2010年07月
走る
流石に直線は飽きる、そんなわけで今日は幕張を過ぎたら
曲がる先日走ったコースにした。
「もう、過ぎたんじゃないの?」
キャリアの浅い息子が云う。
千葉県の大先輩を舐めんじゃねぇ。
こちとら、餓鬼の頃はよく幕張までチャリで繰り出したもんよ。
「大分過ぎてますよ」
新検見川付近まで走ってスタンドの兄ちゃんは云う。
失敬、かたじけない、失礼しました。
息子に頭を下げて大分余分に走ってから幕張まで戻る。
幕張から武石インターを過ぎて、友人に息子を紹介した。
しばし、立ち話して実籾に向かった。
実籾駅前を折り返して船橋へ向かう。
初めての距離感のわからない道を通って文句を云わないで
最後まで走ったからちょっと褒めた。
今日は昨日よりも長かった。
偉そうなことを云ってハナマサを過ぎるとは迂闊だった。
曲がる先日走ったコースにした。
「もう、過ぎたんじゃないの?」
キャリアの浅い息子が云う。
千葉県の大先輩を舐めんじゃねぇ。
こちとら、餓鬼の頃はよく幕張までチャリで繰り出したもんよ。
「大分過ぎてますよ」
新検見川付近まで走ってスタンドの兄ちゃんは云う。
失敬、かたじけない、失礼しました。
息子に頭を下げて大分余分に走ってから幕張まで戻る。
幕張から武石インターを過ぎて、友人に息子を紹介した。
しばし、立ち話して実籾に向かった。
実籾駅前を折り返して船橋へ向かう。
初めての距離感のわからない道を通って文句を云わないで
最後まで走ったからちょっと褒めた。
今日は昨日よりも長かった。
偉そうなことを云ってハナマサを過ぎるとは迂闊だった。
稲毛
子供曜日を終えて、少し小雨が降ってはいたけれど
息子と走ることにした。
夏休みの一つにしている目標がある。
出来るかどうかは別として挑む価値はあると
思っている。
子供に無理はさせたくない、無茶もさせたくない、
確かにそれはそれで正しいかもしれないけれど、
土台を作って後後、彼が選ぶ何がしかの世界に放り出したい。
コースは決めていたような決めていないような
気ままな走り始めだった。
行けるところまで行ってみよう、いや行ってしまえ、
というような意地悪な気持ちがあった。
行くだけ行ってしまえば疲れていてももう嫌でも走って
帰らなくてはならない、僕は息子の逃げ道を先にふさぐことにした。
幕張まで、それだと先週僕が走ったし、どうせなら僕も初めての
場所までにしたかった。
幕張を通り過ぎて花見川を越えて、新検見川を通過して
稲毛まで走る。。
そこで折り返して、着た道を辿る。
行きよりも道の長さを知っている帰りの方が楽に感じるはずなのだけど、
今日は帰りの方が辛かった。
子供にそこまでさせるといい印象を持たない人もいるだろうけれど、
無理してでも、苦労して掴み取る喜びを子供のうちに教えることも
大切だと思う。
我慢を覚えるし、自分が頑張らなくては誰も助けてくれないという
ことを覚えることも、走ることは教えてくれる。
水の旨さも、頑張れたという自分への感動も。
長く走るということはスポーツ全てに共通していると思う。
子供が限界なのか、逃げたくて嘆いているだけなのかの見極めを
間違えなければ無理させることも必要だろう。
信号が赤になって喜んで、赤だった信号が青になって
悔しがる。
自動販売機で買った水を分けあって水の冷たさと旨さも
分けあった。
ジムに着くと練習が終わっていた。
ジムに入ると、練習したくないと走りながら云い張っていた息子が
バンテージを拳に巻き始めた。
ストレッチして上がろうと軟弱な考えが芽生え始めていたけれど、
剥きになって僕もバンテージを巻いた。
そしてシャドーをする。
やる気があるのはわかるけど時間も遅いし今日は終わり、
残念、蹴りたかった。
そんな感じで終わることを少しだけ、いや、それなりに
期待していた。
しかし、
「アーシー、ミット」
アルンサック、そこは律義です。
世の中やっぱり甘くない。
楽しちゃスタミナはつきません。
息子と走ることにした。
夏休みの一つにしている目標がある。
出来るかどうかは別として挑む価値はあると
思っている。
子供に無理はさせたくない、無茶もさせたくない、
確かにそれはそれで正しいかもしれないけれど、
土台を作って後後、彼が選ぶ何がしかの世界に放り出したい。
コースは決めていたような決めていないような
気ままな走り始めだった。
行けるところまで行ってみよう、いや行ってしまえ、
というような意地悪な気持ちがあった。
行くだけ行ってしまえば疲れていてももう嫌でも走って
帰らなくてはならない、僕は息子の逃げ道を先にふさぐことにした。
幕張まで、それだと先週僕が走ったし、どうせなら僕も初めての
場所までにしたかった。
幕張を通り過ぎて花見川を越えて、新検見川を通過して
稲毛まで走る。。
そこで折り返して、着た道を辿る。
行きよりも道の長さを知っている帰りの方が楽に感じるはずなのだけど、
今日は帰りの方が辛かった。
子供にそこまでさせるといい印象を持たない人もいるだろうけれど、
無理してでも、苦労して掴み取る喜びを子供のうちに教えることも
大切だと思う。
我慢を覚えるし、自分が頑張らなくては誰も助けてくれないという
ことを覚えることも、走ることは教えてくれる。
水の旨さも、頑張れたという自分への感動も。
長く走るということはスポーツ全てに共通していると思う。
子供が限界なのか、逃げたくて嘆いているだけなのかの見極めを
間違えなければ無理させることも必要だろう。
信号が赤になって喜んで、赤だった信号が青になって
悔しがる。
自動販売機で買った水を分けあって水の冷たさと旨さも
分けあった。
ジムに着くと練習が終わっていた。
ジムに入ると、練習したくないと走りながら云い張っていた息子が
バンテージを拳に巻き始めた。
ストレッチして上がろうと軟弱な考えが芽生え始めていたけれど、
剥きになって僕もバンテージを巻いた。
そしてシャドーをする。
やる気があるのはわかるけど時間も遅いし今日は終わり、
残念、蹴りたかった。
そんな感じで終わることを少しだけ、いや、それなりに
期待していた。
しかし、
「アーシー、ミット」
アルンサック、そこは律義です。
世の中やっぱり甘くない。
楽しちゃスタミナはつきません。