴鉄道といい、さらに関西鉄道といい、これらどこか共通した雰囲気を持つ鉄道施設です。明治の頃という意味ではなくて、ホームのレンガの積み方、停車場構内の雰囲気、なんだか似ているのですよね。いや「でしたね」のように過去形が妥当かな。今は複線化など施設改良で当時のモノは少なくなっています。

 参院選ならぬ山陰本線です。京都市は嵯峨野で撮影。

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2010/01/24

神戸電鉄粟生線・廃止も視野に入る状態らしい

 神戸市北区の鈴蘭台から小野市の粟生までを走る、神戸電鉄粟生線。運行する列車の殆どは有馬線の新開地より発車し、鈴蘭台駅から粟生線に入る運転系統をとっています。

 この粟生線が赤字でかなり危機的状態にあるらしいとは時々新聞記事にもなっていますが、数日前の神戸新聞web版でかなり踏み込んだ記事タイトルがありました。
 「乗客激減、存続か廃止か 神鉄粟生線」。
昨年発足した粟生線活性協議会の第一回協議で、神鉄側がデータを示しながら厳しい状況を説明したという。

 かなり「赤字だ赤字だ」と言われ、場合によっては廃止か?と冗談半分のような脅し文句みたいな声が今までにもありましたが、今後の行方次第では廃止も視野に入るらしい。兎も角4月からは協議会として具体的な支援策を実施する予定だそうで、その成果が現れる事に期待したいと思います。

 それにしても粟生線はどうしてここまで大変な状況になってしまったのだろう。もう20年ほど前は鉄道趣味誌に、何処其処の区間で複線化工事が出来ただの、トンネルが貫通しただの、そんな記事が載り輸送力増強工事が盛んでした。それがバブル崩壊で工事のベースが落ちたところへあの震災。これで一気に工事が止まってしまいました。

 藍那駅付近などまだ単線の区間の隣に全く工事が進まない路盤が続く光景を見ると、なにやら哀れさを感じます。神戸電鉄としてもかなり投資をしたのでしょう。それが回収されるどころか廃線のおそれまで出るようで、誰が悪いでもなく気の毒に思えて仕方ありません。

 しかし一方で、この神戸電鉄粟生線に魅力が薄いのもこれまた事実でして、沿線は三宮直通のバス路線があり、これが結構良い数字を出しています。運賃面でもほぼ互角で、それだけ神戸電鉄の運賃水準が高く、1992年をピークに2008年度の乗客数はピーク時の半分にまで減っている状態。これでは複線化工事の必要は見出せません。

 そして年間の赤字額が12億円を超えるほどで、2009年度で沿線自治体などからの補助は一旦終えるのだそうで、そして4月からは地域公共交通の活性化・再生法に基づいた支援事業として、補助が得られるということです。

 粟生線は鈴蘭台付近では多くの方に利用頂いていますし、私も西鈴蘭台駅までは何度か乗っております。しかしこの西鈴蘭台駅で半分近くのお客さんが降り、その先はローカル線並。一度だけ終点粟生まで往復したことがあります。往路は西区内の各駅で降りて乗って、駅発着のバスを見て回るという、いわばバスヲタ行動で乗りましたけど、駅周辺は殺風景。街が形成されていない。こんな例え出していいのかな。なにやら尾西線に乗っているような感覚になりました。尾西線も一時間4本ですし、駅前も殺風景。違うのは尾西線は2両編成で粟生線は4両編成という点。

 画像は木幡駅で。勿論無人駅で自動改札機も完備。無人駅監視システムが働いています。

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 終点粟生駅。粟生線電車は二つ手前の小野駅で半分が折返し、粟生まで来るのは昼間では30分に一本です。

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 一部区間は複線化されています。見津信号所(信号場)。隣は見津車庫。

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 これら画像は、2006年2月の撮影。この日の未明、有馬線の有馬口駅で二度目の脱線事故がありました。

 ところで震災で工事がストップしたままというと、三田線もそうです。岡場駅なぞ将来は急行列車の追い越し追い抜きをやろうかという計画だったのでしょうか、場違いに豪華な2面4線の駅です。岡場駅から北へ田尾寺駅まで一駅間だけ複線です。

 こうした工事が完成しない(できない)ところを見るのは、正直辛いモノがあります。ここまで造ったのなら、是非完成させてやりたい気持ちもありますが・・・。

***2010年11月28日追補
 神戸電鉄は、粟生線活性協議会への補助金交付が2011年度で打ち切られることで、その後の鉄道事業の見通しが出来なく、2011年度に粟生線を存続するのか、廃止とするのかを決断することとなりました。→弊ブログ記事

2010/01/20

最終便は最終便のお客だけではない

 この春のJRダイヤ改正で、JR西日本のアーバンネットワークである愛称「JR琵琶湖線」の京都から野洲にかけての最終列車時刻が繰り上げになるそうです。ダイヤ改正のあらましにも「御利用が少ない列車の一部見直し」とも書かれており、現在の京都駅0:58発野洲行き列車が廃止されるらしい。

 よって一本前の列車が上り方向の最終となるわけで、大阪又は京都から山科以東への最終列車は一気に25分も早くなってしまうらしいです。まだ「らしい」とウワサの段階ではありますが。

 この列車、元は大阪よりはるか西、姫路方面から快速電車として車庫のある野洲に向けて運転されていました。しかし昨年春のダイヤ改正で、姫路~京都間が新快速として運転されることとなり、京都駅で分割されてしまいました。そして京都以東は新たに別の車両を仕立てて野洲行き最終列車が出来たわけですが、元の姫路から野洲行き列車自体が野洲入庫のためにあったような列車で、区間を限れば利用は少なかったそうで、それが京都発野洲行きの独立した列車となれば、統計上は大変利用の少ない列車という事になってしまいました。

 最終列車や最終バスは、その最終便の利用者のみならず、もっと早い時間帯の利用促進につながる例があります。東京の西の方、中央線や京王線沿線で、駅発住宅地行きのバス路線で最終バス時刻を繰り下げて増発したところ、定期券の発売が増えたという例があります。でも最終便は空席が比較的多く、調査してみると最終よりもっと早い時刻の時間帯でお客さんが大きく増えていた。つまり仮に夜11時台や0時台に最終便があるという安心感からバスに乗る意思が高まり、結果定期券の発売に繋がる、定期券でなくとも安心してバス乗り場に行ける。そんな利用者の声がありました。

 しかし最終便というのはそこそこコストがかかる列車でありバスですよね。時間帯からして乗務員に深夜手当てを出さねばなりませんし。最終便単独で収支を出せばそりゃ赤字になります。でもこの最終便の存在が利用促進に繋がれば、むしろ良い方になりますね。しかしこれも地域性がありますけどね。上の例では東京郊外という人口の多い地域での話でした。

 昨日の一宮市生活交通バスの一往復増発ですけど、この増発分の時間帯に乗られる方はそう多くはないと予想しますが、この時間帯にあるからこそもし予定していた時刻に乗り遅れても次があるという安心感から、全体として増客に繋がれば良いなと思っています。

2010/01/14

緊急特別公開・東山のC62・これが最後

 このブログで何度か紹介した、東山動植物園で保存展示されている国鉄蒸気機関車C62形17号機。来年開館予定のJR東海鉄道博物館で展示するために搬出準備工事に入るため、去る1月11日で公開は終了しました。

 東山動植物園の公式webページにおいてこのお知らせがありましたが、その記述は工事に伴う閉鎖エリア設定と一部動物が見られなくなるという、何とも事務的な文章。このエリア閉鎖が解ければもう蒸気機関車はいなくなるわけでして、せっかく40年近くもこの場所で展示されていたわけですから、もう少し何か文章があっても良かったのでは、と思っていました。

 そしたら雪の降る昨13日、東山の公式ページで「さよならSL緊急特別企画「C6217号蒸気機関車」を特別公開します」とのこと。これで東山にいる蒸気機関車とはお別れで、緊急に企画していただけました。これまでの通常公開の際は柵で囲まれたSLを見ていたわけですが、今回の特別公開では柵の中へ入って見られるそう。また形式銘板の実物4枚を展示するそうで、つまりこれまで見てきた形式銘板は、レプリカだったんです!。

 この緊急特別公開、日時は1月17日、午前10時から午後3時まで。雨天でも公開しますがその際は形式銘板(ナンバープレート)の公開はしないとのこと。

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 上の画像、2009年10月に撮影。この形式銘板はレプリカだったのですね。

 さて17日、行きたいところですけど、ちょっと事情あって名古屋にはおらず、残念ながらこの緊急特別公開には行けません。でも先日最後ということで、思う存分写真を撮ってきました。

2010/01/07

失われた635km・10年間の鉄道廃止

 一昨日、つまり1月5日の中日新聞夕刊一面に掲載された記事です。「鉄道廃止 10年で635キロ 東京-新大阪上回る」との見出しで、2000年度から10年間に廃止された鉄道の距離が約635kmにものぼると、国土交通省のまとめで分ったとのこと。そしてこの距離は東海道新幹線の東京-新大阪間(約550km)の距離を上回るという(末尾に注記あり)。

 国土交通省でまとめなくても私の手許でも分りますが、よく無くなったものです。記事に解説として書いてありますが、2000年の鉄道事業法改正により鉄道事業の参入退出は自由となり、退出つまり事業廃止の手続きは一年前までに国土交通省への届出のみとなるなど、手続きが簡素化されております。

 バブルの崩壊で経済が沈滞する、また地方部での経済環境が一層厳しくなる中で、この635kmの失われた線路の大部分は、いわゆる赤字ローカル線です。まこれは当たり前ですけどね。

 地元の名古屋鉄道。これもこの10年間で多くの線路を無くしました。個人的には2001年の谷汲線廃止は痛いです。この谷汲線など名古屋鉄道でこの10年間で失ったのは11の路線、総計93.6km。635kmの約15%が名鉄の路線廃止なのですね。あ、この93.6kmという数字は私の記録している数字で、ひょっとして間違いがあるかも知れません。

 谷汲線はそれは何とも味のある鉄道でした。沿線はとにかく田舎。山あり川あり時々郷ありで、谷汲山華厳寺への足だったのですが、「時々郷あり」のように沿線人口が少なく、昼間の列車なんて小型バスでも十分なほど。ある研究会での名鉄の話では「乗用車でもやっていける」という言葉が出るほどで、その経営環境は厳しいものでした。しかしそんな谷汲線でも正月と毎月18日は乗り切れない程のお客さんがあり、谷汲山参詣鉄道の色合いを最後まで保っていました。

 その谷汲線廃止後は代替バスが運転されました。しかしこの廃止代替バス、サッパリ乗って頂けず、5年も経たずにこちらも廃止となり、谷汲線沿線は殆どが交通空白域です。

 ちょっと谷汲線の思い入れで話が長くなってしまいましたが、10年間に廃止された鉄道には、北海道ちほく高原鉄道の140kmや石川県ののと鉄道能登線の61km廃止など、長い距離の鉄道廃止が続きました。いずれも装置産業たる鉄道をやっていく経営環境としては大変厳しい状況で、高速道路無料化が進むと廃止が更に進むとみられる、という記事です。

 2000年度からの廃止距離は約635kmということでした。ならばその前の10年間の失われた鉄道を抜き出してみました。1990年からの10年間では数え方にもよりますが、13の鉄道路線、約260kmの線路が廃止されております。それと比べると確かにこの10年間はよくもこれだけの鉄道が無くなった10年間だったわけですね。

 さて「末尾に注記あり」の末尾です。新聞記事で635kmという数字で「東海道新幹線の東京-新大阪間(約550km)の距離を上回るという」ということですが、この場合の新幹線を持ち出せば実キロに因らねばならないと思います。東京-新大阪間の新幹線実キロは515.4kmです。在来線では東京-新大阪間は552.6kmで、東京から約635kmの地点は曽根駅が635.9kmになります。旧新垂井経由の迂回線を通ると2.9km長くなりますけどね。

2009/12/29

弾力的な輸送力確保

 二つ続けて鉄道に関する投稿です。愛知県名古屋市の総合体育館レインボーホール、今はガイシホールというのですか、そこでコンサートなどが行われると、隣接する東海道本線笠寺駅がものすごい事になるという話は聞いていました。しかしその「ものすごい」に遭遇する事に。

 一昨日の27日に所用あって愛知県の武豊線沿線まで出かけました。金山駅で待ち合わせて東海道本線普通列車で大府まで向かう予定でしたが、一本前の新快速を見送りホームに降りたら、あらら凄い人人人。しかも若い女性女性女性でそれは気分は最高に「グッド!」ですがそれは一瞬のこと。すぐさまひらめいたのは、「笠寺駅隣接のホールでコンサートがあろう。であるならば次の普通列車は名古屋からのお客を乗せて満員で来やしないか」。

 予想はバッチリ。四両編成の先頭車に乗るも、先頭扉へは5人程度しか乗れず。後の方から乗り切れなかった方々が駆け寄って来ますが、私のツレが込んだ電車に不慣れでしょうから結局乗るのを止めて電車から降り、次の快速を待つ事にしました。大府駅で武豊線の気動車を眺める時間が無くなるだけですので。

 しかし普通はなかなか発車しない。ホーム中程のお客が乗ろうとするも乗れず、扉を閉める時期を逸して、結局2分遅れで到着し3分余計に停まって合計5分遅れで発車。なるほどホームにいた大量の「若い女性女性女性」達は、前の電車に乗れなくてホームで溢れている状況だったのでした。

 名古屋ローカルの東海道本線普通列車は、4両編成が基本です。しかもこの4両編成たるや扉は片側三箇所の311系か313系のオールクロスシート車。通勤客は心得て奥まで詰めますが、どうしてもコンサートのお客など普段乗らない方は通路まで入らず、扉付近で溜まってしまいます。現に5分遅れで発車したこの普通列車も、座席の部分の通路は割と余裕があったほど。

 そしてJR東海の輸送体勢。何万人も集めるレインボーホール(ガイシホール)のコンサート。その大部分は笠寺駅を利用するということで、であるから時として大変な状況なのですが、この日見た限りで判断はできないものの臨時列車を出さないのですね。クロスシート車のしかも4両編成なんて輸送力の弾力性に欠けます。かといって定期列車に増結しても、はるばる豊橋まで8両で走るのも無駄でして、やはりここはダイヤの余裕がある限り臨時列車を出すべきだったと思います。

 それとクロスシート車。混雑時はきついや。私が平日の名古屋からの帰りに名鉄を使うのは、ロングシート車が期待出来るからです。

 さて、普通を見送り後の快速に乗りました。しかし到着した快速は車内が真っ黒。そう人が大勢乗っていたのです。車内にいた若い女性に声かけてみると「笠寺行くぅ」。快速ですが笠寺駅臨時停車でした。あちゃー。これなら一番最初に見送った新快速に乗っておくべきだった。結局この快速も1分遅れで到着し2分余計に停まって3分遅れ。笠寺駅の臨時停車で1分以上さらに加わり、大府駅到着は武豊線発車時刻と同じで、乗り換え客が済んだら武豊線は直ぐに発車という慌しさでした。

2009/12/28

名古屋市地下鉄に「学生定期券」新設

 今朝28日付け中日新聞一面に掲載された記事です。来年の3月から名古屋市交通局の地下鉄で中高生や大学生向けに新たに「学生定期券」が設定されるそうです。

 「ん、学生定期?、通学定期券のことでは?今もあるんやろ」。そう私も一瞬この見出しを見て、そう思いました。でも見出しには、

  • 塾、バイトに学生定期券
    名古屋市、地下鉄で新設 来年三月

とあり、現在の通学定期券とは別物のようです。つまり現在の通学定期券は自宅(居住地)最寄駅と通学先最寄駅間だけで発売し、尚且つ発売には在学証明書の提出を要していたのに対して、この学生定期券は発売区間は問わず、購入資格は学生であるのみで在学証明書の提出は不要、通学に使わずとも塾・バイト先へ向かうだけでも使えるとのこと。

 記事に用例が載っています。天白区の平針駅から八事駅に通学している学生が、週二回つまり月八回栄へ行く用事があれば、平針~八事間(2区)の通学定期券5,250円と八事~栄間(3区)の普通券16回分4,160円、合計で9,410円のところ、今後は平針~栄間(4区)の学生定期券5,920円ですむ、という。

 ちなみに栄へ週三回になりますと、合計額が11,490円となり、平針~栄間の通勤定期券10,790円のほうが安くなります。通勤定期券は学生でも誰でも購入することができ、小学生用の通勤定期券があります。小学生が毎日塾に通うと小児用通勤定期券になります。中学生以上が毎日塾に通うような場合は、大人用の通勤定期券になります。

 4区の学生定期券が5,920円ということは、現行の通学定期券と同じ金額ですね。ということは、通学定期券の制度が学生定期券に移行されるのでしょうか。それとも通学定期券の発売要件の変更のみなのでしょうか。中高生と大学生ということで、記事を読む限り小学生は含まれておらず、そこの面では通学定期券の制度は存続されるのでしょうね。時期が近づいて告示が出るまで待たねばなりません。

 また市バスとの連絡はどうなるのだろう。市バスにも通学定期券の制度があり、地下鉄と市バスを連絡して一枚の券で発行する連絡定期券もあります。こちらはどうなるのか、やはり告示待ちです。鉄ヲタの中でも「制度ヲタ」ともされる私には気になるところです。

 発売は来年の3月から。毎年4月に入って4日も過ぎると定期券発売窓口には長蛇の列ができます。入学式を終えてやっと学校から交付された在学証明書を持って通学定期券を買う為に並ばれるのですね。長い時には100mをゆうに超えることがあります。これも在学証明書などを提示を求めないとすれば、この定期券購入の行列(=時間がかかる)は多少なりとも緩和されるのではないかと思います。

 でも発売に在学証明書を求めないとすると、何をもって学生定期券の資格とするのだろうか。これは条例改正待ちですが、学生証の提示も無ければ私でも使えてしまいそうです。

***同日午後7時追補
 先ほどNHKラジオ名古屋ローカルニュースで伝えておりましたが、昨年4月の市バス通学定期乗車券で、自宅最寄停留所~通学先最寄停留所間という発売要件を撤廃した所、売り上げが伸びた(つまり増収)ということです。地下鉄の通学定期券もこれに倣って発売要件を変えるということもあるそうです。

 ・・・であるならば、名称は「通学定期乗車券」のままかもしれないですね。

2009/12/22

JR東海のToica電子マネー開始・来年3月から

 本日の中日新聞朝刊社会面に掲載された記事からです。JR東海のIC乗車券である「Toica(トイカ)」が、来年3月13日より電子マネーとして使えることとなるそうです。

 IC乗車券は、駅の改札機にかざして(今は触れさせるようにとの案内)使用出来るもので、メディアに内蔵したICに記憶された金額から乗車区間の運賃を差し引くもの、あるいは定期券の機能が付加されていれば、その定期券区間内であれば乗車出来るというもの。

 記事によれば、3月から電子マネーとして使えるのは、東海道新幹線停車駅の駅売店(東海キヨスクか?)と自動販売機550箇所。他にJR西日本のICOCAとJR東日本のSuicaの範囲にある駅売店等の加盟店で互換性を持たせ、相互利用出来る様にするとのこと。

 これ「やっと」という感じです。やはりICカードは定期券でもない限りそうメリットが感じられず、「これ一枚で電車からバス、駅売店」というスケールがあって利便性を感じるもので、今回やっとのことでJR東海でも電子マネーの機能が使えることとなります。

 しかし記事を読んで疑問が湧きました。使える売店が「新幹線の駅」ということで、尾張一宮駅など在来線の東海キヨスクは対象外なのだろうか?だとしたら私には通常は関係無い話になり、いささか残念にも思います。

 記事は続けて、Toica定期券で新幹線乗車も開始する。三島~岐阜羽島の区間内でToica定期券を持っていれば、そのまま乗車ができ、特急料金もToicaより差し引かれるという仕組み。ですので、私が米原~京都間で特急料金のみをToicaで支払うことは出来ません。さらに名古屋地区の在来線Toica利用区間が拡大するとの事で、高山本線の岐阜~美濃太田間などが来年3月13日より使えるとのことです。

 私は今IC乗車券カードを三枚持っています。JR西日本の通常のICOCA、Suica共通使用開始の記念ICOCA、それとJR東海のToicaです。このうち通常のICOCAとToicaはただ持ってるだけで残額0円。払い戻し前提にしてあるだけ。そして使用中の記念ICOCAは、JRに乗るというより殆どが駅売店での買い物や、たまに阪急、バスに使うと言った程度。ちなみに阪急や神戸市バスは溜まりに溜まった阪急のラガールカードを使っています。いちいちパスケースから取り出すのが面倒な時に、「ピッ」で通れるICカード。やはり便利です。

2009/12/18

踏切は鳴動始めたら絶対に入るな!

 昨日のこと、踏切の無謀侵入による列車停止に遭遇したのでちょっと書いてみます。列車先頭にいましたので、一部始終を見ておりました。

 場所はJR西日本の東海道本線、愛称がJR神戸線、夕方の新快速で三ノ宮から大阪へ乗車です。12両編成の先頭車。空いてますわ。いや正しくは12両狙いで三ノ宮駅ホームへ上がったわけで、空いてる席もありましたがそこは鉄ヲタ根性、まだ明るい時刻の上り線は珍しいのでいつもの運転士とは反対側に立って、いわゆる「線見」。

 芦屋に停車して、新しい分岐器の線形を確認し、さくら夙川、西宮を通過し、流しながら約120km/hの速度で甲子園口駅の手前にさしかかったその時!、甲子園口駅先にある上り外線出発信号機に併設されている特殊信号発光機(俗称:クルクルパー)が動作を始め、甲子園口駅出発信号機は青(進行)から黄(注意)へと変化、つまりその向うの閉塞信号機内での踏切で何かがあったわけです。

 直ちに列車は非常に入れ(=非常ブレーキをかけること)ホームを行きすぎて、武庫川の橋梁の手前で停車。減速中ホームの途中から、武庫川向うの踏切を白い乗用車が立ち往生しているのが見えます。しかしこの車、直ぐにバックして踏切の南側に引っ込んだ模様で、踏切障害物検知装置が解除された模様で、第三閉塞信号の赤(停止現示)は青に変わりました。

 どうやら無謀な横断を使用とした車が遮断機が降りてとりこになり、複々線のうち間隔が開いている上り内線と下り内線に止まっていたところ、走ってくる電車、つまり私の乗った新快速の姿を見てバックした様子です。全くアホですわ。踏切が鳴動し始めたら、絶対に進入してはなりません。

 これで現場の支障は無くなりましたが、そこはJR西日本。指令とのやり取りが始まりました。全部まる聞こえ。要するにどういう状況なのか、列車の停止位置、信号機の状況を一つ一つ報告、それを指令が復唱喚呼し、逆に指令からの指示も運転士が復唱喚呼しますので、それなりに時間がかかります。

 しかし腑に落ちないのはここから。列車停車後50秒ほどで、下り内線を普通電車が無謀横断をした踏切を通って、通常運転しています。その下り普通は特殊信号発光機の発光はタイミング的に見ていなかったようで、そんなこと指令は知らず、それでも状況報告-復唱喚呼を続けます。そして停車後約3分後に今度は上り内線を走る普通電車が甲子園口駅を発車して、我が新快速を追い抜いて行きました。なんだかな~。

 今回のは非常発報ではなく特殊信号発光機による停止ですが、仮にも甲子園口駅出発信号機が黄色現示のところを80km/h超で通過し、そもそも非常ブレーキで止まっていますので、指令の指示が必要なことは分りますけど、一番最初に止まった列車(我が新快速)だけが貧乏くじを引いたようで、なんだかな~。この場合の運転再開への手順は簡略にできないものしょうか。

 尤も最初、特殊信号発光機の回転し始めたのを見た時、最悪衝突も覚悟しましたし、それでなくとも運転士が列車から降りて、踏切復帰操作に行くことを考えましたので、4分少々で運転再開になったのは結果オーライではあります。ますが、なんだかな~。あの二本の普通電車は、何の躊躇無く、新快速が止まっている横を走って行ったのですわ。

 それにしても、特殊信号発光機が回転し始めるのを見たのは初めてです。五角形の形した頂点に五つある赤灯の一番上から回転し始めるのですね。

 この踏切障害物検知装置・特殊信号発光機と閉塞信号機とが連動するのはJR東海でも取り入れていて、稲沢市の井の口にある踏切では無謀横断が多く、特殊信号発光機が発光すると同時に上り線第一閉塞信号機が赤に落ちるのを、快速の車内から数度目撃しております。しかしこちらはいずれも非常には入れていなかったようで、発光が直ぐに終わると第一閉塞信号は青に戻り、力行開始でした。

 さて、武庫川の踏切で無謀に横断して時間を稼ごうとした奴、結局列車を止めてしまった事で、5分以上も余計にかかってしまったハズで、他の車もいい迷惑ですね。

2009/12/12

モノレールも鉄道の仲間です。

 一昨日放送のNHK総合テレビジョン番組「ブラタモリ」は、品川の回でした。品川というても旧の品川宿と今の品川駅周辺の地区とがあり、番組は当然前者。1923年(大正12年)の関東地震でも被害を受けておらず、22年後の戦争でも空襲が無かったそうで、狭い路地のある街並みが残っています。

 さてこの番組冒頭でタモリさん、妙な事仰っていました。番組開始直後のラインナップの場面、京浜運河をボートで行く上を東京モノレールが走ってくるシーンで、タモリさん「オレはモノレールは鉄道の仲間とは思わない」などと仰ってました。

 これ結構鉄道趣味者でも意見の別れるところでありまして、鉄道派(趣味の対象派)とそうでない派とに別れます。どうやらタモリさんは後者の方なのですね。私はモノレールも対象とする派です。

 モノレールという乗り物は、日本では鉄道の範疇に入ります。二本のレールを敷き、そこに車両が走行するものを普通鉄道と言い、それ以外は特殊鉄道という括りがあります。モノレールはこの特殊鉄道の中の跨座式鉄道と懸垂式鉄道になります。しかし日本では鉄道でも所轄官庁の違いから「鉄道」と「軌道」とに別れているんですね。まぁ一応物理的原理から鉄道というカテゴリではあります。

 私なんぞは、軌道式運搬器具であれば全て関心あり。モノレールはおろかロープウェイもリフトもそうです。リフト・・・スキーリフト等のあのリフトも鉄道事業法で規定されています。勿論そこまで趣味対象とする方は極少数派ですけど。酒屋の運搬用トロッコ、ミカン農園のモノレール、こんなモノに萌えたりするんですわ。youtubeに関西電気保安協会のCMがアップされていて、農園用モノレールに乗った老夫婦が「早よ帰ろ」というセリフのCMがあります。あのようなモノレール、普通の方は見向きもしませんね。私は萌えますわ。

 ということで文字だけではナンですので、モノレールの画像を。大阪モノレールです。彩都線延伸開業前の阪大病院までの頃。万博記念公園駅。2005年2月撮影。

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 同じく大阪モノレール。大阪空港駅近くで。

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 鉄の間でもモノレールついては意見が別れるところと書きましたけど、そういえば昨年暮に名鉄のモノレール線(犬山遊園駅~動物園駅間)が廃止された時も、えらい騒ぎにはならなかったそうですね。最終列車は込み合ったそうですが、やはりそんなものかな。

2009/12/08

明治村のキハ6401搬出・JR東海の鉄道博物館へ

 今日の中日新聞朝刊県内版(愛知県)の記事からです。2011年春に開館予定のJR東海博物館に展示すべく、博物館相当施設の明治村に保存展示されていた蒸気動車「キハ6401」の搬出作業が行われたとの記事がありました。

 トレーラーで運ばれた先はJR東海名古屋工場。工場とは車両の検査・修繕を行う所で、ここで蒸気動車キハ6401の整備を行い、金城埠頭に開館する博物館に搬入するとのこと。

 架線の無いところを走るディーゼルカーのことを「気動車」と呼んでいますが、この気動車の語源となったのがこの蒸気動車。客車の一端に蒸気機関を備え、機関車の牽引に頼らなくとも自ら走行することが出来て、当時は「自動車」とも言われていました。今日では自動車といえばそれは道路交通における自走車両のことを指しますね。

 この蒸気動車、明治の終わりに製造さた工藤式蒸汽自動客車、車両はダブルルーフの当時としては標準的な客車の構造そのままの姿です。

 関西本線で使用した他、後に九州へ転属し、昭和18年に名鉄へ譲渡されたものですが、名鉄では使用実績がありませんでした。そして明治村開館(開村ですね)で復元し、以来展示されていました。

