「原発問題研究者に聞いてみました。ほんとに、原発って必要なの?」藤田祐幸氏
原発問題研究者に聞いてみました(月刊チャージャー2007年4月号)
北朝鮮の核開発も驚異だが、そもそも日本の原子力発電って大丈夫なのか?
3月には、またぞろ事故隠しが発覚した日本の原子力発電所。電力の需要が増えてて大変なんだろうけど、チェルノブイリみたいな惨事はご勘弁。まじで怖い。でも、考えてみると、ボクらは「原発」のことを知らなすぎる。そこで、原子力問題を探求し続けている理学博士・藤田祐幸氏に、原子力発電のイロハを教えてもらう。
●ほんとに、原発って必要なの?
■原発がなくなると日本の電気は足りなくなるの?
結論から言うと、いますぐに日本中の原発が止まっても、大停電やパニックが起こることはありません。
北朝鮮の核開発も驚異だが、そもそも日本の原子力発電って大丈夫なのか?
3月には、またぞろ事故隠しが発覚した日本の原子力発電所。電力の需要が増えてて大変なんだろうけど、チェルノブイリみたいな惨事はご勘弁。まじで怖い。でも、考えてみると、ボクらは「原発」のことを知らなすぎる。そこで、原子力問題を探求し続けている理学博士・藤田祐幸氏に、原子力発電のイロハを教えてもらう。
●ほんとに、原発って必要なの?
■原発がなくなると日本の電気は足りなくなるの?
結論から言うと、いますぐに日本中の原発が止まっても、大停電やパニックが起こることはありません。
電力会社は稼働停止のリスクが高い原発のバックアップとして、ハイスピードで火力発電所を建設してきました。今、日本にある火力発電所は、「原発を稼働させるため」に、普段は能力の半分も稼働していないんです。原発での発電量をすべて火力に置き換えても、7割程度の稼働で事足りる計算になります。
私に言わせると、電力が足りるとか足りないなんて論じること自体がナンセンス。それ以前に、放射能を扱うテクノロジーの問題が大き過ぎるんです。まず、第一の問題は事故による環境汚染のリスクが高すぎる。こんなものを次々に作るのは、国家のみならず地球全体の脅威です。
放射性廃棄物の問題も未解決のままですね。原発のゴミから、放射能の毒性が消えるまでにはおよそ3万年かかると言われています。3万年前といえば、クロマニヨン人の時代です。そんな危険なモノをどんどん作って、未来の人類に対してどう責任が取れるのでしょうか? 廃棄方法が安全かどうかを検証するには3万年かけた実験が必要なんだから、安全と言い切れる廃棄方法があるはずもない。
原子炉のメンテナンス、掃除はどうやるか知ってますか? 発電所の原子炉は1年に1回程度運転を停止して定期点検や補修をします。停止直後の炉内は放射能汚染がすごいから、重装備でも被曝する。だから、電力会社や発電機メーカーの人間が最初に入るんじゃなくて、日雇いのようなシステムで肉体労働者が中に入って、雑巾で放射能を拭き取ることから始まるんです。労働者の「ノルマ」は被曝量。つまり、被曝量が一定レベルに達すると解雇される。原発問題は、安全や電力需要という以前に、人間の尊厳に関わる問題なんですよ。

藤田祐幸(ふじた ゆうこう)
1942年、千葉県生まれ。理学博士。慶応大学の教員をこの3月で退職し、長年住み慣れた三浦半島から長崎県に移住した。1983年には「エントロピー学会」の設立に参加。1990年からはチェルノブイリ周辺の汚染地域調査を続けるなど、原子力問題に取り組んできた。
◇著書『原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識』(東京書籍※広瀬隆と共著)
■「なぜ、原子力発電を始めたの?」
日本の核開発は、1952年の4月、敗戦後の占領下を脱して日本が独立した日に始まっています。吉田内閣時代の国会答弁で現在の科学技術庁設立が打ち出され、その付属研究所では秘密裏に原子力兵器開発が目論まれていたことが明らかになっています。多くの日本人が、広島・長崎の真実を知るのは、1954年に第五福竜丸の事件(ビキニ環礁付近のアメリカによる水爆実験で被曝)が起きてから。核についてはまともに報道さえされなかった時代のことですね。
