| | インターネット中継で参院本会議を見守り、救済法案の可決と同時に喜び合う被害者たち=北九州市小倉北区
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カネミ油症事件で初めてとなる被害者救済法は29日、参院で可決、成立した。ポリ塩化ビフェニール(PCB)と猛毒ダイオキシンを本県などの市民が経口摂取した空前の食中毒事件は、発生から44年を経て一つの節目を迎えた。「生きていて、よかった」。北九州市であった集会に参加した被害者ら約80人は安堵(あんど)の表情を浮かべた。
甚大な健康被害が、治療法もないまま国や加害企業に矮小(わいしょう)化され、社会から覆い隠されてきた。集会で被害者たちは、矛盾に満ちた人生をそれぞれ振り返りながら、スクリーンに映された本会議のネット中継を見守った。新法成立と同時に大きな拍手がわき起こり、抱き合ったり泣き崩れる人もいた。
救済活動に取り組んできた五島市出身の下田順子さん(51)はかつて、汚染食用油で作った手料理を家族に食べさせた母につらい言葉をぶつけたこともあった。油症の苦痛から長崎港で自殺を図ろうとした20代の時は、母を思い浮かべ、踏みとどまった。「あの時死ななくてよかった」。未認定の父と妹の認定も今後期待できる。喜びにわく会場で、奈留島の母に携帯電話をかけ、こう伝えた。「お母さん、法律ができたよ。お母さん、ごめんなさい」
患者運動をけん引してきたカネミ油症五島市の会事務局長の宿輪敏子さん(51)は「被害の大きさに比べ小さな法律だけど新法を生かすには被害者の団結が必要」と気を引き締めた。
新法では悲願の医療費の公的負担はかなわず、ダイオキシンの次世代被害問題も手付かず。同会長の矢口哲雄さん(88)は「救いが何もないところから、やっとここまできた。だが複雑な思いもある」、同市玉之浦町の男性(78)は「3年後の政府の救済策再検討に向けて、また頑張りたい」と話した。
福岡の女性(71)は「娘を私と同じ病気で苦しませているのがつらい。でもこの世にいる間に法律ができてうれしい」とほほ笑んだ。
集会では保田行雄弁護士(東京)が新法を解説。「不満はあるが法律ができたことは行政による支援策に決定的意味を持つ。国、カネミ倉庫と協議する根拠にもなる。同一被害家族内の未認定者は数百人規模で新認定の見通し。救済運動は広がりが出てくる」と期待を込めた。