 明治村は12月~翌年3月の月曜日は休館です。この休館の日を使って搬出したのでしょう。とにかくアレだけの大きさ、そして重量。営業中はできないと思います。そして新聞記事での写真は、車両からボイラの部分を取り出し吊り上げた様子が載っています。なかなか珍しい・・・蒸気動車自体が珍しいですが・・・画像です。

Kiha6401

 この記事で気になったこと。この蒸気動車キハ6401はJR東海所有だったのでした。おかしいなと思いつつ記事を読んでみると「名鉄が払い下げを受けたが、鉄道記念物の指定を機に旧国鉄が所有していた西郷従道邸(重文、現在、明治村で展示)と交換」とあり、名鉄から国鉄(当時)へ所有が移っていたのでした。だから明治村展示品なのにJR東海博物館へ移すことになったのだな。

 さて、こうしてキハ6401は明治村から搬出されていきました。動きはしませんでしたが「鉄」にとっては大きな展示品の一つが無くなってしまいました。次は東山動植物園の蒸気機関車C62 17。サル逃走のおかげで公開が遅れてしまいましたが、これも来年の2月に搬出されるそうです。キハ6401以上にデッカく重い物体ですので、搬出作業は大変だろうな。一日で済むのだろうか。準備に何日かかかりそうですね。

 ところで中日新聞での見出しは「蒸気動車 出発進行!!」。こういう比喩がありますので、こんな記事を書きたくなりますんです。
http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/06/post_91b8.html

2009/12/06

北神急行の車両と有馬ヘッドマーク

 3連続、鉄道ネタ記事です。やはり鉄ヲタの端くれなもので・・・。

 先般、神戸市森林植物園へ訪れた際、三宮から北鈴蘭台まで北神急行経由で乗車しました。これが一番早いルートですが運賃が高く、スルッとKANSAI2day・3day使用時に限られるルートでもあります。ちなみにこの区間810円也。

 すると地下鉄三宮駅で谷上行きを待っていると、入ってきた電車は数が少ない北神急行の車両でした。このような稀少な編成に合うと結構嬉しいモノがあります。普段は地下鉄車両ばかりなのでして。

 この電車です。西神中央方の先頭車。撮影は谷上駅。

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 ヘッドマークが付いています。「有馬へ」。有馬温泉への観光PRだそうです。

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 谷上方の先頭車。ちなみに6両編成で、両先頭車はモーターの無いトレーラー(クハ)です。

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 側面。「北神急行」とかいて、Hokusinkyukoと読みます。

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 神戸市の地理に詳しく無い方に簡単に書きますと、北神急行電鉄は、新神戸駅から六甲山系を突き抜けて北区の谷上駅までの7.5kmの路線。途中駅はありません。しかし北神急行は神戸市営地下鉄山手・西神・西神延伸線と相互乗り入れして、谷上駅~西神中央駅間30.2kmで運行しています。

 相互乗り入れの原則で、お互いに相手社線内の走行距離を同じにする為に、単純に7.5:22.7の割合で北神の車両が少なく、地下鉄車両に多く遭遇するということになります。

 この北神急行7000系車両は、北神急行電鉄の親会社である阪急の思想を強く受けており、車内は阪急電鉄車両の雰囲気によく似ています。木目模様の化粧板は阪急のものと同じ。こんなところでも同じ乗るなら地下鉄車両よりも北急車両の方が好いです。

 ちなみにこの「有馬へ」のヘッドマーク。掲出期間は今日までだそうです。

2009/12/05

結局見てしまいました・芸能界鉄道研究会

 昨日の記事「鉄道ファンは今やブームなのか」で書いた、中京テレビ放送番組「芸能界鉄道研究会 鉄研」、記事では「見ない」と書きましたけど、結局見てしまいました。

 当然自宅では見ることができず、ならば彼女宅へ・・・とも思いましたが、昨晩は帰りが午前さま、事のついでですので午前0時に帰宅後に食事の準備だけして再度出発、普段は空き家の文化財級の別宅へ。ここでは中京テレビが映りますので、見ました。

 内容は、いや、まぁスゴイですね。よくあんな内容の放送番組、放映出来る様になったモノと世の変わり様に驚いています。昨日の記事で名鉄と近鉄と書きましたけど「方向幕」が第一回の内容。

 大曽根に鉄道居酒屋なんてモノがあるんですね、そこで中川家弟他による出演者の方向幕談義から始まり、なぜか名鉄旧7000系の電動式方向幕があった事から一人を除く(=中川家兄)一同が大騒ぎで方向幕を回すもの。その後はロケで近鉄富吉検車区へ。近鉄特急車の方向幕を実地に回してみるという、まぁハッキリどうでもいいような(自虐的ですよ~)鉄ヲタしか分らない境地の内容でした。

 方向幕の良さに一人を除く各自が思い思いの話に、私つい笑ってしまいました。ウラで探偵!ナイトスクープやっているというのに。勿論そっちはVTR録画ですが。方向幕の文字で萌えるのは、一文字だけの駅名、逆に長い駅名、省略した駅名etc、、。

 方向幕に入る長い駅名なら、阪急に「雲雀丘花屋敷」がありまっせ。「雲」と「花」の字が他よりやや大きく書いてあるのがミソです。

 ところで番組出演者の木村裕子さん、はじめて見ました。名前は時々伺っていますし、何人か会ったという人がいますけど、鉄道に関する単語の出しようから、彼女はにわか作りではなく相当な「鉄」なのですね。女性の口から幕だの205系だの、面白いというか「へぇ~」です。確かに世の中鉄道ファンブームですわ。放送界というのはえてして世のリーダー的な存在にあり、一人の鉄ドル(女性鉄道ファンアイドル)がいれば、裏に数百人いや数千人の女性鉄道ファンつまり「鉄子」がいるんでしょうね。

 さて、私メ。番組内容が気に入ったかどうか。私は何処へも何やるにも全て「おひとりさま」ですので、あの幕が変わる毎に歓声を上げてはしゃぐノリには付いて行けません。しかしそのツボは分るだけに、うけたうけた。間違っても私が「ぅおっ」とうめき声を上げる、機械式連動装置の仕組み、特に鋼管の切欠きによる鎖錠ロジックなど、絶対に紹介されないでしょうね。そもそもそんな装置自体が博物館級ですが。

 次回放送は12月18日(19日未明)、電車が地下から地上に出る場所なのだそうです。名鉄の地下トンネルと、東山線の一社駅東方がありますね。

2009/12/04

鉄道ファンは今やブームなのか

 12月2日の中日新聞夕刊芸能面に掲載された記事です。「鉄道番組、発車~」というタイトルで、中京テレビで今日から二ヶ月限定の番組紹介記事がありました。その番組とは。

 中京テレビ、名古屋市昭和区の市バス妙見町操車場のお向かいにあるテレビ局。ここのチャンネルで「鉄研芸能界鉄道研究会」という番組を金曜深夜(暦日では土曜日未明)に二ヶ月限定で、鉄道を取り上げた番組を放送するそうです。

 記事によれば中京テレビのKプロデューサー氏がことのほかの「鉄」だそうで、京阪電車のアナウンスものまねでお馴染みの漫才の中川家、俳優の六角精児さんなどが出演して、鉄道の現場を訪れて紹介する番組だそうです。

 第一回は今日の深夜。・・・ですが、私は見られません。なぜって、ウチは中京テレビが写らないのです。ついでに言えば、大須のテレビ愛知も映りません。UHFのアンテナが壊れてますんでス。

 こんなわけでちょっと悔しいですが、私はウチで写っても見るのかなぁ。多分見ないと思います。その時間はなんと言っても「探偵!ナイトスクープ」の放送時間ですしね。それと私は救い様のない程の「鉄ヲタ」ですが、その鉄の対象が車両や写真などといった一般にも理解出来るものではなく、ダイヤや運転取扱などに関心がある「運転ヲタ」、軌道・土工設備の「線路ヲタ」、資料収集や分析の「資料ヲタ」、そんなところでして、絶対に一般向けのテレビ番組として成立しません。それにこの分野の人は少ないですし。

 それにしても鉄道ファンと言われる方、増えてますね。先日もある演奏会で終了後演奏者に私話し掛けました。その方が今度ドヴォルザークの曲を演奏なさる事で、

 私:「私、ドヴォルザークと同業です」
 相手:「ぇえっ」
 私:「ドヴォルザークと同じ鉄道ファンなんです」
 相手:「そうですか、彼相当なファンだったそうですね」

・・・こんな話を続けて、もう一人の演奏者も話に加わり、ひとしきりのドヴォルザーク話になりました。これだけ話が進むほど、楽器演奏者でもドヴォルザークの鉄道ファンぶりは有名なのですね。演奏者が続けてお話頂きましたけど、演奏者の中にも鉄道ファンが結構いるとのこと。そんな方々は今まで黙っていたのかな。今はブームで「私も」「私も」と名乗っているみたいね、というお話でした。

 そうなのです、今まで押し黙っていた方でも鉄道ファンと名乗れるほど、世は鉄道ブームだそうですね。その一例が女性鉄道ファンの「鉄子」という言葉が出来るほど。生まれる前からの鉄道ファンである私としては、こんな現象はどちらかといえば別世界のような出来事に感じますけど。

 でもこれだけ鉄道ファンが増えても、テレビ番組が出来る様になっても、鉄道雑誌の売り上げはどんどん低下しているそうです。インターネットの影響でしょうね。その一方で単行本はそれなりの売り上げだそうで、ここにも旧来の構造破壊が及んでいるのでしょうか。

 ところで、鉄道列車が駅を発車する際の「出発進行!」は、どんな意味があるのでしょうか?弊ブログ2008年6月24日記事に色々書きましたので、宜しければ御参照を。

*** 朝追加
 今朝の新聞ラテ欄では、今日の放送「名鉄と近鉄」だそうです。何方か見られた方がいれば、コメント欄なりメール送信なりでお知らせ下さい。

2009/11/29

黄色いイチョウと赤い電車

 今年の秋、このブログで神戸市森林植物園と名古屋市東山植物園の紅葉を書いてきましたが、もう一つ私が毎年目にするこの季節の色づきがありました。イチョウ、銀杏です。

 銀杏いうと大阪御堂筋の並木が有名ですが、愛知県祖父江町はギンナンの産地日本一。ギンナンというのは漢字で書いて「銀杏」、そうイチョウです。つまりこの時期はほぼ一斉に葉が黄色くなりまして、それは鮮やかさとは又一風違う独特の光景となります。

 というわけで、28日お昼過ぎ・・・より日も傾いた頃、祖父江町へ行ってきました。祖父江町と書いてますが、今は稲沢市祖父江町。その山崎地区では黄色く色づくことから黄葉(こうよう・おうよう)まつりが行われており、普段は行き交う人も少ないこの地に人がどっと繰り出します。私の目的は黄葉まつりではなく、黄色い林の中を赤い電車が走る様子を見ること写すこと。名鉄尾西線がここを走っています。

 山崎駅から北へ160m。この画像の位置は実は市境を超え、一宮市になります。

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 更に北の地点。ここより少し北は名古屋水道との交差地点。

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 少し戻り、銀杏の向うを電車が。

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 青空と黄色い葉とはよく合います。

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 これだけでは何ですので、すこし山崎地区で写した黄葉の様子。祖父江町は多くの場所で銀杏が植えられていますが、この山崎地区で黄葉まつりが行われているのは、地区にあるお寺「祐専寺」に由緒あるイチョウがあり、それが旧祖父江町から引き続き稲沢市でも史跡指定されているからだそうです。その様子は今後紹介することとして、少しだけ山崎地区での黄葉から。

 先程の電車撮影場所で角度を変えただけ。ギンナン収穫用に栽培された木です。

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 その林の中。他の紅葉と同じく今年は進み具合が早くて、もうこんなに落葉していました。かなりニオイます。。

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 山崎集落のとある場所。

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 やはり集落内の細い道は観光の方も敬遠されているような。落ちた葉が敷き詰められ、まるでイチョウロードのよう。ここを通った先の祐専寺のイチョウは、後日紹介します。

2009/11/24

阪急電鉄の四線直通列車・2009年秋臨

 もう三週間以上前のお話となってしまいました。ちょっと鉄道の話は抑え気味にしたかったですが、二日前に阪急電鉄の「もみじ」ヘッドマークを投稿してから、やはりこちらのことも書きたくなりました。

 紅葉の名所、京都嵐山。二週間前のABCラジオ土曜も全開のコーナー「どっちがそそられるでしょう」でも、東山か嵐山かで「どっちが良い?」などとありましたけど、嵐山へは阪急電車の線路があります。嵐山線です。広い意味での京都線に属していますが、通常は嵐山線と京都本線の間では直通運転は行われていません。

 しかし春の桜と秋の紅葉の時期は多くのお客が見込まれ、大阪梅田から直通の臨時列車が運転されております。それが昨年秋から少し変化があり、京都本線だけでなく神戸本線からも嵐山へ向けての臨時列車が何本か運転。ヘッドマークを付けたり通常とは異なる線路を走行することから話題になっていました。

 さて三週間前のこと、高雄へ単にバスに乗りに行ったという時のお話。阪急電車に乗って嵐山駅まで行きましたが、桂駅で見る嵐山線時刻表は臨時ダイヤの表を掲示。事前に調べたのが役立たずで、しかし臨時ということですし嵐山駅で余裕があったのでそのまま待つ事に。

 すると桂駅C号線に嵐山発河原町行きのこれまた臨時列車が入ってきました。下の写真です。

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 こちらは特にヘッドマークはありませんが、列車種別欄は「臨時」とあります。停車駅が通常と異なり、京都本線内は烏丸駅のみの停車です。二本ある6両組成の内の一本を充当。

 この嵐山発河原町行きの臨時列車は、大阪方面から嵐山行き臨時列車の到着を受けて発車します。その大阪方面からの臨時というのが、私が嵐山へ向けて乗車した列車。いつものように先頭車に乗り込みましたが、一番前のドアから前だけが異常な込みよう。そう、臨時列車で、珍しい運転線路を走るということで一番前に陣取っていたようです。

 列車入線時には気が付きませんでしたが、この列車なんと宝塚駅始発の臨時列車。しかも今津線の宝塚駅からで、今津線~神戸本線~京都本線~嵐山線と、四つの線路を跨いできました。

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 先頭車に乗っていたのでまだ人が少ない中、写せましたが、だんだん人が多くなってホームギリギリにせり出す人も。名鉄のパノラマカーも最後の頃はこんな光景だったのでしょうね。

 そしてヘッドマーク。これが人気高いらしい。

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 もう少し寄ってみて。

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 車号が隠れて見えませんが、7123です。神戸線所属の6両編成。今津線にも時々使われる編成です。7000系で嵐山線に乗れるなんて、なんともいい偶然。7000系の様に神戸線・宝塚線用の車両は、京都線用の車両に比べて少しだけ車体の幅が狭いですが、ホームではそんな僅かな差は感じられませんでした。

 さて、高雄までバスで一往復し二時間後に阪急嵐山駅へ戻ったら、何か撮影会みたいな事やってました。この画像は「臨時:嵐山」になっていますが、その後方向幕が回りました。ホームを歩いていた乗務員氏も足を止め、新開地だの須磨浦公園だの、嵐山駅では絶対に見られない行き先を見ていました。須磨浦公園なんて今は阪急車は走っていないですね。

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 この臨時列車、運転ヲタの私とすれば、ちょっと特異なルートを辿ります。一つは西宮北口駅を今津線から神戸線に入るホームの無い急カーブの線路。もう一つは十三駅構内で神戸線と京都線の間を転線するところ。後者は普段から京都本線の正雀駅に隣接した正雀工場へ入出場する際に用いている線路で、それをお客さんを乗せての走行という点で珍しい。こんなルートです。

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 昨年の秋に一週間だけ走った時は、上の図のように一旦梅田駅へ入る方式でした。勿論梅田駅ではドアは開きませんし、十三駅でも神戸線のホームのみでのドア扱い。運転本数が増えた今年の春も同様に。

 十三駅構内の引上げ線を整備し、今秋からは十三駅で直接神戸線から京都線に転線するようになりました。また十三駅でも神戸線と京都線の双方のホームで乗降する様になったそうです。なお、この十三駅構内引上げ線使用開始で、京都線から宝塚線への進路構成は出来なくなりました。

 嵐山への行楽輸送ということで、午前は神戸・宝塚から嵐山へ、午後にその逆ルートで、この臨時列車に乗る機会はちょっと難しそうです。しかし乗った所で、同業の方々が先頭部で一杯では、前を見るのも難しいですね。まぁ一応鉄道のイロハを知る者として、現地設備を見て、あとは一般論で十分理解できます。

2009/11/22

もみじのヘッドマーク・阪急と神鉄

 車両先頭車につくヘッドマーク、略してHM。定期的に掲げる列車もあれば、鉄道沿線のイベントなどをPRするための季節・期間限定で掲げることもあり、これ結構人気が高いそうですね。

 さて紅葉のこの季節、阪急電鉄では一部編成に「もみじ」のヘッドマークを掲げています。京都へ嵐山へ箕面へ、その他の紅葉の名所へと紅葉シーズンのPR。

 先日、京都市内の阪急京都線烏丸駅で梅田行きを待っていたら、反対の河原町行き特急が「もみじ」のHM装着列車でした。車号は6354。今や数少ない6300系の特急車です。

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 もう少し近寄って。

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 ヘッドマークの拡大。

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 こちらは三宮駅で。神戸線の車両。

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 阪急電鉄でのもみじHM掲出期間は、11月末日まで。掲出編成はこちら。これによれば、京都線の特急車は8編成に掲げられているんですね。これなら特急に限れば遭遇する率高そうです。

 神戸電鉄でも有馬温泉で紅葉のイベント、ジョイフル有馬をPRするHMが一部の編成に掲げられています。こちら画像は北鈴蘭台駅で。鈴蘭台に向けて50‰の勾配を下るところです。

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 18日の森林植物園を訪れた際の撮影。こちらは谷上駅で、HMの拡大。

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 有馬の紅葉も良いですね。一度だけ瑞宝寺公園へ紅葉の季節に行ってみましたけど、正に紅葉の森といった、全山紅葉。奥へ行けば行くほど人が少なくなり、趣きのある紅葉を楽しめる場所でした。

2009/10/30

三重県の名松線、一部区間事業廃止へ

 10月8日に愛知県に上陸した台風18号。愛知県でも私の住まいする尾張北西部ではそれほど被害らしい被害はありませんでしたが、上陸した日の未明には三重県から愛知県南部にかけて激しい雨が降ったらしいことは、弊ブログでも書きました。

 この際の雨だろうと思いますが、三重県の松阪から延びているJR東海の名松線が不通になり、被害が軽微だった松阪~家城間は一週間ほどで復旧しましたが、その先、家城~伊勢奥津間は橋が流されたり路盤流出、土砂流入による相当な被害であるそうで、いまだに復旧の目処は立っておりませんでした。

 そこへ29日、JR東海ではこの家城~伊勢奥津間の復旧を諦める旨の発表がありました。つまりこの区間の線路周辺に続く山林を含む沿線事情で自然災害に弱く、時間降水量20mmで列車抑止を行うほどで、今後復旧したとしてもちょっと大雨が降ればまた同様な被害が予想され、輸送を果たせなくなるであろうとの理由で、家城~伊勢奥津間はこのままバス代行輸送を続けることを発表しました。
 →JR東海

 そして一部新聞報道では、沿線自治体との協議がまとまれば、第一種鉄道事業廃止へ、ということだそうです。

 この名松線、これまでにも自然災害で何度か不通になっています。これまでにも一年近く不通になったこともあり、そのたびに廃止が取り沙汰されました。しかし平行道路の未整備で国鉄末期の特定地方交通線からも除外され、なんとかこれまで持ちこたえてきました。しかし此度の台風で一部区間とはいえ、とうとう廃止ということになってしまいました。

 今後、家城~伊勢奥津間の廃止後も松阪~家城間は鉄道としては存続し、廃止する家城~伊勢奥津間の代行バスも現行の鉄道運賃を適用して、JR東海として輸送を続ける予定だそうです。

 私はまだ名松線には乗った事がありません。廃止される(今はバス代行中)の家城~伊勢奥津間は風光明媚を越えて、いささかスリル感もあるほどの線路状況であるやに聞きますし、この動画を見ても山がぎりぎりの所まで迫るところがあり、厳しい地形です。ぜひ一度乗りたかったです。

***2010年11月25日追補
 昨日のJR東海社長会見で、災害区間の治山治水工事を地元で行い、かつ今後も維持管理を行うのであれば、JR東海として名松線復旧工事に入る用意がある、との見解がありました。→弊ブログ記事

2009/10/27

久しぶりに阪急電車を撮影

 そろそろ年賀状の季節になりました。基本的には私は年賀状を出さないのですが、一部の方には鉄道列車をあしらった年賀状を作っております。その図案で毎年悩むところで、ここ数年は一枚物の全面印刷で作っております。

 で、普段はあまり列車を写さないからこそ毎年悩むわけで、今月上旬にちょっと写してきました。阪急神戸線です。その中からボツにするだろう予定の画像から。

 神戸線夙川駅です。坂を下りる梅田行きがいい構図と思ったのですが、いかんせんホームからですのでレベルが高すぎました。

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 下り線の出発信号機がうるさかった。向こうの切り通しへ行こうと思いましたが、サボり精神はダメですね。

 続いて御影駅。梅田方ホーム端から御影のカーブを望む。

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 そこへちょうど8000系のトップナンバー車が来ました。阪急は0番から附番します。

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 御影駅から岡本駅方向に徒歩5分ほど。有馬道踏切から。

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 数十枚写しましたが、人様に見せられるような画像は少ないです。ましてや年賀状にはねぇ。ここに挙げた画像は多分ボツになります。しかし他の画像でどうしても納得いかなくなれば年賀状に使うかも・・・です。

2009/10/20

東山動植物園に保存されているC62形蒸気機関車

 名古屋市の東山動物園でのサル逃走騒ぎは、結局5日間で収まりました。相手がサルだけに長期戦になるのでは?という危惧もありましたが。

 東山動植物園、エリアからは植物園になるそうですが、ここには国鉄C62形蒸気機関車が保存展示されています。C62形は我が国最大の旅客列車用蒸気機関車で、東山に保存されている車両はその17号機。東海道本線で速度試験で、蒸気機関車としては狭軌鉄道最速の129km/hを記録した車両です。

 そのC62は、サル逃走の基となった新ニホンザル舎建設により、今年の春から置いてある場所へ行けなくなっており、しかも新ニホンザル舎の逃走に結びついた塀や木を直すそうで、さらに公開が先にずれ込む事になりました。

 そこで、これは予てから書こうと思っていたことで丁度いい頃合、しかもテルテルさんから「期待します」なんてありましたので、過去に撮影した画像から紹介します。

 先ずは全景。子ども動物園エリアの一番奥まった所にあり、後のテンダーの部分は高架道路の下に少しかかっています。

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 後から。

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 先台車と第一動輪。

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 第一動輪と半分切れてますが第二動輪。

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 第三動輪。でも何故第二動輪をしっかり撮らなかったか?

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 正面の拡大。

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 キャブ(操縦室)の部分。

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 記号番号(いわゆる車両の形式と固有番号)と所属機関区。変な一文字は名古屋の「名」。名古屋機関区。但し名古屋機関区にいたのは、1950年代前半だけです。

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 このC62 17は一度ボイラ交換が行われており、その時の銘板です。鷹取工場は今は無く、震災後の復興開発で住宅団地などが並んでいます。

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 C62形とはどんな機関車かは、今更説明要らないですね。webに多くのページがあります。簡単に私の記憶だけで書くと、戦後、貨物用蒸気機関車が余る一方、旅客用の蒸気機関車が不足しており、そのため余っているD形機関車をC形に改造して誕生したのその一つが、このC62形です。

 C62 形17号機は、元の番号はD52 269で、1948年12月30日に改造落成し以来、山陽筋と東海道本線でも西の方で活躍した機関車。名古屋機関区時代の1954年12月15日に木曽川橋梁で最高速度129km/hを記録しております。

 ちなみに前後に勾配がある木曽川橋梁で試験が行われたのは、取付勾配を含めて付近に人家が少なく、また踏切も無いことから高速試験の区間となったようなことを、何処かで読みました。

 この東山展示のC62は、JR東海の所有、名古屋市へ貸与という形になっています。またJR東海が計画している鉄道博物館での展示が決まり、やがてこの場所から離れることになります。1971年の廃車後からこの場所で保存され、私も子供の頃に見た記憶があり、少し寂しさを覚えます。

撮影:2007年12月1日

2009/10/14

鉄道記念日改め鉄道の日

 今日は10月14日、我が国で初めて鉄道が開業した日であります。それを記念して、国鉄の前々身である鉄道省が「鉄道記念日」として制定したもので、国鉄時代は色々記念式典が行われていたようです。

 私が最初、鉄道記念日を知ったのは鉄道開業100周年の年。何歳であったかはナイショですけど、鉄道発祥の地とされる旧新橋駅、後に貨物専用となった汐留駅からC57が牽引する記念列車が発車して行く様子をニュースで見ました。以来、10月14日は鉄道記念日であると、自分の誕生日以外に記念日を覚えた第一号だったと思います。その時既に鉄オタでしたので。(今は鉄ヲタですけど・・・笑)

 我が国で始めて鉄道が開業したのは、1872年(明治5年)9月12日。勿論当時は旧暦で現行暦に直すと10月14日。この日は天皇を向かえて記念式典が行われ、新橋(汐留)~横浜(桜木町)間に記念列車が走りました。

 一般営業は翌日9月13日(現在の暦10月15日)からだったらしく、今様の「開業日」とすればこの9月13日(現在の暦10月15日)となります。今日でも鉄道開業の前日に開通記念式典を行い、開通記念列車が走ることもあります。

 明治5年の鉄道開業に遡ること3ヶ月前。旧暦9月(現在の暦10月)の正式開業に対して少し仮営業を行っていました。1872年5月7日(現在の暦6月12日)から一足先に完成した区間、品川~横浜(桜木町)間で仮に営業を始めております。当初は途中の駅は無く、品川駅と桜木町駅(当時の横浜駅)の駅開業日は、明治5年9月12日の本営業より早い5月7日(現在暦6月12日)となっています。

 さて、鉄道記念日は1990年代に入ってから「鉄道の日」と名前が改められました。どんな事情かは分りませんが、wikipediaの記事では「国鉄無き今では広く鉄道事業者全てを対象としたい」だそうで、私の印象ではその頃より何やらにわか鉄道ファン向けのイベントが多く行われる様になったと感じています。東京日比谷では大きなイベントがあるそうですね。私の関心分野の違いもあり、どうもあのような所へは行きたいと思わないですわ。

2009/10/10

嵐電・過去の画像から

 毎週木曜日午後10時からNHK教育テレビジョンで放送している、趣味悠々「デジタル一眼レフで巡るローカル線の旅」は、鉄道写真作家の広田氏が講師となり、鉄道写真の撮り方をレクチャーしながらローカル線のミニトリップを楽しむという番組です。

 その番組で10月8日放送分は、「街中で撮る」という主題で、京都の京福電気鉄道、通称“嵐電”でした。決してローカル線というイメージではありませんが、地元の方が日用の足で使う点ではローカル線かもしれませんね。

 私も過去に何度か嵐電を撮っておりますので、ここで少し紹介したいと思います・・・ということで画像を探してみましたが、考えてみれば嵐電そのものを狙って写したということは殆ど無く、大体は行き掛かりに撮影したもの。撮影点数が少なかったです。

 帷子ノ辻駅において。左側の電車はレトロ風に新たに建造した車両です。2007年5月20日撮影。

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 番組でも撮影ポイントに選ばれた、狭いホームの山ノ内駅。嵐山行き電車の正面から。ちなみにここを走るバスは、ホームの左側を通り抜けることができず、ここだけ軌道敷内を通ります。2007年11月3日撮影。

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 新たに設置された、嵐電太秦天神川駅を蚕ノ社駅から望む。この間の駅間距離は200mほど。2008年5月21日撮影。

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 嵐電は道路面から抜けたり入ったりします。この蚕ノ社駅で路面区間から一旦抜け、次の太秦広隆寺駅までは電車だけの軌道敷を走ります。

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 この次の駅、太秦広隆寺駅がこれまた凄いんですね。その話題はまたいずれということで。その凄い部分だけ撮影して、電車を入れての画像は無かったンです。

 ところで、番組中で太秦広隆寺駅から歩いて、北野線の常盤~鳴滝間で北野線電車の撮影を行っていたシーンがありましたが、この場所正しくは鳴滝~宇多野間です。というより宇多野駅そばの陸橋からの俯瞰でした。

 なおこの嵐電こと、京福電鉄嵐山本線は、通常は一両編成の運行ですが、朝ラッシュや春秋の観光シーズン土休日は二両編成で走ります。

2009/09/27

八ツ場ダムと樽沢トンネル

 群馬県の吾妻線沿いに流れる吾妻川・・・逆だ、吾妻川沿いに走る吾妻線ですね・・・に建設中の八ツ場ダムについて、民主党は予てから建設には反対の立場だったそうですが、政権を得て中止の意思を明確にしたところ、地元との意見交換で鉄道ファンの国交相が現地に赴いたものの、えらく混乱している様子はこの所の報道で伝えられています。

 この八ツ場ダムについて、今私が云々言うことはできませんが、造らずに済むものであれば造らない方が良いのでは、ということだけ書いておきます。

 八ツ場ダム・・・、「やんばだむ」というのだそうですね。この話題が持ち上がって、はじめて読み方を知りました。しかしこのダムの存在(予定ですが)は以前から知っていました。

 八ツ場ダムの堰堤建設予定地から少し下流のところに、JR東日本の吾妻線の樽沢トンネルがあります。この樽沢トンネル、知る人ぞ知る、JR各社の中で一番短いトンネルで、国鉄時代から最短トンネルということで有名です。しかし吾妻線は八ツ場ダム建設に伴い、線路の付け替えが行われて、この最短トンネルの樽沢トンネルを含む区間も新しい線路に移り、無くなってしまうことになっています。なにしろ最短トンネルということで非常に残念に思っていました。

 しかしそこへダム自体の工事を中止するのかしないのか、いや中止するのでしょうけど、地元との間で揉めている状況。

 仮に工事中止となると、吾妻線の付け替え線路はどうなるのでしょう。どの程度の進捗なのかは分りませんが、この秋にダム本体着工を考えると、もうかなり出来上がっているのではないでしょうか。このまま新線に移して、旧線は廃線となるのか。そうなると日本最短のトンネルが無くなる事になります。

 このニュースを見聞きするにつれ、そんなこと考えていたりしていました。

 さて最短トンネルの樽沢トンネル、全長7.2mです。ここを通る旅客車の一両の長さは20mですので、三分の一より少し長い程度です。そんな短いトンネル、なぜあるのか不思議な存在ですが、急峻な岩場斜面を線路が通り、その岩場のふくらみ部分をくり貫いたというトンネル。トンネルの上には松の木が生えており、良いアクセントになっています。

 トンネルの画像はありません。吾妻線はおろか、まだ群馬県に行ったことが無いのです。

 「八ッ場」の地名は、工事現場にもなる吾妻郡長野原町にありました。読み方を調べると「やつば」。しかしダムの名称は「やんば」。どうなっているのか・・・?