岸信介は、原子力開発が自動的に核武装する力を保持することになると自伝の中で明記してます。佐藤栄作も外務省の内部文書で、原子力利用を推進して核武装へのポテンシャルを高めることや、エネルギー利用の真意が国民に悟られないように細心の注意を払うべきだということを主張しています。そうして生まれたのが「動燃(動力炉・核燃料開発事業団)」と「宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構)」です。核爆弾とロケットは一体ですからね。非核三原則は、原子力をエネルギー利用することを正当化するための大いなる建前とも言える。高速増殖炉や六ヶ所村の再処理工場など、プルトニウム利用に日本が積極的なのも、現在の核兵器にプルトニウムが不可欠だからとも言えるでしょう。
電力会社は、原発が地球温暖化の原因となる二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーだと主張します。でも、炭酸ガスと放射能、どっちが人類にとって有害ですか? しかも、原発は出力をほとんど調節できないんです。運転を始めたら、フル出力で運転し続けるしかない。1日の中で最も需要の下がる分の電力しか原発に依存することはできないから、深夜電力の値段を下げて「もっと電気を使おう」と宣伝している。
まあ、だからといって今まで莫大なお金と労力を注ぎ込んできた原子力開発をやめようとするのは、大きな責任を背負うことになりますからね。役人や企業レベルで判断できることではないんでしょうが。

■「今さらですが、プルサーマルって何ですか?」
プルは「プルトニウム」、サーマルは「軽水炉」。つまり、ウラン燃料用の軽水炉でプルトニウムを使う原子力発電ということですね。現在、日本の原子力発電所は、ウラン235を燃料にする軽水炉が主流です。ウラン235が核反応、つまり燃えると、周囲のウラン238(劣化ウラン)の一部がプルトニウムに変わるんです。
プルトニウムとウランを混ぜて燃やすと、燃料に含まれたウラン238がまたプルトニウムに変わるから、燃料としては非常に効率がいい。ウランだけでは資源として70年しかもたないといわれていましたが、プルトニウムの資源化に成功すればその100倍の7000年、効率が50%としても3500年は活用できて、世界のエネルギー問題は解決すると言われているんです。
事故を起こして今は稼働を停止している「もんじゅ」などの高速増殖炉と呼ばれる原子炉は、このプルトニウムを使うためのものです。でも、暴走しやすく毒性が高いプルトニウムを扱うのは技術的に非常に難しいし、とてつもないコストがかかる。高速増殖炉の活用は世界の多くの国が開発から撤退していますし、日本でも絶望視されているのが実態です。
そこで、最近ではプルトニウムとウランを混ぜた「MOX燃料」を、軽水炉で使うプルサーマル計画が進められているということです。でも、本来はウランを使うために設計された原子炉でプルトニウムを燃やすのは、石油ストーブにガソリンを入れるようなもの。高速増殖炉を推進しようとしていた当初は否定されていたはずの方法が、どうして安全だと言い切れるのか、私には不思議でしょうがありません。

■「もし、六ヶ所村で事故が起きたら…」
六ヶ所村(青森県上北郡)に建設された核燃料再処理施設は、ついに稼働してしまいましたね。念のため、誤解のないように説明しておくと、核燃料の再処理というのは、原発で使用済みになった燃料を無害にするのではありません。もともとは高速増殖炉で使用するプルトニウムを取り出すために計画された工場なんです。核燃料は手を加えれば加えるほど危険性が高まります。
再処理の方法をざっと説明すると、使用済みの燃料棒を切り刻んで硝酸で溶かし、分離してプルトニウムを取り出すんですね。そもそも核燃料は表面温度が数百度に達するものすごい発熱体です。おまけに強烈な酸と放射能。極限状態の工場なんですよ。
六ヶ所村の再処理施設は、事故が起きなくても1日で日本中の原発が1年間で出すのとほぼ同量の放射能(いわゆる死の灰など)を排出するといわれています。半分は空気中、半分は海に捨てられるんですね。私は定年まで1年を残して大学の職を辞して、今住んでいる三浦半島から長崎へ引っ越すことを決めたんですが、六ヶ所村から少しでも離れたいというのも理由のひとつなんです。
もし、六カ所村で事故が起きたら? 六ヶ所村の工場のモデルでもあるフランスのラ・アーグ再処理工場で、一度大事故一歩手前の事故がありました。冷却水を送るためのモーターの電源が落ちて、バックアップもできない状態になってしまった。工場の従業員たちは大急ぎで自宅に逃げ帰ったそうです。せめて、家族と一緒に死にたいってね。その時は奇跡的に電源車が間に合って大惨事にはならずに済みましたけど、もし大事故になっていたらヨーロッパのほぼ全域が壊滅していただろうというシミュレーションもあります。
