2012年08月31日

橋下維新の会は烏合の衆でしかない 2012年07月30日

「彼ら」が目指している社会がさっぱり見えてこない。それは国家や自治体が共有すべき価値観の提示が「無い」に等しいからである。そして、価値観の共有無き集団を「烏合の衆」と呼ぶのである。

なぜか、それは橋下徹という政治家が「知性」「理性」を欠いているからである。

ある週刊誌には、次期衆議院選挙で維新の会が200議席を超えると報じている。この橋下氏個人の問題は、どうやら国家の将来という大問題につながって行きそうである。

ドリーム党は、この日本国民が共有すべき価値観という問題を何回にも分け、分かりやすく説明していきたい。

まずは、以下のPDF資料を見ていただきたい。

http://imagineer.up.seesaa.net/image/p1.pdf

これからの日本、30年後の日本はABCDのどの領域を目指すのか、この問題こそが最大の論点でなくてはならないが、維新の会からは何も聞こえてこない。

つまり、こういうことである。
◆ これまでの民主主義を修正するのか、しないのか
◆ これまでの資本主義を修正するのか、しないのか
である。

今の日本は、完全に「官僚主導」の「硬直化社会」、つまりD領域である。憲法前文に記されている日本国の価値観は踏みにじられ、「民」は「官」に支配されている。アメリカはどうか、自由ではあるが、力づくで威嚇する国であり、C領域に属する。

ドリーム党の政策は、D領域から理想とするA領域に移行する、つまり、修正民主主義と修正資本主義を目指すものである。

明治以来の「和魂洋才」という価値観を捨て去り、「日本魂日本才」、あるいは「東洋魂東洋才」という、アメリカにはまったく存在しない、日本的文化国家を築き上げるのが正しい道であり、そうすることにより子どもたちの未来は開け、青い顔をした日本人は「健やかさ」「みずみずしさ」を取り戻すことができるものと確信する。

行動は思想から生まれる。そして、思想は哲学的価値観と宗教的価値観から生み出される。マン・オブ・ノープリンシプルとは、アメリカ合衆国建国の祖であるピューリタンたちが、決して市民権を与えない人たちのことを言う。「哲学なき人間はこの地を去れ」「哲学なき人間に市民権は不要」という意味である。

古来より日本人は「武士道」「五人組の掟」などに示された哲学を共有してきたのである。PDF資料の「神の原則」に基づき、高コンプライアンス国家を築いてきたのである。であるから、そのような烏合の衆ではない領域,A領域価値観を共有する国家への移行は決して不可能ではない。

もちろん、5年くらいではできないが、「絶対成功する方法は、絶対にあきらめないこと」である。再度、日本国憲法前文に記された「理念」「価値観」を共有し、長期ビジョンを「見える化」して分かりやすく説明することができれば、有能な日本人は前だけを見て進むことであろう。自分の役割と居場所をはっきりと確認することができるであろう。
posted by S・C・ NAKAMURA at 11:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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