2009/09/23

神鉄北鈴蘭台駅・電車広場あれから

 神戸電鉄北鈴蘭台駅、通称「北鈴」。この駅は六甲山系の山稜に位置し、住宅地に囲まれた駅・・・というより、住宅が増えて駅が設置されたもので、駅の前後は50‰の急勾配になっています。

 ・・・と同じこの前置きを昨年5月29日にこのブログで書きました。この駅の西側広場に「電車広場」という、神戸電鉄の車両で使われていた車輪、レールで分岐器のクロッシング、それと枕木で作られたベンチが置かれています。その模様はこちらに書きました。

 ・2008年5月29日投稿:「北鈴蘭台駅・電車広場」
 http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/05/post_c920.html

 しかし塗装が剥がれかかっており、あまり見栄えのいいものではありませんでした。特に車輪もレールも全く関係の無い色を塗られており、元来の色・・・というより地金の色を知っているだけに、余計に感じた物です。

 それが今年6月に見たら、あらら、塗装が新しくなっていました。しかし車輪の塗り色は一層激しくなっていましたが。なんでオレンジと青緑色やねん。

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 分岐器でも分岐をしない、クロッシングのみのレール。レールでも鋳鉄一体成型になっています。でもなんで赤と青だろうか。

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 古枕木を利用したベンチ。これも神鉄ゆかりの品だそうで、電車広場入りです。こちらは特に塗り変えた様子はありませんでした。

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 北鈴蘭台駅へは谷上駅から神鉄で到着。乗った電車は昨年走り始めた6000系でした。

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 この日、贅沢に三宮から北神急行経由で北鈴蘭台へ。地下鉄+北神急行+神鉄の三者利用で、本来の運賃800円也。高い!。しかし所要24分。早い!。スルッとKANSAI3daysチケットで、殆どタダで乗ったようなものでした。

 はじめに書いたように、北鈴蘭台駅は森林植物への行き帰りに利用しています。年に10回程度です。最近は北神戸の日の峰・桂木から歩くこともあります。あの区域からは意外と近いですからね。標高差は結構ありますが。

2009/09/22

これも代行バス?…東山動物園のスカイビュートレイン運休で

 鉄道のある区間で、事故や災害で列車の運行が出来なくなると、その区間を代わりにバスで輸送することがあります。これを通称は列車代行バスや鉄道代行バスといい、14年前の震災の時は、これが大規模に行われました。

 さて、東山動物園。ここにはモノレール「スカイビュートレイン」があり、地下鉄東山動物園駅近くの正門前から植物園駅までを結び、線路の形態としては一周する循環運行です。

 このスカイビュートレインが、今年4月の河村さんが市長になって間もない頃に、走行中の列車から部品を落下させたとかで、以来4ヶ月以上運休となったままです。

 流石に植物園から正門の間は距離があり、そこで7月終り頃からスカイビュートレインに代わって、バッテリー式のカート車が登場しました。区間は正門前の駅から上池門そばまで。

 上池門そばで、車両と共に待機中の係員。撮影は9月上旬の平日で、園内は大変空いておりました。

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 同じく。後方は上池門。

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 そのカートです。バス撮影の手順に倣って、左前方から。

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 これ、植物園でガイドボランティアによる案内の車と同じもので、定員は4名です。

 

 こちらは正門前。スカイビュートレイン運休と、上池門までのカート案内。料金200円なり。

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 正門前駅下のきっぷ売り場。4ヶ月もこの姿で、寂しいですね。

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 そして正門前駅で止まったままのスカイビュートレイン。

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 お知らせでは部品落下で現在点検中と言う事ですが、いつ行っても点検している様子は見られず、上の写真のように編成の一つは正門前にずっと止まったままで、この先どうするのでしょうか。

 しかしまぁなんですねぇ、スカイビュートレインは高いです。一周すると500円。植物園まで(から)の片道だと300円で、園内遊戯施設と見做せば他にもそんな値段なのですが、やっぱり高いや。そのためか、普段からでも結構空いていました。

2009/09/17

JR西日本のアーバンネットワークに225系電車200両を投入

 JR西日本の近畿圏都市間輸送の区間、いわゆる「アーバンネットワーク」に新たに「225系」電車を約200両を入れる事になったそうで。

 アーバンネットワークの特に東海道本線~山陽本線には、朝から夜まで新快速電車が15分毎に最高速度が130km/hで走っています。これに使われている車両が223系。223系でも震災後に投入された1000番台の車両には、早いものでは既に車令14年に達しています。

 またこの新快速で223系以前に使われていた車両である221系も、快速の系統としてまた他各地でも多数使われており、こちらは早い車両では既に21年に達しています。

 そこで、新快速用223系1000番台2000番台の取替えも含めて、新たな車両を投入することとなったようです。また以前に私のブログでも書いた通り、2011年3月を目途に、新快速は全て12両編成に増結されます。そのために40両を増やさねばなりませんが、この40両分をブログでは223系で建造するようなことを書きましたけど、これも225系でしょうね。この40両を含めて約200両を新たに造るということです。

 ・イメージ画像のある記事はこちら
 http://rail.hobidas.com/news/info/article/106471.html

 車体は、2005年の福知山線塚口での事故を教訓に、先頭車正面の運転台回りを強化したとのこと。かつて国鉄時代の車両は、踏切事故対策で運転台を上へ上へと上げる傾向があり、鉄板を数枚重ねて大変強化していた時代がありました。キハ40など「ツリ目」のようです。

 しかしこのところはまた下がる傾向になり、しかも嬉しい事に正面の窓も、客室と運転室との仕切り窓も大きくなって、客室から前が大変見やすい構造です。これはこれで嬉しいのですが、どうしても国鉄時代の設計思想が頭にあり、「大丈夫だろうか」という思いも。それが225系ではまた上へ上がるようで、正面窓は助手席側も小さめになっています。

 ま、わたしとしては前が見られればそれでいいのですが、小さい子どもたちからは不評になるかもしれませんね。

 この新しい225系電車は、最初の車両が来年5月頃に投入されるとのこと。そして順次投入してゆき、2011年には全ての車両が入ることりなりそうです。そして多分、多分です、玉突きで古い113系などの車両約160両が廃車になりそうです。

2009/09/11

名古屋市地下鉄桜通線開業20年

 今日は9月11日、過去には東海水害(2000年)、米国で同時多発テロ(2001年)、そして2005年には前回衆議院総選挙で、自民党が圧勝したと言う日です。

 実は2009年の本日、このブログで毎日投稿が3月11日から続きに続いてちょうど半年。よく続いたものです。なにも毎日書いていれば良いというものではなく、やはり投稿内容は吟味しなければいけないかな。いや、私の場合は書くネタは結構あるほうなのですが、いかんせん頭が悪い。文章化する能力が低く、若干駄文になりかけています。

 ご近所のブログもなぜか毎日投稿なさっており、そちらはほぼ毎朝(多分)とリズミカルですが、私の場合はどこかご近所ブログが気になるのか「毎日」にこだわって、24時間のどこかで投稿すればその日の投稿になることから、未明も未明、午前0時過ぎに書いたり、逆に23時58に投稿送信したりと、結構キワキワです。

 また一昨日から昨日にかけて、OCNブログ人トップページの最新おすすめフォトに私の画像(サルスベリ)が載っていたそうで、おかげで多数のアクセスを頂きました。昨日で掲載は終わっているはずですが、昨日は他の検索からが多く、久々にアクセス数100を超え、少し安心しております。今日は・・・、、、。

 そしてこの投稿で499投稿目。次で500投稿。こんな駄文のブログにお付き合いいただいています皆様、ありがとうございます。

 という長い前置き(え、前置きだったんだ・・・)は兎も角、昨日9月10日は、名古屋市交通局の地下鉄桜通線、正式名称が六号線が営業開始してちょうど20周年。この桜通線の開業は衝撃的でした。

 桜通線が開業したのは、世界デザイン博覧会が行われていた頃。桜通線と交差する名城線にも久屋大通駅が新規開業し、会期中のことで博覧会輸送も行っている名城線も、その臨時ダイヤが改正されました。といっても1分だけの違いでしたけど。

 桜通線の当初開業区間は、中村区役所駅~今池駅間。これは混雑の激しい東山線名古屋駅~栄駅の混雑緩和を目的にしており、その通り、朝ラッシュ時には東山線名古屋駅では度々改札制限が行われていたのが、桜通線開業後は通常では改札制限は行っていないということで、その効果が発揮されています。

 覚えている方いるかな。東山線に黄電といわれた車両のうち、横引きドアの車両100形6両編成で、藤が丘方の車両の三つあるドアのうち、藤が丘方戸袋窓が鉄板で埋められていたこと。これは名古屋駅で名鉄乗り換え階段に近い所で、激しい混雑でこの戸袋窓に手をつく人が多く度々ガラスが割れ、そこで戸袋窓のガラスを外してそこを鉄板で埋めたというほどで、そこまで混雑が激しかったんです。

 個人的に桜通線が開業した頃の衝撃は、とにかくホームが広いこと。これ桜通りの構造に起因するもので、地下鉄隧道躯体が着工される前に既に桜通りの道路下には共同溝と上下水管などが埋設されており、それを避けて単線トンネルを掘ったため、駅ではそのまま上下線間隔が開いたままで、広い広いホームが登場したわけです。ホント広くて、これだけ広いと気持ちいいです。

 桜通線はその後、2004年3月の緑区野並開業を前に、2月から自動運転と試験的にワンマン運転を実施しております。自動運転というても無人ではなく、運転士は乗務し、発車の起動から次駅停止までの一連の操縦が自動化されているもので、運転士はただ発車のボタンを押すだけです。この装置が導入された頃、ある年配運転士がこんなこと言うてました。
     「オレより運転上手い」

 この桜通線、残念なことに今は土曜休日ダイヤでは運転間隔10分毎。これでは都心部の例えば名古屋駅~久屋大通駅間のような短区間の乗車は出来ません。駅ホームが地下深くホームまで(から)たどり着くのに時間と手間がかかる上に、運転間隔10分ではねぇ。新瑞橋や野並方面など乗車時間が相対的に長くなるような乗車の他は、最近はあまり乗っておりません。

2009/09/08

鉄子・歴女

 このブログであまり多くの記事は書いておりませんが、私は無類の鉄ヲタです。どの程度無類なのか、奥深く関心を持ちすぎて、却ってあまり積極的な行動とはならないという状況です。

 なんでも暫く前から「鉄子」と言われる、女性の鉄道ファンが増えているのだそうですね。そして今は「歴女」とか言うのだそうで、歴史好きの女性が増えていると、Yahoo!のニュースなどで出ていました。

 なにもこの二つ、最近急に増えたのではなく、マスコミが作り出したものだと思います。ただマスコミに載ると、それに同調する人も出てくるのは確かで、「お金はお金持ちに集まる」ではありませんが、マスコミという他動的な要素で鉄子・歴女さんが多くなってくるのでしょうね。

 なぜ今回こんなこと書いたのか。先般、「私か?」と思えるほど、列車の正面から前方をまるで「注視」している女性の方がいました。しかも夜で。姿勢は微動だにせず、運転士見習いか、それとも私か。

 前方を見るのは多くの方に人気がありますが、それは「流れる景色」が楽しいからなのでしょう。ですので夜は前が見えていても見るのはほぼ皆無。それを見ているのは、「線路」を見ているのでしょう。線路とは「レール」ではなく、軌道の三次元的要素、信号、速度制限箇所等々。要するに列車操縦に必要な線形でしょう。私はそうです。

 もう四半世紀前になるかな、某全国的な鉄道愛好会の名古屋支部に、女性会員の方がいました。それこそ紅一点で(普段顔を会わせる人では)、聞けば女性でも鉄道好きな方が少なからずいるでしょうとのこと。その後何人かの女性会員が例会に顔を出すようになりました。

 しかし男ばかりの世界に女性がいるのはいいものですね。場が和らぎます。

 さて歴女さん。私は歴史は江戸時代まで(以降か・・・近代史)で、それ以前はどうしても関心が持てなく、あまり書けないですが、こちらでも表面に現れなかっただけで、昔から歴史に関心のある女性の方はいらしたそうですね。

 ところで鉄道と歴史、この両者共通点がありまして、特に鉄道でも鉄道史に関わればそれはもう歴史考察になります。遺跡や史跡を巡る鉄道版として廃線跡を巡るというのがあります。これも少し前にブームになりましたが、どこに実際の線路が通っていたのか、それを推定するのには、鉄道工学と歴史(時代背景)の両方の知識が必要です。

 以前にこのブログでも書きましたが、鉄道忌避伝説も鉄道工学に無知な歴史家が、鉄道で町が寂れるという妙に万人が納得できる理由付けでまかり通ってしまいます。鉄道忌避の実情は、ほとんどが技術的な要素で、結果的に町を避けてしまったというのが実情です。

 鉄子も歴女もマスコミに動かされずに、自分の意思で関心を持ったり、行動したりしたいものですね。

2009/09/05

京都駅前に建つ電気鉄道事業発祥地の碑

 京都は、我が国ではじめて電気鉄道というものが走ったところです。それを記した記念碑が二箇所あり、その一つが京都駅前にあります。

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 最初に走った区間は、1895年2月1日、東洞院塩小路下ル~伏見下油掛という両端とも単なる地点名であることが、いかにも明治期らしい。

 その北側起点の「東洞院塩小路下ル」の通り、塩小路通と東洞院通の交差点南西角にこの記念碑は建っており、そのまま京都駅が見渡せるという位置です。

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 上の画像は交差点に立ち、南西方向を向いて撮影していますが、1895年の開業当初は官鉄(国鉄)の東海道本線はもっと北、画像に見えてる建物の向う辺りを通っていました。今の奈良線が当時は東海道本線であり、奈良線線路が新幹線高架下で不自然に曲がっているのは、南側の二代目京都駅へ結ぶ為に急な曲線が挿入されたものです。

 で、日本最初の電気鉄道は、この昔の東海道本線線路南、東洞院の踏切南側を起点としており、正確な位置は不明ですが、実際の線路起点はここよりもっと南側であったはずです。だいたいセンチュリーホテルの前あたりになるでしょうか。

 「電気鉄道事業発祥地」の碑。

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 その拡大。こんな電車が走っていたんです。

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 碑文。

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 側面から。

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 碑文と側面に刻まれた文字は次の通りです。

 日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した即ち明治二十八年二月一日京都電気鉄道株式会社は東洞院通り七条下る鉄道踏切南側から伏見下油掛通りまで六キロの間に軌道を敷き 電車の運転を始めた
この成功を機として 我が国電気鉄道事業は漸次全国に広がり 今日の新幹線電車にまで発展することになったのである
よってその八十周年にあたり 先人の偉業を讃えてこの記念碑を建てる

 昭和五十年二月一日

  日本国有鉄道
  京都市交通局
  関西電力株式会社
  阪急電鉄株式会社
  京阪電気鉄道株式会社
  近畿日本鉄道株式会社
  阪神電気鉄道株式会社
  南海電気鉄道株式会社
  京福電気鉄道株式会社
  鉄道友の会京都支部

 

 建立された昭和50年2月1日は西暦1975年で、最初の電気鉄道開業の80周年となる日です。たしか80周年記念事業が幾つか行われた覚えがありますので、その際の一つでしょう。

 建立者の芳名に、鉄道友の会京都支部が入っているのが嬉しいです。京都市部は以前からこうした文化的な事業に積極的で、京都新聞でも活動が色々取り上げられています。

***2010月3月6日追記
 電車発祥の記念碑、京都駅前に続いて、伏見下油掛にある記念碑についても書きました。
こちら

2009/08/24

赤道(あかみち)の鉄道線路横断・中央本線奈良井

 鉄道線路と道路との交差する所を踏み切りといいます。踏切の設備に、道路側には踏切がある事を示す標識や、横断するレールの段差を補う為に、敷石を置いたりして歩行者や車両の通行の便を図っています。

 しかし世の中はいろいろあるものでして、踏切では無い箇所でも鉄道を横断する箇所があるんです。そんな一つ、長野県の中央本線奈良井駅付近を見てきました。撮影は夕暮れ時で、かなり暗い画像ですいません。

 まずはこちら。何の変哲も無い架線柱がある線路の写真ですが、じつはここに地元の方が通る線路横断箇所があります。

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 その箇所で線路を見る。位置の高いレールまで登れるように数段の踏み段がありますね。石垣と今立っている間には小川が流れています。

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 少し斜めから。

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 実はこのような線路横断箇所のことを赤道と書いて「あかみち」と呼びます。赤道(あかみち)は法定道路外の道路のこと、よく分らない表現ですが、法律的には道路として認定されてはいないけど、地元の方が古来より習慣的に使っている道の事で、土地の公図に赤色で示されたことから「赤道」と呼ぶようになったものです。

 日本が近代国家になる上で、道路になるはずなのに漏れた土地でもあり、後で敷設することとなる鉄道事業者としても踏切を設置する義務はありませんでした。しかし「古来より・・・」がクセもので、いわゆる慣習法が表に出、一種の既得権ともなり、鉄道が出来たから「通るな!あっち行け!」とは言えず、どっちつかずのある意味「日本的」らしい線路横断箇所が出来てしまったというわけです。

 ここ奈良井駅付近は、中央本線に並行して旧中山道が通り、奈良井宿が続いています。この宿場と交差する道がのきなみ中央本線のところで途切れ、そして赤道の線路横断箇所になっています。

 ですので上下の画像の通り、保線区の名前で「線路横断禁止」の建前看板と同時に、線路を横断出来るようそれなりの措置がされています。またここは観光地でもありますので、観光客には特に横断してもらわないよう、大きな看板も掲げられています。

 さて、先程の横断箇所から100mほど名古屋寄りの横断箇所に来てみました。線路向こう側には境界の柵がありますね。

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 線路のこちら側は奈良井宿、向うには奈良井川と駐車場、そして新しい橋ですが木造の木曽大橋があり、観光客も線路を渡る機会がありそうで、それを防止し、踏切や地下道へ回れとの看板です。旧の楢川村、今は市町村合併で塩尻市の設置です。

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 振り返って宿場の方を見る。こんな路地が続いています。

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 少し離れて。

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 そして線路の様子。正しくは線路ではなく「軌道」なのですけどね・・・。道床の砂利の色が、人が通る部分は周りよりも違っていますね。

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 線路を渡って反対側を振り返る。明らかに普段から人が歩いている痕跡がありますね。砂利が踏み固められていますね。

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 渡った先は門扉が付いていました。こちら側は線路の横は道路でして、その境界柵を取り換えた際に赤道の線路横断箇所を閉鎖せずに、こんな扉が登場しました。

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 この扉、両方向から押して開けられる構造です。横断禁止と謳っておきながら人が通る事を前提とした設備で、矛盾していますね。

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 以前から何度か線路横断する時、鉄道を知っているだけに怖く、指差確認喚呼を何どもやりました。運転士が信号確認してるときなどのアレです。人差し指伸ばして「列車よし!」ってね。

 この赤道(あかみち)の鉄道線路横断箇所、法律的にグレーゾーンなので完全閉鎖すればいいという意見もあります。ここ奈良井ではどうか分りませんが、実際に赤道横断箇所で列車接近に気付かず、跳ねられる事故が起きています。

 渡る側も鉄道側からも保安上もよろしくなく、地元との話し合いが出来た所から順次閉鎖してはおりますが、思いっきり迂回しなければならないような所ではなかなか話がまとまらず、この奈良井の様に、建前では横断禁止なのに、現実には横断している所があるんです。

2009/08/05

西へずれて停まる大垣駅5番線

  現在大垣駅では南北自由通路設置の工事が行われています。今でも橋上駅舎から駅北側へは連絡橋がありますが、駅の北からのアプローチと駅周辺の基盤整備のため、駅南側からの通路をそのまま線路北へ延長する形で、自由通路を設置する工事が進行中です。

 その為の影響が駅の列車停止位置に影響が出ておりまして、5番線発着列車は自由通路の工事現場となる位置を避けて、改札内乗り換え通路に東京寄りの先頭を合わせて停まります。つまり編成が長くなると思いっきり西の方、つまり大阪寄りに列車が停まるわけで、他の線路(1・2・4番線)では乗り換え通路から一両分西の位置で停まる分、5番線列車はずれて停まるわけ。

 岐阜方面から下り方向に乗ると、大垣行き列車が5番線着で、6両編成ですと他の線路より4両分、つまり80m余分に長く乗れます。8両編成ですと120m長く乗れます。言い換えれば、先頭車に乗って5番線着ですと、思いっきり歩かされます。

 逆に上り方向、米原方面から大垣行き列車が5番線着で最後部車に乗ると、思いっきり歩かされます。1番線と4番線到着とは全く逆になりますので、米原駅で大垣行きに乗る際には大垣駅の着線を念頭において乗らねばなりません。

 画像は下り大垣行き快速電車が5番線に到着したところ。

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 樽見鉄道もこの自由通路設置工事で停止位置を変えており、普段は切り欠き6番線の発着ですが、工事期間中は5番線ホームの反対側7番線を使用しています。そして樽見鉄道列車が停まる範囲のホームは、少し低くしてあります。

***
一寸小ネタ。大垣駅5番線の運転取り扱い上での名称は「上り1番線」略して「上1」です。

2009/07/30

鉄道信号の進行現示喚呼は昔は「オーライ」だったのか?

 昨年の6月24日に「出発進行!の本当の意味」と題して、よく言われている鉄道の「出発進行!」ついて書きました。「出発進行」は数ある鉄道の確認喚呼(かんこ)の一つで、「出発信号機」が「進行」を示しているという意味です。

 「進行」というのは信号機の灯色が「青色」、つまり「進行」の意味なのですが、この「進行」現示を昔は「オーライ」と言っていたのだという話を聞いたことがあります。ホンマかいな?と疑いの心でいたところ、やはり今はデジタルの世ですね、動画投稿サイトに戦前の鉄道省製作の鉄道信号を扱った映画がありました。その中で機関士と機関助士が「遠方オーライ(遠方信号進行)」「場内オーライ(場内信号進行)」「通過オーライ(通過信号進行)」と進行現示を「オーライ」と喚呼する場面が映っていました。

 私、分らなくなりました。日本国有鉄道100年史など文献資料はまだ確認していませんが、とりあえずネットで検索してみましたけど、昔の喚呼方式を記したページは見つかりませんでした。

 でも鉄道省の映画に、アフレコかもしれませんが「場内オーライ」などの喚呼が記録されており、そこのコメントに「オーライは敵国言葉であるから和語のしんこう!に変えた」とありますが、ウラをとっていませんので何とも言えません。

 映画の内容から昭和10年代半ばの様で、一般論として明治も後半から大正期にかけてハイカラな文化が広がり、色々な場面で横文字が使われていたという話は伺っています。ですので、鉄道でも「オーライ」を使っていたかも知れません。でも青色の進行がオーライならば、黄色はなんというのか、赤色の停止は多分「ストップ」だろうとは思いますが、気になる映像を見てしまいました。

 画像は、中央本線の木曽福島駅下り場内信号機です。これも戦前は「場内オーライ」と言っていたのでしょうか。

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 今はJR東海の車掌が、駅停車時にドアが開いた事を示す車側灯の点灯を確認する際に、「点灯オーライ」と喚呼しています。このような状態確認でオーライと喚呼したりする社がいくつかあるようです。

2009/07/26

六甲ライナー・踊るクリップ

 既にニュースの旬は過ぎてしまいましたが、先般神戸新聞web版に掲載された記事から。

 東灘区のJR住吉駅及び阪神の魚崎駅と六甲アイランドを結ぶ生活の足、六甲ライナー。ここを走る1000系車両の床にクリップを置いておくと、車両の走行にあわせて踊り出すというものだそうです。

 youtubeにその様子がありますので、どうぞ。

 列車が動き出すとクリップは起き上がり、これが横になったら一旦このシーンは終わり。そして別の列車での映像になり、今度は駅発車から次の駅到着までが映されています。

 これつまり、モーターに電気が流れている時にクリップが踊り出しており、制御回路の中の「リアクトル」という、電流が多く流れようとすると抑制し、電流が弱まると流そうとするコイル状の部品で、そこから発生する磁力線による影響です。線路脇の架線から三相交流を受け、加速出来るよう制御されながら直流に直してモーターに流していますが、元が交流成分の電流ですのでそのままでは脈流になってしまいます。そこでリアクトルを介して電流を与え、電流の山を均して滑らかな波形を作ってモーターに流しているわけです。

 一応、この磁力線による人体への影響はまず無いとのことですが、精密機器だとすぐ拾えばよいが注意は必要、とは独立行政法人交通安全環境研究所(東京)によるとのこと。

 この六甲ライナーは小型の新交通システムの車両で、床下のぎ装が一杯。リアクトルも床面近くにぎ装し、磁力線遮蔽の措置は行わなかったそうです。

 ペースメーカー装着の方が床面に寝そべらなければ、まず大丈夫なレベルなのだそうですが、こうハッキリ磁力線実験のような画像を見せられては、一寸心配ですね。この六甲ライナーは、私は今までに10数回乗った程度ですが、これに毎日乗られている方もおられるわけで、携帯電話と同じくどんな人的影響があるか正直なところ気になります。

 ちなみにポートライナーの初代の車両8000系はこの六甲ライナーの1000系車両と同じ電機システムであり、やはりリアクトルによる影響はあったらしいです。こちらはこの秋に残っている編成を全て廃車にするとのこと。おや?そうなのですか。8000系はこれで引退。

 ところでこの動画、走り出すときとブレーキの時にクリップが起き上がって踊ります。つまり動き出してから次ブレーキかけるまでクリップは寝ており、つまりこの間は惰性で走っています。またブレーキをかけるときもクリップが起きるということは、その時にも電気が流れています。ブレーキではモーターが発電機になって、つまりモーター自身に回転抑制の力が働いてブレーキとなるもの。そして発生した電気を架線に戻してやれば、その電気で他の列車の動力に使え、省エネルギー効果大です。

 またこの動画は、リアクトルのぎ装すぐ上にクリップを置いたのでしょうか。一番ハッキリ影響の現れやすいところでの撮影かと思います。

2009/07/18

名鉄は今年創業115年なのか?