六ヶ所村は本州の端っこで遠いから、東京や私が移住する長崎は安全だろうなんて、とんでもありません。もし最悪の事故が起きたら、アジアはもちろん、地球が壊滅的な被害を受けるといっても過言ではないですね。

■「それで、核のゴミはどうなるの?」
そもそも、軍事的な側面の強い原子力開発は最終的なゴミの処分方法が未解決のままスタートしています。技術の進歩でなんとかなるだろうという見切り発車で、今も状況はそれほど変わっていません。
1つの原子炉からは、1年間で広島型原爆1000発分の放射能をもったゴミが出ます。40年稼働するとして1基当たり4万発。日本では現在50基以上の原発が稼働していますから、単純に計算して原爆200万発分の放射能を生み出すことになる。

脱原発のためには、代替発電の方法だけでなく、省エネルギー社会の実現が不可欠だ
最初にお話しした通り、核のゴミの放射能の毒性は3万年残ります。深海や地中深くに捨てたとしても、水に触れると循環して地球が放射能に汚染させてしまいます。南極の氷の下とか、宇宙空間に捨てるなんていう案も検討されたようですが、どれも無理。現状では、50年ほど放置して冷却してもなお表面温度が数百度もある核のゴミを粉末にして、ガラスで固めた「ガラス固化体」として地中に埋める方法が主張されています。
高知県の東洋町が受け入れを発表して話題になったのもこの方法が想定されています。でもね、現在の技術でどんなに頑丈にシールドしても、それが3万年大丈夫って、誰が証明できるんでしょうね。日本には約2000本の活断層があるといわれています。活断層は2000年に1回は動くといわれてるから、1万年の間でも日本中の活断層が5回ずつ動いてしまうことになる。日本に「安全な地中」なんてないんです。
もう少し現実的な時間に話を戻しましょうか。たとえば、冷やすために50年間放置するという計画を決めた人間で、50年後に責任ある立場にいる者はいないでしょう。核開発そのものが、人間のライフサイクルを無視したものなんです。核に手を染めたこと自体、人類の傲慢だったのかも知れません。
■「寿命になった原発の末路は?」
まず、密閉して約10年間放置されます。原子炉の材料はほとんどが鉄とコンクリートです。解体して出るゴミの量は膨大なものですね。それを、すべて核廃棄物として処理するには国土が足りなくなってしまうし、費用がかかりすぎる。そこで、たとえば鉄は放射能汚染のレベルが高い表面を削る(全体の3~5%といわれている)処理をして、残った芯の部分は普通の産業廃棄物として処理するという法律が、一昨年成立してしまいました。
放射能汚染は、濃度と総量の両面で考える必要がある。汚染レベルが低いとされたゴミの山に、高レベルの汚染物が混じっていても、チェックしきれない可能性は高いですよね。その鉄がリサイクルされてしまうと、放射能汚染された鉄製品が世の中に出回ってしまうことになります。放射能は味も匂いもありません。もちろん目には見えないし、化学的に毒性を中和することもできません。
このまま原発に依存し続けるのは、こうした問題をさらに大きくしていくことになりますよね。そもそも、原発は核反応の熱で水を沸騰させてタービンを回す蒸気機関でしかありません。システムとしては古典的な技術で、とても効率が悪い。原発を推進して維持するためのコストで、日本の電気料金はとても高いのが現実です。
もっと言うと、われわれの生活スタイルを見直す必要があるでしょうね。燃料を燃やして得た電気を、もう一度熱に変換するのはとても効率が悪いんです。電気は通信などの利便に使い、熱には使わないようにするだけでもエネルギー事情は変わるはずです。
火力発電では、ジェットエンジンのような内燃機関を使い、さらに廃熱でタービンを回す効率のいい技術が開発されています。そもそも、古くからの日本にあった「里山」って、生活のためのエネルギー基地だったんですよね。植えた木はおよそ10年で燃料にできるまで育つ。育てた木を切って燃やすのは、地球全体としては炭酸ガスの量は変わりません。各家庭に燃料電池が普及したり、再生可能なエネルギーを活用した発電技術が進めばいいのですが、そうなると電力会社は存在理由を失って、原子炉の後始末は誰がするの? ということになりかねないことでもあるんですけどね。
いずれにしても、世界のどこかで、誰かが、勇気をもって、大きな方針転換をすることが必要なのだと思います。

Charger's VOICE
それでも核は必要だと言えるのか?
ぜひ自分で考えてほしい…
藤田氏は原子力発電、いや核利用そのものに反対の立場を貫く人だ。今回の企画ではその藤田さんだけに話を聞いたから「原子力発電なんてとんでもない」という、ある意味で一方的な内容になっている。でも、原発についてのさまざまな資料や本を調べ、藤田さんに話を聞くと、原発って存在の危なっかしさがとても素直に納得できてしまうのだ。これだけでも奥深いから、原発擁護論まで紹介するには誌面も足りないし。だから、読者のみなさんには、この記事をきっかけに、原発問題をちゃんと自分で考えてほしいのだ。
環境にいいと思っていた「オール電化」住宅は、実は深夜電力の需要を引き揚げたい原発推進に加担することになりかねないということに、今回の取材で初めて気付かされた。知らないということは、時にそれだけで罪になる。かつて、ボクらが憧れた自動車は、燃費のことを性能とは呼んでいなかった。排気ガスなんて、まるで気にしてなかったからだ。人間って、便利さや欲望の前には簡単にひざまずく愚かな生き物なのだ。最近の北朝鮮やイランの核問題を見ていても、核開発って、つまりは国家の脅し合い。今、地球全体で究極のチキンゲームが進行中ってこと。ああ、誰か偉い人が、早く「もう核開発競争なんてやめようぜ」って言ってくれないかなと、祈りに近い気持ちを抱いてしまうのだ。
あ、でもすでに世界中には、数え切れないくらいの核爆弾や放射能という毒のゴミがあふれかえっているんだよなあ。そう考えると、ささやかな生活の中で耳を塞ぎたくなるような絶望感に包まれてしまう。今、日本で原子力発電に関わる人たちには、事の重大さを自覚して、せめて、嘘をついたり、隠し事をしたりしないと約束してほしいと願う。
構成/寄本好則(三軒茶屋ファクトリー)
撮影/三軒茶屋ファクトリー
私に言わせると、電力が足りるとか足りないなんて論じること自体がナンセンス。それ以前に、放射能を扱うテクノロジーの問題が大き過ぎるんです。まず、第一の問題は事故による環境汚染のリスクが高すぎる。こんなものを次々に作るのは、国家のみならず地球全体の脅威です。
放射性廃棄物の問題も未解決のままですね。原発のゴミから、放射能の毒性が消えるまでにはおよそ3万年かかると言われています。3万年前といえば、クロマニヨン人の時代です。そんな危険なモノをどんどん作って、未来の人類に対してどう責任が取れるのでしょうか? 廃棄方法が安全かどうかを検証するには3万年かけた実験が必要なんだから、安全と言い切れる廃棄方法があるはずもない。
原子炉のメンテナンス、掃除はどうやるか知ってますか? 発電所の原子炉は1年に1回程度運転を停止して定期点検や補修をします。停止直後の炉内は放射能汚染がすごいから、重装備でも被曝する。だから、電力会社や発電機メーカーの人間が最初に入るんじゃなくて、日雇いのようなシステムで肉体労働者が中に入って、雑巾で放射能を拭き取ることから始まるんです。労働者の「ノルマ」は被曝量。つまり、被曝量が一定レベルに達すると解雇される。原発問題は、安全や電力需要という以前に、人間の尊厳に関わる問題なんですよ。
藤田祐幸(ふじた ゆうこう)
1942年、千葉県生まれ。理学博士。慶応大学の教員をこの3月で退職し、長年住み慣れた三浦半島から長崎県に移住した。1983年には「エントロピー学会」の設立に参加。1990年からはチェルノブイリ周辺の汚染地域調査を続けるなど、原子力問題に取り組んできた。
◇著書『原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識』(東京書籍※広瀬隆と共著)
■「なぜ、原子力発電を始めたの?」