 名古屋鉄道、略して名鉄で、先週からけったいな記念乗車券が発売されました。その名は「ありがとう(名鉄創業115周年&さようなら7000系引退)記念乗車券」。

 名鉄が創業から今年で115年になることと、その今年8月に人気のパノラマカー車両7000系が完全引退するということで発売したもの。中身は名鉄のwebページを見ていただくとしますが、パノラマカーが完全引退する8月30日の臨時列車に乗れるキップの購入抽選券付きで、要するにパノラマカー引退列車への有料抽選券です。

 パノラマカーには今までにさんざん乗りまして、静かに引退させたい私としては昨年からの臨時運転には関心が無く、この記念乗車券も買う気が無いですが、気になるのは「創業115年」というところ。

 これ15年前に私がブログやHPやっていたら絶対書いていたことです。今年は本当に創業115年なのか?(15年前は創業100年)

 簡単に名鉄の沿革を書きますと、1894(M27)年6月25日の愛知馬車鉄道(株)設立まで遡ります・・・名鉄が言うには。その愛知馬車鉄道は後に名古屋電気鉄道と名を変え、1898(M31)年5月6日の名古屋駅前~県庁前間開業を手始めに、名古屋市内に多くの路線を開業させました。名古屋駅前~県庁前というのは、現在の笹島町東側から中区役所前付近の間です。

 また路面電車ではない鉄道線を、1910(M43)年に押切町~枇杷島橋間を手始めに、順次北部西部へ路線を伸ばし、こちらの鉄道線を郡部線、名古屋市内区間を市内線と区別していました。郡部とは名古屋以北は当時「市」は無く、西春日井郡や中島郡などの郡からだそうで、押切町~枇杷島橋も開業当時は多くが名古屋市編入前の西春日井郡のエリアでした。

 この市内線を名古屋市営に移管することとなり、市内線と郡部線とで経営を分けるため、郡部線用に100%出資の新会社(初代の)「名古屋鉄道(株)」を1921(T10)年6月13日に設立、同年7月1日、(初代の)名古屋鉄道は名古屋電気鉄道の郡部線を譲り受けて営業開始し、この初代の名古屋鉄道(株)が社名変更を経て、現在の名古屋鉄道につながります。

 一方、郡部線を譲り渡した名古屋電気鉄道は、1922(T11)年8月1日にその営業路線全てを名古屋市電気局に譲り渡し、同年9月27日に会社は解散しております。

 ということで現在の名古屋鉄道は、1894(M27)年6月25日の愛知馬車鉄道にそのルーツを求めることができそうですが、一時市内線を経営する名古屋電気鉄道と、郡部線の(初代の)名古屋鉄道が共存していた時代もあり、別の法人格でもあることから(今の)名古屋鉄道が今年は素直に創業115年とは言いがたい、そんな私の感想です。

 他の鉄道事業者でも、会社名は続いているが法人格としては別の会社であるということがちょいちょいありまして、阪急電鉄、大井川鉄道(鐵道)、などがあります。

2009/07/15

福知山線脱線事故の急カーブとはどんな経緯か

 先日、2005年4月に起きたJR西日本の福知山線(愛称JR宝塚線)の脱線事故に間して、事故に至る線路付け替えの際に施設部長であった前社長について、公訴の提起(起訴)されたというニュースがありました。

 私の考えとしては、この事故の責任を本社の施設のトップ一人に負わせるのは無茶な話で、事故列車の運転士に科された背景を考えると、誰に責任があるというより、この風土に至った社風の追求をすべきと思いますが、現代の刑法と刑事訴訟法は、こうした事象の背景を追及する構造になっておらず、これが限界でしょうか。

 そんな責任論はここでは触れず、新聞等の報道で「線路付け替えで急カーブを作った」という点。これ意味がよく分らない方もいるやも知れず、図にしてみました。右下に尼崎駅、上の外れに塚口駅が位置します。

Tsukaguchi

 1997年のJR東西線開業に当たって、福知山線とJR東西線を直通させる為に、尼崎駅から塚口駅の間の線路配置を変えることになりました。つまり、工事前は図の左側で、尼崎から塚口駅の下りを青色の線で表示し、塚口駅から尼崎駅への上り線路は赤色の線で書いてあります。

 付け替え前は、上り線は塚口駅から「A」の地点で少し右カーブで下り線路と分かれながら、電車が突っ込んだというマンションの敷地東側を通り、暫く直線でやがて左カーブで尼崎駅へ入っていました(赤色の線)。しかしJR東西線との直通工事で、福知山線の線路を、東海道本線の内線と外線との間から分岐させる必要があり、尼崎駅~塚口駅間を旧の下り線隣に併設して上り線を敷設し、旧の上り線路は廃止しました。その結果、「A」の地点でそれまでよりも急な曲線路となったわけです。

 また報道では一切触れられておりませんが、下り線路も付け替え前よりも急な曲線路となっており、上図左の、従来は尼崎駅を発車後、一度南へ振ってゆったりカーブで東海道本線を乗り越えていましたが、付け替え後は、尼崎駅から東海道本線の下り内線と外線の間を勾配で上り、高低差が付いたところで急な曲線で東海道本線を跨ぐという、そんな配置になりました。この東海道本線を乗り越える地点が急曲線となり、線形的には改悪のような印象を受けたモノです。ただこちらは、尼崎発車直後の速度が低い所で、あまり問題にはならなかったようです。

 この「A」の地点は、かつてはもう一本単線が分かれており、上図の「A」地点から南へ灰色で描いた通称尼崎港線の線路があり、こうした三線路が分かれるこの「A」地点は、線路配置的にかなり関心の深いエリアでもありました。脱線事故前は「あそこに線路があったな」と目で追うこともしばしばでした。

2009/07/09

阪急電車・祇園祭のヘッドマーク

 7月6日に祇園祭の山鉾巡行で奏でられる祇園囃子が、各鉾町で公式稽古、いわゆる二階囃子を行っている事を書きました。

 沿線に京都がある阪急電鉄では、毎年この時期に列車の先頭に、画像のようなヘッドマークを掲げて、祭のPRと季節の風物詩を醸し出しています。

 梅田駅の神戸線ホーム。

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 マークの拡大。

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 この電車に乗りまして、西宮北口駅で降りました。

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 この祇園祭のヘッドマークは、神戸線の他、宝塚線、京都線の列車に掲げられています。ただ全ての編成に掲げられているわけではなく、この西宮北口駅でホーム反対側の普通に乗り換えましたけど、こちらにはマークはありませんでした。

 祇園祭ヘッドマーク掲出期間は17日まで。18日から25日までは天神祭のヘッドマークが掲げられます。こちらは今まではタイミングが悪く、私はあまり見ておりません。岡本駅東のいつもの踏切で狙ってみようかな。

2009/06/27

リニア中央新幹線は南アルプス直線ルート

 東京と名古屋を約40分で結ぶという、JR東海が自らの費用を捻出・調達して造るという、リニアモーターカーによる中央新幹線について、ルート選定作業が進まりつつあるという報道が10日ほど前にありました。

 このリニア中央新幹線新聞、山梨県から岐阜県へ至るルートのうちで、
 ・長野県が強く主張する諏訪地区を通す迂回ルート
 ・加えて木曽谷を通るルート
 ・南アルプスをトンネルで突き抜ける直線ルート
それぞれに費用概算と東京~名古屋間の距離が出て、諏訪から伊那谷へのルートが5兆7400億円で346km、木曽谷ルートが5兆6300億円で334km、南アルプス直線ルートが5兆1000億円で286kmということ。

 文章で書いてもよく分らないので、地図に線を引いてみました。この図はあくまでも私が描いたもので、この通りのルートで計画されているわけではありません。(クリックで拡大)

Linearroute

 甲府付近から東は現在の実験線を使うそうなので、そこから中津川付近までの三通りのルートを比較出来るようにしてみました。図の中の町村名は市町村合併以前のものです。

 見た目分る通り、諏訪付近を通るとなるととんでもない迂回ルートですね。諏訪湖の南を通せばもう少し短くなりそうですが、いずれにせよ中央新幹線の目的が東京~大阪間を結ぶことにあり、当面の東京~名古屋間の開業時において、直線ルート約40分の所要に対して、迂回ルートは約47分と7分の増。この7分は大きいです。

 一部の新聞にあったJR東海のコメントで「所要時分増により必要な編成数が増える」というのは、私もダイヤ作成を心得ていますのでJR東海の弁は過剰な反応ですが、所要増で折返し駅での整備で一寸作業がきつくなるでしょう。短く出来るのなら短くするのが鉄道線路敷設のイロハですので、これは南アルプス直線ルートに限ります。他の二案はもってのほか。

 しかし長野県は頑なに諏訪地区迂回ルートを主張しているそうで、諏訪地区を通さないと建設に対して協力しないと、まるで現代版「我田引鉄」のよう。

 それでも個人的には木曽福島を通る木曽谷ルートには、あくまで「個人的に」ですが関心はあります・・・。

 何日か前にJR東海の株主総会があったそうで、その場でも直線ルートが良い旨の言及があったそうです。当然です。

***
 と書いて、実はこのブログで以前にこんな事書きました。
2008年11月1日:「リニア新幹線は実現できるか
>このリニア新幹線、私の考えとしては「あった方が良い」のですが、「まず実現不可能」という立場です。

 今回の投稿と矛盾しているようですが、このリニア中央新幹線は「まず出来ないだろう」との考えは今でも持っています。2008年11月1日の投稿でも書きましたけど、費用の面のハードルは下がったものの、長野県のように政治的な口出しが大きく多くなったり、健康面や自然界の影響に謂われると、建設出来なくなってしまうように思うのです。

***2010年10月14日追補
 リニア中央新幹線は、南アルプスを直線ルートとなりそうです。
 →その記事:「リニア中央新幹線「直線」ルートで決着しそう

2009/06/19

大文字さんの索道

 このエントリを書く前に。昨日某所でとある団体の会議がありましたけど、そこで私のブログの話になり、ある方が「鉄道の記事は見ない!」と言い放されました。読む読まないは自由ですが、もうちょっと他に言い様があるのではないかな。

 で、本題。四月に京都市左京区の大文字さんに登った話を書きました。その零れ話として、ここには荷揚げ用の索道があります。この大文字さんは五山送り火の中でも一番大きなものでして、点火に使う薪もそれは数が多いです。そこで搬送用の索道を用意しておりまして、四月の登頂の際の下り道で見てきました。

 こういった作業用の索道は、きちんとした鉄道とは違った魅力があり、私の鉄ヲタ心が萌え上がります。軽便鉄道に熱が入るのと同じスイッチなようです。画像撮影順からですと、山の上から写しましたが、山へ上げる用途の索道ですので、撮影とは逆ではありますが麓からの紹介です。

 先ずは場所から。4月26日の投稿に用いた地図に、索道の推定位置を書き入れました。黒い線が索道の位置です。途中二箇所で登山道と交差します。

Root

 麓側の起点。この小屋が巻き上げ機が入っているようです。銀閣寺脇の麓からこの場所までは道幅もあって、自動車が入れるようでした。ここで荷を乗せて上へ運ぶ、平たく言えば「駅」です。

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 小屋から上の方向を見る。谷川を越えた辺りに搬器がぶら下がっています。もう少しこちらで停めて頂ければ良いのですが、イタズラなど触られないようにの措置でしょう。

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 谷川を越える様子。登山道はこの手前で分かれており、ここから道が険しくなります。

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 バランサ。頂側にも同様の設備があるでしょう。

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 搬器。ズーム最大で狙ってあります。

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 線路中間地点よりもう少し頂寄りの、登山道と交差する様子。落下防止ネットが張ってあります。

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 約50mほど索道線路と登山道とが並行するところがあり、そこで写した索道の支柱。支索(しさく)一本に循環する曳索(えいさく)があります。曳索の戻り用は搬器の下を通す構造です。

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 何の変哲も無い画像ですが、ここが大文字さんそばの線路終点です。作業小屋の裏に位置して近づけず、ズームで狙うしかありませんでした。

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 少し下へ降りた線路と登山道が平行部分に、送り火に使われる薪が用意されていました。こうして一年を通じて、8月16日の送り火の準備が保存会の手でなされているわけです。

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 索道の麓側に建っている国道交通省の治山啓発案内板。これが建っている場所は、本来一般の方が入らない所で、この場所に設置するのは意味が無いように思うのですが。

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 銀閣寺近くの案内板。ご覧の通り登山道の下の方はある程度道幅が広く、搬送用索道までは自動車で荷揚げができるようです。

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 というわけで、大文字さんの索道でした。当然ながら荷揚げの時にしか動くことはなく、8月16日はここへは保存会以外の方は入れないそうで、この索道が実際に動くのを見るのは難しそうです。でも見てみたい。こういった作業用の線路、とても興味があります。

2009/06/16

SuicaとToica・名古屋鉄道と名古屋市交通局でも

 先週、まだ実施されていないにもかかわらず、名古屋地区鉄道事業者のICカード乗車券について、面白い発表がありました。

 その内容というのは、

  • 名鉄、名古屋市交通局、JR東海、JR東日本の四者は、名鉄と名古屋市交通局が平成22年度末までに導入予定のIC乗車券(名称未定)に、平成24年度に相互利用サービスを開始できるよう検討を開始

というもの。そもそも名鉄(名古屋鉄道)と名古屋市交通局はICカードすら始まっていないのに、さらにその2年後にこの四者の相互利用を開始する意思がある、というのが発表内容です。

 この発表で気になったことがらです。

  1. そもそも何故今頃なのか?名鉄と名古屋市はまだICカードが始まっていない
  2. JR東日本のSuicaは分るが、関東私鉄のPASMOは?JR西日本のICOCAは?
  3. 名古屋地区では近鉄がPiTaPaでICカード乗車券を始めているが、これとの関係は?
  4. ポイントはつくのか?

 1,について。アナウンス効果を狙っているのでしょうか。でも名鉄と名古屋市とのICカード自体がまだ2年近く先ですので、この間にも他社とのアクションがありそうです。

 2,について。これ結構重要。JR東日本のSuicaは既にJR東海のTOICAとで相互利用しているなど、各地でSuicaが使える状況になっています。その流れから名鉄と名古屋市交通局でも使えるという点では利便性という点から大いに結構ですが、こう全国的に使えてしまうと「通貨」に近い物となってしまいます。

 また平成24年度の実施日からは名鉄と名古屋市交通局のICカードでJR東日本に乗れることになりますが、JR東日本のSuicaで行われている、PASMOとの共通利用や、Suicaエリアでの商業施設で電子マネーとしては使えない、その点では使い勝手が悪いという印象がでてきそうです。

 3,について。近鉄は名古屋駅を発着していますが、関西私鉄のICカードシステム「PiTaPa」ですので、ここで関西と東海の私鉄エリアが接しています。

 何も何処からも聞こえてこず、このまま相互利用が進まないとなれば、名古屋駅を跨っての利用は少々不便をきたすことになりそうです。

 4,について。平成22年度末までに導入する名鉄と名古屋市交通局のICカードは、利用度に応じてポイントがつく方式だそうです。このポイント付与がTOICAやSuicaで名鉄・名古屋市交通局に乗ってもポイントがつくのかどうか、多分他社乗り入れですので付かないでしょうね。逆に名鉄と名古屋市交通局のICカードでTOICA・Suicaエリアで使っても、その分はポイントにはならないように思います。

 いずれにせよまだまだ3~4年先の話ですので、相互利用の動きが出てくると思います。

各社のニュースリリース

名鉄
http://www.meitetsu.co.jp/profile/news/2009/1193890_1139.html
名古屋市交通局
http://www.kotsu.city.nagoya.jp/info/2007/005579.html
JR東海
http://jr-central.co.jp/news/release/nws000319.html
JR東日本(PDF)
http://www.jreast.co.jp/press/2009/20090612.pdf

当然ですが文面は殆ど同じ、冒頭の四社局の名称の順番が違うのは自社局を冒頭に書くのは当たり前で、見比べて少々面白かったです。

2009/06/12

なぜか人口が増え続ける滋賀県だそうですが

 昨日のYahoo!に載っていた内容ですが、雑誌記事の形で、「なぜか人口が増え続ける滋賀県のヒミツとは?」と題したものがありました。→記事はこちら

 要約すると、

  • 今後日本の人口は減少に転じるのだが、2025年までは上昇する県が二つあり、一つは沖縄県、もう一つは滋賀県。沖縄県は出生率が高いからだが、では滋賀県はなぜ?

というものでした。「何故?」に対しては、立命館など大学の誘致が盛んなこと。高速道路等の交通の便のよさから、企業が多く進出していること。そしてこれが大きいですが、京都・大阪へ勤める方(とその家族)が多くいらっしゃる。

 大阪を中心とした京阪神地域は、大阪から延びる鉄道沿線に住宅開発を求めていますが、旧国鉄のJR化以後、JR沿線の住宅開発はめざましいものがあり、神戸から西の山陽本線、福知山沿線で特に宝塚から三田にかけて、そして東海道本線で大津から東の方。

 当然鉄道の利便性がよくなくてはここまで増えないわけでして、いま上に書いた方面は国鉄時台と比べると「雲泥の差」と言えるほど便利がよくなっています。

 明石や姫路方面と、京都から東の草津方面とは同じ運転系統ですので一括りにしますが、今はブランドともなった「新快速」が早朝から深夜まで走り、大阪から70~80km区間も一時間もかからずに到達でき、滋賀県の草津や守山などは大阪近辺よりも住宅取得価格が低く、この新快速に乗れば大阪へ通勤できます。逆に言えばこの新快速の存在が一層の住宅開発に拍車がかかる訳で、冒頭に書いたYahoo!の記事は十分納得できるものです。

 月に数度この区間を乗りますが、駅周辺のマンション林立は目をみはるものがあります。栗東、南草津など新しく出来た駅で著しく、駅ができる前を思い出すのも一苦労です。

  滋賀県は上にも書いた通り、企業さんも来ていますので、滋賀県内の流動も多く、近江八幡や野洲で乗った通勤客全てが京都大阪へ通う訳ではありません。職住近接の理想を実現されている方も多いようです。

2009/06/11

373系電車の米原行きが出来上がるところ

 私のブログは・・・私に限らずとも・・・アクセス数の7~8割は検索からお越し頂いている方です。一応キーワードを確認しておりますが、中で結構多くアクセスいただいてるエントリの一つに、「373系」「米原」「普通」のキーワードで、2009年3月22日投稿の「ダイヤ改正を乗り越えた大垣~米原間の373系普通列車」があります。

 大体2日に一回はアクセスを頂いています。3月のダイヤ改正を三ヶ月経った今は若干減っていますが、373系電車の大垣~米原ローカル動向が気になる方が結構いらっしゃるようです。

 「2009年3月22日の投稿」で書いた通り大垣地区に係わる373系の運用としては、豊橋駅を21:43発のホームライナーで大垣駅23:15着。ここで前編成と後編成とに分割し、前編成は車庫へ、後編成は大垣駅23:25発の米原行き最終になります。

 このホームライナー大垣1号から、251F米原行きに変身する様子を先般大垣駅で写しました。大垣駅の着発は2番乗り場。6両編成で到着しますが、前述の通り前3両は車庫に入りますので、ホーム係員が「米原行きは後の方へ」と繰り返します。

 到着して前編成と後編成の切り離し作業の様子。左が後編成の米原行き、右側が前編成で車庫に入ります。(23:17)

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 隣の1番乗り場の車両が出ていったので、1番ホームに移動します。切り離し作業を終え、前編成を少し移動します。(23:20)

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 貫通扉の方向幕に「普通」と出そうとしているところですね。(23:20)

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 前編成が車庫に入り、米原行きとなった後編成の出発準備も整いました。(23:21)

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 翌日は、米原で一夜を明かした編成は、平日は米原駅8:05発、土曜休日は6:57発の大垣行きで大垣まで来た後は、大垣駅からホームライナーで名古屋或いは豊橋へ向い、一方、大垣で夜を明かした編成は、大垣駅6:12発豊橋行きホームライナーで豊橋まで行き、飯田線の特急で飯田まで一往復します。

2009/05/26

忌まわしき尾張一宮駅10時43分発【ボヤキ】

 今日のこの記事は、思いっきりボヤキ投稿です。でも一応真実はついているとは思いますので、そのへンよろしくお願いします。

 先日、といっても二週間以上前のこと、尾張一宮駅10時45分発の名古屋方面行き快速を目指して、発車2分前に駅のコンコースへ入ったところ、天井上の上り線を列車が走る音がしました。通過ではなく、明らかに駅停車の減速で。

 「そうだ!、10時台は変則で45分発の列車は2分早出しであった!^^;;」

 

 ここからボヤキ。この尾張一宮駅上り(名古屋方面)の快速は、毎時「00」「15」「30」「45」発と綺麗に揃っています。10時台から17時台までは同じ分で分りやすくしてあるのですが、前述のとおり10時台だけ45分の枠が43分発になっています。

 これ何故か。後続に大阪発長野行きの特急「しなの9号」が走っているからです。この「しなの」、名古屋駅を11時00分にしなければならぬ制約があり、名古屋駅に入る手前の分岐器の速度と名古屋駅停車時間を考えると、尾張一宮駅を10時45分に通過するダイヤになっています。

 そこで時間が重なってしまう尾張一宮駅10時43分の快速を始発の大垣駅から2分早く出して、「しなの」の走行ワクを確保しているというわけ。名古屋駅では早く出た2分だけ長く停まります。

 実は過去にこの列車に乗り遅れは2回あり、諺の通り「二度あることは三度ある」を図らずも実践したことになりました。要するに時刻表を確認しなかった私が悪いのです。もうこれは明白です。

 駄菓子華氏、時刻表を確認しなきゃならないのだったら、何も覚えやすく「毎時何分」って揃える必要はないんやないか。毎時4回の列車を適宜動かしておればよいので、現にかつての国鉄がこのタイプのダイヤでした。

 東海道本線の線路には、地域ローカルの外に、「しなの」など特急列車や貨物列車が多数走っています。ならばもっとランダムなダイヤの方がダイヤ担当者としても組み易いのではないか。

 こんな10時台だけ45分を43分にする、「落とし穴ダイヤ」は即刻止めるべきです。「たった一本だけだから影響が少ない」という意見の方。これ現にJR東海の中であるのですが、大きな間違い。影響を受けた人から見れば影響度100%です。

 この尾張一宮駅10時43分の快速に影響を与えた、大阪からの「しなの9号」。何故か定時運転率が悪く、私が関西に行く時にすれ違いを見ても、遅れて運行ていることが多そうな印象です。なればこそ余計に2分早出しが忌々しく感じます。

2009/05/06

踏切を渡るだんじり

 昨日の記事で、神戸市東灘区の本山だんじりパレードを書きました。このだんじり(地車と書く)はそれぞれの地区との間を巡行していくわけで、コースには鉄道線路を渡るものもあり、その一つがここ阪急神戸線岡本駅東側にある新梅林踏切。

 この踏切は北畑と田辺のだんじりが通り、その様子を写しました。毎年コースが少しずつ変えているそうで、昨年と同じ時間に待ってみたら、北畑ではなく田辺のだんじりが来ました。

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 普通の車とは違い、そこそこ重量のある物体。また装飾品も多く踏切通過中に何らかの事情で動けなくなったら大変で、踏切横断時には運転扱いの助役氏が来ます。ダイヤ表を見て十分な列車間合いが確保できる時期にだんじりを通します。また踏切途中で動けなくなった場合に備えて、列車停止手配を取る為に、この新梅林踏切の東方に助役氏を配置して、列車指令と現地助役との間で連絡をとりあっています。

 という事情で、しばし踏み切りで小休止。

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 こんな写真も撮ってみました。阪急電車とだんじり。マニュアル撮影とはいえコンデジの限界を超えていますね。駅停車のため減速していても速度は55km/hほどありますので、真横に動く電車と止まっているだんじり、よほど高速シャッターを切らないと無理です。

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 阪急神戸線は10分毎に特急と普通が運転されており、岡本駅では下りは「00」「03」に、上りは「04」「08」に電車があります。この間で一番間合いがあるのは、上りの04分普通から08分特急の間の4分間。この間がだんじりを通すことができる、1時間に6回だけのタイミングです。

 ということで踏切が開き、助役の指示でだんじりが踏切を渡ります。ゴトゴトと大きな音をたてながら。屋根方は乗ったままだと架線に触れますので、降車です。

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 というわけで、無事踏切を通過できました。ここ阪急の新梅林踏切はまだ線路二本の複線ですのでいいのですが、JR東海道本線(JR神戸線)の摂津本山駅東にある田辺村踏切を渡るだんじりもあり、こちらは線路四本の複々線ですので、渡ることのできるタイミングはさらに限られてきます。しかも130km/hで走行する新快速もあり、旅客列車はパターン化されていますが貨物列車の存在を考えると、間合いの確保は難しくなります。

2009/04/24

0番から始まる番号・阪急電車

 鉄道車両でも私鉄の車両記号(記号番号という)は数字のみのものが多く、番号も車両形式の数字に順に「1・2・3」のように1番から始まるものが多いです。しかし中には0番から始めているところもありまして、その数少ない一つが画像の阪急電車。

 阪急電車は伝統的に0番から始めておりまして、画像の7000形は「7000」が1番目の車両で順に「7001」「7002」・・・と付与していきます。

 一方、名鉄など多くの私鉄では1番から始まり、名鉄の例で第一線を引退したパノラマカー7000形は、1番目は「7001」で順に「7002」「7003」・・・と付与していきます。

 ところで同じ阪急でも生い立ちが異なる京都線では、かつては1番から始めていた時代がありました。5300形から神戸線・宝塚線と同様に0番から始まっております。

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 画像は岡本駅停車中の阪急7000形トップナンバー車、7000番です。梅田方の先頭車両が7000形、新開地方の先頭車両は7100形。踏切で電車を待っていると通りかかった編成が7100!。「オッ、やった」とばかり、やはりトップナンバー車に出合うと嬉しいものですね。急ぎカバンからカメラを出して撮影したのがこれ。

 ちなみに、上の文章で、「7000の次は7001・・・」という書き方をしていますけど、画像に見えている「7000」の次に連結されている車両の事ではありません。次の車両は7500で、順に7550、7560、7570、7580、7600、7100という具合に、編成されている車両番号すべて末尾「0」番です。

2009/04/23

JTB時刻表通巻1000号

Ccf20090423_00001  かつては「交通公社の時刻表」、今は「JTB時刻表」と称している大型の時刻表が、2009年5月号で通巻1000号となりました。1000号ですか。月刊誌で1000を超える誌はどのくらいあるのだろう。

 時刻表については一般にも関心が高いですし、私のような鉄ヲタのほか、鉄道趣味の大きい部分である列車の運行時刻が掲載されている事から、これまでにも鉄道趣味誌でも取り上げられることが多く、歴史は大体覚えてしまいました。

 全国版の時刻表は、今はJTB時刻表とJR時刻表の二つがあり、私は国鉄監修時代から続いているJTB時刻表を愛用しております。いや正直なところ「JTB」などという横文字は鬱陶しく、いまだに「時刻表交通公社版」とか昔のように「交通公社の時刻表」とよんでいます。

 さて、このJTB時刻表、大正14年に日本旅行文化協会から「汽車時間表附汽船自動車発着表」として発刊されたのが始まり(誌名は調べました)。その後月刊化され、戦後の混乱期は四つ折の紙に主要駅と主要列車だけを印刷したもの(復刻版にあり)まで発行され、昭和40年代は運賃改訂で国会の議決が通らず、同じ号(通巻番号)で異なった内容(運賃関連のみ)の時刻表が発行されたりと、時代の波に大きく翻弄された雑誌でもあります。

 

 さて、私と交通公社時刻表との繋がり。「何年」と書くと私の年齢が分ってしまいますのであえてボカシますが(笑)、小学生の時から続いています。ぶっちゃけ小学三年生の時から。夏休みに火傷で入院した時に親類の誰かが病室に持ってきて、置き忘れた物を発見したのが始まり。その時の衝撃ったら忘れもしませんでした。