日本の核開発は、1952年の4月、敗戦後の占領下を脱して日本が独立した日に始まっています。吉田内閣時代の国会答弁で現在の科学技術庁設立が打ち出され、その付属研究所では秘密裏に原子力兵器開発が目論まれていたことが明らかになっています。多くの日本人が、広島・長崎の真実を知るのは、1954年に第五福竜丸の事件(ビキニ環礁付近のアメリカによる水爆実験で被曝)が起きてから。核についてはまともに報道さえされなかった時代のことですね。
岸信介は、原子力開発が自動的に核武装する力を保持することになると自伝の中で明記してます。佐藤栄作も外務省の内部文書で、原子力利用を推進して核武装へのポテンシャルを高めることや、エネルギー利用の真意が国民に悟られないように細心の注意を払うべきだということを主張しています。そうして生まれたのが「動燃(動力炉・核燃料開発事業団)」と「宇宙開発事業団(現在の宇宙航空研究開発機構)」です。核爆弾とロケットは一体ですからね。非核三原則は、原子力をエネルギー利用することを正当化するための大いなる建前とも言える。高速増殖炉や六ヶ所村の再処理工場など、プルトニウム利用に日本が積極的なのも、現在の核兵器にプルトニウムが不可欠だからとも言えるでしょう。
電力会社は、原発が地球温暖化の原因となる二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギーだと主張します。でも、炭酸ガスと放射能、どっちが人類にとって有害ですか? しかも、原発は出力をほとんど調節できないんです。運転を始めたら、フル出力で運転し続けるしかない。1日の中で最も需要の下がる分の電力しか原発に依存することはできないから、深夜電力の値段を下げて「もっと電気を使おう」と宣伝している。
まあ、だからといって今まで莫大なお金と労力を注ぎ込んできた原子力開発をやめようとするのは、大きな責任を背負うことになりますからね。役人や企業レベルで判断できることではないんでしょうが。
■「今さらですが、プルサーマルって何ですか?」
プルは「プルトニウム」、サーマルは「軽水炉」。つまり、ウラン燃料用の軽水炉でプルトニウムを使う原子力発電ということですね。現在、日本の原子力発電所は、ウラン235を燃料にする軽水炉が主流です。ウラン235が核反応、つまり燃えると、周囲のウラン238(劣化ウラン)の一部がプルトニウムに変わるんです。
プルトニウムとウランを混ぜて燃やすと、燃料に含まれたウラン238がまたプルトニウムに変わるから、燃料としては非常に効率がいい。ウランだけでは資源として70年しかもたないといわれていましたが、プルトニウムの資源化に成功すればその100倍の7000年、効率が50%としても3500年は活用できて、世界のエネルギー問題は解決すると言われているんです。
事故を起こして今は稼働を停止している「もんじゅ」などの高速増殖炉と呼ばれる原子炉は、このプルトニウムを使うためのものです。でも、暴走しやすく毒性が高いプルトニウムを扱うのは技術的に非常に難しいし、とてつもないコストがかかる。高速増殖炉の活用は世界の多くの国が開発から撤退していますし、日本でも絶望視されているのが実態です。
そこで、最近ではプルトニウムとウランを混ぜた「MOX燃料」を、軽水炉で使うプルサーマル計画が進められているということです。でも、本来はウランを使うために設計された原子炉でプルトニウムを燃やすのは、石油ストーブにガソリンを入れるようなもの。高速増殖炉を推進しようとしていた当初は否定されていたはずの方法が、どうして安全だと言い切れるのか、私には不思議でしょうがありません。
■「もし、六ヶ所村で事故が起きたら…」
六ヶ所村(青森県上北郡)に建設された核燃料再処理施設は、ついに稼働してしまいましたね。念のため、誤解のないように説明しておくと、核燃料の再処理というのは、原発で使用済みになった燃料を無害にするのではありません。もともとは高速増殖炉で使用するプルトニウムを取り出すために計画された工場なんです。核燃料は手を加えれば加えるほど危険性が高まります。