 「時刻表」と書いた表紙に綺麗な風景の中を行く列車。「なんだこれ?」と手に取ると、中は数字と文字の羅列。よく分らず一旦は手から離しましたが、もう一度手にして落ち着いて見ると、ある規則性がありました。記された数字はページの上から下に行くにつれ段々大きくなります。また左から右に行くのも大きくなり、凡例を見てみると「列車云々…」。

  「そうか!、これ列車の運行時刻なんだ。こうやって決められて走っているんだ」

 この驚きは明治の昔、鉄道が走り始めた頃の「ページ先生」が作ったダイヤグラムをこっそり偲んで見て、列車運行時刻の原理を知る事となった担当者の驚きと同じ物と思います。以来nn十年、私が一番長く愛読している書物となりました。

 その後鉄道については、鉄道ピクトリアルという(中身が)硬い趣味誌を発見、時刻表の比重は少し下がったもの時刻表は相変わらず読みふけ、そして鉄道ジャーナルという雑誌も発見して、以来今に続いています。それにしても小学生で鉄道ピクトリアルを読んでいたなんて、ませてますね。

 こうして愛読書となった時刻表は、私の鉄道好きに拍車をかける事になりました。また地理にも目覚める事になり、索引図の駅名を一つ一つ読み、読めない漢字は本文の駅名欄で。そう、私は漢字の多くは、学校教科書ではなく時刻表から覚えたものです。

 

 時刻表は月刊誌です。ただ流石に毎号買ったことは無く、概ね四季毎とダイヤ改正号の年4~5回程度。四季毎というのは、季節・臨時列車の運行が掲載されるため。値段が安かった昔はもう少し多かったですが、三ヶ月連続で買ったことは小学生の頃から含めて一度もありません。

 今回、JTB時刻表が2009年5月号で通巻1000号になるということで、買おうかどうか迷いました。5月号は買わない号なので。でも1000号という節目の号。次の2000号まで待てないので、買ってしまいました。こうしてブログにも投稿できますしね。

2009/04/21

線路横断

 C新聞に19日掲載され、A新聞では前日の18日に伝えられた事で、C市のあるおエラい方が、自宅と向いにある畑の間にある鉄道線路を踏切でもないのに横断していた、ということが報じられていました。

 その報じられ方がいかにも非難めいた文章で、一方的な見方だけの報道に不愉快を覚えました。

 確かに線路を踏み切りでもないのに横断するのは危険極まりない事、絶対にやってはならない。さらに今回の事象では線路際の柵を一部外して、跨いで越えていたことに非を追求する姿勢で、それはそれでもっともではあります。

 ただ物事を見るには、空間的にも時間的にも広く開かねばならない。今回報道されたことの具体内容は報道されている以外は分りませんが、一般論で考えますと、踏切でもないのに線路を横断することは、慣習法という形で場合によってはあるのです。

 古来より人々が往来している道の中には、道路法の適用を受けない「赤道(あかみち)」と呼ばれる道があります。その道の途中に鉄道線路があると、そこは踏み切りには設けられないことがあります。でも道の延長上で往来する事を得る権利(既得権)で線路を横断している所があるのです。この線路横断箇所を「赤道」と言うこともあります。

 さて今回の件。自宅と畑の間は、線路と線路伝いの道路があるだけでほぼ隣接と云ってもよさそう。或いは自宅と畑は鉄道線路が敷設される前は一続きだったかもしれません。そして30年以上前に鉄道会社で柵の一部を外せるように小細工してくれたと言うおエラい方の話。

 多分、線路に柵のない頃は、暗黙のうちに横断する箇所が何箇所か出来、その一つが今回のおエラい方の畑の前だったでしょうか。そこへ設置された柵で横断出来なくなり、いつも使う通路故に横断できるようにしたのではないのかな。違っているのかも知れませんが、一般論で考えられる事柄で推理してみました。

 何でも境界をはっきりさせる現代は、息詰まってなりません。その点昔は物事の境目というのがあいまいで、ある意味ざっくばらんなところがありました。それはそれで問題もありましたが、どこか人間らしい人間が住まう社会であったのではないかと思います。

2009/04/12

神戸電鉄と桜

 10日に投稿した、岡本駅からの阪急電車と桜を絡めて写した画像が、その日のOCNブログ人トップページ、おすすめフォトで紹介され、普段の三倍ものアクセスを頂きました。

 鉄道ネタを書きますと、鉄道コムに掲載され、多数のアクセスを頂くことはよくありますが、今回のはそれを上回る状況。しかし鉄道コムからのアクセスは今回はやけに少なかったな。

 二番煎じではありませんが、今春もう一箇所で桜と電車を絡めた画像を写しましたので投稿します。場所は神戸市北区緑町の神戸電鉄有馬線。ここは昨年10月24日「1000分の50の勾配・神戸電鉄山の街」の投稿で写した画像と同じ場所で、神鉄山の街駅から600mほど箕谷駅に行ったところ、50‰の勾配とR300の急曲線が続く場所で、ご覧の通り桜の木が続く所があって、ぜひ写してみたいと思っていた場所でした。

 坂を登る新開地行きの電車が来ます。

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 直線コースに差しかかると山の街駅へ。

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 ここのダイヤは概ね山の街駅で上下列車がすれ違うダイヤが多く、ほぼ待たずとも次の下り列車がやって来ます。

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 画像に見える桜の木の位置で写してみたかったけど、フェンスが高くて無理でした。

 その桜の木のすぐそばに、普通のお宅で営業している「花とおじさん」という喫茶店があります。通りがかりで見るだけですが、雰囲気は良さそうですので、今度またここで神鉄を写すことがあれば、入ってみよっかな。

2009/04/10

桜と阪急電車(なのですが・・・)

 桜の投稿が続きます。私の好きな花の一つですので・・・。

 昨日は岡本南公園での様子を投稿致しました。そこは阪急岡本駅の北側。改札口が梅田寄りにしかありませんので改札からは徒歩4分ほどかかりますが、公園自体はホームからすぐ北側になります。

 その岡本駅から西へ天上川の橋梁を挟んだ向こう側の線路沿いに桜が植わっており、無謀にも岡本駅そばとホームから、桜と阪急電車を絡めた写真を撮ってみました。やはりコンデジの悲しさ、コレが精一杯でした。しかも午後3時過ぎで日が傾いた上に逆光ですので、あまりお見せするような出来ではありませんが、「こんなところがあるよ」程度に見てもらえればと思います。

 ホーム端の線路沿いから撮影。左へ延びている勾配は住吉川の橋梁に続くもので、震災で崩壊し、新たにつくり直したものです。

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 以下の四枚は岡本駅ホームより撮影。

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 「さくら」ヘッドマーク。

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 時間帯を選べばよかったですし、桜と阪急電車の組み合わせは他にもあるのですが、どうしても手軽に行ける場所になってしまいました。

 私個人の想いでは、阪急電車のマルーンと桜の取り合わせは、大変よく似合うと思っております。

2009/04/07

電車の車窓から見る桜々

 開花から満開までかなり時間がかかった今年の桜。週末から週明けにかけて、名古屋、京都~神戸でやっと満開を発表しています。

 そんな花の季節、電車の車窓から桜を見ることが出来まして、走りながらいろいろ各所の桜ポイントというのが私の頭の中に出来上がっています。特に関西へ出かける際は、途中関ヶ原や滋賀県を通り抜けますので、自ずと咲く時期がずれています。そんな咲き具合の違いを見つけるのも此又楽しいものです。

 車窓から見ることの出来る印象に残る、主な観桜ポイントを書いてみます。東海道本線を名古屋から神戸に向けて。

  • 五条川の堤と清須城跡(愛知県清須市)
  • 一宮のコーナン(元ニッケ)の裏(愛知県一宮市)
  • 穂積駅西方の川の堤(岐阜県瑞穂市)※
  • 樽見鉄道東大垣駅(岐阜県大垣市)
  • 大垣市加賀野・和合本町地内の用水路(岐阜県大垣市)
  • 杭瀬川の堤(岐阜県大垣市)
  • 垂井駅手前相川沿い(岐阜県垂井町)
  • 関ヶ原駅西側の工場敷地(岐阜県関ヶ原町)
  • 関ヶ原町山中地内(岐阜県関ヶ原町)
  • 関ヶ原町今須地内(岐阜県関ヶ原町)※
  • オーツカ敷地(岐阜県関ヶ原町)
  • 柏原駅西方カーブするところ(滋賀県米原市)
  • 天野川に沿って(滋賀県米原市)
  • 醒ヶ井駅手前(滋賀県米原市)
  • 米原駅客車操車場跡地(滋賀県米原市)
  • 彦根市松下工場(滋賀県彦根市)
  • 安土城跡公園(滋賀県安土町)※
  • 草津川(滋賀県草津市)
  • 瀬田駅手前の用水(滋賀県大津市)
  • 大津駅(滋賀県大津市)
  • 琵琶湖疏水沿い(京都市山科区)
  • 鴨川沿い(京都市下京区)
  • 梅小路公園(京都市下京区)
  • 西大路駅西方日本電池敷地内(京都市南区)
  • 大阪成蹊大近くの公園(京都府長岡京市)
  • 小泉川沿い(京都府大山崎町)
  • 島本町の山の斜面(大阪府島本町)※
  • 高槻駅西方の公園(大阪府高槻市)
  • 明治製菓から松下工場(大阪府高槻市)
  • 吹田~東淀川間の線路沿い(大阪府吹田市)※
  • 本庄公園(大阪市北区)
  • 武庫川(兵庫県西宮市)
  • 夙川公園(兵庫県西宮市)
  • 石屋川沿い(神戸市東灘区・灘区)
  • 花隈公園(神戸市中央区)

 地図を見ながら、「あ、ここだ」などと呟きながら挙げてみました。勿論ここに書いていないスポットもあるわけで、一本だけの木、小さな公園で場所の特定が難しかったりと流石に全ては書ききれませんでしたが、それぞれに印象は残っています。

 こんなワケで、この時期ウカツに電車に乗って、居眠りしたり本を読んだりはできません。数日違うだけで花の咲き具合が違い、そんなところをしっかり見ておきたいのです。

 あと標高の違いで当然ながら関ヶ原から大津にかけては平地よりも数日から一週間ほど遅いです。米原から大津にかけては琵琶湖に沿って線路があり、大体標高90~100m程のところを通っているのですが、同じ標高でも米原や彦根よりも、大津市周辺の方がずっと開花が早いです。単純に標高だけで開花の早い遅いに繋がらない、なにか自然界の不思議さがありますね。

***画像追加

ビューポイント一覧の※印で写した画像。

穂積駅西側の川の土手です。

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関ヶ原町今須の自生するヤマザクラ。

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安土城跡公園。

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島本町の山の斜面。こういう何でもない所に自生する桜が好きです。

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吹田~東淀川間の線路沿い。

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2009/03/30

阪神御影駅ホーム

 阪神なんば線開業で、阪神の三宮駅と近鉄の奈良駅との間で相互乗り入れが始まってやく一週間。近鉄車両がギリギリ通る御影駅と通過する近鉄車両も見たく、先週神戸へ訪れた際に帰り道に三宮から御影まで乗って、とにかくホームと線路の様子を見ました。

 情報の通り、やはり削ってありますね。主に上下線の三宮方をつぶさに観察しましたけど、ホームの線路際が妙に綺麗なところ、削った跡でしょう。

 画像は梅田方面行き2番乗り場のホームで、ホーム端部が汚れているところと新しいところの境い目があって、近鉄車両のオーバーハングに合わせて削ってあります。

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 ちなみにこの画像、ISO100相当で手持ち撮影です。

 御影駅ホームには、上下線を行ったり来たりして約30分ほどいました。その間に近鉄車と阪神車の快速急行通過をそれぞれ上下一回ずつ見られ、動画サイトで見た通りのギリギリ通過。現実を目の前に、「やればやれるモンです」と妙な標語を思い出しました。

2009/03/22

ダイヤ改正を乗り越えた大垣~米原間の373系普通列車

 3月14日のJR各社ダイヤ改正。JR東海と東日本では、373系電車を使用した全車指定席の夜行快速「ムーンライトながら」号を廃止しました。

 そこで気になる373系電車の行方ですが、ダイヤ改正前の旧ダイヤでは、「ムーンライトながら」で大垣に着いた6両編成のうち、3+3の二つに分割し、一つを折返しホームライナーに、もう一つを大垣~米原間の普通列車二往復に充てていました。

 ダイヤ改正で「ムーンライトながら」が無くなり、373系が大垣には来なくなると思っていましたが、豊橋~大垣間のホームライナーに使用される事となり、夜は大垣に来る事になりました。それでも米原へのローカル運用は無くなるであろうと考えていたら、あらら、どっこい一往復ではありますが、大垣~米原間の運用があったんです。

 具体的には、下りは平日・土休日とも大垣駅23:25発の米原行き、上りは米原駅平日は8:05発、土曜休日は6:57発の大垣行きに使われ、ちゃんと米原にも来ているのですね。

 米原へ行く車両運用としては6両編成で静岡から浜松を経て、豊橋駅21:43発のホームライナー大垣1号(土休は31号)で大垣駅到着、6両編成を3+3に切り離し、前の3両は車庫に入れて、後ろの3両が23:25発米原行きになります。米原で一夜を明かし、上りは平日と休日で時刻は違いますが、大垣行きの普通列車で大垣駅到着後は一旦引上げ線に入り、その後ホームライナーで大垣駅を出て行きます。

 画像は、旧ダイヤで米原発大垣行きの列車が大垣駅に着いて、車庫に回送しようとするところです。もう大垣駅では373系は見られないと思っていた、2月に写した物です。結局この画像はお蔵入りするところでしたが、意地にでも理由を付けて投稿してみました。

 大垣駅5番線到着。

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 そして車庫へ引上げて行くところ。

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 この後この3両編成は、夜の11時まで休憩で、相棒の6両編成を連結して、9両編成で東京行きになりました。

2009/03/16

こんなところに名鉄の社章

 先般、名古屋市西区の則武新町から外堀通りを西へ歩いていたら、道端に画像の通り名鉄(名古屋鉄道)旧社章を見つけました。

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 実はココ、この下に名鉄のトンネルが通っています。アスファルトが盛り上がっているのは駐車場で名鉄の用地でして、ここの下に線路が通っているわけです。そのため用地の境界標が建っているわけで、借地ではなくちゃんと名鉄の所有地なのですね。

 拡大。線路際の標識の一つ「用地境界標」で、本来は赤く塗られているものです。ただこの標はいつごろ建てられたものかな。赤色がかなり剥がれています。

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 この場所を外堀通りから南、つまり名鉄名古屋駅方向を望む。この駐車場が名鉄用地でこの下を電車が通っている訳です。左側の道路は市道です。ルーセントタワービルとJRツインタワーの北側のビルが見えます。

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 同じく北を望む。こちらも駐車場になっているところが名鉄用地です。100mほど先がトンネル入り口。坂を上り下りする電車が見えます。

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 ここは西区と言っても中村区との境界スレスレ。上の画像、東海道本線の西側が西区と中村区との区界で、新幹線の部分は中村区です。

 この場所の地図です。名鉄トンネルが変なとこ通っていますね。これ誤りで、「A」の記号の下の道路を並行して通っています。「A」の地点が標識発見地点。つまり撮影箇所。

大きな地図で見る

 この名鉄トンネルが通っている上の駐車場は、私の記憶では昭和の終わり頃まで建物が建っていました。普通の民家というよりは商いをなさる方の建物のようで、並行する国鉄の列車からよく見えていました。いつの頃か取り壊されて、駐車場になりました。

2009/03/14

JR東海とJR西日本の境い目

 この私、どういうワケか物事の境い目が気になる性分で、赤色と青色の境い目、夕暮れ時の明るさ(暗さ)の変化、模様が違うタイル張りの床面の模様、37kgレールと50kgレールの境目などなど・・・。

 東海道本線があります。国鉄時代から続く国土の東西幹線。国鉄分割で東海道本線の所管は、JR東日本、JR東海、JR西日本となり、JR東海とJR西日本の分界は米原駅と定められました。でも実際は両社管理区分の境い目があり、それが米原駅から2kmほど東京寄りの下り第一閉塞信号機の地点です。

 ここに両社の境界を示す標識が建っており、車窓からその気になれば見えまして、写しておきたいと思っていましたがどうしても失敗の連続。毎回僅かに早くシャッターを押してしまいます。

 先般ここを通った際に何度目かの挑戦で、一応見るに耐える画像が撮れましたので、ブログに投稿いたします。こんな感じ。

Img_0014

 下り列車の右側に距離標と同じサイズの標識がちらりと見えます。電柱が連続していますので、見つけにくいです。この標識の真反対側が第一閉塞信号機です。

 画像追加で、この場所を下り列車正面から見た画像がこちら。

Img_0002

画像左端が第一閉塞信号機で減速を現示しています。画像右側の上り線路の脇にこの標識が建っていますが、ご覧の通り二本の電柱に隠れて、見つけにくいです。

 場所はここ。下の地図中心部分ですが分かりにくいですね。箕浦会館の真下の場所です。

大きな地図で見る

 下り線路はここでご丁寧にレールのつなぎ目があり、レール面の研削の違いからか急に走行音が変わります。ここから米原駅へはJR西日本の管理で、踏切、セクションクリア、工事の際の合図方、全てがJR西日本の世界で、そこをJR東海の列車が行くのは何か不思議な感じがしないでもないですね。

2009/03/12

既に南大高駅出来てます…運転取り扱いでの話

Img_0002  今週末のダイヤ改正で開業する、名古屋市内は東海道本線の新駅「大高南」駅。右の画像は、東海道本線を走る快速電車の運転席背後から写したものですが、運転士用の時刻表には既に大高南駅が記載されています。

 実はこれ大高南駅は、場内信号機と出発信号機を備えた停車場で、運転取り扱いを行う駅であるからです。場内と出発信号機は絶対性を帯びた信号機で、取り扱いを行っていれば、それは停車場の存在と確認のため、運転士用時刻表に記載します。駅の営業開始はまだでも運転取り扱いで運用を開始していれば、運転士時刻表にも記載されるわけです。

 実施は2009年2月9日施行となっており、この日から大高南駅の信号扱いが始まったということです。

 駅名から右へ「着時刻」「発時刻」の順で、着時刻に「」は通過です。現在の普通列車は当然ながら大高南駅は営業では未開業ですので、通過を示す「」が入っています。次の大高駅で発時刻に縦の「=」は、場内信号機と出発信号機のどちらも無い「運転非扱い」停車場での通過列車の表記です。

2009/03/05

移り変わりダイヤ

 三日前に春のJRダイヤ改正を個人的な面からだけで書きました。

 ダイヤ改正というものは当然列車の運行時刻が変わります(今回は変わらないところが多そうですが)。当然ながら午前0時を境に使われる時刻表が変わりまして、ダイヤ改正前日に発車して午前0時を超えて運転される列車は、午前0時の前後でスジ(列車の時刻のこと)がつながらなくなります。

 午前0時過ぎ、或いは午前1時か2時頃に終着駅に着く列車は、前夜の列車ということで新ダイヤであっても旧ダイヤの時刻のまま運転されますが、午前0時以降は本来のダイヤと異なる時刻で列車が運転されることから、この旧ダイヤから新ダイヤへ移行する過程で使われるのが「移り変わりダイヤ」。

 この移り変わりダイヤは旧ダイヤと新ダイヤとはまったく異なる、只の一回だけに使われるために作成される特別なもので、乗務員や車両操配もあってダイヤ改正前24時間から48時間前から始まり、ダイヤ改正後は前日からの列車が運転を終えるか、又は24時間後まで続くスペシャル版です。

 夜行列車が数多く運転されていた頃は、市販の時刻表にもダイヤ改正号にはこの「移り変わりダイヤ」が掲載されていて、国電を除く午前0時跨りの列車と午前1時頃までに始発駅を発車する全ての時刻がが、交通公社版なら巻頭のイエローページに掲載されていました。

 この移り変わり時刻表では、列車番号の欄が二段になっており、上が改正前、下が改正後の列車番号、上下とも記載されていれば、始発駅を旧ダイヤの番号で発車し、途中駅で新ダイヤでの番号に読み替えを行い(同じ数字であることもある)、目的駅に向うもの。上段だけの番号は終着駅まで旧ダイヤの番号で走るもの、下段だけのものは始発駅から新ダイヤの番号で運転されるもので、これらが入り混じって複雑な一面が感じられたものです。

***
 さて、今回のダイヤ改正で東京駅から東海道を下る客車寝台特急が全て無くなります。はやぶさ・富士号の列車廃止ですが、改正前夜まできちっと走るのですね。東京駅を定時に出ても午前0時過ぎにはダイヤからスジが無くなるわけですが、これも移り替わりダイヤで時刻が設定されているからです。

 でも以前はダイヤ改正で列車廃止になる場合は、改正前日で運転を終えるような操配を行っていました。特に昭和50年3月10日ダイヤ改正で日本の長距離急行であった桜島・高千穂号は、西鹿児島駅発東京行きの最終列車は改正の4日前である3月6日、東京発西鹿児島行きの最終は3月8日で、3月9日には運転を終えていました。車両が鹿児島或いは都城受け持ちであったのが理由で、改正前夜まで上下とも運転される現在とはかなり違っていますね。

2009/03/02

マイダイヤ改正

 時刻表3月号を買ってきました。JR各社は2009年3月14日ダイヤ改正です。私の気になるところ・・・つまり利用する範囲内である、東海道本線の名古屋地区~大垣接続~米原接続~西日本方面、それと中央本線の名古屋~木曽福島地区です。

 基本的に今回のダイヤ改正では大きな変更はありませんでした。ただ名古屋の東海道本線の夜間帯に増発を含む若干の変化があり、西日本地区からの帰りも多少変化が出ております。

 大垣駅から上り方向に23時代に2本の快速が新設、1本は従来の岡崎行き普通のスジを踏襲しており、米原駅22:23着新快速長浜行きからの接続パターンでは、尾張一宮駅着が4分早くなっています。この接続パターンは現在はムーンライトながらの接続パターンになっていますが、ダイヤ改正でムーンライトながらは廃止となり、ローカル利用者には落ち着いて乗れそうです。

 またこの大垣駅23:07発の快速の後にもう一本快速があり、米原からの西日本接続受けする普通が遅れても、大垣での段落しは15分で済み、多少気が楽になります。ただこれも米原駅で大垣行き普通が、新快速の遅れを待ってくれたらの話ですし、ムーンライトながらの廃止で、それほど接続に気を遣っていただけなることもあり得そうです。

 そのほかの名古屋地区の東海道本線、京阪神地区の東海道・山陽本線は昼間については大きな変化はなさそう、というより変化のつけようがないと言ったほうが的を得ているのかも。

***
 ところで、再来月の5月で、JTB版の時刻表が通巻1000号ということです。

2009/02/17

まだある?パノラマカー絵柄の名鉄SFパノラマカード

Img_0004  名鉄の人気車両、昨年暮れに定期運用から離脱したパノラマカー。私の予想を裏切って、アナウンス通りにダイヤ改正後は一切代車運用にも入らず、完全に引退した模様で、貸切などイベントに備えての待機する毎日な様です。

 そのパノラマカー引退を前にした昨年の11月15日に、名鉄の7ヶ駅で駅毎に絵柄を変えたパノラマカーのSFパノラマカードが発売されました。発売の日は特定の券売機だけ長蛇の列を成していたそうですが、私はハナから7駅をまわるつもりはなく、行動範囲の4ヶ駅だけへ行くつもりでした。が、名古屋駅の他はトンと進まず、12月半ばに金山駅、正月2日に神宮前駅、1月のおしまいに岐阜駅の分を買うことができノルマ達成。

 そんな状況で、他の3駅もまだ残っているのではないかな…と思っていた矢先の16日…つまり昨日、一宮駅で画像のパノラマカー絵柄のカード発売のポスターが張り出されている事に気付きました。今これが張っていあるということは、まだまだ各駅とも残っているのでしょうか。

 ちなみに各駅毎に2万枚の発売で、カード発売の推定値から考えれば、まだ残っているとも考えられますが、この調子なら暖かくなれば犬山駅へも廻ってみようかな。それでも東岡崎駅と中部空港駅は用事の入りようがなく、入手は諦めています。

2009/02/16

尾西線を走るVVVF車両

Img_0001  昨年の名鉄ダイヤ改正当日に、旧ダイヤで運行していた尾西線の銀電を書きました。つまり尾西線の津島⇔一宮間は全部で5コ列車を充てており、そのうちの一運用がVVVF車(3R)での運用で、時々銀色の車両が入っていた…というものです。

 この尾西線の津島⇔一宮間は、2008年12月27日のダイヤ改正後もさほど…というより殆ど…全体の運用は変わっておらぬようで、現在も一運用だけVVVF車が尾西線を走っております。

 その尾西線を走るVVVF車、このほどカメラにおさめました。撮影場所は森上駅。偶然来た列車を写したのではなくではなく、正直いうと狙いました。

Img_0003

 狙った…ということは、VVVF車のダイヤが固定されているわけで、名鉄一宮駅14:13発津島行きに、これに連なる前後運用の各列車。18時ごろには津島⇔一宮間の折返し運用からは外れるようです。

2009/02/14

東京発ブルートレインの終焉

 昨日は低気圧の接近と13日金曜日が災いしたのか、一日ダウン。今日になって色々新聞記事などマスメディアニュースに接するありさま。その中で、来月のJR各社ダイヤ改正で列車廃止となる、東京発熊本行き大分行きの特急「はやぶさ」と「富士」の寝台券が、午前10時の発売開始とほぼ同時に売り切れて、ネットのオークションでは既に5~6倍の値段が付いていることが報道されていました。

 思い起せば、私、20系の寝台客車列車に乗った事あります。列車は「さくら」。四捨五入すれば0歳の頃ですので、当然記憶はありません。ただ狭い空間と金属の部品が揺れてカチャカチャする音がしていたのは覚えがあり、それが後に鉄道好きとなる嚆矢となったことは確かな様で、私の鉄道好き歴は、「年齢-3~4」年と言うています。

 名古屋地区に住んでいますと、あまりブルートレインというものに接する機会は少なかったです。RJ誌は子供の頃から読んでおり、その記事を通して知る程度でして、殆ど想像だけの世界。愛読書であった時刻表で東京発の山陽九州方面の寝台列車は、「さくら」を筆頭に「瀬戸」まで続き、しんがりに急行「銀河」が何本かあり、夜寝ている間でも日本国は動いているものだと子供心で思ったものです。

 その後長じてからも寝台列車に乗る機会はついぞ無く、結局20系の「さくら」だけとなりそう。

 これで東京発の東海道筋を行く夜行寝台列車は、サンライズ出雲・瀬戸だけとなります。285系の現車は見たことありませんが、あのインテリアですとまだまだ乗客のニーズを掴めそう。それに対して、24系客車などは名古屋駅で何度か見かけましたし、見送りで車内に入ったことありますが(やっていはいけません)、ちょっと使いづらそうですね。旅客車内である時間を過ごすとなると、あれでは利用する立場では二の足を踏みそうに感じます。食堂車もありませんし、時代と共に存在するのを忘れた結果は、列車廃止というのもうなずける様に思います。

2009/02/11

阪神御影駅と近鉄車両

 この春3月20日から、阪神と近鉄は相互直通運転がはじまります。この件は結構話題になっているようで、まだレールの繋がっていない昨年から互いに相手方の線路において試運転を行っている様子は、時々報道されています。

 今度始まる阪神と近鉄の相互直通運転は、阪神車両が近鉄線を、近鉄車両が阪神線を走るのですが、直通運転の三宮(阪神三宮)⇔近鉄奈良間の列車で一つ気になることが。

 それはタイトルにも書いた通り御影駅をどうするか、どうなるのか、ということです。御存知の方は御存知、ホームのある駅構内はとても狭く、島式二面ホームの両端は急カーブになっていて、車体の短い阪神車両でもホームと車両の間に隙間が出来ます。ここを車内の長い近鉄車が通れるわけが無い…つまり改良工事をするのだろう…と思っていたら、なんとギリギリ近鉄車は御影駅を通れるのだそうです。

 久しぶりにyoutubeを開いて、ピアノではなく御影駅関連の動画を探してみたら、あらら、ちゃんとありました。既に昨年において御影駅を通る近鉄車の試運転も始まっているようで、もうギリギリもギリギリ。ホームとの隙間も開いているモンではなく、大人でも充分落ちそうな空間で、三宮(阪神三宮)⇔近鉄奈良間の列車は快速急行にして、御影駅を通過せざるを得ないような感じにも見受けられました。

 動画は私の撮影ではありません。youtube掲載の動画です。電車は梅田方向(難波方向)を走っており、通常は通過電車の通る1番線ではなく2番線を通っています。車両の端部はホームに擦るのではないかと思うほど、そして車両中央部は大きな空間です。ココは時速35km/hの制限があります。

 こちらは三宮方向の電車で、車体中央部がホームに接しそう。実際にこのホームの三宮方は、削った箇所があるそうで、この動画をみると、どうも線路(軌道)自体もホンの少し移動させたような感じにも見えます。

 でも、こうしてみると、御影駅を近鉄の車両が通れるのですねぇ~。ビックリです。阪神は乗る事はそう多くなく、御影駅は通るたびにその空間の狭さに驚いています。

2009/02/07

国府宮はだか祭

 本日は稲沢市の尾張大國霊神社(国府宮神社)のはだか祭。旧暦1月13日となる日に行いますので、グレゴリオ暦(太陽暦)の現在では、毎年開催日が変わります。

 このはだか祭、いわゆる追儺の神事です。昨日が大鏡餅奉納、明日はその鏡餅を切り分ける行事があり、そして本日ははだか男がぶつかり合い、神男に触れて厄を落とす様子が取り上げられていますが、このはだか男がぶつかり合うのは、これら儺追神事のいわば予備作業で、本日の夜(日付的には明日)神社の境内で行われる夜儺追神事が最も大切な追儺の行事です。

 人々の厄を払い穢れを落とす追儺(ついな)の行事は全国に多くありまして、節分の豆まきなども同じ発想といえます。それを国府宮のはだか祭では、厄を一身に受ける神男に触れて厄を落とし、人々の厄を一身に請け負った神男は、真夜中に厄を土餅に移しそれを背負い、石をぶつけながら神事に臨み、その土餅を地中に埋めて人々の災厄は地に還る。こんな感じです。

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画像は、2006年の撮影です。

***
 さて、この国府宮はだか祭では、多くの人が集まることから、かつて名鉄では列車の臨時列車の増発、並びに定期列車への増結を行ってきました。現在はベースとなる輸送力が増え、大きな声では言えませんが普段のお客も減っていますので、臨時列車の運転は無いようです。定期列車への増結は行われております。

 その増結ですが、昨年のダイヤ改正で特急列車は豊橋系統と中部空港系統とに半々になりました。中部空港発着…つまり常滑線の特急でもあり、停車駅のホーム長から6両編成が限度で、特急列車の増発も豊橋発着の列車に限られます。

 また国府宮駅南の踏切では、多数のはだか男や観衆が渡るため、通常の自動遮断を停止、保線担当の社員による「人間遮断器」になります。線路の西側を担当すると、踏切待ちの間に、酒瓶(今は紙パックも)を持ったはだか男に飲まされることもあります。

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 画像に見える通りロープを張ってあり、素早く交通を遮断することが出来ます。このタイミングは微妙で、はだか男の一行を何処で通すか逆に止めるか、難しい作業だとも伺っています。

 そのため特別な運転扱いとなり、自動遮断器停止中は岐阜方面行き列車はかなり手前から徐行、名古屋方面行き列車は国府宮駅発車時点で、それぞれ係員の白旗を確認し、踏切を通過します。

 正面サボ受けのある車両には、はだか祭のヘッドマーク。この画像は、1月25日投稿の再掲です。(2009年1月22日撮影)

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 こちらはバス。普段は走らないバスが登場します。かつては萩原方面と尾西市方面にもバスがありましたが、今はこの秋竹発着だけです。この路線は大部分がかつて定期バスが走っていた区間で、今は一年に一度だけこの日だけ走る「運転期間を定める路線」という不定期の路線です。

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冒頭にも書いた通り画像は、正面サボの他は全て2006年の撮影です。

2009/01/25

ダイヤ改正・名鉄一宮駅3番線からの急行

Img_0002  名鉄で年末にダイヤ改正があってもうすぐ一ヶ月になります。ダイヤ改正以後は名鉄に乗ること少なく来てしまいましたが、先般尾西線に乗った際に、この改正で新たに登場した3番線からの名古屋本線の急行を見ました。

 この急行はこの名鉄一宮駅が始発で、今回のダイヤ改正が表す、名古屋本線の減量措置の一つです。

 つまり、朝ラッシュを終えた時間帯から全ての特急・快特は、新木曽川、笠松に停まる事になり、この両駅及び竹鼻線の対名古屋間の利便性が向上し、反面輸送力調整の意味で時間4本ある急行のうち、昼間のみ時間2本一宮折返しとしたものです。

 具体的には、名鉄一宮着9:31から15:32までの30分毎の急行を一宮止めとし、その折返しが9:37から15:37発の30分毎の急行に充当されます。これ以外の急行は岐阜まで行きます。

 この名古屋方面への始発の急行、上り普通の到着を受けて発車します。今伊勢、岩刀、両駅からの方もこの急行に乗れます。

 さて撮影した日のこの列車、私のキライな6000系車両でした。サボ受けには画像の通り、国府宮はだか祭のHM(ヘッドマーク)が。私はHMを写すことはあまりしないのですが、たまたま見かけた車両に取り付けられていれば、カメラには残すようにはしています。

Img_0004

 尾張大國霊神社(国府宮神社)のいわゆるテレビニュースで伝えられるワッショイワッショイは旧暦の1月13日。本来はこの神事の前準備のようなものですが、その話は又時期が来れば書いてみます。

2009/01/23

野宮

Img_0064  今日の投稿は前回からの続きです。竹林の小径を辿った先は、野宮の旧跡。久しぶりに訪れようと思った次第。

 観光ガイドブックではいずれも「野宮神社」と記されていますが、私的、この投稿では単に「野宮」とだけしておきます。野宮とは、平安朝のころ、伊勢の神宮に仕える斎王を、天皇が代替わりする毎に未婚の内親王から卜定され、宮中で暫く、そして板葺きの仮の社を設けた野宮で三年間の潔斎の後に伊勢へ赴いたという、その野宮(ののみや)です。野の中に置かれたお宮ですので「野宮」です。

 元々は卜定される毎に場所が異なり、現在の地に建つ野宮は、幾つかあった野宮の一つではないかと思います。斎王の制度は南北朝の頃に廃れ、野宮の旧跡として文学芸術作品に登場することとなり、その一つに私はハマってしまいました。

 能の「野宮」です。私は能では初番能、若しくは切能が好みですが、源氏物語由縁の曲、特に光源氏と六条御息女(ろくじょうのみやすどころ)にかかわるお話は、どこか惹きつけられます。似た境遇の持ち主だからかもしれませんが、秋の夜を語る謡曲の詞がとても美しく感じます。

 光源氏とすっかり疎遠になった六条御息女。天皇の代替わりがあり、娘が斎王に選ばれることとなった。この際だからと源氏への想いを断ち切るべく、自らも娘と共に野宮に移る。そこへ源氏が現れ「思い直したら…」と語り掛けるも、想いは固く伊勢へと赴く…。能では光源氏は出ず、諸国を廻る旅の僧の夢で見た出来事として描かれています。

  末枯の草葉に荒るる野の宮乃
  草葉に荒るる野の宮乃
  跡なつかしき此処にしも
  その長月乃七日の日も
  今日に廻り来にけりもの
  はかなしや小芝垣いと仮初の
  御住居今も火焼屋の
  幽かなる光は我が思い内に
  ある色や外に見えつらん
  あら淋し宮所あら淋し宮所

 秋の夜、朽ち果てた野宮の旧跡を表現している行です。

 

 さて先般、もう何度目かの野宮を訪れてきました。先ずは謡曲史跡としての案内板。

Img_0105

 こちらは京都市観光の案内板です。

Img_0068

 そしてこちらが謡曲の中に出て来る黒木の鳥居です。「黒木の鳥居」というのは、樹皮を剥がさず、そのまま鳥居の材木としてもちいたもので、野宮が元来は仮普請であるが故にのほか、俗界とを絶つ結界の意味でもあります。暫くは模造品の黒木の鳥居でしたが、本物の木材で出来た黒木の鳥居が奉納されたということです。

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冒頭の画像もそうですが、鳥居の足にもたれかけてある看板が気になりますね。

 現在の野宮神社としての名物。じゅうたん苔。地下水脈の豊かさが為せる業です。

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 斎宮旧跡の石碑と苔。初めに書いた通りここだけが斎宮旧跡ではないのですが、旧跡の一つとして石碑が設けられたのでしょう。

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 現在の野宮神社の本殿。天照皇大神が祭神だそうです。

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 この野宮。竹林の中に埋もれるようにひっそりと(人は多いけど)建っているのですが、ここにはとても意外な物が。じゅうたん苔のあるお庭のすぐ隣は、JRの山陰本線。

Img_0109

 この画像は、野宮の前を通る道の踏切から写しましたけど、竹林の小径にはとても似合わぬ踏切。ここは複線化され線路周りがコンクリートの味気ない構造物が現れたりしていますが、かつて単線で非電化だったころは、本当に竹林の中にひょっこりと踏切があり、汽車が抜けていくという不思議な光景でした。

 さすがに私は「汽車(SL)」の時代はわかりませんが、DD51が茶色や青色の客車を10両以上も繋いで、「出雲市」「浜田」「米子」といった行き先板を下げて走った頃は知っています。そんな長距離の列車の中「福知山」行きが短く感じられたものです。

 この複線のうち、画像左側の線路はトロッコ(嵯峨野観光鉄道)も走ります。

2009/01/21

時代は変わった・谷汲山の観光ポスター

Img_0002  JR東海の尾張一宮駅でのこと。改札を入り階段を上ると構内売店横の壁には観光誘致ポスター。その一枚が、谷汲山華厳寺のもの。(画像右)

 谷汲山への足といえば、昔から名鉄電車でありまして、名鉄の駅構内には他の観光地などと共に谷汲のポスターも張られていました。しかし名鉄谷汲線は2001年に廃止され、岐阜からの揖斐線も2005年に廃止されてしまい、名鉄では行けなくなってしまいました。

 そんな事かどうかは分かりませんが、JR東海の駅構内での谷汲山ポスターは、いかにも時代が変わったことを痛感させられました。確かに名鉄がなくなった今は、谷汲へは大垣駅までJR東海を使うルートになりました。

 このポスターでは、交通アクセスとしては最初に名鉄が記されています。画像を縮小してありますので書いてみますと、名鉄岐阜駅下車バス谷汲ゆき60分とあります。やはり名鉄を最初にもってくる所が伝統かと思いきや、JR線利用でも岐阜駅下車バス60分とあります。あれあれ?。大垣駅から樽見鉄道乗換えで谷汲口駅下車でさらにバスか、大垣駅から養老鉄道乗換えで揖斐駅下車でさらにバスのルートがあるのですが。

 いずれにしても、名鉄谷汲線廃止で谷汲へは行き難くなりました。

 ところで谷汲山華厳寺は、54年ぶりの十一面観音菩薩の御開帳ですか。前にもあったような記憶があるのですが、別の仏像だったのかな。また御開帳期間は14日間だけで、これは込み合いそうですね。

2009/01/19

架線の無い鉄道に違和感・非電化区間の話

 私の鉄道でのいまだ違和感を覚える話として、三日前の16日には「単線区間・通過しながらの行き違い駅に萌える」として、単線区間の行き違い可能な停車場を通過する話を書きました。今回は「非電化」区間の話。

 前回にも書いた通り、私は「複線電気鉄道」で育っております。つまり線路(列車走行線路の意)が二本で、その上空には架線が張られ、それを支える架線柱で一つのセットです。

 ですので、架線のない鉄道には未だに違和感を覚えます。初めて架線の無いしかも単線の鉄道を認識したのは高山本線で、架線が無いのにレールがある、なんともミスマッチな衝撃を今でも覚えています。

 その一方で高山本線には、後に俗称としてこの言葉を覚えましたが「ハエタタキ」と呼ばれる通信用の四角い電柱がありました。この通信ケーブルとレールとで一つの線路と理解していました。

 架線(と架線柱も)が無いのにレールだけなんて、蓋の無いポットのようで、とても落ち着きません。ちなみに私は鉄道線路が「そこに存在する」のを認識するのに、大抵は架線と架線柱から見つけます。目立ちやすいですし、慣れでもありましょうね。

 鉄道車両が動くための動力源として、電気のほか重油というものがあり、それを使ってディーゼルカーと言うものがある事を知ってから、あの架線の無い鉄道がやっと理解できるようになりました。こんな話、小学校低学年の頃ですよ。

 名古屋の地下鉄東山線は架線が張ってありません。ですので小学校低学年の頃、黄色い電車はディーゼルカーだと思っておりました。アホですね。しかしその誤りは直ぐに解消しました。そう、東山線は第三軌条方式ですね。いわゆる図鑑で電力供給方式の一つとして描かれていました。その図鑑がRJ誌になりRP誌も加わり情報量は増えました。

 その後同好会などで鉄道写真の評を聞くと、「ここは電化で架線柱がうるさくなった」とか「架線が張られたために映りが悪くなった」とか電気設備を悪く言う風潮がありました。私、これには馴染めませんでした。なぜなら上にも書いた架線(と架線柱)とレールで一式の鉄道なんです。架線柱に列車正面が被らないように列車を写すのは同意ですが、架線がうるさいというのは納得できませんね。むしろディーゼルカーであっても架線が無いのに鉄道車両がある光景は、今でも若干ですけど違和感を覚えます。

2009/01/16

単線区間・通過しながらの行き違い駅に萌える私

 画像整理がちょっと追いついてませんので、文章だけの投稿で失礼。

 意外なところに萌えるものがありまして、「単線区間の行き違い停車場(駅)を走りながらの通過」です。中央本線の臨時快速や山陰本線(JR嵯峨野線)の快速に乗ると、とてもワクワクします。

 私、生まれて以来の鉄道ヲタですが、育った鉄道の環境が「複線電気鉄道」。子ども心ながら鉄道のイロハを知ってから初めての単線鉄道が名鉄尾西線。万博があった昭和40年代中頃は名鉄の特急政策が深く浸透しており、単線の尾西線にも特急が走っていました。(注:当時の特急は料金不要の列車)

 その停車駅というのが、新一宮から、苅安賀、萩原、森上、丸渕?、六輪、津島でして、丸渕以外は全て行き違い設備のある駅。逆に言えば行き違い設備のある駅だからこそ停まっていたとも取れるわけで、行き違い設備のある駅は停まるものという観念が出来てしまいました。

 そんな幼少の頃の出来事で、長じた今でも単線の行き違い駅を通過しながら走行すると、ワクワク萌えるところがあるのです。随分不思議な感性ですよね。

 他所の鉄道では極々普通に行き違い駅でも通過しながら走行していますし、当時単線区間のあった近鉄大阪線の特急で、走りながらの行き違い駅通過を体験しています。

 尾西線で行き違い駅で特急が停まっていたのは、タブレットの受け渡しがあるからですね。でも国鉄ではそのタブレット(国鉄では通票という)を走りながら受け渡しをやっていることを知ったときは、「どうやってやるのだろう?」と思ったものです。

 しかしその答えは意外と早くやってきました。長野電鉄の木島線に乗ったときのこと。行き違い設備のある柳沢駅をなんと通過したのです。その通過するとき、先頭車の運転室後ろの席に座っていたら、いきなり窓の外で激しく物体の衝突する音が。そして黒いワクが響いています。

 そう、走りながらのタブレット受け渡しをやったわけで、激しい衝撃音はタブレットを車両から伸びた腕がタブレットキャリアを拾った時に、思いっきりタブレットが打ちつけた時の衝撃でした。

 

 ところで尾西線の特急ですけど、津島駅からは津島線に入り毎時三本の津島線特急の一員となり、何と須ヶ口駅までノンストップ。特急らしい走りでありました。

 それから年月が経ち、知多新線が開通し、特急列車が内海駅まで行くようになりました。その特急が上野間駅など一部の駅で通過しまして、「名鉄でも通過するんだ…」と思ったものです。

***
 鉄道で違和感を覚える話の二つ目を書きました。→架線の無い鉄道に違和感・非電化区間の話

2009/01/15

安いキップで長く乗る・大都市近郊区間のからくり

 とある方(非鉄)にこんな事言うてみました。

「百数十円のJRのきっぷで、丸一日中乗れる方法があんだるけど、やってみる?勿論合法!」

鉄道に詳しい方なら、すぐにお分かりですね。JRの旅客営業規則でいう大都市近郊区間内相互発着且つ経由の乗車券での、通称「大回り乗車」のこと。

 順を追ってみると、JRの旅客運送についての約款である旅客営業規則にこんな決まりがあります。
 ・途中下車禁止の規程と共に、大都市近郊区間の範囲(第156条2号イ)
 ・その大都市近郊区間内相互発着の乗車券における、経由選択乗車の規程(第157条2項)
これらによって、東京・新潟・大阪・福岡の四つの大都市近郊区間が設けられ、その範囲内のみの普通乗車券及び回数乗車券は、指示された経路に関わらず、その範囲内において他の経路を乗車することが出来るというわけです。

 なぜこんな規程ができたのか。鉄道路線が多数あり発駅から着駅まで幾つかのルートが考えられる場合、そのルート毎に乗車券を用意したり、旅客の側からも乗車前に予めルートを決めて乗車券を購入するのは得策ではなく、そこでとりあえず目的駅までの乗車券を最安の経路で発売しておくから、経路はお客さんの都合に合わせてくださいよ、という趣旨でこの規程が設定されました。

 具体的には大阪近郊区間の例を出しますが、高槻駅から奈良駅までの乗車の場合。一般的には京都経由と大阪・天王寺経由の二通りのルートが考えられます。この高槻駅発・奈良駅着の乗車券は、
 ・京都経由63.3kmで1110円
 ・大阪・天王寺経由69.4kmで1050円
でして、京都経由の方が距離は短いですが、大阪・天王寺経由の方が全区間電車特定区間のため運賃が安くなっています。

Kinko  それで通常は(券売機では)運賃の安い大阪・天王寺経由の普通乗車券が発売されます。しかしこの普通乗車券で京都駅経由でも乗れます。もう少し拡大解釈すると右の図を見ると、京橋駅から学研都市線(片町線)でも行けそう、いや草津まで乗って草津線と関西本線経由でも奈良へ行けそう、いやウンと回って和歌山経由でも行けそう…。
(図はJTB時刻表を複写:クリックで拡大。)

 そうなのです。この拡大解釈がいわゆる「大回り乗車」で、最小の費用で最長の経路を乗ることが出来るか、という一種のお遊びです。高槻→奈良では1000円を越える普通乗車券になりますが、最低価格の乗車券つまり隣の駅まで120円の普通乗車券でも同様です。

 こうして120円の普通乗車券…つまりキップ、或いは150円や160円のキップで何処まで長く延ばせるのか。この記事では旅客営業規則の条文は書きませんでしたが、他にも乗車経路は重なってはならず「一筆書き」のルートにしなければならないなど、旅客営業規則の趣旨を熟知している方だけが出来るお遊びです。

 週刊誌に取り上げられたことがあるほか、聞けば関西ではテレビでも紹介されたとか。いや…これはどんなものでしょうか。少なくとも旅客営業規則の逆さ読みですので「理論武装」が出来る方しかやらない方がいいと思うのですが。

 

2009/01/13

湘南新宿ライン

 このところ鉄道ネタの投稿が多いようです。やはり鉄ネタですと脂が乗り気合も入ったりして…。

 ニコ動(ニコニコ動画)の映像に、湘南新宿ラインというのがあります。私が知る東京の頃にはまだ無かった線で、鉄道の中でも運転関連に興味がある私にとり興味深い運転経路をとっています。

 御存知の方は御存知ですが少しおさらい。分割民営化後、駅構内の遊休地やあまり使われていない山手線の貨物線を用いて旅客列車を走らせ、これにより東北本線と高崎線の増発ができ、池袋・新宿など山手西側の副都心を結ぶことが出来て、さらに横浜・湘南方面へも足を伸ばし、東海道本線(湘南電車)・横須賀線とが直通列車で結ばれているという路線。

 ローマは一日で成らずという言葉がありますが、いきなり湘南新宿ラインができたわけではありません。まず高崎線と東北本線が共用する、東北本線の大宮以南を増発するために貨物線を活用して列車増発を行い、都心側ターミナルを埼京線の運転開始で改良された池袋駅へ乗り入れ、それが山手線の貨物線を通り新宿駅へ。同じく山手線貨物線を走る埼京線の列車も渋谷へ、そして大崎へと伸ばし、湘南新宿ラインの下地が出来てきます。新宿駅は甲州街道陸橋南の渋谷区内になる遊休地にホームを設けています。

 そして大崎駅から目と鼻の先を通る横須賀線の線路とは名無しの貨物線で結ばれています。此処を通れば横浜へ、さらに三浦半島や小田原・熱海方面からも列車が走れますし、既に伊豆方面の一部旅客列車が通っており、此処を通れば新都心新宿と横浜とを結ぶことができ、出来たのが湘南新宿ライン。

 時を遡って、横須賀線電車は東京~大船間を東海道本線の線路を走っていました。つまり東海道本線電車と共用していたわけ。それを増発のために品川~鶴見~大船間を貨物線の線路を使って横須賀線電車を通し、その時も貨物線を通れると言うことで乗りに行きましたし、横浜~品川間の乗車も横須賀線の方が多かったです。

 すると車窓から見える蛇窪信号場から大崎駅への線路も乗ってみたいと思うようになり、それが約20年後に実現できる事になりますが、小生はまだ乗っておりません。やはり「乗りたい!」という気持ちが年齢のためか弱くなったのかな。

 

 ところで、湘南新宿ラインの電車が通る、「大崎駅~蛇窪信号場~西大井駅」間は、あくまで品川駅を経由しているものとみなします。いずれ「線名」の考え方を書いてみたいと思っておりますが、JR東日本が定めている線路名称から大崎~西大井間の輸送経路は無く、この間を乗車すると毎度、大崎~品川~西大井間の5.6km(大崎~品川2.0km、品川~西大井3.6km)を乗車したものとみなされ、運賃計算も品川経由になります。実際のところ大崎~西大井間は2.5km(大崎~蛇窪2.0km、蛇窪~西大井0.5km)で毎度3.1km分を余計に払わされる事になります。

 もうそろそろ、大崎~西大井間の営業キロを設定した方がいいのではないかな。その方がすっきりすると思うのですが、今度は品川~鶴見間の選択乗車との絡みも出てきますし、難しいところでしょう。個人的には大崎~西大井間を一つの輸送区間として公示し、営業キロを定めるのが宜しいかと考えております。

2009/01/10

長い15両・短い11両

 三連続を鉄道についての話、御贔屓の方すみません(この方がよかった鴨?)。

 二日前に書いた、二年後にアーバンネットの新快速オール12両の記事は、鉄道コムとgoogleからの検索で多くの方にお越しいただきました(一過性でありましょうが)。私もこの件は非常に関心がありますので他の掲示板やブログを読みましたけど、その中の幾つかで
   「東京では長~い15両、短い10両などと案内してる、10両が短いんだゼ」
という内容が見られました。

 そうなのです。私この所は首都圏には縁がありませんが、四半世紀前にこの放送を聞いたときは面白い表現だと思いました。

 私が乗っていた路線限定ですが、東京駅を発着する東海道本線(湘南電車)と横須賀線は、当時の編成が基本11両付属4両でして、基本編成だけの列車は11両編成、付属編成も繋いだ列車は15両です。そのため駅ホームでの案内放送では基本+付属の15両の列車ですと「次の東京行き、長い15両」、基本編成だけの11両ですと「次の逗子行き、短い11両」という案内放送でしたし、今もそうでしょう(多分)。

 この場合の「長い」「短い」は決して「うゎ15両、長っげ~」「11両、短けぇ」という形容の感嘆ではなく、単に比較級の表現だと思います。11両と15両の二通りの組成があることから、二つある編成長のうち「長いほうの15両」「短い方の11両」と解釈しました。

 

 それにしても流石に首都圏ですね。どこの駅かは忘れましたが、最初に藤沢~横浜間の駅でこの放送を聞きました。表現がサッパリ粋でして、以後何度か耳にするお馴染みの放送となりましたけど、名古屋とはえらく違うことを感じた多くの一つでした。

 この当時の車両は113系。その後東海道本線(湘南電車)の方は211系に替わり、横須賀線にはE217系というのですか、見た事の無い電車に替わっているようですね。

2009/01/09

名古屋鉄道本社ビル建て替え検討中

 昨年暮に、JR東海名古屋駅に隣接する名古屋ターミナルビルと、日本郵政グループの事業で名古屋中央郵便局駅前分室の建物をそれぞれ建て替えることが発表され、そのいずれもが高層ビル、特に名古屋ターミナルビルの建て替えでは260mもの超高層ビルとなることでニュースとしては霞んでしまいましたが、遡ること9月に名古屋鉄道本社ビルの建て替えを検討中であることが発表されています。

 今でもグーグルなりyahoo!なりで検索すれば、新聞社サイトの記事が見られますが、あくまで「建て替えの方向で検討」のためか記事の文章は短く、建て替え後がどの程度の建物なのかは明らかにされていませんが、名古屋駅北側に相次いで高い高い建物が出来ることとなれば、この建て替え事業も方向を修正せざるを得なくなるかもしれません。

 名駅地区、ひいては名古屋地区全体のフロア需要にもよりますが、現在と同規模の建物への建て替えでは、どうしても話題性が低くなってしまいますね。

 ちなみに名古屋鉄道本社が入っているのは、名鉄百貨店メンズ館の建物で旧のメルサです。1967年の完成で、上の方が本社フロアになっており、何度か訪れたことがありますが、エレベータは受付のある階には停止リクエストが無くとも必ず止まります。名鉄ホテルも同じメンズ館の上部ですが、ホテル部分は本社フロアとは分けられています。

 建て替えは名鉄百貨店本館も対象だそうで、こちらは1957年に最初の部分が出来ていて、建物としては古く、その後増築して今日に至っています。名鉄百貨店本館の建物は地下の浅い所を通る、名鉄名古屋駅と基礎を一部共用しています。そのため工事はかなり難しい行程になりそうです。

 名鉄百貨店本館とメンズ館の間には近鉄百貨店があり、さらに笹島交差点北西角には名鉄百貨店ヤング館(旧のセブン館)があり、これらが一連の建物の如く並んでいます。報道の文面通り、名鉄百貨店本館と本社のあるメンズ館だけを建て替えるのか、ヤング館も含まれるのか、近鉄百貨店を含んで全体を建て替えるのか、そこまでは報じられていません。

 実はこの建て替え検討中が報じられたときも、名古屋ターミナルビルの建て替えとと同様、名鉄トンネルとの関係が気になりました。もしこれらを超高層ビルで建てるとなると、名鉄トンネルの位置が建物形状に影響します。

 今後建て替えが決まり工事にかかれば、名駅北側の名古屋ターミナルビルの工事と共に景観が変わるでしょうね。と同時に道路渋滞がいささか心配です。

 ただこの計画が報じられたときは、2008年9月。いわゆる世界的不況が始まる頃のことで、その時点での報道文章を読めば「名駅地区は今後も発展が見込める為…」とあり、またこの時点ではJR東海の名古屋ターミナルビル建て替えは明らかにされておらず、報道から4ヶ月。今後計画がどう推移するのか、気になります。

***
 弊ブログの名古屋ターミナルビル建て替え記事12月12日
→「名古屋ターミナルビル建て替えへ

 その続編を12月26日に書きました。
→「名古屋駅の新超高層ビル・そして名鉄のトンネルの関係

2009/01/08

アーバンネットワークの新快速オール12両編成へ…ただし二年後

Img_0201  鉄道コムのニュースで数日前に知ったことですが、JR西日本はアーバンネットワークの東海道・山陽本線を走る新快速を、全列車12両編成にするという正にお正月プレゼントのようなニュースがありました。

 正直言うと一瞬どころかちょっとウラがあるのではないかと疑いましたが、やはり事実。車両の増備が必要で、実現は2年後の2011年3月ダイヤ改正からとのこと。

 いやこれ朗報です。私も月に何度か新快速乗りますし、時間帯によっては、或いは何かイベントごとがあるときの8両編成列車は、もう辟易するほど込んでいます。

 現在のダイヤでは、平日朝の大阪へ向かう列車は全て12両編成、夕ラッシュも多くの列車は12両編成で運転されています。ということは裏を返せば夕ラッシュ時にある何本かの8両編成、そして昼間は大部分の列車が8両編成で運転されており、これら8両編成列車を12両に増結するということ。ですので単純な輸送力50%増ではないのですが、全ての新快速列車が12両編成で来ると言うことは、インパクトは大きいです。