再処理の方法をざっと説明すると、使用済みの燃料棒を切り刻んで硝酸で溶かし、分離してプルトニウムを取り出すんですね。そもそも核燃料は表面温度が数百度に達するものすごい発熱体です。おまけに強烈な酸と放射能。極限状態の工場なんですよ。
六ヶ所村の再処理施設は、事故が起きなくても1日で日本中の原発が1年間で出すのとほぼ同量の放射能(いわゆる死の灰など)を排出するといわれています。半分は空気中、半分は海に捨てられるんですね。私は定年まで1年を残して大学の職を辞して、今住んでいる三浦半島から長崎へ引っ越すことを決めたんですが、六ヶ所村から少しでも離れたいというのも理由のひとつなんです。
もし、六カ所村で事故が起きたら? 六ヶ所村の工場のモデルでもあるフランスのラ・アーグ再処理工場で、一度大事故一歩手前の事故がありました。冷却水を送るためのモーターの電源が落ちて、バックアップもできない状態になってしまった。工場の従業員たちは大急ぎで自宅に逃げ帰ったそうです。せめて、家族と一緒に死にたいってね。その時は奇跡的に電源車が間に合って大惨事にはならずに済みましたけど、もし大事故になっていたらヨーロッパのほぼ全域が壊滅していただろうというシミュレーションもあります。
六ヶ所村は本州の端っこで遠いから、東京や私が移住する長崎は安全だろうなんて、とんでもありません。もし最悪の事故が起きたら、アジアはもちろん、地球が壊滅的な被害を受けるといっても過言ではないですね。
■「それで、核のゴミはどうなるの?」
そもそも、軍事的な側面の強い原子力開発は最終的なゴミの処分方法が未解決のままスタートしています。技術の進歩でなんとかなるだろうという見切り発車で、今も状況はそれほど変わっていません。
1つの原子炉からは、1年間で広島型原爆1000発分の放射能をもったゴミが出ます。40年稼働するとして1基当たり4万発。日本では現在50基以上の原発が稼働していますから、単純に計算して原爆200万発分の放射能を生み出すことになる。
脱原発のためには、代替発電の方法だけでなく、省エネルギー社会の実現が不可欠だ
最初にお話しした通り、核のゴミの放射能の毒性は3万年残ります。深海や地中深くに捨てたとしても、水に触れると循環して地球が放射能に汚染させてしまいます。南極の氷の下とか、宇宙空間に捨てるなんていう案も検討されたようですが、どれも無理。現状では、50年ほど放置して冷却してもなお表面温度が数百度もある核のゴミを粉末にして、ガラスで固めた「ガラス固化体」として地中に埋める方法が主張されています。
高知県の東洋町が受け入れを発表して話題になったのもこの方法が想定されています。でもね、現在の技術でどんなに頑丈にシールドしても、それが3万年大丈夫って、誰が証明できるんでしょうね。日本には約2000本の活断層があるといわれています。活断層は2000年に1回は動くといわれてるから、1万年の間でも日本中の活断層が5回ずつ動いてしまうことになる。日本に「安全な地中」なんてないんです。
もう少し現実的な時間に話を戻しましょうか。たとえば、冷やすために50年間放置するという計画を決めた人間で、50年後に責任ある立場にいる者はいないでしょう。核開発そのものが、人間のライフサイクルを無視したものなんです。核に手を染めたこと自体、人類の傲慢だったのかも知れません。
■「寿命になった原発の末路は?」
まず、密閉して約10年間放置されます。原子炉の材料はほとんどが鉄とコンクリートです。解体して出るゴミの量は膨大なものですね。それを、すべて核廃棄物として処理するには国土が足りなくなってしまうし、費用がかかりすぎる。そこで、たとえば鉄は放射能汚染のレベルが高い表面を削る(全体の3~5%といわれている)処理をして、残った芯の部分は普通の産業廃棄物として処理するという法律が、一昨年成立してしまいました。