 朝の列車は殆どが12両編成で運転されていますが、電車(に限らず鉄道車両)というものは何日かに一度は検査を受ける必要があります。仕業検査や列車検査といわれているもので、それを朝のラッシュ輸送を終えた昼間に行っています。記事によれば、223系電車を40両新造するとのことで、この検査に抜ける穴埋め分の増備ですね。これで昼間と夕~夜の時間帯も全て12両で運転されることになります。

 全くの個人的なことですが、オール12両になると乗り得列車が無くなるのでしょうね。やはり8両編成が主体の今は12両編成が来ると、8両からのはみ出し分はホームの乗車列が短いんです。またその車両は空いていることが多く、それを狙って乗っているのですが、2年後からはそれが無くなるのか。でも底が上がることで全体にゆとりが出来れば、それはそれでいいのですが…。

 JR東海では一昨年のダイヤ改正で、4両編成が主体だった新快速など快速系統の列車は全て6両に増結されました。このときは輸送力が殆ど50%増なのでインパクトが強かったですが、西日本では今度は(2年後ですけど)12両ですね。やはり都市圏の底力の差を感じております。

2009/01/03

車内吊広告に見る名古屋と関西の違い

 先般、関西の東海道本線新快速に乗ったら、車内の中吊り広告の文字「バーゲン・バーゲン・バーゲン」。

Img_0001

 つまりこれ、正月初売り広告なのですね。バーゲンの音感は強めの調子で、キャッチコピーとすれば関西人好みなのでしょうか。

 一方でこちらは名古屋の地下鉄です。同じく初売りの中吊り広告ですけど、おとなしく「クリアランス」或いは「バザール」の文字が並んでいます。

Img_0116

 文化の違いと言いましょうか、このようなキャッチコピー一つをとっても名古屋と関西の文化の差が表れています。

 ちなみにバーゲンは“bargain”で、掘り出し品や見切り品の意、クリアランスは“clearance”で在庫一掃売り出しや蔵払いの意味、バザールは仏語“bazar”で街頭市場の古語だそうです。

 しかしいつから「バーゲン」とか「クリアランス」とか横文字を使うようになったのでしょう。15年位前までは百貨店の売出しでは上にも書いた「蔵ざらえ」など和語が並んでいたように思います。その頃の正月初売りは、百貨店では1月3日とか4日のように、割と遅かった記憶です。

2008/12/27

尾西線の銀電

Img_0147  今日は名鉄のダイヤ改正。そんな日にこの投稿を書くのは余りにもタイミングが悪過ぎますが、昨日の旧ダイヤ最終日に尾西線を一宮から森上まで乗った電車は、銀色の3150でした。

 津島⇔一宮間の折返し運用は5運用あり、その一つは独立運用(他編成と併結しない)でVVVF車の3100がよく使われていますが、時々新しい3150も入ることがあり、今までは途中駅ですれ違いを目撃していました。そして今回(昨日)目出度く一宮からの電車が3150で、パノラマカー最終日という日に、一宮駅で写した次第。

 側面方向幕はオーロラビジョン。見やすいと思うのですが、こうしてカメラを通してみると、ドットが荒いんですね。

Img_0149

 ところでこの3150も入る運用は独立運用ということもあって、6月のダイヤ改正までは5000も何度か入っていました。5000は4両組成ですが、ダイヤ改正までの足馴らしも兼ねて運用に入れていました。

2008/12/26

JR名古屋駅の新超高層ビル・そして名鉄のトンネルの関係

 12月14日の弊ブログで、「名古屋ターミナルビル建て替えへ」と題した記事を投稿しました。松坂屋名古屋駅店とバスターミナルの入るビルと、ホテルの入る現在の名古屋ターミナルビルの建て替えと共に、日本郵政グループの事業として名古屋中央郵便局駅前分室の建て替え再開発を行うものですが、12月23日の中日朝刊にそれらの事業が正式に決まったことが報じられました。

 それによれば、当初伝えられていたような、JR東海所有と郵政グループの土地とで一体となったビルを造るのではなく、それぞれで高層ビルを造るとの事。郵政グループでは2012年を目標に約210mのビルを、JR東海では今のホテルアソシアがある位置に約260mのビル、松坂屋などがある位置にもう少し低いビルをそれぞれ2011年までに着工し2017年度までには完成させたいとのことです。

 大きなテナントである松坂屋にはこれから話を行うそうで、今後詰めて行く事になりそう。松坂屋はどう出るのかな。個人的な印象では、百貨店の顔と品位でもある1階の印象として、松坂屋名古屋駅店は入居している立場からか今ひとつ松坂屋らしくないデザインで、今後続けて営業するのであれば、この「松坂屋らしさ」が表現できるビルとなっていただきたいものです。

 しかし建て替え工事中は営業できるのかな。暫く営業されないと、お客さんが遠のいてしまう恐れ、そしてJR東海としては同じ入居する百貨店なら、JR高島屋に力を入れかねないので、今後はどう推移するのか松坂屋ファンとしては気になっています。

 
Chika  さて、表題にも書いた「そして名鉄のトンネルの関係」です。前回の投稿でも名古屋ターミナルビルの地下には名鉄のトンネルが存在する事を書きました。ヘタな図ですがこんな位置を通っています。(右図・クリックで大きくなります)

 多少のずれはありますが、以前見たことのある図面と、テルミナ地下街の形から図を書いてみました。赤い線が名鉄のトンネルの位置です。図の通り松坂屋の真下を通っています。

 今度の260mの超高層ビルは新聞の図ではホテルアソシアの位置に描かれていますが、現状では東西方向の幅が狭く、もう少し幅広の建物になるでしょうけど、名鉄トンネルにかかってしまいそうです。新聞では全く触れられていませんが、ある程度、トンネルと高層ビル基礎とは離す必要があり、そのあたりどのような考えなのか、ぜひ知りたいところです。

 或いは名鉄トンネルも結構年代物(昭和16年開業)で、柱の補強は行っているものの耐震性では一寸心配なところがあり、そもそも鉄道トンネルの規格として現在の基準に合わない面もあり、場合によってはルートを変えて掘りなおし…。そんなことは無いと思いますが、どうしても高層ビルと地下のトンネルの関係が気になって気になって仕方がありません。

***
2009年12月23日追補
⇒松坂屋名古屋駅店は2010年夏にも閉鎖することになりました。こちら記事

2008/12/23

パノラマカー最終乗車

 今月26日で定期運用から離脱する名鉄の7000形車両パノラマカー。この先乗られそうな予定も無く、今日23日が最終乗車となりました。

 一宮駅で須ヶ口行き普通を待つ。このパターンは今年5回目かな。なんだかんだ言うてもパノラマカーであるが為にスケベジュールを組んでいたりします。須ヶ口行き普通に乗るのは以前からさほど珍しく無いのですが、それは国府宮特急退避で一宮駅で待つのが嫌なだけで国府宮先行。当然特急に乗り換えますが、須ヶ口まで乗り通すのはやはりパノラマカー故です。

 やはり先頭車は人気ですね。特に今日なんぞまるで往年のラッシュ時の様に車内は真っ黒、、、なのは先頭車の前半だけで、後ろの方は座席が塞がる程度、2・3両目は今日でも充分座席を選べる程でした。

 多いですね、、カメラの人。線路沿いにカメラカメラカメラ。別に私に向けられていないのですが、まるで芸能人のような気分です。

 終点までの22分は丁度良い読書タイム。私は都市の電車たるものロングシート派なのですが、やはりあれだけマッタリしていればクロスシートも良いモンですね。相当な贅沢させてもらいました。

 須ヶ口駅では、乗って来た電車は約10分後に折返し岐阜行きになりますので、それを見送りました。この先イベントで走ることもあるそうですが私は行くつもりも無く、特発運用で定期列車に充当される可能性も無くは無いですが、そんな偶然に遭遇する可能性も薄く、須ヶ口駅で岐阜行きの見送りが私にとってのパノラマカー最後となりましょう。

 子供の頃から乗り親しんだパノラマカー。8両固定編成もありましたし、蒲郡へも行った、尾西線でも乗った、先頭座席にも何度も何度も座りました。そんな想いがよぎる、パノラマカー最終見送りでした。

2008/12/22

方向幕の故障

Img_0005  本日は祖父江町へ行きました。名鉄一宮駅からは尾西線に乗車。しかしこの電車、ご覧の通り運転室内に方向板がぶら下がっていました。方向幕に「津島」が入っていない車かと思いましたが、そんな筈はなく、「ひょっとして故障?」の推察どおり故障のようでした。

 側面の方向幕は順調に廻って「津島」を指し、反対側つまり一宮側の方向幕は「津島」が出ており、やはり津島方車両のみの幕故障でした。

 今はこの線を走る電車は方向幕の車両ばかりで、板の行き先表示である方向板が使用される機会はほぼ無いのですが、こうしたイレギュラーな場合には必要なようです。

 ただね、この方向板、運転室内にぶら下げるのはいいのですが、車内からみれば板の裏「一宮」の文字がデ~ンと丸見え。紙か何か貼って隠してもらえないかな。

2008/12/17

新幹線0系車両・報道と思い出

 昨日、親類の者が「広島行っていたのかぁ~?」などと聞いてきよりました。「ハァ広島?、なんぞあったんかい」。きけば新幹線0系車両の臨時列車が走ったそうで、いや走ったことは知っていましたが、広島でセレモニーがあったそうで、それをテレビで見た親類が「広島…」と訊ねてきたらしい。

 私はテレビニュースを殆ど見ないものでして、テレビではどんな伝えられ方していたのかは分かりませんが、たしかにラジオニュースや新聞での印象では、まるで「昭和39年の新幹線開業当時から走り続けている車両の引退」を思わせるような文言で、あれは誤解を招く表現だと思いました。ABCラジオの朝の番組では、昭和39年の東海道新幹線開業から年を追っての出来事を並べ、いろいろ話題にしていました。あれだけ聞けば「昭和39年からの車両引退」と思ってしまいそうです。

 最後まで走ったR編成の車両組成はわかりませんが、外観を見る限り昭和51年以降製造の1000番台車又は昭和56年以降製造の2000番台車のようですね。新幹線車両は昭和38年から製造を続けており、東海道新幹線開業に当たって造られた昭和38年から39年製造の第1・2次車は、初期故障や設計当初為されていなかった設備取り付けによる車両重量増など不具合が多く、昭和51年までに全て廃車となっています。

 製造年次によって細かい設計変更が有り、比較的大きな設計変更があった昭和51年製の車両からは1000番台の固有番号を付与、さらに昭和56年製からは2000番台の番号を与えています。この1000番台以降は側窓が小さくなり、さらに2000番台では車内の窓の下になる「かまち」というのでしょうか?肘を付いたり小物を置けるスペース、あれが無くなっていて、私としては大いに不満でした。

 
 さようならイベントで多くの人を集めた(らしい…)0系車両でもかつては写真に収める人なぞとても少なかったのです。とにかく編成のパターンが「H(ひかり号)」編成と「K(こだま号)」編成。それに幾つかのバリエーションがありましたが、基本的にこの2パーン。徹底した合理的思想でダイヤが乱れても運用順序を簡単に変更できるということでした。0系車両も後続の100系が登場した頃から愛好家の対象となり、特に改造車の登場で車両毎のバリエーションが増えた辺りから話題に上ることも多くなってきました。

 それにしても凄い人出だったそうですね。私は車両自体には大きな関心が無く(少しはあるということ)、この種のイベントはどうしても行く気がしないものなのですが、やはり一時代を築いた形の車両が無くなるというのは、ちょっと感慨深いものがあります。尤も東海道区間を16両編成で走らなくなってから久しく、その時点が私にとっての0系最後なのでした。

 前述のABCの朝の番組で。新幹線の特集を組んだ最後は、タイフォンの一声で締めくくりました。実際にさよなら運転で鳴らされたタイフォンで感涙した方がいたそうで、かつては毎度東京駅で聞いていた(下りは1号車が大好きなもので)ものですけど、演出上の効果かな、こんな私でもジンとくるものはありました。あの音は初期車から最終増備車まで同じ音なんですね。

2008/12/14

名古屋ターミナルビル建て替えへ

 数日前の新聞記事に出ていましたけど、日本郵政グループと共同で、名駅地区の現在名古屋中央郵便局駅前分室と名古屋ターミナルビルの土地に高層ビルを建てるとの発表が有りました。郵政グループの中央郵便局跡地開発は耳に入っていましたが、JR東海の関連駅ビルともいえる名古屋ターミナルビルも含まれるのは初耳です。

 つまり中央郵便局の土地だけでは些か狭く、名古屋駅にも直結させたい、そしてJR東海は将来のリニア中央新幹線開業で、名駅地区の更なる発展を見込んで、手狭になっている名古屋ターミナルビルを直したい。そんな両者の思惑が一致して建て替え発表に至ったものです。

 名古屋ターミナルビルは建設後34年(新聞によれば)。まだまだ新しいですね。線路側の高層部分にはホテル、道路側の建物には松坂屋名古屋駅店、名古屋市交通局とJR東海バスのバスターミナルが入居しています。

 2010年に着工して2016年に完成を見込んでいるとの事ですが、さぁその間です、バス乗り場はどうなるのでしょう。元々は駅前の三方向に広がる市バスの乗り場を集約したいという考えから、名古屋ターミナルビルに市バス乗り場を設置したのですが、工事期間中は常識的に考えて以前のような道路上に停留所を設置するしかないですよね。そしてロータリーを使ったり、ループ状のルートを取るようにして車両折返しとなると思います。

 もう一つ気になること。それは松坂屋が入っている名古屋ターミナルビルの下と、中央郵便局駅前分室裏の郵政敷地下には、名古屋鉄道の隧道(トンネル)が通っています。そのため松坂屋が入っている建物は、隧道にかからないような基礎を打っていますが、高層ビルを建てるとなると、基礎の設置位置が問題になると思います。隧道から一定の距離を確保せねばなりませんし、設計上も施工上も大変厄介な存在となりそうです。

 昭和50年頃の名古屋ターミナルビル建設では、名鉄隧道の天井部分が工程の関係からか開けられまして、新名古屋駅を岐阜に向けて発車した電車は、トンネルなのに陽が差して不思議だった思い出があります。

***
 続編を12月26日に書きました。
→「名古屋駅の新超高層ビル・そして名鉄のトンネルの関係

 関連して、名鉄本社ビル建て替え検討中を、1月9日に書きました
→「名古屋鉄道本社ビル建て替え検討

2008/12/13

鉄道日本文化史考

Book  書評を書くのは私としては大変おこがましいのですが、OCNのブログ人に標準で付いているカテゴリに「本と雑誌」というのがあり、一寸これに該当する記事を書いてみます。

 先般図書館で借りてきた書に表題の通りの書物があります。鉄道の歴史書というのは数々あれど、その多くは技術発達史や構成人員の変遷に関わる部分など、あくまで鉄道事業者側からの視点に留まってきたきらいがあります。

 しかし鉄道は利用者や運送する物があって成り立つもの。その民俗的背景で述べた資料というのが些か少なく、そんな鉄道史に関わる考えを述べた書がこの「鉄道日本文化史考」です。

 明治維新と共に日本に現れた鉄道。そこに用いられる言葉の背景は今までの史書には記載が無かったのですが、この書では文化的背景とその時代に暮らす人々は、いかな社会的な通念を持っていたのか、読んでいる私としてはむしろ鉄道から当時の民俗的な状況がいかなものかが分かりかけます。

 

 どうしても鉄道というのは運送する行為のみに目を向けられて、利用者は運送を要求する、事業者はそれを果すと共に従事者に相応の教育を施す。この両者には知識の面で大きな隔たりがあります。従事する立場でも無いのが知識を得る必要は無いのですけど、しかしそれは鉄道というのが隔絶された世界に留まってしまい、正史の面でますます文化的背景の考察が行われ難くなります。

 その鉄道に対する無知の結果が郷土史研究で時々出てくる明治の頃の「鉄道忌避」の考え。宿場が寂れるなど旧来の産業保護で鉄道を遠ざけたという話はよくありますが、その殆ど(或いは全て)は鉄道の技術的面で街道から離さざるを得ない線形となります。それが何処をどう誤解されたのか、郷土史家の多くは未だに鉄道忌避の考えをもっておられるようで、これも鉄道の正史では機械的な技術史に傾倒して、文化・民俗的な視点が欠けていた結果でしょう。

・鉄道日本文化史考
・宇田 正 著
・思文閣出版
・5,500円
・ISBN 978-4-7842-1336-8

2008/12/09

乗り越しは複雑・鉄道運賃

 12月8日の中日新聞、読者からの投稿「発言」欄で、岐阜在住の65歳氏が岐阜から浜松へ往復したら、「行きと帰りで運賃なぜ違う」という投書がありました。私は題名で直ぐに理屈と状況が分かってしまいましたが…。

 つまりこういう状況です。岐阜氏が浜松まで乗るべく、JR岐阜駅の自動券売機で2,210円の普通乗車券を購入した。そして帰り、浜松駅の自動券売機上部の運賃表で岐阜駅を探すも見当たらず、最高額の名古屋まで1,890円の普通乗車券を購入して岐阜駅まで乗車し、不足分の320円を精算しようとしたら、精算額は450円だった。このあとは駅員とのやり取りが書かれていますので省略しますが、こんな状況だったとの事。

 これは運賃制度そのものではなく、旅客営業規則でいう「乗車変更(区間変更・乗り越し)」の計算方の違いによるものなのですね。

 順を追うと、岐阜駅~浜松駅間は139.2kmで2,210円(121km~140km帯)です。そして帰り、浜松駅で名古屋駅までの普通乗車券を買いました。名古屋駅~浜松駅間は108.9kmで1,890円(101km~120km帯)で、この普通乗車券で岐阜まで乗り越しました。ここからが複雑で、章を改めます。

 一度改札を受けた普通乗車券は「旅行開始後」となり、乗車変更(区間変更)の決まりがJR旅客各会社の旅客営業規則に書かれています。それによれば「変更区間(つまり乗り越した区間)に対する運賃旅客運賃を収受する」とあり、帰りは名古屋駅から岐阜駅までの運賃450円(30.3kmで570円のところを450円に特定)が岐阜駅での精算額となるわけです。ですので岐阜氏が言うような差額ではないのです。

 しかししかし、差額計算する場合もあるんです。元の乗車券が100kmまでの普通乗車券であれば、「実際の乗車区間と元乗車券の区間とを比較した不足額」とあり、岐阜氏が浜松からの帰り、名古屋までではなく笠寺駅までの1,620円(99.7km)の普通乗車券を買っていれば、岐阜駅では差額清算(2,210-1,620=590円)となるところでした。

 しかしまぁなんですね、複雑ですね。とても普通の方が理解出来るとは思えませんが、こうした旅客営業制度は沿革的なものも有りますし、一朝一夕には変えられない面もあります。ここに書いた乗車変更の決まりは、旅客に対して有利不利な面もありますし、また現場の係員の扱い易さを考慮したものもあって、時々言われる「全部差額徴収でいいのでは…」とはいかないんです。

 少なくともお客に出来ること、やらねばならぬことは、目的地までの普通乗車券を購入すること。件の氏は自動券売機ばかりに目が行って窓口の所在が分かり難いとのことですが、お客の側にも少しは努力する必要があると思います。

2008/11/10

山の街・その2

Img_0123  10月に、「1000分の50の勾配・神戸電鉄山の街」と題して、急勾配を走る神戸市北区の神戸電鉄を投稿しました。ある読者の方から(愛知県在住)、「山の街ってとこあるんですね」との感想を頂きましたけど、住所でいうと北区緑町、「山の街」という駅があることで通称の地名になっているようです。

 ということで、前回の続き。住宅地の中を行く50‰+急カーブの地点から山の街駅にかけての部分です。

 
滑り台のような直線線路。建物と比べるとその傾き具合がわかります。
画面左のカーブしているところが勾配変化点。さらにその奥に山の街駅があります。
Img_0131

上の画像の踏切から線路を見る。有馬・三田の方向。
画面奥が、本投稿の冒頭画像と、前回の投稿で撮影した50‰+急カーブなところ。
Img_0132

50‰というのは、水平距離を100m走って5mの標高差がつく勾配のことを言います。道路の世界では5%の表記になります。

その踏切を道路側から写すとこんな感じ。
Img_0134

山の街駅の駅舎。新開地方向を望む。ちなみに駅員がいない無人駅。
改札口はもう一箇所あり、画像奥の新開地行きホーム脇にあって、バス乗り場へはそちらからになります。
Img_0137

ホームから。新開地行き電車が到着。駅構内はほぼ水平ですが、電車の三両目が勾配の変化点、四両目は50‰(パーミル)の勾配にかかっています。
Img_0144

逆の三田行き電車。
Img_0142

 
 山の街駅は昭和3年に開業しており、開業の頃は神戸市編入前の武庫郡山田村大字下谷上(でしょうか…地図で見たところ)にあり、開業時は隣接していた小部駅(今の鈴蘭台駅)ともども、山間にある集落への足、そして避暑など別荘地としての足として出来たそうです。

 昭和30年代に住宅の町として拓けはじめ、今ではむしろ昭和の雰囲気が漂う住宅地で、開業の頃あった、山村の雰囲気はほとんどありません。

2008/11/01

リニア新幹線は実現できるか

 昨日のNHKラジオ第一放送で夕方の番組「私も一言!夕方ニュース」では、実現に向けて動き出したリニア中央新幹線を取り上げていました。

 このリニア新幹線、私の考えとしては「あった方が良い」のですが、「まず実現不可能」という立場です。

 リニア中央新幹線の構想は、東海道新幹線の輸送は逼迫しているような状態であり、そんな東海道新幹線も開業後50年を過ぎれば、鉄橋・高架橋・トンネルなど構造物の大規模修繕が必要、鉄橋では架け替えすら必要になるかもしれず、現在の東海道新幹線を運休、或いは運休をしなくとも徐行で輸送量が低下することが予想され、そのためにもバイパス路として中央新幹線があった方が良い、ということ。そして中央新幹線を造るなら、開発中の磁気浮上式の高速鉄道にしようとの考えからです。

 そんなリニア新幹線ですが、不可能な理由、それはやはり「資金」と「情勢」でしょう。5兆とも6兆とも(もっとそれ以上)云われる建設費をJR東海が全額自己資金で建設するという話を聞き、一つのハードルは下がったように見えます。でもやはりそれだけの金額ですよね。また情勢というのは、既に出ているように長野県が諏訪を通せや飯田を通せなど、いろいろ意見が出ています。さもなくば建設に協力しないとも申しておりますし、人口稠密地区は地下を通すことですけど、そこでの磁界変化による健康被害、或いは通信の影響、その他諸々の影響が完全に無い事を確かめる、いろいろ乗り越えるハードルがいくつもあります。それらのハードルと建設資金の関係で、本当に出来るのか?、というのが私の考えです。

 あとルート案で、諏訪から伊那谷へ向かうルートと、諏訪から木曽谷へ向かうルートも示されていますね。これ時速500kmで走る列車にとっては大きなカーブになり、現実的ではありません。特に伊那谷へ向かうには、諏訪のはるか手前から伊那谷に向かうよう、例えば八ヶ岳の山中をトンネルで抜けるような線形にしなければなりません。木曽谷へは、木曽谷自体は急峻で、木曽福島に駅を設けることが出来ても、地上を走行することは無理です。

2008/10/24

1000分の50の勾配・神戸電鉄山の街

Img_0036_2  神戸市の北部西部を走る神戸電鉄は、またの名を「登山電車」とも揶揄されるほど急な勾配の多い線路です。

 そんな急勾配の路線ですが、有馬線の山の街駅~箕谷駅間は、有馬・三田方向に対して右カーブを回りながら、50‰(パーミル=千分率)の勾配を下ります。車窓からハッキリ下がっていることが分かるほどの高低差があり、一度現地に立ってみたいと思っていました。

 ここは神戸北町からも近く、森林植物園の最寄駅北鈴蘭台駅からも一駅隣で、久しぶりの電車撮影がてら沿線を歩いてみました。

住所では北区緑町で、こんな感じ。箕谷駅方向を望む。目線方向の地面が下がっています。
Img_0020

同じ場所で山の街駅方向を望む。目線方向の地面が上がっています。
Img_0024

1000分の50の勾配(50‰)は、電柱と比較してこれだけハッキリと分かる坂。Img_0062

坂を上る新開地行き電車
Img_0101

Img_0105

坂を下る三田行き電車
Img_0041

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これだけ下がって行きます
Img_0060

 鉄道で50‰の勾配というのは、かつては特別認可が必要でした。今は鉄道事業者毎の認可を受けた保安基準に基づきますので、50‰の勾配自体の特別認可はありませんが、電動車比率を上げたりブレーキも二重三重になっており、まさに山登りの電車です。

 少し長くなりそうなので、続きはまた近日中に…。

2008/10/18

谷汲山と谷汲線と18日

 今日は10月18日。毎月18日は岐阜県にあるお寺、西国33箇所の最終札所である谷汲山華厳寺の命日で大勢の方が参拝に訪れます。私は天台宗はおろか仏教徒ではありませんので参拝としての想いはありませんが、仏の道を説く場として、また人々の救いの場として、その祈りの心に触れようと以前は時々訪れていました。他の目的も込めて…。

 その他の目的というのが、旧名鉄谷汲線。もう廃止されて7年が経つんですね。つまりそれ以来訪れていないわけで、谷汲はちょっと懐かしさのでる地ともなりつつあります。

 同じ谷汲山へ行くのでしたら、参拝者の多い日を選ぼうと思います。つまりその日は電車の回数も多い訳でして、谷汲線も臨時列車を運転して電車の回数を増やしています。普段は行き違いをしない駅(北野畑駅)で行き違いをしたり、その臨時列車に充当される車両に、まぁ色々あったわけでして、そんなところに私を谷汲詣でさせる原動力があったわけです。

 谷汲山華厳寺に参拝される人の数は、谷汲線廃止後どうなっているのでしょうか。増減があまり聞こえてきませんが、普段から自動車で向かわれる方が多いので、大きな減とはなっていないのかもしれません。

 ただ私は谷汲線という重要な足を奪われたことで、もう行くことはありませんでした。代替バス?、樽見鉄道経由?、ダメダメ、交通機関が異なって運賃負担もあり心理的バリアが極めて高いです。そういえば谷汲線代替バスも、三年ほど前に止めてしまいましたね。

 鉄道廃止すると、それまでの利用者は当然困ります。しかし人の意思は結構強いもので、なんとか他の方法を見つけてしまう傾向もあるようです。冒頭にも書いた7年前の谷汲線廃止直後、これも当時あった33SUNワイドきっぷで名阪近鉄バスの谷汲線代替バスに乗りました。平日夕方で下校生や用事帰りの方が二両編成の座席を殆ど埋め、立っておられる方もちらほらの比較的多く乗られている時間です。しかし同じ時間帯の代替バスの乗客数は、たった5名。「あの人たちは何処へ行ってしまったのだろう?。どうされているのだろう?」と思わずにはいられない乗客の数でした。

 一年に「18日」は12回訪れます。私が谷汲へ行った時は奥の院まで山道を登っていましたので、必然的に晩秋から翌年春の半年間に限られていました。そんなことから18日、特に秋冬に18日になると谷汲山のことを思い出します。もうすぐ紅葉が綺麗ですね。

2008/10/17

補修された開田の森林鉄道保存車両その2

 8月22日に、「補修された開田の森林鉄道保存車両」と題して、木曽町開田高原末川の郷土館敷地内に保存されている、森林鉄道車両が補修され塗装も新しくなった事を書きました。

 その時の撮影では遠望だけで細かいところは撮影できませんでしたので、昨日にこの地へ訪れた際に、いろいろな角度から写してきました。

まずは前景。手前から、酒井10t機関車、C型客車、運材台車二両、の陣容。
Img_0174_2

C型客車の右側側面。
Img_0175

同じく左側側面。剥がれていた側板も補修されています。
Img_0182

ちなみに、「右側」「左側」とは、国鉄の場合を準用しているだけで、実際に森林鉄道ではどう扱っていたのかは分かりません。国鉄での客車は、ブレーキハンドルが着いている方の端部を後部としています。

車内の様子。今は入ることが出来ず、ガラス越しです。
Img_0181

足回りの部分も塗りなおされています。
Img_0176

客車と運材台車の連結部。こうして見ると、塗りなおされたのは、機関車と客車だけで、運材車は手が付けられていないようですね。
Img_0177

機関車の後部から。こちら側の面は、湘南電車そのものの顔をしています。
Img_0183
でもよく見ると、湘南電車特徴の金太郎塗り分けになっていませんね。
普通の車両なら切り離して一両ずつ塗るのですが、ここでは離せられませんので、致し方ないのかも。

機関車の走行部分。軸箱の酒井ワークスのロゴが光っています。
Img_0185

前にも書きましたが、このタイプの機関車と客車は、開田では走ったことは無いものです。

運材車側から見た編成。
Img_0179

 
 考えてみれば、これらの車両たち、現役で走るよりここで保存されている期間の方が長いですね。それだけ歳月が経っているわけで。

 補修と塗り直しから3ヶ月以上ですね。ただこのまま保存するのなら、説明板のようなものがあれば、よかったと思います。私のように自身で調べられる方は少ないですしね。

ところで……
実はこの日、開田高原へは歩いて入りました(ェッ)。その話はまた何れに…。

2008/10/06

韓国語版の名古屋鉄道利用案内

Mhan  昨晩、名鉄名古屋駅のパンフレットラックをいろいろ見てみたところ、画像のような縦長の利用案内がありました。各色カラーの表紙で、よくよく文字を読めば、英語版、フランス語版など外国語版。中部空港以来外国人の利用者が増えた背景でしょう。

 その中で私が読める、韓国語版を頂いてきました。表紙を含めて20ページ立て。見開きで左側のページに日本語、右側のページに韓国語の文章で、それぞれが対比出来るようになっています。

 日本語と韓国語を対比させることで、お互いにページをめくって、コミュニケーションが出来るようにと、会話集の要素もありますね。

2008/09/20

本日乗った車両

 カテゴリ「鉄道」ですが、真にどうでもいい話ですいません。

Img_0140  本日乗った車両の記号番号、画像の通り「クモハ313-313」。形式の数字と固有番号が同じです。こういう組み合わせにあたると結構面白いなどと思ったりします。

 他に「ぉおっ」と思ったりする組み合わせは、「-1」のいわゆるファーストナンバー車、「123-45」の連番車などなど。この「123-45」はかつて新幹線で二度乗車しました。あと他は、自宅や気になるお宅の「電話番号」、これJR西日本の223系でちょいちょいお目にかかります。

 こちらはバスの番号ですが、以前に東急バスで「O1234」という社番の車両に乗りました。最初の「O」はアルファベットですが、見方では「01234」にもなりそう…。

というわけで、くだらない話で失礼しました。
今朝尾張一宮駅でこんな車両が停まっていましたので、置いておきます。

Img_0135

2008/09/16

パノラマカー6両組成の最後ですが

 今日は新聞休刊日で、昨日の朝刊を見てみれば、おや?。中日新聞通風塔の欄に、まぁなんとも凄い写真が。

 その前の日、14日に名鉄のパノラマカーのうち6両組成編成が引退をするということで臨時列車として走りましたけど、その先頭車の様子がまぁなんとも…。人が多数前のめり。そして前面の動画を撮影しようとするのかカメラを並べていましたけど、無くなるのは車両ですので、「ちょっと違うのでは」と素朴な感想。

 私はこうしたイベント事には興味が無く、この日もお昼まで所用がありましたので行きませんでしたけど、文中700人が乗ったということは、座ってるよりも立っている人が多い状況。webの掲示板では沿線や途中駅での撮影する人が大変多かったそうで、う~ん、私ついていけません。

 その前日、名鉄一宮駅から須ヶ口駅までパノラマカー4両編成の普通列車に乗りましたけど、こちらも先頭車だけ大賑わい、二両目以降はガラガラで、その筋の方、出かけられているんですね。私は貸切となった二両目に乗りました。

 私はパノラマカーはもう何度も何度も乗っていますし、混雑時は決して乗りやすい車両ではないので、正直なところ特別お気に入りの車両ではありません。ただ来年中には完全に引退するということなので、時には乗ってみて触れてみようと思います。

 P6ともよばれるパノラマカー6両組成の編成は、前回乗ったのはもう1年以上前になります。それが結果的に最後になりました。

 こうした旧い車両は国鉄でも私鉄でも、今までにも最後の乗車というものがありました。それが最後の乗車だったかどうかは後々にならないと分かりませんが、パノラマカーも順送りだと思いますし、出来るなら静かに見送りたいです。あまり賑やか過ぎる最後というものは、私は一寸どうかな?と思います。

2008/08/22

補修された開田の森林鉄道保存車両

 木曽の森林鉄道は木曽谷の各所で、山から中央本線の駅や貯木場がある麓まで木材の搬出、並びに沿線住民の便を図ってきました。最後の王滝森林鉄道が廃止され早33年。当時の車両が何箇所かで保存されています。
 
 森林鉄道は旧開田村にも軌道を延ばしていて、車両保存場所の一つが開田郷土館の敷地内。ここには酒井のC4タイプとよばれる一方の正面が湘南形のような10トンディーゼル機関車とC型客車、それと運材台車一組が置かれています。
 
 しかし今までお世辞にも保存状態が良いとは言えなかったのが、先般訪れたら、あららびっくり、綺麗になっているではありませんか。綺麗に塗装しなおされ、遠目ですけど破損箇所の修理もなされているようです。その時は単に塗り直しただけと思っていましたが数日後、名古屋テレビ(通称:メ~テレ)の番組「旅してゴメン」で開田の木曽馬の里(つまりここ近辺)が紹介され、取材を前にして塗装したのかどうかは分かりませんが、何らかのきっかけにはなったのではないかと、勝手に思っております。

 昨年の画像をも交えて、この車両たちを紹介してみます。

 
塗りなおされた森林鉄道の車両たち。西野へ行くバスの時間が間近でしたので近寄らず、国道の反対側からズームいっぱいで狙いました。

Img_0134

 

ちなみに半年前は雪に埋もれてこんな状態で、これ以上は近づくことも出来ませんでした。

Img_0015

 

さらに半年前(つまり一年前)はこのよう。
いささか大変な状況。

Img_0021

 

 この機関車は、長野営林局形式でDBT10、管理番号がNo.135、1962(昭和37)年酒井工作所の製造、C4と呼ばれるタイプで、1975年12月に廃車となったものです。廃車時は鯎川(うぐいがわ)線で使われていました。
 
ちなみにこの機関車の反対側は、ご覧の通り湘南電車のお顔です。こちら側は設計上の後部です。

Img_0032

 
次位の客車はC型客車という、二軸の小型客車です。このタイプはC-1~4とC-6があり、このどれかでしょう。現車では確認できませんでした。

Img_0031
 

運材台車。これを背中合わせに(ブレーキの付いていない方)二組用い、材木運搬時は間に長い連結器で結んで材木を運んでいました。

この車両が現役時代の何番なのか、やはり確認できませんでした。

Img_0030

 

 なお開田には実際にはこのタイプの機関車、並びに客車は走った事は無いと思います。開田の森林鉄道、つまり西野川森林軌道は線路規格が低く、小型ガソリン機関車ばかりで、このDBT10形10トン機関車は入る(走る)事は出来ませんでした。また西野川森林軌道には、蒸気機関車もほとんど入っていなかったそうです。
 

***追加***
 綺麗に塗りかえられ、補修された画像を、本ブログの10月17日に投稿してあります。

2008/08/11

消えた出発信号機

 このところあちこちで、大気の不安定による局所的豪雨がおきています。これ本当に局所的で、気象観測点にかからないほど狭い領域にしか降らない事もあり、諺にある“夕立は馬の背を分ける”の通り、降雨域とそうでない域との境目がハッキリするほどの雨があちこちで起きています。しかも降れば凄いとしか言いようがない降り様で…。
 
 そんな雨の影響か、昨日(8月10日)18時ピタリに中央本線の木曽福島駅に来たら、下り線に特急「しなの」と貨物列車が停車中。聞けば原野~宮ノ越間で木が線路上に倒れてきたとかで、撤去作業中とのことでした。そういえば、開田高原から見た東の空は、ねずみ色の雲が覆い被さり、雷鳴が聞こえていたから、その時の出来事でしょうか。

Img_0184

 
 架線に引っかかっていたという情報もあり、撤去作業のため架線への送電(饋電)を停止していたようで、しなのの383系電車も貨物列車のEF64もパンタグラフを降ろしていました。そのため「しなの」は空調がきかず、車内は暑かったようです。

Img_0172
 
 
 ちなみにこの「しなの」、木曽福島駅を16時25分発の17号で、既に1時間40分以上も停まっています。私は18時4分発の松本行き普通列車に乗るつもりでした。
 
 やることも無いので、ホームをうろついたりしましたけど、ふと前方を見ると出発信号機の現示が消えています。信号機の電球を灯す電力は架線とは別系統なのですが、やはり作業の安全で一時止めていたのでしょうか。ちょっとレアな光景なので、写真に収めておきました。

Img_0174

 
 こちらの画像は中津川方(上り方)の出発信号機を写したもので、上り本線と上り一番線の出発信号機が並んでいます。

Img_0182

 この丸い形の信号機は中継信号機。上り本線の出発信号機に対して予告しています。ホームの無い上り一番線に貨物列車がいると、上り本線の出発信号機が手前から見えにくいための中継です。下は入れ換え信号機。

Img_0178
 
 画像は、18時20分から30分にかけて撮影したものです。
 
 ところで、倒木による運行抑止その後ですが、木曽福島駅下り線に停車中だったしなの17号は、2時間20分遅れの18時45分に出発していきました。そして上り線を所定16時30分発で同じく2時間20分遅れのしなの18号が到着しました。このしなの18号、原野~宮ノ越間の復旧再開一番列車です。

 その後は上下線とも特急街道の様相ですね、各駅で抑止されていた特急が次々(といっても10~15分おきですが)に通り、特急を優先して復旧したようです。

 私はというと、所定16時33分発松本行きで、きっかり2時間30分遅れの19時03分に薮原に向けて乗車できました。予定より59分遅れです。途中倒木した区間を通るのですが、暗くて何も見えませんでした。

2008/07/11

場内進行!

 6月24日に「出発進行!の本当の意味」と題して、投稿した記事、結構評判がありまして、オフラインでの反応は上々でした。やはりこのネタ、意外と知られていないんですね。
 
 で、「出発進行」と対になっている信号喚呼に「場内進行!」というのがあります。「出発進行!」の時にも書きましたけど、駅のうちポイントがある所は必ず、ポイントが無い駅でも時々そうですが、運転取り扱い用語で広く一般に「停車場」という扱いになっています。
 
 この停車場の入り口…と言いましょうか、駅間の本線路と停車場との境目には「場内信号機」というのがあります。停車場はポイントがある(無い所もありますが…)ということは、複数の進路が構成されます。停車場に進入しようとする列車に進路が出来上がっているのかどうかを運転士に知らせなければならず、その役割が場内信号機でありまして、出発信号機と全く同様の重要な扱いになっています。
 
 その場内信号機が「進行(青)」を示していれば「場内 進行!」と喚呼します。複数の線路に分岐させる信号機の場合は、「○○線 場内 進行!」のように、頭に進むべき進路を付けて喚呼します。
 
 さすがに「出発進行」のように「場内進行」が一般化することはありませんでした。こんな言葉を知っているのは、鉄道でも運転扱いに携わる方や余程の鉄(私が該当)ぐらいなものでしょうね。
 
場内信号機の例:東海道本線京都駅上り第一場内信号機
この画像では外側線の列車に対して複数ある進路のうち、続いて外側線を走行するように進路構成されていることを示し、次の第二場内信号機が2番線への進路が出来ていることを予告しています。
Img_0125

 
ついで。同じく京都駅上り第二場内信号機
第一場内信号機の次に設置されている場内信号機で、この画像では外側線の列車に対して、2番線へ進路構成されていることを示しています。
Img_0129

 
ちなみに当たり前の話ですが、運転士は担当する範囲内では、停車場構内の配線及び信号機の配列は全て覚えております。

2008/07/09

名鉄一宮駅エレベータ取付工事

 平成5年に高架化された名鉄一宮駅はホームに至るエレベータが無く、岐阜方に設置されている幅広のエスカレータが車椅子対応となっています。
 
Img_0125  この車椅子対応のエスカレータですけど、普段は上り方向の運転ですが車椅子が乗るときは当然ながら駅員の操作が必要で、今の時代となっては結構不便をきたしていますし、同様の構造であった隣のJRが一足先にエレベータを設置したことから、名鉄でもエレベータ設置となったものでしょう。
 
 これなら最初からエレベータ設置しておけば良かったのでしょうが、やはり昭和の終わり~平成にかけての時代は、まだバリアフリーを満たす設備条件が緩かったのでしょうね。
 
同じような画像が続きますが、地上階から中二階へ至るエスカレータを閉鎖して、ここにエレベータを設置するようです。
Img_0122

 
中二階から名古屋方面ホームに至る工事現場の囲い。
Img_0123_2

 
同じく岐阜行きホームに至る工事現場の囲い。
Img_0124

 
囲いの隙間から高架の構造躯体が丸見えです。この上部は岐阜行きホームで、ここに穴を開けてエレベータを設置します。見るからに大掛かりな工事です。

Img_0119

 
 実は私、この名鉄一宮駅のエレベータ無しでは、かつてこんな失敗がありました。長久手町で万博をやっていた頃、某大手家電店でA3対応のプリンタを買い(当然大きな箱です)、お店から名鉄までの輸送経路の改札口、エレベータの状況をチェックしたものの、肝心要の名鉄一宮駅で下向きのエスカレータは一人用であったことを忘れていました。車椅子でもないので、幅広のエスカレータを逆向き運転してもらえるはずも無く、仕方なく階段で荷を解いて、下まで担いで降りたんですワ。

2008/07/06

赤い青春18きっぷ

 青春18きっぷ。ご存知の方も多いでしょうが、ごく簡単に解説。
 
 JRグループ六社 の共通1_4 商品で、年三回の定められた期間中に、JRの鉄道線の普通列車 及び船舶航路に指定された日付の一日のみに乗車(乗船)でき、その効力が五回分備えた特別企画乗車券です。普通列車には快速など急行料金が不要な列車も含まれます。
 
 この青春18きっぷは、通常は駅の窓口でのマルス発行で発券されますが、JR東海とJR東日本以外のJR社では、機械発行ではなく印刷された常備券が存在し、その地紋色が淡赤色なので、通称「ナマ券」とか「赤春」とか好事家の間では呼ばれています。私は後者の「赤春」ですね。
 
 今までは米原駅東口の窓口でこの「赤春」を購入していましたが、今春を最後に米原駅他の主たる駅では赤春の扱いを止めてしまいました。しかし奈良線の駅ではまだ扱いがあるらしく、諦められないので今夏用の赤春を奈良線の東福寺駅まで出向き、無事赤春を購入できました。
(画像は加工してあります)
 
2_2  アンケート葉書です。いや、葉書ではありませんね。今まで米原駅で買っていたときでもアン ケートを渡されたり渡されなかったりしていましたが、50円切手貼り付けて集計箇所へ送る葉書でした。抽選でオレンジカードが頂ける特典もありました。
 
 でも久しぶりに見たアンケート、葉書ではありませんでした。住所を書く欄も無く、書き上げたら最寄りのJR駅係員に渡すという方式です。

 
 
 東福寺駅へは七条駅から京阪で行きました。スルッとKANSAI2dayチケットです。窓口に先客もおらずすんなりと購入して京阪の駅に戻ると、ちょうど一編成のみ在籍の3000系の特急が通過しました。あ、違ってる。8030に改番されています。急ぎカメラを出し、電源を入れ、撮影まで約12秒。前後を速度制限に挟まれてゆっくり通過ですのでこんな画像が撮れました。

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2008/06/26

アジサイ咲く森上駅

 先々週から…もっと前からだったかも?…、尾西線の森上駅でアジサイが、これぞと言わんばかりに咲き頬っています。これだけ沢山咲くと綺麗の一言に尽きますね。

 上下線に囲まれた島式ホームの先っちょに、このアジサイは咲いています。場所が場所だけに近づくことは出来ませんが、改札側のホームから遠目で眺めることは出来ます。
 
そんなアジサイの横を一宮行きの電車が通ります。
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ホームを降りた構内踏切から写しました。
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何年か前までは画像左側の電柱手前に、ポイントを動かす「梃子(てこ)」が設置されていました。尾西線も構内進路制御の自動化が行われてから久しいです。

2008/06/24

「出発進行!」の本当の意味

 絵本、漫画、ドラマ、或いは子供向けのミニSL運転会、はたまた広く世間一般で物事を始める際にも使われる言葉で、列車の運転士が駅を発車するときに発する「シュッパツシンコーッ!」。
 
 もう10年以上前になるのかな、ある鉄道好きの集まりでクイズ大会を開いたとき、私こんな問題を用意しました。○×クイズです。
 
問題:列車が駅を発車する時、運転士が発する「出発進行!」は、「さぁ出発だ。気を引き締めて進行しよう!」の意味を略したものである。
 
 これ、多くの方が正解するようにサービス問題としてウケも狙ったのですが、実は約7割以上の方が「○」を出しハズレ、大量着席してしまいました。
 
 鉄道における信号機には、駅の手前に「場内信号機」、駅を発車せんとする位置に「出発信号機」、駅と駅の間に閉塞信号機があります。また信号機の灯す色を「現示」といって、赤、黄黄(黄の二灯)、黄、黄青(黄と青の二灯)、青、の五種類があって、それぞれ「停止」「警戒」「注意」「減速」「進行」といいます。ここまで書いて少し判りかけたかな。
  
 「駅」のうち場内信号機又は出発信号機が設置されている駅のことを、運転取り扱い用語での「停車場」といいます。停車場から進出するには運転士は出発信号機の指示(現示)を確認しますが、その確認の言葉(喚呼という)が「出発進行」、つまり『「出発」信号機が「進行」を示している』という訳なんです。逆に言えば、出発信号機が無い駅では、「出発進行!」の喚呼は無いことになります。
 
 ですので、駅(停車場ですね)を発車する際に前方に列車が詰まっていて、出発信号機が青の進行でなく黄青の減速や黄の注意ですと、「出発減速」や「出発注意」で発車していくことになります。
 
 通過する列車でも、出発信号機の確認では(進行の青であれば)「出発進行!」と喚呼します。
 
 この「出発進行」の符丁、そして語感もよく、それで駅を発車するときの掛詞として認識されているのかなと思いますし、ひいては世間一般で「出発進行」が物事の開始にも使われているのでしょうね。
 
出発信号機の例:神戸電鉄鈴蘭台駅
(信号機の下の数字は信号従属機で、開通方向を示す。この場合粟生線に開通)Syuppatsu_2

 
 ちなみに、運転士の喚呼「進行!」はよく聞くと、「シンコウ!」ではなく「シッコォ!」に近いようですね。
※ここに書かれた喚呼の詞は一般的なもので、社によって若干異なります。

2008/06/03

接続を取らないウワサは本当か

 私がアーバンエリア(近畿地区京都~神戸エリアの俗称)からの戻りによく使う列車は、二パターンになります。
 
 1,三宮20:06-大阪20:30-京都21:00-米原着21:53終着
   接続→米原発平日21:57大垣行き、土休日21:54豊橋行き

 2,三宮20:36-大阪21:00-京都21:30-米原着22:23長浜行き
   接続→米原発平日・土休日とも22:31大垣行き

 さて本題。先日、土休日ダイヤの日、1のパターンで京都から乗りました。実際にには15分早い野洲行き新快速に乗り、野洲で米原行き普通列車に乗り移って米原駅に先に着きまして、米原からはJR東海の21:54発豊橋行き新快速です。21:54発はダイヤ上ではJR西日本の21:53着新快速を受けて発車する、つまり接続列車なのですが、聞いた話ではちょいちょい接続を取らずに出て行くらしいです。
 
 この日、私は上記の通り少し早めに米原駅に着きまして、工事中で長い通路を渡って豊橋行きに乗り、発車を待っていましたが、丁度ホーム反対面に21:53着新快速が進入したその時、豊橋行き車掌がドア閉めの予告音楽を流し始めました。時計を見ると21時54分30秒。向うの新快速が1分少々遅れていたのですが、これにはビックリで、「向うがドア開いた瞬間、こちらのドア閉まり発車」…のようなタイミングでした。でも予告音楽は止め、一応新快速からのお客さんは乗り移ることが出来ました。
 
 が、向うは12両編成、こちらは4両編成、新快速の12両目に乗った方は、車両7両分を走らされることになりますし、どうやら乗り損なった方もいたようでした。
 
 なんという非情さ。
 
 列車発車は、車掌の「乗降終了・発車時刻・出発信号」の三つが揃えば、出発指示省略駅では発車してもよいことになっています。この日もこの三つを確認して発車しかけたのでしょう。ただね、接続を受ける列車が1分少々遅れるという情報は伝わらなかったのでしょうか。車掌の持つ時刻表には、自列車から接続する列車は書かれていても、自列車に接続してくる列車は書かれていないですし、分からないのだろうな。
 
 かねてより米原駅21:54発の豊橋行きは、西からの新快速を接続を取らずに発車するという話を思い出し、そんな一端を見たような気がします。それと最近は、次の2のパターンである、米原駅22:31発大垣行きも接続を取らない傾向が出ております。

2008/05/30

有松駅と有松

 今は名古屋市緑区有松町となっている地域、その前身である有松村が今年で開村400年だそうで、巨大な歴史年表を作るなど昨年からイベントを行ったり、名古屋市内でもポスターをよく見かけます。
 
 なかなか村の起源を遡ることは難しいのですが、開村400年というのは比較的新しい部類ですね。1608年に尾張藩主義直の命により知多郡阿久比庄より竹田庄九郎らが東海道沿いに村を開き染物の産業を起し、後に全国に有名な有松絞りにつながって行った、というものです。
 
 この有松には名鉄電車の有松駅があります。しかし「有松駅」は「有松」にはありません。有松駅は名古屋市緑区鳴海町字有松裏45番地(地図での表記)にあり、鳴海町は名古屋市合併以前の愛知郡鳴海町で、東海道沿いに街村を成していた有松の街地と線路との間に、鳴海・有松の境界が通っています。
 
 でも名鉄の有松駅が有松には無くとも、そう大きな問題はありませんね。駅名というのは必ずしも「そこの地名」ではなく、あくまでも後背地の名称を冠し、利用者に分かり易いように付与すべきですね。
 
 実は私小学生の頃、103系の他偶に荷電が走っていたという頃、山手線の「目黒駅は目黒区には無い」、鉄道発祥の「品川駅は品川駅に無い」という事実を知り、驚きと同時にとても面白さを含めて興味深く感じました。当時は駅名というのはそのこの地名を付けるものだと当然のように思っていまして、その後長じて鉄道の役割と働きを考えられるようになると、駅名付与の考えも次第に現実のものとつながるようになっています。
 
 さて有松駅、駅開設は大正6年5月8日で愛知電気鉄道により愛知郡鳴海町字有松裏に設置され、駅名は「有松裏」駅。一応字(あざ)名の「有松裏」には合っているんですね。その頃の有松は知多郡有松町で、二年前に大府村の旧桶狭間村のエリアを合併して村域が大きくなっています。昭和10年に愛知電気鉄道は名岐鉄道と合併し社名は今の名古屋鉄道になり、昭和18年には駅名から「裏」がとれて「有松」に改称されました。

 ちなみに愛知郡鳴海町は、昭和38年4月1日に名古屋市に編入され緑区が発足、知多郡有松町は昭和39年12月1日に名古屋市緑区に旧知多郡大高町と共に編入されています。

2008/05/29

北鈴蘭台駅・電車広場

Img_0209_5  神戸電鉄有馬線 北鈴蘭台駅、 通称「北鈴」ここは神戸市立森林植物園へ行く際に乗換えで 利用する駅です。六甲の稜線が低くなっているところへ線路を通した形となっていて、この駅の前後では50‰の急勾配、さらに東西から駅へ至る道路は駅に向かって急勾配で降りるという地形です。

 普段は改札を出て階段を登り、駅前のバス停からさっさと送迎バスに乗るので気が付くのが遅かったのですが、この駅の西側駅前広場には何やら「鉄」なオブジェが置かれていました。その広場の名は「電車広場」。といっても廃車になった電動車の駆動車輪、交差渡り線のクロッシングレール、それと表示によれば枕木だそうですがこれは存在が分かりませんでした。
 

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電動車用の駆動車軸。歯車の所にモーターの歯車が噛み合わさって車軸を廻します。
 

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その歯車の拡大。
 

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踏面の状態。フランジから踏面へのRと踏面のRが微妙です。
 

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車輪の外側にはみ出した軸に台車の軸箱が納まり、ここで車体の重量を支えます。
 

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レールのオブジェ。交差渡り線のクロッシングレール。一体成型のレールで、左の赤が上(実際に電車が通る側)、右の青が裏です。裏を見たのはこれがはじめてです。
 

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記号が付いています。
 

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クロッシングの表拡大。
 

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裏の様子。一体成型で作られています。
 

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青色のクロッシング表。
 

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青色のクロッシング裏。なお当然ながら、赤や青の色は、展示のために色を塗ったものです。
 

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表示板。
 

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電車広場から見た、北鈴蘭台駅。駅ホームはこの建物の下です。
撮影は2008年2月、この日は駅前で市が開かれていて、ご覧の通り車輪がテントの中に取り込まれていまして、撮影はきつかったです。

***2009年9月23日追補
この車輪とレールのオブジェ、一年後には塗りかえられていました。
http://kisomitake.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/09/post_c3e7.html

2008/05/17

森上駅なのですが…

森上駅です。昨秋、自動改札機導入をImg_0169 機に駅舎を建て替えました。この新しい駅舎の南側に、なぜか「奥町駅」と記されたゴミ箱が。

奥町駅のある区間は、森上駅より一足先に自動改札機が導入され、その際に奥町駅の駅舎も建て替えられました。しかし駅員配置だった奥町駅は無人化となったそうで、使うことのなくなったゴミ箱を森上駅にもってきたものだろうと思います。

しかしまぁなんですねぇ、「奥町駅」と書かれたまま置いておくのは…。

2008/04/25

生命力は素晴らしい

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この画像は今年2月に写したもので、これはコケ類かな、
地下の鉄道トンネル内に植物が生えていました。凄い生命力。

地衣類やコケ類の胞子は空気中何処でも飛んではいますが、
それがトンネル内に入り込んで、漏水で濡れた表面に付着し、
成長したものでしょう。
よく見ると土壌化しています。

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火山の噴火で荒涼となった大地に最初に育つのが地衣類で、
それが段々土壌化してコケ類など徐々に高等植物が生えるのですが、
そんな植生の遷移がトンネル内で続いたんですね。

場所は、京都市内の阪急電鉄京都線烏丸駅です。

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2008/04/24

時速90km/hで走る

23日は祖父江町へ行きました。祖父江町…稲沢市の祖父江町です。
初夏の風と共に尾西線に乗って。

名鉄一宮駅から森上駅までを乗り、乗った電車の運転士が結構飛ばす人だったようで、
一宮から観音寺にかけての高架を最高90km/h程度は出ていました。
この区間なら特に珍しいことはありませんが、
苅安賀から二子にかけての区間でも85km/hを越え90km/hに達しようとする勢い。
タタン、タタンと軽快な音と共に田んぼの中を一直線に走るも、
二子駅は直ぐ近く、やがて普段よりも手前でブレーキポイントで、
この快速もおしまい。

そもそも苅安賀から萩原の区間は、萩原駅で5分停まりますので、
あんまり回復運転には繋がらないんですよね。

昔の3700形だったらジャンピング電車になっていただろうと、
ふとそんなこと思い出した、春の電車でした。

画像↓は、記事とは関係ありません。

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2008/04/21

尾西線110周年


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今日はどうだったのだろう?
一週間ほど前、尾西線を走る各電車に、写真のような標識板が付けられています。
大きいサイズは、正面の行き先板(方向板)と同じサイズ、
小さいサイズは、運転室内にぶら下げるもの。

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尾西線は、1898年(明治31年)4月3日に当時の尾西鉄道によって、
弥富~津島間が開業したのが始まりで、
現在の名鉄線を構成する線路としては、最も古い区間です。

海西地方の物産を運ぶ鉄道として、関西鉄道の支線の形で敷設され、
翌年の1899年(明治32年)2月17日に森上へ延長開業、
さらに同年7月18日に萩原まで開業しております。
勿論、単線蒸気鉄道でした。

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なお、厳密に言えば名鉄で最も古い区間は、
豊橋~平井信号場間で下り線路を共用する飯田線の前身、
豊川鉄道の1897年(明治30年)にまで遡ります。