放射能汚染は、濃度と総量の両面で考える必要がある。汚染レベルが低いとされたゴミの山に、高レベルの汚染物が混じっていても、チェックしきれない可能性は高いですよね。その鉄がリサイクルされてしまうと、放射能汚染された鉄製品が世の中に出回ってしまうことになります。放射能は味も匂いもありません。もちろん目には見えないし、化学的に毒性を中和することもできません。
このまま原発に依存し続けるのは、こうした問題をさらに大きくしていくことになりますよね。そもそも、原発は核反応の熱で水を沸騰させてタービンを回す蒸気機関でしかありません。システムとしては古典的な技術で、とても効率が悪い。原発を推進して維持するためのコストで、日本の電気料金はとても高いのが現実です。
もっと言うと、われわれの生活スタイルを見直す必要があるでしょうね。燃料を燃やして得た電気を、もう一度熱に変換するのはとても効率が悪いんです。電気は通信などの利便に使い、熱には使わないようにするだけでもエネルギー事情は変わるはずです。
火力発電では、ジェットエンジンのような内燃機関を使い、さらに廃熱でタービンを回す効率のいい技術が開発されています。そもそも、古くからの日本にあった「里山」って、生活のためのエネルギー基地だったんですよね。植えた木はおよそ10年で燃料にできるまで育つ。育てた木を切って燃やすのは、地球全体としては炭酸ガスの量は変わりません。各家庭に燃料電池が普及したり、再生可能なエネルギーを活用した発電技術が進めばいいのですが、そうなると電力会社は存在理由を失って、原子炉の後始末は誰がするの? ということになりかねないことでもあるんですけどね。
いずれにしても、世界のどこかで、誰かが、勇気をもって、大きな方針転換をすることが必要なのだと思います。
Charger's VOICE
それでも核は必要だと言えるのか?
ぜひ自分で考えてほしい…
藤田氏は原子力発電、いや核利用そのものに反対の立場を貫く人だ。今回の企画ではその藤田さんだけに話を聞いたから「原子力発電なんてとんでもない」という、ある意味で一方的な内容になっている。でも、原発についてのさまざまな資料や本を調べ、藤田さんに話を聞くと、原発って存在の危なっかしさがとても素直に納得できてしまうのだ。これだけでも奥深いから、原発擁護論まで紹介するには誌面も足りないし。だから、読者のみなさんには、この記事をきっかけに、原発問題をちゃんと自分で考えてほしいのだ。
環境にいいと思っていた「オール電化」住宅は、実は深夜電力の需要を引き揚げたい原発推進に加担することになりかねないということに、今回の取材で初めて気付かされた。知らないということは、時にそれだけで罪になる。かつて、ボクらが憧れた自動車は、燃費のことを性能とは呼んでいなかった。排気ガスなんて、まるで気にしてなかったからだ。人間って、便利さや欲望の前には簡単にひざまずく愚かな生き物なのだ。最近の北朝鮮やイランの核問題を見ていても、核開発って、つまりは国家の脅し合い。今、地球全体で究極のチキンゲームが進行中ってこと。ああ、誰か偉い人が、早く「もう核開発競争なんてやめようぜ」って言ってくれないかなと、祈りに近い気持ちを抱いてしまうのだ。
あ、でもすでに世界中には、数え切れないくらいの核爆弾や放射能という毒のゴミがあふれかえっているんだよなあ。そう考えると、ささやかな生活の中で耳を塞ぎたくなるような絶望感に包まれてしまう。今、日本で原子力発電に関わる人たちには、事の重大さを自覚して、せめて、嘘をついたり、隠し事をしたりしないと約束してほしいと願う。
構成/寄本好則(三軒茶屋ファクトリー)
撮影/三軒茶屋ファクトリー
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